月明かりに照らされた夜道に二つの人影が映し出される。人影は速さは風のごとく、目的地へと走っていく。もし、その光景を見るものがいたのなら、あまりの速さに目にも止まることは無かったであろう。
元々仲間内でもトップクラスの俊敏さを誇る二人が憑依召喚によって強化された今、そのスピードはグリフォンにも匹敵するほどに早かった。
二つの人影、アカネとナツミがルイズ達を追って走り出して数分。未だに二人は彼女達に追いついてはいなかった。存外にフーケ達や傭兵達の戦闘に時間がかかっていたのか、ワルド達の足が速いのか、あるいはその両方なのか。
それとも……道に迷ったのか。
アカネの誘導に従い、走っていたナツミは桟橋に向かうはずなのに何故か長い階段を上りつづけるアカネに疑問を覚え始めていた。つまり、アカネがここにきてヘマをかましたのではないかと。そんな考えがよぎったナツミはすかさずアカネに問いかける。
「アカネ!本当に桟橋に向かってんの?ここ上ると山とかじゃないでしょうね?」
「うるさいなぁ。黙ってあたしに付いてくればいいのよ」
「いや、道を間違ってたら致命的だと思うんだけど」
非常事態にも関わらず、突っかかってくるナツミにアカネはまさかと思いつつも問いかけた。
「……もしかして、アルビオンってどこにあるか知らないとか言わないよね?」
「知らないけど?」
「はぁ……説明すんのも面倒だからそのまま付いてきてよ。このスピードならもうすぐ着くし」
まさかナツミがハルケギニア二日目の自分よりも、この世界に関して知らなかったという事実にアカネは走りながらも器用に肩を落とし、溜息を吐いた。それ以降は会話もなく二人は黙々と長い、長い階段を上りつづける。階段を上り終えるとそこは丘になっており、そこにはあまりにも巨大な樹が立っていた。その大きさは山ほどもあり、天空を覆い尽くすように枝を伸ばしている。
「デカっ!なにこれ!?樹?樹なの!?」
「驚くのは良いけど、二人を見つけたわ。さっさと合流するわよ!」
驚きの声をあげながら、走り続けるナツミを促すアカネ。忍者として卓越した視力と夜目を持つ彼女には、巨木の根本に向かって走るルイズとワルドの姿が既に見えていた。
キュルケ達を囮に無事脱出したルイズとワルドの二人は、幸いにも伏兵や罠といった妨害に会うことも無くすんなりと目的地である桟橋のある巨木の根元まで着いていた。そこに来て突然ルイズがその足を止める。
「どうしたルイズ?もう疲れたかい?」
「ううん。まだまだ大丈夫よ」
かなりの距離を走っていたが、普段鍛えてあるワルドは元より、魔法を使えない故に魔法に頼らない生活を送っていたルイズもまだ体力には余裕があった。ルイズの顔は疲れとは無縁の理由で顔を蒼くさせていたのだ。
「なら、残した仲間が心配かい?」
「……うん」
「気休め程度になるかも分からないが、僕が見た限りあれ以上の敵の増援は無いと見た。火のトライアングルの彼女があのまま戦えるなら、負けは無いと見ていいと思う」
「……ホント?」
ワルドの言葉を聞き、か細げな声で問うルイズの声は、小さな期待を込めたものだった。
ああ、とワルドが不安がるルイズを抱きしめようとした時。
「やっと追いついた!」
「ルイズ、大丈夫だった?」
アカネとナツミの大声があたりに響き、ワルドは抱きしめようとした手をすぐに引っ込める。ある意味、空気を読んだとも言えるほどの良いタイミングの声掛けだった。
「ナツミ!アカネ!無事だったの?」
言うなり、ルイズはナツミへと抱きつく。そこでナツミは自らに抱きつくルイズが震えていることに気づいた。
「まあね、少し焦げたけど……」
「こっちはあの後、タバサが挟み撃ちしてくれて楽勝だったよ」
ナツミは落ち着けるようにルイズの頭を優しげに撫でながら、アカネはその光景を微笑みながらそれぞれ報告する。一向にナツミを離そうとしないルイズであったが、その行動はワルドによって中断された。
「コホン!そこまでにしてくれないか?主従の微笑ましい再会に水を差すみたいで悪いんだが。今は緊急事態だ。なにをすべきか分かるだろ?」
「あ、そ、そうね!早くふ、船に向かいましょ!」
「?」
「照れ隠しね……分かりやすい」
婚約者に恥ずかしい場面を見られ、顔を真っ赤にしたルイズは皆を置いてけぼりにして、ずんずんと一人で空洞になった巨木の中へと進んで行く。そのルイズの態度にナツミは頭を傾げ、アカネは何かに気づいたのか、にやりと笑った。
一行が入った巨木の中は吹き抜けのような構造をしており、各枝まで向かう階段が幾つもあった。その内の一つに、ワルドが駆け上り、アカネ、ルイズ、ナツミと続く。
階段は巨木の大きさに比例しその長さも尋常ではなく、上を見上げるナツミにもその目的地は見えなかった。
幾分か階段を上るうち、ルイズの後を追いかけてながらも、後ろへの警戒を緩めないナツミの感覚が、後ろから追い縋る足音を察知する。ナツミが振り向くと、フーケとともに逃げた仮面の男がナツミを追いかけてきていた。
「どこのホラー映画よあんた!」
仮面を着け、少女を追いかけるその姿に、かつて居た世界で見た映画を思い出すナツミ。だが、過去に見た映画では恐怖を覚えたワンシーンの様な場面にも関わらずナツミは一切の恐怖を感じてはいなかった。もはや、今のナツミの身にはどこぞのホラー映画のチェンソー男や、テレビから這い出てくる怨霊なら一撃粉砕。それどころか怪獣すら倒してしまっても何ら不思議ではない程の力がある。
それに焦がされた上に踏みつけられた恨みもある。やる気は十二分にあった。
「相棒、すんげぇ怒ってんな。なんだか知らんがすげぇびんびん感じるぞ。……なんだっけこれ?」
抜き放たれたデルフリンガーはナツミの怒りから、何かを感じ取ったのか一人でぶつぶつ呟いていた。
「ナツミどうしたの?」
ナツミの怒鳴り声を不思議に思ったのかルイズが振り向くと、仮面の男は風の魔法でも使ったのか軽々とナツミを跳び越し、ルイズの元へと向かおうとする。だが、仮面の男の想像以上にナツミの足は速かった。
だがナツミもそれを許す程甘くは無い。仮面の男が飛び上がると同時に、アカネは未だに残る憑依召喚による身体能力で、ルイズの直ぐ背後に追いすがった。
「―――っ!?」
仮面の男はナツミのあまりの俊敏さに目を見開き驚くが、すぐに冷静さを取り戻したのか、空中で杖を構えナツミへと向ける。閃光が辺りを照らす。
「え――っ!?」
目まぐるしく進行する事態に付いてこれずルイズは驚きの声をあげようとするがその言葉は突然倒れかかってきたナツミの体によって遮られた。ナツミよりも体格の劣るルイズに彼女を支えることが出来ず、二人とも階段に倒れこむ。
「痛ぁ!」
「ぐぅ……」
それぞれ苦痛の声をあげる二人。
「ナツミっ大丈夫!?」
「ごめん。走り通しで足にきたみたいね(あいつ!)」
急に倒れ込んできたナツミに心配の声を上げるルイズ。
彼女たちを追跡していた仮面の男がそんな隙を逃すはずはないと、言いたいところだが、彼はナツミ達から若干離れたところで、二人―否―ナツミを警戒するように杖を構えていた。
ナツミはそんな男を視界に入れるなり、ダメージを感じさせない動きで起き上がるとデルフリンガーを構え男と対峙する。
「ど、どうして襲ってこないのかしら?」
「さあ?」
仮面の男と対峙する二人。仮面の男が警戒したのは、やはりナツミであった。彼は先ほど空中で、ルイズに当たるようにライトニング・クラウドを放ち、それをナツミに受けさせていたのだ。ナツミは彼に目論み通り、主であるルイズを庇い、自らの背でライトニング・クラウドを受けた。
しかも場所は背中から見て脊椎の位置。人体でも運動に限らずあらゆる生命活動に密接に関わる急所中の急所を狙い撃ちしていたのだ。しかも、背中側とはいえ、その直線状には心臓も有る。運が悪ければショックで心臓が止まっていたかもしれない程の一撃だった。そうでなくても、戦闘不能にするには十分すぎる……はずだった。
そんな魔法を喰らってもナツミは即座に立ち上がり、ダメージを感じさせずにデルフリンガーを構えている。
(信じられん……。どんな体をしているというのだ!?この使い魔化け物か!?)
顔色知れぬ仮面の下、襲撃者の頬を冷や汗が流れた。
(あいつ!一度ならず二度までも!)
ナツミはルイズに心配かけぬように何事もなかったように振る舞っていたが、ダメージが足に来るほどに消耗していた。流石に昨日の乗馬に加え連戦、マラソンもどきをこなした体に、電撃は彼女と言えども少々辛かった。
「ルイズ!」
そのまま硬直状態が続くかと思いきや、階下の異変に気付いたワルドが杖を引き抜きながら駆けつけてくる。ワルドは仮面の男へ杖を向け魔法を唱える。だがその行動はナツミによって止められた。
「来たれ!シャインセイバー!!」
いい加減、頭に血が昇ったナツミは、ワルドがいるにも構わず召喚術を唱えた。まだ、錬金とも言い訳ができる分、多少は冷静であるようだが、ワルドほどのメイジを誤魔化せるかどうかは微妙だろう。
空中から現れたシャインセイバーは仮面の男を貫かんと襲いかかる。
突然空中から現れたバカみたいな魔力を纏った五本の剣に仮面の男は驚くが、卓越した魔法の使い手故か、それに見合う判断力で剣が当たらぬ位置に己の体を潜り込ませる。仮面の男の予想通り、彼の位置には剣は刺さらない。だが、この場所に限ってはその手は悪手であった。
「っ!?」
五本の剣は階段に突き刺さるどころか、易々と貫通し、階段を崩落させた。剣の脇にいた仮面の男は、その崩落に巻き込まれ、階下へと吸い込まれて行った。
「大丈夫か?上から見た限り、あの魔法はライトニング・クラウドだな。風の系統の強力な呪文だ。相当な使い手の様だったな」
そういうとワルドは未だに微妙に煙をあげるナツミへと近づきその背中を見る。ナツミの背中は服が破れ、肌が露わになっていた。その肌は本来は年相応に白く滑らかであったであろうが、雷撃に黒く焼かれていた。
「ライトニング・クラウド……命を奪うはずの呪文を受けてこの程度か……。本来なら電撃が通り深い裂傷が刻まれるはずなのだが」
ワルドはナツミの背をしげしげと眺めしきりに首を傾げている。そんな、ワルドにナツミは肌を見られて恥ずかしそうな声をあげた。
「あ、あの~ワルドさん。その辺で……」
「む、す、すまない」
「あたしは大丈夫なんで行きましょう」
その後、一行は妨害も無くすんなりと船へと到着することができた。
だが、出航するには、風石という石が足りず、朝を待たねばならないということであったが、ワルドがその風石の代りをするということで、無事に出航することができた。アルビオンに到着するのは明日の昼頃と言うことでワルド以外はしばしの休息をとることにした。
「ナツミ大丈夫?」
「うん。まぁ多少は痛いけど、召喚獣を使えるなら、すぐに治るんだけどね」
「使わないの?」
「服が無いからね。今、治したら傷を見られたワルドに疑われちゃうしね」
「そ、そうね……」
そこでルイズとナツミの会話は途切れた。
ルイズがナツミに思うところがあったからだ。フリッグの舞踏会で見たナツミの泣き顔。あの時はモナティの召喚でうやむやになっていたがルイズの頭の片隅には常にその時のことがよぎっていたのだ。
本当は今すぐにでもリィンバウムに帰りたいのではないのか。そんな彼女をハルケギニアに縛るのは自分の我儘ではないかと。そんな事を考えるとどうしてもナツミに対して遠慮してしまうのだ。
船員たちの慌ただしい声が響き、船室に光が差して来る。それに反応しルイズは目を覚ました。どうやら考え事をしている最中に寝てしまったようであった。
「アルビオンが見えたぞー!」
その声に反応したのかルイズの隣で寝息を立てていたナツミも目を覚ました。
「んー?」
「ナツミおはよう」
「ふぁああああ。おはようルイズ着いたの?」
「ううん。まだよ。アルビオンはもう見えるみたいだけど」
ルイズの声に窓に目を向け、アルビオンを眼下を探すがナツミの瞳にはアルビオンは映らない。
「見えないよ?」
「ふふ、あっちよ」
笑いながら、ルイズが指さすは空中。
「……え?」
「驚いた?」
ナツミはあんぐりと口をあける先には、巨大な大陸が空へ浮いているという壮大かつ馬鹿げた光景が広がっていた。