「……ふぅ」
夜もまだ更けきれぬ中、ナツミは一人でアカネと自身にあてがわれた部屋のベランダで、喉へ良く冷えたアイスティーを流し込む。ナツミ以外のメンバーは、明日にも戦場たるアルビオンに向かう恐怖を誤魔化すためか、宴会としゃれ込んでいた。
恐怖心とは甚だ無縁のナツミだったが、リィンバウムに召喚されて以来、なんとなく夜はこうやって一人で黄昏ることが多かった。
(そういえば、結構リプレと夜会話……じゃなくて夜におしゃべりしてたなぁ)
そして、一人で居るとほぼ例外無く誰かが語りかけてくれてた事も同時に思い出す。そんな優しい思い出に浸っていると、程よい風量の風がナツミの肌を撫ぜ、さっきまでお風呂に浸かって火照った体をやんわりと涼める。
(良い風)
水気を帯びたナツミの美しい髪がハルケギニアの夜空に静かな靡いていた。
月の光をその瞳に写しナツミは暫く、無言のままベランダの縁に体を預けていた。傍から見れば、凛とした佇まいの少女が月光に照らされているという絵になる光景がそこには存在していた。だが、その常人では侵すことを躊躇う雰囲気をぶち壊す物がここには居た。
「どうしたい?相棒、黄昏てよ」
雰囲気を見事にぶち壊した物。それはハルケギニアでナツミが見つけた剣、デルフリンガー。ガンダールヴのルーンを得た現在ではサモナイトソードを使うと予想外の力を出してしまうため、意外に使用頻度が多いナツミの第二の愛剣である。なにより、六〇〇〇年という長きに亘って存在した剣だけあって、物知りでナツミの知識不足を補う利点を持つという素晴らしい剣だった。
「うーん。月を見てたらね、思い出しちゃってさ」
「月?こっちに来てから何回も見てるだろ?今更じゃないのか?」
服はいつもの服だが、流石に風呂上りに剣を背中に背負う気には慣れなかったのか、ベランダの脇にサモナイトソードと共に並べられたデルフリンガーが納得できないようにナツミに問う。
「……リィンバウムも名も無き世界って言われてる私の生まれた世界でも、月は一つっきりなんだよね」
ぽつりと感傷に浸るように話すナツミ。だが不思議とそこには悲しみは少ないように見える。
「そうか、今日は二つの月が重なる日か、確かに今夜は月は一つっきりしかないように見えるな」
デルフリンガーが納得の声をあげる先、そこには普段、赤い月と白い月が夜空を浮かんでいるはずが、今晩は白い月しか浮かんでいない。それは赤い月は現在、白い月に影に隠れており、見かけ上、白い月だけが夜空に浮かんでいるように見えるのだ。
ナツミは飽きもせずに月を眺めるが、それを中断させる第三の声があがった。
「生まれた世界?」
「うわぁ!?た、タバサ?びっくりした」
蒼い髪の少女―タバサ―が首を傾げ、ナツミに質問を投げかけた。タバサはキュルケに拉致された時に来ていたであろうナイトキャップとパジャマのままであった。
突然のタバサの登場に大げさに驚くナツミ、先程のシリアスな様子は皆無であった。
「りぃんばうむってところが貴女の生まれた世界じゃないの?」
そんな驚くナツミをスルーして、タバサは彼女にしては饒舌に先程の疑問を繰り返す。どうやらナツミとデルフリンガーとの会話は始めからタバサに聞かれていたようであった。
「あーそっか。この前はあたしがリィンバウムから召喚されたってことと召喚術の話しかしてなかったけ?」
(こくん)
タバサは首肯を用いナツミの疑問に答える。ナツミがタバサへ召喚術の話をしたのは数日前、フーケのゴーレムを学院内で迎撃した際、ワイバーンなどを彼女の前で召喚してしまい、その説明をしたときだ。
フーケが宝物庫を荒らしたりと、学院内も騒然としていたので大まかな事しか話していなかったのだ。
「そっか。まぁ大したことじゃないんだけどね。そのリィンバウムってとこも、元いた世界つまり、あたしが生まれた世界から召喚して訪れたとこなんだ。まぁ二回も異世界に召喚されちゃったことだよ」
「……」
一つきりしか見えない月のせいか、ナツミはこの世界でルイズにしか話していなかった事まで、タバサに告げていた。タバサはこの世界の住民からすれば荒唐無稽としか言えない話を茶々を入れずに聞いていた。
そして、ナツミがリィンバウムを侵略せんとした魔王を倒したくだりでタバサは急にそれまでとは違った反応を見せた。
「……勇者さま?」
そう言うタバサの瞳はなぜかきらきらと輝いているようにナツミには見えたが気にしないことにし、おしゃべりを続行する。世界を救ったのは紛れもない事実だが、英雄だの勇者だの言われるのは実のところ恥ずかしいのだ。
「あはは……、まぁ見る人から見ればそういうのにも見えるかもね」
そんな、高尚なもんじゃないけど、と続けようとしたナツミの言葉は突然現れた巨大な影により中断された。
「ん?」
疑問に思いナツミがふと窓を見ると、先程は眩しいほどに夜空を照らしていた月が、大きな影に隠れていた。そう巨大すぎる岩の影によって。
「ゴーレム」
「えっ?」
タバサがぽつりと告げながら、どこに隠してあったかも知れぬ、自らの身の丈ほどもある杖を構えた。タバサがゴーレムと告げた大きな影がゆらりと動くとその背に隠れていた月光が差し、ゴーレムがその巨体を露わにする。
「フーケ!」
ナツミがそう叫ぶ先には月明かりに照らされ、ゴーレムの右肩にフーケが座っていた。
「貴女、捕まってたんじゃないの?」
「ふふ、覚えてくれていて光栄ね。お嬢ちゃん、それにね、あたしみたいな美人は牢屋にいたんじゃもったいないってでしてくれた人がいたのさ」
「……たしかに、貴女は美人だけどさ、罪は償わないといけないんじゃないの」
ナツミからの突っ込みを期待してわざわざ自分で美人と言ったのに、軽く天然気味のナツミはそれを素直に受け取る。
「む、や、やりずらいわね。そこは反論するとこでしょ」
「なにが?」
フーケもフーケで何処か純情なのか、顔を若干赤く染めてナツミに文句を言うが、その文句も当然ナツミには通じなかった。
「く、本当にやりずらい娘だね!。まぁおしゃべりはここで終わりよ!」
それまでの会話を終わりにすると、フーケは長い髪をかき上げ、声を高らかに上げる。主の意を汲んだゴーレムはその巨大な拳を振り上げ、ナツミ達へと振り下ろした。
「タバサ!」
ナツミは壁に立てかけてあったデルフリンガーとサモナイトソードを抱えると、ルーンを発動させタバサを抱え上げる。そのまま、一階へと向かい宴会中の皆に合流しようとナツミは考えたが、その考えはタバサによって中断された。
「このまま跳んで」
「えっ」
「いいから」
有無を言わせぬタバサの言葉と迫り来るゴーレムの巨腕に急かされ、ナツミはベランダからフーケ目掛け思い切り跳ぶ。
「何!?」
「喰らえええええ!」
流石にベランダから自分目がけて飛んでくるとは思わなかったのか、フーケが慌てた声をあげるが、時は既に遅く、ナツミの跳び蹴りが彼女の顔面へと突き刺さる寸前であった。
「エアーハンマー」
まさにフーケの顔面がナツミにより蹴り抜かれる、その瞬間、フーケの真横から低い男の声で呪文が唱えられる。声のする方向を見る間はナツミは無かったが、そこには黒いローブを纏い、仮面で素顔を隠す怪しい人物が杖をこちらに向けていた。
「っエアーハンマー!」
それより僅かに遅く、ナツミの右手に抱えられていたタバサの声が響く。瞬間、ナツミとタバサの体は突風に煽られた様に、吹き飛んだ。
「くぅぅっ」
「―――っ!」
思わず二人は苦悶の声をあげるが、それで運命が変えられるわけもなく、二人はフーケか ら大きく離れた場所まで、飛ばされる。そのまま、地面へと叩き付けられるかと思いきや、ナツミは器用に体勢を立て直すと、音も無く地面へと降り立った。
「どうやら、もう一人いたみたいね」
「多分。スクエアクラス、わたしより強い」
無表情にそう告げるタバサであったが、口にした言葉にはやや不機嫌の色がついてるようであった。
うおおお!
タバサとナツミが油断なく、ゴーレムと対峙していると、宿の方から、幾人もの男の声が響いていた。視線のみ、そちらを二人が見やると、傭兵と思われる鎧を着こんだ男たちがナツミ達が宿泊していた宿を囲んでいる。ときおり、突風や炎が彼らを襲い彼らを迎撃している為、どうやらフーケがルイズ一行を狙って、雇い入れた傭兵達であろう。
今のところ、善戦しているようであったが、流石に多勢に無勢、いずれ均衡は破られるだろう。というかこのゴーレムとスクエアと思われる謎のメイジがあの場に入っただけで容易く今の均衡は破られてしまうだろう。
「……タバサ、あたしがこいつらを相手にするわ」
「……」
ナツミはデルフリンガーとサモナイトソードを構えタバサの前に出る。ナツミの戦意に呼応し魔力がサモナイトソードから溢れ出し、服をばさばさと靡かせた。
タバサはナツミと宿の方をそれぞれ見やると困ったような顔をした。ナツミの実力は相当なものだと理解していても、未だナツミの力の底を知らないタバサはトライアングル、スクエアメイジを両方を相手するのは可能なのかと判断に迷っていたのだ。
「大丈夫よタバサ。勇者様に任せなさい!」
タバサを安心させるために、先程タバサが言っていた言葉を持ち出してナツミはにっこりと笑う。その笑顔を受け、タバサは真剣な顔で頷いた。
「気を付けて」
その言葉を残して、タバサは宿へと駆けて行った。
「ふん!あんたさえ足止め出来れば、どうとでもなるさ!」
フーケはタバサには見向きもせず、ナツミへとゴーレムを向ける。ゴーレムはフーケの命を受け、今度はその巨大な足でナツミを踏み潰そうとする。
ナツミは右手に構えたサモナイトソードを通じ、更なる魔力を引き出す。サモナイトソードは即座に蒼い光を溢れさせ、主の意を汲んだ。
ナツミがサモナイトソードを油断無く構え、己を踏みつぶさんとする足を迎撃しようと剣を振り抜く。
その瞬間、ナツミの視界が白く染まった。
フーケはその光景を見て、息を呑んでいた。流石に、自分を捕まえたあのナツミとかいう少女には多少の恨みはあったが、あの年頃の、しかも貴族でもない少女を殺す気は無かった。せいぜい、痛めつけようという気持であった。
平民を平気で殺す。そんな自分の大嫌いな貴族と同じことをしたくはなかったのだ。例えそれが妙な力を持つ変な使い魔であろうとも、フーケが巨大なゴーレムで彼女を襲ったのは、どうせあの少女ならなんなく防ぐだろうという歪な信頼があったからだ。
だが、フーケのゴーレムは容赦なく彼女を踏み潰していた。
確かに、ナツミはゴーレムの足が迫る直前に剣を構え、いざ剣を振ろうとした。だが、その瞬間を狙って、フーケの隣にいた仮面の男が風の系統魔法の中でも、殺傷能力の高いライトニング・クラウドをナツミに向かって放ったのだ。ゴーレムの迎撃に集中していたナツミにそれを防ぐ術は無かった。
ライトニングクラウドで全身を黒焦げにされた上ダメ押しのフーケのゴーレムの踏みつけ。
ナツミの生死など確認するまでも無かった。
「……あんた。ここまでしなくてもよかったんじゃないかい」
フーケが苦虫を噛んだように、仮面の男に問う。
「いや、これでいい。連中の中で一番厄介なのは間違いなく彼女だったからな」
「魔法衛士隊の隊長さんじゃないのかい?」
「ああ、あれはあれでやりようがあるからな、彼女ほど手を煩わせることはないだろう」
「そうかい」
「気にするな、平民の娘が一人死んだと思えばいい、――っ!?」
仮面の男が冷たく言い放つと同時に、ゴーレムがぐらりと揺れる。揺れた震源は先ほどナツミを踏んだはずの右足。
「ま、まさか……」
ゴーレムの右足と地面の間から蒼き光が漏れ出した。光は圧力を持ってフーケのゴーレムを押し返す。
「あぶないわね、死んだらどうすんのよ!」
蒼き光を纏う異世界の英雄、誓約者《リンカ―》が、体の所々を傷つけながらもそこには立っていた。