英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか   作:琉千茉

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第25話

 

 

 

「こ、ここは……」

「……」

 

 紫の色を基調とした看板とお店を仰ぎ、レフィーヤとチヒロの動きが固まる。

 連れて来られたのは、大通りから離れた路地裏にある、とある一軒のお店。

 チヒロとアイズをここまで引っ張ってきたティオナが、自分とティオネがよく行く店と言った時点で、何となく察してはいたが、それを目の前にすると冷汗が流れるのを感じる。

 開け放たれた扉の外からでも、非常に際どいとわかる衣装が窺えるそこは、アマゾネスの服飾店だ。

 

「久しぶりねー、私もちょっと羽目を外しちゃおうかしら。ほら、行くわよ、チヒロ」

「ま、待て! 俺は外で――」

「アイズ、行こう!」

「え、あの――」

 

 ティオネに襟首を捕まれて引き摺られていくチヒロと、ティオナに腕を引っ張られて連行されるアイズ。

 アマゾネス姉妹に店内へと強制連行された二人を、レフィーヤは慌てて追いかけた。

 

「俺が入っていいような場所じゃ……!!」

「あら? アイズはあなたと一緒にいたいって言ったのよ? ここであなたがいなくなったらアイズのお願いを断ることになるわよ」

「ぐっ……」

 

 逃げ出そうとしたチヒロは、からかうような笑みを浮かべているティオネを見て、言葉に詰まる。

 店内を見渡せば、まさにアマゾネス以外の種族にとっては目に毒と言えるような光景が広がっていた。

 カウンターの奥で見本として飾られている品々は、人並みの恥じらいを持つ者ならば目を逸らしたくなるような服ばかり。男性物があるならチヒロも少しは安心して入れたが、ここは女戦士(アマゾネス)の服飾店だ。当然置いてあるのは全て女性物。尚且つ露出度の高い踊り子を彷彿させる民族的な衣装が目立つ。

 チヒロの目がアマゾネスの店員へと向けられて、赤い顔を更に赤くしてバッと逸らした。相手が下着も同然のような格好をしていれば、さすがに直視出来ない。

 大人しくなったチヒロを横目に、ティオネはティオナと共に服を手に取って見せてもらえるよう例の店員に交渉しに行く。

 

「か、帰りたい……」

「ごめん、チヒロ。私のせいで……」

 

 チヒロの隣に立ったアイズは、しょぼんと落ち込んでいる。

 それにチヒロは、赤くなっている頬を掻く。

 確かにここに来ることになったのは、アイズの服を買う為ではあるが、連れて来たのはあのアマゾネス姉妹だ。

 一概にアイズが悪いわけではない。

 

「……別にアイズが悪いわけじゃないんだから、謝るな」

「でも、チヒロと一緒にいたいのは私の我儘だから……」

 

 自分の我儘でチヒロを一緒に連れてきたと、アイズはまだ食い下がる。

 チヒロは嘆息して、アイズのおデコを人差し指でトントンと突く。

 

「俺はアイズと一緒にいるの嫌いじゃないよ」

「チヒロ……」

 

 アイズの頬が微かに赤く染まる。

 そんな二人を横で見守っていたレフィーヤは思う。

 

「(いい雰囲気なのに……すごくいい雰囲気なのに、周りがそれを台無しに……!!)」

 

 際どい服ばかりがある周りに、二人のせっかくのいい雰囲気が台無しだと、両手で顔を覆いながら涙する。

 そんな事をしていたら、交渉から帰ってきたティオネが、服を物色しながら声をかけてきた。

 

「アイズ、これ着てみない? あなた体の線が細いから、きっとよく似合うわよ」

「なっ、なんでアイズさんがここの服を着ることになってるんですか!?」

「別にいいじゃない、せっかくなんだし。レフィーヤもどう?」

「き、着ませんっ!」

 

 ティオネが手に持つスリットの深い服に、レフィーヤは凄まじい勢いで顔を横に振る。視線を泳がせているアイズもどこか尻込みがちだ。

 

「お気に召さないかー……チヒロはどう? こんなの好みじゃない?」

「お、俺に振るな」

 

 自分にニヤニヤと際どい服を見せてくるティオネから、チヒロは真っ赤になっている顔を逸らす。

 からかいがいのあるその行動に、ティオネは更に際どい服を幾つか見繕ってチヒロへと見せ始める。

 ティオネがチヒロで遊びだした横では、ティオナがアイズに持ってきた服を見せる。

 

「アイズ、これなんてどう? あたしとお揃い~」

「え、えっと……」

 

 ティオナが勧めるのは、紅色のパレオと胸巻きの組み合わせ。それは今目の前でその服を見せてくれている彼女と色違い。

 目の前に着ている人がいると、その服の際どさが尚更分かってアイズは顔を紅潮させる。

 すると、そこにレフィーヤの一喝が飛んできた。

 

「だっ――駄目ですっっ!!」

 

 肩をわなわなと震わせながらついにレフィーヤが爆発した。

 

「こんな、こんなみだらな服をアイズさんに着せるなんて、私が許しませんよ!? アイズさんはもっと、もっともっと清く美しく慎み深い格好をしなくては! そうっ、エルフの私達のような!!」

 

 ばんっと自分の胸を手で叩き、真っ赤な顔でまくし立てたレフィーヤに、ティオネに遊ばれていたチヒロは思う。それも違う気がすると。

 無意識の内に種族の対抗意識を燃やしている彼女に、ティオナが揺さぶりをかける。

 

「でも、こんな服を着たアイズも見てみたくない?」

 

 ぴたり、とレフィーヤの動きが止まった。

 ティオナの着ているパレオと胸巻きに、彼女の紺碧の目が止まる。

 

「あ、ありえません!?」

「ちょっと考えたでしょう?」

 

 少しの間を経て否定したレフィーヤに、ティオナはニヤニヤしている。

 そして、標的を未だ姉に遊ばれているチヒロへと変える。

 

「ねー! チヒロはどう思う?」

「ど、どうって何が……」

「アイズが私と色違いのお揃い着てるの見てみたくない?」

「ティオナとお揃い……」

 

 チヒロの頭に思い描かれるティオナの服を着たアイズ。

 そして「私はチヒロと一緒にいたい」と顔をほのかに赤く染めつつ、上目遣いで見てくる。

 露出度の高い服に上目遣いの彼女。チヒロの顔がボンッと真っ赤に染まる。

 

「きゃ、却下!! そんなのダメだ!!」

「結構ツボでしょ」

 

 ニヤニヤとしているアマゾネス姉妹に反論しようとした時、チヒロはグイっと腕を引っ張られた。

 

「アイズさん、チヒロさん、エルフの店に行きましょう! エルフの店ならチヒロさんの目にも優しいですし、不肖ながらこの私がアイズさんの服を精一杯見繕いします!」

「レ、レフィーヤ……」

「お、おう?」

 

 戸惑い驚くアイズとチヒロがレフィーヤの手により店の外へと引っ張り出されていく。

 残されたティオネとティオナは、互いに顔を見合わせてにやりと、鏡で映したようなそっくりな双子の笑みを浮かべて、三人を追いかけた。

 

「ここです!!」

 

 連れてこられたのは、アマゾネスの服飾店とは違い、逆に露出度が少なすぎるとも思えるような服が多い落ち着いた雰囲気のあるエルフの服飾店。

 初めて入るその店に、チヒロ達は物珍しそうに辺りを見渡している。

 レフィーヤの長い説明を聞き流しつつ、アマゾネス姉妹が服に手をかける。

 

「どうです、私の一推しは!?」

「動きづらいわ」

「暑苦しいよね」

「ティオナさん達には聞いてません!!」

 

 説明を終えて満足げに振り返ったレフィーヤが見たのは、文句垂れるアマゾネス姉妹。

 そんな二人は放っておいて、チヒロの横に立っているアイズへと、一つの服を手に取って持っていく。

 

「アイズさん! これなんてどうですか!?」

「えっと……」

 

 アイズが言葉を探して答えようとするが、テンションが異常に高いレフィーヤはアイズの言葉を待たずに、次の服を持ってくる。

 

「あ、待って下さい。これよりもっと色の薄い方が。あぁ~、でもこっちも捨てがたいですね。あぁ! これなんて、アイズさんが着たらどこかの国のお姫様みたいですよ」

 

 キラキラとした笑顔を浮かべながら、何着もの服をアイズにあてていくレフィーヤ。

 隣でそれを見ているチヒロは、若干頬を引き攣らせて思う。

 

「(……最早、着せ替え人形)」

 

 基本、女の子は服を買うのに何時間も時間がかかるとチヒロは昔クロノスから教えてもらった事がある。

 現にシルやエイナの買い物に付き合った時は、その日一日費やした程だ。色んなお店に連れて行かれ、最終的には荷物持ちと、ダンジョンに潜るよりも体力を使ったのを覚えている。

 それぐらいに女の子の買い物が面倒だという事はチヒロも知っている為、あえて何も口にしない。

 アイズが助けを求めるような目で見てきても、気づかないフリ――出来るわけもなく、一つ溜息をついて渋々口を開く。

 

「レフィーヤ、アイズにはもう少し動きやすい服の方が似合うと思うんだが……」

「えっ!?」

「でも、ここの女性向け服、みんなロングスカートかフリル付きみたいだよ」

 

 ティオナの言うように、このお店の女性向けの服は全て動き難い服ばかりなのだ。

 すると、思いついたようにティオネが提案する。

 

「だったらいっそ紳士服にしちゃうとか?」

「そんな、アイズさんに男装なんて……!!」

 

 そこでレフィーヤの言葉が止まった。

 紺碧の瞳が天井を仰ぐような動きを見せる。

 誰もが思った。こいつ今想像しているなと。

 

「まぁ、男装も似合うとは思うが……」

「というか、チヒロ。あなたが着てみなさいよ。絶対似合うわよ」

「確かに! ねえねえ! これ着てみてよチヒロ!!」

「は?」

 

 何故かアマゾネス姉妹がチヒロへと幾つか紳士服を見繕って持ってくる。

 その目がギラギラとしていて、チヒロは無意識に半歩後ろに下がる。背中を嫌な汗が流れたのを感じた。

 

「や、やめろ!! 服を脱がそうとするな!!」

「いいから黙って脱がされなさい!!」

「きっと似合うからさー! 着てみてよ!」

「わ、分かった! 着る、着るから試着室に行かせてくれ!!」

「――って、お二人共何やってるんですかー!?」

 

 妄想から現実へと帰ってきたレフィーヤが、ギラギラと獲物(チヒロ)を捕食しようとしているアマゾネス姉妹を、慌てて止めに入る。

 そんな事が行われている横で、アイズはそっと黒を基調とした紳士服に手を伸ばす。

 

「(……チヒロに似合うかも)」

 

 その服を持って四人の輪の中に加われば、チヒロが更なる悲鳴を上げたのは言うまでもないであろう。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「お、おかしい。アイズの服を探しているはずなのに、何で毎回俺まで……」

「服に関して無頓着なチヒロのお勉強も兼ねてよ」

「余計なお世話だ」

 

 あの後も色んなお店に連れ回されたチヒロとアイズは、既にくたくただ。

 しかし、あれだけ回ったにも関わらず、アイズに合う服は見つかっていない。

 チヒロは、チラッと自分が持つ紙袋へと視線を向ける。これを渡さなきゃいけない相手も居るので、これ以上時間はかけられない。

 そして決意する。

 

「よし、俺が決める」

 

 四人が驚いたようにチヒロを見る。

 あの服に無頓着で、さっきまであまり自分の意見を出さず傍観、もしくは玩具にされていたチヒロが名乗り出てきたのだ。驚かないはずがない。

 四人の視線を無視して、チヒロは辺りを見渡す。そして、一軒のお店が目に止まった。

 

「「「おおー」」」

 

 三つの感嘆が重なり合う。

 三人の視線を集めているアイズは、気恥ずかしさで頬を染め、人形のように佇み軽く俯く。

 チヒロが選んだお店はヒューマンのお店。そして選んだ服は、白い短衣にミニスカート。さり気なく花を象った刺繍が施されており柄は美しい。単純な服装の組み合わせだが、着こなしている素材が素材なため、美しい金の長髪とも相まってこれ以上なくよく映えている。

 

「に、似合ってます、アイズさん!」

「うんうん、すごくいい! ロキがいたら飛びついてきそう!」

「肌は綺麗だし、引っ込んでるところは引っ込んでるし……羨ましいわね、本当」

 

 黄色い声が試着したアイズを取り囲む。

 だが、一番聞きたい声がない。

 

「――って、あれ? そういえばチヒロは?」

「さっきまでここにいたはずですが……」

「まったく、自分で選んだ服を見もせずにどこか行くなんて、紳士の風上にも置けないわね」

「……」

 

 顔を上げたアイズの視界に彼は入ってこない。三人が言うように、彼はその場にいなかった。

 彼が選んでくれたという事に膨らんでいた気持ちが、しゅんと萎んでいく。

 すると、タイミングを計ったかのようにその彼の声がアイズの耳に飛び込んできた。

 

「あぁ、やっぱり似合ってるな」

「って、どこ行ってたのさ、チヒロ」

「ちょっとな」

「どうでもいいけど、ちゃんと見てあげなさい」

 

 三人がチヒロの背中を押して、アイズの前へと押し出す。

 会った時も同じような事があったようなと、それに既視感を覚えつつも、チヒロは彼女の前に立つ。

 目の前にいるのは防具も剣もない、普通の女の子。

 チラッとこちらを見た金色の瞳が不安そうな色を宿していたが、すぐにそれは下へと向けられて見えなくなった。

 そんな彼女に、チヒロは優しく微笑み、先程紡いだ言葉をもう一度紡ぐ。

 

「うん、すごく似合ってる」

 

 チヒロの一言に、ビクッと体を揺らしたアイズは徐々に徐々に足先から顔まで――全身真っ赤にして、更に顔を上げられなくなった。

 何も言えなくなっているアイズに、助け舟を出すようにティオナが声をかける。

 

「アイズ、これにしよう!」

「う、うん……」

「結局、ヒューマンのお店で買っちゃいましたね」

「まぁ、無難だしね。拘りがなかったら、普通にここでしょ。チヒロが選んだってのが今回は一番の理由だけどね」

「おい、出るぞ」

 

 未だに服が決まった事への熱が治まらない四人に、チヒロは声をかけて出口へと向かう。

 そんなチヒロにティオナが慌てる。

 

「あ! 待ってチヒロ! お金払って――」

「もう払った」

「――くるから……って、え?」

 

 会計が終わっていないと思っていた四人は、チヒロの言葉に固まる。

 チヒロがお店を出て行った事で、ティオナはヒューマンの女性店員へと顔を向ける。

 それに店員は微笑んで答えた。

 

「はい、お代の方は既に先程のお客様から頂いております。プレゼントだとか……よかったですね」

 

 これ以上赤くなる事が出来ない程、真っ赤になっているアイズは、店員に微笑まれて顔を俯かせた。

 そして、アマゾネス姉妹とエルフの少女は思う。

 

「「「(紳士だった……!!)」」」

 

 

 ◆◆◆

 

 

 青い空にはすっかり上った太陽が燦々と輝いていて、それを見上げてそろそろ正午かとチヒロは考える。さすがにヘスティアとベルも起きているだろうと。

 すると、遅れて四人がお店から出てきた。

 

「チヒロ、あなたの事ヘタレだと思ってたけど、やる時はやるのね。ちょっとだけ見直したわ」

「出てきて早々、それはないんじゃないか、ティオネ」

 

 肩に手をポンと置いてきた彼女を半眼で見る。

 そんな彼女の後ろを見れば、アイズが先程チヒロがプレゼントした服を着ていた。どうやらもとから着衣していた服は布に包まれ、購入したばかりのものを強引に着せられたようだ。

 普段絶対に着ないような可愛らしい服に、彼女は頻りにやりにくそうにしており、チヒロ達の笑みを誘う。

 色とりどりの服飾店に囲まれた賑やかな路地裏を歩きながら会話をする。

 

「お前達はこの後どうするんだ?」

「そろそろお昼にしない? あたし、お腹空いちゃった」

「少し早いような気もするけど、そうしましょうか。レフィーヤ、何かお店知ってる?」

「えっと、確か、この先にカフェがあったような……」

 

 これからの予定がお昼ご飯に決まった所で、チヒロは再び口を開く。紙袋の件がある為、これ以降は別行動になると。

 

「すまん。ちょっと用事があるから、俺はここまでだ」

「え? そうなの?」

「まぁ、用事があるなら無理に引き止めないけど……」

 

 会話が途切れて四人は最後尾を歩くアイズへと顔を向ける。

 何か考えるように顔を俯かせてトボトボと歩いていた彼女は、前方から向けられる視線に気付いて顔を上げる。

 キョトンとした彼女に、話を聞いてなかったなとティオネが苦笑する。

 

「チヒロ、この後用事があるから抜けるそうよ」

「……うん、わかった」

 

 何か言いたそうにした彼女だが、それを飲み込み、頷いた。

 それにティオナ、ティオネ、レフィーヤの三人がサッと目配せしてどうにか出来ないかと思案する。

 三人の中で誰よりも先に口を開いたのはレフィーヤで。

 

「ち、ちなみに、それってどんな用事なんですか?」

「これをある人に渡さなきゃいけないんだよ」

「それずっとチヒロが持ってたやつだよね。何が入ってるの?」

「え? あー、えっと……」

 

 ティオナの疑問に、チヒロはサッと空色の瞳を逸らして言葉に詰まる。

 直球に女性用のドレスなんて言えば、騒がれるのは目に見えている。

 だが、チヒロの考えも虚しく、レフィーヤがアッサリとバラした。

 

「あ、このお店私知ってます。確か、女性用のドレスを扱っている……!」

「女性用……?」

 

 紙袋に書かれていたお店のロゴを見たレフィーヤが言い当て、何かに気付いた三人が黒いオーラを纏い始める。

 チヒロはそれに冷や汗を流す。そして、ガシッと首元の服を掴まれた。

 

「見直した事を前言撤回するわ。アイズがいながらとんだ浮気者ね」

「アイズ以外にもプレゼントする女がいたって知ってたらあたしがアイズにプレゼントしたのに!」

「アイズさんを弄んだんですね、チヒロさん」

「ち、違う! これはっ……!!」

 

 ティオネに掴まれ、両サイドをティオナとレフィーヤに囲まれる。

 さすがにこれはヤバイと感じたチヒロが弁解しようと口を開いたその時、どんっとティオナに誰かがぶつかった。

 

「わっ!?」

「おっと、ごめんよ、アマゾネス君! すまない、急いでいるんだ!」

 

 突然の衝撃に驚いたティオナだが、ぶつかってきた幼い少女は謝罪も半ば、そそくさと先へ行ってしまった。

 だが、その声や容姿はチヒロにとって聞き覚えがあり、見覚えのあるものだ。

 ティオネの手を振り払って、チヒロは慌ててその幼女を追い掛ける。

 

「ヘスティア!」

「ん? おお! チヒロ君!!」

 

 チヒロが声をかければ、振り返った彼女――ヘスティアは、嬉しそうに頬を緩めた。

 一日ぶりに見た彼女の笑顔に、チヒロもホッと息をつく。

 

「よかった、起きたんだな。ベルは?」

「ベル君も一緒に起きたよ。きっと今頃はダンジョンに向かってるんじゃないかな?」

「そうか、ならいいんだ」

「ごめんよ、チヒロ君。丸一日眠ってしまって。しかも、僕の代わりにバイトまで出てもらって……」

「ヘスティアが頑張ってるのは俺も知ってるからな」

 

 チヒロがヘスティアの頭を撫でれば、ヘスティアは気持ち良さそうに目を細める。

 そんな二人のやり取りを少し離れた場所から見ている四人。

 

「チヒロさんと話してるあの可愛い女の子……女神様ですよね?」

「そうみたいね。もしかして、今のチヒロの主神は彼女なのかしら?」

 

 ふと、ティオネの視線がチヒロとヘスティアを見つめながら固まっている妹に向けられる。

 

「どうしたの、ティオナ?」

「胸が、すごく大きかった……あの身長で」

「……」

 

 声を暗くさせるティオナを、辟易気味に見やるティオネ達。

 彼女が小さい胸に不満を抱いているのは知っているが、あの女神と比べるのはどうなのかと。

 神々は年を取らずその容姿は例外なく整っているが、外見は幼い少年や少女、老人であったりするなど多くの属性を持っている。その為、身の丈に不釣合いな胸囲(たいけい)を持つ幼女の女神がいても、なんら不思議ではない。

 

「そういえば、女神様達の姿が多く見られるような……」

 

 レフィーヤが今気付いたと言わんばかりに、顔を左右に振る。

 それに倣うように、ティオネ達も辺りを見渡せば、確かに周囲には容姿端麗な女神の姿がちらほらと見受けられた。

 そこでティオネが思い出したように「ああ」とこぼす。

 

「そういえばロキが言ってたわね。『神の宴』が近い内にあるって。自分は行かないようなことも言ってたけど」

「『神の宴』って……どっかの神様が適当に開く、パーティーだっけ?」

「ええ。結構格式ばっているらしいから、仕立てたドレスを受け取りにでも来てるんじゃない、女神達は?」

「ああ、なるほど」

 

 そこでハッと思い出す。

 チヒロが何故女性用のドレスを持っていたのか、その理由に今察しがついた。

 そして、ちょうどタイミング良くチヒロがあの女神に持っていた紙袋を渡している。

 つまり、『神の宴』に参加する主神へのプレゼントだったと。

 

「何よ、心配して損したじゃない」

「でも、あれを渡すのがチヒロさんの用事だったんですよね? それなら、渡してしまったら用事は無くなるんじゃ……」

 

 そのレフィーヤの言葉に、アマゾネス姉妹が何かに気付いたようにハッとする。

 そして、チヒロと女神をじっと見ているアイズからレフィーヤを連れて少し離れて、コソコソと話し合う。

 

「よくよく考えれば私達邪魔者よね」

「た、確かに……」

「せっかくチヒロが服をプレゼントしたんだもの、この機会を使わない手はないわよね?」

「アイズともっと遊びたかったけど……仕方ない、今回はチヒロに譲ってあげる」

 

 話し合った三人は、ある結論に至りニヤリと口角を上げる。

 どう見ても何か企んでますというような三人に、他の通行人はそこを避けるように通り過ぎていく。

 

「アイズ! ちょっといいかしら?」

「?」

 

 チヒロと女神様を見つめていたアイズは、ティオネに呼ばれてそこに顔を向けた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「嬉しいけど、本当にいいのかい?」

「主神が他の神達にどうのこうの馬鹿にされるのは嫌だからな」

「ボクは気にしないのに……」

「俺やベルが気にするんだよ」

 

 眷属に愛されているという事に、ヘスティアは嬉しくて頬を緩めつつ、彼からもらった紙袋を大事そうに抱き締める。

 すると、そんな彼女の前に人差し指が立つ。それに首を傾げつつ、人差し指を立てているチヒロを見上げる。

 

「但し、条件がある。用意されている食事を食べ漁るような事はするなよ。タッパーに入れるのもなしだ」

「な、なんて殺生な!? 立食形式(タダメシ)なんだよ、チヒロ君!?」

「それでもダメだ。少しは女神然としてろ。ヘファイストスにお願いがあるなら尚更な」

「な、何でそれを……」

 

 自分の考えている事を知っているような口振りの彼に、ヘスティアはぐぬぬと唸る。

 知っているのではない、彼は気付いているのだ。

 

「……キミは何でもお見通しかい?」

「いや、全く。ただ、ヘスティアならベルの気持ちに応えようとするだろうなと思っただけだ」

 

 チヒロが空色の瞳を伏せれば、ヘスティアは寝る前に見た彼の酷く傷ついたような、今にも泣きそうな顔を思い出す。

 起きた時にチヒロが居なかった事に、丸一日眠ってしまっていたヘスティアは後悔した。あの状態のチヒロを丸一日一人にしてしまったのかと。

 ヘスティアにとってベルは大切な眷属だが、それはチヒロも一緒だ。だからこそ、ベルの力になりたいと思うのと同じぐらい、チヒロの力になりたいと思っている。そこに差なんてない。

 

「キミはどうするんだい?」

「……」

 

 チヒロが思い出すのは強くなりたいと言った後輩。

 そして、1年前からずっと動けずにいる自分。

 自分が何をしたいのか、それはチヒロ自身も未だに見つけられていない事だ。

 

「……分からない。けど、ベルがどんな道に進んでいくのか見てみたいとは思う」

 

 チヒロがこうして動いているのは、結果的に後輩の為になるとしても、実際の所本人はそうは思っていない。

 ただ、少しだけ主神の手助けをしているだけなのだ、彼の中では。

 だからこそ、自分を師と仰ぐ後輩にどうしてやる事が一番なのか、チヒロはそれを考えた。

 昔の自分とどこか似ているベルを見ることで、自分の答えが見つかるんじゃないのかと。

 

「まだ迷ってるんじゃないかと心配だったんだけど……どうやら大丈夫みたいだね」

 

 真っ直ぐな空色の瞳を見て、ヘスティアは笑みを浮かべる。

 本音を言えば、彼自身の答えを見つけてあげたいが、今はまだその時期ではないと、彼の目を見て思ったため、それは心の片隅へと置いておく。

 

「キミはベル君に何を望む?」

「生きて帰ってきて欲しい」

「うん、キミらしい考えだね」

 

 ヘスティアは知っている。

 チヒロが常にベルに『強くなる方法』は『生きて帰ってくる』ことだと言っている事を。

 そして、それにクロノスを失ったチヒロがもう誰も失いたくないという切実な想いも入れている事も。

 

「ベル君が『生きて帰ってくる』為の力を付ける力がキミにはある。それはボクではなく、キミにしか出来ない事だ」

「上手くできるか分からないけど……やってみるよ」

「きっとキミなら大丈夫さ! ボクが保証する!!」

 

 どこに保証出来る根拠があるのか聞きたいが、聞けば延々と話しそうなので、チヒロは苦笑する事でそれを抑える。

 『神の宴』への準備もあるだろうと、ヘスティアの頭をポンポンと撫でて、話をそこで打ち切る。

 

「もう行け」

「うん、本当にありがとうチヒロ君!」

 

 もう一度強く贈物(プレゼント)を抱き締め――豊満な胸が潰れる程に――ヘスティアは満面の笑みを浮かべる。

 そんなに喜んでもらえたなら、チヒロも苦労した甲斐があった。

 ヘファイストスからヘスティアのサイズを聞いたり、注文をする時におばさんにからかわれたり、受け取る時におばさんにからかわれたり、ティオネ達に締め上げられたり、思い出せば思い出すほど、こうやって渡すまで色々とあったなと遠い目になる。

 

「ボクは数日ヘファイストスの説得で帰ってこれないだろうから、今ここで念を押しとくよ。ダンジョンは明日から潜るように! 遠征も一ヶ月はダメだよ! 後、ジャガ丸くんだけじゃなくて、ちゃんと他のも食べるんだよ、栄養が偏っちゃうからね! それから――」

「わかったわかった。ほら、もう行け」

「本当にわかってるのかい!?」

「いいから行け」

「まったく、キミってやつは……」

 

 自分にとってあまり宜しくない話はさっさと終わらせたいという彼は、毎回聞き流したように返答をする。

 本当に分かっているのかと疑いの眼差しを向けるが、それすらも流される。

 初めの頃よりは言うことを聞いてくれるようになっただけ、まだマシかと自分を無理矢理納得させる。

 

「じゃあ、ベル君の事よろしくね!」

「ああ」

「ダンジョンに潜っても無茶しないようにね!!」

「ああ」

「ボクが居ないからってヴァレン某と――」

「いいから行けって」

「くっ……!」

 

 やっぱり納得出来なかったヘスティアは、今度こそチヒロに行くよう背中を押された。

 チヒロを恨めしそうに見てから、渋々とそれに従うように歩き出す。

 離れていく主神の背中を見つめながら、チヒロはやっと行ったかと嘆息する。

 すると、名前を呼ばれた。

 

「チヒロ君!」

「!」

「いってきます!!」

「……ああ、いってらっしゃい」

 

 満面の笑みでこちらに手を振っている彼女に、小さな声で返して手を軽く振る。それを見た彼女は、今度こそしっかりと前を見て走り出した。

 彼女の背中が雑踏の中に紛れて見えなくなるまで見届けたチヒロは、これからの事を考える。

 用事が済んでしまった為、この後の予定が無くなってしまった。

 ホームに帰った所でベルはいない為、する事は本を読むぐらいだ。

 ヘスティアとの約束でダンジョンに潜れるはずもなく、どうするかと思案する。

 最終的に考えついたのは、とにかくアイズ達の所に戻るという事。

 

「……ヘスティアのこと問い質されそうだな」

 

 再びティオネに掴みかかられるんじゃないかと、チヒロは少しだけげんなりした表情でヘスティアとは逆方向に足を向けた。

 

 

 

 




基本、ティオネにからかいの対象として遊ばれているチヒロ君です。

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