英雄よりも騎士になりたいと思うのは間違っているだろうか   作:琉千茉

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第11話

 

 

 

「ハアッハアッ」

 

 そこは深い深い森の中。

 木々が重なりあって出来た緑の洞窟を、小さな黒髪の男の子が息を荒げながら走り抜ける。その手には、小さな体には不釣合いな長刀を握り締めている。

 空色の瞳をチラッと自分の背後へと向ける。すると、ガサガサと背後の木々が揺れ動くのが見えた。

 それを見た男の子の瞳に恐怖の色が浮かぶ。

 男の子はすぐに前を向いて、更に走る速度を上げようと足を強く踏み込む。だが、それを実行する事は出来ず、何かに足を掴まれた。

 

「……っ」

 

 森の中なので、地面は然程固くはないが、受身も取らずに転倒すれば痛い。

 痛みに顔を歪めながら、男の子は足元を見る。

 地面から顔を出している木の根が男の子の小さな足に絡んでいた。

 男の子はゆっくりと痛みに耐えながら立ち上がる。

 

「!」

 

 背後に感じた気配。聞こえるのは荒い息遣い。

 それらを感知し、硬直した体に嫌な汗が流れる。

 錆び付いたネジを回すようにギギギっと、そこへ振り返った。

 目に飛び込んできたのは、赤い体毛、コウモリのような皮膜の翼、サソリのような毒針が無数に生えた長い尾、まるで人のような顔。それはライオンのような形態をした異形の怪物。

 三列に並んだ鋭く尖った牙を持つ口が開く。

 

「ガアアアアアアッ!!」

「っ!」

 

 耳を塞ぎたくなるような怪物の吠声に、男の子は黒い鞘から長刀を抜刀して構える。

 それは怪物に立ち向かう勇ましい姿――とは程遠いもので、長刀を握り締める手がカタカタと恐怖で震えていた。

 お互い出方を伺うように、円を描く。

 先に動き出したのは男の子。

 

「やあああああっ!!」

 

 だが、大きく長刀を振り上げただけで怪物へと走る男の子は、隙だらけで。いとも簡単に弾き飛ばされた。

 その反動で男の子は尻餅をつく。

 そんな男の子に餌を前にして涎を垂らしながら怪物が近づいてくる。

 男の子は、恐怖で空色の瞳を震わせる。

 長刀は弾き飛ばされた際に、少し離れた地面に突き刺さっていて、手に取れる距離ではない。

 背を向けて逃げ出せば、その瞬間に喰われる事は幼い男の子にでも分かった。

 まさに、絶体絶命。

 いただきますと言うようにぐあっと開けられた大きな口。

 男の子は、為すすべもなく体を硬直させてギュッと目を閉じた。

 

「ギャアアアアアッ!?」

 

 響いたのは、怪物の悲鳴のような断末魔。

 男の子はそっと空色の瞳を開ける。

 目に入ってきたのは怪物ではなく、真っ黒な薄手の防具の上から真っ黒なローブを身に纏い、真っ黒な刀身の長刀を持った黒髪の青年。

 青年が長刀をヒュンっと振れば、刀身についていた血が地面へと飛ぶ。

 よく見れば、先程男の子に襲いかかってきた怪物が真っ二つになって地面に倒れていた。

 長刀を鞘に戻した青年が、呆然としている男の子へと声をかける。

 

「森には勝手に入るなと言われているだろ」

 

 男の子は、青年の安心する低く、優しい声に我に返って、その空色の瞳に涙を浮かべる。そして、バッと青年に飛びついた。

 そうすれば、青年は動じることなく男の子を抱きとめる。

 

「おいおい、男が泣くもんじゃないぞ」

 

 その声は、からかいを含んでいるが、男の子は泣くことを止めない。

 それに苦笑して、青年は優しく自分と同じその黒髪を撫でる。

 

「何で森に入ったりしたんだ」

「っ……とうっ、さまを……むかえにっ……いきたくてっ」

 

 男の子の想いに、青年はキョトンとしたが、すぐに優しく微笑む。

 男の子を片手で抱き上げて、地面に刺さっていた男の子の長刀を取り、鞘へと戻す。

 

「それなら護衛をつけてから来い。お前にはまだこの森は早い」

「ごめん、なさい……」

 

 泣きながら肩を落として落ち込んでいる男の子を見て、青年は苦笑する。

 片手に男の子を持ち、片手に長刀を持って歩き出す。

 

「でも、ありがとな」

「!」

 

 青年からのお礼の言葉に、男の子はパッと顔を上げて青年を見る。

 男の子を見つめる青年の紫の瞳が優しく細められる。

 まるで、泣いていた事が嘘のように、男の子の顔が明るくなり満面の笑みを浮かべる。

 

「今回はどこ行ってきたの? オラリオにも行ったの? ダンジョンは? 父様のファミリアの人には会えたの?」

「待て待て、一気に喋るな」

 

 打って変わって、その空色の瞳をキラキラさせながら幾つもの質問を投げてくる男の子に、青年は苦笑する。

 

 

「後で飽きるほど話してやるから、とりあえずは里に帰るぞ。お前がいないって母様や里の者が心配しているだろうからな」

「うっ……はーい」

 

 痛い所を突かれたと言わんばかりに、男の子は渋々返事をする。

 少しだけ頬を膨らませている男の子に、青年は小さく微笑んで言葉を紡ぐ。

 

「帰ったら鍛錬にも付き合ってやるから、今はな?」

「……うん!」

 

 キョトンとした男の子だが、すぐに嬉しそうに頷いた。

 それから男の子は、青年にあのねと色んな話をする。

 

「みんなが父様が帰ってくるからってご馳走用意して待ってるんだ」

「それは楽しみだな」

「あ、レオも鍛錬してもらいたいって言ってたよ!」

「なら、三人でやるか」

「うん! でも、レオにまだ一度も勝てたことないんだー」

「レオは強いからな」

「うん! 強いよ! すごく強い!」

「なら、お前も頑張らないとな」

「うん!」

 

 そうこうしている内に、森の出口に辿り着いた。

 薄暗い森の中から光溢れるそこに出れば、あまりの眩しさに、男の子と青年は目を細める。

 光に慣れてきた目に入ってきたのは、こちらに向かって駆け寄ってくる金色。

 どこか神々しさすら感じるウェーブのかかった腰まである綺麗な金色の髪の女性の姿を視認した男の子の顔が明るくなり、青年の腕から飛び降りる。

 それに青年は少し驚きつつも、女性へと走っていく男の子に苦笑する。

 女性はそんな男の子を見て、優しく微笑んだ。

 駆け寄ってくる男の子の目線に合わせるように屈んで、腕をそっと広げる。

 

「母様!!」

 

 その腕の中に、男の子は嬉しそうに飛び込んだ。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「……」

 

 そっと重たい瞼を開く。

 どこかぼやけた視界の中に映るのは、魔石技術により発明された『魔石灯』。その魔石灯が天井で燐光の如く輝いていた。

 そのおかげで地中に作られているこの部屋は、朝日が入らないものの、周囲を見渡せる程度には明るい。

 

「(……記憶()、か)」

 

 それを見つめながら、チヒロは未だ覚醒しきれていない頭で思う。

 それはもう何年も見ていなかった記憶。思い出す事すらしようとしていなかった記憶。

 今更何故(父親)の記憶などと思うが、答えはすぐに浮かび上がった。ベルのステイタスに刻まれたスキルが、この記憶を呼び起こしたのだと。

 チヒロにとっての憧憬は(父親)だった。

 誰よりも強くて誰よりも頼りになる(父親)に。

 彼女(母親)を一途に護り続けると誓った騎士(父親)に。

 (父親)のようになりたいと幼いチヒロは憧れた。

 

「(昔の事だ……)」

 

 目尻から流れ落ちた雫を隠すように、腕で顔を覆う。

 思い出すのは、憧れた逞しい背中。

 どこまでも遠い背中を、幼い男の子(チヒロ)は立ち止まって見つめ続けている。

 もう追いかけはしない。

 

「(何も守れない俺に……あの人の背中を追う資格はない……)」

 

 すると、チヒロの上に黒い兎のような影が差す。

 

「おはよう、チヒロ君。ぐっすり眠れたかい?」

 

 声をかけてきたのは、ヘスティアだ。

 腕を退ける際に軽く袖で涙を拭う。きっとそれに気付いているであろうヘスティアだが、いつも何も聞いてこない。

 彼女はチヒロが自ら話すまでずっと待っている。今も昔も。

 そんな彼女におはようと返して、ベッドからチヒロは起き上がる。

 普段ベッドはヘスティアに使ってもらっているが、遠征帰りのその日は疲れている体を休めるようにと、ほぼ強制的にベッドへと連行される。

 ふと、部屋を見渡せば白兎――ベルの姿が見当たらない。

 

「……ベルは?」

「ベル君ならとっくにダンジョンに出かけたよ」

 

 ああ、そうかと思い出す。

 基本、ベルは朝五時に起きて朝ごはんを食べてから準備をして、ダンジョンへと向かう。

 遠征明けだったので、つい忘れていた。

 壁に備え付けてある時計を確認すれば、現在は朝の八時。

 

「ボクは今日も一日バイトだけど、チヒロ君はどうするんだい?」

 

 遠征から帰ってきたら最低三日は休むこと。それがヘスティアとの約束。

 なので、最低三日はダンジョンに潜ることが出来ない。

 

「ダンジョンに潜るのはダメだよ?」

「わかってる……今日は預けた魔石やドロップアイテムを換金してくる。あと時間があれば武具の整備とか、アイテム補充もしてくるよ」

 

 顔を洗うためにキッチンへと向かうチヒロの背中を半眼で見ていたヘスティアは、それに満足そうに笑みを浮かべる。

 顔を洗って歯を磨き、普段の真っ黒な戦闘衣とは違う私服へと手を伸ばす。

 これはヘスティアが戦闘衣しか着ないチヒロにと選んだものだ。黒のインナーに白いジャケット、黒のパンツとシンプルな素材だが、チヒロの元の素材がいい為、しっかりと映えて見える。

 

「そういえば、戦利品を信頼して預けられる程の知人とは誰なんだい?」

「ロキ・ファミリアの団長」

「あぁ、ロキ・ファミリアの……って、ええ!? ロキ・ファミリアだって!?」

 

 笑顔で頷いていたヘスティアだが、そこで表情を一変させた。

 着替え終わったチヒロが振り返れば、そこには不機嫌なヘスティア。それに少しだけ驚く。

 

「大切な大切な戦利品をあのロキに預けるだなんて、キミはどうかしてるよ!!」

「預けてるのはロキじゃなくて団長」

「それともなにかい!? それを理由にヴァレン何某に会いに行くつもりかい!?」

「……」

 

 思い出すのは、別れ際に不安そうな瞳をしていた金髪金眼の少女。

 もちろん、一番の理由は戦利品を換金する為ではあるが、不安そうにしていた彼女に会うためというのも、強ち間違ってはいない。

 チヒロが否定しない事に、ヘスティアはむきーっ!と怒る。

 

「なんだいなんだい! チヒロ君がそんな甲斐性なしだとは思わなかったよ! もう好きにすればいいさ! チヒロ君のバーカ! アーホ! このすっとこどっこい!!」

「……子供か」

「ボクはバイトに行ってくるよ!!」

「いってらっしゃい」

 

 ドスドスと不機嫌そうに部屋を出て行ったヘスティアに、チヒロはヒラヒラと軽く手を振る。

 そして、朝から騒々しかったその場がやっと静かになった事に、一つ溜息を吐くのだった。

 

 

 ◆◆◆

 

 

 腰にしっかりと阿修羅をさして、チヒロはギルドへと向かっていた。

 アイズに頼んだフィンへの伝言は、ギルド本部前。

 ロキ・ファミリアは遠征後、その後処理に追われる。

 ダンジョンから持ち帰った戦利品の換金や、武具の整備もしくは再購入、アイテムの補充など、遠征から帰還した後はやらなければならないことが山積みになっているのだ。なので、基本朝早くから動き出す。

 時刻はもうすぐ朝の九時を回ろうとしていた。

 預かってもらっている身な為、遅れるわけにはいかないと、チヒロの足が早足になる。

 すると、そんなチヒロの背中に女性の声が降ってくる。そして、同時に衝撃も。

 

「おはようございます、チヒロさん! 遠征から帰ってきていたんですね!」

「ああ、おはよう、シル」

 

 背中に抱き着いてきた女性に、チヒロは足を止めて振り返る。

 光沢に乏しい薄鈍色の髪は後頭部でお団子にまとめ、そこからぴょんと一本の尻尾が垂れていて、髪と同色の瞳は純真そうで可愛らしい、その女性はチヒロと同じヒューマン。白いブラウスと膝下まで丈のある若草色のジャンパースカートに、その上から長目のサロンエプロンという格好は、すぐ目の前にある『豊饒の女主人』という酒場の制服。そして、その酒場はチヒロが昔からよく訪れていた酒場。

 目の前の女性――シル・フローヴァとはその時に出会った。

 

「今日はどちらかにお出かけですか?」

 

 チヒロの服装が戦闘衣ではない事から、シルが不思議そうに訊ねる。

 

「ああ、換金にな」

 

 それを聞いた瞬間、シルはパァっと顔を綻ばせる。

 

「では、私も是非ご一緒に――」

「馬鹿言ってんじゃないよ!」

「うきゅっ!?」

 

 シルの背後に現れた大きな影によって、シルの言葉は遮られた。

 衝撃の走った頭を押さえながら、シルは目尻に涙を浮かべている目でそこを見上げる。

 そこには手にシルの頭を叩いたトレイを持った恰幅のいいドワーフの女性――酒場の女将であるミア・グランドがいた。酒場ではミア母さんと呼ばれている。

 

「あんたは何サボってんだい! ほら、さっさと働きな!」

 

 チヒロの腰に抱き着いた状態で、恨みがましい目でミアを見上げるシル。

 正直、そこらの男なら一瞬で許すであろう可愛さだが、目の前にいる女将にはそれが通じない。

 

「そんな目をしても無駄さ! ここじゃあアタシが法なんだからね」

 

 まるで助け舟をというような目でチヒロを見上げてくるシルの頭を、チヒロはポンポンと撫でて、仕事頑張れと言う。そうすれば、シルはシャキッと立ち上がり。

 

「チヒロさんの為に頑張りますね、私!!」

「現金な子だね」

 

 満面の笑みでやる気を出したのだ。それに呆れるミアと、若干頬を引き攣らせているチヒロ。

 すると、その場にグゥっというそぐわない音が響く。

 チヒロは自分のお腹を右手で撫でる。急いで出てきたため、朝食を食べ忘れた事を、お腹が鳴ったことで思い出した。

 そんなチヒロを見て、ミアはこの子もまったくというような表情で溜息をついて、シルに賄いを取ってくるように指示を出す。

 そうすれば、ササッと店内に戻ったシルが、ササッと手にお弁当を持って戻ってきた。

 

「歩きながらでも食べやすいサンドイッチです。私のチヒロさんへの愛情をたっぷりと――」

「いいから早く渡しな!」

 

 再び言葉を遮られて、シルはむーっと頬を膨らましながらチヒロにそれを渡す。

 チヒロは、そんな彼女達のやり取りに苦笑しながら、いつもすまないと受け取る。

 実はこれ、今回が初めてというわけではなく、豊饒の女主人の前を通る度に何かと頂いているのだ。その代わりというのもあれだが、その日の夜は豊饒の女主人で食べるというのが暗黙の了解だったりもするが。

 二人に見送られながら、チヒロは再びギルドへと向かって足を動かした。

 

 

 


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