怪物と戦い続けるのは間違っているだろうか   作:風剣

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【ヘルメス・ファミリア】
プロローグ


 

 

「―――はぁ」

 

 心底疲れ果てたような溜め息が、容姿端麗な女性の口元からこぼれ落ちた。

 

【ヘルメス・ファミリア】ホーム、執務室。

 

 小綺麗な室内に存在する机に座る彼女は、頭痛をこらえるように眉間に手をやる。眼鏡の奥から覗く透き通るような碧眼が、目の前で縮こまる犬人(シリアンスロープ)の少女をじろりとねめつけた。

 

 憤怒、苛立ち、焦燥、諦観―――ルルネの話を聞く中次々と表情を変えていた彼女は、この上ない渋面を作って黙り込む。

 

「……」

 

「……」

 

「……………………」

 

「……なぁ、アスフィ」

 

「…………………………………………………………」

 

「その、何だ」

 

「…………………………………………………………………………………………………………」

 

「話持ってきた私が言うのもなんだけど、今回は本気で悪いと思って―――」

 

「当たり前でしょうこの駄犬。ちょっと黙っていなさい今考えてるんですから」

 

「あ、はい」

 

 迂闊に話しかけたのが不味かった。怒気を纏う首領の一喝に汗を流すルルネはこくこくと頷く。

 

「……」

 

「……」

 

 気味の悪い沈黙が続く。

 

 慣れない雰囲気に犬人(シリアンスロープ)の少女が居心地悪そうに肩を揺らす中、ゆっくりと目を見開いたアスフィが結論付ける。

 

「……取り敢えず貴方は肥やしにでもしましょうか。全身切り刻んで中庭にでも埋めれば特殊な薬草でも採れるでしょうし」

 

「待って待って待ってちょっと待って本当に待って悪かったすいませんごめんなさいだからちょっと勘弁してください!?」

 

 どこからともなく取り出された禍々しい短剣にルルネが悲鳴を上げる。両手を上げて全力で後退した彼女を暫く睨み付けていたアスフィは、やがて辟易したように息を吐いた。

 

「本当、面倒な事を押し付けられたもんですね……」

 

「うぅ、ごめんようアスフィ」

 

 ほとほと疲れたように息を吐いた彼女の言葉に、ルルネも申し訳なさそうに耳を垂らした。

 

 

 ―――それは昨晩の事。ルルネの前にいつか依頼を持ちかけてきた黒ローブの人間が、再び彼女に近づいてきたのが始まりだった。

 

 18階層から帰還した折、ルルネからの報告を受けた後は姿を晦ましたと言うその人物が持ち込んできたのは、これまた厄介事としか考えられない様な内容の冒険者依頼(クエスト)だった。無論ルルネは全力で断ったようだが―――その直後、【ステイタス】の偽装を暴露すると脅されたという。

 

【ヘルメス・ファミリア】は抱える団員の8割以上が主神の判断によって【ランクアップ】を隠蔽している。あまり名を上げすぎると中立を維持しにくくなる、といったヘルメスの考えによるものだったがどう取り繕おうと自分達のやっていることは立派な違反(脱税)だ。もし管理機関(ギルド)に知られれば重い重い罰則(ペナルティ)や罰金が待っている。

 

 あまりの苛立ちに偏頭痛すら患いかけている頭部を指先で叩くアスフィは、大きな嘆息と同時に告げる。

 

「―――ルルネ、ファルガーとセイン、メリルを……いやこの際です。Lv.3の面子も全員かき集めなさい。ホームにいない者は私の魔道具(マジックアイテム)を使って呼び出すこと。それから18階層で貴方が交戦した食人花と『宝玉』、それが寄生、変異させたモンスターについての情報を早急に纏めるように」

 

「え、あ……分かった!」

 

 一瞬の戸惑いの後走って執務室を飛び出したルルネの後姿を見送りながら、薄く薄く息を吐く。

 

 率直に言ってこんな厄介事に首を突っ込んでしまったのは不本意でしかないが、背に腹は変えられない。手っ取り早く済ませるに限るだろう。

 

 碧眼を細めたアスフィは席を離れると、戸棚を開いて己の武装の準備にかかる。

 

 布によって幾重にも包まれた宝石、白銀のマント、そして奥にしまわれていた木製の箱。それ等を取り出したアスフィは、蓋を開いて中のものを取り出す。

 

 彼女の最高傑作、その一振り。

 

 箱から取り出された血の色の短剣は、どこまでも禍々しい輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 どうにかホームに帰還したグリファスは、心底疲れ切ったかのように息を吐く。

 

 結局、30階層で得られたものは無かった。

 

 18階層で行われた口封じといい、敵方が証拠の隠滅を図る可能性は十分に高く。何か見つけられる事ができれば儲け物程度にしか考えていなかった彼にとってそう驚くような事でもなかったが、それでも様々な要因による心労は老人をしっかりと蝕んでいた。主に闇派閥(イヴィルス)とか神々とかアイズとか神々とかアイズとか神々とかアイズとか。

 

 太陽が市壁の奥に消えた夕暮れ時。

 

 窓の外から空に残る薄明が見える中、グリファスが足を踏み入れた応接間には珍しい客人がいた。

 

「―――それでは、依存症状はあくまで短期的、ということですか?」

 

「せや。神酒(ソーマ)を飲めなくなって、正気に戻っている子達も大勢いるんやないかな?」

 

 部屋にいるのは四人。30階層へ潜っていたグリファスよりも早く帰還したアイズ、リヴェリア、それにロキ―――そして、かつて彼が指導したこともあったギルドの女性職員だ。

 

「ほう、珍しい顔だな?」

 

「ぐ、グリファス様……!?」

 

「そう畏まるな、エイナ」

 

 慌てて立ち上がったハーフエルフの女性に苦笑を返す。『学部』にいた頃から全く変わらない姿に自然と口元が綻んだ。

 

「どうした? 他の職員ならいざ知らず、受付嬢であるお前が来るのも珍しい。それにこの香り……神酒(ソーマ)か?」

 

「うちに【ソーマ・ファミリア】の事聞きに来たんやって。あの馬鹿の眷属(こども)、それなりに異常な状態やからなぁ……これは、やらんで?」

 

「要らん、それはどうも趣味に合わなくてな。……しかし、成程そういうことか。お前なら随分と詳しかっただろうなぁ、ロキ? うん?」

 

「お? なんか含んだ言い方するなぁ、グリファス」

 

「は、ははは……」

 

 既に粗方話を聞き終えていたのか、何となくグリファスの言いたい事を悟ったらしきエイナが困ったような笑みを浮かべる。ロキの酒好きは常人の想像できる範囲を逸しており、一度は件の神酒(ソーマ)を作る【ファミリア】の本拠地へ単独へ乗り込んだほどだった。

 

「それにしても……」

 

 ふと首を動かしたグリファスは、アームチェアの上で体を丸める少女を視界の中に入れる。純白のワンピースに包まれた膝に顔を半分埋めるアイズは……落ち込んでいた。傍から見ても気付く程、盛大に。

 

 心なしか金の長髪は輝きを失っている気がする。まさか先日の制裁(デコピン)を未だに引きずっている訳もないだろうし、一体どうしたと言うのか。

 

 思わぬ姿に顔を引き攣らせた王族(ハイエルフ)の老人は、エイナの向かいに座っていたリヴェリアに小さく声をかける。

 

「おい……アイズは、どうしたんだ?」

 

「あぁ、あれか……」

 

 問いかける彼の言葉にクスクスと笑った彼女は、やがて楽しげに告げる。

 

「前回の打ち上げの時にいた……ベル・クラネルだったか? 彼に、逃げられてしまったようでな」

 

「は?」

 

「えぇ!?」

 

 思わぬ人名にグリファスが目を点にすると同時、エイナの素っ頓狂な悲鳴が飛んだ。

 

「あ、あの、ベル・クラネルって……!?」

 

「何だエイナ、知り合いか?」

 

「い、いや。私の担当する冒険者なんですけど……」

 

「ほう、そうだったか……」

 

「それでリヴェリア、どう言う事なんだ?」

 

「あぁ、それが……ダンジョンで精神疲弊(マインドダウン)を起こしたのか、彼が5階層のルームで倒れていてな―――」

 

 

 その後の話を聞いて、久々に爆笑させて貰ったのは言うまでもない。

 

 腹が痛くなるほど笑ったグリファスに対し顔を真っ赤に染め、頬を膨らませて怒るアイズの姿が妙に印象深かった。

 

 


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