悪意の牙
ダンジョン18階層、
階層西部の湖畔、そこに浮かぶ島の東部。高さ二〇〇
中層域に到達可能な上級冒険者達が経営する、ダンジョンの宿場町だ。
『おいっ、この量の魔石だぞ!?幾ら何でも安過ぎるだろう!』
『これで不満なら他の店に行けば?多分ここよりは安いと思うけど、ねぇ?それが分かっているから貴方もここに来たんでしょう……?』
『くっ……!』
『ふはは、交渉がしたければもっと経験積んで来なさいな。それにしても……ソロで荷物も大変でしょう。いつも一緒にいる彼女はどうしたの、別れた?』
『お前には関係の無い話だろう……それに別れてなど―――』
『おっ、何だメスト。娼館にでも行ったってか?げひゃひゃ』
『誰があの様な汚らわしい場所へ行ったって……!?』
『けっ、自分にはイイ女がいるからってお偉く留まってんなぁ、エルフさんよ』
『はっ!下品なお前には娼婦がお似合いだろうよ!』
『あぁ!?』
「………」
雑踏と騒めきが絶えない冒険者の街で、褐色の肌をもつ
現在の時刻は『夜』。階層の天井に生え渡った大水晶は光を失い、周囲は僅かばかりの魔石灯と、地面の割れ目から生え出た青水晶によって照らされていた。
褐色の少女が訪れたのは、『リヴィラの街』にある数少ない酒場の一つ。
リヴィラの片隅にある簡素な造りの店に足を踏み入れた
「蜂蜜酒と……おっ、
「ほう、結構高いぞ?調理用、保存用の魔石製品や材料を持ち込むのには苦労したからな」
「へへっ、気前の良い
「どうしたよ【
「流石にこれはないだろう……!?」
意地汚くニヤニヤと笑う店主と、驚愕の値段に戦慄する
鋼の鎧に身を包む、長身の男。顔全体を覆う
そして彼はカウンター席の左端から二つめ―――少女の隣に座る。
「……」
依頼人に教えられた装備、指定された席。目当ての人物と察した少女はクレープを頬張りながら笑みを浮かべた。
残っていた蜂蜜酒を飲み干し、席を立つ。
「そんじゃごちそうさん。さてと―――お代、八四〇〇ヴァリスだったっけ?幾ら何でも高過ぎるだろ、地上じゃぁ二〇〇ヴァリスもしないぜ」
「……」
ピクリと、
ロクに顔も見ずに伸ばされた褐色の手が、瞬く間に包みをかっさらった。
「今度からは頼むよ、もう少し安くしろよな!」
店主の男のそう吐き捨て、少女は立ち去る。
包みを素早くしまい込み、褐色の
(さて、後はこれを地上に運ぶだけだから……
莫大な報酬に胸を高鳴らせながら、尻尾を振る少女―――【ヘルメス・ファミリア】所属の運び屋、ルルネ・ルーイは満足そうに笑う。
帰還の時刻が特に決められている訳でもなし。ルルネは暫く迷宮の楽園《アンダーリゾート》で体を休める事にした。
それが致命的な判断であった事に彼女が気付いたのは、半日後の事だった。
「……」
斜面や段差の多いリヴィラ上方、中心付近に存在する洞窟。
天然の洞窟に広がる空間を利用して宿屋にした場所で、宿の主であるヴィリーはここ暫くの仕入れを計算していた。
(昨日は【ヘファイストス・ファミリア】のパーティが来て……三、四日前はヒュアキントスの連中が来たんだったか。稼ぎは上々……そろそろ
受付場所であるカウンターで複数の証書を睨む獣人の青年。中肉中背でぼさぼさの髪、左右の頬には赤の
少なからず人気のある宿を経営するリヴィラで過ごす事一週間。そろそろ地上の空気が恋しくなってきた事も手伝って帰還の目処を立てていく彼だったが―――ふと、獣人の優れた五感が今夜最初の客人の足音を捉えた。
「(……今夜は、まず二人か)」
第三級冒険者の視力が、洞窟を訪れた二人を認識する。
「いらっしゃ―――」
愛想笑いを浮かべて決まり文句を口にしようとした彼だったが、その途端に彼の目が見開かれる。
「ぉ……!」
思わず、掠れた様な声が漏れてしまった。
片方は
身に纏うローブの上からでも分かる妖艶な体つき。大きな双丘は情欲をそそり、なだらかな臀部は否応なく劣情を掻き立てられる。くびれた腰の位置は高く、しなやかな肢体は指の先まで細い。目深に被ったローブで顔を隠しているにも関わらず、瑞々しい色香がどこまでも漂っていた。
「いらっしゃいませ。お泊りで……?」
「あぁ、宿を貸し切らせてくれ!」
「あいよ、貸し切り……貸し切り?」
艶めかしい女に鼻の下を伸ばすヴィリー。男の注文にも半ば無意識の反応だったが、意味を悟ると同時冷や水を浴びせかけられた様な気分になった。
男の浮かれ切った様な声を聞いてあっという間に仏頂面になり、低く男に尋ねる。
「……証文は。高くなるぞ」
「ほら!」
「っ」
「釣りはいらない。これで十分過ぎる位だろう?」
ずい、と押し付けられたのは巨大な魔石だった。
「……確かに」
その質と大きさから下層域の大型級から摘出されるものと判断し、ヴィリーは閉口する。
「さて、行くとするか」
「……」
二人の男女が暗闇、洞窟の奥へ消えて行くのを確認し、青年は辟易した様に息を吐いた。
「くそったれが……くたばっちまえ」
これは酒でも飲まなければやっていられない。
そう毒づいたヴィリーは満席の札をかけ、酒場へと繰り出す。
青年が宿から姿を消した、数分後だった。
―――グシャッッ、と。
鉄臭い臭いと共に、何か血肉を踏み潰したかの様な音が炸裂した。
もしかしたら。
客人を迎い入れたその時、ヴィリーは生死の境にいたのかも知れない。