「……」
市壁の上。
そこから賑やかなオラリオを見下ろすグリファスは、ふと尋ねる。
「立てそうか?」
「無理、空狐様呼び出すのに
彼の側で仰向けに転がる
その横でぞんざいに転がされた妖刀も不満気に震える。
『おい、俺も休ませろ。具体的には鞘に入れてくれ。女神に巻き込まれて今日は疲れた』
「ほう、奇遇だな?私も同じだ」
「……はい」
『え、おいっ、痛っ!?』
非常に雑な動きで正宗を納刀する。刀は武士の命とか言う言葉もあった気がしないでもなかったが、そもそも彼女は冒険者である。そこらへんに遠慮は無かった。
緊張の抜けきった緩慢な動き。いよいよ本気で意識を落としそうになる
「こん!?」
「……」
頭を抑えて睨み付ける少女だが、グリファスはというと呆れ果てたかの様な表情を浮かべていた。
「ついさっきまで随分と派手にやってくれたが……よくもまぁ、そうのんびりしてられるなぁ……?」
「え、嘘。ここにきて追い討ち!?嘘だよね、Lv.8の一〇連拳骨コースとかって無いよね……!?」
「さぁなぁ、一〇〇発位は雷落とそうかと思っているんだが……物理的に」
「魔法!?やめて死んじゃう、ほんとに死んじゃう!!」
今更になって顔を青くする少女にも分かる様に、その魔力を練り上げる。
あわあわとなる冬華を詠唱破棄による軽い魔法で焼いてやり、制裁を下そうとしたその時だった。
何者かからの連絡に、通信用の魔導具が反応した。
「……」
眉を顰めたグリファスは複雑な紋様を刻まれた木板を手に取り、それに応じる。
『―――グリファス』
「フェルズか。どうした?使い魔で状況は把握しているんだろう。私はこれから脱走したモンスターの撃滅を行うが―――」
『いや、違う』
「あ?」
『グリファスにはこれから、東のメインストリート付近の大通りに向かって貰いたい』
「……どうした?」
思わず、眉間に皺を寄せる。
彼にかつて師事したフェルズは、全肯定とまではいかぬもののほとんどグリファスの行動に干渉する事は無かった。暗に『脱走したモンスターは後回しにしろ』と告げるフェルズの言葉に疑問符を浮かべる。
『不味い事になった』
「要点を言え」
少なからず動揺しているかの様な声色に、一層疑問を深める中。
『新種のモンスター―――先日、異端児《ゼノス》を襲った食人花が複数現れた。現在【
「すぐ向かう」
「……?」
『食人花』との馴染みの無い単語に困惑する冬華。通話を切ったグリファスは彼女を一瞥し、一言告げた。
「次は無いぞ」
「あ、はいっ!?」
こくこくと頷く狐人《ルナール》の少女に嘆息しつつ、王族《ハイエルフ》の老人は軽やかに市壁から飛び降りる。
汗を流す冬華は、頭上の空を見上げ、一人呟いた。
「し、死ぬかと思った……」
時間が過ぎるのは早い。
日が沈み月が昇り、オラリオは夜に染まっていた。
雲がかかった月が見下ろすところ、屋根が崩れ落ちた古い廃墟。
朽ちた建物は至る所が破損しており、石材が剥き出しになっている。昼夜問わず光を絶やさないオラリオの中でもその奥深い路地裏の一角には灯りの手が届かず、宵闇がはびこっていた。
そんな廃墟の中に、月を見上げる影が一つ。
闇夜に紛れる様に、一人、暗がりの中で佇む影があった。
「―――ディオニュソス様」
廃墟の中で、声が響く。
物音一つ立てずに現れたのはエルフの女性だ。暗闇の奥から出てくる彼女に対し、呼びかけられた
雲が割れ、大穴の開いた屋根から蒼い月明かりが差し込む。端正に整った神の容貌がはっきりと照らし出された。
「ギルドより先に、回収する事はできたか?」
「はい、こちらになります」
普段纏っている笑みを消したディオニュソスは、己の眷属から取り出されたものを受け取る。
手の平の上で転がすこと数度。
中心が極彩色に染まった魔石を細い指で掴み、夜空に掲げ、双眸を細める。
「面倒な事になってきたな……」
そう呟いた、直後だった。
「あぁ、全くもってその通りだ。心底同意するよ」
「「!?」」
突然響いた、後方からの声。
感じ取った圧迫感。警戒心を剥き出しにして得物を構える従者と共に振り返った男神は、珍しく顔を強張らせた。
「グリファス……」
どこからともなく姿を浮き上がらせたのは、『
「っ……」
あらゆるエルフが崇拝する存在に、短剣を構えていた少女が硬直する。エルフとしての、冒険者としての本能が最強の
「―――フィルヴィス」
「ディオニュソス、様……」
信愛する主神の声が、彼女を不可視の鎖から解き放つ。
「それを納めろ」
「ぁ……」
「荒事は彼も起こさないさ。万一なったとしても……分かるだろう?」
「………はい」
ディオニュソスの言葉に従いうつむいて後ろに下がるエルフ。
その姿を見ていたグリファスは、ゆっくりと息を吐いた。
正直、彼女―――フィルヴィス・シャリアを見かけたのは全くの偶然だった。
フェルズの教えた場所、凍り付いた大通りで食人花の魔石を回収した時、帰りにふと【ディオニュソス・ファミリア】の団長を見かけたのだ。
周囲の視線を意識した挙動に気付いた時には既に魔石を採取しており、そんな彼女を見咎めたグリファスはこうして後を追ってここまで来ていた。
「……さて」
おもむろに脱力した男神は気品のある笑みを纏い直し、一言尋ねる。
「見られたからにはいろいろ説明しなくてはならないんだろうけれど……どこまで掴んでいるんだい?」
「ふむ……」
顎を指でさすって考え込んだグリファスは、思い起こした名を読み上げる。
「ドレア・カーティス、ロッコ・ベルクカッツェ。それに加え、第三級冒険者のウルバ・マーティスだったか」
「!」
「……流石だね」
それを聞いたフィルヴィスは瞠目し、ディオニュソスも思わずといった風に苦笑した。
グリファスの読み上げた人名。
それ等は先日オラリオで殺害された、【ディオニュソス・ファミリア】の団員達の名前だったからだ。
「一体いつから、私達をマークしていたんだ?」
「別に。ここ数日、とある女神の不審な動きについて情報を集めていた時にたまたま冒険者の不審死を耳にしただけだ。加えあの『新種』の魔石を回収していたとなれば尚更、な」
「……あぁ、ご明察の通りだ。私は眷属を殺した者を追っている。そして現場に残されていたのが―――これだ」
ディオニュソスの掲げた極彩色の魔石。それを聞いたグリファスが目を細めた。
「……どういうことだ?」
「正確には少し違うが……死んだ眷属の傍に落ちていたのは、それこそ砕けたかの様な欠片だったよ」
「……成程、事情は理解した」
暫し黙考したグリファスは、やがて紋様の刻まれた木板を投げ渡す。
「何かあったら連絡する。できる限りの協力をする事を約束しよう」
背を翻した。
ひとまず己の回収した魔石をウラノスの元に持って行こう。
そう考えていた時だった。
「……信じて良いのかい?」
「……どういう意味だ」
突然投げかけられたディオニュソスの言葉。それに一物含むものを感じ取り、男神に胡乱気な視線を向ける。
「……私は、ギルドが―――いや、ウラノスがこの案件に関わっていると思っている」
「……」
一〇〇〇年間ギルドの裏で動いていた【
「……確かにウラノスも私も色々と隠し持つ物はある。どんな根拠でその結論に辿り着いたかは知らないし、興味も無いが……」
その銀色の瞳で神の碧眼を見据え、断言する。
「万が一そんな事があれば、私は迷わず始末をつけるさ」
『祈祷』を捧げる神の
そう暗に告げるグリファスに、ディオニュソスは目を弓なりにした。
「……変わらないね」
「なんだ、疑っていなかったのか?」
「もしそうだったら、私達は今頃血の海に沈んでいるだろうさ」
「……相変わらず、食えない
苦笑したグリファスは、一人立ち去る。
暗闇の邂逅は、誰にも知られずに終わった。
……食人花を絡めたいと思ったけど、下書きではお爺ちゃんがアイズたんやレフィーヤ達の出番を奪ってしまったのでカット。結果空白の時間が生まれてしまったのは申し訳ないと思ってる。
そしてこれから18階層とか24階層になる訳ですが……【ヘルメス・ファミリア】がメインとなります。
だってグリファス出すと半日で全部のイベント消化しちゃうんだもん!