[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「Home is the sailor」-3

 クソったれめ。どうやら僕は、手の平の上でいいように転がされていたらしい。気に入らない、気に入らないが、畜生、それは後回しだ。赤城に、僕の古巣が彼女の計画にどう関わってくるのかを尋ねる。これは赤城たちに合流して以来、僕がずっと聞きたかったことでもあった。赤城はこれまで適当にはぐらかしたり、答えることを拒んだりだったが、ことここに及んではそうはさせない。話して貰おう。

 

「広報員として同行している青葉は通常の艤装を身に着けている他、映像機材を所持しています。日本国民はどう思うでしょう、深海棲艦と艦娘が手を組んで、日本の防衛を行っている様子を見たら?」

「『わあ、よくできた映画だな』」

 

 僕の言葉に赤城は笑って頷いた。「最初はそうでしょう。ですがすぐに、何かおかしいぞ、と思い始める筈です。戦闘中行方不明になった、世界唯一の男性艦娘が画面に映ればね」赤城によれば、僕の行方不明は大きくではないが、一応報道されたそうだ。それに僕がいなかったとしても、本物の映像と映画は違う。敵味方の手足がちぎれ飛び、血を流し、死に、殺すその光景は、作り物では生み出すことのできない迫力を持っているものだ。目がある人間なら、誰でも見分けることができるだろう。

 

 青葉の映像を提督のいるフリゲート艦に送り、フリゲートから電波局へ繋いだ独自のネットワークを通じて映像データを送信、海賊電波に乗せて全国へ放映し、国民を動かす──赤城の計画とはそういったものだった。海賊放送か。できる訳がない、とは言えなかった。現に赤城は、かつて電波ジャックを行っている。前にできたことが今度もできたって、おかしいとは思わない。ここ最近姿を消している電は、そっちの任務に掛かりきりになっているのだ、と赤城は教えてくれた。僕はこれまでに電の迂闊な失敗を何度か見ていたので、やや不安になったが、彼女は赤城の右腕のような存在だ。有能は有能なのだと思う。

 

 国民に訴える、か。筋は通っている。日本は民主主義の国だ。思想の自由が少々制限されているのは認めるが、それでも選挙でどの党に投票するか、誰に一票を入れるのかは完全に自由である。この成熟した国民国家では、選挙を行わないなんてことは絶対に起こらない。選挙に行かない連中は大勢いるが、選挙そのものは必ず行われる。戦争の最中だから政治的ごたごたで軍を邪魔するべきではない、なんて馬鹿げた考えは、大昔に違憲であるとされて以来、見識ある大人が酒の席の冗談などでしか口にしないものだ。軍を直接動かすことはできずとも、軍の統帥権を持つ政府を直接動かすことはできずとも、彼らの権力を生み出す、最小単位にして最大の権威行使である『投票』を行う国民を動かせたなら……窓口を作らせることは可能だろう。

 

 そして、戦争は国民に様々な犠牲を強いるものだ。彼ら彼女らの娘息子を失うような、人的犠牲だけではない。経済面での犠牲もある。今はすっかりそれが普通になってしまってはいるが、確かに犠牲にされているのだ。だとすれば、だ。海が平和になればどれだけの経済効果が生まれる? ほんの数秒の思考で、限りない可能性が思い浮かべられた。人の行き来も、物資の行き来も遥かに容易になる。戦争前の資料でしか見られないような世界が訪れる。他の国の人々については知らないが、日本人はそれがどんなに住みよい世界か、正しく想像できる程度には賢い筈だと信じたい。友人を、恋人を、娘を、息子を失う恐れのない日々は、それだけで価値があるものだと感じる人々であると信じたい。そういった日々こそが、あるべき平和なのだ。いや、いっそのこと平和など求めていなくてもいい。平和になることで生まれる金を求めてのことでいい。ただ人々が、戦争の終わりを望んでくれれば、僕はそれだけで一向に構わないのだ。

 

 だが一つ問題が……いや、これは個人的なものだ。今は忘れよう。それよりも赤城のご立派な()()について、誰かの考えを聞いてみたい。

 

「武蔵、どう思う?」

 

 本当に認めたくないが、僕は彼女の意見を貴重なものとして認識していた。彼女は嘘を言わないし、僕が聞きたい言葉だけを選んで喋るような裏切りもしない。もし僕がきちんと彼女の言葉を吟味し、真摯に向き合うならば、武蔵ほど誠実な言葉の持ち主はいないと言ってもよい。人格は捻じ曲がっているし、性酷薄、ユーモアはブラック、人を小馬鹿にして陥れたりすることを楽しむ趣味の持ち主でもあるけれども、まあ誰にだって欠点はある。彼女は肩をすくめて答えた。

 

「驚きの作戦ではない。失敗の可能性も大きい。私の排撃班では滅多にお目に掛かれないほどの、不完全なプランだ。でもやるしかないし……今より決行に適した時はないだろうな」

「ご理解いただけて幸いです。ああ、艤装の処理が済んだようですね」

 

 明石が手押し車を押しながら戻って来た。無造作に乗せられた艤装を取り、装着する。何か変わったようには思えないが、一体どんな処理をしたんだろう? 不思議に思いながら武蔵の方を見ると、その答えが分かった。彼女の艤装は大和型や長門型などの大戦艦に特徴的な形をしている。体を左右から覆うように船体を模して赤と軍艦色の二色に塗装された形の装甲が伸びていて、それらに多数の砲が接続されているのだ。だが武蔵の艤装の装甲部には今やエンブレムのペイントが施されていた。それは僕にとって馴染みのあるものだった。第五艦隊の非公式な隊章だ。青葉の優れた広報手腕であちこちに喧伝されたので、僕はそれを知っている者を融和派の収容所でさえ見つけることができたほどだった。

 

 何処となく、武蔵は嬉しそうに見えた。僕はそのことに触れないでおいた。無闇につついたりしない方がいいものもある。赤城は僕らが艤装をチェックしている間に自分も艤装を着用し、明石に頷きかけた。融和派工廠のボスは、技術屋らしい崩れ切った海軍式敬礼と小さな笑顔でそれに答えた。「こちらへ」と言われて倉庫を出る。工廠にいた艦娘や深海棲艦たちの注目がまた集まったが、二度目は覚悟ができていたので問題はなかった。出撃用水路に向かうのかと思いきや、工廠を出て、大型エレベーターに乗り込む。結構な設備だ。世界のつまはじき者たちがどうやってこんなに洗練された基地を手に入れられたのかというのは、興味深い疑問だった。いずれ知ることもできるだろう、今日を生き延びて成功すれば、いずれは。

 

 上へと緩やかに進んでいく。赤城は僕の視線に答えて、この後の動きを説明してくれた。

 

「主戦派深海棲艦の動きをキャッチするのが遅れた為、海上を移動して合流することは不可能です。本当なら大規模な艦隊を率いてそうするつもりだったのですが、この状況で足の遅い艦に速度を合わせていたら、敵が日本本国に到達してしまうでしょう。ヘリを使うしかありません。懐かしいでしょう?」

 

 大規模作戦の時のことを思い出した僕の渋面を見て、赤城は口元を隠しながら笑った。説明の続きを聞く。この拠点には二機のヘリが配備されており、一機で一個艦隊を運べるようだ。あのクソ提督を助けに、二個艦隊で馳せ参じる訳か。期待していたよりも少数ではあるが、仕方あるまい。それより赤城から当然だが深海棲艦たちがこの艦隊群の大半を占めると聞かされて、考え込んでしまう。僕は彼女たちと協同して戦う訓練をついぞすることができなかったので、やや不安に思えたのだ。咄嗟に敵と見分けがつかなくって、誤射してしまうかもしれない。入隊以来、僕は彼女たちを全員敵だと考えながら生きてきたのだ。体に染みついた習性を正すのは簡単なことではない。

 

 エレベーターが止まり、ホールの扉を開けるとすぐに外界だった。振り返るとコンクリートの小屋めいた建物が丁寧に擬装されており、赤城たちが位置を知られないように細心の注意を払っていることを示していた。空を見上げる。朝焼けはとうに終わったが、午前早め特有のあの透明感のある青色が目に痛いほどだった。五、六時間もすれば昼になる。テレビを見ている人数にも期待できるだろう。視線を地上に戻し、足早に先へと進む赤城を追いかけて、ヘリポートへ向かう。そちらも擬装されていたようだったが、僕たちが到着した時には既に数人の融和派の人間たちによって外されていた。二機のヘリの前ではさっき会った陽炎と響が話をしており、その傍らには緊張した面持ちの深海棲艦たちが揃っている。深海棲艦の中には表情の読めない者もいるが、気楽な具合ではないだろう。

 

 赤城が陽炎たちの方へ行ってしまったので、僕と武蔵は立ち止まって、これから協力して戦うことになる深海棲艦たちを観察した。鬼級、姫級も一人ずついる。装甲空母鬼と戦艦棲姫だ。誤射の恐れはあったが、心強い友軍だった。僕は装甲空母鬼と戦ったことも戦艦棲姫と戦ったこともないが、その強さは知っている。訓練所や旗艦学校で映像を見せられたこともあったし、経験豊富な艦娘たちから話を聞いたこともあったからだ。装甲空母鬼は響の落ちた海で僕らを監視していた彼女だったようで、僕と目が合うと微笑んで手を振った。僕も軽く振り返した。

 

 そうそう、装甲空母鬼を見ていて面白かったところが一つある。彼女は艤装を身につけたままだったので、彼女の周りに控えているリ級エリートやヲ級エリート、タ級ネ級などに頼らねば陸上では移動できなかったのだ。これは、チ級についても同じだった。装甲空母鬼を含む鬼級・姫級深海棲艦の艤装によく付属している剛腕を使えば自力移動もできそうなものだが、何か不都合でもあるのか彼女はそれを使おうとしなかった。彼女が運ばれる様子は中々ユニークな光景だったので、生涯忘れることはないだろう。

 

 他にも驚きはあった。僕と武蔵のいた方からは戦艦棲姫の陰に隠れて見えづらかったが、レ級がいたのである。戦艦レ級だ。()()、と指示語をつけて呼んでもいいだろう。雷巡と戦艦と空母の三役を一人でこなし、鬼級や姫級並の能力を誇る深海棲艦。目撃例こそ少ないものの、ここぞという時には必ず姿を現す彼女に、人類がどれだけ辛酸を舐めさせられてきたか分からない。味方だと分かっていても、肌が粟立つようだった。横にいた武蔵は僕の様子に気付いてか、艤装の装甲部を動かして邪魔にならないようにすると、腕を僕の首に回してやや無理やりに抱き寄せた。「大丈夫だよ」と僕は言った。「分かってるさ」と彼女は答えた。

 

 赤城がこちらに手招きした。彼女は僕らが応じて近づくと深海棲艦たちに号令を掛けて、ヘリに乗り込ませ始めた。戦艦棲姫や装甲空母鬼の艤装は大きすぎるし、どうするのだろうと思っていたが、ソリ型降着脚(スキッド)に掴まらせるらしい。数時間も掴まっていられるのか? という質問はしなかった。赤城がさせるということは、できるのだろうからだ。深海棲艦の艤装は艦娘のものと比べて生体部分が多く、その分謎も多い。どうせ分からないことなのだから、深く考えない方が精神の健康の為にもなる。気にするまい。赤城は僕の逸れてしまった注意を自分に引き戻すと、動き始めたヘリのローター音に負けない声で叫んだ。

 

「あなたたちには私の指揮下に入っていただきます。よろしいですね」

「僕は了解だ。武蔵?」

「嫌だね」

「あなたについてはそれで結構。ではあのヘリに」

 

 指差された機体のキャビンには、響の他にレ級が尻尾を器用に座席へ投げ出して座っていた。機体の横では戦艦棲姫が艤装の生体腕をウォーミングアップのように動かしながら待っている。身を低くしながら僕たちもそこに乗り込み、艤装が邪魔でシートに座れない武蔵を除いて着座する。彼女は広いとは言えないキャビンの半分ほどを一人で占有しながら、満足そうに床へ直接腰を下ろし、足を機外に投げ出してスキッドの上に乗せた。彼女のすぐ傍に席を取った僕が「戦艦棲姫の腕に握られて足をへし折られるなよ」と警告すると、武蔵は首を回してこちらを見て、ぱちりとウインクを送ってきた。背中を蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、艤装が邪魔で無理だった。

 

 視線を武蔵から自分の目の前に戻す。と、レ級と視線がばっちり絡み合った。体の中で心臓が跳ね、指が動きかけたが、すぐに「いや、こいつは味方じゃないか」と脳が訂正してくれた。レ級は僕が慌てて目を白黒させるその様子がいたくお気に召したようで、ネックウォーマーのようなもので隠していた口元をさらけ出した。頭が二つに分かれてしまいそうなほどの大きな笑いと、不気味なほど白く、鋭利そうな歯がきらりと輝く。僕は日本人らしく愛想笑いをしておいたが、それで彼女の紫の瞳が細くなったことを考えると、間違った選択肢を選んだ訳ではなさそうだった。

 

 僕は彼女、レ級が身に着けているパーカーのようなものに目を向けた。僕や武蔵の艤装にペイントされたあの隊章がそこにもあった。大きなワッペンを縫い付けられているようだ。もう一台のヘリの方を見てみれば、今にも空へ舞い上がろうとするヘリの動きに興味津々のヲ級エリートや、彼女とは反対に怯えるかのように椅子や姿勢保持用の吊革を握りしめて固まっているネ級やタ級たちの姿があり、彼女たちもまた服や艤装の何処かしらに第五艦隊の隊章を付けていた。それで、赤城が何の為にこれを用意したのか分かった。僕のご機嫌取りの為じゃなくて、敵味方の区別がつくようにする為だ。

 

 遂にヘリが空中へと飛び上がる。下を見ると、戦艦棲姫が艤装の腕を伸ばしてスキッドに飛びつく瞬間だった。一瞬、機体が大きく揺れる。座席にいた響や赤城、僕やレ級はよかったが、武蔵が姿勢を崩しそうになった。艤装を掴み、落ちないように支えてやる。多分僕が手助けしてもしなくても違いはなかったろうが、何についても高をくくるのは厳禁だ。武蔵は座り直すと、僕の足をとんとんと軽く叩いた。

 

 貨物をぶら下げたヘリはある程度の高さまで上昇すると、移動を始めた。好奇心から顔を外に突き出して下を見てみると、小さな島が見えた。赤城の融和派の拠点は世界にどれだけあるのだろうと思いを巡らせる。前に連れ込まれた拠点は日本国内の山の中だったが、今度はどうやら国外の島と来た。それだけで何やら凄そうな気もするが、他の融和派グループがどんなものか僕は詳しく知らなかったので、きっと赤城のグループは融和派の中でも有力なのだろうな、とぼんやりした予測をする程度が限界だった。遠くの景色を眺めていると、ふと武蔵が僕の足を小突いた。

 

「どうしたんだ?」

「お前にずっと渡しそびれていたものがあってな。ほら、これだ」

 

 彼女は懐から細長いものを取り出して、こちらに手渡した。僕は受け取りはしたが、言い表すのも難しい気持ちになった。“三番”のナイフだ。セーフハウスを出る時に、武蔵が僕の荷物の中から抜き取ったのだろう。「たとえお前が忘れたがっていたとしても、そいつは私とお前の想い出だ。まさか、いらないなんて言わないだろう?」猛禽類を思わせる笑みを僕に向けて、武蔵は言った。これが想い出の品かどうか、そしてそうだったとしても武蔵との想い出の品かどうかについては議論するべきだと思うが、こんな風に笑っている相手に拒否を突きつけることは非常に困難である。僕は口の中でもごもごと礼とも相槌ともつかない言葉を発して、そのナイフを腰のベルトに挟んだ。まあ、持っていて損をすることもあるまい。どうせ僕には最後の出撃で失ったナイフの代わりが必要だったのだ。

 

 水平線の向こうを眺めて、時間を潰す。時間を潰すと言っても意味もなく眺めているのではなく、索敵を兼ねている。今、僕らが戦おうとしている連中だけが深海棲艦の全軍じゃない。ほうぼうで大規模攻勢に出ているからって、それに参加しない敵艦隊がいないという証拠にはならないのだ。このヘリが撃墜されるようなことはあってはならない。ただでさえ僕が乗った航空機は一度落とされている。前回と今回とで固定翼と回転翼の違いはあるが、だからって安心はできない。前に比べてスピードで負けている今の方が、奇襲には弱い。何も考えずに速度だけを重視して直線移動している時に狙い撃たれたら、一発で終わりだ。それをさせない為にも、警戒を怠るようなことはできなかった。響と協力してヘリの周囲、全方位を見張っていると、赤城が僕に話し掛けてきた。

 

「途中でヘリを降りて、海上を移動します。陣形は単縦陣で、先頭はあなたが務めて下さい。その方が、映りもいいでしょうから」

「了解……計画を聞いた時から思ってたけど、戦争と一緒に僕の人生も終わらせるつもりらしいな」

 

 個人的な問題とは、それだった。この作戦が実行された暁には、戦争が終わるにせよ続くにせよ、僕の人生はまともな人間の歩む道から外れてしまうだろう。命を失う危険も顧みずに艦娘に志願なんかしてしまった時点でまともな人間ではない、という意見もあるだろうが、それは僕の意見ではない。もし戦争が終わらなければ、僕は世界中のお尋ね者だ。赤城や他の融和派たちと一緒に、明日をも知れぬ日々を送ることになる。軍で艦娘やってた時とどう違うのか説明するのは難しいが、少なくとも太陽の下を顔を上げて歩ける立場ではなくなる。もし戦争が終われば、僕は立役者の一人だと世間に思われるだろう。人々は僕のことをこう呼ぶのだ、世界唯一の男性艦娘、そして人類と深海棲艦の架け橋が一。ああ、僕にだって名誉欲とか、自己顕示欲みたいなものはある。女の子たちにちやほやされたら鼻の下を伸ばすだろう。立派な人たちに褒められたら我知らず肩身を広くすることだろう。でも、限度ってものがあるじゃないか? 仮に僕が承認欲求の塊みたいな男だったとしても、これはやりすぎだ、と思う確信がある。

 

 融和派のリーダーは、彼女らしい態度を取った。否定しなかったのだ。それどころか「祖国の為に人生を捧げられて幸運ですね」と言った。声にこもった感情的な響きから、赤城がそんな謙虚なことを針の先ほども信じていないということは明らかだった。僕はと言えば、国や世界なんて範囲はやっぱり大きすぎて、実感も共感もできなかったから、到底そんなはっきりとしないものに自分の一度っきりの人生を捧げたいとは考えられなかった。でも、僕の人生がどうなるとしても、それで僕が守りたいと思った全ての人が平和という計り知れない恩恵をこうむることができるというのなら、仕方ないんじゃないかなという気はした。戦争が終わった後で具体的に自分がどんなことになるか、さっぱり分からなかったし考えもつかなかったのが幸いだった。正確に予測できていたら、己の身が惜しくなってこの場から逃げていたかもしれないからだ。

 

 そうならないとは絶対に思えなかった。軍での生活、深海棲艦たちとの戦い、収容所からの脱獄、追手との死闘、そういうものの中を生き延びて来たのは認めるが、それでも僕の本質は英雄なんかじゃない。また、これを認めるのはそれが心中でのみのことでも妙に苦痛なのだが、多分軍人でもない。だって僕がそのどちらかだったら、大規模作戦の時に赤城に手を貸しはしなかっただろう。軍人の仕事は敵と戦って勝つことであって、戦争を始めたり終わらせることではない。軍人であり続けたかったなら、あの時撃つべきは赤城だったのだ。まして英雄については、もう何をかいわんやである。自分がそんな器だと思う年頃はとっくに過ぎ去った。疑わずに真であると言えるのは、僕は艦娘だということ。そして二十歳にもならない子供だということだ。

 

 そう考えてみると、自分についての疑問がふと現れた。僕は本当に『守られるべき人々を守りたくて』今こうしているのか? 大規模作戦のあの時、あの海で那智教官を止めて赤城を守ったのは、まさに今こうしてここにいるのは、そんな耳に聞こえのいい理由でなのだろうか。心の中に天龍と響を探すが、どちらも現れてはくれなかった。現実の響は近くに、手を伸ばせば彼女の肌に触れることができるほどの距離にいたが、話すことはできなかった。作戦の直前なのだ。僕の心が揺らいでいる、と思われたら、それが真実だろうと虚偽だろうと、物事をよい方向に運んではくれまい。一人で考えて答えを出すか、それを放棄して「知ったことか」と吐き捨てるかのどちらかだ。僕は後者を選んだ。どうせ出した答えで何をするにしても手遅れなんだ。なら、戦後にでもゆっくり考えよう。そうだ、答えを出さなくてもいい疑問なんてものも、たまにはあるのだ。今日のこれがそれだ。

 

 響とレ級が監視を交代した。僕は小さな親友と少し話をしたくなって、赤城に代わって貰うことにした。暇だったのか、彼女は断らなかった。この申し出を拒否することで、気難しい少年がへそを曲げるのを恐れたのかもしれない。席を取り替えて、響の向かいに腰を下ろす。結果として赤城と武蔵が危険なほど近くにいる状態になってしまったが、二人の間に会話が生まれない内は安全だろう。願わくば、このまま海に降り立つまで二人が沈黙を分かち合っていますように。信じてもいない神に祈り、心の中で十字を切りながら、響の顔を観賞する。

 

 体つきは子供のようだし、首から上だってそうなのに、何処か大人びたものを感じさせる、美しい顔だ。ガラス球のような透き通った輝きを持つ大きな瞳。ぱちぱちとまぶたをしばたかせる度に、長いまつ毛が視線を惹きつける。その双眸の下、頬の自然な赤らみは、彼女の髪色や涼やかな目つきが人に感じさせる冷涼さとは対照的で、外見からそう思われるほど彼女が冷たい人間ではないことを証明し、そのことを主張しているみたいだ。できることならその頬を自分の手で包んで撫でたかったが、そうしないからこそ余計に美しく見えるのだということを僕は知っていた。手の届く内にあるものだけが、美しさの全てではないのだ。触れられぬと分かってなお触れたいと思うようなものこそが、最も尊いのだと思う。

 

 そんなことを考えながら響を見ていると、僕の失礼さに耐えられなくなったのか、響は彼女の視線を僕のものに絡めて「流石にそうじっと見つめられると、恥ずかしいな」と言った。はにかみの微笑みがまた、美しかった。僕は言葉を捜したが、見つからなかった。彼女と話をしたかったのだけれども、つまらない話題を出すのは許しがたい過ちに思えてならなかった。僕は肩をすくめ、微笑み返し、響の美しさを認め、胸の中で「僕が何をするにしても、彼女の為になるようなことをしたいものだ」と思って頷いた。

 

 暫く──数時間──ヘリのローター音だけが僕の耳にする唯一の音だった。赤城と交代しながら海上警戒を行い、奇襲を受けることなく僕らは海上に立った。ヘリがまた空に上がり、拠点の方角へ戻っていくのを見て、一抹の心細さと共に、もう後戻りはできないな、と呟く。武蔵や赤城、レ級たちに聞かれないように呟いたつもりだったのだが、親友の耳はその他大勢の耳よりも遥かに(さと)いものである。僕の後ろにいた響は横に来ると、こちらをまっすぐ見て言った。

 

Не знаю, что мы победим(この賭けに勝てるかどうか) ли в этой игре(分からない). Возможно, после битвы(もしかしたら、戦闘の後では), я не смогу тебе сказать(伝えられないかもしれない)... так что(だから), хочу, чтоб ты одну вещь помнил(君には一つ覚えておいて欲しいんだ).」

Слушаю(聞いてるよ).」

Что бы ни случилось(何があろうと) - я с тобой(私が付いているよ)……生きていようと、死んでいようとね。さ、ほら、手を出して。握手しよう」

 

 差し出された、白く温かで柔らかくて可愛らしいが歴戦の右手を、僕はしっかりと握った。その手の温度を通じて、僕は彼女から勇気を貰った気がした。響はにこりと笑うと、一歩下がって元の位置に戻った。彼女との短いやり取りが終わると、もう僕の中から不安は消えていた。ありがたい手助けだった。戦争とは数と力と勇気で勝つものだ──とりわけ重要なのは数だが、だからって勇気をおろそかにしていい訳じゃない。百人でも千人でも臆病者がまともに戦うことはない。

 

 事前の指示通り、単縦陣の先頭に立って進む。後ろに響、赤城、レ級、戦艦棲姫、武蔵と続いている。武蔵が最後尾なのは珍しく彼女と赤城の意見が一致した結果だった。赤城は僕という存在のインパクトを武蔵の姿に減じられたくなかった。疑り深い褐色の大戦艦は、自分の背中を深海棲艦や融和派なんかに見せたくなかった。いつもこれぐらい、すんなりと二人が上手く折り合いをつけて生きていければいいのにと思う。

 

 警戒は赤城と、百メートルほど右方で僕らと同じく単縦陣を作って併走している装甲空母鬼たちの艦載機に任せて、ひたすら進み続ける。低速の者に速度を合わせなければならず、全速を出せないのがもどかしかったが、一人二人で駆けつけたところで仕方ない。中世の戦いならまだしも、現代戦はチームプレイの極みだ。複数の敵を相手に個人の力で張り合おうとするなんて、考えるだけでも馬鹿らしい。はやる心を適度に抑え、変わり映えしない海を行く。潮風が当たり、一年ぶりに海を走っていることを僕に思い起こさせる。また戻ってきたんだな、と僕は一人ごちた。水を切って進む音が遮ってくれたのか、今度は響にも聞かれずに済んだ。海に、あらゆる艦娘にとって特別なこの場所に帰ってこれるとは、思ってもいなかった。

 

 移動しながら、砲を動かし、魚雷をチェックし、水観妖精たちの様子を見る。僕の艤装にいる妖精たちとの付き合いも長い。中には第五艦隊発足以来の新参もいるが、訓練生時代からの者も少なくないのだ。そいつらとは、深海棲艦との全ての戦いを一緒に戦ってきた。そして今日、深海棲艦との戦争を終わらせる為の戦いにもこうして共に参加している。感慨深いことだ。胸が熱くなる。だが、武蔵は感傷だと言って嘲笑うかもしれない。僕は首を回して、後ろを見た。武蔵はのんきに、懐から取り出したポータブルテレビを見ながら移動していた。その不真面目さに呆れながら、同時にその豪胆さに頼もしささえ覚えてしまう。波の音に負けないようにしようとしたのか、彼女が音量を上げると、砲声を挟みながら耳に懐かしい声が響いてきた。

 

「えっ、放映されてる、って、あのあのっ、これ、生放送するなんて聞いてな──ああもう、分かりましたから! 青葉、戦闘と取材の両立は久々ですけど、行きます!」

 

 どうやら、青葉は何も知らないままに協力させられてしまっているらしい。生放送になるとは聞いていなかった様子からも分かる。電は上手くやったらしいな。テレビの音は赤城が下げさせてしまったので聞こえなくなってしまったが、代わりに遠くで砲声が轟き始めた。赤城の反応を見るに、僕らは到着間近のようだ。彼女からの指示を受けて、装甲空母鬼の艦隊が、僕の後に続くようにこっちの隊列へ合流する。互いにぶつかったり艤装の操作の邪魔にならない距離を掴んで保とうとしていると、武蔵が無線連絡を寄越した。

 

「どうした?」

「無線の周波数を私が今から言う通りに合わせてみろ」

 

 いきなりだったが、僕は従った。どうせ、僕の艤装には改造が施されており、二つの異なる周波数による無線通信を一度に行うことができるようになっている。つまり、無線Aで艦隊員からの報告を聞きながら、無線Bで鎮守府や基地に連絡したりできる訳だ。一々周波数切り替えをする手間を省ける、よい改造だったと思う。予備回線を武蔵の言った周波数、緊急支援要請用のものに合わせる。すると音声が聞こえてきた。青葉の戦闘を実況する声だ。本人も戦っているからか、時々発砲音が声をかき消してしまうけれど、それでも青葉の声だった。彼女は実況しながら、近隣の艦隊へ救援を呼びかけていた。戦闘、取材、支援要請か。彼女のマルチタスク能力については、誰にもけちのつけようがなさそうだ。

 

「こちら第二特殊戦技研究所付広報員の青葉です! 現在私たちの連合艦隊は多数の有力な敵と交戦中、この呼びかけを聞いていて、今からお伝えする座標に向かうことが可能な艦隊は、ただちに援軍をお願いします!」

 

 割り込んで「今から行くぞ、踏ん張れよ」と伝えたくなったが、赤城に止められるまでもなく僕はそうしなかった。青葉に後で罵られたっていい。第五艦隊の仲間たちから軽蔑されても耐えよう。今は、伝えるには早すぎる。この放送が日本全国に流れているとしたら、国民は固唾を呑んで見守っている筈だ。まだ映画だと勘違いしている者もいるかもしれないが、じきに気付くだろう。彼ら彼女らは艦娘による連合艦隊が余裕のない声で援軍要請を出しているのを見る。聞く。負け戦を目にする。そこに助けが現れる。分かりやすい構図だ。影響されやすい人々には深海棲艦たちが救い主みたいに見えるだろう。できるだけ沢山の人が、そうなってくれることを願うばかりだ。まずは「深海棲艦は相互理解することのできない敵である」という固定観念を破壊しなくてはならない。全てはそこから始まるのだ。

 

 戦闘の音が大きくなり始めた。大きく広がった白煙が見える。それは艦娘の機関から吐き出された類のものには見えなかった。同行しているフリゲート艦とやらが、煙幕を張ったのだろう。敵は何処だ? 探すが、まだ遠すぎるのか、見つけられない。煙の向こう側という可能性もある。青葉の救援要請が流れてくる回線を、以前第五艦隊が使っていた周波数に切り替える。まだ彼女たちが同じ周波数を使っていてくれたらいいが──「こちら那智、何処の馬鹿者だ味方の真っ只中で煙幕を張ったのは! 第五艦隊、すぐに後退しろ! 敵が突っ込んで来るぞ!」「って言ったって、これじゃどっちに行けばいいのか分かんないってば!」「何なのじゃあの深海棲艦は、見たこともないぞ、新種か? 攻撃が当たらん!」「姉さん、三時から雷撃です!」「ちっくしょう、煙のせいであたしの艦載機が着艦できねえ!」「……不知火を怒らせたわね!」──繋がった! 僕の艦隊員たちはみんな、無事のようだ。しかし新種の深海棲艦というのは聞き捨てならない話だった。と、突然無線機から知らない声が聞こえてきた。

 

「接近中の艦隊に告ぐ。艦隊構成並びに所属を明らかにせよ。また、我々は諸君らの隊列の中に、深海棲艦の反応を捉えている。説明を求める」

 

 フリゲートからの呼びかけだな、と僕は推察した。クソっ、見つかったか。艦載レーダーのせいだろう。赤城は舌打ちをして、範囲内に艦隊を入れてしまった自身の失敗を罵った。遠くにいる人間サイズの物体を捉えられる辺り、性能はかなりいいらしい。または艤装の反応なんかを読み取っているのかもしれない。どうやってかは知らないが、頭のいい連中が何か手立てを考え出しでもしたんだろう。艦娘たちが通常用いる周波数とは違う帯域を使っている僕らに呼びかけられたのは……全帯域への呼びかけか? 力技だな。青葉の回線に繋ぎ直すと、案の定混乱に陥っていた。深海棲艦の新手だと思ったらしく、絶望的な声を上げている。彼女を励ましてやらねばなるまい。僕は赤城を見た。彼女は頷いた。予定よりも格好のつかない形になってしまったが、今がその時であるようだ。僕も全帯域への呼びかけを開始する。

 

「こちら第五艦隊()旗艦。救援要請を受け、急行中。やあみんな、元気だったかい?」

 

 一瞬の沈黙。それから、沢山の声が無線機から流れ出した。

 

「ちょ、おい、この声!」

「黙るのじゃ隼鷹、聞こえん!」

 

 それは第一艦隊の伊勢であったり、第二艦隊の加賀であったり、第五艦隊の艦隊員たちだったり、青葉だったりしたが、那智教官を除く誰もが一様に困惑を声ににじませていた。それらの声の奔流の合間を縫って、最初に呼びかけてきた奴がまた取りつくしまもない答えを返してきた。

 

「こちらの要請に応じよ。艦隊構成、深海棲艦の反応について説明を求める」

「そいつらは僕の僚艦だ。撃つなよ。編成は僕を筆頭に赤城、響、武蔵、戦艦棲姫、レ級、装甲空母鬼、リ級エリート、ヲ級エリート、タ級、ネ級、チ級の十二人。全員、識別用に第五艦隊の隊章を身につけている」

 

 相手は声を失った。責められない。返事を待っていると、話し相手が変わった。提督だった。吹雪秘書艦が死ぬほど心配しそうなことに、フリゲートの一隻に乗っているらしい。言いたいことをぐっとこらえて、指示を乞う。僕は公的には戦闘中行方不明(MIA)だ。戦死でもなければ、逮捕収監されたのでもなく、行方不明なのだ。だから、僕の所属はまだ今のところ変わっていない、と思う。MIAになった人間の軍籍が抹消されるのは、一年よりは長い時間が経った後の筈だ。正直、よく覚えていない。提督は言った。

 

「積もる話は後で聞こう。現況を説明する。敵方は本隊の攻撃に先立って、PT小鬼群……最近確認されていた新種だが、それによる浸透攻撃を仕掛けてきた。小さすぎて我々のレーダーに引っ掛からなかったらしくてな、気付いた時にはすぐ近くだった。それでもまだ対処法はあったんだが、こっちのフリゲートの一隻が煙幕を展開した。敵本隊から混乱状態にある自軍を撃たれないようにしたかったそうだ。だが何を間違ったか、自軍の中央でそれをやった」

「旗色はよくなさそうですね」

「分かっているなら早く来い。……もう少しで敵の本隊が私たちのいる煙の中に突入してくる。そうなればフリゲートは邪魔なだけだ。二隻ともここから急いで離脱させる。煙はその内に晴れるだろう。健闘を祈る」

 

 それだけ言って、提督は一方的に回線を切断した。赤城がぼそりと漏らした。

 

「これが終わったら、私とあなたで一緒にあの提督を暗殺しに行きませんか?」

 

 僕は賛成した。

 

 その後、僕たちはもうもうたる煙の中に突っ込んだのだが、それと敵の本隊が煙幕に突入したのと、フリゲート艦が僕たちの僅かに十数メートルほど横を通って逃げていったのと、この三つがどの順番で起きたか、僕は一生知ることがないだろう。この戦闘を生き抜いて青葉に話を聞けたなら、分かるかもしれない。彼女は提督が乗っている艦に回収されて、今は一キロほど離れたフリゲートの甲板に立ち、超望遠のカメラを向けているようだからだ。きっと僕よりはこの時の状況を俯瞰して見ることができたに違いない。ともあれ、僕たちは煙の中へと入っていった。

 

 そして、これまでにないものを見た。

 

 艦娘と深海棲艦の戦闘は、前時代的だとよく言われる。武器にしたってそうだ。砲、魚雷、航空機。これでは第二次大戦的だと言われても反論できない。現代的なミサイル攻撃(僕は提督にこれを打診した。彼女の答えは「配備されていない」だった。なるほど)が実用されるようになったのもここ一年での話なのだ。前時代的、大いにその通りであると思う。ただ、遡っても二十世紀の半ばより少し前までだ。つまり我が国としては一九四一年から四五年までである。ところが、煙の中で行われていたのは、二十世紀と呼ぶよりはむしろ十四世紀から十五世紀辺りの、中世的な戦いだった。それに巻き込まれた僕らは、あっという間に統制を失った。赤城とはぐれ、響とはぐれ、武蔵とはぐれ……幸い、隊列が崩壊したのは僕らだけではなく、敵の方もだったようだ。

 

 深い霧のようなベールの向こうで、うっすらと那智教官が見えた。彼女に食いつこうと小鬼の一匹が飛び掛かる。教官はそれをひょいとかわしざま、脳天にナイフを突き立てる。その隣では僕がいなくなってから着任したのだろう、会ったことのない高雄が、リ級の殴打を受け流して懐にもぐり込み、海面に投げ飛ばした。そうして撃った弾を避けられる心配がなくなったところで、体勢を立て直して水上に戻ろうとするリ級に二発の砲弾を撃ち込む。どうやら艦娘と深海棲艦が煙の中で入り混じった結果、どちらも迂闊には発砲できなくなってしまったようだ。そう理解して、僕は右手でナイフを抜いた。途端、目の前にタ級が現れた。突然の接敵には驚いたが、何も不意を打たれたのは僕だけではなく、加えて立ち直ったのはこっちが先だった。距離を詰める半秒の間に艤装を見る──ペイントはない──喉にナイフを押し当て、左手で彼女の髪を掴み、押しつけるようにして首をかき切る。接近戦は大物殺しのいい機会だが、視界不良の状況下ではこっちが殺される可能性も大きい。神風でも吹いてくれ、と僕は願った。

 

 横を、体がめちゃくちゃに捻じ曲がった小鬼が二匹まとめて飛んでいき、水中に沈んでいく。後ろからだ。誰だと思って振り返ると、腰の砲塔をパージした武蔵がそれを棍棒代わりに振り回して、巨体と褐色肌のせいで目立つ彼女へと殺到する小鬼群を蹴散らしていた。上空ではひっきりなしにプロペラ音が行ったり来たりしている。赤城や隼鷹が艦載機を利用して煙を少しでも散らそうとしているのだ。その隙を突いて襲ってくる敵艦載機に対しては装甲空母鬼とヲ級エリートが対抗しているようで、時々撃破された深海棲艦の航空機が近くに落ちて、危ないことこの上なかった。

 

 ローター音が聞こえた。ヘリだ。それが提督たちのいるフリゲート艦の方向から聞こえてきたので、彼女が煙を晴らす為に手を打ったのだと分かった。ヘリのローターの生み出す風圧は、艦娘たちの艦載機のプロペラが生み出すそれよりも遥かに大きい。これなら、一定の効果を見込むことができるだろう。白煙から飛び出してきたネ級の蹴りを、咄嗟に前進して体当たりすることで防ぐ。バランスを崩した彼女の胸に刃を二度刺して、思い切り突き飛ばす。そうしたお陰で、彼女が死に際に僕を道連れにしようとして行った発砲を回避することができた。いいぞ、この調子だ。僕の中の天龍も響も褒めてはくれないので、自分で自分を褒める。

 

 また後ろで音がした。でもこれは武蔵が棍棒で小鬼を殴る音じゃない。海上を走って誰かが近づいてくる音だ。ベストなタイミングで迎撃しようと振り返ると、こちらに猛然と近づいてくる紫色の髪が視界に入った。慌てて構えたナイフを下ろして、抱きついてきた友人を受け止める。立ったままでは勢いを殺しきれず、僕はその場でぐるりと一回転した。「隼鷹!」「この野郎、よく……!」そこから先はお互い言葉にならなかったが、再会を喜んでいることは分かりきっていた。僕らはほんの二秒だけ、今の状況も忘れて抱きしめ合った。身を離した彼女の目は潤んでいたが、笑顔は僕が最後に見た彼女のそれと全く変わっていなかった。隼鷹は言った。「なあ、一体何があったのさ?」「長い話になるんだ、だから……」僕の目が、右腕の大盾を振りかぶった体勢で隼鷹の背後から迫るチ級を捉えた。盾にペイントはない。そして隼鷹の目も、僕の後ろに向けられていた。僕らは呼吸を合わせて動き出した。

 

 互いの左手を握り合い、回転するように位置を入れ替える。チ級の盾の先が、急なこちらの動きに動揺したように揺らいだ。位置取りを終えて、隼鷹の手を離す。シールドバッシュを繰り出される前に、姿勢を落とした。水を蹴って強引に左前方へ進む。そうして放たれた盾による打撃を避けながら、伸びきったチ級の右腕を左手で掴む。深海棲艦は艤装がごてごてとしていることもあって大抵は重いが、十分に加速が乗っており、てこの原理を正しく用いたなら、持ち上げることは然程の力学的困難ではない。彼女の右腕の関節を壊しながら、強引に投げ飛ばす。水面に叩きつけられて動きが固まったところを逃さず、首と胸を刺す。隼鷹の方はと見れば、火の玉になったリ級が自ら海の中へ身を投げるところだった。隼鷹が操ることのできるあの炎で、燃料に引火でもさせられたようだ。

 

 動きが悪いな、と敵深海棲艦たちを分析する。お世辞じゃないが、かつては僕と深海棲艦が万全の状態で格闘戦を行ったら、たとえ僕が勝っても無傷でとは行かないことの方が多かった。よくて一発殴られたり、腕を折られたり、斬りつけられたり刺されたりしていた。そんな僕が、今日は随分といいスコアを出している。いきなり僕が強くなったのでもない限り、これには理由があると見ていい。発想力の貧困な僕だが、仮説はあった。長距離移動で疲弊しているのかもしれない。なら、質の点で勝ることは不可能ではない。楽観的なものの見方にも思えるが、ひどい状況では多少楽観を持っていなければ精神的にやっていられなくなってしまうものだ。これぐらい、許されるべきだろう。肩で息をしている親友に近づいて、訊ねかける。

 

「隼鷹、敵は何隻ほどいるのか知ってるか?」

「フリゲートから、約六十から七十って聞いてるぜ。あの小鬼ども抜きでね」

「何だそれ」

 

 敵の大規模攻勢に直面した経験のない僕には、想像もつかない数だった。生き残ることだけを考えたら、これはいっそ煙幕が晴れない方がいいのかもしれない。小鬼たちのことを考えから抜いて、少ない方で戦力比を組んでも、二特技研の四個艦隊(第一艦隊・第二艦隊・僕が捕まった後に新規配属の艦娘で再編成されたという第四艦隊・第五艦隊)二十四人に僕らの十二人で、三十六対六十だ。さっきまでの確認戦果をそこから引いて、三十六対五十六にしてもいい。不利だ。撤退して態勢を整えてから出直そうと具申したくなるほど不利だ。二十人の差は大きすぎる。一体どうしたらいい? 隼鷹と組んで索敵をしながら考えていると、提督の寄越したヘリからだろう、強い風が目に向かって吹きつけてきたので、僕は隙を突かれないよう祈りながらまぶたを下ろして風が収まるのを待った。ヘリが行ってしまい、風がやむのを待って目を開ける。そうすると、視界が開けていた。

 

 隼鷹と二人で驚く暇もなく、リ級が右から殴りかかってくる。反撃するには気付くのが遅すぎた。受け流して距離を取り、ついでに周囲の様子を見る時間も稼ぐ。ありていに言って、奇妙な光景だった。艦娘と深海棲艦が、全く入り乱れた状態で互いを殴り合っているのだ。もちろん少なくとも第五艦隊の面々はナイフを持っているし、武蔵のような大型艦は自分の砲を艤装から外して棍棒として使っているだろうが、そうではない連中は流れ弾での友軍誤射を避ける為に、また単純に射撃の余裕がない為に、徒手空拳で敵と戦っている。

 

 煙が晴れたことで、敵味方が統率を取り戻し始めたのが分かった。上空での航空戦の激化は、発砲音の数の増大という形で現れている。今僕と対面しているリ級も、ちらちらと自分の指揮官がいるのだろう方向を気にしていた。そうか、そっちに頭がある訳だな? 僕はこのリ級を始末したら、赤城たちに無線連絡を取ろうと考えた。数で敵に劣る場合の最もシンプルな解決方法は、頭、つまり指揮官を潰し続けることだ。だから近現代の軍隊では、一つ頭が潰された程度で部隊が揺るがないよう、序列を作って部隊の構成員が順番に指揮官役を務められるようにしている。でも、それにも限界はある。潰し続ければ敵は混乱する。そして足並みを乱した集団は、規律を保った集団の敵ではない。

 

「隼鷹、後ろを頼んだ」

「ふふん、任せときなって」

 

 背中合わせになって、互いの死角を塞ぐ。ぴたりとくっついた背中に、薄情にも忘れかけていた親友の温かみを感じて、僕は懐かしさを覚えた。だが今はノスタルジーに浸る時ではない。その魅惑的な熱を振り切って、目前のリ級へと襲い掛かる。彼女は僕の攻撃に反応して右腕の艤装を盾にしようとして、何かに驚いたようにびくりとした。いや、実際に驚いたのだろう。彼女は攻撃が僕の手によって前から来ると考えており、第三者によって後ろから来るとは思っていなかったのだ。背中から胸へと、刃が何度も抜かれては刺し込まれる。リ級はその場にくずおれるよりも先に死んでいたろう。倒れる彼女の背中から、ナイフを持った不知火先輩が水面に飛び降りた。右目の上を切られたのか、細い傷口から血が流れて顔を赤く染めている上、左腕が無残に噛み千切られている。腕の方は希釈修復材での止血が済んでいたが、頭の傷はそのままにされていた。

 

「先輩!」

 

 僕は近寄って、袖を彼女の額の傷口に当て、血を吸わせた。大した意味はないが、せずにはいられなかったのだ。でも彼女は僕の腕を退けると「後で、たっぷりお話できるでしょうね?」と心底冷え冷えとする声で言っただけだった。僕は思わず背筋を伸ばして頷いた。不知火先輩が「よろしい」と言ってくれたので、体の硬直が解ける。名残惜しいが、ここに留まってはいられない。隼鷹と不知火先輩を連れて頭を潰しに出かけるのもいいが、危険が大きすぎる。連れて行くなら、後腐れのない連中にしたい。それに二人じゃ数も足りない。よし、やることを整理しよう。赤城に連絡して敵の指揮官を探す。第五艦隊を集結させ、統制を持って敵と戦えるようにする。優先はこの二つだ。

 

「先輩、隼鷹を頼みます。僕は他の艦隊員を集めます」

「いいでしょう。では、また後で」

「また後で!」

 

 一時の別れを告げて、敵味方が交じり合う中を駆け抜ける。第五艦隊のペイントが施されたパーカーの裾を翻しながら、融和派のレ級が敵のレ級と壮絶な一騎打ちをしているのが見えた。敵もまさか、人類側が同じレ級をぶつけてくるとは思わなかっただろう。その向こうでは妙高さんがチ級の盾を奪い取って得物代わりに振り回していた。しかも、単独で戦うだけではない。彼女の指揮の下で、押し寄せる小鬼群や数隻の人型深海棲艦を相手にしているのは、足柄・川内・羽黒だ。妙高さんの短いが的確な指示の下で隊伍を成して戦い、獅子奮迅の活躍を見せている。彼女らの横ではこちらのリ級エリートやタ級が戦っており、ナイフを持っていなかった艦娘たちは防御を、融和派深海棲艦たちが攻撃を担当して見事なチームワークを成し遂げていた。

 

 赤城に無線を繋ぎ、敵の指揮官のいるであろう方角を伝える。その最中に、僕は伊勢と日向、北上と利根を見つけた。僕は彼女たちに対する長い無沙汰の詫びを視線を交わすだけで終わらせて、彼女たちに隼鷹らの位置を教えた。伊勢と日向は第一艦隊だが、現在第一艦隊の所在が分からない以上、次善の行動を選ぶしかなかった。伊勢たちを送り出すと、やっと赤城が返事を寄越した。近くにいるからそっちが来い、という内容だった。むかつかないではないが、赤城が旗艦だというのは合意した通りだ。命令には従わなくてはならない。方角を聞いてそちらへ進んでいると、加賀と摩耶に出くわした。摩耶は既に大破状態にあり、止血はされているものの脇腹を抉り取られたように失っている。立っていられるのが不思議なほどだった。加賀は彼女を庇って一人で奮戦しており、今もネ級とリ級を相手に弓を振り回して戦っている。そんな中で、加賀は僕を見た。その目がどんな感情を映していようと、手助けしないという選択はあり得なかった。

 

 武蔵に倣って僕も腕の砲塔を一つパージし、砲身を握って左手に持つ。重心のバランスは最悪だが、どうせ細かい動きなんか必要ない。敵の攻撃を防ぎ、殴りつけられればそれで足りるのだ。摩耶を守るように加賀の隣へ並び立ち、前にいるネ級をにらみつける。彼女には僕が興奮しているように見えただろうが、頭は冷静だ。ネ級と戦う時には、腹部に繋がっている尻尾のような形の艤装に注意しなければいけない。あれによる全力の一薙ぎをまともに食らえば、僕の体なんか簡単に弾き飛ばされてしまう。近づいて砲ごと無力化するのが一番いいのだが、あっちだってそのことは分かっている。気軽に距離を詰めさせてはくれないだろう。

 

 なら、僕お得意の姑息な手だ。ナイフを構える為に体を動かして、その間にこっそりと艤装の砲で海面を狙う。加賀と見知らぬ摩耶を助ける為とはいえ、僕も急ぐ身だ。こちらから仕掛けよう。突撃を掛けると見せかけて、それに反応したネ級の足元を撃つ。水柱の壁が作られる。僕はそこに左手の砲塔を投げる。ネ級は水柱の壁ごと、それを横薙ぎにする。手応えを感じたろう。壁の向こうに健在の僕を見た彼女はどう思っただろうか? 思い切りよく振り切った以上、刃を返すにも一手間余分に奪われる。慣性を殺す為の一秒で、僕はそのネ級の首筋に刃を立てることができた。

 

 加賀の手助けをしようと彼女の方を見る。でも、摩耶が限界を迎えて倒れそうになったので、僕はそっちを優先した。肩を貸して、立たせたままにする。しかし意識レベルは低く、気絶寸前だ。敵もそれが分かっているから、ぼうっと立っていても襲われないのだろう。言い方は悪いが、手間の掛かる負傷者は敵にとって友軍にも等しいものだ。その負傷者の友人たちは彼女もしくは彼を助けに行き、格好の標的となるからだ。加賀もまた、そうなったのだと思う。しかし敵には運の悪いことに、その加賀はただの加賀ではなく、二特技研が誇る第二艦隊の加賀だったのだ。そうでなければ、とっくに加賀も摩耶も沈んでいた筈だ。

 

 加賀に代わる新たな的として僕を見つけた小鬼たちが近寄ってくる。僕はナイフを鞘に戻し、肩の砲塔を一つ外して右手に掴んだ。小鬼はナイフで一匹一匹始末するより、こういった鈍器でまとめて殴った方が早いと思ったのだ。戦艦である武蔵ほどの膂力(りょりょく)はないが、その分は遠心力が補ってくれる。小鬼たちも雷撃を外して味方を巻き込むことを恐れているのか、足や腕に食らいつこうとしてくるばかりで、これなら集中が途切れない限り守ることも難しくない。噛みつこうとして飛び上がったところを砲塔で殴り、追い払い続ける。僕が戦艦ならな、と思わないではいられなかった。重巡の力では、殴り殺すことまではできないようだ。

 

 が、そんな小鬼たちも弓で射られてはひとたまりもなかった。僕が目をぱちぱちしている間に、数本の矢が吸い込まれるように小鬼たちの胴や頭を貫き、連中を海の底へと送ってくれた。加賀のように弓を操る艦娘など他に見たことがないが、それでも言わせて貰えるならば、彼女は海軍一の弓取りだ。リ級の血と何かよく分からないもののまとわりついた鉄弓を下ろすと、加賀は僕から摩耶を受け取った。彼女には妙高さんたちの位置を教えておく。数が多ければ摩耶を守る上で負担が減るだろう。打算的な考えを述べるとすれば、タ級たちが摩耶を守るシーンを青葉が撮ってくれればいいと思う。

 

 赤城からまだ到着しないのか、とお叱りの言葉が飛んできた。加賀と摩耶を援護していた旨を伝えて、すぐに行くと答えておく。赤城は僕が油を売っているとでも思っているのか? 彼女の上から目線というか傲慢な物言いは、長年彼女が最高指導者を務めるグループの中にいて、その外に出なかったことから来るものだろう。後は本人の性格の影響もあるかもしれない。ふと思う、どっちが先だろうか? 環境のせいで捻くれたのか、捻くれていたから融和派なんかになったのか。聞いてみようとは思わない。赤城は後ろ暗いことをするのに躊躇いもない類の人間であることは、大方想像がつく。後々復讐もしくは粛清などの対象にされたくはない。

 

 興味深いことに、赤城のところには武蔵と響だけでなく、さっき妙高さんたちと共闘していた二人を除く装甲空母鬼の艦隊と長門、那智教官の二人が揃っていた。装甲空母鬼は指揮下の艦隊員をリ級エリートとタ級以外、はぐれさせずに煙の中へと連れ込んだらしい。その後、他の艦娘たちを拾って艦隊に加えながら敵の中を移動してきたようだ。そのことを示すように、装甲空母鬼を筆頭とした融和派深海棲艦たちは艤装や体に大小の傷を負っていた。それでも、僕は彼女たちの瞳に、傷の多さや大きさと比例するぐらいの激しい戦意が宿っているのを見て取れた。

 

 こちらに倍するほどの敵が、僕たちを囲むように動き出す。この野暮な深海棲艦たちは、那智教官や長門と話をする時間を与えてはくれないみたいだった。赤城にここからどうするか聞く。僕らの現在地から敵指揮官がいる方角へ向かうとなると、敵軍の群れを突っ切っていく形になる。迂回しようとすると砲撃の的になるからだ。早くしないと、敵が包囲網を完成させてしまう。そうなれば無駄な労力を使わなくてはならなくなる。それは嫌だから、僕は焦って彼女を急かした。「どうするんだ、赤城?」すると彼女は呟くように言った。

 

「来ます」

 

 何が、とは言うまでもなかった。僕らを囲もうとしていた深海棲艦たちが、一斉にある方向を向いたからだ。僕も釣られてそちらを見ると、タ級が空を飛ぶのが見えた。彼女は重力に逆らって暫く空中にいたが、やがては水面へ激突し、大きな水柱を立てた。続いて空に上がったあのシルエットは、軽空母のヌ級だ。小鬼たちも放り投げられている。あんなことができるのは、僕らの仲間には戦艦棲姫しかいない。呆気に取られていると、赤城が叫んだ。「今です!」反射的に機関をフル回転させ、全速前進を始める。空を飛ぶ友軍に目を奪われていた深海棲艦たちの脇を抜けるのは、赤子の手を捻るよりも簡単だった。それでも追いすがろうとする反応が早い数隻の敵を足止めする為に、追従していた装甲空母鬼の艦隊が速度を落として隊列を離れ、抑えに掛かる。

 

 彼女たちを後に残していくのは心苦しかったが、追いつかれて足を引っ張られ、その間に包囲されて削り殺されるよりは、この方がいい。しかし、見捨てたままにしておきはしない。僕は分散している第五艦隊と第一艦隊、第二艦隊に呼びかけて、敵の指揮系統を潰そうとしていることや、その為に危険な足止めを買って出た装甲空母鬼たちがいることを伝え、可能なら彼女たちを助けてくれと頼んだ。戦闘の狂騒の中で返事をする余裕がなかったのか、応答はなかったが、僕は言葉が届いたものと信じた。戦艦棲姫と、彼女の従者のようにその後をついてやってきたレ級(激闘を制した後だろうに、元気そのものだった)と合流すると、進撃はかなり楽になった。戦艦棲姫の前に立ち塞がろうとする敵は、誰も彼も艤装から生えた生体腕の一撃を受けて跳ね飛ばされ、そうでなければレ級や武蔵、長門、那智教官からの攻撃を受けて沈むので、僕は攻撃に関しては一切働かずに済んだほどだった。

 

 代わりに、僕は水上機を飛ばした。赤城とレ級の艦載機は制空権争いで忙しく、教官の水上機は戦闘の初期に壊滅的な被害を受けていたからだ。その一方で僕の水観たちはまだ生き残っていた。上空から鬼級・姫級深海棲艦を探すよう命じて、二機をカタパルトで送り出す。これだけ多くの深海棲艦が集まっているということは、必ず鬼級か姫級がいると考えていい。それも一隻や二隻じゃなく、四、五隻はいるかもしれない。果たして、僕のその予想は当たった。また、僕らが頭狙いでいるということを、敵の方も悟ったらしい。水観妖精からの報告で、種別不明の鬼級深海棲艦が一隻、少数の護衛と共に乱戦区域から脱出しようとしていると伝えられた。それによって最悪の場合でも、乱戦の外から指揮を取ることができるという訳だ。そうはさせない。フリゲートからの砲撃は、敵と艦の間に乱戦域を挟むように敵が移動していた為、不可能だった。それなら爆撃で足止めを、と無線通信をしようとしたところで、交信していた機との連絡がぶつりと切れる。その僚機に繋ぐが、そちらもその直後に、奇妙なほど大きい爆発音を残して交信不能になった。

 

 つまり、大空戦の最中に、目立たないように飛行していた水上機を狙って落とすような奴がいる訳だ。しかも、二機目のあの爆発音は漏れた燃料に引火して爆発したとするには大きすぎた。となると、対空射撃か。一機目は静かにやられたので、通常の航空機に撃墜されたと考えられる。これらを総合すると、一機目が敵の航空機にやられたすぐ後に、二機目が対空射撃の直撃を受けて撃破された、となる。別々の敵によって引き起こされた? いや、それでは運が悪すぎて不自然だ。じゃあ、一隻の深海棲艦が両方をやったなら? 強力な砲撃、精強な艦載機、それらを操る手腕。僕は答えにたどり着きそうだったが、それよりも早く、その答えの方が自ら姿を現した。

 

「散開、散開だ!」

 

 長門の声に従い、すぐさま舵を切る。真横を砲弾が飛んでいき、行われる筈のない砲撃に反応できなかった敵深海棲艦の一人に直撃した。味方を巻き込むことを厭わない冷酷さに、僕は不快感を覚えた。けれどその場で最も強い敵愾心を抱いていたのは、間違いなく長門と那智教官であったと僕は断言する。何故なら、僕らに向けて砲撃したのは、教官のような顔の火傷痕と、いびつに修復された両足を持った空母棲鬼だったからだ。教官は長門から話を聞いていたのか、この特徴が何を意味するか理解していたらしかった。長門は彼女の横にいた教官と目配せし合うと、言った。

 

「こいつは私と那智で始末する。他の連中の足止めもしておこう。お前たちは次に行け。できるだけ急いで敵の頭を潰せ。時間を掛ければ、こちらが持たん」

 

 声の響きで、これは止められないと理解する。覚悟を決めた声だ。長門は、道連れにしてでも空母棲鬼を殺すだろう。そうせずにはいられないのだろう。那智教官は、そんな風に思いつめた親友を置いていける人ではない。それに彼女にも、空母棲鬼に対して個人的な借りがある。右腕と、顔の半分の火傷の借りだ。それを返す絶好の機会が訪れた今、教官を引き止められるものなど存在しなかった。敵が二人を取り囲み、空母棲鬼が恨み骨髄という目で彼女たちをにらみ、こちらには針の先ほどの気も向けない中、僕らは更に前進する。だが僕はこらえようもなくなって、首だけ回して後ろを向くと、無線も通さずに大声で叫んだ。「あいつをやっつけて下さい、教官!」聞こえる筈もないと思った。距離は離れ、ばらばらになってしまった自分の艦隊に合流しようとしている艦娘たちと、ろくに命令も受けずに目に入った敵を襲うばかりの深海棲艦たちが戦う音で、声なんか消されてしまうに決まっているからだ。だけれども、僕は見た。教官は僕に向かって示すように、右手の拳を高く上げたのだ。その後の二人の姿は、敵に隠されて見えなかった。

 

 引き続き戦艦棲姫を先頭に、敵中を進撃する。僕は更に二機の水観を飛ばして、鬼級・姫級を探させた。熟練した搭乗員の目から逃れられる者は少ない。成果はすぐに上がったが、予想を超える大物だった。戦艦水鬼、よりによって姫級を超える実力を持つと言われる水鬼だ。僕の人生で水鬼を見るのはこれで二回目だが、自信を持って言える。生きて二回も水鬼を見るということは、中々あることではない。この情報と水鬼の座標──彼女は僕らの左方向に行ったところで指揮を執っているようだった──を赤城に知らせると、彼女は戦艦棲姫とレ級に対処を命じた。僕は反対した。戦艦棲姫の突破力は惜しい。けれども赤城は僕たちが敵軍の中央からもうかなり抜け出したところにいることを指摘し、僕が言うところの突破力は最早必要ないとして意見を退けた。実に心強い友軍だったのに、別れなければならないのが残念だ。長門が言ったように、こちらの戦力的限界が訪れるまでの時間に追われていなければ、六人で水鬼と戦うこともできようというのに。

 

 去りざまに、僕はレ級に向かって開いた手を上げた。彼女は猛獣を思わせる獰猛な笑みを更に深めて、ばしんと僕の手と自分の手を打ち合わせると、崩れた敬礼をして、戦艦棲姫と並んで敵中を暴れながら進んでいった。その勢いたるや破竹の二字に相応しく、僕は水鬼の死を確信した。

 

 急造艦隊の構成員が減っても、前進は止まらない。戦艦棲姫という盾役がいなくなったのを好機と見たか、攻撃が増える。残っているのは僕と赤城、響、武蔵の四人だけだ。それでも切り抜けられているのは、空戦がこちらの有利に傾き始めたからだった。艦載機の一部をこちらの支援に割けるようになった隼鷹と加賀の航空機が、僕たちの方に飛んでくるようになったのである。戦闘機乗りの妖精たちは、僕が望んだように敵と見ればのべつまくなしに撃ちまくる、ということはしなかったものの、その分よく狙って最小限の弾薬消費で最大の効果を生むように努力していた。本当に、一年も離れていた間に隼鷹はどれだけの戦闘をくぐり抜け、どれだけの修練を積んだのだろう。僕などが並び立てるものだろうか。今日が終わった後、古巣に戻れればいいが。第五艦隊に帰ることができればいいが。旗艦としてでなくても構わない。僕は僕の艦隊に帰りたい。第四艦隊にまた戻されるのだけは勘弁願いたい。それが僕の願いだ。

 

 後ろから追いかけてきたと思しき敵方のヲ級が、杖で最後尾を行く赤城を打とうとした。彼女はすんでのところで反応し、弓で受けた。ばきりと音を立てて、赤城の弓が半ばから折れる。ヲ級はしめたと思ってか追撃を行おうとしたが、その為に近づきすぎた。赤城は弓の弦をヲ級の首に引っ掛けて、締め上げた。喉に食い込んで血をにじませるほどの力で締めつけられたヲ級は、ものの数秒で意識を失った。赤城は役立たずになった弓を捨て、ヲ級の首を絞める時に自分の手にも食い込んだ弦によってできた切り傷を、自身の弓道着で拭った。そうしてこともなげな様子で、僕に尋ねる。「次は見つかりましたか?」ああ、と答えを返す。こちらに近づいている。駆逐棲姫だ。彼女から少し離れたところには軽巡棲姫もいて、僕らを待ち構えるように佇んでいる。彼女を抜ければ、そこから乱戦域を抜け出した最後の指揮官クラスまでは障害も妨害もない。数人の護衛艦隊だけだ。

 

 やっとあちらの考えが分かった。僕はともかくとして、長門や那智教官、レ級に戦艦棲姫は深海棲艦たちにとって打倒することの容易でない敵なのだ。それが固まっていた。連中は手出ししようにもできなかった。ところが、鬼級・姫級を狙って動き出すと、二人、また二人と艦隊から抜けていった。まとまっている敵を一度に始末するより、二人ずつ複数回に分けて始末した方が簡単なのは道理だ。だから、敵は自分たちの指揮系統を危険に晒すというデメリットを受け入れ、それに対処しつつ、適当な間隔で指揮官級の深海棲艦をぶつけてきた訳だ。悪くない手だが、奴らはやっぱり、見誤ったままだった。もう一度言ってもいいが、()()()()()()()()()、さっき集まっていた七人はどの一人を見ても、そうそう敵の思い通りに動いてくれるような連中ではない。

 

 次に接敵するのは駆逐棲姫だと伝えると、赤城は一つ息を吐いて「では、次は私の番ですね」と言った。僕は一驚を喫したと認めなくてはいけないだろう。赤城はそういうことをするイメージの持ち主ではなかった。周りの人間や艦娘、使えるものの全てをみんな自分の為に使い潰すタイプの、どっちかと言えば僕の提督みたいなタイプだと思っていた。そのことを表情その他の反応で察したのか、赤城は楽しそうに笑って言った。

 

「私だって、命の張り時ぐらいわきまえているつもりですよ。駆逐棲姫は私が片付けます。とはいえ一人だと少々つらいですね。響、付き合って貰えますか?」

Почему нет?(嫌がるとでも?) 付き合うよ。……武蔵、彼を守ってくれるかい?」

「どんな敵からでも、な。この武蔵、嘘は言わんさ」

Отлично(素晴らしいね).」

 

 僕と武蔵は直進する響と赤城から離れて、やや迂回するようにしながら軽巡棲姫の場所へ向かった。二人になったからか、攻撃の苛烈さと言ったらない。味方を巻き込むことを恐れずに撃つ者も出てきた。一発の砲弾が僕の耳を千切り取っていった。腕や足、頭じゃなくてよかった、としか思わないことに、三年前の自分なら驚いていただろう。武蔵は僕が血を流しながら笑うのを見ると、響との約束を守る為に僕の手を掴み、彼女の艤装で挟み込むようにして守った。これで左右から飛んでくる大半の砲弾は防げるという仕掛けだ。戦艦武蔵の艤装の頑丈さは伊達ではなく、砲弾が当たってもがんがんと装甲板を石で叩くかのような衝撃と音が伝わってくるばかりだった。守られているだけでやることもなかった僕は、無線の周波数を青葉が実況と救援要請に使っていた緊急用周波数に合わせた。迷惑なことに青葉は送信ボタンを押しっぱなしの状態にしていたらしく、それはノンストップで彼女の実況を伝えていた。悲鳴じみた大声で、声は最早かすれかかっている。

 

「あちらで戦艦棲姫とレ級が戦艦水鬼他と戦闘中です! そこに第二艦隊の川内さんと第四艦隊の霧島さんが救援に来た模様で──青葉夢でも見てるんですか? 信じられません、あれ、深海棲艦と艦娘が一緒に戦ってるんですよ! あっ、あちらでは第五艦隊が装甲空母鬼と防衛戦闘中です! 凄い、何なんですか? 何が起こってるんですかぁ、これぇ!」

 

 赤城の計画は上手く行っているようだ。後はこれが日本できちんと放送されていることを祈るばかりである。そして、これまでのようにこの戦闘も生き延びられることもだ。が、せめてそれだけは邪魔しようとするかのように、敵の一群が立ちはだかった。その数は十ほどで、後は小鬼が数匹と言ったところだ。しかもご丁寧に、その壁の更に後ろには軽巡棲姫が控えている。僕は一回だけ毒づいた。軽巡棲姫を無視したって、二人で相手取るには多すぎる。でも、武蔵がいた。僕は彼女の強さを信じていた。彼女がここを切り抜けられるということを信じていた。

 

「どうする?」

 

 僕は全く心配せずに、気軽に尋ねた。彼女は笑って答えた。「突っ込むのさ」嘘だろ、と言いたかったが、彼女が間髪入れずにその通りにしたせいで言えなかった。僕を守りながら接近する武蔵に向けて、さっきまでの倍にも激化したような猛烈な砲撃が加えられ、艤装を伝わって僕に与えられた振動が、少年のやわな脳を攪拌(かくはん)しようとする。僕は流石にびっくりして、彼女の名を強く呼んだ。「何やってるんだ!」「何って、お前を守ろうとしてるんじゃないか。おい、前方に味方はいるか?」水観に確かめる。皆無ではないらしいが、射角に気をつければ発砲は可能だそうだ。妖精が教えてくれた安全な射角の範囲を武蔵に伝えると、彼女はからからと、彼女らしくない、気持ちよいぐらいの笑い声を上げた。

 

「ではこの四六センチ砲、撃たせて貰うとしよう!」

 

 待てという間もなく彼女は発砲した。僕は何から身を守るつもりなのか自分でも分からない内に、目をぎゅっと閉じて首を縮こまらせた。爆音、衝撃、何なのか知りたくもない何かが飛び散って海にばしゃばしゃと落ちる音。見れば、道を封じていた敵のほとんどが吹き飛ばされ、生き残っている者もあるは手足を失って海面でもがき、あるいは脳震盪でも起こしたか呆けたように立っているばかりだった。武蔵は足を止めた。僕らは同じものを見ていた。追手、つまり僕らから逃げようとしている敵指揮官とその護衛隊だ。青葉の声が無線から聞こえてくる。「空母棲鬼が……いえ、敵の空母棲鬼を撃沈した模様! ああもう、ここで見てただけだなんて青葉、一生の不覚です! あの、青葉も今からでもあっちに──ダメ? そんなぁ!」そうか、教官たちはやり遂げたのだな。僕はにやりと会心の笑みを浮かべて、頭上の武蔵を見上げた。これで礼の一つもしなければ、人の道にもとるだろう。僕は素直に言った。

 

「ここまで来れたのも、君のお陰だ」

「そうだな、否定はしないさ。だが、ここからはお前の仕事だ。私のではない」

 

 突き放された気分になって、思わず僕は武蔵の腕を掴んだ。

 

「付いて来てくれないのか? どうして?」

「あれを見ろ」

 

 僕は、武蔵の艤装という盾の隙間から、彼女が示した方向を見た。仲間の死体を浮き代わりにして、水の中に身を潜めている軽巡棲姫がそこにいた。目が合った。彼女は不意打ちを諦めたように、水中から体を引き上げて、姿を見せた。傷一つない。僕らの後ろにいる敵は、友軍が必死で引き止めている。前には軽巡棲姫一人。武蔵なら抑えられる相手だ。その向こうには僅かな護衛艦隊と、水観の情報によれば南方棲戦鬼。この海で死ぬ為にわざわざ南から出張ってきたらしい。武蔵は油断なく砲を軽巡棲姫に向けながら、僕を諭すように言った。

 

「私は戦艦だからな。足が遅い。付いていこうとしたって、邪魔になるだけだ。心配するな、軽巡棲姫には手出しさせない。振り向かずに、全力で進め。なあに、お前なら追いつけるさ……私に最高の射撃を見せてくれ。いいな?」

 

 もう一度、僕は武蔵を見上げた。耳に輝く僕のピアスを見た。僕は彼女の名を呼んで、言った。

 

「そのピアスだが、君にやってよかったよ。似合ってるぜ」

 

 武蔵はきょとんとした顔をしたが、やがて彼女の唇は独特の、亀裂のような、初めて会った時からずっと僕が嫌いで、結局今に至るまで好きになれなかったあの笑みを形作った。

 

「ふっ、私は大和型、その改良二番艦だからな。当然だ。……次の砲撃に合わせて行け。カウントするぞ、三、二、一、今だ!」

 

 号令と共に僕は駆け出す。砲撃が僕の横を通って、軽巡棲姫の過去位置を粉々にする。彼女は造作もないことであるかのように回避する。だが僕を捉えられるほど、余裕はない。彼女の防御を僕は抜ける。僕一人。他には誰もいない。軽巡棲姫は思っているだろう。“たかが重巡一人”と。そうだ。僕は重巡だ。一人の重巡艦娘でしかない。武蔵ほどの巨砲もない。長門のような技もない。那智教官のような経験もない。妙高さんの才能と比べたら、僕の才能なんてあってなきが如しだ。目つきだって不知火先輩に負ける。そんな僕でも、一つだけ、たった一つだけ、得意なことがある。訓練所で、那智教官から教わった技術だ。他の艦娘たちとはほんの少し違うだけ、でもそのほんの少しが全てを変える。

 

 全力で駆ける。まだ近づき足りない。体中にアドレナリンが駆け巡るのが分かる。自分の速度がやけにゆっくりに思える。なのに耳に聞こえてくる言葉は普通の速度だ。青葉が戦況の推移を叫んでいる。「戦艦水鬼撃沈! 凄い、敵が動揺してるのがここからでも分かります!」武蔵が無線越しに僕へ囁いてくる。「ああ……今になって、やっと分かった」僕はその声を聞くと心の何処かで安心してしまう。「駆逐棲姫中破、戦闘を継続中!」「私はずっとこれを、この時が来るのを……この為に、お前を必要としていたのだな」敵の護衛艦隊が僕に気付く。始末しようと、その大半が踵を返してこちらに向かってくる。まだ近づき足りない。巨砲の発射音。「こちら青葉! 戦況好転により、フリゲートが戦闘に再加入します! 皆さん、持ちこたえて下さいね!」「感謝するぞ、私のお前、相棒よ!」四六センチの砲弾が海を割る。狙うことのできるギリギリの距離で撃ち放たれたそれは、護衛艦隊の足並みを乱すどころか、彼女たちの手足をばらばらにする。丁度、さっきのように。

 

 僕は彼女たちの残骸の中を駆ける。もう少しだ。もう少し。後百メートル。五十メートル。十メートル……射程範囲に入った。僕は機関を全速にしたまま、腕の砲を構える。集中する。戦闘の喧騒が消える。未だに続く制空権争いの音も聞こえない。息を吸い、吐く。耳に心地よい、武蔵の声が響き渡る。「さあ行けぇ! 今日は終戦記念日だ!」

 

 そして僕は撃った。

 

 光の玉のような砲弾が空に上がっていく。僕は息をしないでそれを見送る。それは頂点に達し、落ちていく。護衛艦隊の残党が僕の撃った弾に気付く。彼女はそれを受け止めようと、盾になろうと手を伸ばす。その指先を掠めて、弾は標的を貫いた。遥か遠くで、頭を撃ち抜かれた南方棲戦鬼が倒れるのが見えた。ふう、と息を吐く。音が戻ってくる。青葉の黄色い悲鳴が聞こえてくる。僕が、残った最後の指揮官級深海棲艦を仕留めたところを、ばっちりカメラに映していたようだった。どうでもよかった。今のたった一度の狙撃で、僕の気力は疲弊していた。最低限作戦行動可能な状態に戻るには、短くとも二十秒の休憩を挟まなければならない。僕は蹲踞(そんきょ)の姿勢を取り、自分がやり遂げたことを噛み締めた。それから赤城に報告しようとすると、あっちの方から話し掛けてきた。お褒めの言葉ではなく、大変僕の身の為になる助言だった。

 

「今のあなたは、いい的ですよ」

 

 なので、僕はへとへとの体に鞭を打って、友軍が今も戦闘を継続中の乱戦域へと戻って行かなくてはいけなかった。

 

*   *   *

 

 その後のこの海域での交戦は、消化試合と言ってもよかった。指揮系統を上から片っ端に破壊されて、おまけにミサイル以外の対深海棲艦用兵装を積載したフリゲートが二隻突っ込んできたのだ。これは、敵に動揺が広がっていたこと、それとこちらの艦隊がある程度の集結に成功し、敵味方が入り乱れていた当初の状態から改善されたからできたことだった。提督は青葉のカメラに映るよう甲板に立ち、無線や小型端末で戦闘指揮所(CIC)からの情報を受け取りながら指揮を執った。日本でテレビを見ている最中ずっと寝ぼけていた奴らぐらいには、英雄に見えたかもしれない。フリゲートは装備された機関砲で手近な敵を挽肉の塊に変え、撤退する敵艦隊には執拗なまでの単装砲による砲撃を加えた。

 

 艦娘のことを深海棲艦から人々を守る唯一の盾にして唯一の矛だと思っていた僕としては、これを認めるのは辛い。が、正直なところ、僕ら艦娘が倒した深海棲艦より、フリゲートが最後の奇襲で倒した深海棲艦の方が多かった。提督が絶妙なタイミングで艦を突っ込ませてくれたからだ。あれがなかったら、僕だって生きていられなかったかもしれない。二特技研の戦死者は第四艦隊から二名、交戦当初に少し姿を見たあの高雄と、一度も姿を見なかった長良だけで済んだそうだ。二人の死を「だけで」などと考えてしまったことには自己嫌悪するが、それでも信じられないほど少ない犠牲で済んだのは確かだった。

 

 そう、信じられないと言えば提督による戦闘終了宣言の後のことだ。第四艦隊の生き残りと、筑摩……つまり僕を知らない艦娘たちは、提督の乗るフリゲートの前に集まった僕と赤城、それからレ級に戦艦棲姫と装甲空母鬼に砲を向けてきた。信用できない、というのが彼女たちの言い分だった。戦艦水鬼との交戦で、レ級たちと共闘していた霧島だけはその意見に消極的だったが、他の艦隊員たちの意見が一つにまとまっているのに言い出せるほど、彼女は豪胆ではないようだった。レ級は身構え、装甲空母鬼は笑みを絶やさず、赤城は憮然としていて、僕は響が天から光臨して「武器よさらば」※126という展開になってくれないものかと祈っていた。あの青葉さえ実況をやめて僕らの様子を撮っていた。そこに、突然軽やかなメロディーが流れ始めた。携帯電話の着メロとかではない。僕は携帯電話を持っていないし、その場にいた艦娘たちもそうだったろう。機密漏洩を防ぐ為に、私用携帯電話の所持は基本的に禁じられているからだ。

 

 僕と第四艦隊と筑摩は、揃って間抜け面を晒した。いや、訂正しておこう。筑摩は……鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。これぐらいの表現なら利根も許してくれるだろう。彼女は妹思いだから、間抜け面なんて言葉を使われたら怒るに決まっている。僕は旧友を怒らせることに喜びを見出すほど、人生に()んでいない。とにかく、僕らは何が起こったのか把握するのに数秒を要した。把握してみても、よく分からなかった。戦艦棲姫の艤装に取り付けられていた、交戦の結果としてぼろぼろになっていた音響機器から、高音質ではないにせよ聞き取るのに苦労するほどの低音質でもない、那珂ちゃんの歌が流れてきたからだ。ひどく……超現実的な時間だった。言いようのない空気が流れた。僕らはみんな毒気を抜かれた。第四艦隊でさえ、戸惑って武器を下ろした。

 

 こういうことだ。赤城は心理作戦のプロではないが、国民に心理的ショックを与えるにはどうしたらいいか彼女なりに頑張って考えた。きっとその時に何か、ハーブティーを飲みすぎたとか、特定の成分を摂取しすぎたのだろう。天啓でもいい。「音楽だ」と彼女は思った。それも世に広く知られる艦娘アイドル那珂ちゃんの歌だ。一体、何処の馬鹿野郎が「深海棲艦が那珂ちゃんの名曲流しながら現れて艦娘と共闘する」なんてこと考える? 人々はさっきの僕らみたいになる。ぽかんとする。目が点になる。呆気に取られる。(ほう)ける。頭が留守になる。絶句する。放心状態になる。ここに類語辞典があればまだ付け加えられるが、とにもかくにもそうなる。その精神的空白の一瞬が、人々が己の固定観念を打ち砕く上での助けになる、と赤城は考えたのだ。

 

 僕にはどうしてもそうは思えなかったが、これについても認める以外に道はない。歌の効果で第四艦隊は砲を下ろし、緊張状態は解除された。最悪の場合、彼女たちとその場で殺し合うことになり、講和など夢のまた夢になっていた可能性もあるのだ。それが那珂ちゃんの歌によって消し去られた。これがどういうことか分からない人がいたとしたら、この説明を与えるとしよう。那珂ちゃんの、歌が、世界を、救った。※127 響でも僕でも青葉でもない、提督でも赤城でも武蔵でもない、この場所に姿を見せさえしていないあの那珂ちゃんが、最後に世界を救ったのである。違法ダウンロードされたMP3音源の歌声で。赤城は最低だ。

 

 ぱっとしない歩み寄りが終わると、提督は僕らを艦上に迎え入れ、戦闘中行方不明という絶望的な状況から、かくも大きな土産を携えて生還したことを褒め称えた。彼女は赤城や戦艦棲姫、レ級とも握手し、戦艦棲姫と二、三の社交的な会話さえ交わしたのだ。それは日本全国のテレビに深海棲艦の言葉がオンエアされた、歴史的に非常に意義のある瞬間だった。青葉は大興奮だったが、静かに顔を紅潮させるだけで余計な音声を入れないようにしている辺り、プロだなと僕は思った。それから提督はこの後のことについて、カメラの前で見せ付けるように話を始めた。この後のこととは、大攻勢に対して迎撃に出た他の艦隊の救援を手伝ってくれないか、という内容の話だ。

 

 後になって海軍本部がどれだけ否定しようとも、この時点でテレビを見ていた人の目には、それが海軍としての公的な要請であるように映った筈だ。そうして戦艦棲姫たちに救援を快諾されて再度の握手を求める提督の姿は、軍が深海棲艦を交渉可能な相手と認めた証と言ってもよかった。提督は時々、僕なんかよりもずっと姑息な手を使う。彼女が融和派だと知っている僕には、とてつもなく趣味の悪い茶番に思えた。それに、手助けしようにも何処にそんな元気のある者がいる? 第一艦隊、第二艦隊、第四艦隊、第五艦隊、僕ら、みんな疲れきって、入渠を必要としているのに、誰が助けられると?

 

 答えは簡単、僕ら以外の融和派の拠点にいた深海棲艦たちだ。赤城の最初の計画ではもっと多くの融和派艦娘・深海棲艦を連れて行くつもりだったそうで、戦闘終了後暫くして到着した彼女たちの艤装や服には、どれにも丁寧な第五艦隊の隊章が描いてあり、その数は彼女たちを率いていたある艦娘いわく、「拠点が八割方空っぽになった」ほどのものだった。それを聞いて呆然としていた青葉の顔が脳裏から離れない、と言ったところで、彼女に対して失礼にはならないだろう。僕らは融和派たちをフリゲートに詰め込んで、全速力で友軍の救援に向かった。そしてその日、深海棲艦と人類は、長い長い歴史の旅の果てに、初めて──ただ一つの同じ目的の為に、肩を並べて戦ったのだった。

 

 だがその中には、あの褐色の疫病神はいなかった。


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