[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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“波の上には星、人、鳥、
 夢と現と命の終わり──波から波が打ち寄せる。”
        ──アルセーニイ・タルコフスキー※6



「広報部隊」-1

 海軍本部付の広報部隊に着任して、数ヶ月が経った。時間や曜日の感覚がなくなるほど、目まぐるしい日々だった。お陰で友達と別れた寂しさを感じる余裕もそうなかったし、感じた時には僕はいつも左耳に触れるのだった。そこには必ず、苦しみを分かち合った二人を思い出させるものがあったからだ。広報部隊の連中はやれ「男性的な強さのイメージに悪影響が」だの「大衆心理」だの「抑圧された欲求の象徴」だの好き勝手言ってくれたし、中には「君はゲイか?」のような率直過ぎてそのデリカシーのなさに怒る気にもなれないような質問をしてくる者もいた。だが僕は外さなかった。彼らは僕の外見を彼らの思うように飾り立て、彼らの考えたことを喋るようにさせた。それは僕の仕事の一環であって、逆らう気はなかったが、この左耳のピアスだけは誰にも文句を言わせるつもりはなかった。僕は友達が海で沈むか沈めるかの日々を送っている時に、国内で毎日のようにテレビに出たり雑誌の取材に応じたり、軍による民間向けのショーに出演しているのだ。その卑怯さを思い出し、自らを恥じる為にも、身につけておかなければならない。もちろん、そんな自罰的な目的の為だけにつけている訳ではないが。

 

 訓練所に戻りたいと思うほどに、広報部隊での仕事は退屈なものだった。テレビに出た時は無知な民間人たちに無思慮なからかいを受け、僕は怒りや羞恥に顔を赤くした。とりわけ、「進歩的知識人」なる連中は僕の存在を憎んでいるとしか思えないような態度で、僕なんかは広報じゃなくて前線に行ってとっとと沈んでしまってくれた方が世の為になる、というような口ぶりだった。それをはっきりと言ってしまえば彼らの立場が終わる為に、回りくどいやり方を取ってはいるが、もしたがが外れたら彼らは直接僕を殺しに来るのではないかと思わせるほどだった。人間の悪意というものに触れることに慣れていない僕は、最初の一週間で参ってしまい、次の一週間は丸々休んだくらいだ。僕は訓練所に入った時、十五歳だった──艦娘の体になった時に少し体つきががっしりとし、顔つきはそう変わらないにしても雰囲気は十七か十八ぐらいには見えるようになったと言われたが、心は純真な十五歳だったのである。それが、大人たちの間で揉まれに揉まれた海千山千の連中の悪意を身に受けて、無事でいられる筈がなかった。

 

 とはいえ、人間の、人類の強みはその適応性にある。獣のような暖かい毛もなく、硬い皮もなく、手にはかぎ爪もないし牙は鈍い。目も悪いし鼻も悪ければ足も遅いし力も弱い。それでも、僕らは地球をここ暫く牛耳っている。僕らがその気になれば、地球全体を自分ごと何回も滅ぼせるほどの力を持っている。何故なら、僕らには何でもできるからだ。寒いところでは厚い衣服をまとい、傷つけられることを防ぐ為にあらゆるもので防具を作り、傷つける為に持てる知識の全てを用いてきた。だからこそ僕らは地球にはびこり、のさばり、増え続けているのだ。そういう人類史的バックグラウンドが自分自身にもあるということを認識していれば、何処の馬の骨とも知らぬ他人の悪意程度のことで立ち直れなくなる筈もない。

 

 それに人付き合いが下手だと言ってくれた利根を見返してやろうってんじゃないが、新しい友達もできた。ちと騒がしく、しばしば正気を失ってはいるが、悪い奴じゃない。利根と北上への手紙にもそのことは書いてやった。でも多分「とうとうイマジナリーフレンドとやらを生み出しおったか……吾輩、心配じゃ」とか「あーねぇー、まあそういうこともあるよねぇ。今度写真撮って送ってねー。撮れるならだけどさぁ」とか言ってくるだけだろう。覚えているがいい、艦娘訓練所時代に候補生が貰っていた雀の涙級の給料と今の給料とを合わせて、既にカメラは用意してある。新しい友達が頭の大丈夫な時を狙って、奇跡の一枚を撮って送ってやるつもりだ。僕が演技でなくそれなりに楽しくやっていると分かれば、二人も安心だろう。彼女たちの手紙には、僕が世間から受けている悪評のことについて心配していることを匂わせる表現がちょくちょく見受けられていた。僕は僕なんかよりも彼女たちの方が大変だろうと思うのだが、人間、自分のことほど正しく把握できないものなのだろう。僕も含めて。

 

 まあ、二人のことについて、というより正確には二人の所属している部隊についての心配はなかった。利根は持ち前の明るさと那智教官のしごきに耐えたという事実から来る自信、そしてその能力によって、向こうではもう頼られる立場になっているらしい。実戦経験こそまだまだ足りないところはあるが、丁寧な戦い方と僚艦を常に気にかける振る舞い、隊の先輩に意見を具申することへの躊躇いのなさなどが評価されているようだ。利根ならばいずれは第一艦隊の旗艦も任せて貰えるに違いない。カタパルトも好調らしいし。唯一残念なことがあるとすれば、彼女の行ったところに筑摩がいなかったことだそうだ。仕方がないから、駆逐艦連中や軽巡の子たちを妹代わりに可愛がってやっておる、と言っていた。そうすると、筑摩が来る頃には妹だらけになってるだろうな。利根と愉快な妹たち艦隊は、きっと人類が深海棲艦から海を取り戻す為の最高の矛が一つとなるだろう。

 

 北上は呉で大井と会って、彼女の猛アタックに辟易していると書いてきた。それでもその言葉の端々に大井への深い友情が読み取れるところがあり、微笑ましかった。きっと北上のことだから、直接は言ってないんだろう。言葉にしなければ伝わらないこともあるというのに。戦闘では雷撃能力を活かして活躍し、なるべく短期戦を心がけるようにしているという。早く終わらせれば、怪我も少なくて済むという訳だ。それに、用いるエネルギーも少量で済む。面倒臭がりな北上らしい考えだった。呉鎮守府は軍の人間なら、事前の申請が許可されれば遊びに来ることもできるので、是非機会があれば来て欲しいとも書かれていた。きっとそうしようと思う。だがその時には遺書をしたためるべきだろうか? 何しろ、どういう方法を使って僕のことを突き止めたのかさっぱり分からないが、呉の大井からも僕に手紙が届いたからだった。憶測に過ぎないが、北上が漏らしてしまったのだろう。手紙の具体的な内容は伏せるが、嫉妬と警戒に満ち満ちた手紙だった。僕は北上が僕に書いてきた手紙から大井に関しての部分を抜粋し、どうか北上をよろしく守ってやってくれと書き添えて彼女に送ってやった。後日、封筒に入って返事が来た。大井が正座で膝前に手を下ろして指の第二関節まで床につけ、ぴしりと伸びた背筋のままに深々と礼をしている写真が同封されており、その裏に達筆な字で「感謝」と書かれていた。北上からは「もー、バラしたせいで大井っちがさー」とお怒りの言葉を書面でいただいたが、僕はニヤニヤしてそれを読むだけだった。悪いことをしたつもりはない。

 

 意外なところからも手紙が来た。一人は青葉で、僕が広報部隊に入ったことへの羨みが隠す気もなく書かれていた。それと同時に、芸能界などを筆頭とした人前に出る世界での振舞い方のコツや、僕をこれまでに攻撃してきた進歩的な人々に関する様々な情報も書かれていた。一部は検閲で削り取られてしまっていたが、これは僕が自分の仕事をこなす上で大変に役立った。僕はお返しとばかりに、僕が仕事場で得た面白そうな情報を彼女にも送ってやった。これもきっと検閲で幾つか届かないものもあるだろうが、大事なのはお返しをしようとしたということだ。訓練所時代はそう多く話すこともなかった相手だったが、あそこを出てから繋がりができるとは面白い縁もあるものだった。

 

 もう一人は那珂ちゃんだった。那珂ではなく那珂ちゃんだ。もう彼女は艦隊のアイドルだった。しかしアイドルのイメージで思い浮かべるような丸文字ではなく、しっかりとした丁寧な字で、真剣さが感じられた。手紙には、僕がテレビに出ているのを見て筆を取ったと書いてあった。そしてその内容は……ライバル宣言だった。僕は即座に敗北を認める文章を書いてから考え直してそれを消し、ちゃんとした返事を書いて送った。那珂ちゃんからのお便りはまだ届かないし、恐らく書いてもいないのだろうが、彼女が遠い地から艦隊のアイドルとして活躍する姿を僕に見せてくれることを、僕は心の底から願っている。確定したことではないが、那珂ちゃんだけ四十八人集めて、日本全国何処でも毎週那珂ちゃんに会える! というのが売りの広報部隊を新設するという噂もあるので、それも近い内に起こることかもしれない。しかし同じ訓練隊にいたあの那珂ちゃんなら「アイドル専門ってのもいいけどー、那珂ちゃんここのファンのみんなを置いてなんていけないかなー! ごめんねー!」とか言って拒否しそうな気もする。

 

 来た手紙ではなく書いた手紙の話なら、僕は一度那智教官にも手紙を書いた。広報部隊の仕事についてや、自分が卑怯者に感じられるということ、それでも教官の言葉を信じて頑張っていることなどを書いた。少し気恥ずかしかったが、最後に那智教官の下で訓練を受けたことで、他の多くの艦娘よりもよい訓練兵時代を過ごせたと思っている、とも書いておいた。これにも返事はなかったが、送った手紙そのものが戻っても来ないところから、届いてはいるのだろう。彼女はまた新しい艦娘候補生たちをしごき上げているのだろうか? 年若い候補生たちを殴りつけ、怒鳴りつけ、限界を思い知らせて、その上で自分に何ができるのかということを理解させ、死地に送り出す仕事を続けているのだろうか? 利き腕ではない左手でペンを握って、前線部隊への復帰嘆願を書き続けているのだろうか。

 

 僕は考えるのを止めた。そうだったところで、ここにいる僕には何もできない。それよりも今日の仕事について確認しよう。僕は懐から手帳を取り出した。時代がどれだけ進んでも、変わらないものだってある。その一つが手帳だろう。携帯電話などに取って代わられるという主張もあるが、充電が切れたら確認できなくなるようなものを手帳にするのは危険なことだ。やはり紙とペン、これに限る。さて、予定では……ふむ、最近は減ってきていた雑誌の取材が、ここに来て一件入っている。広報部の職員によれば、面倒な手合いらしい。忙しい時期に相手をしていられないので断っていたが、取材の数が減ってきた今となってはもう断りきれず、やむなく今日にしたとか。全く、心遣いには痛み入る。幸いなのはそう長くは掛からないということだろう。精々、一時間か二時間か。その後は? 僕の戦闘風景を撮る為の演習。またか、と思う。実戦に出して負傷されてはかなわないということで、戦闘の写真や映像が欲しい時には、毎度毎度演習で戦う真似ばかりさせられている。実弾でさえない演習用弾薬で味方と撃ち合っても、何の足しにもならない。いや、それは言いすぎか。もしもお互いに本気で演習に取り組むつもりがあるのなら、足しにはなるだろう。だが広報部が欲しがっているのは僕が発砲するシーンや、軽い負傷に構わず勇猛に突撃するシーンのような、戦意を高揚させる為のものだ。

 

 散々その手の撮影に付き合わされたせいか、広報部隊所属の艦娘たちの半分には嫌われるか避けられている。半分と言っても、僕を含めて六人しかいないから、三人にだが。例えば、駆逐艦の曙は誰にでも口が悪くてすぐ毒づくが、特に僕に対してはそれが激しい。擦れ違えば舌打ち、振り向けば睨まれ、背を向ければ後ろから蹴られ、見ていると「クソ重巡」という言葉が飛んでくる。艦娘にとって、艦だった頃の自分のことをけなされるというのは最大級の悪口だ。きっと、他の艦娘が同じような暴言を受けたら、言われた側の艦娘が誰だったかによるが、多少の流血なしに場は収まらないだろう。しかも、その「誰だったか」が関係するのは「流血の有無」ではなく「流血の多寡」なのだ。しかし僕は……僕は艦娘の体になっても、自分が過去に軍艦だったという記憶を持つことはなかった。段々と思い出すように記憶を得るのだろうかと思っていたが、そうでもないらしい。そういう具合だったので、クソ重巡扱いされても余り堪えなかったし、曙を殴ったりするようなこともなかった。それがまた彼女にとってはムカついたようだ。だが、僕の経験から察するにどんな反応をしても無駄だっただろう。

 

 潜水艦の一人、伊一六八“イムヤ”にも嫌われている。挨拶をしても返事はないし、この前はスマホか何かをいじっている時に後ろから声をかけただけで「覗き込まないでよ、気持ち悪い」と言われた。これは極めて純真な十五歳の心を持つ僕にとって甚大なショックを与えた。それ以来彼女には挨拶などもしないでいるが、本人はそれでいいにしても、近くに曙がいると「は? あんた先任無視すんの? 何様?」みたいな感じで絡まれるので、前門の虎に後門の狼といったようなものだ。一度などは廊下で前からイムヤ、後ろから曙が来て、咄嗟に部屋の一つに入ったらそこにいた全然知らない人をひどく驚かせてしまって、後から苦情を受けることになった。幼い容姿の艦娘に嫌われる傾向があるのだろうかと考えていたが、軽巡洋艦の由良にも避けられているところを見ると、必ずしも容姿の幼さが条件になる訳でもないらしい。となると、僕が嫌われる要因というのは一体何なのだろうか? それに気づかないと、僕は自分のこれからの人生において著しい不安要素を抱えて生きていかなければならなくなるではないか。少なくとも中学校では、僕はみんなに好かれる訳ではなくとも、こんなに大勢の相手に嫌われるタイプではなかったと思う。友達もそこそこいたし、その中には異性の友達もいた。恋愛沙汰には疎かったが、楽しくやって来れた。それに人間的欠陥があるなら、親が真っ先に気づくものではないだろうか。

 

 戦闘風景撮影の参加者は誰だったか。曙はよくカメラマン役を任されているので、間違いなくいるだろう。イムヤはこの仕事には使いづらいので、恐らく別のところに回されている筈だ。曙がいるとなると僕はびくびくせざるを得ないが、広報部隊所属艦隊の残りの二人、僕とまともにコミュニケーションをしてくれる二人がいてくれれば、僕の胃も痛まずに済む……ああ利根様神様北上さま! 曙の名前と一緒に、彼女たちの名前は、確かにそこにあった。我が艦隊の旗艦を務める榛名さん、高速戦艦榛名……優しく、艦隊のまとめ役という大役を遂行しようとしている。旗艦としての強制力の使いどころは分かっているみたいなのだが、強気に出て反撃を受けるのが怖いらしく、提案や依頼はあっても、滅多に命令を出さない。それだけに曙やイムヤも彼女相手には強く出られないらしい。そんなことをすれば、自分たちが悪役になってしまうことが分かりきっているからだ。それに二人は僕のことは例外として、他の艦隊の構成員たちのことを大事にしている。そういう点を考慮に入れてみると、僕が彼女たちにとって「よそ者」だからこそ、ああも嫌っているのかもしれない。艦隊は家族のようなものだ。家族の中に見知らぬ顔が入ってきて、大手を振って歩き、我が物顔をしていたら、そりゃあ怒りもするだろうし、そいつのことを蹴り飛ばしたくもなるだろう。状況その他が許すなら、闇討ちだってしてしまうかもしれない。榛名さんが僕のことを公平に扱ってくれて、隼鷹が仲良くしてくれるからこそ、そこまでにならないというだけで。

 

 そう、隼鷹の名前が演習の参加者にあったのを見て、いけないことだとは思うが僕はすっかり安心してしまった。あいつは本当の社交家というもので、あいつの手に掛かれば母親にさえ笑顔を見せたことがないような堅物でも、ころりと引っかかってにこにこ顔になってしまう。広報部隊で働くようになって最初に接触したのが前述の曙とイムヤだったこともあって、完璧に苛立っていた僕を大人しくさせたのも彼女だった。いつでも懐に酒の入ったスキットルを忍ばせていることは彼女の数少ない瑕の一つだが、それだってあばたもえくぼと言うだろう、僕には彼女を嫌う理由なんて見当たらなかった。僕と彼女はファースト・コンタクトこそかなりマズいものだったが、それでもすぐに打ち解けた。僕は話し相手が必要だったし、彼女は一緒に飲む相手を探していた。そしてお互いがお互いを見つけたのである。五度目の飲み会をする頃には僕はぶっ倒れた隼鷹の後始末に慣れてしまっていたし、隼鷹も僕がぶっ倒れた時の後始末に慣れていた。僕たちは互いに一番みっともないところを見せ合った仲だった。よき友人だった。

 

 ああ、由良の名前も演習参加者になかった。きっと、別口の仕事があってそちらの方に行っているのだろう。接点は少ないが話を聞く限りしっかりしている人なので、僕が心配するような相手じゃない。

 

 で、その後は? 暇なら友達を誘って飲みに行くのもいいが……お、仕事だが興味を惹かれるものだ。悪くない。広報部隊の連中が言うところの“サーカス”艦隊の面々と、今度のイベントで共演する際の打ち合わせをするらしい。彼女たちのことは僕もテレビで見たことがあるが、まあびっくりするような艦娘だらけだった。素手で戦闘用の実弾を弾き飛ばす長門、自分で放り投げた的三つを、下に落ちるまでに弓矢で全部射抜いた加賀、砲声が一発に聞こえるほどの早撃ちと正確さを誇る足柄、障害物の向こう側に隠れた標的を魚雷で破壊する羽黒……加賀に「艦載機使わないのかよ」と思ったことは、打ち合わせでは黙っておいた方がいいだろう。

 

 時間を見ると、最初の取材まで一時間ちょっとしかなかった。僕は急いで用意をして、メイクもした。男がメイクをするということに意外さを覚えたのは昔の話だ。今では僕も、そこら辺の女の子が片手間にやる程度の技術を身につけていた。これは男としては非常に難しく珍しいことで、女性が生来持ち合わせている特別なセンスなしに化粧という伝統的な技術を身につけるというのは、艦娘が艤装なしに水上を走ろうとするのに近いものなのである。まあまあな仕上がりになった後、僕は本職の人のところに行った。彼女は素早く僕のお遊びみたいな化粧を修正し、何処をどのように僕が間違ったのかということを教えてくれた。僕は心の中でメモを取った──もしぴくりとでも体を動かしたら、尊重すべきプロフェッショナルの仕事を邪魔することになってしまっていたからだ。彼女は僕の何倍も早く、何倍も薄く、何倍も効果のあるメイクを施してくれた。職人のプライドが垣間見えるその仕事に本心からの礼を言って、僕は取材に来た記者が待っているという応接室に急いだ。男の艦娘でよかったなと思うところが一つある。走っても通常の艦娘と違って、はしたないと言われなくて済むという点だ。

 

 どうにか時間よりも少し早いぐらいに応接室に到着した。記者も、広報部隊の職員の一人で僕の仕事上のサポートを毎回担当している人も、既にそこにいた。二人はソファーに座って何やら話していた。

 

「失礼、待たせましたかね?」

 

 礼儀として謝る。先にいた二人は立ち上がって、僕を迎えてくれた。顔見知りの職員の方には軽い頷きで済ませ、記者の方には手を差し出す。彼はそれを取って軽く握った。握手ってのは、もっと強く力を入れるものなんだが、まあ遠慮もあるのだろう。

 

 僕らは誰が一番先にということもなく、ソファーに腰を下ろした。どんな質問にどう答えるかということは、予め打ち合わせてある。雑誌の取材など、そんなものだ。とはいえ、中には思ってもみなかったような質問を投げ込んでくる記者もいるし、今回の手合いはそれである確率が高かった。年は三十前後と言ったところか。それなりに数もこなして来ているだろうし、こちらとしては打ち合わせ通りの答えを貫くしかないだろう。那珂ちゃんや青葉ならこういう相手も一蹴できるかもしれないが、僕には無理だ。やれやれ、深海棲艦と戦う方が楽だとは言わないが、こっちもこっちで疲れることである。記者は僕の口の滑りをよくする為にだろうが、雑談から始めた。気をつけなくてはいけないのは、雑談の中にも罠があって、面倒な事態を引き起こす質問が紛れ込んでいたり、容易く曲解できる言葉を使わざるを得ない事態に追い込んできたりするのだ。

 

 極端な事例だが、「勲章についてどう思うか」を聞かれたとしよう。勲章、広報部隊の僕にはほぼ縁のないものだが(ただし広報部隊でも過去に受勲例はある)、それでも僕はそれがどんなものか知っている。そして僕は艦娘として、鍛え上げられた軍人として答えるとする。「勲章とはそれを佩用する者が義務を果たした証拠に過ぎない。軍人にとって、義務に要求される以上の勇気・大胆さ・献身など存在しないのだ。何故ならば、常に彼らは彼らにとって最も密接に関わりのある一つのもの、生命を要求されているからだ。それを差し出すこと以上など存在しない。そして、どうしてもそうせざるを得ない時、その義務を果たし、守るべきものと死の荒廃の狭間に身を投げ打つことは、軍人の誉れである」これを口語的にしたものを言うだろう。感情的にどう思うかは別として、理屈ではこう思っている。座学で学んだことから自分で考え出した結果なのか、それとも注意深い大人たちによって綿密に「仕込まれた」思想なのかは分からないが、僕は自分でこう思っていると信じている。すると、この発言を取り上げた記事の見出しはこうだ。『勲章は飾り』。そこだけを見て、きっと多くの軍人たちが僕に怒りをぶつけるだろう。最近の雑誌とはそういうものだ。何も、古き言葉と悔やみつつ使わせて貰うが、カストリ雑誌のような低品位のところに限った話ではない。

 

 そういう人々を相手にするのは大変だ。彼らは彼らで、日々の暮らしを営もうとしているだけというのがまた、たちが悪い。中には海軍を憎んでいたり、根っから性悪だったりして、相手が傷ついたり憎まれたりすればするほど嬉しくなるという者もいるだろうが、大半の雑誌記者はただ彼らの仕事をしようと頑張っているだけなのだ。家に帰れば妻や子や老いた両親がいたり、金のかかる恋人がいたり、育て上げなければならない年の離れた兄弟がいたりするものだ。しかし苦労は僕に降りかかってくるとはいえ、僕はそういった連中が僕や他の艦娘たちを困らせながら、あるいは困らせるような記事を書きながらでも生きていけるこの国が気に入っていた。流石に深海棲艦に降伏しようなんて記事を書いたら、その記者と編集部は突然失踪することになるだろうが、ある程度のことなら許容する、甘さと言っても過言ではない点が、この国のいいところなのだ。

 

「では、そろそろ質問に移らせていただきますが、よろしいですか?」

「はい、結構ですよ。お待たせしまして申し訳ありませんでした」

「いえいえ、お気になさらず。私も興味深いお話を聞かせていただいて、これはまた今回と別に記事にしたいぐらいですよ」

「あはは、勘弁して下さいよ。今そんなこと言われると変に緊張しちゃうじゃないですか」

 

 僕らは何ら面白くもないのに笑った。作り笑いが上手くなったものだと思う。人付き合いも同じぐらい上手くなりたかった。そうすれば今頃僕はもう少し幸せな気持ちでいられただろう。艦娘たちとももっと親しくなれていた筈だ。いや、下心から言ってるんじゃない。僕は妙な気持ち抜きで……というのも嘘になるか。ええい、まどろっこしい。僕は艦隊の連中とぐらい、仲良くしていたかったんだ。そう考えることで文句を言われる筋合いもないだろう。教会ですら、本心は裁かない。ましてや十五歳の男の子を裁く奴があるか? しかも、職場の人間関係がもうちょっとよくなって欲しいと思っているだけでだぞ。もちろん、そんな奴はいない筈だ。

 

 記者の質問は巧妙に偽装されていたが、軍を批判する材料を探していることは分かった。彼は訓練所から出て以来の僕の戦果を聞いた──まさか記者ともあろうものが、僕が戦果を上げているとは思っていないだろう。自慢じゃないが、僕はまともに戦闘に参加したことなんてない。一度だけ、外海での演習中にはぐれ深海棲艦に出くわしたことがある程度だ。その時は駆逐が二匹に軽巡一匹だったか? 真っ先に気づいて装備換装を済ませていた隼鷹の先制爆撃で軽巡と駆逐が一匹ずつ沈み、残りの一匹は演習弾から実弾に装填し直した僕や他の艦娘がたこ殴りにした。あんなもの、戦闘とは言わない。那智教官との格闘訓練の方が余程怖かった。何しろ相手は目と鼻の先という距離だ。白目と黒目がはっきり判別できる。そんなところにいる相手が、これから自分を片付けに掛かってくる。そのプレッシャーは尋常ではない。あれこそが戦闘だ。

 

 僕は正直に答えた。共同戦果で駆逐一隻だと。「現状に不満はありませんか?」あると言えば軍に対して角が立つ。ないと言えば臆病者として世間に角が立つ。こういう時はちょいと話を変えてやるといい。

 

「現状への不満? 現状の何に対する不満のことです?」

「あー、つまり、前線に出て同期の艦娘たちと共に戦いたいと思ったことは?」

「あなたは、僕が彼女たちと一緒に戦っていないとおっしゃりたいのですか?」

「失礼ですが、深海棲艦と交戦したという話は聞きませんね」

 

「勘違いなさっておられるようですが、深海棲艦と撃ち合うだけが戦いではないのですよ。我々は常に脅威に晒されています。外患、即ち深海棲艦のみならず、自らの臆病さという内面からの脅威にです。各地の鎮守府や泊地、基地で日夜戦っている艦娘たちの敵が深海棲艦であるように、僕や僕以外の広報部隊の敵は、我々や国民一人一人、そして全世界の艦娘の中に潜んでいる、自分自身の恐怖なのです。

 

 その恐怖を打ち消す為に、僕らは国民に希望がまだ消えていないことを、艦娘たちには人々が彼女たちを決して忘れていないということを思い出させます。彼女たちが戦い、血を流し、血を流させるのには理由があるのだということを、彼女たち自身と国民に思い出させるのが我々の役目なのです。

 

 さあ、これでも僕らは戦っていないと言えるものでしょうか? よくお考えになって下さい。あなたの発言は、今ここにいる僕に対してだけでなく、僕らの艦隊に対してだけでなく、これまでに広報艦隊が想いを繋いできたあらゆる人間、あらゆる艦娘たちへの発言になるのですよ」

 

 最後の言葉が決定打だったようだ。一記者の身では、全艦娘と全国民に対しての発言をするのは難しいのだろう。彼は言葉に詰まって、やがて「大変失礼いたしました」と言って頭を下げた。本気で彼がそう思っているとは僕も勘違いしない。彼にとって僕の言葉など大した意味はないのだ。意味があるのは、僕が彼を黙らせたということである。僕も「いえ、何だか僕ばかり喋ってしまって、こちらこそ申し訳ありません」と言って済ませておく。お互いに分をわきまえた、大人の付き合いをしなければならない。彼が意地の悪い質問をし、僕が意地の悪い返しをした。結果はどうだ? 一対一で差し引きゼロだ。二人とも何の問題もない。

 

 その後の取材はほぼつつがなく終わった。これまで通りの質問、これまで通りの答え。最後に一度だけ、もう一発僕に食らわせてやろうとその記者は言った。「最後に一つ、何かこの記事を読む方々へのメッセージをお願いします」僕は焦らなかった。ちょっと前の民間向けイベントで軽いスピーチをした時の原稿をまだ覚えていたのだ。それをすらすらと読み上げてやった。すると彼は勝ち誇ったように言った。「あの、私は先月のイベントで今の話を聞いたと思うんですが」僕も同じぐらい勝ち誇った顔をして言い返す。「来月も聞くだろうね。再来月も。僕の言葉を聴く全ての人々に僕の思いが伝わるまで、僕は同じことを話し続けるだろう」※7それで決まりだった。

 

 記者が帰った後、担当と少し話をした。彼は僕が最後にやった返しを気に入ったらしく、自分の手帳にメモをしていた。彼は言った。

 

「あんな言葉が咄嗟に出てくるなんてな。前から考えてたのかい?」

「昔読んだ本で似たようなシーンがあっただけだよ。さ、次に取り掛かろう。僕の艤装は?」

「いつものところさ。何処に持っていけるって言うんだ?」

 

 もっともな話だった。僕の職場である海軍本部出張所に併設されている工廠へと向かい、艤装の様子を見る。整備中だそうだ。時間を見る。まだ大丈夫だ。昼寝するぐらいの時間がある。なら、ちょっと休ませて貰うとしよう。僕は自分の部屋に戻った。広報部隊でも僕は訓練所時代と同じ特権を享受できていたのである。まあ、これが僕と僕を嫌う三人を余計に隔てている気もするのだが……一人になりたい時には重宝することは確かだ。仕事さえなければ、寝ていて邪魔されることもない。着ていた服を適当に脱ぎ、最低限しわにならないようにハンガーへと吊るしてから、僕は布団の中にもぐりこんだ。眠るまですぐだった。早寝は訓練所で誰もが身につけることになる特技の一つだ。

 

 しかしどうせなら、夢見も訓練所でどうにか変えられないものだろうか? 僕は汗まみれで目を覚ました。嫌な夢を見た。溺れそうになる夢じゃない。溺れた後の夢だ。喉の奥に水が入ってきて、肺が満たされていく不快な感触が、まだ残っている。僕は何度か咳き込んだ。潰れそうに体中が痛くて、なのに声も出ないし指の一本も動かせず、ただただ下へ、海の底へと引っ張られていく、冷たくて辛い夢だった。艦娘であるということが精神的に影響しているのかもしれない。僕は眠ったのに、余計に疲れたような気持ちで服を着込み、もう一度工廠に向かった。整備点検は済んでいた。時間を見てみる。合流地点に行くには少し早いだろうか? いや、早く着いて悪いということもないだろう。何しろ僕はここでは一番の新顔だ。遅れて行くと絡まれる原因にもなる。幾ら何でも、絡む為だけにやたら早く現場に向かっているということもないだろう。そんなことをするほど僕のことを嫌っているとしたら、それはちょっと病院に行くべきレベルである。誰か榛名さんに進言してやって欲しい。僕がやるとまた揉めると思うので。

 

「よう、早いねえ、今からかい? 一緒に行こうぜえ」

 

 艤装を装着して具合を確かめていると、後ろから声が掛けられた。この尖ったところのない元気な声は、疑いなく僕の新しい友達である。自然と笑顔になって、そちらを振り向いた。


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