[完結]Home is the sailor, home from the sea.   作:Гарри

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「艦娘訓練所」-2

「少なくとも悪意を持っていつも社会規範を破っている者を道徳的とは言わんのは確かだな。しかし何故社会規範を遵守することが道徳的なのかの説明を君はしておらんぞ」

「規範は、その社会の存続という目的に基づいて作られます。それを遵守する行為は、社会の存続に寄与する行為であります」

 

「見事だ。つまり、道徳とは生命の存続に関わる問題だということだ。『不道徳』な者は社会規範を守らん……だがそういった連中でさえ自分の命や、時には自分の仲間をも守るし、そのことを道徳的にももっともな道理と認めておる。生存本能こそ、人間の根幹に存在する義務なのだ。

 

 ここで言う生存とは、君たち自身が生き延びることというよりはむしろ、君たちを内包する社会が生き延びることを意味している。君たちの利益は君たち個人個人のものであるのと同じように、君たちの属する社会の利益にもならなければいけない。積極的な正の影響を与えないにせよ、最低限、害してはならない。この真実については、少し違った言い方でだが、十八世紀のフランスで既に言及されている。即ち『何かが私には有益だが家族には有害であることが分かれば、私はそれを断念する。私の家族に有益な何かが、私の祖国にとってそうでないなら、私はそれを忘れようと努める。何かが祖国にとっては有益だがヨーロッパにとって有害なら、また、ヨーロッパにとって有益だが人類にとって有害なら、私はそれを罪悪だと考える』※5という風にだ。

 

 しかしながら早すぎたんだな、時代が進むにつれて、過去に主張されたことは、それが古い時代の産物であるだけで誤っていると考える人々が現れた。この考えそのものが彼ら言うところの古臭いものになるまで時間が掛からなかったのは、人類の享受した幸運の中でも特に大きなものだと言えるだろう。例えば個人の権利行使の限界を取り払うような考えを持った行き過ぎた自由主義は、十九世紀に誕生してから一世紀と経たない間に下火になった。とはいえ、過去の主張が過去のものだから誤っていると考える人々が消えた訳ではない。現代ですら、問題解決における最上の手段を対話だと勘違いしている人間がいる。多分彼らにとって、我々のような剥き出しの暴力を用いることは簡単すぎて、面白くないのだろう。

 

 暴力は何の解決にもならない──下らんたわ言だ! 深海棲艦たちが何によってその目的を達成し、その問題を解決しようとしているのか、彼らには見えていない。だがそういった融和派たちがどうあれ、我々はたっぷりと金銀財宝の詰まった宝物庫を前にして、その中に入ろうとする者を取り付くしまもなく拒むような扉と、持っているどの鍵が合うのか、そもそも我々はそれに合致する鍵を持っているのかも分からぬ南京錠に、一切遠慮はしない。足を上げて扉を蹴破るのだ。誰にも、そう、人類ならば誰にもだ、暴力が何も解決できないという誤った発言は許されない。それは先人たちが血を流して築き上げてきた歴史に対する冒涜であり、我々の現在有する社会とその秩序に対する反逆なのである。

 

 ……おっと、そろそろ時間だな、喋りすぎたか。今日はここまでとする、次回までに全員が自分なりに権利と義務の関係性について書いてくること。教科書の第七章と第八章を参考にしてみるといいだろう。剽窃や丸写しは君らの実技教官を呼ぶのでそのつもりで。解散」

 

 僕はそれに取り組んだ。必死になって取り組んだ。那智教官の訓練で失敗をしたところで、殴られるだけで済む。大きな失敗をしたら、軍規に照らし合わせて処分が行われるだろう。鞭打ちだとか、禁固刑だとかだ。だが座学教官に食らわされる罰はもっと心に痛みを与えるようなものだった。そうして今回の論題で書く中で、僕はふと発見をした。権利と義務が、間に何も介さないような関係性を保有するのかどうか、僕にしろ教官にしろ、証明はしていないではないか? 僕はただ考えていなかっただけだが、教官までそうだとは思えなかった。僕は試しに、権利と義務の間に、直接の繋がりがないと考えてみた。では何が仲介しているのか? 先の講義を思い出すに、それは道徳か、それに関連するものである可能性が高かった。教官の話を思い出そう。道徳は生存本能に基づくものである。生存本能とは、人間の根幹にある義務だ。それは個人だけではなく、集団の存続に関わる。

 

 もう一つ何かが足りない気がした。義務と道徳が結び付けられるなら、権利と何かが結びついて然るべきだろう。そして、その何かと道徳もしくは義務が連結されれば、間接的に権利と義務の関係性も立証できる。僕はその何かを「責任」であるのではないかと仮定した。それは僕の個人的な考えの中で、権利の対義語でもある。権利を行使する時、行使者はその行為について責任を持つものだ。これで大筋がまとまった。

 

 権利は、その入手自体に社会的意味を持つという点で、他者、ひいては社会に対する影響力を有することをやめさせられない概念である。ましてその行使においては、直接的・間接的に、社会の最小構成単位である家族に対してであろうと、世界そのものに対してであろうと、影響を与える可能性のある概念である。その事実が示してくれることは、権利の行使においてはその行使者に課せられる責任は彼の能力内に納まり、かつ実際に用いられる権利とが完全に等しいものでなければならないということだ。何故ならば、もしも用いる権利に対して過剰なまでの責任を押し付けられたなら、実質的にそれは権利の剥奪に他ならないからである。そしてもし用いる権利に対して責任が軽すぎたならばそれは濫用を招く。付け加えておくと、行使者の能力に納まらないいかなる権利も行使させるべきではないということは、成年を迎えた知的障害者に投票権を与えるべきかという問いによって自明であろう。しかしながら、科学的に明らかかつ正当で正確な理由によって権利を与えるべきではないと見なすことのできる対象はごく僅かである。そこで、実践的な試験を行う必要がある。それこそが義務であり、道徳である。義務とは個人が社会から要求される最低限の任務で、それを果たすことによって個人は己が権利を得るに値する能力があるという事実を証明するのだ。そしてそれこそが人の権利とその行使に正当性を与える唯一の手段なのである。

 

 僕はすっきりして、その考えをもう少し詳しく書いてから次回の講義で提出した。教官は僕のレポートを見てさしたる反応を見せなかったが、僕は自分の考えがちゃんとまとめられたことで満足していたので、彼の反応は今更どうでもよかった。

 

 訓練所に入ってから二ヶ月近くが経った。訓練所近くの海上にも出るようになり、他の訓練隊と演習もした。僕の参加した隊は演習において毎回いい成績を残した。使用者に合わせて作られた為か、艤装の扱い方に慣れるのが僕は早かったのだ。しかし、艤装をつけている時間が長引くに従って、他の候補生たちの僕に対する態度が悪化していくのを感じるようになった。利根や北上はよくしてくれたし、二人は僕への悪感情を持っていないようだったが、他の多くの候補生はそれとなく僕を避けたり、軽い嫌がらせをしてくるようになった。嫌がらせと言ってもちょっとしたからかいみたいなもので、気にするほどじゃない。多分、これまで一人としていなかった「男の艦娘」が、自分たちよりもいい成績を出していることもあるというのが気に入らないのだろう。これが例えば、圧倒的に強かったり、どうしようもなく弱かったりしたらそうはならなかったと思う。半端が一番、的になるものだ。

 

 それに僕には個室もあったし、食事だって部屋で食べてもよかったのだから、どうしても嫌な気持ちになったらそっちに引きこもればよかった。でも誤算だったのは、その日は週に一度の手紙が配達される日だったってことだ。軍は候補生の書く手紙については厳しいが、家族や友人たちから候補生への手紙については本人の士気の為に推奨する立場にあった。まあ、どちらも検閲はされていたのだが、それは仕方ないことだ。二ヶ月も経つと手紙を送ってくる相手は親と一人か二人の友達ぐらいまでに減ってしまっていたが、それでも手紙は手紙だ。みんなが僕のことを忘れていないという証拠は嬉しいし、軍の狙い通り励みになる。が、それは手紙が貰える候補生に限った話であって、そうでない候補生もいるのだ。そういう候補生が感じる孤独や、劣等感の類は僕には想像もつかないところである。

 

 僕が北上と食堂で食事を取っていると──利根は候補生たちみんなの人気者だったので滅多に僕と食事をすることはなかった──配達人が僕の名前を呼んだ。北上はもう先に呼ばれていて、食べながら読むという謎の器用さを発揮していた。僕は彼女に断りを一つ言って、席を立って手紙を取りにいった。すると、思ったより多くの手紙があった。どうも僕の家族と友人といういつもの面々だけでなく、学校の担任や従兄弟や親戚のおじさんなんかも書いてきたらしかった。きっと、僕の両親が気を使ってくれたのだろう。学校ではお世辞にも社交的な方ではなかったから、自分たち以外からの手紙なんて届いていないと思っていたに違いない。返事を書く時に友達からも何通か来ていることを言っておけばよかったか。

 

 僅かなりとも他人に迷惑を掛けてしまったが、手紙が沢山来たのは嬉しかった。僕は早速読もうと思って、まず一枚広げた。それは親から来たものだった。まずは両親のものから読みたかったのだ。ところが、最初の何行かを読み進めたところで紙がさっと上に消えてしまった。僕は手紙の飛んで行った方向を見た。そこにはある艦娘がいた。彼女の名誉の為に、誰だったかは伏せておく。一つだけ言っておくなら、大井じゃなかった。そもそももし大井が僕の訓練隊にいたら、艦娘としての大井の特性からして、僕が北上と二人で食事をすることなど起こらなかった筈だ。僕は対面席に座っていた北上を見ようとした。でも気づくと彼女はいなかった。僕が手紙を読んでいる間に、食器を返却しに立ってしまっていたのだ。彼女に場を収めて貰えなくなったものの、余計な心配を掛けずに済ませられるかもしれないという点では、これは不幸ではなかった。

 

 不幸だったのはだ、あっちにはことが大きくなる前に片付けてしまう気がなかったという点である。彼女には手紙が届かなかったのだろう。そして、みんなの間でちょっと嫌われている僕には多くの手紙が届いている。嫌がらせをするにはいい理由だ。僕が紳士的に返してくれるよう頼んだにも関わらず、彼女はその手紙を読み上げ始めた。それだけならまだしも、書いてもいないことを捏造し、僕や僕の両親を侮辱するようなことを言った。それには我慢できなかった。僕は彼女の手から手紙を奪い取り、反撃しようとする彼女を突き飛ばした。たたらを踏んで後退した彼女は、足を滑らせて転んだ。やりすぎたとは思わなかった。艦娘は転んだ程度で怪我をするほどやわじゃない。もし何かが傷ついたとすれば、彼女の狭量な自尊心だけだ。その痛みを叩き返してやるとばかりに、彼女は近くのテーブルを掴んで立ち上がりざま、そのテーブル上に置いてあった食事用のステンレス製トレイを引っ掴み、それで僕の横っ面を殴り飛ばした。お次は大喧嘩だ。那智教官が飛んで来て僕を蹴り一発で吹き飛ばし、相手の艦娘を腕一本で壁まで投げ飛ばして制圧するまでそれは続いた。

 

 教官は公正だった。僕の言い分も相手の言い分も一顧だにせず、十分な罰を与えた。二ヶ月目、訓練修了直前に与えられる、二週間外出許可取り消しだ。

 

 率直に言って、最低の気分だった。相手の艦娘が別の訓練隊に移籍したので二度絡まれる心配はなかったが、今度は彼女と仲のよかった他の候補生たちからの感情が悪化した。絡まれた挙句に外出許可取り消し、加えて同期からの嫌悪感アップとは涙が出る。しかし、利根や北上のような僕をまともに扱ってくれる相手に心配を掛けたくなかったので、僕は気丈に振舞った。二人とも、僕の外出許可取り消しを聞いて「吾輩(もう影響を隠すこともなくなっていた)が抗議してやるぞ」「あたしも残ろっかー?」と言ってくれたが、訓練所で二ヶ月過ごしたストレスを開放する機会を、僕一人の為に台無しにしたくない。丁重に断りを入れて、誰もいない兵舎でゆっくりさせて貰う旨を伝えた。

 

 移籍させられた候補生を除けば僕以外にこんなへまをした者はいなかったので、外出許可期間が来るや兵舎はがらんどうになり、人っ子一人いなくなった。例外は那智教官ぐらいで、彼女は責任ある立場としてそれなりに忙しくしているようだ。それでも訓練を施している間ほどではないようで、初日や二日目には外を歩いているのを見かけた。三日目、僕はとうとう我慢できなくなって教官のところに押しかけた。彼女は書類仕事の最中で眼鏡を掛けており、レンズの下の険しい目は僕よりも書類に向けられていた。彼女は素っ気なく言った。

 

「何だ」

「自分は艤装を装着しての自主訓練の許可をいただきに参りました、教官殿」

 

 そんなことが許されるかどうかについての記述は僕の持っていたポケット軍規になかったが、とにもかくにもまずは頼めるだけ頼んでみようと思ったのである。まさか厳しい教官も、言ってみるだけで僕に罰則を科したりはしないだろうという計算もあった。那智教官は胡散臭げな顔で僕を見て、それから溜息を一つ吐くと書類を二枚取り出した。彼女は指でとんとんと紙を叩き「ここと、ここにサインしろ。後は私がやっておく。以前に訓練で使った場所以外は使用禁止とする。弾薬と標的、燃料の使用量を後で申告しろ。分かったか」と言った。僕は頷いて、書類に自分の名前を書き入れた。礼を言って艤装を取りに行こうとした。その背中を教官が呼び止めた。

 

「一人か?」

「はい」

「そうか。行っていい」

 

 分かっているだろうに、何故今更聞くのだろうか? 僕は少しだけ不思議に思ったが、すぐに忘れた。それより訓練だ。ベッドに寝転がっているよりは体にいいし、腕立て伏せや腹筋より集中できる。僕は艤装を装備し、海に出た。皿型の標的を使って、対空射撃の訓練をするつもりだった。クレー射撃の要領である。岸に設置した標的射出機が投げ上げる的を、僕は撃ち続けた。でも、どうも上手く行かなかった。実際の航空機はこんな標的など止まっているも同然の複雑な機動をするというのに、これでは全くの無力だ。逃した航空機が自分目掛けて爆弾を投下する様子を思い浮かべて、僕はぶるりと震えた。艤装はともかくとして、艦娘の肉体は深海棲艦の攻撃を跳ね返すほどには強くない。僕は重巡洋艦で、駆逐艦や軽巡洋艦と比べれば高い生存能力を持つが、それでも爆弾が体の何処かに直撃すれば、ただでは済まないだろう。まあ、大体の艦娘がそうだと思うが。

 

 海に沈んで溺れ死ぬ。それが嫌なら、訓練することだ。数のことを何と言おうとも、僕個人でどうにかできる問題ではない。それはもっと上の方で決まることなのだ。僕にできるのは、力をつけることだけだ。質を上げることで数に対抗するのは下策だが、何もしないよりもずっといい。そう考えて弾が切れるまで撃っては補給に戻って訓練を続けていると、意外な来客があった。那智教官だ。艤装を取りつけた姿だった。射撃をやめて、敬礼する。楽にしろと言われて、それを解く。彼女は僕の訓練の様子を見に来たらしく、続けるように命じた。僕は緊張しながら、射撃を再開した。命中率は教官が来る前と変わらなかった。下がらなかっただけ、自分を褒めてやりたい思いだ。一頻り撃った後で僕が砲を下ろすと、彼女は僕の隣に立って僕と同じことをやり始めた。が、命中率は段違いだった。実に見事な射撃が終わり、僕がぽかんとして見ていると、彼女はそれに気づいて居心地が悪そうに身をよじって言った。

 

「見ていたが、照準と発砲のタイミングが合っていないようだ。意識して撃ってみろ」

 

 言われた通りにする。やや命中数が増えたが、気のせいとも取れる変化でしかなかった。すると教官は言った。

 

「艦娘の砲の仕組みは知っているな?」

 

 座学の時にも軽く触れられたことがあったので、僕は頷いた。艦娘の砲塔には妖精がいて、こちらの指示を受けて操作をする。指示と言っても口に出す必要はなく、艤装側で読み取ってくれるのだ。しかし、読み取った情報を基にした操作そのものは妖精が行う為、そこにタイムラグが生じるのだと那智教官は言った。そのタイムラグが、命中精度を激減させる。命中精度が激減すると、敵に攻撃を受ける確率が跳ね上がる。結果、生存率は落ちるだろう。ほんの一瞬の遅延だ。それが時に僕を殺し、その改善で僕を救いもするのだ。では、どうすればいいか? 答えはシンプルだが、難しいものだった。

 

「自分で制御するんだ。理由は知らんが私はできるし、お前に同じことができない理由も思いつかん。何にせよ、試しにやってみる価値はあるだろう」

 

 そう言って教官は妖精に呼びかけ、全員を砲塔から出させた。それから僕に標的を出させ、それを矢継ぎ早に撃ち抜いた。僕には自信がないが、一度などは本来「那智」のスペックでは不可能な速度での再装填からの発砲を行ったように思えた。しかも速度だけでなく、命中精度も高い。撃ち終わると妖精たちを砲塔に戻し、彼女は僕を振り返った。

 

「妖精を砲塔から出せ」

 

 僕は言われた通りにした。那智教官の言うことは聞いておくに限る。妖精たちは僕の艤装に腰を下ろし、待っている。

 

「砲を動かしてみろ」

 

 頑張ったが、動かない。妖精たちはやいのやいのと笑いながら騒いでいる。と、おもむろに那智教官は僕から離れ、こちらに砲を向けた。僕がその真意を量りかねていると、彼女は発砲した。水柱が立ち、塩水が僕に飛び散る。砲弾の破片か何かが僕の近くをひゅんと通り過ぎて行った。那智教官が正気かどうかは分からなくなったが、その意図は分かった。僕は頬を滴る海水に混じって脂汗を浮かべながら、砲塔を動かそうとした。その間にも、教官は次々と発砲し、右から左から海水が浴びせかけられる。しかも、着弾位置が段々と僕に近づいている。妖精連中が危機感を持った騒ぎ方を始める。とうとう教官は僕そのものに照準を合わせた。と同時に、ほんの少しだが、砲塔が動いた。慌ててそのことを申告する。彼女は近寄ってきて、もう一度動かすように言った。もっともだ。僕はあらん限りの力と想いを込めて動かしてみせた。僅か数ミリか一センチそこら、砲が動いた。それで許して貰えた。

 

 時間は夕食時になっていた。一緒に戻り、使用した資材の申告を済ませる最中、那智教官は左手の長手袋の先を口にくわえ、引っ張って外した。まじまじ見るのも失礼だと思って見ないようにしたが、彼女の左手には確かにインク汚れが見えた。僕が訓練の許可を求めに行った時にはなかったものだ。彼女は恐らく、僕を指導する為に急いで書類を片付け、艤装をつけて来てくれたのだろう。思い上がりかもしれない、もしかしたら単なる気まぐれなのかもしれないが、それでもありがたかった。僕が気づいたことを知らない様子の彼女は、教官室の前で別れた時も仏頂面を崩さなかった。僕が敬礼とは別に頭を下げて感謝を述べた時もだ。「余り待たせると炊事員が困る。早く食事を済ませろ」と言って部屋に引っ込んでしまった。

 

 彼女が個人的に僕を指導してくれたのはその日だけで、それ以降二度とそんなことはなかった──残念なことだ。でも、彼女のお陰で僕はやるべきことが見えた。僕は毎日、妖精の操作なしで砲を操る訓練をした。三日でどうにか動かせるまでになり、八日目にはそれで撃って当てられるようになった。九日目に訓練を終えて戻ろうと振り返ると、陸地から那智教官が僕の訓練の様子を見ていた。何か荷物を持っているところを見ると、仕事の途中に偶然通り掛かったようだった。彼女の顔には軽い驚きがあったように思える。遠くて、しかも僕が振り返るとすぐに彼女は行ってしまったので、はっきりとそれを見られなかったのが残念だった。

 

 十二日目には嬉しい驚きもあった。北上と利根の二人が示し合わせたように一緒に戻ってきたのだ。しかも禁制品のお菓子や間食の類、飲み物なんかもたっぷり持って。家族や友人との交流も楽しんだので、少し早く切り上げてせめてもの慰めをしてやろうというつもりで帰ってきてくれたらしかった。二人はお互いに連絡を取っていなかった為、僕に会うより先に鉢合わせた時、持っていた例の禁制品の言い訳をお互いにし合ったそうだ。この目でその珍妙な様子を見られなかったのは極めて残念なところである。今晩にもこれで楽しもうと言う二人だが、その様子には疲れが透けて見えていた。僕は二人を休ませて、明日の夕食後にしようと持ちかけた。彼女らも内心そう思っていたのか、この提案はすぐに受け入れられた。二人が休むのを確認してから、僕は場所を探しに行った。流石に、個室とはいえ僕の部屋でやるつもりはない。教官室からも近いし、バレたらヤバい。運のいいことに、訓練所の倉庫の一つが使えそうだった。僕はそこに折り畳みの椅子を運び、木箱と布でテーブルをこしらえた。埃っぽいので換気もした。大分過ごしやすくなっただろう。

 

 翌日の夕方、僕が準備を整えて待っていると、微妙な顔で二人がやってきた。僕は彼女たちの持っていた荷物を引き受け、テーブルに置きながらどうしたのかと尋ねた。

 

「うむ、吾輩らがさっき荷物を抱えて歩いているとじゃな……」

 

 利根は飲み物やお菓子などを指して言った。

 

「教官に会ったのじゃ」

「ああ死んだわ僕らこれ最後の晩餐だわ」

「いやー、あたしもそう思ったねぇ」

 

 けらけらと笑う北上が、言葉を引き継ぐ。

 

「でもさ、何か見逃してくれてさ。まあ、なんて言うの? ありがたいよねー」

「一生分の運を使った気がするのじゃ……おお、すまんの主よ、並べるのを手伝おう」

「いいねいいねぇ、お菓子もこう並ぶと壮観だねぇ!」

 

 僕が一人でテーブルの上を整理しているのを見て、利根が手伝いに入ってくれた。北上は椅子に座って早速ペットボトルの飲み物を取り、大股を開いてリラックス状態だ。股を開いてはいても、スカートで隠れていて肝心なところは見えない。実に惜しい。一通り用意が終わったところで、僕らは掛け値なしに素敵なパーティを始めた。訓練所の外にいた時には気にもしなかったようなお菓子や飲み物が、二ヶ月と二週間近く目にも口にもしていないだけでこんなにも衝撃になるものなのかと僕は思った。それに、一緒にいるのは気心の知れた友達だ。楽しくない訳がなかった。僕らは歌を歌い、「訓練が終わったら」を枕詞にした話をし、満を持して北上が取り出した缶入りの『特別な飲み物』が入るとますます陽気になった。利根は抱きつき癖があり、僕にも一回抱きついてくれたが、後はずっと北上を後ろから抱きしめてはうなじに顔をこすり付けていた。北上は頬が少し赤らんで声がちょっと大きくなり、けらけら笑いが増えた他、笑う時に僕や利根をばしばし叩くようになった。僕も二人に負けず劣らず馬鹿なことをやったが、よくは覚えていない。この晩やったことで覚えている最後の出来事は、利根と二人で立った北上の足に抱きついて「神様! 神様!」と叫んでいたことだ。その間中、北上も利根も僕も笑っていた。

 

 起きると頭痛がした。利根は北上の服の中に頭を突っ込んで、彼女を抱きしめた状態で眠っていた。北上はうーん、うーんと唸っていたが、どうも夢見が悪いようだった。それもそうだろうと僕は思ったが、それよりもすぐに大事なことに気づいた。今何時だ?

 

 外を見ると、明るくなり始めていた。起床時間が近いようだ。これはよくない。もし、朝一番に戻ってきた他の候補生がいたら、僕は苦しい立場に追い込まれてしまう。僕は慌てて二人を起こそうとしたが、どうしてもダメだった。仕方なく利根を北上の服の中から引きずり出し、二人を肩に抱えて歩き出した。走らなかったのは、僕自身の問題だ。艦娘になった時点で身体機能は著しく向上しているが、だからといって無敵になる訳ではない。ありていに言うと、僕ら三人ともひどく気分が悪かったのである。そんな中で走るなど、自殺行為に他ならない。そろそろと歩いて兵舎まで戻り、二人を彼女たちのベッドに寝かせる。運よく他に誰もまだいなかった。それから僕は倉庫に戻った。体は休息を求めているが、しかし後片付けをしなければならない。バレたら面倒になるのは僕だけではないのだ。一歩動くのも億劫な体で倉庫に辿り着き、扉を開ける──と、いつものように那智教官が待ち構えていた。

 

 びくりとするだけで吐かずに済んだのは、多分対空射撃訓練の時のことで、一対一で彼女と接することにごく弱い免疫ができていたからだろう。それに、教官が僕らが飲みきれなかった『特別な飲み物』を口にしていたせいもあるだろう。彼女はにやにや笑っていた。そんな顔は初めて見た。

 

「楽しんだようだな?」

 

 一体「はい」以外になんて答えればよかったんだ? 見ると、倉庫中に散らばっていたごみなんかは、全部なくなっていた。誰かが片付けたんだろう……恐らくは目の前にいる人物が。

 

「早く部屋に戻って寝ろ。お前、ひどい顔だぞ」

 

 僕は許可を得て個室に戻り、水を飲んでからベッドに潜り込んで、布団を引っかぶった。夕方まで出られなかった。食堂が閉まるギリギリの時間に夕食を食べに行くと、そこで利根と北上に鉢合わせた。僕らは互いににまにま笑いを浮かべた。そして一緒に夕食を食べた。一週間後の訓練修了についてあれこれ語り合い、自分たちが何処に配属されるのだろうかと話をした。横須賀が一番人気だが、呉も中々だった。僕は呉に行きたかった。規模が大きく補給は潤沢で、それでいて横須賀ほど内規に厳しくないと聞いていたからである。そこの提督は仕事を果たしていれば文句を言わないタイプらしいとも言われていた。利根は何処でもいいから活躍できる場所がいいと言って、自分の展望を語った。北上は僕と同じ理由で呉に行きたいと言い出した。三人で希望が叶うことを願いあって、僕らは食堂を出た。

 

 そこからは数日の何ということもない訓練が続いたが、訓練修了式を翌日に控えた日の朝、僕は怒鳴り声で目を覚ました。声には覚えがあった。那智教官だ。僕は何かあったのかと思って部屋を飛び出した。那智教官は怒り狂って「伏せろ! 地面に伏せろ!」と叫んでいて、艦娘候補生たちは床に這いつくばっていた。教官に怯えてか動くのが遅れた天龍がみぞおちを殴られ、うずくまった。僕を含めて全員が伏せる。みんな、怒りが自分に向けられないように祈りながら、これからどうなるかを見ようとした。教官は荒い息を吐きながら「立て! 立つんだ!」と喚いた。さっき殴られた天龍に近くにいた龍田が駆け寄り、二発目を受ける前に一緒に立ち上がる。教官が僕の方を向いた。歯を食いしばり、興奮に目を開いて、顔を真っ赤にし、唸り声を上げていた。彼女は僕らの間に立ち、また喚いた。

 

「誰が言った、私のことを誰が何と言ったんだ! 何をした? 私のことが気に食わなかったんだろう! 私はここにいるのに、誰も殴りにも来ないつもりか! 私を殴れ、殺してみろ、さあやれ、やれ! 密告などせずに、堂々と挑んでみろ! 私一人だぞ! 片腕の、役立たずの私一人なんだぞ! 雁首揃えて私一人殺せないのか!」

 

 誰も動かなかった。格闘訓練の時の罵倒とは違った。もしこの時、誰かがその気になっていたなら、そいつは教官を殴り倒すこともできただろう。刺し殺したり、絞め殺したりもできただろう。教官は抵抗しなかったに違いない。本気だった。感情を露にしての言葉だったが、感情に任せた口先だけの言葉ではなかった。彼女は跪き、顔を手で覆ってすすり泣き始めた。それから床を一発殴って、立ち上がると、ふらふらと教官室に戻っていった。天龍が殴られたところを押さえてベッドに座り込み、咳き込みながら言った。

 

「クソったれ、ありゃどういうつもりだよ! とうとう気でも狂っちまったのか?」

 

 ほぼ全員が彼女のこの言葉を無視した。だが一人、青葉が言った。

 

「違うんです。教官は海軍本部に手紙を出してたんです」

「はぁ? 何の?」

「戦闘部隊への復帰嘆願……青葉たちと一緒に戦えるようにって」

 

 天龍の顔が驚きに染まった。それから、彼女は俯いて一つ罵った。青葉がぽつりと呟いた。

 

「……でも、却下された」

 

 その一言で、僕は外出許可を取り消された時よりも嫌な気持ちになった。その後の訓練修了式の練習時には那智教官は元に戻っていたが、目の下が薄っすらと赤くなっていたのを僕は見逃さなかった。それは化粧ではなかった。泣いた跡だ。口を真一文字に引き締め、これから自分が育て上げ、自分が戦地に送り出し、何人かは自分の知らないところで死んでいくのだろう者たちを前にして、気丈に振舞っていた。翌日、本番の修了式でも彼女は変わらなかった。目元の赤みが消えていただけだ。彼女は涙を落とさなかったが、僕には彼女が何も感じていないとは到底思えなかった。修了式には親も休みを取って来ていたし、友達も見に来ていた。学校があっただろうに、抜け出すかサボるかして駆けつけたのだろう。修了式にまで来てくれるとはありがたいことだったが、どうしても彼らより教官を気にすることを僕は止められなかった。彼女の苦しみを取り除きたかった。だが、どうやって? 方法など一つも思い浮かばなかった。僕にできるのは誓うことだけだった。必ずや深海棲艦を倒し、彼女のような負わずともよかった筈の苦しみを負う誰かがこれ以上生まれずに済むようにしてみせよう。僕が直接皆殺しにするという訳ではない。それは荒唐無稽が過ぎる。ただ僕はその一助になるだけでいい。その志を持って僕は戦いたいのだ。いつか沈む時が来たら、その志に恥じない戦いの末に沈みたいのだ。無論、沈まないで思いを遂げられるなら、それに勝る喜びはあり得ないが。

 

 修了式が終わっても、訓練所をすぐに離れるということにはならなかった。配属地の発表が行われ、家族や友人たちに別れを告げて移動する為の三日間が与えられたのだ。配属地発表は実技訓練教官の仕事だった。兵舎で集合した僕たちの前に、那智教官は一枚の書類を持って現れた。僕は辺りの艦娘候補生──いや、艦娘たちを観察した。期待に瞳を輝かせる者、不安で眉をひそめている者、無関心な顔をしている者、友人とこそこそ話し込む者、色んな顔があった。僕はこの中の何人と、また会えるだろうかと考えた。座学で艦娘の平均稼動年数を聞いていたからだ。それは予想よりもかなり短いものだった。何より衝撃を受けたのは、僕らがその年数を知らなかったということだ。それは、世間では軍によって統制された情報だったのである。僕らは何となく、そこまでひどくもないだろうと思っていたのだ。しかし、その考えは間違いだった。怒る候補生もいたが、今更後には退けないし、軍が黙っていた理由も分かった。志願が減ると困るのだ。「個人の利益は集団の利益を害してはならない」。僕らは飲み込んで進むしかなかった。

 

 艦娘たちの名前と、勤務先の鎮守府や泊地や基地、あるいは所属部隊が読み上げられていく。青葉は国内の広報部隊に行きたがっていたが、リンガ泊地まで飛ばされた。悲しむよりも先に「えぇ、リンガ泊地って何処なんですかぁー?」という疑問が口から出てきた彼女に、周りのみんなが笑った。

 

「軽巡洋艦、北上。呉鎮守府での勤務を命ずる。よくやった、北上」

「やったよー」

 

 特に嬉しくなさそうな、間の抜けた声で北上は答えた。でも、僕が彼女の方を見ると、その口元が緩んでいた。望み通りのところに配属されて嬉しかったに違いない。彼女は僕の視線に気づくと、悪戯っぽく笑った。僕も微笑み返した。よかった、と思う。行くところによっては、艦娘が酷使されることもあるらしい。十分な休養も、燃料も、弾薬も与えられずに出撃させられ、他の部隊の囮にさせられたり、敵勢力圏への威力偵察に使われたりするという。青葉の話では、艦娘用の懲罰部隊を兼ねているらしい。とにかく、呉鎮守府ならそんなこともないだろう。全体的に緩いという話で、広報の一環でテレビに出てくることも多い。僕も呉に行けたら……少しだけそう考えてしまった。折角できた北上という友達とも離れずに済む。ああ、しかし呉ともなれば大井がいるだろう。迂闊に振舞うと僕は殺されるかもしれない。やっぱり呉行きにはならない方がいいな。

 

 龍田が呼ばれた。「単冠湾泊地での勤務を命ずる。天龍もだ。よくやった」「あらあらー、また一緒ね、天龍ちゃん?」「単冠湾って、日本列島最北端の泊地じゃねーか! 家にそんなとこ用のコートあったっけな……?」「天龍ちゃーん?」「おう、お前も風邪引かないようにな」「もう、そんなの分かってるわぁ」……この二人は体が艦娘になってからの訓練期間中ずっとこんな具合だったが、これもまた見られなくなると思うと寂しい気もする。生憎、僕は二人に避けられる立場だったが、眺める分には文句も言われなかったし、いい見世物だったのだ。

 

「重巡洋艦、利根。宿毛湾泊地での勤務を命ずる。よくやった」

「宿毛湾……? あ、おーおー、四国の……あそこじゃな、あそこ。うむ、分かるぞ。吾輩の活躍できそうな場所じゃな!」

「利根っちー、ホントに分かってるー?」

「分かっておると言っておろう、北上!」

 

 利根は宿毛湾泊地か。高知の左端って感じのところだった筈だ。呉鎮と近いから、北上と会う機会もあるかもしれない。僕抜きでも二人が仲良くしてくれれば、それはそれで嬉しい。艦娘の傾向としてではなく、本当に個人と個人の繋がりとして仲良くなっている者を見るのは、何だか新鮮な楽しみがある。と言って、天龍と龍田のような連中を悪く言うつもりもない。切っ掛けが何であれ、誰か親しい人を見つけることができた誰かは幸いだ。僕もそうだった。訓練所で利根や北上と一緒になってよかった。そうじゃなければ、流石に僕も心が折れていたかもしれない。周りの奴らの大半から避けられるというのは中々にスリップダメージを入れてくるものだ。

 

「軽巡洋艦、那珂。トラック泊地での勤務を命じる。よくやった」

「よくないぃー! 那珂ちゃん正直日本から出たくないよー!」

「那珂、巡業じゃぞ、巡業! それに吾輩応援しとるから!」

「ありがとー!」

 

 一瞬の切り替え。そこにはプロがいた。僕は心の中で拍手を送った。それからも次々と一緒に訓練を受けた艦娘たちの行き先が呼ばれて行き、とうとう最後の一人の番になった。つまり、僕だ。ほとんどの艦娘たちは急いで移動などの準備をしに行ってしまったが、利根と北上は最後まで残ってくれた。彼女らの優しさは一生僕の心に刻まれるだろう。僕はどきどきしながら那智教官が読み上げるのを待った。だが彼女は長い間黙っていた。書類が彼女の左手で押さえたところでくにゃりと曲がり、那智教官の顔が見えた。厳しい表情だった。彼女はやっと、命令を読み上げた。

 

「お前は海軍本部の広報部隊勤務を命じられた」

 

 僕は頭を殴られたような具合だった。彼女は手ひどい言葉を一つ使った。

 

「広報だと? 私はあんな俳優と記者連中の集まりにお前をくれてやる為に訓練してやった訳ではない! 分かっているな? お前は私の育てた艦娘だ……確かに男かもしれんが、艦娘であるということは性別の問題ではない。問題なのはお前が、何の為に、何と戦うかということだ。それを忘れない限り、お前は艦娘だ。お前の同期の艦娘たちの同胞で、私の同胞だ。世界中の艦娘たちの同胞だ。決して忘れるな。腐るな。お前の戦いを遂行しろ。お前が艦娘である限り、いずれはその時が来る。そうだな、案外とすぐかもしれんぞ?」

 

 教官は笑った。獰猛だが、同時に優しさもこもった笑いだった。彼女は「以上だ。解散」と言った。それが訓練所で僕らと彼女が交わした、最後の言葉になった。利根と北上は彼女が行ってしまった後で、僕を慰めようと試みたが、その必要はなかった。教官が僕に言ってくれたことが、僕を十分に救ってくれていたのだ。何となく、彼女の「案外とすぐかもしれん」という言葉が正しいような気もしていた。彼女の言葉には不思議な説得力があったのだ。それは僕がそれを信じたいが為に、そう感じているだけなのかもしれなかったが、そうだったとしてもとにかく今を耐えるには不足のないところだった。利根たちは安心して、僕らはお互いにきっと手紙を書き合おうと約束をした。訓練所を三人で出ると、それぞれの家族が待っていた。僕が別れを言ってそちらに向かおうとすると、利根が僕と北上を呼び止めた。

 

「餞別にこれをくれてやろう! 身に着けておくがよい!」

 

 それはピアスだった。三角形をした金の留め金の真ん中に、パールがはめてあった。それを利根は僕と北上に一つずつ、片方ずつ渡した。僕の記憶では片耳につけるって何か意味があった気がするんだが、まあ忘れておこう。利根が自分の分も一つ持っていたところを見ると、二揃い買ったらしい。四つの内、余った一つはどうするんだろうと思っていたら、思いついたようにそれも僕に押し付けてきた。きっとそうなのだろう。彼女はそういうところが少しある。チャームポイントの一つだ。

 

「うむ、これもついでじゃからくれてやる。お主は友達作るの下手そうじゃからなぁ……いい友達ができたらこれをプレゼントしてやるのだぞ! では、また会おうな! 北上も!」

 

 言い残して、彼女はとっとと自分を迎えに来た家族のところに行ってしまった。僕と北上は顔を見合わせて笑った。

 

「それじゃ、まあ」

 

 僕は手を差し出す。北上は「うん?」と漏らしてから、こちらの意図に気づいて僕の手をしっかりと握った。

 

「健闘を祈ってるよ、北上」

「ありがとねぇ、そっちも頑張ってー!」

 

 そうやって握手して、僕らもそこで別れた。


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