元天剣授受者がダンジョンにもぐるのは間違っているだろうか? 作:怠惰暴食
闘技場から出て、しばらく時間が経過した頃。
シルさんを探すため闘技場の周辺を一頻り見て回った僕は、神様と一緒にまた東のメインストリートに戻ってきていた。祭のショーが始まったのを皮切りに、もうほとんどの人が闘技場へ入場したのか、大通りの人影は行きの際と異なって随分とまばらだ。
「なぁ、ベル君。君が探している相手も女の子なんだよね?」
「え? あ、はい、灰色っぽい髪と瞳をしたヒューマンの方です。ちょっと大人びてて、身長はもしかしたら僕よりあるかも……」
シルさんの外見を尋ねられていると思ったけど、神様はどうでもいいかのようにそれを聞き流して、こちらを責めるような眼で見つめてきた。
避難がましい視線に、僕はわけもわからずうろたえてしまう。
「あ、あの、神様?」
「……さっきのアドバイザー君と言い、君も中々抜け目がないよなぁ」
「えっ……ど、どういう意味ですか?」
「さぁーねっ」
神様はぷいっとそっぽを向いた。
神様が何故不機嫌になったのかわからない僕はどうすることもできず、しばらくおろおろとすることしかできなかった?
「――!」
遠くから少しずつ近づいてくるようなモンスターの唸り声……?
「? ……どうしたんだよ、ベル君?」
前触れもなく足を止めて周囲を見回した僕を、不機嫌そうな表情で神様が僕を見るが、神様に返答するよりも先に確認しなきゃいけないことがある。息を潜め、音を識別し……
「……悲鳴?」
思わず洩れ出た呟きの次の瞬間。
「モ、モンスターだぁあああああああああああああっ!?」
大音響が響き渡り、平和な喧騒に満ちていた大通りは一瞬言葉を無くす。
そして、僕は見た。
闘技場方面から伸びる通りの奥。
石畳を激しく蹴る音を従わせながら、純白の毛並みを持つ一匹のモンスターが、荒々しく突き進んでくるのを。
(……シルバーバック、外ではあんまり脅威にはならないけど、もしこの個体がダンジョンから連れてこられたものだとしたら、十一階層のモンスター。今の僕では太刀打ちできない……)
シルバーバックが足を止めて、何かを探すように周囲を窺い、一歩、足を踏み出した。
人垣の群れは、絶叫を放ってばらばらに散っていった。しかし、僕には人垣に対して注意を払っている余裕が無かった。
何故なら、視線の先にいるシルバーバックがぎょろりと僕に、神様に視線を向けていたからだ。
「……神様、行きますよ」
「へ? うわぁ!?」
神様が間抜けな声を出すが、僕は構わず神様を抱えて走り出した。
『グゴォオオオオオ!!』
背後からシルバーバックの咆哮が聞こえ、こちらに向かって走るような足音が聞こえる。
「神様、シルバーバックは、モンスターはどうしてます?」
僕の言葉に神様は両手を僕の首の後ろで組んで、落ちないように後ろを見る。
「つ、ついて来てるよ! というより、狙いはボク達!?」
神様の言葉に別方向へ逃げる人達に目もくれていないのだろう。手当たり次第に人を襲うモンスターらしからぬ行動、それに足音が途絶えることなくシルバーバックが後ろから僕達を追いかけきていることを教え、ある事象の裏づけをしている。
(もしかして、誰かに操られている?)
しかし、今はそんなことを考えている場合じゃない。狙われているのが僕達だというのであれば、立ち止まるとどうなるか想像できてしまうから足を止める事ができない。
活剄で脚力を強化し、シルバーバックから少しでも距離をとり、少しでも人通りが少ない場所へと裏路地を通っていく。
「っ……ベル君、だめだっ、こっちはっ……!」
「!?」
神様の切羽詰った声に、意識を取り戻す。
僕の足が辿り着いた先、神様の言葉、そして目の前の光景から、ここがどこかわかってしまった。
【ダイダロス通り】……。
よじれたような何本もの通路、壁から不自然に突き出ている正方形の部屋、入り混じる無数の階段。路地を形成している人家の群れがこれ以上なく猥雑に立ち並ぶ。その重層的な構造は、オラリオに存在するもう一つの迷宮を思わせる。度重なる区画整理で秩序が狂った、広域住宅街。
聴覚に集中するようにシルバーバックがどこにいるか確認する。
(距離をとったつもりだけど……そんなに離れていない。屋根を伝っているのかも)
思わず建物の上を見てしまう。まだ、シルバーバックは来ていないが、ここに来るのも時間の問題だろう。
「べ、ベル君?」
神様が不安げに僕を見上げる。不安にさせてしまっただろうか、その不安を取り除くように僕は神様に笑いかける。
「大丈夫です。行きましょう」
そのまま神様を抱きかかえたままダイダロス通りに前進していった。
『アアアアアアアアアァァッ!』
その少し後、僕達が居た場所でドスンと重い物が落ちる音が聞こえた後、シルバーバックが苛立ちの声が聞こえた。やっぱり、屋根の上から来たようだ。こうなってくると時間が稼げない気がする。
住宅街の悪路を僕はシルバーバックに追いつかれないように走る。ここに居た住民達はシルバーバックとその咆哮により悲鳴を上げて逃げ出した。
迷路の如く進んでいくと途中で狭い地下道を見つけた。しかも、この地下道は奥の出口からは陽光が見える。ここを通り抜ければ一つ隣の居住区に出られるだろう。
僕は神様を申し訳ないと思ったけど放り込む。神様は受け身を取れず呻き声を上げてしまった。ごめんなさい、神様。
神様は驚いた顔で振り返るが、僕はそれより先に入り口に備え付けられていた封鎖用の鉄格子をスライドさせた。
「ベル君!?」
「……ごめんなさい、神様」
鉄格子が閉まり切り、僕と神様の間に冷たい境を作り上げる。
「神様はこのまま進んでください」
「ボクは、って……君はどうするつもりだよ!?」
「……あのモンスターを引き付けて、時間を稼ぎます」
今の僕では神様を守りながら戦うことはできない。それにステイタスでも成長しているとはいえ今はあのシルバーバックを倒すこともできないだろう。
なら、今の僕にできるのはシルバーバックを引き付けて他の冒険者が来るまでの時間を稼ぐしかない。
僕の真意が正しく伝わったのか、神様は愕然とした顔でその場で立ちつくした。
「な、何を馬鹿なこと言ってるんだ、君は!」
「死ぬつもりはないですよ……」
「なら! ここを開けるんだ、ベル君!」
僕は首を横に振って扉から離れ、神様に背を向ける。
「神様、ごめんなさい。今の僕では神様を守りながら戦うことはできません。大丈夫です、時間を少し稼ぐだけですから心配しないでください。行ってきます」
神様の必死で僕を制止させようと大きな声を張ってくる。しかし、僕は振り返らない。そしてそのまま、来た道を戻って十字路へと出た。
シルバーバックはまだ来ていないし、神様の方にも向かっていない。こちらへ近づいてくる気配はある。
僕はレッグホルスターからミアハ様から貰ったポーションを取り出し、飲み乾した。
拭われる疲労感。体力が戻り、力が湧いてくる。ダメージを受けていないとは言え、万全の状態でやらなければ、一瞬で命を落とす。
深く息を吐いて、クトネシリカを居合い抜きするように構え、剄を込める。
「来た」
『ルァッ!』
シルバーバックが通路の奥から走ってやってきた。
「せあっ!」
僕は十字路の真ん中まで近づいてきたシルバーバックに攻撃をしかける。
サイハーデン刀争術、焔切り・翔刃。
『グァッ?』
跳躍と共に放たれた炎を引き連れた居合い抜きの斬線はシルバーバックの右腕に当たる。しかし、薄く斬れただけで致命傷には程遠い。
(こうなる事はわかっていたはずだ)
あまり効果が無かった事に落ち込む心を叱咤して、次に繋げる。跳躍の抜き打ちによりシルバーバックの上を取っている。
サイハーデン刀争術、焔重ね・紅布。
炎と化した衝剄を眼下のシルバーバックに叩きつける。紅の瀑布となって襲い掛かるそれにシルバーバックはなすすべなく、爆発に巻き込まれる。
『……ガァアアアアアッ!』
着地してシルバーバックを見ると、多少焦げただけで余りダメージを受けた様子はなく、度重なる攻撃で怒り狂っている。
「結構やっかいかも……」
自身の攻撃が通らないことに今の自分がもの凄く弱く。目の前のシルバーバックを倒すには時間がかかることに溜息がでる。
だけど攻撃したことにより、目の前のシルバーバックはターゲットを僕に定めた。間違って神様のもとへ行くことはないだろう。
「どこまでやれるかな?」
体力にはまだまだ余裕がある。剄量もぜんぜん大丈夫、剄技の方は僕の今の器によって剄の出力は制限されているから威力は見込めないかな、となると手数で勝負だ。
「フゥ」
小さく息を吐いて構えてから、相手の出方を窺う。
『グ、ガ?』
シルバーバックが急に僕から視線を逸らしてキョロキョロしだした。どうやら、最初から狙いは僕ではなく神様みたいだ。
だから――
サイハーデン刀争術、焔切り。
『ギッ!?』
今度はシルバーバックの左腕を浅く斬る。
「余所見をしてると死にますよ?」
モンスター相手に効くかどうかわからない挑発を冷めた声でする。
『グ、ガァアアアアアアアア!!』
咆哮を上げてシルバーバックは僕に跳びかかる。いつ冒険者がやってくるかわからない状況の中、僕は命がけの時間稼ぎをするためにシルバーバックを迎え撃つ。
隙に切り込み、攻撃を技で切り抜け、咆哮を雄たけびで返す。モンスターの本能的な攻撃を僕は心を乱さずに理性と経験と技で対応する。
時間にして多分、数分間。攻撃を受けてはいないけど、思ったより緊張があったのか、呼吸の乱れを自覚し、焦燥感が少しずつ顔を出す。
シルバーバックの方は四肢に軽い裂傷が走り、血が滲んでいるが、闘志に衰えはない。
(まずいことになったかな)
決定的な一撃を入れることができない僕と攻撃を当てることができないシルバーバック、致命的な一撃を与えられない以上、時間をかければかけるほど不利になっていく。シルバーバックが僕の動きに少しずつ対応してくるからだ。
(手元にクローステールがあれば……)
ふと、そんな事を思ってしまう。ああ、いけない。手元にない武器のことを思うなんて重症だ。僕はこんなに諦めが良かったか?
戦い方を変えないと、左手に前まで使っていた短剣を逆手に持ち、右手にクトネシリカの柄を握りしめ、体を斜めに左手に持っている短剣をシルバーバックに見えないようにして、クトネシリカの切っ先をシルバーバックに向ける。
剄を奔らせる。
キン……
胸の鼓動が早くなる。
キン……キン……
汗が流れ落ちる感触が敏感になった肌で感じる。
キン……キン……
(まだだ。まだ動かないで……)
そんな事を思いながら、成り行きに身を任せ、思わず唾を飲み込む。
キン……キ、キン……
武器に込める剄の密度を上げる。薄く開いた唇から息が吐き出される。
キ、キ、キン……キウゥゥゥン…………
もう、これ以上、武器に剄を込められない。これより先の物理的世界に到達することは不可能だという音が聞こえる。
(準備はできた。後は僕次第……)
サイハーデン刀争術、水鏡渡り。
『ガッ!?』
旋剄を超える瞬間的な超高速移動でシルバーバックを翻弄し、シルバーバックの攻撃可能な間合いに入ってから目標に跳躍。
外力系衝剄の変化、轟剣。
剄を練り上げてクトネシリカの刃に纏わせて、長大な刀を作り出し、短剣を持ったまま左手で柄を支えて、クトネシリカを上段から振り下ろす。
『ガァアアアアアアァァ!!!!』
シルバーバックは白刃取りをするように両手で轟剣の刃に触れ掴まれて斬撃を止められてしまう。
(だけど!!)
轟剣を形成している剄からクトネシリカの刀身が抜ける。シルバーバックは驚愕に目を見開いて、自由落下する僕を見る。未だに消えずに残っている轟剣だった剄が形を変えて、無数の閃断になりシルバーバックを切り裂いた。
『グガァアアア、ア、ア、ア、ア、ア!!』
シルバーバックの四肢を閃断が最初の焔切りより深く切り裂くが、これでもまだシルバーバックを倒すには足りない。
(だから、用意した。君のために作り上げた。僕が君を倒すためだけに作り上げた技だ……どうか、受け取ってくれ……)
左手で握られた短剣をシルバーバックに向かって投げる。あの短剣には僕の剄を持ちうる技術を全て使って込めている。あの短剣はもう僕の手には戻ってこない。できうる限りの全力を込めた。問題は制御の方だ。タイミングを狙わないと爆発による衝撃は無駄に散らばり、やはりシルバーバックを倒すにはいたらない。
(狙うは魔石!)
放たれた短剣から魔石の距離まで1M。シルバーバックは両手を頭に乗せたままだ。
残り50C。シルバーバックは気付いただろうか? でも、逃げたとしても、それは追尾として化練剄の糸を使っているから早々に逃げられないはずだ。
残り30C。もう少しだ――
「ベル君っ!」
(!?)
しまった。制御を手放した。
シルバーバックを倒すために用意したものが爆発し、爆風によって目を瞑る。
目を開けると――シルバーバックが右手を振り上げて、斜め上から
『ガァアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
振り下ろした。
左半身を今まで受けたことがないような衝撃を受けて吹き飛ばされ、僕は壁に叩きつけられた。
ベル君が死んだ――!!
次回更新、来週の日曜日予定。