IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
「確か、ここらへんだったよな……」
ゴーレムの襲来から時間は経って夕方。
俺は楯無さんの様子を見にIS学園の医療棟に来ていた。
まあ、あの人には色々言いたいことがあるからそういう目的もないわけじゃない。
「……ん?」
廊下を歩いていると、少しだけドアが開いている医療室があった。
「?」
不思議に思って中を覗いてみると、
「………………」
眠っている楯無さんのベッドの横で、椅子に座って楯無さんが目を覚ますのをじっと待っている簪の姿があった。
「っと……」
俺はさっとドアから離れた。
(簪のやつ、どっか行ったと思ったらここにいたのか)
最初はあいつも誘おうと思っていたんだが、どこにもいなかったからまだ気にしているのかと思った。
「気が……ついた?」
「うん……。ここは……?」
部屋の中から話し声が聞こえた。
どうやら楯無さんが目を覚ましたようだ。
「学園の……医療室……」
簪はオドオドとした口調で答える。
「保健室じゃないのね……いたたたた」
「う、動いちゃ……ダメ。命に、別状はない、けど、傷は……浅くないから……」
「うん……」
それから楯無さんも簪も黙りこくって、静寂があたりを包む。
(楯無さんも、簪のことは気にかけてたからな……)
きっとお互いどんな話をすればいいのか分からないんだろう。
「お姉ちゃん……」
ふと、簪が口を開いた。
「な、なに?」
「どうしたの……? 顔、赤いよ……?」
楯無さんはどうやら久しぶりに簪と話すことができて照れているようだ。
「ゆ、夕日のせいでしょ……」
「そう……」
ぶっきらぼうに答える楯無さんに、簪は納得したみたいだ。
そして、再び沈黙があたりを覆う。
「あ、あの、ね……お姉ちゃん……」
「ん?」
その沈黙を破ったのは先程と同じように簪だった。
「い、今まで……ごめんなさい……」
「気にしなくていいのに」
「で、でもっ……」
そう言う簪の声は震えている。きっと今にも泣き出しそうになっているに違いない。
「わ、私……ダメな妹だから……」
そんなことはない。
「そんなことはないわ」
俺の心の声と楯無さんの声が重なった。
「あなたは、私の大切な妹よ。とても強い━━━━私の妹」
ゆっくりと、そしてはっきりと優しい口調で楯無さんは言った。
それが、簪の限界だった。
「お姉ちゃん……おねえちゃぁん……!」
とうとう簪は泣き出した。
ずっと堪えていた、姉への感情。
俺なんかじゃ想像もできないくらいのものが、簪の心の中にはあるんだ。
「ん」
楯無さんは短くそう言うと、簪の感情の奔流を受け止めていた。
「………………」
俺は音を立てないように背中を預けていた壁からそっと体を離した。
そして医療棟の出口に向かって歩き出す。
(明日にするかな……)
姉妹水入らずを邪魔するほど、俺も野暮じゃない。
(良いもんだな。兄弟とか、姉妹とか……)
俺はほんの少しだけ一夏や箒、そして簪を羨ましく思いながら、医療棟を後にした。
◆
「……少し休憩したらどうだ?」
深夜。IS学園には、その関係者でもごく一部の人間しか知らない特別なエリアが存在する。
━━━━IS学園地下特別区画。
そこでは、今日の襲撃者である無人ISのゴーレムⅢの解析を、真耶が夕方からぶっ通しで続けていた。
そこに自分用の缶コーヒーと真耶に渡す用のロイヤルミルクティーの缶を持った千冬が入ってきた。
「あ、織斑先生……」
真耶はキーボードを打つ手を止めて千冬からそれを受け取る。
「どうだ? そっちの方は」
「回収できたコアは、桐野くんの渡してくれたコアも含めて三つ。どれもこれも先生の読み通り、未登録のコアで動いていました」
やはりな、千冬は心の中でそう呟き、缶のプルトップを開けた。
「政府にはすべて破壊したと伝えろ」
「で、ですが、それでは━━━━」
「考えても見ろ。ISのコアなんて世界各国の要人がそれこそ喉から手が出るほど欲しがっている代物だ。渡せば、不要な争いの種になる」
千冬の言っていることはもっともだが、それは裏を返せば学園を危険にさらすということである。
「………………」
真耶の重い沈黙に千冬はわざと明るく振る舞った。
「おいおい、そう不安そうな顔をするな。私を誰だと思っている? これでも元世界最強だぞ?」
「はい」
「学園の一つや二つ……守ってみせるさ」
ニヤ、と口元を吊り上げる。
「━━━━命をかけて、な」
◆
「あーってててて」
翌日。日曜日の俺は、いつも通り朝食をとったあとに、部屋の洗面所で歯を磨いていた。
しかし、いつもと違って体中が痛い。原因は昨日のゴーレムとの戦闘である。戦闘後の受診では、肋骨三本にヒビ。十か所の打撲と診断された。そら痛いわな。
(まあ、入院するほどの怪我でもないし、これくらいで済んだから良しとするか……)
そう考えながら歯を磨いていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。
「? どちらさんですかー?」
「あ、私ですー」
と元気のいい返事が返ってきた。
洗面所から出てドアを開けると、ニコッと笑う山田先生の姿があった。
「桐野くん!」
「はい」
「取り調べです!」
「はい?」
突然の通達に思わず同じことを二回言ってしまった。
「取り調べ? 取り調べってアレですよね? あの、カツ丼が出されるやつ」
「ええ、まあドラマとかではそういうのがありますけど、先生は天丼の方が好きです」
「そうですか。って、そうじゃなくて。あの……取り調べって?」
「掻い摘んで言うと、昨日の襲撃事件についての報告書を書かなきゃいけないので、専用機持ちは全員強制参加の事情聴取です」
最初っから掻い摘んで言ってほしいもんだ。
「はあ、いつからですか?」
「今から二十分後に生徒指導室で始めます」
「わかりました。了解です」
「はい! 遅れないでくださいね?」
そう言って山田先生はてってけてーと走り去っていった。
(さて、それじゃ準備するか……)
再び洗面所に戻ろうとすると、再びドアがノックされた。
「山田先生?」
何か言い忘れたことがあるのかと思い、ドアを開けるとそこには……
「あ……」
「お、簪さんじゃあないか」
手をモジモジと動かす簪の姿があった。
「あ……のっ……」
「もしかして、お前も取り調べ?」
「うん…………」
コクンと首を縦に振る簪。
「じゃあ、一緒に行くか。上着取ってくるからちょっと待っててくれ」
「う、うん……。待ってる……」
またコクンと頷いた簪を見てから一度部屋に入り、上着を取って再び外に出る。
「お待たせしましたっと。行くか」
「ん……」
そして、まだ朝九時の人気のない廊下を簪と並んで歩く。
「しっかし、昨日は大変だったな。簪は怪我とかしてないか?」
「少しだけ……。え、えいっ……瑛斗っ……は?」
なんか、俺の名前を呼ぶのに難儀してた。そんなに呼びにくい名前じゃないと自負してるんだが。
「俺も大した怪我はしてないな」
つーことにしておこう。こうして歩けるわけだし。
「その……楯無さんは?」
昨日俺が行ったことがバレてないかどうかカマをかけてみる。
「お、お姉ちゃんは……しばらく医療室で経過観察……」
うん、簪の言い方からすると、どうやらバレてはいないようだ。
しかし入院か。さぞ退屈なことだろう。見舞いの品でも持っていくか。
「楯無さんの趣味ってなんだっけ?」
「え? えっと……将棋……かな」
「渋いなまた」
つか、将棋は一人じゃ出来ないし、病室だと邪魔なだけだろう。別の何かが良いな。
そんなことを考えていると、簪が少しだけ大きな声を出した。
「お姉ちゃんのことっ! き、気になるのっ?」
「ん? ああ、いや、何か差し入れでもとな」
「差し、入れ?」
「だって、入院生活なんて退屈極まりないだろ?」
「あ……そういう、こと……」
ホッとしたように胸を撫で下ろす簪。
(どうしたんだ? 簪のやつ)
「けん玉」
「うん?」
「けん玉で、いい。お姉ちゃん、あれ、ずーっとやってるから……」
そうなんか。意外だ。
「あとは……うーむ、編み物とか?」
「お姉ちゃん、編み物は……苦手……」
「え!? あの人って苦手なものあんの!?」
編み物に悪戦苦闘する楯無さんをイメージするが、どうもピンと来ない。
「あなたが言ったんじゃない……完全無欠のヒーローなんていないって」
「そういやそうだな。そうかぁ。編み物苦手なんだぁ……」
そこで、俺の中の小さな悪の心が鎌首をもたげた。
「……もしかして、楯無さんって苦手な食べ物とかあったりするか?」
「え? あることにはある……かな」
「マジか!? 何だ!?」
「す、酸っぱいもの……。特に梅干し」
梅干し……梅干しか。ククッ、良いことを聞いた……!
「?」
簪が首をかしげる。
「いやいや、なんでもないぞ。それじゃあ俺はけん玉を持ってく。あ、上達するように編み物セットも持っていくか」
口ではそう言うがそんなのは建前。
本音はただひたすら、あの人の困った顔が見たいだけ!
「瑛斗……」
「ん?」
「……いじわる」
「いいじゃねえか、このくらい。ささやかな反抗だよ。いっつもどんだけあの人に俺と一夏が振り回されてることか」
「ふふ……」
俺と一夏が楯無さんに翻弄されている姿を想像したのだろう。簪はおかしそうに笑った。
「はは……」
そんな簪と一緒に歩きながら、俺も笑った。
「そう言えば、さっきから気になってたんだけど、それ、何だ?」
「え……? あ、これ……」
俺が簪の手に持っている紙袋を指差すと、簪はポッと赤くなった。
「こ、こ、これ……中……見て」
「おう」
言われるまま中を覗くと、そこには色々なDVDが入っていた。
共通することは、全てアニメーションということ。
ドリルと根性が基本のロボットアニメや、女の子が不思議な生き物と契約して魔法少女になるアニメや、青春恋愛アニメ。
そして━━━━ヒーローアニメ。
「お、これ昔ツクヨミで見た」
「ど、どれ!?」
「ほら、これ━━━━って、近い近い!」
俺がDVD取り出そうとすると、タイトルが知りたかったのか、簪が覗き込んできた。
そうなると、俺の顔と簪の顔はくっつきそうなほど接近してしまって、俺は慌てて身体をを離す。
「ご、ごめん……」
「あ、や……別に、お前が謝ることじゃないさ」
間近でみた簪の顔は、初めて会った時とは違って、ずっと柔らかな雰囲気に包まれていた。
ぶっちゃけ、ちょっと可愛かった。
「あ、あの……良かったら、見てみて……ほしい」
「おう、なんか面白そうなのあるし、そうさせてもらうぞ」
崩れた紙袋の中をガサガサと整理しながら、俺は気になっていたことを聞く。
「……好き、なんだな?」
「えっ……?」
ちょっと驚いたような声が聞こえた。
俺は紙袋の中を整理しているから、簪の顔は見えない。
「う、うん。……好き」
けど、はっきりした答えは聞こえてきた。
「そっか」
「………………」
「よし、これで良いな。って俺が崩しちまったんだけど」
「………………」
「簪? どうした?」
顔を真っ赤にしてうつむいている簪。
その手はスカートをぎゅうっと握っている。
「あ、の……」
「うん」
すう……はあ……と深呼吸してからぱっと簪は顔を上げた。
「だっ……大好き!!」
突然の大声。
廊下に響いた声を聞きつけ、なんだなんだと女子たちが顔をドアから覗かせる。
「そ、それじゃ……!」
同性からの視線が集まる前に、簪は走って先に行ってしまった。
「……えーと?」
取り残された俺は、紙袋を持ったまま簪の背中を見送る。
(そんなに好きなんだな……アニメ)
面白いやつだ。そう思いながら、俺も生徒指導室に向かった。
◆
「……うーん」
何故だ、何故にこうなった。
取り調べを終えた俺は駅前に来ていた。
自分の意志でじゃない。
『あいつら』に強制されたからだ。
「ねぇねぇ、こっちなんてどうかな?」
「ふむ、悪くないな。こっちもなかなかのものだぞ」
俺の視線の向こうでキャイキャイと買い物を楽しんでいるのは、シャルことシャルロット・デュノアとラウラ・ボーデヴィッヒだ。
ことの始まりは取り調べ終了の十分後。
生徒指導室から出て来た俺を待ち構えていたのはあの二人だった。
俺より早く取り調べを終えて、待ち伏せをしていたのだ。
そして俺は二人に簪と映画に行ったこと、そしてタッグマッチ前夜に俺が簪を部屋に連れ込んだことを問い詰められ、仕方なく訳を話した。
すると━━━━。
『許してやるから今から一緒に買い物に来い』
と仰られたわけだ。
「ねえ、瑛斗! どっちがいいかな?」
「嫁、お前もこっちに来い」
「まだ買うのかよ……」
半ばうんざりしながら俺の座っているベンチの隣を見る。
そこにはいろんな店のいろんな袋や箱が山積みになっていた。
懸命な君はお分りだろう。今の俺は━━━━荷物持ちだ。
「これ、確実に帰りも持たされるよな……」
はぁぁぁ、とため息をつく。すると、お嬢様二人にご指名を食らった。
「「瑛斗!」」
「はいはい今行く! 今行きますから!」
ほとんど自棄になりながら俺はベンチから立ち上がった。
◆
「………………」
場所と時間は変わって、夜の医療棟。
「いやあ、心配しましたよ。簪から楯無さんが入院したって聞きましたから」
楯無のいる医療室には、やっとシャルロットとラウラから解放された瑛斗がニコニコと笑いながら楯無の使っているベッドの横の丸椅子に座っていた。
「………………」
しかし、楯無の表情は動かない。ずっと、瑛斗が持参した見舞いの品を備え付けの机の上に並べて見つめている。
「瑛斗くん……これって?」
「見てわかりませんか? けん玉ですよ。これが楯無さんは好きだって聞いたから買ってきました」
「うん。それはありがとう。それはね? それはだからね? 問題は横の二つ」
言って楯無はけん玉の横に置かれたもう二つの見舞い品を見る。
梅干しの詰まった瓶と、編み物セット。
それが机の上にでーん、と置かれている。
「なんで……このチョイスなのかしら?」
ジト目で瑛斗を見る楯無。だが瑛斗はニコニコとした表情を崩さない。
「特に深い意味はありませんよ。梅干しは健康にいいって聞いたんだ買ってきました。編み物セットは━━━━」
「ストップ! わかってるわ。わかってるのよ瑛斗くん。……簪ちゃんの入れ知恵ね?」
「はて? なんのことでしょうか?」
瑛斗はまったく存ぜぬといったように肩を竦める。
「……怒ってるの? あのUSBのこと」
「………………」
瑛斗は表情を殺し、黙る。
「ええ。怒ってますよ。勝手に俺のGメモリーのデータをパクったんですから。それで簪泣かしたんですからね」
「うん……」
「そのことは、この編み物セットで精算です。だから、これは簪の分」
瑛斗は編み物セットを横に退けて、梅干しの瓶を楯無の前に近づけた。
「こっちは、俺の分です」
「う……」
「マスタード入りのシュークリームを食わされたこと」
「うぅ……」
「ワサビが大量に練り込まれたクッキーを食わされたこと」
「うぅぅ……!」
「あと、他にも━━━━」
「わああああん! 私が悪かったわよぉ! ごめんなさい!!」
とうとう楯無は顔を手で覆ってしまった。
「……ふむ」
その一言が聞けた瑛斗は、満足げに鼻を鳴らした。そして椅子から立ち上がる。
「それが聞けたら満足です。じゃ、俺はこれで」
「え!? 帰るの!? 帰っちゃうの!?」
「ええ。だってもうすぐ面会時間が終了ですし」
時計をチラと見る。現在夜の九時前。
「それじゃ、お大事に」
ガラガラとドアを開けて部屋を出た瑛斗。
「………………」
それを見送った後、楯無は携帯ディスプレイを取り出し、画像を投影した。
それは写真だった。古ぼけた、所々に切れ込みがある、
「まったく━━━━とんだやんちゃに育っちゃって」
楯無の目は、写真の中で両親に挟まれて笑顔を見せる、七歳ほどの男の子の顔に向けられていた。
◆
「……それじゃ、くーちゃん」
「はい」
いつかのどこか。そこで篠ノ之束は自分の娘として扱っている少女に話しかけた。
「そろそろ『アレ』をここに置いておくのも面倒だから、『コレ』と一緒に運んでくれる?」
「わかりました。場所はどこでしょうか」
目を閉じたまま、真っ直ぐ束に顔を向ける少女に、束はニコリと笑った。
「IS学園、地下特別区画━━━━」