IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
「…………………」
時間は過ぎて、場所は変わり、一年寮食堂である。
あの悪夢のごときトラブルから解放された俺は、少し遅めの朝食を取っている。
ちなみに正面にはラウラが座っている。箒は一夏の座っている席の方に向かったので近くにはいない。
俺は焼き魚定食、納豆付き。ラウラはパンとコーンスープ、それとチキンサラダだ。うむ、あっちもあっちで美味しそうだ。
「ん? どうした? 欲しいのか?」
俺の視線に気づいたラウラは「わけてやろう」と言って自分の口にパンを咥えて、俺に顔を近づけてきた。って、どわぁっ!?
「ほら、どうした、かじっていいぞ?」
「ば、ばか! そんな食い方できるか!それじゃまるっきりキス━━━━」
そこまで言って俺は言葉を止めた。そう、キス。あの時のあれだ。実はあれが俺の初めてだったわけで、まさかあんな奪われ方をするとは思わなかった。
「どうした?」
「なっ、なんでもねえっ!」
俺はグイッと一気に味噌汁を飲んだ。
……アッツアツの、味噌汁を。
「あっつぁ!?」
俺は慌てて水を飲んだ。うう、舌火傷しちまった……!
「ふふっ、おかしなやつだな、お前は」
ラウラは微笑みながらそんなことを言ってきた。
「ほっとけ……」
「わああっ! ち、遅刻っ……! 遅刻するっ!」
すると、珍しい声が聞こえた。声の主はばたばたと忙しそうに食堂に駆け込んできて、余っている定食からとりあえず手近にあったものを手に取った。
「おう、シャルロット」
「あっ、瑛斗。お、おはよう」
ちょうど俺の席が空いていたので、手招きして呼び寄せる。
「どうした? 珍しいなお前が寝坊なんて」
「う、うん、そう………ちょっと、寝坊……」
「ふーん? 二度寝でもしたか?」
「うん、まあ、ね」
俺の質問に淡々と答えるシャルロット。心なしか微妙に俺と距離を取ってる気がする。
「シャルロット」
「う、うん?」
「俺のこと、避けてないか?」
「そ、そんなことは、ないよ?うん、ないよ?」
こいつ……やっぱり何か隠してるな? 一か月も同じ部屋で過ごしたんだ。シャルロットが何かをごまかす時の雰囲気は大体分かる。
(まあ、問い詰めても鬱陶しがられるだけか。それにしても━━━━)
俺はシャルロットの手つきに注目した。
(こいつ、箸の使い方上手くなったよな)
シャルロットは丁寧に魚の骨を取っている。うん、これも俺のマンツーマン指導のおかげだろう。しかしシャルロットの呑み込みは速い。前回の戦いでも一夏の瞬間加速を見ただけで使えるようにしていたしな。
「え、瑛斗? ずっと僕のこと見てるけど、どうかした?ね、寝癖でもついてる?」
「いや、ねえよ。ただまあ、前まで男子の制服だったから改めて女子の格好をしてるお前が新鮮だな、と思っただけだ」
「し、新鮮?」
「ああ。可愛いぞ」
褒められて顔をぼっと赤くするシャルロット。
「と、とか言って夢の中じゃ男子の制服着せてたくせに………」
「ん? 夢?」
「な、なんでもない! なんでもないよっ!」
ぶんぶんと突きだした手を振って否定すると、シャルロットは再び箸を動かし始める。さて、俺はお茶でも━━━━
ずむっ。
「いてぇ!?」
いきなり足の小指を踏まれた。
「人にはおしとやかな女が好みと言っておいて、お前は随分軽薄なことだな?」
犯人はラウラだ。こ、こいつは……!
キーンコーンカーンコーン。
ほれ見ろ。予鈴が鳴っちまったじゃねえか。今日は織斑先生のSHRなんだぞ?
(……………予鈴?)
「うおおっ!? 今の予鈴だぞ! 急げ!」
慌てて立ち上がって、ほかの連中に遅れないように俺は猛ダッシュで食堂の出入り口に向かう。
ズリンッ! ガンッ!
「ってえ! 誰だ! こんなところにバナナの皮捨てたの!」
いや、そんなこと言ってる場合じゃねえ! 今ので皆と結構離されちまった!
「お、置いてくな! 今日は織斑先生のSHRだぞ!」
遅刻すなわち即死である。慈悲はない。
「私はまだ死にたくない」
「ゴメンね、瑛斗」
ちくしょう! ラウラとシャルロットめ! 完全に置いて行きやがった!
「くうぅ! こうなったら!」
俺は《G-soul》の脚部と背部を展開した。
(このまま一気に追い上げてやる!)
俺は勢いをつけるために力強く踏み込んだ。
ズリンッ! ガンッ!
「だから……っ! 誰だっつってんだろ!! バナナの皮捨てたの!!」
どうしてこんなに何度もバナナの皮に行く手を阻まれねばならんのだ!
「ほらっ、瑛斗っ」
「!?」
振り返ると、シャルロットが俺に手を差し伸べていた。おお、一緒に死んでくれるか!
「飛ぶよ、一緒に」
「ん?」
そう言うと、シャルロットは俺同様に脚部と背部に愛機であるラファールを展開した。
「ふたりのスピードなら、まだ間に合うよ!」
「わ、わかった!」
窓から飛び出し、一気に三階まで飛翔する。流石はG-soulとラファールの合計スピードだ。あっという間に教室の前に着いた。
「「到着っ!」」
「おう、ご苦労なことだ」
…………あれ? なぜ目の前に織斑先生がいるんだ?
「本学園はISの操縦者育成のために設立された教育機関だ。そのため何処の国にも属さず、いかなる外交権力の影響も受けない。だがな」
ガスンッ!
今日も出席簿の威力はマジぱねえ。
「敷地内でも許されないISの展開は禁止されている。意味は分かるな」
「はい……」
「すみません……」
俺とシャルロットは素直に謝る。まあ、確かに悪いのは俺達だ。
「デュノアと桐野は放課後、教室の掃除をしておけ。二度目は反省文と特別教育室での生活をさせるから、そのつもりでな」
「「はい………」」
「よし、では席に着け」
俺とシャルロットが席に着くと、チャイムが鳴ってSHRが始まった。
「今日は通常授業の日だな。IS学園と言ってもお前らの扱いは高校生だ。赤点など取ってくれるな」
IS学園も、学園と言うだけあった普通の学習もする。夏休み前のテストで赤点を取ると補習を受けさせられるので、皆、勉強をしっかりする。無論、俺もだ。
「それと、来週から始まる校外特別実習期間だが、全員忘れ物をするなよ。三日だけとはいえ、IS学園を離れるからな。自由時間では羽目を外しすぎないように」
そう、もうすぐ臨海学校。三日の内、初日はほとんど自由時間だ。もちろんそこは海だから、そこは咲き乱れる十代女子。テンションは先週から上がりっぱなしだ。無論、俺もだ。
海でなんて泳いだことない。泳ぐと言ったらツクヨミでやった宇宙遊泳くらいだ。
「ねーねー、新しい水着準備できた?」
「楽しみだよねー!」
「ホントよねー!」
他の女子たちもキャイキャイと話をしている。皆心底楽しみにしてるみたいだ。
「あー、いちいち騒ぐな。鬱陶しい。それにまだ臨海学校までは日はある。お前たち、しっかり勉学に励めよ?」
はーい、と揃った返事を返す一年一組女子。相変わらずいいチームワークだ。
(そういや、俺も早いとこ水着買わねえとな。地球の今の流行ってなんだろう?)
俺はそんなことを考えながら窓の外に目をやった。
空には、天高く入道雲が浮かんでいた。
◆
そして放課後。ついにペナルティお掃除タイムの始まりだ。
俺とシャルロットは二人で、この一年一組の教室の掃除をやる。
普段は用務員さんが床から天井に至るまでピカピカにしてくれるので、生徒による掃除は、もっぱら軽い処分とされている。
今はそれを絶賛体験中だ。
「うーん、やっぱりいいな」
「え?」
「いや、ツクヨミでも俺が結構掃除してたからよ、こういうのもいいなって」
「え、そう? 瑛斗は変わってるね……」
う、変って言われた。でも大変なんだぞ?
書類の片づけから部品整理まで、やること盛りだくさんだったんだから。
まあ、やり終えたときの達成感はひとしおだがな。
「ん、んん~~!」
「おいおい、無理するなよ?机は俺が運ぶから」
というかそれ、アレだろ?岸里さんの机だろ? 教科書全てを内蔵した『フルアーマー机』だろ?
「へ、平気、だよ。一応これでも専用機持ちなんだし、体力は人並みに━━━━」
そう言うシャルロットだったが、机の重さに負けて足を滑らせてしまった。俺は咄嗟にシャルロットの背中を支える。
「あぶねっ! ……ったく、気をつけろよ? 怪我したら元も子もないからな。ほら、俺が代わるって」
「う、うん……。ありがとう……」
後ろ側に滑ったシャルロットを背中から支えたので、ちょうど抱きしめるかのような格好になってしまっている。さすがにこんなことをされて落ち着かないのか、シャルロットは視線をさまよわせている。
「っと、悪い悪い。離れる」
「あっ……」
ん? なんだかシャルロットの声が妙に残念そうだが……なして?
「別に……良かったのに……」
「うん?」
「な、なんでもないっ」
「そ、そうか」
今朝と言い、今と言い、おかしなシャルロットだ。
◆
(わ、わ、心臓すっごくバクバクしてる……。顔大丈夫かな? 変な顔してないかなぁ?)
ぺナルティとは言え、願ってもない二人きり。
シャルロットの胸の高鳴りはどんどん増していた。
今の状況と夢の光景が重なって、シャルロットは顔を耳まで赤くする。
(ど、どうしよ……。何か喋らないと……! うう、でも言葉も話題も思いつかないよ!)
「……そういやさぁ」
「ひゃい!?」
「ど、どうした? 変な声出して」
「な、何でもない。何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
「ふーん、そうか。ふぃー……。やっと終わった」
机を運び終え、瑛斗は満足げに頷いた。
「で、先月から気になってたから、この際訊くわ」
「な、何かな?」
「『二人にきりの時はシャルロットって呼んで』ってアレ、てっきりもう少し男のフリすると思ってたんだけど、いきなり次の日から女子に戻ったから何かあったのかな、と」
「あ、え、えっと、それは……あの……」
それに関してはシャルロットにはちょっとした事情がある。
正直訊かれると痛いところなので、いつものはきはきとした答えもままならず、しどろもどろになっている。
「いや、良い。言いたくないならそれで良いさ。ただの好奇心だからな」
「こ、好奇心?」
「ああ。だって気になるだろ?」
「………………」
そう言われたシャルロットは何度か瑛斗と窓の外を交互に見て、意を決したように口を開いた。
「その、ちゃんと……女の子として……ね」
かぁっと頬を赤く染めながらも瑛斗を真っ直ぐと見つめる。
「瑛斗に、見て欲しかったから……。二人きりの時だけ女の子っていうのも変って言うか、卑怯っていうか……とっ、とにかく瑛斗が原因なんだよ?」
「そ、そうなのか。そりゃ、すまん」
「べ、別に謝られることでもないけど……」
ふいっと顔を窓の方に向けるシャルロットの頬は夕日のオレンジの中でも際立って赤く見えた。
「まあ、でも、俺はちゃんとシャルロットのことを女って見てるぜ?」
「えっ?それって……」
予想外の返事に胸をときめかせるシャルロット。
しかし、桐野瑛斗という男を甘く見てはいけない。彼もまた、唐変木・オブ・唐変木、織斑一夏と肩を並べるほどの鈍感っぷりを有しているのだ。
人は彼をこう呼ぶ。『唐変木・ザ・唐変木、桐野瑛斗』と━━━━。
「だって男じゃねえしな」
あほー、とシャルロットの後ろでカラスが飛んだ。いや、実際飛んでいるわけではないが、ぽかんを通り越してカラスの鳴き声だ。
「だろ?」
「う、うん……」
(う……ううう~~っ! 瑛斗って、瑛斗って!)
我に返ると心の中で地団太を踏む自分がいることに気づいたシャルロット。顔を先ほどとは違い、憤りによって赤くなっている。
(どうして……どうして、こう、瑛斗は僕をドキドキさせるんだろう……)
シャルロットにはそれは嬉しくもあり、歯がゆくもある。とても近くにいるのに、近づけば向こうもこちらが近づいた分だけ後ろに下がる。そんな感じだ。
「まーでも、アレだな? せっかくの呼び名が普通になっちまったら面白くねえ。……そうだ! ここは新しい呼び名でも考えるか?」
「えっ、いいの?」
「お前が良けりゃな」
首を縦に振る以外にシャルロットに選択肢はない。
「う、うんっ。全然大丈夫っ。せ、せっかくだし、お願いしようかなっ?」
動揺と興奮が入り混じる中、シャルロットは必死に平静を装う。だが、彼女の心は現在お花畑状態だ。
(わ~~っ、い、いきなり瑛斗ったらどうしたのかなっ!? 心の準備がまだ……ああでもこれって瑛斗が少なからず僕のことをす、す、好きだ、って捉えていいのかな? いいよねっ!?)
心の中の盛り上がりがついつい口から出そうになる。それをゴホンゴホンと咳払いで誤魔化す。
「そうだな……シャルロット……シャルロット……うん。『シャル』なんてのはどうだ? 呼びやすいし、親しみやすい」
「シャル。……うん! いいよ! すっごくいい!」
「そ、そうか。喜んでくれたら何よりだ」
「シャル、えへ、えへへ……」
それでは、ただいまのシャルロット・デュノアの心の中の状況をお知らせします。
現在、シャルロットの心の中ではお花畑のど真ん中で三頭身のシャルロットが手を繋いで踊っています。テロップが流れるとすれば『しばらくお待ちください』となるでしょう。というわけで、しばらくお待ちください。
「……でな、シャル。頼みごとがあるんだが」
「うん? 何かな?」
未だに幸福感MAXのシャルロットに近寄り、瑛斗はガシッとその両手を握った。
「?」
シャルロットの頭の上には上記のマークが浮かんでいる。そして、次の瑛斗の言葉を聞いて、
「付き合ってくれ」
「━━━━え?」
シャルロットは世界が止まる音を聞いた。