IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜   作:ドラーグEX

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お待たせしました。やっと更新です。
3ヶ月近く停滞してしまい申し訳ありません。
それではどうぞ!



白亜の鼓動 〜または辿り着くために〜

「久しいな。季檍」

 

 篠ノ之柳韻は織斑季檍の剣を受け止め、淡々と言う。瑛斗と箒は目を白黒させ、この状況の理解に努めていた。

 

「父上……?」

 

「え? 父上? 箒の……?」

 

「——ふんっ!」

 

 柳韻は季檍の剣を弾き飛ばし、握った日本刀の切っ先を向ける。

 

「去れ。お前と剣を交えるのは、こちらとて本意ではない」

 

 二人の季檍は同一の昏い笑みを浮かべ、剣を下ろした。

 

「そうだな。私の目的は達成された」

 

「ここで全員屠ることもできるが、その気もない」

 

 そして、ふわりと宙に浮かんだ。足先に付着していた血が、足元の血溜まりに雫を落とす。

 

「さらばだ柳韻。たとえお前と言えど、私を止めることはできない」

 

「指を咥えて見ているがいい」

 

 空の彼方に消えた二人の季檍。

 

「ま、待てっ!」

 

「待ちなさい瑛斗。あの子の方が先よ」

 

 追いかけようとした瑛斗をスコールが引き止める。確かに倒れた一夏を捨て置くわけにはいかなかった。

 

「くそっ! どうしてこんな……!」

 

 地駄を踏む瑛斗。その姿を横目にスコールは柳韻へ近づく。

 

「救援、感謝するわ」

 

「呼びつけたのはそちらだ。……状況は思っていた以上だな」

 

「ええ。話はIS学園でしましょう。先に向こうで待っていて」

 

「そうさせてもらう」

 

 剣を収めた柳韻が歩き出す。呆然としていた箒は何を言おうとしたのかわからないうちに呼び止めた。

 

「あ、あのっ、父上……」

 

 立ち止まった背中からは、表情を読み取ることができない。

 

「急げ。まだ間に合うだろう」

 

 それだけ言って柳韻は去る。

 

「親父さんの言う通りだ。学園に戻って一夏の治療を」

 

 瑛斗に言われて頷く箒は、一夏の血に濡れた自身の手に、ただ無力さを思い知らされた。

 

 ◆◆◆

 

 IS学園地下特別区画にある会議室は重たい空気に包まれていた。

 日本に帰って来た楯無を含む学園に所属する専用機持ちの生徒たちの顔つきは、みな険しい。

 そしてその顔ぶれの中に、一夏とマドカの姿はなかった。

 

「みなさん、お待たせしました」

 

 会議室の扉が開き、真耶が姿を現わす。真っ先に動いたのは瑛斗だった。

 

「山田先生、一夏の容態は?」

 

「……傷は塞がれていますが、内臓の損傷は治しきれていません。治療自体は学園の医療用ナノマシンで事足りますけど、それでもいつ目を覚ますかまでは……。今はマドカさんと織斑先生がついてくれています」

 

 鈴は自分の左の拳で右手を叩く。

 

「あたしが中国から戻ってる間に、こんなことになってるなんて……!」

 

「鈴ちゃんの気持ち、わかるわよ。私も判断を誤ったわ。学園ではなく一夏くんたちのところへ直接行くべきだった」

 

 鈴より少し早く日本に戻っていた楯無が、閉じた扇子で箒の腕の《紅椿》を指し示す。

 

「箒ちゃんの紅椿のナノマシンがなければ、その場で失血死してたわね。そこが不幸中の幸いよ」

 

 硬く拳を握ったのは、学園に戻った瑛斗から初めて一夏の負傷を知ったセシリアだった。

 

「織斑季檍……! 一夏さんに、自分の子どもにこんな仕打ちをするなんて許せませんわ!」

 

「けど……どうしてこんなことをするんでしょうか……」

 

「……理解不能」

 

「自分の子どもと思っていないから出来るんだよ。あの男は自分以外の人間全てを見下してる」

 

 瑛斗の言葉に蘭は「そんなことって……!」と悲痛に瞳を揺らす。

 

「少年、君の言う通りだ」

 

 瑛斗の言葉を肯定する声が、再び開いたドアの向こうから飛んできた。

 

「父上……」

 

 声の主である和装の男へ真っ先に反応したのは箒。

 

「あの男は、自分以外の何者も愛せない」

 

 篠ノ之柳韻。言葉だけで季檍を撤退させた、箒と束の父親。

 スコールに連れられて現れた侍のような出で立ちの男は壁際の長椅子に座った。

 

「箒の親父さん、助かりましたよ。あなたがいなかったら一夏も箒も無事じゃなかった」

 

「礼はいい。それよりもやることがある」

 

「やること?」

 

「君たちは知るべきだ。あの一家の正体を」

 

「一夏たちの正体……」

 

 誰とはなしに唾を飲む。瑛斗も知りたいと願っていたことだが、遂に聞かされるとなると心がざわついた。

 

「父上は、織斑季檍と関係があったのですか?」

 

「ああ。あいつと俺は大学の同期だ。初めてあった時、あいつはガラの悪い連中に絡まれていてな。たまたま通りかかった俺がそいつらを追い払うとやつは俺に頭を下げて、自分を鍛えてくれと頼んできた」

 

 箒の実家は道場も併設している。となれば、その頃から武芸の心得があったとしても不思議ではない。瑛斗はそう思った。

 

「ひ弱な学者気質かと思ったが、存外いい目をしていてな。道場で鍛えてやることにした。最初はろくに剣も振るえなかったが、半年ほどしごいたら一応は様になった」

 

  だが……と区切った柳韻は目に鋭い光を覗かせた。

 

「あいつはある日を境に道場に来なくなった。連絡もつかず、それきり大学にも来なくなった」

 

「失踪した、ということですの?」

 

「そうだ。しかしあいつが行方知れずになった七年後、道場に突然やって来て、俺に勝負を申し込んできた。俺はその勝負を受けることにした」

 

「……その結果は?」

 

  箒の問いにわずかに柳韻は間を置いて答える。

 

「俺の勝ちだ。だが、辛勝と言わざるをえない勝利だった。あいつは格段に強くなっていたんだ」

 

「父上と互角に戦ったと……?」

 

「七年という歳月がやつを鍛えたと思えたが、何かが腑に落ちなかった。力、太刀筋、何もかもが以前のやつとは違いすぎていた。何より驚いたのは、あいつは結婚していたことだ。しかも子どもまでいた」

 

「もしかして、千冬さん?」

 

 直感したシャルロットが言うと柳韻は首肯した。

 

「やつが再び道場に姿を現したのは、千冬に剣を教えさせるためだった。突然いなくなったのは海外で研究に専念することになったからで、ひと段落ついて近くに越してきたと。俺はそれを信じて千冬にも剣を教えることにした。親と違って筋は良かった。毎日の稽古にも嫌な顔一つせず、千冬は束とも打ち解けて……。——だが、あの日が来た」

 

「あの日……?」

 

  眉をひそめる瑛斗。その隣で箒は父がこれから紡ぐ言葉の内容がけして良いものではないと思った。

 

「雨の夜だった。玄関を何度も叩く音がして、開けてみると千冬がいた。その腕に赤ん坊を抱いてな」

 

「一夏さん……!」

 

「なにがあったのか千冬に問いただしても、答えられる様子じゃなかった。俺は千冬たちを家内に任せ、季檍の元へ向かった。だがやつとその奥方の姿はなく、おびただしい数の機械と研究資料だけが残っていた。そこで俺は初めてやつの研究内容を知った。やつは、『人間』を作っていたんだ」

 

「人間? ……おい、まさか一夏と千冬さんは……!」

 

  瑛斗が気づいたところで、壁に拳を打ちつけたラウラに一同の視線が集まる。

 

「あの二人が、私と同じデザインベイビーだと……! そう言いたいのか、あなたは!」

 

「……その手のことに聡い者がいたか」

 

  その一言は肯定の意味を含んでいた。

 

「そうだ。千冬と一夏は、季檍が自分の計画のために作りあげたものだ」

 

「その計画とはなんだ! 織斑季檍は何をしようとしている!?」

 

 声を荒げるラウラをシャルロットが抑えるのを見ながら、柳韻は答えを述べた。

 

「詳しくはわからん。だが、千冬と一夏がやつの企みの中核を成していることに間違いはないだろう」

 

「……いや、すでにそうじゃない可能性が高い」

 

 顎に手をやって考えに耽っていた瑛斗はポツリとつぶやいて顔を上げた。

 

「瑛斗、それってどういうこと?」

 

「織斑季檍は千冬さんと互角以上に渡り合い、そして一夏を倒した。それにあの口ぶり……。今の柳韻さんの話は一七年も前の話だ。内容が多少変わってたって不思議じゃない」

 

「じゃあ、話は決まりね」

 

 来てからずっと壁に寄りかかり沈黙を守っていたスコールがまとめるような言葉を口にする。

 

「織斑季檍が何をしようとしてるのかわからないなら出来ることからやるべきよ。ここで立ち止まっているわけにもいかないわ。ここは大人たちに任せておきなさい」

 

「けど——」

 

「いいわね?」

 

 言いかけた瑛斗だがスコールの赤い瞳がそれを許さなかった。

 

 ◆◆◆

 

「わあ、見るですよツァーシャ! 雲があんなに低いです!」

 

「ええ。低いうえ、早く流れていきますね」

 

 セシリアの厚意で使わせてもらったオルコット家の所有するプライベートジェットの窓から、流れる雲を覗いて華やいだ声を上げるシェプフとツァーシャ。

 

「お兄さまも! こっちに来て一緒に見ませんか?」

 

「……ああ」

 

 呼びかけられた瑛斗は、返事をするが席から動こうとはしない。ぼんやりと空——虚空を見つめている。

 シェプフとツァーシャは窓から離れ、左右から瑛斗に近づいた。

 

「気になるですか? 織斑一夏が」

 

「気になりますか? 織斑千冬(ブリュンヒルデ)が」

 

「………………」

 

「前後から腹を思い切り、深々と掻っ捌かれたとなれば、普通死にますよ。ここは生きていることを素直に喜んでおくべきでは?」

 

「わかってるよ、そんなこと」

 

 一夏が倒れた翌日、瑛斗は当初の予定通りシェプフとツァーシャを連れてアメリカへと向かっていた。

 紅椿の回復武装《癒童》によって傷は塞がれたが、現在も治療は続いており予断を許さない状況が続いている。

 こうして日本を発ったのはいいが、瑛斗の気持ちは窓の向こうのようには晴れない。

 そこに付け入らないシェプフとツァーシャではなかった。

 

「出発前に覗きましたが、かなり憔悴していると見受けられたです。ああなってしまうとブリュンヒルデも形無しですね」

 

「所詮は人の子、ということでしょう」

 

「ツァーシャ、それはどうですかね。あの二人が()()の子か……それは微妙なところですよ」

 

「あら、そうでした。これは失言でした。同一の父親が二人に増えたとなれば、確かに……」

 

 自分を間に挟んで繰り広げられる会話に、瑛斗は顔をしかめた。

 

「お前ら、わざとやってるだろ」

 

 クスクスと重なる笑い声が、高度一千メートルの密室の空気を震わせる。

 

「ええ。もちろんですよ」

 

「お兄さまの心情を意のままに出来るなんて、愉しくて仕方ありません」

 

「あのな……!」

 

 拳を固めて怒りを滲ませる瑛斗から離れ、なおも笑みを絶やさない双子はわずかに真剣さのうかがえる声で続けた。

 

「でも、これで織斑季檍の輪郭がはっきりしてきたです」

 

「同時に二人存在した、というのが重要ですね」

 

「どういうことだ?」

 

「わかりませんか? ヒントはお兄さまの目の前にいるですよ?」

 

  シェプフが自らを指差す姿に瑛斗は思案を巡らせる。

 

「お前たち……双子? いや、そんなはずは……あっ」

 

  数秒後、瑛斗の脳裏にあるワードが浮かんだ。

 

「織斑季檍が……織斑季檍もデザインベイビーってことか?」

 

「大正解です!」

 

「あの男がどのような手品を使っているかはわかりませんが、若い肉体に人格と記憶を移植、共有していると考えられます」

 

「ますますやつの狙いが分からない……。せめて箒の親父さんが何か教えてくれたらよかったのに、スコールと一緒にどこかに行っちまった」

 

「ですから、それを調べるためにこうやって衛星兵器が舌なめずりしてる下を飛行機で飛んでるじゃないですか」

 

「……地味に怖い言い方するなよ」

 

「大丈夫だよ。僕がちゃんと守るから」

 

  そう言って会話に参加してきたのは、シャルロットだった。

 

「ラウラから連絡があったよ。楯無さんたちも出発したって」

 

「そうか。間に合ってくれるといいけど……」

 

 瑛斗の隣に座ったシャルロットを見て、双子姉妹はあまり面白くなさそうな表情を作った。

 

「お兄さま、どうしてこの方を連れて来たです?」

 

「私たちの目付けなら、あの出来損ないのお姉さまでよかったのでは?」

 

 瑛斗が答えるより早く、シャルロットが口を開いた。

 

「ラウラに頼まれたんだ。織斑先生が一夏を大切に思うように、ラウラも織斑先生を大切に思ってる。近くにいてあげたいって。それに……」

 

 シャルロットの顔に、スッと、影が差した。

 

「僕の大切な人を『出来損ない』なんて言う子に、ノータイムでお仕置き出来るからね」

 

「………………」

 

「………………」

 

 笑みを絶やさないが威圧的な雰囲気を出すシャルロットに、思わず顔をひくつかせたシェプフとツァーシャ。そこへ意趣返しとばかりに瑛斗は意地悪く囁く。

 

「お前たち、シャルをあんまり怒らせない方がいいぞ? 俺でも手がつけられないからな」

 

「「……ふんっ」」

 

 負けを認めたのか、二人は足早に先ほどまでいた席に戻っていった。

 それを横目に、瑛斗はシャルロットに声をかけた。

 

「シャル、ありがとうな。俺一人じゃどうもあいつらの相手はしきれない」

 

「いいんだ。僕もあの子たちに一言言ってやりたかったから。それより、ラウラからの連絡はもう一つあるんだ」

 

「聞かせてくれ」

 

「一夏の容態、良くないみたい」

 

「……あまり聞きたくなかったな」

 

「打てる手は全部打ったけど、目を覚まさないって」

 

 瑛斗は学園を発つ前に様子を見に尋ねた医療棟の一室で眠り続ける一夏を、そして一夏に夜通し付き添い、憔悴した千冬を思い出す。

 あの時に何も出来なかった自分自身への罪悪感が、痛みになって胸を締め付けた。

 

「……一夏を信じるしかない。俺たちは出来ることをやって少しでも解決に近づくんだ」

 

「クラウンの残した情報、役に立つといいね」

 

 頷いた瑛斗は座席の背もたれに体重を預け、目的地でやるべきこと、そして日本に残してきた仲間たちのことを考えた。

 

 ◆◆◆

 

 倉持技研第二研究所。

 そこはかつて己を見失いかけたある少年が流れ着き、また別の少年が隠された力を呼び起こした場所。

 簪は、再びここを訪れようとしていた。

 

「迷わず来れたわね。簪ちゃんがいてくれてよかった」

 

 今度は、楯無という同行者を連れて。

 

「あの人と面識があって動けるのが私だけだったから……。それより、お姉ちゃんはいいの? 学園から離れて……」

 

「簪ちゃん一人で行かせるわけにはいかないわ。いつどこで誰が襲ってくるかわからないもの」

 

「うん……」

 

「大丈夫。簪ちゃんは私が守るわ。絶対に」

 

 簪は姉の頼もしい言葉に頷き、もう一度正面を見据えた。

 まだゲートの近くに来ただけだが、木々の向こうにその一部が覗いている。山奥にたたずむ白亜の建物は以前と変わらない姿を見せつけている。

 しかし、どこか様子がおかしいと思った簪は、本能的に足を止めた。

 

「簪ちゃん?」

 

「なんだか、嫌な感じがする……」

 

「嫌な感じ?」

 

「なんだか、前来た時より、空気がピリピリしてるっていうか……」

 

 簪の言葉の意味を考えようとした瞬間だった。

 

「誰っ!?」

 

 振り向きざまにミステリアス・レイディのランスを呼び出して、背後の気配に突きつける。

 

「はは、流石はロシア代表。流石の対応力だ」

 

 感嘆の声とともに両手をあげ、長い長い犬歯を覗かせて笑う、ISスーツを着た全身ずぶ濡れの女。

 

「ヒカルノさん……!」

 

 篝火ヒカルノ。

 この研究所の所長である彼女が、手をひらひらと振った。

 

「久しいね。更識簪ちゃん。また会えて嬉しいよ」

 

  好意的な言葉に簪はペコリと頭を下げる。

 

「あ……はい。ご無沙汰してます……。お姉ちゃん、この人だよ。槍、下ろして」

 

「すみません、篝火博士。こちらも警戒を怠れない状況にあるんです」

 

 楯無はランスを消し、ヒカルノに挨拶した。

 

「いいっていいって。私のことは妹さんのようにヒカルノで構わないよ」

 

「あの、ヒカルノさんはどうして外に? それに、びしょびしょ……」

 

 巻き毛の先から水を滴らせるヒカルノに、おずおずと尋ねる簪。ヒカルノはふふふんと笑い、くるっと背を向けた。

 

「場所を変えよう。今、研究所に正面きって入るのはオススメできないからね」

 

 ぺたぺたと素足のままアスファルトを歩くヒカルノは、ある程度進むと林の中に入っていった。二人はお互いに顔を見合わせてからそのあとを追いかけた。

 

「博士、一体何が起こっているんですか?」

 

  林道の中を移動しながら楯無がヒカルノに尋ねると、前を行くヒカルノはサラリと答えた。

 

「簡単な話さ。研究所が乗っ取られた」

 

「乗っ取られた……!?」

 

「お姉ちゃん、もしかして全界炸劃(フル・スフィリアム)が……!」

 

「おや、君らも知ってるクチだったんだね。そうだよ、やつら、そんな名前を名乗りながら最新式のEOSで殴り込んできてね」

 

「抵抗は、しなかったんですか?」

 

「もちろんしたさ。でもね、向こうは古典的だけど効果的な手段を取ってきたんだ。カグヤを人質に取られた」

 

「カグヤさんが!?」

 

  簪の脳裏に、初めて研究所に来た時に笑顔でドーナツを差し出してきた女性の姿が浮かんだ。

 

「試作機のテストで外に出ていたカグヤと職員が数人が捕まって、私たちは彼らの指示に従うしかなかった。そして私が見張りの連中の隙を突いて命からがら逃げおおせたところに君たちが来たというわけだ。いやはや、神様ってのがいたら一発殴ってから抱きしめたい気分だよ」

 

 木々の間を縫うように進み、やがてヒカルノは足を止めた。そこは一夏が釣りをし、簪が胸中を打ち明けた川の岸辺だった。

 

「さて、君たち泳ぎは得意かね?」

 

「え? まあ、それなりには。簪ちゃんは?」

 

「私も、そこそこ」

 

「うんうん。大変よろしい。それじゃ、——行きますか」

 

 ザバザバと川に入っていくヒカルノ。

 

「「ちょっとちょっとちょっと!?」」

 

 突然のことに状況を飲み込めない二人は慌ててヒカルノを止めた。

 

「なにさ」

 

「博士こそ何する気ですか!?」

 

「何するもなにも、研究所を取り返すんだよ」

 

「それでっ、なんで川に入るんですっ……!」

 

「この川は水路で研究所と繋がってるんだ。私が脱出に使ったのもここだよ。ここから潜入だ」

 

「ま、待ってください。えっと……博士はもしかして、今から研究所に潜入、奪還するから私たちも付いて来いって言ってます?」

 

「それ以外に何があるの? 心配しなさんなって。そんな距離じゃないし、ちゃんと息継ぎできるところだってあるから。じゃ、お先に」

 

 そのまま止める間も無く川の中に入ったヒカルノを見て、取り残された二人はもう一度互いの顔を見合わせた。

 

「お姉ちゃん、どうしよう……」

 

「想像の三倍は強烈なキャラしてるわね。でも、全界炸劃が絡んでるっていう考えは間違ってなかったみたい」

 

「じゃあ……」

 

「ええ。行くしかないわ。上手くいけば有力な情報が手に入るかも」

 

「おーい、早く来なさいなー」

 

 すでに首から下は川の中なヒカルノに呼ばれ、二人は制服を脱ぎ始める。万が一を考えて下着代わりにISスーツを着ていたのが幸いした。

 風に飛ばされないよう脱いだ制服は物陰に置いて、軽い準備体操をこなし、いよいよ入水。

 まだ暑さのある9月下旬、穏やかな水流の冷たさは少し心地よかった。

 

「準備はいいかい? しっかりついて来てよ」

 

 深く息を吸ったヒカルノが水中へ潜る。楯無と簪も続けて流れの中へ。

 川の中は透明度が高く、簪には楯無とヒカルノの姿がはっきりと見えた。

 

(こっちこっち)

 

 ハンドサインで示したヒカルノを追って数メートル泳ぐ。

 ヒカルノは一つの巨岩に取り付き、その岩肌を手で探って指先に触れた引っ掛かりを押し上げる。岩には0から9までの数字の書かれたボタンが埋め込まれていた。

 ヒカルノがそれらを数回叩くと、何かの装置の駆動音とともに岩の前面半分が横にずれて人が一人通れる程度の通路が現れた。

 ヒカルノを先頭に楯無、簪が通路の中へ。そのまま人口照明に向かって浮上し、水面から顔を出した。

 

「……ぷはっ」

 

「ふう。中に入れたわね。簪ちゃん、大丈夫?」

 

「うん。平気」

 

「流石、鍛えてるだけはあるね。ようこそ倉持技研第二研究所へ。と言っても、まだ隠し通路の途中だけど」

 

 両腕を広げれば壁に手が届くほどの狭さ。そして頭の十数センチ上では照明が光っている。

 

「さあ、気を引き締めてくれよ。この通路を出たらいつ奴らと出くわしてもおかしくないから」

 

 ヒカルノが音もなく前へ泳ぐ。行き止まりに差し掛かると、天井をぐいと押した。天井は蓋になっており、最初に水から出たヒカルノは手招きで二人に上がってくるように指示した。

 

「よし、とりあえず潜入には成功だ。まずは他の連中が監禁されている場所へ向かおう。ここからそう遠くない。急ごう」

 

 ヒカルノが早足で歩き出すのを追いかけ、機材置き場になっていた倉庫から出る。

 簪は自分たちが進む後ろが思いっきり濡れてるのは大丈夫なのかと心配になったが、どうしようもないことでもあるので口には出さなかった。

 会敵を警戒する緊張とともに研究所内を進む。

 

「……博士、ひとつよろしいですか?」

 

 三つ目の曲がり角を抜けたところで、楯無が切り出した。

 

「なんだい?」

 

「私たち、博士にお聞きしたいことがあって来たんです。本当はお会いした直後に聞きたかったんですけど、勢いに負けてしまって」

 

「あ、そう。聞くよ。手短にね」

 

「……博士たちを監禁した組織には、織斑季檍という男がいます」

 

「知ってるよ。奴さん、監禁二日目に直々に挨拶に来やがった」

 

 壁越しに見張りがいないことを確認しながらも悪態をつくヒカルノに、楯無はつとめて声のトーンを落として続ける。

 

「その男はISが使えました。しかも、それは白式に良く似た機体です」

 

「………………」

 

 沈黙したままのヒカルノに、楯無は今回の目的となる答えを求めた。

 

「単刀直入に聞きます。博士、織斑季檍のISを造ったのは、あなた方ですか?」

 

 数瞬の緊迫。張り詰めた空気に、簪はこれからどうすれば良いかを考え続けた。違うのならそれで良し。だが、もし——。

 

「そうだよ。君らの言い方の間違いを正して答えるなら、織斑季檍にISを与えたのはこの研究所だ」

 

 さらりと。事も無げに。何でもないように。聞きたくなかった答えが飛んで来た。

 

「どうして……!」

 

「どうしてって、カグヤを始めとした職員が何人も人質に取られたんだ。仕方ないだろ。ここの職員は貯蔵されているデータと同じか、それ以上に貴重なんだよ」

 

「でも——」

 

「それで一夏がっ! 死にかけた……っ!」

 

 楯無を押しのけて簪がヒカルノに詰め寄った。三秒ほど声を発しなかったヒカルノは、簪の瞳の奥で燃える激情におおよその事態を理解し、クシャクシャと頭を掻いた。

 

「チッ、やっぱりそういう展開か……。だったらなおさら急がないといけないね。見張りのいない今がチャンスだ。行くよ!」

 

 曲がり角を飛び出したヒカルノは、ある部屋の入り口に立ち、素早くロックコードを解除した。

 扉が開くと、その中に居た数十人の男女すべての視線が一気にヒカルノへと注がれる。

 彼らは、この研究所の職員であった。

 

「や、諸君。元気してた?」

 

 明るく挨拶したヒカルノ。

 

「所長……」

 

「見て、篝火所長だわ……」

 

 その姿に、疲れきった職員たちの目に光が戻る。そして——

 

「「「「「何やってんだあんたはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」」」」

 

 職員すべての怒号が、ヒカルノに叩きつけられた。

 

「な、なんだいなんだい。せっかく戻って来たってのに」

 

 困惑するヒカルノに、一人の男がズカズカと詰め寄る。

 

「所長! なんで戻って来たんですか! 僕らが一体どれだけ苦労して所長を逃したと思ってるんですか!!」

 

 部屋の中でも職員たちの絶望の声が噴き出した。

 

「もうおしまいよ! 信じて送り出した最後の希望が何の成果もなく二十分足らずで帰って来たわ!」

 

「やっぱり人選ミスだったじゃない!」

 

「だから俺は所長に行かせるのはやめとけって言ったんだ!」

 

「僕、ここに勤めてからずっともしかしたらとは思っていたけど、やっぱりこの人バカだった!」

 

「君らねぇ……。私が手ぶらで帰ってくると思ったかい?」

 

 そう言ったヒカルノに腕を引かれ、楯無と簪が職員たちの前に立つ。

 

「何言って……え? 君たちは、IS学園の!?」

 

「ど、どうも」

 

「お久しぶり、です」

 

「どうだい。私がここを出たところでばったりエンカウントしたんだ。状況を聞かせたら、助けてくれるってさ」

 

 ヒカルノ自慢げに胸を張ると、一瞬の沈黙の後、歓喜の声が沸き起こった。

 

「やったわ! 信じて送り出した最後の希望がやってくれたわ!」

 

「人選に間違いはなかったわね!」

 

「俺は最初から所長を推してたんだ!」

 

「僕、ここに勤めてからずっともしかしたらとは思っていたけど、やっぱり所長ってすごい人なんですね!」

 

 熱い手のひら返しにヒカルノは『今度こいつら殴ってやろう』と思いつつも、今優先すべきことに取り掛かった。

 

「さて、例のブツは準備はできてるかい?」

 

 室内に入ったヒカルノは隣を歩く男に尋ねる。

 

「あと少しです。見張りのやつらが機械に無知で助かりました。指示通り動いてると思い込んでくれてましたよ」

 

「よしよし。完成次第すぐに使うよ」

 

「博士、これから何が始まるんですか?」

 

「決まってる。反撃さ」

 

 楯無の方を向いてニヤリと笑うヒカルノ。

 

「奴らは私たちにISを組み上げの他に奴らのEOSの強化と整備までやらせたんだが、その監視がまた()()でさ。こうして反撃の準備を整えられたわけよ」

 

「でも、人質になった人たちがどこにいるかは——」

 

「わかってる。ここからさらに四区画進んだところだ。仮眠用の休憩室に押し込められてる。君らには陽動で見張りたちの相手をしてもらいたい。カグヤの救出はこっちに任せて」

 

  見れば職員たちは各々、武器らしきものを手にとっている。

 

「大丈夫、なんですか? 相手はEOS。ISならまだしも生身の人間でどうこうなんて……」

 

「どうこうしてみせるさ。それよか問題は持っていかれたISだ。()()()()()()()()、せっかく完成まで漕ぎ着けた試作機を取り返せなきゃ、腹の虫が収まらない」

 

 ヒカルノの発言に、楯無も簪も同一の違和感を覚えた。

 

「ヒカルノさん。今、一機だけって……?」

 

「うん?」

 

「博士、はっきり答えてください。いったい何機のISを奪われたんですか?」

 

「一機だけだってば。そもそもあの時この研究所にあって動かせるISはその一機しかなかったよ」

 

「なあ?」 とヒカルノは隣の男に確かめ、男も「ええ」と肯定した。

 

「……待って。じゃあ、織斑季檍はISを量産していたってこと?」

 

「それだけじゃない……。式典を襲う時に使っていたISがここで造られたなら、どうやってカグヤさんを……」

 

  新たな謎を前に楯無と簪が戸惑う中、大型モニターの前にいた一人の職員が声を張り上げた。

 

「所長! 外から映像が!」

 

「なんだい? またやつらが無茶な要求して来たのかい?」

 

「いえ、そうではなく、これは……!」

 

 ヒカルノについて大型モニターの前に来た簪は、映し出される中継映像に息を飲んだ。膝立ちになって横に並び、両手を頭の後ろで組んだ数人の男女。人質となっている職員とすぐにわかった。

 彼らの前で、一人の女性が力なく横たわり固く目を閉ざしている。

 

「カグヤさん……!」

 

 この研究所に所属するテストパイロット、伊那崎カグヤの痛ましい姿に、簪たちの周囲もざわつく。

 そして、画面の右手から一人の男が現れた。

 

「野郎、何しに来たんだ」

 

「織斑季檍……」

 

 楯無とヒカルノは《真・白式》を展開した織斑季檍の冷ややかな薄ら笑いを睨みつけた。

 

『倉持技研の諸君、ご機嫌いかがかな?』

 

 ISを介した直接の通信で、季檍の音声が聞こえてくる。余裕に満ちたその声に拳を固めたヒカルノは、外のスピーカーと接続されたマイクに顔を近づけた。

 

「おう、おかげさまで最悪の気分だよクソッタレ。人質を突き出して、今度はどんな無茶振りふっかけるつもりだい?」

 

 スピーカーから響いてくる明確な敵意と怒りの乗った声を一笑に付し、季檍は動じる素振りを見せない。

 

『君たちのその無茶な要求に応えられる技量は評価しているよ。そして、今回は要望でなく取引の相談を持って来た』

 

「取引?」

 

『我々はこの研究所から去る。人質も解放しよう』

 

「……ほう? そりゃまたどういう風の吹き回しかな?」

 

『単純な話だよ。私たちの目的が達成されたのだ』

 

「目的……か。そう言えば一向に話してくれなかったね」

 

『君たちに話す必要が無いからだ。話を戻そう。この人質たちは返す。……代わりに。君たちのもとへ来たIS学園の者をこちらに引き渡してもらいたい』

 

 季檍の言葉の直後、職員たちの目が一斉に楯無と簪へ注がれた。

 

「お姉ちゃん……!」

 

「……どうやら、こっちの行動はお見通しみたいね」

 

『しらを切るのは賢い選択ではないぞ。私には彼らの行動なぞ手に取るようにわかる。さあ、どうする? すでにこの研究所に割いた戦力は全て撤退させている。これは私の誠意の証ととってもらいたい。君らの聡明さに期待する』

 

 そうして一方的に映像は切れ、ヒカルノは忌々しげに頭を掻いた。

 

「道理で見張りの少なかったわけだよ……!」

 

「所長、やつは見張りの連中を撤退させたって言ってました。逃げるチャンスでは?」

 

 職員の一人が訴え、賛同する声が点々と上がる。

 

「それはいいが、問題は……」

 

 ヒカルノに見られ、楯無は簪を庇うように前に出た。

 

「いや、いやいや。勘違いしないで。君らを素直に差し出すなんて選択肢は最初(はな)っからないよ」

 

 首を横に振りながら言うヒカルノ。簪は楯無の背中越しに声をかけた。

 

「……博士、なら、手段は?」

 

「あるよ。そりゃある。来てくれたのが君らで本当に良かった」

 

 くるりと回って楯無の方を向き、長い犬歯を覗かせて笑う。

 

「問題は、君たちの協力が必要だってことだよ」

 

 ◆◆◆

 

 数分後、外でヒカルノらの答えを待っていた季檍は、研究所の正面入り口が開くのを見た。

 

「ほれ、とっとと歩きな」

 

「………………」

 

 ヒカルノに押されながら両手を上げて歩く見覚えのある少女——簪が出てきた。

 

(桐野瑛斗ではないか……)

 

 目論見が外れたことに僅かに眉をひそめたが、すぐにヒカルノを迎えるポーズを見せた。

 

「それが君たちの答えというわけだな?」

 

「まあね。この子が自分から申し出てくれたよ。さあ、カグヤ達を置いて失せな」

 

「……いいだろう。同時に交換だ」

 

 季檍は倒れていたカグヤを持ち上げ、不安な表情をしていた職員たちへ顎で指示する。立ち上がった職員たちはヒカルノのもとへ駆け寄った。

 季檍とヒカルノはそれぞれ同時にカグヤと簪を突き飛ばし、そして同時に受け止めた。

 

「カグヤ、しっかりしな。生きてるんだろ?」

 

 回した手で背中を軽く叩きながら、ヒカルノはカグヤに呼びかける。

 

「……ヒカ……ルノ……?」

 

 薄く目を開けたカグヤは混濁した意識の中でもヒカルノの姿を認識した。

 季檍も簪に底意地の悪い笑みを見せて言葉をかける。

 

「君を餌に桐野瑛斗をおびき出す。せいぜいいい声で泣いてくれ」

 

「………………」

 

 だが簪は何も言わない。

 それどころか、先程から顔を伏せて一言も発していなかった。

 微かな違和感を覚えた季檍が簪の顔を掴もうと手を伸ばした時、簪の口が動いた、

 

「………わ」

 

「ん?」

 

「あなたになんて負けないわ。私も、()()()()も」

 

「っ!」

 

 ヒカルノがカグヤを抱いたまま後ろに飛ぶ。

 次の瞬間、簪の形が崩れ一気に膨れ上がり、爆発が季檍を飲み込んだ。

 

「チィッ……!」

 

 地面に転がった季檍は、足元が煌めいていることに気づいて空を見上げた。

 

「取ったわよ、織斑季檍!」

 

 《ミストルテインの槍》を顕現させた楯無が季檍に狙いを定めている。季檍が見た地面の煌めきは、水により乱反射した陽光であった。

 

「小癪なぁっ!」

 

 ブレードを呼び出し、内側から放射されたエネルギー刃をスパークさせて振り上げる。凄まじい威力で激突した剣と槍は大気を震撼させ、地面を割った。

 

「アクア・ナノマシンによる人型爆弾……。どうやら一杯食わされたらしいな。更識楯無!」

 

 爆心地でなおも健在であった季檍は、軽やかに舞い降りた楯無をギロリと睨みつけた。

 

「はじめまして、かしらね。一度あなたとは顔を合わせて見たかったのよ。本当に一夏くんや千冬さんにそっくりね」

 

 槍を構えたまま季檍を睨み返す楯無。

 

「一夏くんの借りを返させてもらうわよ」

 

「フン……返り討ちにしてくれる!」

 

 二回目の激突音を背後に聞きながら建物に戻ったヒカルノは、待機していた職員たちにカグヤを預けて職員と共に人質を介抱する簪を呼んだ。

 

「待たせたね。人質の奪還には成功した。あとはあいつだ。覚悟はいいかい?」

 

「は、はいっ!」

 

「よし。いい返事だ。では行こうか。散々好き勝手してくれた礼をしてやろう」

 

 研究所の奥へ歩き出したヒカルノの横顔に見えた鋭い眼光に簪はわずかにたじろいだが、自分のやるべきことを思い出しすぐにそのあとを追った。

 

 ◆◆◆

 

 学園の地下特別区画には、虚界炸劃との戦いの後に増設された施設がある。そこは他の区画から更に一階層分地下に作られた広大な空間。

 その正体は、篠ノ之束専用のガレージ。

 彼女によって持ち込まれた本人以外に説明不能な機材の数々が並んでいる。

 

「………………」

 

 それらに囲まれながら黙々と作業を続ける束。一夏が倒れた報告を受けてから半日以上が経過するが、クロエとともにこの中でずっと不眠不休で作業をしていた。

 

(束さま……)

 

 自身と生体同期したIS《黒鍵》を仲介させ、束の要求する動作を作業用ユニットアームたちに伝達するクロエには、束の言葉には出さない憤りが分かっている。

 

(私には、ただお側にいて差し上げることしかできない……)

 

 神妙な面持ちのまま、投影されたキーボードに指を走らせる束を想いながら、送られてくる情報を寸分の狂いもなく伝達していく。

 

「……入るときはノックぐらいしたらどうだい?」

 

 束の独り言、ではなかった。明らかに何者かに呼びかけている。顔を上げたクロエは、束の代わりに来訪者の姿を確認し、目を見張った。

 

「すまん。作業に没頭しているお前には何も聞こえないだろうと思ってな」

 

 現れたのは篠ノ之柳韻、束の父だった。

 

「何しに来たの?」

 

「娘の様子を見に来るのに理由がいるか? その様子では、お前もお前で気にかけているようだな」

 

 そう言った柳韻に小さくため息をつくだけで手を休めない束。

 

「お母さんは? 元気? どうせ例によって置いて来たんでしょ?」

 

「まあな。あいつには、俺の帰る場所であって欲しいからな」

 

「……その言葉でコロッといっちゃうんだから、お母さんも大概だよね」

 

 他愛のない親子の会話。だが、クロエには柳韻の目にも暗いものが見えた。聞けば、彼と織斑季檍は旧知の仲だという。それと敵対することが、どのような感情を作り出すのか……。

 

「……む?」

 

(あ……)

 

 一瞬柳韻と目が合い、慌てて目をそらす。柳韻はクロエに少しだけ笑うと、ドア付近の壁に寄りかかった。

 

「束、あの子たちはどこまで知っていた?」

 

「何も知らなかったよ。何もね」

 

「……そうか。千冬はまだ戦い続けていたか」

 

 それ以降、沈黙が広がる。

 

「………………」

 

「………………」

 

 黙々と作業を続ける束は目だけを一瞥し、少し大きい声で言葉を発した。

 

「自分のせい、とか思ってるんなら大間違いだよ」

 

 柳韻は娘に虚を突かれ、僅かに眉を上げた。

 

「みんなそうだった。疑いもしなかった。あの時私たちは『織斑季檍は死んだ』と判断した」

 

「しかし……」

 

「それに、私たちは昔の私たちじゃない。きっと乗り越える。ちーちゃんだってそうだ」

 

 束が手を止め、振り返る。

 

「信じてるから。なんたってちーちゃんは、私の最初で最後の()()だもの」

 

 柳韻は息を飲み、そして微笑んだ。

 

「……良い目だ。放蕩娘が、いつの間にそんなに強くなった」

 

「私にもいろいろあったってことだよ。だから、ちーちゃんの手助けは私がやる。私がやらなくちゃ」

 

 正面に戻り、視線を上げる束。柳韻も顔を上げて束と同じものを——巨大な特殊合金の塊を見た。

 半分以上フレームが露出したそれは、『白亜の大鎧』と呼ぶに相応しい形をしている。

 

「届かせてみせる。私とちーちゃんが本気になれば、行けない場所なんてないんだ」

 

 確信と決意に満ちた言葉は、束自身と、ここにはいない者たちへ向けられていた。




3ヶ月近く停滞してしまい申し訳ありません! でした!
いろいろ書いてものが増えてしまい、一人でてんやわんやしていました。更新どころかハメのページを開くことさえ出来ず、小説情報を見るのが怖くなったほどです。
ですが、どれだけかかろうと完結までは必ず書きます。エタりません。
さて、今回から箒と束の父、柳韻が本格的に登場です。今後のキーパーソンになると思います。
そしてヒカルノたちも再登場。最初は彼女たちを敵にしようかと思ったりしてましたが、一応の味方として学園に協力するようです。
次回、アメリカに向かった瑛斗たちに待ち受ける真実とは。倉持技研で繰り広げられる戦いの行方はどうなるのか!

次回もお楽しみに!

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