IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
水族館でIOSと戦闘を繰り広げていた時。
「………………」
教師から通告された待機命令に従い学園内にいたフォルテは、トボトボと重たい足取りで誰もいない校庭の横道を歩いていた。
足を止めて顔を向けると、ブルーシートで破損箇所を隠された校舎が見える。
「……ダリル先輩」
ポツリと呟いた言葉が、冷たい風に溶ける。
昨晩のうちに瑛斗からダリルの生存を聞かされてはいた。だがそれはあくまで『生存』しているというだけであり、それ以上の情報は一切ない。ましてや、その情報元があのクラウンとなれば、安堵どころか不安が一層増すのは、なんら不思議ではなかった。
もしや
そう考えるだけでフォルテの胸は張り裂けそうになる。
じっとしてなどいられない。今すぐにでもあの遠方に浮かぶ城へ乗り込みたい。だが、彼我の戦力差がどれほどかわからないままに行動を起こすほどフォルテも愚かではない。
だからこのやりきれない気持ちを紛らわすため、こうして散歩しているのだ。
「……あれ?」
気がつけば所属しているボクシング部の部室の前に足を運んでいた。
(つい、来ちゃったっす……)
ロックされているであろう扉に手を伸ばす。学園がこんな状況だ。全ての部活動は当然活動を停止している。無論この部室の扉にも鍵がかかって━━━━いなかった。
扉はなんの抵抗もなく、すんなり開いたではないか。
鍵のかけ忘れかと思いつつ、頭だけ室内に入れてみる。人の姿はすぐには見つけられなかったが、奥からサンドバッグに拳をぶつける聞きなれた音が聞こえてきた。
(部員の誰かっすかね? 練習熱心な……)
声の一つでもかけてやろうと奥へ進むと、飛び込んできた光景にフォルテは絶句した。
「ふっ……! はっ……!」
サンドバッグに向かっていたのは、部員などではなく、アメリカ国家代表のイーリス・コーリングだったのだ。
「っ!?」
あまりのことに思わず柱の陰に隠れてしまうフォルテ。その素早い挙動とそれをなし得る反射神経は、部のエースを張るに相応しいものであった。
(な、な、なんでこんなところにあの人がいるっすか!?)
昨日の襲撃後の地下特別区画での招集でその姿は確認してはいたが、こうして一対一でエンカウントするなど夢にも思っていなかった。
「………………」
学園に入学する前から憧れていた人物が、数メートル先にいる。
フォルテはそっと柱の陰から顔を覗かせ、もう一度イーリスの姿を見た。
腰の入った鮮やかな動きに、フォルテは分不相応とわかっていながらも手合わせを望んでいる自分に内心で苦笑した。
「ふう……」
ふと、イーリスが動きを止めた。
「……隠れてないで、出てきたらどうだ?」
「!」
(ば、バレてるっす!?)
「殺気がないとこを見るに生徒の誰かか。悪いな。使わせてもらってたぜ」
ゴクリと唾を飲み込んで、意を決して柱の陰から出る。
「お? お前は確か三年の……」
「ふ、フォルテ・サファイア! ギリシャ代表候補生っす!」
「そうそう、そんな名前だったな。桐野瑛斗に頼まれたサインにもそんな名前書いたけど、お前がそれか。で、どうしてここに? もしかしてここの部員か?」
「は、はいっす! あの、うちの部室にご用っすか?」
「いやなに、大したことじゃない。難しいこと考えすぎてこんがらがった頭のリフレッシュさ」
ポスポスと、叩かれた砂袋がわずかに揺れる。
「やっぱり身体を動かすってのはいいな。嫌なことが綺麗さっぱり忘れられる」
「それ、よくわかりますっす!」
「へへ、気が合うじゃねえか。しっかしお前エリスみてーな話し方だな。パクリか?」
「違うっす!向こうが被せてきてるっすよ!」
「そっかそっか」
食ってかかるとワシワシと頭を撫でられた。
(あ……)
その感覚に懐かしさを覚えて、フリーズする。期せずしてイーリスにダリルを重ねてしまっていたのだ。
「……どうした?」
「い、いや……」
なんでもない、そう続けようと思ったが、口を突いて出たのは全く別の言葉だった。
「……あの、ダリル・ケイシーって人、知ってるっすか?」
「ダリル? ……ああ! 覚えてる覚えてる! アタシのシゴきに耐えきったルーキー! そういやこの学園出身だったか。じゃあお前の先輩だな」
「ダリル先輩も、そうやって笑いながら頭を撫でてくれたっす……。でも、この前の基地襲撃から連絡が付かなくて……」
「……なるほど。あの行方不明一人はあいつだったのか」
自分の頭から手を離したイーリスに、フォルテは肩を震わせながら誰にも打ち明けていなかった胸中を明かし始めた。
「あの後、何度も連絡したっす。けど何の返事もなくて、もしかしたらって思うと怖くて……。昨日、桐野から先輩が生きてるってクラウンが言ってたって聞かされたけど、でも、それだけで、また怖くなって……!」
声を出すごとに息が詰まって、視界がにじむ。
憧れの人に泣き顔を見せないよう俯くのが精一杯だった。
「何もっ……何も出来ない自分が、悔しくて……!!」
「………………」
無言のまま耳を傾けていたイーリスは、少女の震える肩に右手を置いた。
「わかるよ。アタシもお前と同じだった」
「え……?」
「最初は誰だってちっぽけなもんさ。ありもしない自分の力を信じて突っ走って、終いにはその時の自分じゃどうしようも出来ない壁にぶち当たる。自分の弱さに打ちひしがれるんだ」
開いていた手を固く握って拳を作る。
「そんなだから、ダチの一人も守れやしねえ……」
「ダチ?」
「なんでもない。だから、強くなればいい。その時の自分の力でダメなら、その時の自分よりも強くなれ。そうすりゃ壁はぶち抜ける」
「強くなる……」
不安がよぎる。自分にできるのか。あの背中に追いつくことができるのか。
視線を落としたままのフォルテに、本当はもうちょい後の通達なんだがな、とイーリスは前置きして言い放った。
「……IS学園はあの城を落としに行く」
「!」
「このまま国のお偉いさんどもと折り合いが付かなきゃ、戦力が整い次第IS学園はお前ら専用機持ちも含めた部隊であの城にカチ込みだ」
わかりやすくっていいだろ? イーリスがいたずらっぽく言う。
「クラウン・リーパーが生きてるって言ったなら、十中八九ダリルはあの城にいるだろうさ。外からの破壊が不可能なら作戦も当然内側からの破壊になる。そこでお前は、城に乗り込んだらダリルを探せ」
「そんなこと……出来るんすか……?」
「それはお前が決めるこった。お前にその気があるのなら、戦い方を教えてやる。お前の大切なものを取り戻すために。二度と誰にも奪われないように」
強くなる。
それが自分にできるなら、できる方法があるのなら、
それが、あの人を救うことに繋がるのなら━━━━!
「……お願いします!」
涙を拭ったフォルテは、まっすぐ、イーリスの目を見ていた。
「教えてください! ダリル先輩を助け出すためにも!」
少女の振り切った表情に、国家代表は胸の奥から身体全体に広がる熱を感じた。
「よく言った! だが覚悟しろよ? 加減はするが、アタシのメニューはハードだぜ?」
「望むところっすよ!」
「いい返事だ! 気に入ったぜ、フォルテ!」
豪快な笑い声につられて笑うフォルテの目には、もう涙はない。
あるのはわずかな、しかし確かな希望を見出した、瞳の輝きだ。
◆
空から降りてきた一人の女性を中心に吹き荒ぶ風。
目の覚めるような赤い髪を暴れさせ、IOSを押さえつけるその人。
「アリーシャ・ジョセフスターフ……?」
確かに聞こえたその名前に、最初に覚醒したのはラウラだった。
「その名……! まさか、イタリア代表!?」
耳元で弾けたラウラの声にハッとする。この人がイタリア代表というのなら、その人が駆るISは━━━━!
「《テンペスタ》か……!」
「ふふん、いい反応してくれるの━━━━おっと」
「■■■■■■■■■ーーーッ!」
押さえつけられていたIOSが声になってない絶叫とともに身体を起こした。
「へえ? なかなかタフじゃないのサ。でも……」
アリーシャさんが拳を握ると、呼応するように大気が拳の先に集約されていく。
「━━━━吹っ飛ぶのサ!!」
対戦車ライフル並みの威力のある拳がIOSの操縦者を捉える。
「!!」
その言葉通り、IOSごと吹っ飛んだ男性はきりもみしながら鉄柵に激突した。
まるで軟質素材で作られていたかのようにひしゃげる鉄柵。なんて威力だ……!
「ちょ、ちょっと、ホント建物に被害出すのだけはやめてくれない?」
「これでも加減してやったのサ。……おや?」
拳を地面につけ、なおも立ち上がろうとする男。まだ立つのか!?
「■■■■■■■■■■ッ!!」
四肢をぐんと伸ばした男の身体の内側から、光が噴き出す。その光は四方へ、八方へ、見境なしに飛んでいき、水族館の建物や地面を削った。
「あいつ……!」
怒りを滲ませた日向さんの放ったアクア・ナノマシンが矢になって男に飛ぶ。━━━━異変が起きた。
「ウ……グ……!」
男が結晶化した。
突然、色を失い陽光を乱反射する透明な結晶塊になり果てた。
「な、何が起こってやがる?」
わからないまま、アクア・ナノマシンに貫かれた人の形の結晶は粉々になり、テンペスタの巻き起こす風に掻き消えてしまう。
残された白い装甲が、ガランガランと音を立てて地面に転がった。
「ほお、なかなか綺麗な散りざまじゃないのサ」
アリーシャさんが面白そうに言う。確かに綺麗だ。でも、それをはるかに凌駕するほどのおぞましさを俺は今の現象から感じていた。
死んだのか? いや、あれは『死』なんてものじゃない。少なくとも、人の死に方ではない。
G-soulも、あんな風に……。
「……っ」
胃の奥で冷たく重たい何かがのたうつ。
「瑛斗……」
俺を案じる視線と声に「大丈夫」と笑ってみせる。それがフルフェイスマスクに隠されているのに気づいたのはその二秒後だった。
「あっ、待ちなさいよ!」
日向さんが叫んだのが聞こえた。見れば襲ってきたIOSたちが浮遊している。
スコールと戦っていたやつも、身体中にあちこちに焼け焦げた跡があるにもかかわらず鉄面皮のまま空へ。
そして一度も振り返ることなく、まるでプログラムされているみたいに統率の取れた動きで、IOSたちは高く青い空へと駆け上っていった。
「撤退した……」
安堵の息を漏らすとセフィロトのサイコフレームも内側に潜る。後は任意に展開を解除して地面に足をつけるだけ。
「妥当な判断……かどうかはさておき、追う必要はなさそうなのサ」
独り言と話しかける声の中間ぐらいの声量でつぶやいたアリーシャさんはテンペスタの展開を解除しないまま俺を見た。なんだ? まさかこの流れでセカンドバトルなのか? そうならスコールに助けてもらお。
「ふふ、実際見てみれば、可愛い坊やなのサ」
「ぼ、坊や?」
「こっちの話サ」
「イタリア代表、よろしくて?」
展開を解除していたスコールがヒールの音をコッ、と地面で鳴らした。
「救援、感謝するわ。でもどうしてあなたのような人がここに?」
「簡単なことサ。あの城を攻略しに行く途中で、聞き覚えのある叫び声が聞こえたから通りがかったのサ」
あの城って……、この人まさかアルストラティアを一人で落としに行こうとしてたのか!?
「……ん? 叫び声?」
「もちろん君の叫び声サ。桐野瑛斗」
「俺の?」
ピッ、と特殊金属装甲の鋭利な指が俺に正面を向けた。もしかして、サイコフレームの発動の時のあれのことか?
「半年前に聞いた、あの獣の吠えるような叫び。忘れるわけないのサ」
「半年前……追悼式!? あの場にいたんですか!?」
「その通り。お忍びで来た帰りに、遠くから叫び声が聞こえたのサ。で、ちらっと様子を見に行ったら専用機に囲まれながらも黒いISが大暴れしてるじゃないサ。私も参戦しようとしたら急に終わったからその場を去ったけれど、あれがキミとは思わなかったのサ」
「あの場にあなたが……。あの、所長に負けたっていうのは……?」
「そのままの意味サ。第二回モンド・グロッソ準決勝で私の相手だったアオイ・アールマイン。私が手も足も出なかった相手……。でも、死んじまったのサ」
遠くを見るアリーシャさんの目に、少し寂しさが宿っている。
所長は死んだ。これは、まぎれもない真実なんだ。死人は生き返らない。俺が戦ったあの人は━━━━
「しかし不思議なのサ。キミは確か、G-soulとかいうISを使ってるはず。どうしたのサ?」
「え……あ……」
無意識に俺の傷を抉ってきたその言葉に、返答を窮してしまう。そんな俺にアリーシャさんは二度まばたきをして、こりゃ失敬と笑った。
「まあ、深くは聞いてやらないことにするサ」
そう言って振り返るのと、テンペスタのスラスターからふわりとそよ風が吹いたのはほぼ同時だった。
「も、もう行っちゃうんですか?」
「まあね。ふらっと立ち寄っただけだしサ」
「無茶だ! いくらあなたが強くても、あの城には……クラウンのところには……!」
「そのうち、また会えるのサ」
アリーシャさんは穏やかに笑うと、一度手を横に振って空へ舞い上がって空の彼方へ行ってしまった。
「アリーシャ・ジョセフスターフ……イタリア代表、か」
また会えるって、どういうことなんだろう。俺の言葉が届いてくれてるといいんだけど……。
「━━━━驚いたわね。イタリア代表が動いてくれるなんて」
日向さんが俺の隣に立った。
「これじゃあ私の出る幕なんてないわね。あーあ、残念」
言うわりにあまり残念そうじゃない……。
「……って、言いたいところだけど」
「へ?」
「よくもここを戦場にしてくれたわね……! 絶対許さない……!!」
スコール! と鋭い声が飛んだ。
「気が変わったわ。今回だけ手を組んであげる。でも今回だけだから! いい? 今回だけだからね!」
「あら、それは喜ばしいわね」
短く言ったスコールを見もしないで、日向さんは半壊した建物の中へ入っていった。多分様子を見に行ったんだろう。
「だ、大丈夫なのか?」
「何も問題ないわ。むしろ万々歳ね。それより……」
すうっとスコールの顔に影が差して、所在無さげに呆然と立っていたラウラに向けられる。
「あなた、自分が何をしてるのかわかってる?」
「………………」
「あなたのISは昨日の襲撃で一番ダメージを受けてるのよ? そんなあなたが学園の外に、ましてや私達について来るなんて━━━━死にたいの?」
「わ、私は瑛斗を守るために……」
「じゃあ今、何か出来たかしら?」
「……っ」
「スコール、止してくれ。ラウラは俺を気にかけてくれてたんだ」
「わかってるわよそんなこと。でも事態は逼迫しているの。そんな中であなた達の誰か一人でも減られると困るのよ」
言い方は少し乱暴だけど、その言葉は心配から来ているものだった……と思いたい。
「……わかったわ。本気で怒ってるわけじゃないし、瑛斗に免じてもう何も言わないであげる。でも、悪いことをしたら、謝るのが常識でしょう?」
俯いて数秒の沈黙。そして囁くような小声が鼓膜を震わせた。
「……ごめんなさい」
「うん、いい子ね」
スコールはラウラの頭をポンポンと撫でると、さて、と話題を切り替えた。
「オータム」
「う、うん?」
「クレッシェンドに行くわよ。あなたも車で来たのよね?」
「ああ。でも、こいつらは?」
「ISで帰ってもらうわ。瑛斗、その子と一緒にあのジャンクを学園に持って帰ってちょうだい。ここからならそう遠くはないわ」
「わ、わかった」
「これにて解散よ。騒ぎが大きくならないうちに、お暇しましょ」
それから、俺とラウラはオータムがアルバ・アラクネのバインディング・ネットでこさえた網にIOSの残骸を入れて、海を渡って学園に戻ることになった。
「………………」
「………………」
二つの黒色の機影が海と空の間をかける。けれど出発からラウラは一言も発しない。俺もなんて声をかけたらいいかわからず、ラウラをチラと見ては形の決まっていない声を飲み込むしか出来ないでいた。
こういう時は慰めるような言葉の一つでもかけるべきなんだけど、下手な慰めはラウラをさらに傷つけかねない。うーむ、どうしたものか……。
「……ここまで、ボロボロだったとはな」
考えていたら、ラウラの方が話しかけてきた。その視線は、内部構造が露出した、まだ再生しきれていない
「あの女の言うとおりだ。こんなことでは、よしんば展開が間に合っていたとしても、お前を守ることなどできなかった」
「ラウラ……」
「それどころか、お前に守られてしまった……」
ラウラのこんな悲しそうな表情に、無言を貫くことなんてできるわけがない。
思い浮かぶ言葉を、俺は次々と声に変えた。
「仕方ないさ。お前は昨日、俺が来るまで学園を必死に守ってくれたんだ。レーゲンのその傷はラウラの戦った証、勲章だよ」
「勲章……」
「学園には予備の装甲だってあるんだ。帰ったら俺が修理するよ。調整できるところがあったらそこも━━━━」
そこまで言って、ラウラの顔が曇っていたことに気づいた。
「……ラウラ?」
「残念だが、それはできない」
「え?」
「予備パーツにも限度がある。学園にあるものだけでは腕と脚だけがやっとだ」
「な、なら、ドイツから取り寄せれば!」
「それも無理だ。私の部隊と連絡がつかないんだ」
「な……!」
「隊員の誰とも音信が完全に途絶えて、向こうの状況を知れない。無論、こちらの状況も」
「そんな……」
まさかダリル先輩のみたいに━━━━という言葉を危うく言いかけた。こんなこと言ったら余計に不安を煽ってしまうだろう。
「私のレーゲンを修理するとなると、学園にある量産機から装甲を流用しなくては━━━━」
《そんなことする必要ないよ》
「しかしだな………………待て、私は今誰と話した」
「少なくとも俺じゃないぞ?」
《はいはーい、わたしわたしー》
ピコン、とセフィロトからウインドウが出てきた。映し出されているのは、一人で不思議の国のアリスを体現したかのような風変わりな衣装に身を包んだ天才。
「篠ノ之博士!?」
《その通り! 束さんです!》
篠ノ之束博士だった。
「どうしてセフィロトから? デバイスの充電は終わったんですか?」
《うん! 今さっき終わって再起動、それからこのISと同期したんだ》
「そんなことはいい。博士、必要がないとは?」
《話の続きは学園に着いたらね。ちーちゃんの言ってた歩み寄りってやつをしてあげるよ》
博士の言葉に疑問符を浮かべる俺たちの頭を、海風が撫でた。
◆
学園に着いた瑛斗とラウラは、待ち構えていた千冬と真耶に地下特別区画へ来るよう指示された。
無断の外出へのおとがめは一切なし。スコールが事前に話をつけていたのだ。
それよりも重要なのは、瑛斗たちの無事、そして持ち帰ってきたIOS。
全学年の専用機持ちが、IOSを安置した特別区画のフロアに集合していた。
「全員集まったな。では始めるぞ」
千冬の号令で一同は表情を引き締める。
「これが、桐野が数刻前に戦闘を行ったIOSだ」
「これがIOS……」
一夏のつぶやきがフロアの壁に吸収され、千冬の隣にいた真耶が手に持ったファイルの内容を読み上げた。
「学園が所有するこれまでのデータ、そしてクロエさんが提供してくれたデータから、篠ノ之博士のゴーレムシリーズと構造はほとんど同じということがわかりました」
「まさしく男でも動かせるIS、ってわけね」
鈴は頭の後ろで手を組み、IOSを下から上にしげしげと見る。
「綺麗な色……。でも、なんていうか……」
言葉を探していると、横にいた簪が代わりに口にした。
「病的……」
「そうそう。そんな感じ。綺麗すぎるってのがそうさせてんのかしら? ずっと見てたらどうにかなっちゃいそう」
「謎はもう一つある。桐野の話では、このIOSの操縦者は結晶化して粉々になったそうだ」
視線が瑛斗に集中する。瑛斗は一度頷いてそれが本当であることを示した。
「あれは男でも動かせるISってくくりだけに考えちゃいけない。もっと、危険な何かを抱えてるんだ」
「証言はボーデヴィッヒからももらっている。束、これがどういうことか説明できるか?」
クロエが持っていたデバイスに浮かぶ束の
《くーちゃんが持って来たデータが全てだね。本物の私は確かにクラウン・リーパーと同盟関係にあったけど、協力したのは形ばかり。使い物にならないゴーレムシリーズのデータの提供だけ。だからこのIOSはほぼ彼が独自に開発したものだ》
「姉さんは、なぜクラウンなどと組みしていたのですか?」
箒の問いかけに束は真っ直ぐな目を向けた。
「箒ちゃん、昨日の映像で見たちーちゃんと白騎士の戦いは覚えてるよね?」
「え? ええ。覚えています。千冬さんが白騎士のコアを両断して━━━━」
そこで箒は息を飲んだ。頭の中で回路が繋がる。
「まさか……!」
《考えている通りだよ。彼が白騎士のコアの半分を、白騎士の意思の宿った半身を持ってる。だから私は彼に近づいて、彼の動向を探ったんだ》
バレてたみたいだけどね、と立体映像は自虐的な声音で付け加えた。
「……クラウンが白騎士のコアを手に入れ、そこから知識を得ていたというなら、彼の能力にも納得がいく」
《彼の目的である世界の滅亡……それはきっと、異星からの移住者達を地球に解放することだ。もしかしたら、あの城は本物の私に埋め込まれた因子以上の役割を持っているかもしれない》
「ならば、早く破壊しなくては……!」
「わかっている。そこで、我々はある決定を下した」
「決定?」
「IS学園は━━━━」
「行くんすよね! あそこに! アルストラティアに!」
唐突に弾けた声に、この場にいた全員が固まる。
声の主は、フォルテであった。
「……あれ? 違うんすか?」
「いや、確かにそうだが……。なぜ知っている?」
「イーリスさんから聞いたっす!」
「あいつめ……。くれぐれも内密にと言ったはずだが……」
額に手をやり嘆息する千冬だったが、それ以上のことは言わず続けた。
「そうだ。我々は独自にアルストラティア破壊作戦を遂行する。昨夜からほんの二時間ほど前まで行われていた会議での決定だ。お前たちにも戦闘要員として参加してもらう」
「はいっす!」
「それは……」
「一向に構いませんが……」
フォルテとは対照的に、曖昧な返事をしてそれぞれ顔を見合わせる少女たち。代表して楯無が発言した。
「先生、私たちのISは損傷が激しく、とても万全とは……。フォルテちゃんもそうでしょ?」
「う、そ、そう言えばそうっす……」
忘れてたんか……。とは誰もが思ったが誰も言わない。優しさである。
「それについては問題ない。そうだな、束」
《うい! もっちろん!》
立体映像が明るい声で答えた。
《私から君たちへの大サービスだよ!》
「サービス?」
《すぐにわかるよ! とりあえずみんな外に出よう!》
言われるまま、クロエを先頭にして外へ出る。足の速くなった日の茜色の光を浴びながら一同はグラウンド中央に集まった。
「博士、一体何を始めるんです?」
《えー、ごほん。これから君たちのISの改修をしようと思います!》
『改修?』
束の言葉をおうむ返しする専用機持ち。
《君たちのISの機能、武装の追加、その他諸々のパワーアップ! 束さんの出血大サービス!》
「ど、どうしたんですか束さん。すごい大盤振る舞いですよ」
人との付き合いが少し、いや、かなりクセの強い束の言動に一夏は困惑するが、束はにこやかに笑っている。
《まあ世界の危機だし、原因は少なからず私にもあるし……でも何よりも、ちーちゃんに言われたからね。君らに歩み寄りを見せろって》
「で、でも学園の設備だけじゃあ……」
《そこんところも、のーぷろぶれむっ! くーちゃんよろしくっ!》
「わかりました」
クロエは地面に自身が使う杖を突き立てる。すると杖の柄の部分からアンテナが伸びた。
《みんな、あれを見て!》
束が指差した天を仰ぐ。
少年少女は、一瞬の光を見た。空を切る音を聞いた。
地面に『何か』が落下する衝撃を体感した。
「な、なんだ!?」
土煙の奥から見えたのは、全長五メートルはあろうかという巨大な人工物。
橙色で円筒形をしたそれは、一言で言い表すならば……
「に、ニンジン?」
マドカの言う通り、まさしく巨大なニンジンであった。
しかしそれだけではない。巨大ニンジンオブジェは、中央から縦にスッパリ割れると、内部の機構を蠢かせあっという間に小さな工房になったではないか。
《これが私のラボだよ! と言っても緊急用の小型版だけど》
「す、すげー……!」
一番目を輝かせていたのは瑛斗であった。世界を作り変えた天才のラボは研究者としての琴線に思いっきり触れたようだ。
「でも、篠ノ之博士が
《抜かりはないんだよ、えっくん!》
ラボの中から、アタッシュケースにキャタピラーがついたような物体が出てきた。
キュラキュラと独特な音を出しながら地を這う物体はクロエの前で止まり、クロエはデバイスを物体中央にあった窪みにはめ込んだ。
《へ〜〜ん、しんっ!》
束の掛け声の直後、アタッシュケース型だった物体は特殊金属骨格に変形した。
《このボディがあれば作業は可能だよ!》
デバイスをはめたブロックから手と足が生えたその姿は珍妙であるが、束は至って真面目に設計をしているらしく、様々なポーズをとってアピールする。
「……ここまでくると、なんでもあり」
「あはは……」
半ば呆れたような梢の隣で、蘭は苦笑を浮かべた。
《でも、一つ問題があるだよね》
鋼の身体を手に入れた束が、人がそうするように腕を組んだ。
《作業はできるけど、効率の方がねえ。本物の私なら何てことはないんだけど、この身体一つじゃ限界があるんだ。具合にもよるだろうけど、軽く見積もってもIS一機に半日は時間がかかるよ》
その言葉にいち早く反応し、一歩踏み出たのも瑛斗だった。
「だったら俺が━━━━」
『私たちに手伝わせてください!』
しかし瑛斗の言葉の後半は別の複数人の声に掻き消された。
現れたのは学園の女子生徒たち。
十や二十ではくだらない人数の集まり。
「本音……」
その先頭に立つのは、簪のメイドである本音と、瑛斗ら一組のクラスメイトの清香だ。
「相川さん?」
清香は瑛斗と一瞬交えた視線を上げ、束を見つめた。
「私たち、ずっと考えてたんです。このままでいいのかなって。私たちにもできることがあるんじゃないかって」
「直接戦うことはできないかもしれないけど、みんなの役に立ちたいんです!」
「同じ学園の生徒だもの!」
「守られているばかりなんて嫌だよ!」
生徒たちから口々に声が上がる。そのどれもが、協力を申し出るものだった。
「みんな……」
感激する瑛斗たち。
《━━━━何を言ってるんだい》
「え……?」
《君たちごときが私の作業を手伝う? 身の程を知りなよ》
冷淡な対応。束であった。
《君らにできることなんてない。せいぜい部屋の隅っこで震えてなよ》
「そんな……」
少女たちの表情に影が差す。
「姉さん……! あなたは!!」
憤る箒は束を睨みつけた。
《……って、本物の私だったら軽くあしらってるところだろうね。でも、『今』の決定権は『今』の私にある》
しかしデバイス内の束が重ねた言葉は、以外なものであった。
《いいよ! 世界を救うこの役目、君たちにもその一端を担わせてあげようじゃないか!》
グッと突き出されたマニピュレータの表す意味に気づくのに三秒ほどようしたが、少女たちはたちまち歓喜の声を上げた。
「束……」
《ちーちゃん、こういうことでしょ?》
「……ああ。そういうことだ」
《ふふ……。さあ! やると言い出したからにはやってもらうよ! 完璧に仕上げよう!》
「聞いての通りだ。専用機持ちたちはISを展開しろ。一般生徒は束の指示に従って動け」
『はい!』
瞬く間に慌ただしい雰囲気に包まれ、瑛斗は内側から込み上げてくる熱いものにぶるるっと身体を震わせた。
「博士! 俺、個人的に作ったみんなのISの強化プランがあるんです! 何か使えそうなものがあるかもしれません!」
《おお、えっくんのアイディアならうぇるかむだよ! 見せて見せて!》
「はい! 部屋から取ってきます!」
熱い衝動に突き動かされ、瑛斗は走り出す。
(そうだ、立ち止まってなんかいられない……。俺には、まだできることがある!)
少年の心は、熱く燃えていた。
◆
バー・クレッシェンド。
世界滅亡のカウントダウンが差し迫るにもかかわらず店は通常営業。バーのマスターが一人で切り盛りするがゆえである。
だが今は開店前とあって店内に客の姿はない。
代わりにカウンター席には、およそこの場に似合わない小柄な少女がいた。
亡国機業の古参にして敏腕技術者のチヨリだ。
「おうよしよし、ふふ、可愛い奴め」
そんなチヨリの膝の上に、一匹の毛並みの白い猫が乗っていた。
「戻ったわ」
カランコロンとドアの上部に付いたベルの音が店内に響く。店に入ってきたのはスコールだ。その後ろからはオータムも続く。
「おかえりなさいませ」
「おー、ご苦労じゃったな」
マスターがカウンターの中からグラスを磨く手を止めて二人を出迎えたのに対し、チヨリはろくに見向きももしない。
「あ? おいババア、その猫どうした?」
「店の前に座っておっての。ほんの気まぐれで中に入れ込んだのじゃが、これがなかなかどうして可愛いんじゃ」
チヨリに撫でられて気持ちよさそうに目を細める白猫は、にゃあ、とひと鳴き。まるで挨拶するかのよう。
オータムはマスターに、いいのかあれ? と視線を向けたが、マスターは肩をすくめただけだった。
「かなり人に慣れているようで、いたずらをするような気配もないですし」
「まあ、あんたがいいってんならいいけどよ」
「可愛いじゃない。チヨリさま、私にも抱かせてちょうだい」
スコールが身をかがめてチヨリから猫を受け取る。
「うふふ、この子本当に人慣れしてるわ」
嫌がる様子を見せない白猫にスコールは顔をほころばせる。
「……して、首尾の方は?」
チヨリに剣呑な眼差しを向けられるが、スコールはどこ吹く風と、気に留めない。
「何も問題ないわ。彼女もなんだかんだ言っても、協力してくれるみたい」
「そちらの方はもとより案じてなどおらん。ワシが言いたいのは━━━━」
カランコロン。
またもや来店を知らせるベルが鳴った。
「申し訳ありません、まだ開店前で……」
対応しようとしたマスターは途中で言葉を止め、ハッと息を飲んだ。
「わかってるサ。でも、こっちは招待客なのサ」
立っていたのは長身の女性。
しかしその風貌はなんとも形容しがたい。
右目を隠す刀の鍔の眼帯。肩から胸元までを露出させるように着崩した着物。
そして、事故と思われるやけどのあとと、欠損した右腕。
「テメェは……イタリア代表!?」
その肩書きが全てを物語る。アリーシャ・ジョセフスターフ。水族館におけるIOS戦乱入者が、そこにいた。
「誘いに応じて来てやったのサ。スコール・ミューゼル?」
「ええ。歓迎するわ、イタリア代表」
驚くオータムたちを尻目にかすかに笑い合う二人の女。
「……こちらの方も心配いらんようじゃったの」
一人でしたり顔になったチヨリ。
その目はおよそ少女らしからず、鋭く光っていた。
白猫はスコールの腕から降りると、トテトテとアリーシャのもとへ。
「待たせたのサ、『シャイニィ』」
白猫を抱き上げ、隻眼を細めるアリーシャ。『シャイニィ』、それが猫の名前であった。
「あら、あなたが飼い主だったの?」
「そういうことサ。ここで待ち合わせてたのサ」
「そ、そんなことできんのか……?」
「うちのシャイニィは賢いんサ。な?」
アリーシャの肩に乗った白猫は、にゃ! と肯定するように短く鳴いた。
「しかしこんな洒落たバーをアジトにしてるとは思わなかったのサ」
ピンヒールをコツコツと鳴らして歩き、チヨリの隣のカウンターに座ると、慣れた手つきでキセルに火を入れ紫煙をくゆらせた。
「スコール……」
オータムの目が、わけがわからない、と訴えていた。
「そうね、簡単に言うと私が彼女を呼んだのよ」
「呼んだ?」
「アルストラティア攻略に一役買ってもらおうと思ってね」
「え? でもこいつあの時は一人で行くようなこと……」
「あれは桐野瑛斗に私のことを悟らせないようにするため、だったっけ?」
「そうよ。あなたが私たちに協力する条件が条件ですもの。あの子が知ったら何言うか」
「ちょっと待つサ。私が言われたのはアオイ・アールマインと戦えるってことだけ。お前に利用されるつもりなんてないのサ」
「わかってるわよ。あなたはアオイと戦ってくれればいいわ。その場は私たちが作ってあげる」
「……ならいいサ。こうしてのこのこと来てしまった手前、最後までお前の狂言に付き合ってやるのサ」
「そうしてくれると助かるわ。それと……」
スコールは身体を傾けると、扉の向こう━━━━外に声を放った。
「そろそろ出て来たら? いるのはわかってるのよ?」
外からギクッ! という擬音が聞こえたような気がした。
「ふ、ふん! 流石ね。よくぞ見破ったわ」
腕組みして現れたのは、海乃であった。
「今更カッコつけてもダメよ。気配だだ漏れよ、あなた」
「んなっ!?」
「なんだ、気づかれてないと思ってたんサ? てっきりツッコミ待ちしてるのかと……」
どうやらスコールだけでなくアリーシャにもバレていたようである。
「う、うるさいわね! こうして指示通り来てやったんだからありがたく思いなさい!」
ああ、こんな三下じみたセリフしか言えない自分が憎らしい! とやり場のない怒りを燃やす海乃。しかし誰からも相手にされない。
「何はともあれ、役者は揃ったようじゃな」
「ブリュンヒルデたちも準備を進めているみたい。あと二、三日ってところよ」
「残る問題は瑛斗のG-soulか……。最大の問題じゃな」
「あれは私たちの切り札。あれがないとなると……」
「いや、ワシは瑛斗を信じるぞ。あやつはあの
◆
IS学園地下特別区画。
長き眠りにつく《暮桜》を安置するフロアの一つ前。
無人のフロアの中央に、二つの『もの』が保管されていた。
アオイによって砕かれたG-soulのコアの残骸。
そしてそのアオイが捨てたG-soulの右腕。
二つのものは、本来一つ。
揃って初めて意味が生まれる。
故にまだ誰も知らない。
二つの『もの』が、共鳴するように発光していることを。
本来の姿を、取り戻そうとしていることを━━━━。
というわけで更新しました!
アリーシャの登場、そしてIS大改修開始の今回で第十六章は終わります。
次回より最終章『終焉と始まりの宇宙へ』が開幕です。
ここまで来るのにかなりの時間がかかりましたが、どうか、どうか最後まで瑛斗たちの行く末を見届けてあげてください。
次回もお楽しみに!