IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜   作:ドラーグEX

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告げる真名 〜または生まれ落ちた魔哭〜

「ん……」

目を覚ましたエミーリヤが最初に見たのは、薄汚れた布だった。

布越しに感じる固い感触から、ISであることがわかった。

「起きましたか」

顔を布で覆って隠した女が、こちらへ布の間から黒い瞳を向けた。

「あなた……誰?」

「あなた様の協力者の部下、とだけ言っておきます」

「協力者……?」

手足が宙ぶらりんになっているのを知って、エミーリヤは自分がまるで荷物のように小脇に抱えられて運ばれているのだと理解した。

そして、海風に当てられた身体が、みるみる思考を定めさせた。

「……っ! 更識楯無! あいつはどこ!?」

「もう、全て終わりました。私はあなたを回収し、こうして帰投している最中です。更識楯無も、恐らく帰還の途についていることでしょう」

「わ、私にISを寄越しなさい! 私はまだやれるわ! 今度こそあの小娘を殺してやる!!」

「見苦しいですね」

女は、喚くエミーリヤを一蹴した。

「なんですって……!?」

「あなたは負けたのです。その事実を認めてください」

女の目に、エミーリヤは言い知れない思惟を感じた。下手に出てはいるが、女の纏う雰囲気は有無を言わせないと主張している。

吹き付けられる冷たい風が、エミーリヤの心に諦観の念を押し広げた。

「今のあなたに残されたのは、そのISスーツのみです。それで何が出来ると?」

反論する気が萎んで消えたエミーリヤは、遥か下方を高速で流れていく海面へ視線を落とした。

「……私を、殺すの?」

女はエミーリヤの言葉を否定する。

「誰もあなたを殺そうなどとは思っていません。あなたには、まだ利用価値があります」

「利用? 私をどうするつもり!?」

「それは、追って説明させていただきます。ですので……」

女がエミーリヤの鳩尾に拳を打ち付けた。

「ぐぅ……!?」

苦悶の声と、期せずしてエミーリヤの肺から漏れた空気が、風に流されて消える。

「今は、眠っていてください」

女は、エミーリヤを抱えながら、黄昏の空に白い軌跡を描いた。

 

 

「つまり……お前はヒカルノさんに篠ノ之博士の置き土産の水晶玉をぶつけられて、気がついたら簪と一緒に島に来てたってわけか」

「そうだな。そういうことになる」

「なるほど…………さっぱりわからん」

「だよなぁ……」

一夏はがっくりと肩を落とす。

島を出た俺達は、海岸沿いのとある旅館に立ち寄っていた。

荒れ果てた島では楯無さんやエリスさんに満足な処置が出来ないと判断したのはチヨリちゃんなんだが、ここに行くことを提案したのは、なんとスコールだ。

あいつの何がすごいって、いきなりこんな人数(しかも二人気を失ってぐったりしている)を、旅館のオーナーさんと一言二言話しただけでかなり上等な部屋に通させたこと。

その手際の良さに俺や一夏はただただポカンとするしかなかった。

「いやな、一夏が一夏なりに必死に伝えてくれようとしてるのはわかってる。でもやっぱり内容が飛躍し過ぎてるんだよ」

「俺も話してる途中でそう思ったよ。……っていうか瑛斗お前、あんまり驚いてないよな。なんでだ?」

「なんでって……あれ? なんでだろ?」

あの時。

 

一夏と簪が空間を突き破って現れた現象。

 

それを目の当たりにした俺は、不思議と冷静だった。

「いつもなら目をキラキラさせて興奮するはずなのに、どうしたんだ?」

 

む、いつの間にか質問される側と答える側が逆転している。が、一夏の言うことももっともだ。

 

「うーん………」

 

考えてみる。あの時の俺は………。

 

「……来るのが、わかってた……?」

ポツリと口を突いて出たのは、そんなあやふやな答えだ。

「わかってた?」

「いや、なんつーか、予感がしたっていうか、来て当然っていうか………………なあ、この話やめようぜ? なんだか頭が痛くなってきた」

「そうだな。学園に戻ったら調べてくれよ」

「そうさせてもらう。……しっかし、いつまで待ってればいいのやら」

旅館に入れたのはいいんだけど、チヨリちゃんが『男子禁制じゃ』とか言って俺達を部屋から締め出すもんだから、俺と一夏は豪奢な襖の前で待たされている。かれこれ一時間は経ってるな。

「スコール先生達が部屋の中に入ってどれくらいだ?」

「一時間ちょっと。軽い治療なら終わっててもいい頃だと思うんだけどな」

そろそろ尻が痛くなってきた。

 

すると、襖が内側から開かれた。

「ようお前ら、待たせたな」

「オータム?」

「ババァがもう中入っていいとよ。エリスってやつが目ぇ覚ましたぞ」

「エリスさんが!?」

早足で駆け込むように部屋の中に入る。

「エリスさん!」

部屋の中に入ると、エリスさんが敷かれた布団から身体を起こしてぼんやりと空を見ていた。

「………………」

「チヨリちゃん、エリスさんの様子は?」

エリスさんの隣に座っているチヨリちゃんは首を横に降る。その横のエリナさんも不安げだ。

「それがの……。この娘、起きてからなんとも言わんのじゃよ」

「どういうことだ?」

チヨリちゃんの代わりに、エリナさんが気まずそうに答えた。

「その……寝起きが悪いみたいで、全然返事してくれないのよ」

ぼけ〜っとしてるエリスさん。以前に会った時よりも少し痩せて見えるのは気のせいではないはずだ。

「……エリスさん?」

「ほぇ……?」

もう一度呼びかけると、エリスさんは虚ろな目をゆっくりと俺に向けた。

「………きりの………さん?」

「俺のこと、わかりますか?」

 

「………………………」

 

エリスさんの目が、みるみる視界を定めていく。

「………うわあああああ!? きっ、きききっ、きき桐野さんっ!?」

エリスさんは、ずだだだだだーっと手を使ってものすごいスピードで後ずさり。そしてすぐに壁にゴン!

「だっ!?」

「エリス!?」

頭を打って悶絶するエリスさんにエリナさんが近寄る。

「だ、大丈夫?」

「ううう……! ゆ……夢じゃないっす……!」

「元気そうですねエリスさん。よかった」

「き、桐野さんっ! はい! 自分元気っす!」

エリスさんはピシッと正座する。マジで元気だな。

「な、なな、なんすか!? どういうことっすか!? ドッキリっすか!?」

「エリスさん落ち着いて!」

「は、はい! 落ち着くっす。すー、はー、すー、はー」

「げ……元気な娘っ子じゃ」

「数時間前まで監禁されてたやつのテンションじゃねえよ。薬キマってんじゃねえだろうな?」

挙動がかなりアクティブなエリスさんを見て、チヨリちゃんとオータムは呆気にとられている。

「エリス、あなた覚えてないの?」

「な、何をっすか?」

「エリスさんは、エリナさんと一緒にエミーリヤ・アバルキンってやつに攫われてたんですよ?」

「エミーリヤ? アバルキン? 誰っすか?」

エリスさんは頭の上に何個も疑問符を浮かべてきょとんとしている。

どうやら自分の置かれていた状況を一切把握してないようだ。

「あ、あの……本当に何の話っすか? 攫われたって。それにここ、どこっすか?」

「エリス、後でちゃんと話すわ。…………でも、今は━━━━」

エリナさんがエリスさんの背に腕を回した。

「せ、先輩?」

「よかった……! 本当によかった……!!」

エリナさんの声が震えている。当然だ。誰よりもこの時を待っていたんだから。

「……ん? そう言えばスコール先生は?」

一夏の一言で気づいた。

「そういや楯無さんと簪と、イーリスさんもいないな?」

「あー、あの四人なら隣じゃ隣」

隣と言ってチヨリちゃんが指差したのは部屋の中にあったこれまた別の大きな襖。

「その襖を隔てて隣の部屋と繋がっておっての。楯無の嬢ちゃんが手当を受けとるはずじゃ」

「そうなのか。じゃあ様子を見に━━━━」

「おい! 更識楯無が起きたぞ!」

イーリスさんがスパーン!と襖を勢いよく開けた。

「え……ええええええっ!? ああアメリカ代表!? イーリス・コーリングっすか!?」

イーリスさんの姿に目を白黒させるエリスさん。そうか。イーリスさんは国家代表だしアメリカの人達の憧れの的だもんな。エリスさんもフォルテ先輩と同じってことか。

「ん? おお! エリスも目を覚ましたのか」

イーリスさんの向こうに、座椅子に座る楯無さんとそれに寄り添う簪、そして窓の外へ視線を投げているスコールの姿が見えた。

「楯無さん!」

「楯無さん、具合はどうですか?」

「あ……瑛斗くん、一夏くん」

楯無さんは部屋に入った俺達を見て顔をほころばせる。

「あはは……心配させちゃったかしら?」

「運がいいわね。どこも大事にはならない擦り傷だもの。なんで倒れたのかしら」

スコールはやれやれといった風に肩をすくめる。

「張り詰めてたんだよ。察してやれ」

「そんなものかしらね?」

「お姉ちゃん………本当に平気?」

「ありがとう簪ちゃん。でも安心して。もう、大丈夫だから」

楯無さんが簪の頭を撫でた。

「うん、わかった……」

簪も安心したようで、こくんと頷く。

「すごいっす! 本物のイーリス・コーリングさんっす!」

唐突に興奮したエリスさんの声が。

「ハハハ! こんなとこにもファンがいてくれるたぁな!」

それに続いてイーリスさんの愉快そうな笑い声。

「エリスさん、元気そうね?」

「はい。こっちがビックリするくらい元気です」

こっちも気も知らないで、っていうのは無しにしておこう。何にしても、エリナさんも安心して━━━━

「自分、イーリスさんのフィギュアとか写真集も持ってるっす! 大ファンっすよ!」

「オーケーオーケー! 後でサインでもツーショットでもやってやる!」

「本当っすか!? やったー!!」

「………元気過ぎない?」

「は、はは……」

楯無さんの呟きに、困った笑いしか出なかった。

……

…………

………………

 

……………………

「じゃあ、エリスさんは誘拐される直前にエレクリットにいたんですね?」

「もぐもぐ……もぐもぐ……ごっくん。はいっす!」

エリスさんはテーブルの上に並べられた料理を食べながら、元気よく頷いた。

エリスさんから詳しい話を聞こうした矢先、エリスさんは強烈な空腹を思い出した。

ので、俺達は取り急ぎ遅めの昼食を取ることになった。

スコールが電話をするとすぐに料理が運ばれてきたのは、この旅館のサービスがすごいのかはたまたスコールがすごいのか。ちょっと疑問だ。

「よく食べるのぉ。余程腹が減っとんたんじゃな」

「本当にいいの? この食事のお代は持つって……」

遠慮がちにエリナさんが言うとソファに座るスコールは穏やかに笑った。

「うふふ、気にしないで。こんな可愛い子ならご馳走してるこっちも気持ちがいいわ」

なんとも気前のいい話だ。

「ごちそうさまっす! いい人っすね! スコールさん!」

エリスさんは完全にスコールに懐いてしまった様子。一瞬オータムの目に鋭いものが見えたけど気のせいということにしよう。

「エリス……まあ、元気ならそれでいいのかしらね。今回はご馳走になるわ。ありがとうスコール」

「どういたしまして。エリナ?」

「やー悪いな! アタシも腹ぁ減ってたんだよ!」

満面の笑顔で米をかっ込むイーリスさん。あんたも食ってたのか。

「イーリ……。あなたまで……」

いよいよエリナさんは頭が痛そうだ。

「あー、ではの、話を進めよう」

チヨリちゃんが切り出して、話題はエリスさんの誘拐の話に変わる。

「エリス嬢、エレクリットにいたお前さんは誘拐される前に何をしておった?」

「んーと……先輩のデスクで資料の整理をしてたっすよ」

「私が依頼されてた案件に目を通さなきゃいけなくて、ちょうど手の空いてたエリスに頼んだの。……私のせい、よね………」

「もうくよくよすんなエリー。こうして助けたんだからよ」

沈むエリナさんをイーリスさんが慰めた。手羽先を食べながら。

「ふむ、してその後は?」

「誰かから呼び出しを受けて……」

「誰かって?」

「えっと…………」

エリスさんは思案するように身体を左右にゆっくりゆらゆら揺らして……右に傾けたところで止まった。

「…………あれ? 誰だったんすかね?」

「「何だそりゃ」」

イーリスさんとオータムの口悪コンビがみんなの気持ちを代弁する。

「変っすね? 全然思い出せないっす……。倉庫に行って………あれれ?」

エリスさんは首を捻ってうんうん唸っているが、全然思い出しそうにない。

「むう……誘拐されたのはその時だというのはわかったが、肝心の誘拐した張本人がわからんな」

「エミーリヤじゃないのか? エリナさんをいいように利用してたのはアイツなんだろ?」

一夏が最もらしい意見を提示する。

「そうね……。私がエリスのところに行こうとした時、エミーリヤが突然現れたの。エリスを殺されたくなかったら言うことを聞けって……」

「織斑一夏の言う通りか。そう考えるのが自然じゃな……」

「待って。エミーリヤには協力者がいたわ」

チヨリちゃんに楯無さんが待ったをかけた。

「協力者……? む、そうか! あの若造か!」

「ISを盗んで逃走……人質を取って、IS学園にも潜入出来たエミーリヤ。一人では絶対に無理よ」

「エミーリヤのサポートをし、ワシの研究所を乗っ取る……か。そんなやつがこの世におるとはな」

「でも、手がかりが漠然とし過ぎてるぜ」

「一人怪しいのはいるけどね」

「スコール?」

「思いついたわ。そんなことが出来そうな人間を」

「誰だよ」

 

スコールは余韻たっぷりにある人物の名前を口にした。

「クラウン・リーパーよ」

エレクリットの臨時の最高責任者の名前が出て来た。なんで?

理由を聞こうした直前に、エリスさんとエリナさんの会話が耳に入った。

「先輩……クラウン・リーパーって誰っすか?」

「私もよくわからないの。ただ、事故で死んだ社長の代わりの臨時最高責任者なんですって」

「社長が事故死!? そ、それ本当っすか!? 桐野さん!」

「本当です。ニュースでも報道してました」

「つーかよ」

イーリスさんが食べていた手羽先の骨を皿に投げて、カランと音がなる。

「エリスは知らないのにエリナは誰から聞いたんだ?」

「ああ、スコールから聞いたのよ」

「スコールが?」

イーリスさんよりも俺が先に反応してしまった。

「ま、私も言ってみただけだったんだけどね。これ以上警察の真似事をするのはやめましょう。そんなことよりも、私は気になることがあるわ」

スコールはそれ以上話す事なく、次の話題に切り替えるために一夏に視線を注いだ。

「え……な、何ですか?」

「驚いたわ。()()どうやったの?」

()()とは……やっぱりあれのことなんだろうな。

「何じゃ? あれって何じゃ?」

チヨリちゃんがスコールと一夏へ交互に顔を向ける。しかし一夏は眉ため息を吐いて首を横に振った。

「……すいません。その、上手く説明が出来ないんです」

「あら、そうなの?」

「俺もお前ら待ってる間に一夏から話聞いてたんだけど、どうも記憶が無いらしい。気がついたら島にいたそうだ」

「何じゃー、瑛斗ー、何の話なんじゃー!」

チヨリちゃんが俺の肩を揺する。そういえばチヨリちゃんはあの場にはいなかったな。

「一夏が遠く離れた倉持技研から、簪と一緒に瞬間移動してきたんだよ」

「瞬間移動じゃと!? どういうことじゃ!?」

「だーからわかんないって言ってんじゃん。そうだ。簪はどうだ? 何かわかることあるか?」

「え……」

話を簪にも振ってみる。一夏がダメなら一緒に来た簪を頼るほかない。

「えっと……その………」

「簪ちゃん?」

簪が一瞬、楯無さんに目を動かした気がした。

「………ごめん。私もはっきりとは、何も……」

「そっか。スコール、こっちも手詰まりだぜ」

「それは仕方ないわね。どうやらこの問題、私達だけで答えを見つけることは出来そうにないようだわ」

そう総括したスコールは、ソファからゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ、食事を終えたら行きましょうか」

「行くってどこだよ? 学園に帰るのか?」

「馬鹿ね。違うわよ」

な、なんかイラッとくる言い方されたな……

「なら、なんだよ」

尋ねると、スコールは相好を崩して、楽しそうな声で答えた。

「すぐに戻るとは言え、せっかく温泉旅館に来たんだもの。することは決まってるでしょう?」

 

 

「…………最高だぁ〜」

「極楽だぁ〜」

適温のお湯が身体を芯まで温める。

この旅館の露天風呂は、大きな円形の岩風呂を竹垣で男湯と女湯の半分に分けているオーソドックスなタイプ。

時間が少しズレているためか、他に利用客はいない。男湯は俺と一夏で完全に貸し切り。スコールが言ってたやることってのは、この温泉のことだったのか。

「天井無いのってすげー開放感だよなぁ」

「ああ。学園の寮の大浴場も良いけど、こういう風情のあるところも悪くないぜ」

貸し切りの岩風呂に浸かりながら、緩みきった会話をしていると……

『ヒャッホゥ! 一番乗りは貰ったぜぇっ!』

『ワシが先じゃー!』

ダパーン! ドパーン!

『ちょっとイーリ! 子どもじゃないんだから!』

『おいこらババァ! はしゃぐんじゃねえ!』

竹垣の向こう側。

女湯から、温泉に飛び込んだ音に続いてエリナさんとオータムの怒鳴り声した。飛び込んだのはイーリスさんとチヨリちゃんのようだ。

「あっちはあっちで楽しそうだな」

「はは、そうみたいだ」

一夏が苦笑するのを見て、俺も笑った。

『簪ちゃん? もっと近くに来たら? エリスさんも』

『いい。そっちに行くと……』

『自分が、惨めになるっす……』

『あら、あなた達みたいに慎ましい身体も私は好きよ?』

『スコールさん、それ慰めになってないっすよ……』

『慎ましい……。つまりは貧相…………』

二人分のドンヨリオーラが女湯の方から漏れ出ている。

「た、楽しそうだな」

「あ、ああ」

『おーい! 桐野瑛斗ー! 織斑一夏ー! いるかー!?』

イーリスさんが竹垣の向こうから俺達を呼んでいる。

「いますよー?」

「何ですかー?」

『そっちもお前ら以外いないのかー!?』

「誰もいませんよー。貸し切りでーす」

『マジか! よーしっ!』

イーリスさんの声の後、ザパザパと水音がした。なんだなんだ?

『え!? ちょ!? イーリ!?』

『よっ、ほっ、よっと……』

止めようとするエリナさんの声と、イーリスさんの声と、竹垣がしなる音が聞こえた。

「……おっ! 絶景だなこりゃ!」

斜め上から、イーリスさんの声がする。

「「え?」」

イーリスさんが男湯を覗き込んでいた。

竹垣の上から。

堂々と。

これ以上ないほど清々しく。

俺と一夏の裸体を。

━━━━ガン見していた。

「「わああああああ!?」」

あまりにも突飛なイーリスさんに度肝を抜かれた。この竹垣三メートルはあるぞ!?

「なっ、なな、なななな何してんですかあんた!?」

「何って、覗き。温泉名物なんだろ?」

「イーリスさん逆です! 逆! こういうのは普通男がやるんです!」

「え? そうなのか?」

『イーリ! イーリス!! 色々危ないから降りて来なさい!』

「わーったよわーったよ!今降り━━━━」

バキンッ!

『え?』

竹垣が不穏な音を立てて……

「おわあぁ!?」

ザパーン!!

俺達のいる男湯の方に倒れてきた。って、危ねっ!?

「っててて……!」

「イーリスさん!? 大丈夫ですか!?」

心配になった俺は立ち上がってイーリスさんに近づく。

「ああ。大丈夫大じょ……ワオ♡」

「え………ぎゃー!?」

好色づいた目をしたイーリスさんに、慌てて前を隠す。近づかなきゃよかった!

「え、瑛斗! 前、前!!」

「なんだよ一夏!? 隠しただろ!」

「そうじゃなくて、前!!」

一夏が必死な声を上げる。

「前ってなんだ……よ…………」

絶句した。

言葉を失った。

開いた口が塞がらなかった。

「は……はわわ……!」

「な、な、な……!」

目隠しになっていた竹垣が倒れた今、男湯と女湯の間に遮蔽物は無い。つまり

━━━━裸の男二人に対し、裸の女八人。

「いや〜ん♫ なのじゃ」

「「きゃあああああっ!?」」

チヨリちゃんが言った直後に簪とエリスさんが悲鳴を上げて身体を丸めた。

「もう! イーリ! あなたって人は!」

「何してるんですか!」

エリスさんと楯無さんも同様に体を手で隠してイーリスさんに猛抗議。

「うふふ。混浴になっちゃったわね?」

ただ一人、石段に座っていたスコールだけはみんなと同じで裸のはずなのに余裕綽々で、微塵も動揺していない。

「なんでお前はそんなに冷静なんだよっ!?」

「だって、私は見られて困るような身体してないもの」

言い放ったスコールは俺達に見せつけるように腕で胸を寄せる。豊満な胸が柔らかい質感を持って形を変えた。

「い、言ってみたいっすそんなセリフ!」

「羨ましい……!」

簪とエリスさんはスコールに羨望の眼差しを向ける。

「ワシも困るような身体ではないぞ! ほれほれ!」

チヨリちゃんは、起伏の『き』の字も無い未発達な寸胴ボディを惜しげも無く見せつけてくる。

 

でも不思議だ。全然なんとも思わないや!

「…………………」

あれ? そう言えばオータムが静かだ。意外とスコールの手前大人しくなったのか?

「が〜き〜ど〜も〜……!!」

なんて期待は一秒後には消し飛んだ!

「「ひぃっ!?」」

殺意一〇〇パーセントの瞳で、オータムが両手近くにあった桶を掴んだ。ミシッてなった! 今掴んだ瞬間桶がミシッてなった!!

「お前ら……覚悟はできてんだろうな……!?」

投げる気か!? それを投げてぶち当てる気なのか!?

「ま、待てオータム! これ俺ら悪くない! 不可抗りょ━━━━!」

説得しようとした時にはもう遅い。

「いっぺん……死ねぇっ!!」

「あべしっ!?」

「ひでぶっ!?」

ものすごい速さで飛来した桶は、見事に俺と一夏の顔面に直撃し、バラバラに砕け散った。

 

俺たちは、湯煙の中に沈んだ……………がくっ。

 

一悶着ありつつも露天風呂を満喫した一行は、イーリスの発案で卓球をすることになった。

しかし、楯無と簪の更識姉妹は卓球大会には参加せず、一足先に部屋に戻っていた。

 

「…………………」

 

「…………………」

 

楯無と簪は脚の短い大机を挟んで向かい合い、背もたれ付きの小さな座椅子に座っている。

 

部屋には沈黙が漂い、まるで無人であるかのようだ。

 

「……よかったの? 簪ちゃん。瑛斗くん達と卓球しなくて」

 

「それは、お姉ちゃんも同じ」

 

「私は………その、き、気分がのらなかったっていうか……」

楯無が言うと、簪は柔和に笑った。

「なら……やっぱり私と同じだね」

「………………」

「………………」

簪が饒舌な方ではないことは知っていたが、楯無はこの横たわる沈黙に息苦しさを感じていた。

(…………あ)

視界の隅に緑茶セットを認めた楯無が、会話の糸口を掴みかけた時だった。

「━━━━あのね、お姉ちゃん」

簪が口を開いた。

「う、うん?」

「私……嘘ついてた……」

 

「嘘?」

 

「さっき……一夏と一緒に島に来た時、何も知らないって言ったけど……………本当は、見たの」

「見たって、何を?」

「お姉ちゃんの心と、お姉ちゃんの想い」

「…………………」

「………お姉ちゃんは、ずっと、私のこと……見ていてくれたんだね」

簪の声が震えている。

「簪ちゃん……」

「それなのに、私は……何も知らなくて、決めつけて、見ようともしなかった。そのせいで、あの時救われたのは、私の心だけ……。お姉ちゃんの心は、苦しい思いをしたまま……」

簪が自分自身を責めるような物言いを、楯無は慌てて否定した。

「や……やだなぁもう! やめてよ簪ちゃん。簪ちゃんは何も━━━━」

「お姉ちゃん!」

簪が声を張り、楯無の言葉を遮った。

 

「…………!?」

 

そしておもむろに立ち上がると、驚いている楯無の隣に歩いて、そのまま座る。

「………………」

 

まっすぐな目を向けられて、楯無はどうしていいかわからなかった。

 

「か、簪ちゃん?」

 

「お姉ちゃん………」

 

簪は、楯無を自分の胸の中に埋めるように抱きしめた。

 

「…………え?」

 

「もっと早く……こうするべきだった……! もっと早く、こうしてあげるべきだったんだ……!!」

「か、簪ちゃん……私は………」

「もういい……。もういいよ、お姉ちゃん。苦しかったよね……。寂しかったよね……!」

トクン……トクン……と、簪の鼓動が確かに聞こえる。

いつ以来だろう。こんなにも近くに簪を感じたのは。いつ以来だろう。こうして誰かに抱きしめられたのは。

「あ、あは……まいったな……。このままじゃ、わたし………!」

「……いいよ。全部、受け止めるから………」

言われた瞬間、僅かばかりに残っていた姉としてのプライドが、脆く、儚く━━━━━━━━消え去った。

「う……あ………! うあああああん……! うああああああ……!!」

楯無は子どものように泣きじゃくり、簪の胸を濡らす。

「簪、ちゃん……! かんざしちゃん……! わたし……わたしはっ………!」

言葉を紡げないほどに、長い間溜め込んできたものが、嗚咽とともに、涙となって溢れ出す。

「お姉ちゃん……」

それを受け止める簪の目の端にも涙が光っていた。

 

「家のことなんて関係ない……。お姉ちゃんは、私のお姉ちゃんだから……!」

 

「うん……! うん………!」

 

ぎゅうううっと、簪の服を握りながら、肩を震わせる楯無。

 

その心を覆い隠していた霧は、完全に取り払われていた。

 

「…………なんか、入りづらいな」

 

「そうじゃな………」

 

「もうしばらく、そっとしておいてあげましょうか」

 

「エリーに賛成だ。もうひと勝負といこうぜ」

 

卓球を切り上げて、襖の向こうまで帰ってきていた瑛斗達は、なるべく音を立てないようにして、元来た道を戻るのだった。

 

 

日もとっぷり暮れた頃、IS学園へ無事に帰還を果たした俺達を待っていたのは、織斑先生と山田先生だった。

山田先生は俺達の無事を確認して胸を撫で下ろしたけど、織斑先生はそうもいかず、島で何が起きたのかを聞くために俺や一夏たちを校舎内へと連行。

スコール、オータム、そしてイーリスさんは、『面倒になりそうだから』とチヨリちゃんとともに何処かへ雲隠れ。

結果、エリナさんは医療棟で行われるエリスさんの身体検査を一人で待つことになってしまった。

そこで、俺は詳しい話は一夏や楯無さんたちに話してもらうことにして早々に取り調べを離脱。こうして医療棟へ急ぎ足でやって来たわけだ。

 

「…………………」

角を曲がると、エリナさんが長椅子の端に座っていた。

「エリナさーん!」

「瑛斗?」

肩で息をしながら呼びかけた俺を不思議そうに見るエリナさん。早く見つけられてよかった。

 

「あ、あなた、取り調べがどうとか……」

「切り上げさせてもらいました。それより、エリスさんは?」

「まだ、検査中よ」

「そうですか……」

俺はエリナさんの隣に腰を下ろした。

「俺も一緒に待ちますよ。エリナさんも、話し相手がいた方が時間潰せるでしょ? 俺、エリナさんに聞きたいことあるし」

「聞きたいこと?」

エリナさんが、唐突な俺の発言に少しばかり身構える。

「……エリナさんは、どうしてエレクリットの技術者に?」

「や、藪から棒ね。どうしてそんなこと聞くの?」

 

予想していたものと違ったのか、エリナさんは目を丸くした。

「だって、エリナさんは元々アメリカ軍にいたんですよね? しかも、国家代表のイーリスさんと肩を並べて………そんな人が、どうして?」

「………………」

エリナさんは言葉を探すように押し黙る。俺はエリナさんの次の言葉をじっと待った。

「…………私の転身の理由なんて、話してもつまらないわよ。使う側より、造る側の方が私の性分に合ってたの。それだけよ」

「本当ですか? それ」

訝しむと、エリナさんはくすくすと笑った。

「本当よ。イーリの差し金かしら? 彼女大げさなのよ。私が軍を離れるって知った時なんてそれはもう大反対して……。悪いわね。期待に添えないようね理由で」

「いや、そんなことは……」

「それよりも━━━━」

エリナさんの笑顔が、吹き消したろうそくの火のように消える。

「私も、瑛斗に話すことがあるの」

「俺に? なんですか?」

「……二十年前に、起きたこと」

「!」

眼を見張る。驚いたからだ。俺自身のことは、まだエリナには話していないはずだったからだ。

「出発の前の夜に、スコールから聞いたわ。信じられなかったけど、その反応からして本当のことなのね…」

「あいつ……! やっぱりそこまで……!!」

 

もしかしたら話してるかもとは思ったが、本当に話してるなんて!

「怒らないであげて? 私が知りたかったから、彼女に聞いたのよ」

エリナさんが俺に向き合って、俺の頬に触れる。

「瑛斗は、本来ならとっくに大人なのよね。全然そんな風には見えないな………」

「エリナさん、俺は……」

「何も言わないで。何も……………」

エリナさんは俺の目を見つめたまま、確かめるように、俺の頬に手を触れ、頭を撫でたりする。

「…………………っ」

そして、無言のまま、俺を抱き寄せた。

「エリナ………さん?」

「ごめんなさい……!」

「え?」

「瑛斗が辛かった時、私は話も聞いてあげられなかった……! 何かあった時は、瑛斗のことを任せるって、アオイから言われていたのに……!」

「………………」

エリナさんに抱かれながら、俺は既にこの世にはいない人、アオイ・アールマインを心に浮かべた。

「エリナさん、いいんです。謝らないでくださいよ」

そして、俺はエリナさんの肩をそっと押した。

「でも……!」

「確かに俺はツクヨミの生き残りとしてだけじゃなく、二十年前から、たくさんの人の命を背負って生きています。そりゃあいきなりあんなこと言われて自棄(ヤケ)になったりしましたよ。でも、みんなが教えてくれたんです。昔のことなんて関係ない。俺は俺だって」

言っててなんだか照れ臭くなって、俺はエリナさんから視線を外した。

「はは……。幸せ者ですよ、俺は。エリナさんだって、俺のことを思ってそうやって泣いてくれるんですから。俺には、エリナさんがいてくれる。学園のみんながいてくれる」

「瑛斗……」

「だから、安心してください。俺は今いるこの時間で、この世界で、みんなと一緒に生きていきます」

「………そう、なのね」

確かめるようなエリナさんの口調に、俺はしっかりと頷いた。

「あなたは、強い子ね」

笑いながら、エリナさんは涙を拭った。

「やっぱり、エリナさんは笑ってたほうが綺麗ですよ」

「もう、からかうんじゃないの」

二人で笑い合う。

その直後に診察室の扉が開いて、エリスさんと山田先生は不思議そうに俺とエリナさんを見た。

『……では、エミーリヤの身柄の確保は出来なかったものの、ISの奪還には成功した。これで間違いありませんね?』

「ええ。そうよ」

無人の生徒会室で、楯無はロシアにいる通信役のアリサに任務完了の報を入れていた。

『了解しました。明日には回収班をそちらに派遣します』

「そうしてちょうだい。……ねぇ、アリサ」

『なんでしょうか?』

「レイディの追加パッケージ、送ってくれてありがとうね。本当に助かったわ」

『上層部の判断に従ったまでです。私は何もしていません』

アリサの無感情なトーンの声は変わらない。

楯無はアリサと顔を合わせたことは一度もない。故に、唯一の繋がりのこの声だけが、楯無がアリサの感情の機微を知るための唯一の手段でもあるのだ。

「そう……」

僅かに眉を下げた楯無は通信を終えようと合言葉を発する。

「アリサ、また遊びま━━━━」

『代表、私も一つ言いたいことがあります』

「えっ? な、何?」

『……私は、あなたが我が国の代表であることを誇りに思っています』

ぶっきらぼうな言い方だったが、楯無にはそれで十分だった。

「アリサ………!」

感激した楯無の声が震える。

『……で、デハ! 失礼シマース! バイバーイ!』

またしても一方的に通信は切られてしまった。

「まだ何も言ってなかったのに……照れたのかしら?」

苦笑しつつそうつぶやいた楯無の表情はいくらか晴れやかだ。

(あの二人にも、お礼言わないとね……)

学園に二人しかいない男子生徒を思った胸の奥が、甘く締め付けられたような気分がした。

(な、何て言おうかしら……)

そう考え始めた時、

「あ、ほら! いたいた!」

「一夏の言う通りだったな」

生徒会室の扉が開き、一夏と瑛斗が現れた。

「い、一夏くん? 瑛斗くんも? どうしたの?」

「この前やった俺達のクラスの劇を見に来れなかった人達向けに、録画した映像の上映会をこれから講堂でやるそうです」

「黛先輩が、俺達に楯無さんも呼んで来いって。あの人言い出しっぺのくせに入場料と焼き増ししたDVDでガッポリ儲けるって、違う方向に息巻いちゃってて」

「い、いかにも彼女らしいわね」

瑛斗が肩を一度上下させ、楯無は、親友の薫子が悪戯っぽく笑いながら手で金マークを作っている姿を想見した。

「楯無さんが劇に来てなかったの知ってたみたいですよ。どうです? 一緒に見に行きません? あ、俺が主人公です」

「もちろん行くわ。そ、その前に、聞きたいことがあるの」

「聞きたいこと?」

「瑛斗くん。あの時……あなたはエミーリヤに『更識楯無』としてじゃない、本当の私を知ってるって、そう言ってたでしょ?」

「え? あ、あー。言いましたね」

「そ、それって! どう、いう……?」

「そんなの簡単ですよ」

瑛斗は普段自分が生徒会の仕事をする際に使う机によっこらせと座った。

「楯無さんがイタズラを仕掛けて、そのイタズラに俺達が引っかかって、それ見て楽しそうに笑ってる時の楯無さんですよ」

「……へ?」

瑛斗の返事はなんとも拍子抜けしたものだった。

「あれは更識うんぬんなんて関係無い、自分の意思でやったことでしょ?」

「そ、それはっ! そう、だけど……」

「偽裸エプロンで部屋に忍び込んでたり、あらぬ誤解を広めるような言動をしたり、からし一〇〇パーセントのシュークリーム食べさせたり……数え上げたらきりがない。それでも、それをやってるあなたはとても楽しそうだ。その時笑ってるあなたは、本当のあなたなんだって、俺は思ってます」

━━━━なんということだろう。

瑛斗曰く、本当の自分とは、イタズラをしている時の自分のことだったらしい。

「確かに、楯無さんはイタズラしてる時は一層いきいきしてるよな」

一夏までそんなことを言う。

失礼なことを言われてる気がするのに、それなのに、なんだか怒る気にはなれなかった。

むしろ、可笑しかった。

「ぷっ……! ふふ……あはは! あははははっ!」

「楯無さん?」

「そっか……。よしっ! 二人とも聞いて」

「はい?」

「なんです?」

「私……昨日の夕方、楯無を止めるって、言ったでしょ?」

「……言いましたね」

「それでね、私、やっぱりこれからも頑張ってみようと思うんだ。『更識楯無』として」

その一言に、瑛斗と一夏は顔を見合わせてから、ふっと微笑んだ。

「……もう、吹っ切ったわけですね?」

瑛斗が問いかけ、楯無は首をゆっくり上下させた。

「あなた達が、大切なことを教えてくれたから……」

「それはよかった。もう、一人で抱え込むようなことは無しにしてくださいよ?」

「困ったらいつでも力になりますよ。楯無さんは一人じゃないんですから」

「うん……。そうなった時は、よろしくね?」

首肯した二人を見て、胸のつかえがまた一つ消えて無くなった。

 

(……この二人になら、いいかも)

そう思った時には、すでに声が出ていた。

「そ、それでっ! そのっ、お礼っていうか………お礼なんだけど!」

「お礼?」

「な、なんですか、急に?」

二人は突然声を張り上げた楯無に目を丸くする。

「わ、私には『更識楯無』とは別の……本当の名前があるの、知ってるでしょ?」

「ええ」

「そりゃ、まあ」

「お礼に教えてあげるね。私の名前」

楯無が瑛斗と一夏に歩み寄り、二人の立つ間に入る。

「更識━━━刀奈」

そう言って楯無は素早い挙動で生徒会室から出る。

「じゃ、じゃあ行きましょうか! 講堂よね? いい席取らなきゃ!」

「あっ、楯無さんっ!」

廊下に出ると、楯無は既にだいぶ先を行っていた。

「刀奈……。刀奈さん、か。なあ瑛斗、これってさ」

「ああ。俺達も、あの人の力になれたってことだな」

一夏と瑛斗は軽やかな足取りの楯無━━━━刀奈に、もう心配はいらないと判断できた。

「二人ともー! 何してるの! 置いてっちゃうわよ!」

そして二人は楯無の後を追って、講堂へと向かうのだった。

 

某所。

「うん。うん。ああ、そのまま手筈通りに頼むよ。うん。じゃあよろしく。……はぁーあ。やーっぱりダメだったかぁ。ま、仕方ないか」

通信機をぽいっと机の上に投げたのは、現在エレクリット・カンパニーの臨時最高責任者となっているクラウン・リーパー。

今しがた、エミーリヤの回収に行かせた自分の部下からの報告を受けたところだ。

「彼女、いい線いってるの思ったんだけどなぁ。いやぁ、残念残念」

彼は天才、篠ノ之束と同盟的関係を結んでいる。

その同盟の目的とは何なのか、それを知る者は少ない。

「でも今回の目的は達成したし、よしとするか。うん」

ぶつぶつと独り言をつぶやくクラウンの背後から、杖で床を擦る音と、靴音が聞こえた。

「ん? やあ、確か……クロエちゃん、だよね?」

「…………………」

やって来たのは、透き通るような白い肌と、銀色の髪を編んで作った三つ編みが特徴の少女だった。

クロエ・クロニクル。消えかけていた命を救われ、束に忠誠を誓った者だ。

「博士は一緒じゃないのかい?」

「束さまは、研究室で作業をしておられます」

クラウンの親しげな声に、クロエは固く瞼を閉じてつれない態度をとる。

「作業、ね。……クロエちゃんもしかして、締め出されちゃった?」

「……………」

杖を握る手に、ほんの少しだけ力が入る。

「ご、ごめんごめん! 冗談だからそう怒んないで。あ、そうだ! 君に見せたいものがあるんだ! ささ! その目を開けて見て! きっとびっくりするよ!」

「…………………」

ヘソを曲げたクロエは反応しない。

「クロエちゃーん? 目を開けてくれないかなー? 頼むよー」

「…………………」

反応しない。

「ね、ねぇクロエちゃん? 話聞いてる? 拗ねた? え? 拗ねちゃった? まさかさっきの図星?」

「…………………」

クラウンが周りを動き回る気配があるが、クロエはやっぱり目を開こうとはしなかった。

「……な、泣くよ!? 見てくれないと俺泣いちゃうよ!? 本当に泣くからね!? 大人の男泣かすって君相当アレだよ!?」

「…………………」

クロエは若干面倒になってきた。

「………一応聞いておきますが、そこにはなにがあるのですか?」

声をかけると、急にクラウンが静かになった。

「君にとって、とても大切なものだよ」

「大切なもの?」

「そうさ。後は、自分の目で確かめてごらん?」

どうやらクラウンは是が非でも、見せたいようだ。

「…………つまらないものだったら、あなたを蹴り飛ばします」

「むしろご褒美だね!」

最後の言葉は聞こえなかったことにして、クロエは瞼を上げる。

そして、白目は黒色、黒目は金色の異形の双眸で、眼前の景色をみた。

「なっ……!? これは!?」

瞬間、クロエは凍りつく。

淡い琥珀色の液体で満たされた二つの大型培養機。

まるで棺桶のようなマシンの中で煌めく液体に浮かぶ、自分と酷似した二人の少女。

それは、かつて『天才』が起こした『天災』によって封印された、生命の冒涜に等しい技術だった。

「デザインベイビー……!? この姿はまさか……あなたが造ったというのですか!?」

「そう。ちょっとアレンジしてるけど、これは間違いなく遺伝子強化試験体C-〇〇三八、そして〇〇三九。どうだい? 俺の手にかかれば━━━━危なっ!?」

クラウンは尻餅をつきながらも、眉間に飛来した杖を紙一重で躱す。

杖は右側の培養槽の強化ガラスに弾かれ、乾いた音を立てて床に転がった。

「今すぐ……今すぐ装置を止めなさい! これ以上()()のような存在は造ってはいけない!」

声を荒げるクロエに、クラウンは困ったように笑う。

「い、いくら篠ノ之博士の娘さんでも、それは聞けないなあ」

「束さま……!? そうです! なぜ束さまはこのような真似を許すのですか!?」

「親の心子知らず、ってやつじゃないのかな?」

「何を言って……!」

よっこらせ、と立ち上がりパンパンと衣服を手で払いながら、胡散臭い 笑顔の道化師(クラウン)は続けた。

「このことは彼女も承認済みだよ。もちろん、君にこの光景を見せることも彼女は許してくれた」

「束さまが……!? そんな………」

ショックを隠しきれず、金色の瞳が揺れる。

「それに、仮に君がこの子達を殺したとしても、僕はまた造るよ。何度でも、何度でも……ね。フフッ」

「……………………!」

飄々とした笑みを浮かべているが、この男の目は笑っていない。それは、この男が本気なのだということを物語っていた。

クロエは最近になって真に生身になった身体の皮膚が粟立つのを感じた。

「そもそも、なんでそんなに怒るんだい? 言っちゃえば君の妹達じゃないか」

クラウンの言葉が、クロエの心に波を立てる。

「ふざけるな! 私に妹などいない!」

「……へぇ? 言うじゃないか。()()()のラウラ・ボーデヴィッヒ」

「あなたは……!?」

「ククッ……! 俺は君のことを何もかも知ってるよ。C-〇〇三六……君の本当の名前だ」

クラウンはクロエの周囲をゆっくりと周回し始めた。

「C-〇〇三七と同時に開発開始。しかし開発は途中で中断。君はドイツの威信をかけた研究成果から一転、培養槽の中で死を待つだけの肉の塊へ……」

「………やめろ……」

「でも、それを救ったのが彼女。篠ノ之束だ。彼女は研究施設を滅する時に君を見つけた」

「やめろ……!」

「今にも消えかけていた君を救う為、博士は身体の生成を再開した。君の自我……いや、脳の思考データをコピーしてから、ね」

「やめろ!!」

「でも思考データだけあっても仕方ない。そこで博士は手っ取り早く君の『容れ物』を手に入れる為に、とある国のとある家で奴隷のようにこき使われていた小間使いの少女に目をつけた。交通事故を装った行動は見事成功。君は半分機械だけども、身体を手に入れ━━━━」

「やめろと言っているっ!!」

クロエの絶叫の後、クラウンの視界は白一色に塗り替えられた。しかしクラウンに動揺する様子は無い。

「あらら、キレちゃったか。君の《黒鍵》の能力は確か……大気成分を変質させる、だっけ。なら……!」

クラウンは首筋に迫ったナイフを右手ではねのけ、左手で真っ白な空間を掴んだ。

()()()()()()()()()?」

直後、クラウンの視界は元に戻る。

「クラウン……リーパー……!!」

自身のISの能力を破られたクロエは悔しそうにクラウンの名を呻く。

「やめときなよ。君じゃあ俺を殺せない」

と、培養機からアラームが鳴る。

「さ、お話はこれまでだ。一緒にこの双子天使の誕生を見届けようじゃあないか……!」

培養槽に接続されたホースから培養液が排出され、強化ガラスの扉が開く。

人工の羊水の中にいた二人の少女は、銀色の髪からポタポタと雫を滴らせながら、冷たい床に足をつけた。

翡翠のような美しい瞳を持つ少女達が、クラウンを見据える。

「この世界へようこそ。愛しい僕の娘達」

クラウンは、その幼い二つの命を迎え入れる。

「俺が、君たちの父親だよ」

引き裂いたように歪んだ、狂悦の笑みを浮かべて━━━━。




というわけでエミーリヤ編完結です。
やっぱり温泉イベントにハプニングは付き物ですね。
楯無もついに真名『刀奈』を告白し、物語は進みます。
次回からは新章です。時期的には瑛斗と一夏の二回目の誕生日からということになります。
次回もお楽しみにっ!

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