IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜   作:ドラーグEX

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立ち込める暗雲 〜または孤独の叫び〜

少女が死を覚悟したのは、二回目だった。

 

一度目は、何も出来ず、ただ死を待っていた。

死の淵を彷徨う少女が出会った死神は、少女を助け、目覚めた少女に自分は母親だと言った。

そして二度目。ほんの少し前だ。存在してはならないはずの相手に圧倒され、森の中に落下した時。

薄れ行く意識の中、少女は一度目の時と同じ死神を見た。しかしその死神に抱えられたところからを憶えていない。

少女の周りに広がるのは、真っ暗な闇だけだ。

 

しかし少女は闇には慣れている為、恐怖はしない。その代わりに少女が恐れたのは、このままこの闇が晴れることが無いことだった。

嫌だった。

 

永遠に暗闇の中を彷徨うのは。

二度とあの笑顔を見ることが出来ないのは。

だから少女は息を吸った。

感じる。空気が肺へと流れるのを。

だから少女は指を動かした。

動く。自分の意思で、自由に。

だから少女は瞼を上げた。

 

光が、視界いっぱいに広がる。

「………気がついた?」

その声と、その顔に、焦点が合わさった。

うさ耳の美女が、優しく微笑んでいる。

「まだ動かなくていいよ。移植も今さっき終わったばかりだから……」

少女は、右頬に温かさを感じた。

「お母さんの膝枕、気持ちいい?」

「……はい。とても」

そう答えると、ニコリと笑顔を咲かせた。

「あの……束さま」

「なぁに?」

「なんだか……スースーします」

「気づいた? そうだよ。くーちゃんは今、ねいきっど。まっぱなのです」

「………………………」

「そんな顔しないの。かわうぃ顔が台無しだよ?」

苦笑されたところで気づく。

「コアが………」

 

胸の中央に手をあてる。硬い感触は無くなっていた。

「お、そこにも気づいちゃう? 鋭いねぇ、くーちゃん。くーちゃんのISのコアは完全にその身体と一体化してるんだよ」

「私の身体と……」

少女は身体を起こし、真っ白なこの空間に視線を巡らせる。それはすぐに見つかった。

「私……」

あちこち損傷している『身体』が、壁にもたれかかっていた。

フラフラと歩いて、『身体』に近づく。

銀髪の三つ編みをほつれさせ、硬く瞼を閉じて、呼吸すらしていない、自分の姿をした抜け殻。その顔に触れる。

「……お疲れ様。ありがとう」

返事は無い。でも、十分だった。

「ねぇ、くーちゃん……」

束が、少女の肩を抱く。

「くーちゃんと初めて会った時、くーちゃんは培養器の中だったね」

優しい声が、優しい温かさが、伝わる。

「まだ何も知らない真っ白な女の子が、私のことをじっと見ていて……気がついたら、私はその女の子を連れ帰ってた。代わりの身体を調達して、その女の子を目覚めさせた。そして今、本来の身体を手に入れたあなたに、もう一度言うね……」

肩を抱く腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。

「お誕生日おめでとう。《黒鍵》の所有者……そして束さんの娘」

その腕に、少女は触れる。

「━━━━クロエ・クロニクル」

抜け殻のちぎれかけていた右腕が、床に落ちた。

 

 

倉持技研を出た俺は、バスと電車を乗り継いで、IS学園のそばの街まで来ていた。

でもIS学園まで行けなかった。行くことが出来なかった。

だからこうして、日陰のベンチに座って人の往来をぼんやりと見ている。

(俺は……誰でいたいんだろう……)

なんて、まともな答えも出て来ない自問自答をしながら。

(ヒカルノさんの言う通り、名も無い未成年なら、もっと気が楽なのにな………)

だけど、そう思ってみると自分が世界から爪弾きにされたみたいで、すごく寂しい。

(……………孤独だ)

往来からも目を逸らして、地面へと視線を落とす。

「やっと見つけたぞ、ガキ」

「…………………………」

この声とこの口の悪さ…間違い無い。アイツだ。

「お前、今のところ俺が一番会いたくないヤツの一人だぜ……オータム」

「っせーな。んなもん私が知るか」

オータムだ。忌々しげに俺を睨みつけて悪態をつく。

「悪いけど、お前と話したい気分じゃないんだ。消えてくれ」

「それで、はいそーですかってなると思ってんのか?」

オータムは俺の隣に座って足を組んだ。

「足はもういいのか?」

「あんなもん、ツバでもつけときゃ治るんだよ」

「動けなくなってたくせに……よく言うぜ」

「あのな、私はお前に一言言いたいんだよ」

「なんだ?」

「てめえスコールに何してくれてんだ」

「………………………は?」

首を傾げると、オータムは俺にメンチを切ってきた。

「とぼけんな! スコールから聞いたぞ! お前がスコールのことを裸にひん剥いてじっくり見たって!」

おい黙れオータム。お前が大声で、裸にひん剥いてとか言うから、往来の人が何人かこっちを見てきたぞ。

「………お前、誤解してるぞ」

一応そう言ってやると、オータムは余計にヒートアップした。

「んな言い訳が通じると思ってんのか!? 私は騙されねぇぞ! スコールはお前にか、身体のあちこちを舐められたとも言ってたんだからなっ!」

 

あ、あの女ぁ…………!

多分オータムは、俺が昨日の桐野第一研究所での戦いの後、ツクヨミの話を聞いたことを言ってるんだろう。それをスコールが話に尾ひれをつけてオータムに話したってところか。

…………説明が面倒だ。

「………わかった。もうそれでいい」

「なっ!? じゃあやっぱりお前━━━━!」

「俺はここ数日お前達……亡国機業に関わり過ぎた……おかげでこのザマだ」

「…………………………」

「あぁそうだよ。俺はスコールを裸にひん剥いて身体を舐めまわした。ホントすいません。二度としません。だから、もうどっか行ってくれ」

「ガキ……お前………」

少しは効いてくれたようだ。さあ、早く俺の視界から消えるがいい。

「………来い」

「おっ、おい!」

オータムが腕を掴んで力任せに俺を立ち上がらせた。

「は、離せよっ!」

「るせぇ。黙って付いて来い」

「さ、叫ぶぞっ!? 大声で叫ぶぞっ!?」

「……チッ」

舌打ち一つ、オータムは振り向いて俺の首筋…頸動脈あたりに人差し指を据えた。その人差し指はアルバ・アラクネを展開していて、鋭利に尖っている。

「スコールとババァに言われてなかったら、私はお前が視界に入ったと同時にその眉間に鉛玉撃ち込んでる。私はそれくらい怒ってんだよ」

「ば、ババァ? チヨリちゃんか?」

「お前に話があるそうだ。昨日の続き……とか言ってたな」

「……まだ、続きがあったのかよ」

「その様子じゃ、お前も少しは知ってるみたいだな。ガキ、お前の選択肢は二つだ。私について来るか、ここでその首に穴を開けられるかだ。お前も死にたくはないだろ? 私もこんな人目につくとこで面倒事は御免だ」

「……利害が一致してるって言いたいのか?」

「そういうことだ。わかったら行くぞ」

オータムが俺の首筋から人差し指を離して歩き出した

「……クソッ」

やり場の無い怒りをそのつぶやきと一緒に吐き捨てて、俺はその後を追った。

十五分程歩いたくらいで、隣を歩くオータムが立ち止まったのは日がまだ高いからか、人通りが無い商店街の地下に潜る階段だった。

「いかにもって感じだな……」

「ぼさっとしてんな」

背中を小突かれてその階段を下りる。

「…………ここか」

どうやらこの『バー・クレッシェンド』という店が目的地らしい。

「閉店してるみたいだけど?」

「一般人が来ないようにしてるだけだ。私たちには関係ねぇ」

オータムが扉を開くと、カランコロン、と扉の上に取り付けられたベルが鳴った。

落ち着いた雰囲気の店の中に、見覚えのある長いブロンドが車椅子に座ってこっちに背を向けている。

「連れてきたよ」

オータムの言葉に振り返ったブロンドは、俺を見てニッコリと笑った。

「昨日はどうも」

「スコール……!」

その名前を呼んで、ズンズンと近づく。

立ち止まって、スコールの目の前で冷房によって冷えた空気を思い切り吸った。

「念のために言っておくけどな、俺が、いつ、どこでお前を裸にひん剥いてあちこち身体を舐めまわした!? 変なこと言うな!」

「会って一番最初に言うのがそれなのね。まぁいいけど」

苦笑してから、スコールは俺の背後のオータムに声をかける。

「オータム、暑かったでしょ? ご苦労様」

「スコールの頼みなら全然平気だよ!」

オータムは俺には絶対見せないような笑顔を咲かせて、スコールのそばのカウンター席に腰掛けた。

「でも喉が渇いたな。マスター、なんか飲み物くれよ」

「マスター? 誰だ?」

「その名の通り、このバーのマスターよ。私達に協力してくれているの」

「マスター? いねぇのか?」

オータムがキョロキョロと店内を見渡して呼ぶと、カウンターの奥の扉が開いて、ダンディなおじさんが出てきた。あの人がマスターさんか。

「はい、ただいま…………」

「?」

なんだ? マスターさんが俺を見て凍りついたぞ?

「………………!」

マスターさんは感極まったように震えてカウンターからも出て、俺の顔を近くでまじまじと見た。

「えっ、な、なんですか?」

マスターさんが困惑する俺の頬に触れる。

「言われなくてもわかる……そうか……! 君が………! ああ……本当によく似ている。目元なんて博士そっくりじゃないか……!」

その目にはうっすら涙が浮かんでいた。もしかして俺はこの数秒で何か悪いことをしたのか? それに博士って……?

「なあマスター。涙目になってるところ悪いんだけどさ」

「……あっ、すみません。飲み物でしたね」

カウンターに戻ったマスターさんは、いそいそとグラスに飲み物を注いでオータムに差し出す。

「お待たせしました」

「ん、悪いな」

グラスを傾けて、オータムはゴクゴクと飲み物で喉を潤す。

「なあ、チヨリちゃんは? いるんじゃないのか?」

「チヨリ様なら、そこのカウンターの奥の部屋よ。会う? ……と言うか、あの人がいないと始まらないわね。付いて来て」

スコールが車椅子の車輪に手をかけて動こうとしたのをオータムが止めた。

「あ、スコール! 私が車椅子押すから、無理するなって」

「うふふ、ありがとうオータム」

車椅子のグリップを握ったオータムは礼を言ったスコールにまた笑顔を向ける。

(どうやら、もうオータムは大丈夫みたいだな……)

「………って、何を心配してんだ俺は…」

何であんなヤツを心配せにゃならんのだ。

「どうしたの? 早くいらっしゃい」

「おら、早く来いガキ」

「わ、わかってるっつの」

俺が扉に近づいてから、スコールが扉をノックした。

「チヨリ様、入りますよ」

扉を開けて、部屋の中に入る。ソファとテーブルが置かれた小さな部屋だった。

「………おお……瑛斗……来たか」

「ち、チヨリちゃん……!?」

テーブルの前のソファに横たわる女の子は、顔色がとても悪かった。今にも息絶えてしまいそうだ。

「ど、どうしたんだよ? ついこの間までピンピンしてたじゃなねぇか」

思わずそばまで駆け寄る。チヨリちゃんの顔に、数日前の明るさは無くなっていた。

「あの時も……ごほっ! 結構ギリギリだったんじゃがな……ごほごほっ!」

言葉の途中途中で咳き込むチヨリちゃんはまるで重病人みたいだ。

「お、おいスコール! 何があってチヨリちゃんがこんなことになってるんだよ?」

「よいのじゃ……瑛斗……」

チヨリちゃんがゆっくり身体を起こして、背もたれにどっと背中を預けた。

「チヨリちゃん……?」

「ワシが……自ら話そう………げほっ………」

「無理すんなよ。ボロボロだぞ?」

「ワシが……話さねば……ならんのじゃ…………!」

「な……何をだよ? 俺に何を話そうってんだよ?」

息も荒く、憔悴しきっているのに、その目は鋭く光っていた。それが俺を不安にさせる。

「瑛斗……お前は………どこまで知った……? 更識のお嬢ちゃんから……聞いてるんじゃろう?」

「な……!? どうしてそれを!?」

「答えろ……! どこまで知った!?」

「……………俺の父親は亡国機業の総帥で………俺の母親と一緒に殺されて……俺が、亡国機業の総帥になるはずだったってこと……」

「アオイ・アールマインのことは……聞いてはおらんのか……?」

「それも……聞いてる……」

「そうか……」

「全体の七割ってところね」

スコールの声を聞いて俺は立ち上がった。

「その残りの三割を聞きに来た。スコール、昨日の続きって何だ? お前とチヨリちゃんは、俺に何を隠してる?」

「……これ以上、隠す必要も無くなった………今度こそ、全てを話そう。オータム……あれを」

「おう。ほらよ」

オータムがテーブルの上に薄い紙のようなものを滑らした。

「これは……!」

額に汗が浮かぶ。それは写真だった。楯無さんが俺に見せた、古い集合写真。

「その反応からするに……この写真も既に見たようじゃな……これは二十年前に撮った写真のオリジナルじゃ……」

「オリジナル………」

つい二、三時間前に見た写真の中の笑顔。俺の両親と幼い俺の姿が写っている。

チヨリちゃんにこれから語られる話が、俺に隠していた真実なんだ。そう直感した。

「当時の亡国機業はお前の父親、天才と持ち上げられ、世界中から研究開発援助を申し込まれ続けるのに辟易した繁継の小僧が自分の研究に打ち込む為に作った、言わば隠れ家のようなものじゃった」

「篠ノ之博士みたいなことをしてたってことか?」

「平たく言えばの。しかし繁継は自分の研究を世の中の為に使いたいと言ってな。その癖、世間に公表するのは嫌がってその時からそれなりに裏社会に顔の効いていた繁継は、自分の研究を裏社会の治安の安定に使っていた」

「顔、利き過ぎじゃないか?」

「アイツは別に世間や人間が嫌いではなかった。むしろ好きじゃったよ。ワシに初めて会いに来た時も、間者など一切使わず、自分の足でワシの神掌島の研究所に来おった。天才となんとかは紙一重というやつじゃな…………………これがワシじゃ」

チヨリちゃんが、写真の俺の母親の横に立つ、大人びていて、どこか困ったように笑っている女の人の上にトン、と指を置いた。

「これが、大人のチヨリちゃん……」

言われてみれば確かに面影がある。

「ワシはこの時から既にあの島……神掌島に住んでおったんじゃ………じゃが時たま島から出て、桐野第一研究所に足を運んでいた……憶えとらんじゃろうが、ワシはお前ともよく遊んでおったぞ」

チヨリちゃんは、少し吹き出した。

「繁継の小僧はワシを保母のようだとよく笑っておったわい」

だけど、すぐに険しい表情に戻る。

「考えてみれば、繁継が……突然写真を撮るなどと言ってきたのは、全て知っていたからなのかもしれん」

「どういうことだ?」

「この写真を撮ることになった日……繁継はあるものを完成させておった」

「あるもの?」

「コールドスリープマシン……と言えばわかるな?」

「………!」

「繁継はコールド……スリープマシンの存在を……完成するまでひた隠しにして………っ!」

チヨリちゃんが苦しそうに身体を折った。

「ぐっ……! うぅ……!」

「だ、大丈夫か?」

「す、すまん………はぁ……ここにはの……一人だけ………写っておらんのじゃ」

「写ってない?」

「この写真……この写真を撮った者じゃ……そやつが、全ての元凶なんじゃ………」

確かに、タイマー式でもなければ写真撮影には撮る側の人も必要だ。

「だ……誰なんだっ!」

俺は声を大きくしていた。

「それは誰なんだ!?」

チヨリちゃんは一度短く沈黙してから、答えた。

「…………エグナルドじゃ」

「エグナルド? その名前どこかで………」

「お前も……よく知っておる。大企業………エレクリット・カンパニーの社長じゃ……」

「……………………」

エリナさんが勤めてる会社、エレクリット・カンパニーの社長。

その人と俺は、俺が初めてセフィロトを暴走させた日に会っている。

俺にツクヨミの破壊は亡国機業の仕業だと、そう教えてくれたのもあの人だ。そんな人が………

「ヤツは既に手を回しておった。ワシ達の仲間も数人引き入れて、あの日の夜……離反した……!!」

チヨリちゃんが、拳を固く握り締める。

「ワシは……何も出来なかった……! こんな惨めな姿になっても……お前を守ることしか………彼らを救うことが出来なかった!!」

「チヨリちゃん……」

チヨリちゃんの気迫に、何も言えなくなる。

「うぐぁっ……!? ごぼごほっ!」

唐突に、チヨリちゃんはまた咳き込みだした。

「げほげほっ! げほげほっ! がふっ……!」

口を隠したチヨリちゃんの指の隙間から、赤黒い液体がドロリと溢れ出た。

「………血!?」

「うぁ……っ!」

チヨリちゃんが力尽きて倒れるようにソファに横たわる。

「チヨリちゃん!? チヨリちゃんどうしたんだ!?」

「どけガキ!」

「うわっ!?」

オータムが俺の肩を掴んでチヨリちゃんのそばから引き剥がした。

「な、なにすん━━━━!」

倒れそうになったのを堪える。

「あなたは部屋から出て」

スコールの声が聞こえた。

「チヨリ様は今危険な状態なの。処置は私とオータムがするわ」

「要は邪魔だから出てけってことだ! わかったら早く出ろ!」

「……………………」

言われるがまま、俺は部屋から出るしかなかった。扉を閉めて、体重を預ける。

(チヨリちゃんの話を聞いて………ますますわからなくなった)

エレクリット・カンパニーの社長は、俺の両親を殺した張本人だとチヨリちゃんは言った。でも俺は両親の顔なんて、あの写真を見るまで知りすらしなかった。

普通なら両親の仇とか言って、復讐に燃えたりするんだろうけど、それにはもう、俺は疲れていた。

(そう言えば……所長のこと、まだ聞いてないな)

「よろしければ、こちらにお座りになったらどうですか?」

「え……?」

マスターさんにカウンター越しから声をかけられた。

「お疲れのようですし、どうぞ座ってください」

「………すみません」

一言断ってからカウンターの端の席に腰を下ろす。

コト……

「ん?」

目の前に、飲み物が注がれたグラスが置かれた。

「どうぞ。オータムさまと同じで、喉が渇いていらっしゃるでしょう?」

「え、でも……」

「ご心配なく。ノンアルコールですよ。サービスなのでお代は結構です」

遠慮せずに、とまで念を押されてしまった。

「じゃあ、いただきます……」

グラスを傾けて、冷えた飲み物を飲む。程よく甘くて後味はスッキリしている。

不思議な味だ。初めてな味のはずなのに、どこか懐かしい気がする。

「お口に合いませんか?」

「あ、いや、そんなことは……美味しいです」

「それは良かった。少し飲んで、グラスを見つめるものでしたので」

マスターさんの表情が緩む。

「……マスターさん、スコールたちに協力してるんですよね? ってことは……マスターさんも………」

「はい。亡国機業でした」

 

やっぱりか。そうだとは思ったけど………ん?

「でした……? 過去形?」

マスターさんは胸ポケットから、チヨリちゃんが持っていたものと同じ写真を取り出した。

「これ………」

「桐野博士の隣にいるのは私です

。私も当時の亡国機業に所属していました。今はこうして、身を隠してバーのマスターをしております」

「そう、ですか……」

「昔のことは……やはり憶えてはいないのですね?」

「はい。何も……」

「実はそのドリンク、君が好きだったものなんですよ」

「……………」

道理でちょっと懐かしく思ったわけだ。

「そう言えば、マスターさんの名前、まだ聞いてませんでしたね」

名前を聞こうとしたら、首を横に振られた。

「名前などありません。私はこのバーのマスターです。それだけですよ」

「そうですか…………」

また一口飲んで、グラスをコースターの上に置いて短く息を吐く。

「……マスターさん、俺って……いったい何なんでしょうね」

マスターさんの手が、少し動いた。

「もうわけがわからない。いろんなことが一度に起きすぎて混乱してるんですよ」

「瑛斗くん……君は━━━━━」

と、カウンターの奥から扉が開く音が聞こえた。

「スコール……」

振り返るとオータムが押す車椅子に乗ったスコールが出てくるところだった。

「なんとか、チヨリ様の容体は落ち着いたわ」

「世話の焼けるババァだ。まったく」

「ありがとうございます」

マスターさんが二人に礼を言う。

「スコール……チヨリちゃんはどうしたんだ? どうしてあんなに具合が悪そうなんだ?」

回転式の丸椅子を動かして、スコールの方を向く。

「チヨリ様はね、もう長くないのよ」

「なっ……!?」

スコールが目を伏せた。

「チヨリ様があの幼い容姿なことには理由があるの」

チヨリちゃんが小さい理由。俺には企業秘密とか言って話してくれなかった話だ。

「チヨリ様は二十年前、反乱を起こしたエグナルド・ガートの手から逃れるために、あなたのお父さんが作っていた薬物を自分に投与したの」

「薬物?」

「細胞の老化を防ぎ、僅かに逆行させる……言うならば若返りの薬です」

俺の後ろのマスターさんが、確かにそう言った。

「名前を言ってしまえば、笑ってしまいそうなものです。ですが桐野博士はそれを本当に作ってしまった。……奥様のために」

「奥様……? もしかして、俺の……母親?」

「はい。奥様は身体が丈夫ではありませんでした。君をご出産なされたあともそれは変わらず、むしろ衰弱する一方。博士はご自分の力で奥様を少しでも長く生き永らえさせようと、その薬を作りました。ですが奥様はその薬を飲まず、受け取った薬をチヨリ様に渡していたのです」

「なんで飲まなかったんだ? せっかく作ってもらったのに」

「奥様は知っていたのです。自分がその薬を飲んでも良くはならないと」

グラスの中の氷が、小さな音を立てた。

「奥様は博士にだけは元気な姿を見せ、博士を安心させていました。ですが………反乱は起きた」

マスターさんが悔しそうに拳を固める。俺は唾を飲み込んだ。

「君は完成したばかりのコールドスリープマシンに入れられて、チヨリ様、そして私と一緒にトレーラーで桐野第一研究所から逃げた」

「しかし……すぐに追っ手が来ることは明白でした。ですから私とチヨリ様は数日後に君をコールドスリープマシンごと処分したと偽り、エグナルドに降伏した。そしてチヨリ様は島に軟禁状態に、私は幹部会に入れられて監視下に置かれました」

「待ってくださいよ。俺はどうなったんですか?」

「君はコールドスリープマシンに入れられたまま、『更識』の協力のもと世界を点々としていました」

「更識? なんでここで楯無さんの名前が出てくるんだ」

「チヨリ様は降伏する間際に、懇意だった第十六代の更識楯無にあなたの身柄を託したのです」

「今の更識楯無の一つ前の代よ。あの槍を使う子じゃないわ」

「そ、そんなことわかってるんだよ。それで、チヨリちゃんはどうして俺の母親が飲むはずだった薬を飲んだんです? 話が逸れてますよ」

「……君を待つため、だそうです」

「俺を?」

「いつか君に本当のことを話すために、自分は死ぬ訳にはいかないと」

「ケッ、実際死にかけてんじゃねーかあのババァ」

オータムが皮肉っぽく言ったけど、誰も拾わなかった。

「それと、『罰』とも言っていました」

「罰?」

「博士と奥様を助けられなかった自分への罰……そういった意味もあるそうです。私もあの姿を見た時は驚きました。おそらく、一度に大量に摂取したのでしょう。その代償として、幼いまま内側から朽ち果てていく身体になってしまいましたが……」

「………………………」

チヨリちゃんのあの姿は、戒めってことだったのか……

だけど………

「……俺は今、二十年前に何が起こったのかを聞いてきたけど、俺が一番気になるのは所長のことなんだ。所長のことも話してくれないか?」

「アオイのこと………」

「これ以上隠すこともないんだろ? だったら教えてくれ」

みんなが押し黙ってから数秒、スコールが口を開いた。

「……彼女があなたをコールドスリープから目覚めさせたのは、彼女の独断だったの」

「独断……? 勝手にやったのか?」

「本当は宇宙になんて上げることなく、地上であなたを目覚めさせる手はずだったわ。だけど彼女はそうしなかった」

スコールが首を横に振ることで、金髪が左右に揺れる。

「私も、あなたを目覚めさせる現場に立ち会ったわ。彼女は一度あなたを目覚めさせた後、暗示をかけてもう一度眠らせた。そして準備を済ませて宇宙へと……ツクヨミへと上がったの。そこからの十年は、あなたも知ってる十年よ」

「どうして……所長は俺を宇宙に連れて言ったんだ?」

「幹部会の目を欺くため……だと思うわ」

「なんで急に自信無くすんだ」

「誰にもわからないのよ。彼女の考えは、誰にもね……」

なんだよ……。

 

一番知りたいことが一番うやむやじゃないか。

落胆した俺は、あることを聞いた。

「………………………それで、お前たちは俺に何をさせたいんだ?」

「どういうことかしら?」

「俺に二十年前の話をして、黒幕の話までして、どうしたいんだ? 俺に両親の敵討ちをしろっていうのか?」

「それは━━━━━」

俺は椅子から立ち上がり、両腕を広げた。

「俺は……俺はもうそういうのは嫌なんだよ! 復讐なんてしようとしても、周りが傷つくだけで、何の解決にもならない!!」

セフィロトを暴走させた時、俺はみんなを殺そうとしていた。

そんなことは二度と起こしたくない。

「泣き寝入りって言われるかもしれない。でも俺は……両親のことを話してもらっても、何も心に響かないんだ。無感動だ。これも、所長が俺にかけた暗示の仕業なのか?」

「ガキ……」

「俺………もう潰れちまいそうなんだよ……! 話を聞いていく度に、自分が自分でなくなっていくみたいで………」

スコールから目をそらす。

「どうしてみんな、本当のことを言ってくれないんだよ……」

「………復讐するかしないか。それは確かにあなたの自由よ。私たちがどうこう言う資格は無いわ。でもね……」

スコールは車椅子を動かして俺に背を向ける。

「いつまでもそうやっていても何も変わらないということは覚えておきなさい。事実が小説よりも奇であることなんて、珍しくないんだから。行くわよオータム」

「えっ……あ、うん……」

そう言って、スコールはオータムを連れて外に出ていった。

怒ったんだろうか。失望したんだろうか。

でも、俺は勝手な都合を押し付けられるのはもう嫌なんだ。

「…………………………」

「…………………………」

マスターさんと俺だけになって、沈黙が続く。

「すみません……。急に大声出したりして……」

「いえ、いいんです。私の方こそ申し訳ありませんでした。君を復讐に駆り立てようなどは決して………」

「わかってるんです……。わかってるんですよ……そのくらい……」

「………………瑛斗くん、これを」

差し出されたのは小さな封筒だった。

「何ですか……?」

 

「君のお父さんが君に書いた手紙です。内容は知りません。私も二十年前に君のお父さんから受け取って以来、一度も開けたことはないのです」

受け取った白い封筒は、確かに少し古くなっているように見えた。

 

「…………………」

 

けど、俺はすぐには開けられず、弄んでしまう。

「今とは言いません。読みたくなったら、読んでみてください」

「……ありがとうございます」

マスターさんは許してくれた。手紙はすぐには読まないでポケットにしまう。

「……じゃあ、俺も行きます」

「やはり、行ってしまうんですね? スコール様達もじきに戻って来るかと……」

マスターさんは俺のことを呼び止めたけど、ここに長居するつもりは俺には無かった。

「自分なりに、整理をつけようと思います。………話を聞かせてくれてありがとうございました」

一礼して、俺は店を出た。

外の空気は、まだまだ熱を帯びている。

 

 

エレクリット、カンパニー本社ビル。そのなかにある、存在を秘匿された会議室。ここは表向きにはただの倉庫となっている。ゆえに社員の誰も見向きもしない。

 

意図的に暗くされた室内で、五人の男が椅子に腰掛けて長机を囲んでいた。

「全員、計画実行に関しての準備は出来ているか?」

長机を囲む四つの椅子全てを見渡す位置の椅子に座った男が声を発した。

「各地の軍事基地のコンピュータは押さえてあります」

男の問いかけに、禿頭の男が答える。

「白騎士事件の再現とはな。これもアイツへの意趣返しか?」

濃い色のサングラスをかけた男が、敬語ではない声をかける。

「そうとも。私はこの二十年をあの男への復讐の為だけに費やしたのだ」

「……お前の要望通り、特殊部隊も準備させた。命令が出ればすぐに動く」

「こちらもバッチリです! 手配するのに苦労しましたよ」

他の四人よりも格段に若い男が報告した。

軽い口調にサングラスの男は少し眉を曲げる。

「問題は篠ノ之束だ。あの女の行動は予想が出来ん」

「気にすることはない。あの女には我々など最初から眼中に無いのだからな」

「世界を玩具にする女……興味はありますね」

「しかし良かったのか? あの男を逃がすような真似をして」

「放っておけ。あの男に出来ることと言えば最早縋ることだけだ」

「縋ることだけ……ですか。フフフ……」

少し笑った若い男に、中央の椅子の男は目を向ける。

「なんだお前は。さっきから話の間に入って来おって」

サングラスの男が睨むと、若い男は手を振って体を小さくした。

「いえ別に。ただ、気になっただけでございます。お気分を害したなら謝ります。なにぶん話に入り込んでしまう癖でして」

「図に乗るなよ、若造が……!」

「いいではないか。……では、計画は予定通り日本時間の本日午後八時に決行する」

若い男が片手を胸にあて、頭を下げる。

「了解しました。……エグナルド・ガート様」

そう呼ばれた男は、口の端を吊り上げた。




瑛斗くんのメンタルがガリガリと削られていきます。
そしてエグナルドが進める計画とは何なのか。
次回もお楽しみに!

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