IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜   作:ドラーグEX

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さて、今回はついにあの八巻に登場したあの方が登場です。ほんの少しですが再開した原作に準拠し始めてますね。


倉持技研 〜または新たな野望を持つ者〜

瑛斗が飛び出してから、俺たちもすぐにここを離れることになった。

理由は三つある。

一つ目、ここは亡国機業と所縁がある土地でいつ敵に察知されてもおかしくはない。

二つ目、マドカと千冬姉の勝負が終わった。

三つ目、千冬姉の探し物はここにはなかった。

この三つ目の理由から、これ以上ここにいることは得策ではないと千冬姉自身が判断を下した。

こうして桐野第一研究所を後にした俺達。マドカを背負った千冬姉が先頭を歩いている。

マドカも心配だけど、瑛斗のことも気がかりだった。

あいつのあんなに狼狽した姿は見たことがなかった。

シャルロット、ラウラ、簪は俺達の少し後ろを歩いている。ラウラは始終うつむき通しで、表情は見えないけど、決して明るそうではない。

(どこ行ったんだ……瑛斗……)

「わ、悪いわね、一夏。背負ってもらっちゃって」

背中から鈴が声をかけてきて、俺は顔を上げた。

「いいって。気にすんな。それに自分で歩けるとか言って立ったのに生まれたての鹿みたいになってたのはどこの誰だよ」

「そ、それは! ………うぅ」

反論しようと体を起こしたけどすぐに力なく萎れてしまう鈴。

「とにかく、俺が運んでやるから。楽にしてろよ」

「う、うん……そうする………」

鈴は小さい声でそう言うと俺の背に体をピッタリと寄せた。

「………り、鈴は負傷しているのだ…………別に、羨ましくなど……」

「ん? 箒?」

「な、なんだ!? 不埒なことなど考えてないぞっ!?」

まだ何も言ってないんだけどな……

「………全員止まれ」

千冬姉の声に立ち止まった。気がつけばもう研究所からは結構離れていて、バス停がポツンと置いてある車道の近くまで来ていた。

「バスで帰るのか? この大所帯じゃ目立つよな……」

「だが、ISを使うわけにもいかないぞ」

「安心しろ。もう手は打ってある」

千冬姉の言葉の後、車のクラクションが聞こえた。

「なんだ?」

走って来たのは黒いボディの大型ワゴンだった。

ワゴンが俺たちの前に止まって、運転手が降りてきた。

「ご無沙汰しております。織斑先生」

「虚さん!?」

俺が名前を呼ぶと眼鏡の奥の目がこっちを見て、にこりと笑った。

布仏虚さん。のほほんさんのお姉さんで、元生徒会のメンバー。学園を卒業した今は楯無さんのメイドとして働いているって聞いてたけど……まさかこんなところで会うとは。

「久し振りね、織斑くん」

「ど、どうも」

虚さんの髪型は以前とは違ってポニーテールになっていた。

「……あ、これ? こういう仕事の時はスイッチいれるためにこうしてるのよ」

「そ、そうなんですか」

いかんいかん、まじまじと見てしまっていたようだ

「背中を思いっきりつねってやりたいのに……! 力が出ない………」

「ほら鈴、空元気は体に悪いぞ」

「うっさいバカ……」

「ついさっき連絡したばかりなんだがな。手回しが早くて助かる」

「お嬢様はみなさんにすぐに戻って来ていただきたいそうです」

「お姉ちゃんが……?」

「私も桐野くん……彼のことはお嬢様から聞いてます。みなさん乗ってください。至急学園まで向かいます」

「よし、全員乗るぞ」

千冬姉がマドカを後部座席の一つに座らせてから助手席に乗る。

「鈴、下ろすぞ。少しだけ立てるか?」

「えっ……う、うん」

鈴は少しふらついたけど、しっかりと自分の足で立って椅子に座った。

「ね……ねぇ、一夏、できれば、その……アタシの隣に━━━━」

「一夏、お前はマドカの隣に座ってやれ。鈴なら大丈夫だろう」

鈴が座ったと同時に箒が鈴の隣に座った。

「ほ、箒……アンタね……!」

「そうかそうか、疲れているのだな。私に寄りかかっていいぞ」

「わっ」

箒が鈴の肩に手を置いて、体を預けさせる。けど背丈の差があって鈴の頭は箒の胸のあたりに。

ぽよん

「………え? なにこれ? なんなのこの柔らかい感触? あ、胸か。これ胸なんだ。へぇ、胸ってこんなに柔らかいものなんだ……ふふ………ふふふ………ふふふふふふふふ………」

「り、鈴?」

鈴が突然早口で何か言ってから虚ろな目で静かに笑い始めた。や、やっぱりどこか悪いのか?

「ゴホン……き、気にするな一夏。それよりも、マドカのそばにいてやれ」

「お、おう」

箒に言われて、俺もマドカの隣に座る。

マドカは身じろぎ一つしないで、ただ寝息を立てていた。

「………………あ」

簪は車に乗ろうとして動きを止めた。

「ラウラ……」

「……………………」

ラウラがドアの前で立ち尽くしていたんだ。

「…ラウラ、僕達も乗ろう」

「……あ……ああ。すまん」

シャルロットの声に少し反応したラウラは一番後ろの席に座り、シャルロットと簪もその両隣に座った。

「では、出発します」

そして、俺達を乗せた車はIS学園に向けて発進した。

 

「さ、到着だよ。ここが倉持技研第二研究所」

カグヤさんに半ば強引に連れられてやって来たのは山に囲まれた自然豊かな場所に出来た滑走路のような運用試験場だった。奥には白い建物も見える。あれが研究所なのか?

「広いな……」

《G-soul》の展開を解除してその広さに感心していると、カグヤさんもISを降りて伸びをしていた。

「ん〜っ……おなかすいたぁ」

展開されていたISはカグヤさんの右手の指先以外をピッタリと包む灰色のグローブになった。

「結構大きなアクセサリーになりますね」

「慣れれば全然気にならないよ」

カグヤさんは右手をヒラヒラと振る。

ISスーツ姿のカグヤさんは思ったよりも背が低かった。俺より少し小さい。あのISが大型だったから、そんな印象がある。

だけど体つきは、何というか、大人だった。スタイルもかなりいい。

(綺麗な人だな……)

さわさわっ!

「おわぁ!?」

う、後ろから尻を撫でられた!?

「ち、痴漢か!?」

前に倒れそうになるのを堪えて振り返ると、そこにいたのはくるくると癖っ毛でやけに犬歯が長い女の人だった。

「ん〜、やっぱり未成年のお尻はいいねぇ。やーらかいやーらかい」

切れ長の瞳でいたずらっぽく笑って左手をワキワキと動かす女の人。

顔から下に視線を下ろすと、なぜかISスーツの上に白衣、サンダルというなんだか変な格好だった。頭には水中サングラスまでつけている。

(お、驚いた。いきなり尻をさすってくるとは…女なのに痴漢? 痴漢の女バージョン…………)

「……………痴女?」

「初対面の女にいきなり痴女はどーなのよ」

女の人は少し顔を引きつらせた。何かマズイこと言ったんだろうか?

するとおもむろにカグヤさんが女の人に近づいて、ピシッと敬礼した。

「伊那崎カグヤ、ただいま帰投しました」

「うい、ごくろーさん」

女の人は軽く右手を上げる程度だ。

「か、カグヤさん、この人は?」

「紹介するね。篝火(かがりび)ヒカルノ。ここの所長よ」

「ようこそ、倉持技研第二研究所へ。私がこの研究所の所長をやってる篝火ヒカルノだよ」

腰に手を当てて、ふんす、と鼻を鳴らした女の人……ヒカルノさん。なるほど、確かに胸のとこの名札に『かがりび』って書かれてる。

「よろしくね、桐野瑛斗くん」

「あ、こ、こちらこ━━━━」

差し出された手を握り返そうとしたら………

「隙ありっ」

「わっ!?」

その手を握った瞬間に腕を引っ張られて視界が暗くなった。

「いやぁー、未成年の体は最高だにゃあ。髪も綺麗だし何よりも若い匂いがたまらない!」

柔らかい何かに頭をぐりぐりと押し付けられている。む、胸か!?

「く、苦しい! 苦しいですって!」

「おっとごめんよ」

必死に背中をタップすると案外簡単に離してくれた。

「ぷはっ」

「はぁ〜、満足満足。しっかし君も男の子だねぇ。あんなに私のおっぱいに顔を押しつけちゃって」

「そっちが無理矢理やったんでしょうが!!」

「ふふふん」

ヒカルノさんは楽しそうに笑った。

「ねぇねぇ、私のこと忘れてもらうと困っちゃうんだけど」

カグヤさんが半眼を作って唇を尖らしていた。

「ヒカルノ、私のドーナツ無事だよね? ね?」

「だーいじょぶだいじょぶ。ちゃんとあるから」

「よかった! じゃあ早く行こ行こっ!」

カグヤさんは軽やかな足取りで建物へと向かい始める。

「じゃ、私達も行こうか。中で涼んでくといいよ」

「え、いや、俺は………」

「いーからいーから」

「ちょ、ちょっと!」

そのまま腕をがっちり組まれて、ずりずりと引きずられる形で研究所の中に入った。

「あ、ちょっと待って。履き替えるから」

ヒカルノさんはポイポイとサンダルを脱ぎ捨てて、なんかモフモフな猫足スリッパに足を通した。

「あ、所長! サンダルは脱いだらちゃんと並べて置いてくださいよ!」

と、こっちに気づいた白衣を着た男の人がヒカルノさんに注意しながら駆け寄って来た。

「なんだよー、いーじゃん別に」

だけどヒカルノさんは唇を『3』の形にして反論する。

「よくないです! まったく………おや?」

男の人が俺の顔を見た。

「君、桐野瑛斗くん? そうだよね?」

「え………」

 

「わあ! 本人に会えるなんて嬉しいなあ!」

「おーおー、おっさんが未成年の男の子に迫ってる〜」

「所長!? 変なこと言わないでくださいよ!」

慌てる男の人を尻目に、俺の腕を引いてヒカルノさんは廊下を進みだす。

「私この子に用があるから。カグヤは?」

「い、伊那崎さんなら僕にドーナツどこにあるか聞いて会議室に行きましたよ」

「あんがとさん。じゃあ私はこの子とカグヤの三人でい〜いことすっから」

「ちょっと所長! 変なことしないでくださいよ! 絶対ですよ! 絶対に変なことしないでくださいよ!?」

「なんだそりゃ。フリか?」

ヒカルノさんは対して気にすることなく男の人をスルーして進む。

「い、今のは?」

「気にしなくていいよ。世話焼きなだけなんだ」

そ、それだけじゃない気がする。感じた。シンパシーを感じたぞ。

「あ、あの、ここって倉持技研なんですよね?」

「そだよ」

「じゃあ、ここで《白式》は造られて……?」

「その通り。さてと……カグヤー?」

話を切り上げて立ち止まり、ヒカルノさんが開けた扉の向こうでは、ISスーツ姿のまま着替えずに縦長の箱から取り出したドーナツを幸せそうに食べているカグヤさんがいた。

「あ、ヒカルノ! ドーナツありがとー! リクエスト通りだわ!」

口元に粉砂糖をつけてるところを見るともう何個か食べてるみたいだ。

「相変わらず飲み物も無しでよくそんなにガツガツ食えるもんだよ」

苦笑してからヒカルノさんはカグヤさんの隣の椅子に腰掛けた。

「どした? 君も座りなよ。私の隣、空いてるよ?」

「……向かいに座ります」

「ちぇ、つまんねーの」

ヒカルノさんがカグヤさんのそばにあるドーナツが入った箱の横の小さな紙袋を手に取る。

「あっ!? それ私の!」

「カグヤのはその箱だよ。こっちは元々私用なの」

「えぇー」

「えぇーって……どんだけ食うつもりなんだい」

「だって運用テストして来たの私だよ? あのISのテストパイロットしてるの私なんだよ?」

「だからその特別報酬でしょうが」

「うぅ……なんだか割に合わない気がする」

ぼやきながらもカグヤさんはドーナツを食べるのをやめない。

「あの……なんでカグヤさんは上から降ってきたんですか?」

俺はしばらく気になっていたことを聞いてみた。

「すごいスピードと巨大なボディ……見たことがないISだったし、少し興味があります」

「あー、カグヤには軽く宇宙に行ってもらってたからね」

「そうだよ。宇宙」

「そうですか、宇宙……宇宙!?」

あまりにもサラッと言うもんだからスルーしかけたぞ。

「何を驚いてるんだい? ISは宇宙空間での活動だって視野に入ってるんだよ」

「た、確かにそうですけど」

「カグヤが操縦してたあの機体の名 前は《打鉄飛天(ひてん)式》。宇宙での活動を念頭に置いたISだよ。打鉄の名前を持ってはいるけど、基礎フレームから考え直してて打鉄とは完全に一線を画した機体さ」

なるほど。道理で見たことがないわけだ。

「って言っても、まだまだ試作段階だよね」

「試作段階? あれ、完成してないんですか?」

「全然全然。まだ宇宙にいられるのもほんの十数秒だよ。その度エネルギーのほとんどを食われちゃうし」

「課題は多いんだよにゃー」

ヒカルノさんとカグヤさんがうーん、と唸る。

「「……で、さっそく本題なんだけど君、なーんであんなとこにいたのかな?」」

「う……」

こ、このタイミングか……!

「あんなに高高度の空中でぼーっとして、何してたの?」

「いや……それは………」

言い淀んでしまった。

思えば、俺はあの時どうしようとしてたんだろう。

あの時カグヤさんがぶつかって来なきゃ、俺はどうなっていたんだろう。

あのまま、空気も何もない虚無な空間に行って………………

「……………………!!」

血の気が引いた。

 

まさか……まさか俺は━━━━!

(死のうと、してたのか……!?)

「俺は…………!」

 

「……ま、話したくないならそれでいいよ。運用試験にもさして問題無かったし」

ヒカルノさんは軽い感じで言うと、話題を変えた。

「じゃあさ、君の好きそうな話をしようか」

「俺の……好きそうな話?」

「そ。こういうのなんてどうだい?」

ヒカルノさんは組んだ両手の甲に顎を載せて、少しもったいつけながら言った。

「『次世代型ISの量産について』」

確かに俺の琴線に触れる話題だった。

「……………詳しく聞きたいですね」

「ふふ、食いついたね。じゃあこの話題でいこうか。君も知っての通り今世界中で使われているISのほとんどは第二世代型。第三世代型はまだまだ数が少なくて専用機なんかがほとんどさ」

「いやに基本的なところから入りましたね」

「まぁ何事も基本からだよ。専用機っていうのは大抵は量産型のプロトタイプ……つまりは始祖にあたる。フランスのラファールシリーズ然り、日本の打鉄然り。必ずその機体の元となった機体が存在するわけだ」

しかしだね、と言いながらヒカルノさんはチョコレートがかかったドーナツを手にとって一口頬ばり、飲み込んだ。

「ISはね、元を辿っていけばある一つの機体に行きつくんだ」

「一つの機体………」

「全ての始まり。ファースト・インフィニット・ストラトス。その名を《白騎士》」

《白騎士》。ツクヨミの資料の中に記されていた、世界に突如として現れた最初のIS。

ISの名前を世界に轟かせた立役者であり、操縦者の名前は、織斑千冬。

「白騎士のコアは今はもうまた別のISのコアとして使われてるわけだけど、そのコアが今どこにあるのか、君はわかるかい?」

「………さあ?」

首を傾げると、ヒカルノさんはニヤリと笑って長い長い犬歯を覗かせた。

「ま、知らなくて当然だね。私も知らないから」

ズコー。

「な、なんだ知らないのか……」

ずり落ちた椅子にちゃんと座り直した。

「まあまあ、あくまでもこれはおしゃべりの範囲なんだから。楽しく花を咲かせようじゃあないの」

「構いませんけど……要は、アレですか? 白騎士のデータから、次世代型ISを量産しようってわけですか」

「そういうこと。君はどう考える?」

「机上の空論ですね。妄想でしかない」

俺はバッサリと斬り捨てた。

「ほう、言うねぇ」

ヒカルノさんの目がキラリと光る。

「百歩譲って白騎士のコアのデータが手に入ったとしても、白騎士だけじゃなく、ISのコアは自己進化すること以外の情報は全てブラックボックスで何一つ得ることは出来ないんだ。新しい武装なんかの基礎データになるので精一杯ですよ」

「ふーむ、なるほどなるほど。それじゃあ君の言う机上の空論、または妄想にもう少しアクセントを加えてみようか」

「アクセント?」

「とある国が白騎士のコアのデータの完全解析に成功して、そこからISのコアを量産する方法を見つけて独占したとしよう。しかもそれはとっても簡単でお手軽だ。はい、どうなる?」

「どうなるって……そんなことになったら世界中が大変なことになりますよ」

ただでさえISのコアは世界の誰もが欲しがる代物だ。そんなものの量産技術の独占となれば間違いなくろくなことにならない。

「その通り。いろんな人達が我先にとその方法を知ろうとして世界はてんやわんやの大騒ぎ。下手をすればそれを発端に戦争だって起こりかねない」

ヒカルノさんはドーナツの最後の一口を口の中に放り込んで、数回の咀嚼の後、ごっくんと音を立てて飲み込んだ。

「さすがはツクヨミのIS研究者の生き残りだね。ISのことをよくわかってる」

「……っ」

夢から覚めたみたいな感覚だった。

いつもなら普通に褒め言葉として受け取れるのに、今は深々と心に突き刺さる。

「私だってニュースくらい見るよ。ツクヨミのIS研究所所長、アオイ・アールマイン。一度会ってみたかったもんだね」

また、あの息苦しさと頭痛が蘇る。

「私もー。死んじゃったって聞いた時には驚いたわ」

カグヤさんもヒカルノさんの話に乗っかる。

「ツクヨミの技術は世界屈指だったからねぇ。もっと大きくなれただろうにゃー」

遠い目をしてからヒカルノさんの視線が俺に当たった。

「君だけでも生き残って、本当によかっ━━━━━」

「やめてくださいっ!!!!」

叫んだ。

やっちまった。見ろ、ヒカルノさんも目を丸くしてるじゃねぇか。

「やめて……ください。俺は、俺はそんなんじゃないんですよ………」

テーブルの上の拳を握って、絞り出すような声を漏らす。

「俺は……何も知らないんだ。俺が………『桐野瑛斗』が何なのか…そもそも、俺が本当に桐野瑛斗なのかどうかも、もうわからない……」

考えてみれば意味の無いことだった。こっちの事情を何も知らないヒカルノさんやカグヤさんにこんなことを話しても、理解されるはずがない。

「……ふぅん」

ヒカルノさんは、あまり興味が無さそうに言うとテーブルの上に上って、猫のように四つん這いで俺の方に近寄ってきた。

「君に何があったかは知らないけど、自分で自分の存在に確信を持てなくても、君がいくら自分自身を否定しても、世間一般は君を桐野瑛斗だと認識するもんだよ?」

俺は椅子から立ち上がった。

「それは他人が決めることだ!」

「じゃあ、君は誰でいたいんだい? 桐野瑛斗ではなく、いったい誰でいたいというんだい?」

「それは…………!」

ヒカルノさんの問いかけに、答えられなくなった。

「それは?」

握った拳がほどけて、そこから力が抜けて、椅子へ落ちるように座り込んだ。

「……………今の俺には、そんなこと……わかりません……」

「そうかい。それがわからないなら、桐野瑛斗でいたくないなら、今の君は名も無い未成年くんだね」

ヒカルノさんは軽やかにテーブルから降りてスタスタと部屋の出口へと歩きだした。

「もう帰りな。カグヤが無理矢理連れて来たみたいだし、私も未成年くんのお悩み相談に付き合ってるほど暇じゃあないんだ。学園までの交通費くらい出してあげるよ」

「……………………」

いつの間にか、俺の手元には数枚の紙幣が置いてあった。

「じゃあね、未成年くん」

ヒカルノさんが扉の向こうに消える。

「………………………」

「あー……」

カグヤさんは俺に声をかけてきた。

「ごめんね。ヒカルノも怒ってるわけじゃないよ。気にしないで」

「いえ……俺の方もすみませんでした。いきなり大声出して」

居づらくなって、部屋から出ようと立ち上がる。

「もう行きます。元々ここに来るつもりは無かったですし」

「そう……もう少しお話したかったけど、止められる立場じゃないから」

「……また会えたら、その時に」

俺が会議室から出た時にはもう、ヒカルノさんの姿はどこにもなかった。

 

 

「……行ったみたいだね」

瑛斗がこの倉持技研第二研究所を出てから数分、ヒカルノは会議室へ戻って来た。

「うん。行ったよ。少し前に。ヒカルノのセリフが結構響いてたみたい」

ドーナツを両手にカグヤはヒカルノに答える。

「おや、お金置いといたのに持っていかなかったんだ。男のプライドってやつかねぇ」

「だといいけどね。……って言うかヒカルノ」

「なにさ」

「何考えてるの? 『計画』のこと話しちゃうなんて。完全に予定外で私焦ったわよ」

「ふふふん」

ヒカルノはカグヤの言葉を別段気にする素振りも無く不敵に笑った。

「大丈夫だよ。それについては何の問題も無い。それよりも、彼のあの様子……自分のことに気づき始めてるみたいだね」

「そうなの? それってちょっとマズくない?」

「むしろ好都合さ。それならなおのこと、彼が私たちに感づくはずもない」

「ふーん……ねぇねぇ私気になったんだけどさ」

カグヤはドーナツを口に運ぶ手を止めてヒカルノに問いかけた。

「彼のISじゃあ、()()()()?」

彼のIS、それは瑛斗の《G-soul》のことだ。

「あのISのコアもそこそこ使えると思うけど━━━━━」

「《G-HEART》はダメだね」

ヒカルノの即答にカグヤは眉をひそめる。G-soulではなく、G-HEARTと。

「だから、なんで?」

「あのコアは異質……イレギュラーなんだ」

「イレギュラー……?」

ヒカルノは笑顔を見せ、長い長い犬歯を露わにする。

「まぁ、今回の桐野瑛斗くんとのコンタクトは私達の『計画』に直接的な影響は無いよ」

ヒカルノは紙袋を手に取り、中からストロベリーソースがかかったドーナツをつまみ上げ、一気に半分ほど食べる。

「次世代型量産機計画には、ね」

口元に付いたストロベリーソースの鮮明な赤は、その長い犬歯と合間って、ヒカルノを怪しく彩っていた。


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