IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜   作:ドラーグEX

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始まりの手紙 〜または少女の帰省は自由とともに〜

瑛斗たちが水族館に行っていたころ。

蟬が鳴く夏の日差しの中、通い慣れた道を懐かしく感じながら歩く少女がいた。

その少女の名前は五反田蘭。

紆余曲折を経てオランダの代表候補生となり、専用IS《フォルニアス》を持つ実家でもある五反田食堂の看板娘である。

うだるような暑さの中でも、彼女の足取りは軽い。

この路地を曲がれば家はすぐそこだ。

戸を開けて家の空気を思い切り吸う。

「ただいまー!」

「おー蘭。おかえり」

玄関には兄の弾の姿があった。

「お兄? 待っててくれたの?」

「ばっ……!? たっ、たまたま玄関通りがかったらお前が来たんだろ」

そう言うと弾はそっぽを向いた。

「なぁに言ってやがる。ずっと前から玄関の周りうろついてただろうが」

「なっ!? じ、じいちゃん!?」

可笑しそうに言い放ったのは、蘭と弾の祖父である厳だ。

「おじいちゃん! ただいま!」

「おう。おかえり。元気だったか?」

「うん!」

返事をすると、弾が蘭に顔を向けた。

「そういや蘭、電話で友達連れて帰ってくるとか言ってなかったか?」

「もちろん! ほら入って入って」

蘭の声の後、もう一人の少女が家に入った。

「……お邪魔、します」

「戸宮梢ちゃん。私の親友だよ」

ペコ、と頭を下げた梢を見て厳は自分の顎を摩った。

「ほぉ、こりゃまた可愛い子じゃあねぇか」

「……………」

下から上に移動する視線に梢は本能的に一歩引いた。

「あら! 蘭帰ってきたの!」

「あ、お母さん!」

弾と蘭の母親であり、自称五反田食堂の看板娘の蓮もやってきた。

「そっちの子がお友達ね? いらっしゃい」

蘭の言葉からこの女性が母親なのだと判断した梢はまた頭を下げた。

「……戸宮梢です」

「こんにちは。母の蓮です。おとなしい子ねぇ」

「ちげーよ。じいちゃんが妙な目で見っから怯えてんだよ」

「もう、おじいちゃん。梢ちゃんを怖がらせちゃダメだよ」

「な、なんでぇお前ら。……まぁ、なんだ。外は暑くて大変だったろ。上がりな。蓮、飲み物でも出してやれ」

「はい。蘭、荷物はそこに置いておいていいわよ。梢ちゃんもいらっしゃい」

蓮に案内されて五反田家の居間に入る。

「そこに座ってて。今飲み物持ってくるわ」

「……………」

正座してソワソワと家の中を見渡す梢。

「梢ちゃん? どうかしたの?」

「……こういうの、初めてだから」

亡国機業に組みしていた梢はこういった生活感の溢れる雰囲気に慣れていなかった。

「ああ、そういうこと。そんな畏まらなくていいよ。学園の寮だと思ってリラックスして」

「……うん」

と言っても梢に大した変化は見られない。蘭は(梢ちゃんらしいなぁ)と思いつつふと気づいた。

「お兄、お父さんは?」

「ちょっと遠くまで出掛けてる。夕方までには帰ってくるとさ」

「そうなんだ」

「そんなことよりよ、俺としてはお前の話を聞きてぇな」

「お、弾、良いこと言うじゃねえか。ワシも聞きたいとこだったのよ」

弾と厳も居間に入って蘭と梢の向かいに座った。

「どうなんだ蘭。念願のIS学園での生活は」

「大変だよ。色々データを取らなきゃいけないし、訓練も相当ハードだし」

「いきなり泣き言かよ……」

「でも、いろんな国のいろんな人がいて面白いよ。友達もいるし先輩も色々教えてくれるし」

「楽しそうでなによりね。飲み物持ってきたわ」

蓮が盆に載せて運んできたジュースの入ったコップを欄のと梢の前に置いた。

「……いただきます」

一言言ってから冷たいジュースを口に含む。

「でよ、ワシ気になってたんだけど、蘭、お前今IS持ってるわけだろ?」

「? そうだよ。ほら。この通り」

蘭は厳に見えるように待機状態アクセサリーとなったフォルニアスの指輪をはめた右手を見せた。

「ほぉ〜……どんなのなんだよ? 見せてくれや」

「ダメダメ! そういうのは条約違反なんだから」

「ちぇ。つまんなねぇな」

「お父さんったら、子どもみたいよ」

蓮が穏やかに笑う。

「蘭は真面目だからな」

弾もそれに乗っかった。

「まあ、条約かなんだかに引っかかるとなっちゃあ仕方ねぇ。んじゃあそっちのお嬢ちゃんに聞くとすっか」

厳は梢の方を見た。

「梢ちゃんつったか? お前さん、うちの蘭をだ、だい……だい……………弾、なんつったっけ」

「代表候補生」

「そうそう、それだ。その代表なんたらに選んだ理由。聞かせてもらおうじゃねぇか」

「え…………」

思いもよらぬ問いに、梢は返答に窮した。

あの時、まだ《フォルヴァニス》と《フォルニアス》にサイコフレームが搭載されていたあの時は、梢にはフォルヴァニスの声が聞こえていた。

フォルヴァニスを経由して流れてきたフォルニアスの意志。

それ以上でも、それ以下でもなかった。

それが蘭を選んだ理由だった。

けど、サイコフレームを砕かれたフォルヴァニスの声はもう聞こえない。

それでも、蘭を選んでよかったと梢は心から思っている。

だから、梢は今一度言うのだ。

「……蘭に、運命を感じたからです」

と。

「う、運命……?」

「まぁ、ロマンチックね。うふふ」

弾と蓮が言う中、厳だけが梢を無言で見ていた。

「……………」

梢もその視線に自分の視線を合わせた。

「……………」

「……ヘッ。いいねぇ、その目。ワシゃ人の目を見れば言ってることが嘘か本当かわかるんだよ。お前さんの目、本心から言ってるみたいだな」

よっこらせ、と厳は立ち上がった。

「ぼちぼち店の準備しねぇといけねぇな。弾、行くぞ」

「へーい。じゃあ梢ちゃん、ごゆっくり」

弾が厳の後ろについて今から出て行った。

「なんだかお兄、立派になったね」

「蘭もそう思う? 弾、最近やけに張り切ってるの。彼女が出来て心境の変化でも起きたのかしらね」

そこで蓮は蘭の耳元に近寄った。

「蘭も頑張らないといけないわね」

「なっ! お、お母さん!」

蘭が言おうとすると蓮はカラカラと笑って立ち上がった。

「店はいつも通りやるから、手伝えるようだったらお願いね」

そして居間から出て行った。

何をごまかす為かわからなかったが咳払いしてから蘭は梢を見た。

「じ、じゃあ梢ちゃん。私の部屋見てみる?」

 

 

場所と時間は移ろいで織斑家。

綺麗に掃除されたリビングには一夏とマドカ。

「お兄ちゃん……私……もう限界だよ……もう出せないよぉ……」

「いやダメだ。まだ、出してもらうぞ」

マドカの縋るような懇願を一夏は冷たく突き放す。

「あっ!? あ、あぅぅ……!」

マドカの声に、一夏は笑みを浮かべた。

「これで………」

「や、だ、ダメ━━━━」

「フィニッシュだ!」

「ああ〜……」

フローリングにへたれ込んだマドカを一瞥して、一夏は快哉をあげた。

「……よっしゃあ!! 俺の勝ちぃ!」

テレビの画面に映るのは、

『1P優勝!』

 

という文字を中央にその周りを紙吹雪が舞う映像だった。

「ひーどーいー! 持ってたお金全部持ってかれたー!」

画面が『金太郎電鉄4』と銘打たれたタイトル画面に切り替わったところでマドカがコントローラーを掴んだ腕を上下に振る。

「貧乏神のせいだよ! あの貧乏神がっ!!」

「まだまだ修行が足りないなぁ、マドカ」

「お兄ちゃんも容赦なさ過ぎ! 少しは妹に手加減してよ!」

「勝負の世界は厳しいんだよ。ハハハハハハ!!」

どこぞの第十一皇子みたいな笑いをする一夏にマドカは悔しそうな視線をぶつける。

「あ、もうこんな時間だ」

気がつけば時計の針は十二時を回ろうとしていた。

「そういえばお腹空いたな。お兄ちゃん、お昼どうする?」

「んー……千冬姉も忙しくて夕飯も外で済ませて来るって言ってたしな………弾のとこでも行くか」

弾のとこ。つまりは五反田食堂である。

「そうしよっか。私あの野菜炒め好きなんだー」

二人はさっさと出かける準備をして、太陽のぎらつく外に出た。

「お姉ちゃんも大変だね。この暑い中でも、最近はずっと忙しそう」

「教師は激務らしいからな。ましてやIS学園のなんかだとなおさらなんだよ」

「そっかー。言われてみればそうかもね。山田先生もあわてん坊さんだけど、やることはちゃんとやって……あれ?」

「どうした?」

「なんだか、行列が出来てるよ」

「行列?」

マドカが指差した方を見ると、確かに行列ができていた。

しかし行列ができている場所が問題だった。

「思いっきり五反田食堂じゃねぇか………」

一夏の知る限りでは見たことがない五反田食堂へ伸びる行列。

そんなに大人数というわけではない。見れば顔見知りな人もいた。

とりあえず最後尾に並んでみる。

「お昼時だからかなぁ」

「それにしてもだろ。いつもならもうちょい空いてるぞ」

そんな若干失礼な話をしていると入り口から店員らしき者が出て来た。

「……次のお客様。お待たせしました。どうぞ」

「……………」

「……………」

「……………」

「「「………………あ」」」

 

「まさか戸宮ちゃんがここにいるなんてな」

「びっくりしたよ」

「……………」

「いやぁ……あはは」

特にリアクションするわけでもない戸宮ちゃんに代わって蘭が笑った。

俺とマドカが入った時にはようやく落ち着いたらしく、こうして普通に話ができた。

「どこかで工事やってるみたいでね。そこで働いてる人たちがこぞって来ちゃって。蘭一人増えてもちょっと慌て気味でねぇ」

「で、料理を運ぶくらいなら出来るっつって梢ちゃんが手伝ってくれたってわけだ」

「なるほどな。しかし厳さんがよくオッケーしてくれたな」

「孫娘ん親友のご厚意だ。断るわけにもいくめぇ。実際ありがたかったしな」

調理場の方で作業している厳さんの声が聞こえた。

「じいちゃん、相変わらず蘭には甘いんだよ」

小声でそう言った弾がギロ、と厳さんに睨まれた。

「ありがとね。梢ちゃん」

「……ううん。蘭に、恩返ししたかったから」

「そっか……」

ガラッ!

「ちわーっす!」

「厳さーん! 来たぞ!」

「蘭ちゃんが帰って来たんだって?」

「久しぶりの蘭ちゃんのエプロン姿を拝みに来ました!」

「妙に混んでたからちょっと時間ずらしてみたぜ!」

ゾロゾロとガタイのいいおっさんたちが店の中に入って来た。

「おー、お前ら。来たのか」

厳さんが少し声を弾ませて歓迎した。

「あ! おじさんたちだ!」

マドカも目を輝かせてその人たちを見る。

「……誰?」

一人知らない戸宮ちゃんが首を捻る。

「そっか。梢ちゃんは初めましてなんだよね。ねぇねぇおじさんたち!」

「お、マドカちゃん。一夏の小僧も一緒か」

「あれ? 厳さん、バイト雇ったのか?」

「ちげーよ。蘭の友達だ。今だけ手伝ってもらってんだよ」

「おじさんたち、自己紹介も兼ねてこの子に『あれ』見せてあげてよ」

「お、そいつはいいね。いくぜ野郎ども!」

『おう!』

横に整列したおっさんたち。戸宮ちゃんに『あれ』を見せる為のフォーメーションだ。

「村上信三郎、四二歳、建設業!」

「山本十蔵、三九歳、土木業!」

「吉岡修一、四八歳、運送業!」

「寺田克己、三五歳、サービス業!」

「クリス・マッケンシー、三十歳、自営業!」

各々がポーズを取り、最後はハモる。

『我ら蘭ちゃんファンクラブ同盟!!』

相変わらず後ろに爆炎エフェクトがドカーンとつきそうな完成度。

隣でマドカが、わー、と声を出して拍手をする。

「…………………」

 

一方で完全に置いてかれた戸宮ちゃんがポカーンと口を開けている。

「……蘭、こういう場合は、どうすれば……?」

「全力スルーで構わないよ」

蘭も扱いに慣れているのか大したリアクションはしない。

「お前ら、店の入り口でやんじゃねぇよ。邪魔だろうが」

厳さんも素っ気ない。

「ほら、さっさと注文しねぇか」

『うぃーす』

 

促されて席につく同盟一同。

「そうですね。じゃあ俺いつもの」

「俺も」

「俺もいつもの」

「じゃ俺も」

「僕もいつものでお願いします」

この注文聞かれて『いつもの』って答えるやり取り、瑛斗がカッコいいって言ってたな。

「あいよー」

厳さんが調理場の方に戻って作業を再開する。

「ありゃ、材料が足んねぇや」

しばらくすると厳さんがやれやれと言いながら奥の方にはけていった。

「梢ちゃん、楽しそうだね」

マドカが店の中をあっちへこっちへ動いている戸宮ちゃんを見ながら言った。

「蘭ちゃんもなんだか嬉しそう」

戸宮ちゃんと一緒に皿を運ぶ蘭の表情は確かにどこか楽しそうだった。

「本当に仲良しだよね」

「そうだ━━━━」

ガラガラガラガラ!!

『!?』

突然店の奥からなにかが崩れる音がした。

「あだだだだだだ!!」

そしてそのすぐ後に厳さんの悲痛な声が。

「お父さん!?」

蓮さんが慌てて奥の方へ。心配になった俺たちも顔を覗かせる。

すぐに、 蓮さんの肩を借りた厳さんが調理場の奥から出てきた。

「たたたたたた……」

「おじいちゃん大丈夫!?」

「何があったんだよ」

呻く厳さんの代わりに蓮さんが答えた。

「ギックリ腰ね。お父さんももう若くないし」

「る、るせぇ! こんくらいでワシが━━━━たたたた!?」

「はいはい無理しない。困ったわね。病院に連れて行かなきゃ行けないけど、梢ちゃんも入れて三人じゃお客さんが回せないかも」

蓮さんがうーん、と唸ると、厳さんが指を震わせながら俺とマドカを指差した。

って、え?

「ち、ちょうどいいじゃあねぇかよ……そこの二人にも手伝わせとけ」

「お兄ちゃん、もしかして……私たちかな?」

「ほ、方向的に、そうじゃないか?」

「お前ら、今日の飯代はチャラにしてやっから、ワシが戻ってくるまで弾たちと店番しとけ」

「や、でも━━━━」

「おじいちゃんナイスアイデアだよ!」

快哉をあげると蘭は物凄いスピードで二階に上がり、物凄いスピードで戻ってきた。その手にはしっかりと二着のエプロンが。

「これ! 新しいの開けてきました! 使ってください!」

「あ〜………」

どうしたものかと考えていたらマドカが俺の服の袖を引っ張った。

「お兄ちゃん、手伝ってあげようよ。お世話になってるんだし」

マドカ、お前目がキラキラしてんぞ。やりたいんだろ。

けど確かに世話になってはいるしな。よし、ここは一肌脱ぐか!

「わかったよ。じゃあ、そうします」

「やったぁ! 蘭ちゃんエプロンちょうだい!」

「どうぞ。一夏さんも!」

蘭に手渡されたエプロンを身につける。

「二人ともありがとうね。じゃあ後はお願いするわ」

「お前ら! しっかりやれよ!」

腰やっちゃってる割に大声な厳さんにどやされてから、俺とマドカは店の手伝いを始めた。

最初の作業は厳さんが崩した店の奥の整理だった。

 

「結局、一夏は僕たちに何の用なんだろ?」

水族館を出て駅に着いた俺たちは五反田食堂へ向けて歩いていた。

「えらいことになってるとは言ってたが、そっから先詳しいことはなにも聞かされてないしな」

「だが、焦った様子はなかったのだろう?」

「ああ。どっちかっつーと楽しそうな感じで」

「楽しそう……? あ。瑛斗、あれ…」

簪が指差したのはちょうど五反田食堂だった。

「声がするね」

少し離れたこの距離からでも店の中からの声が聞こえる。

店の中に入ると、席の六割くらいが埋まっていた。

「いらっしゃいませー!」

スマイルで迎えてくれたのはエプロンをしたマドカだった。

「って、マドカ?」

「あ、瑛斗! シャルロットとラウラと簪も!」

「お、おお」

「梢ちゃん! 盛り合わせ出来たから運んで!」

「……わかった」

「戸宮ちゃんまでいるのか?」

「よう、瑛斗!」

「一夏! って、お前もエプロンしてんのか」

「ああ。厳さんがギックリ腰で病院に行ってんだけど中々帰ってこなくてさ」

「えへへ、みんなでお店のお手伝いだよ!」

「そ、そうなんだ。偉いな。あ? もしかして、一夏、お前の言ってたえらいことって……」

一夏は何も言わず、ただ薄く笑った。

 

「とりあえず座れよ。四人とも夕飯まだだろ?」

「だとさ。どうする?」

「私は構わん」

「僕も。話を聞いて興味あったんだ。ここのご飯」

「私も、いいよ」

「じゃああっちの空いてる席にどうぞ」

マドカに案内されて四人掛けのテーブルまで向かう。

「いらっしゃい」

水を持って来てくれたのはアイツだった。

「注文決まったら声をかけてくれ」

ラウラたちの前に水の注がれたコップを置く。

「それと……」

一拍置いて俺を見据えて来た。

「……俺の名前は? フルで」

「………流石に、もう間違えないって。五反田弾くんよ」

「………」

弾はニヤッと笑うと、俺の前にもコップを置いた。

「ごゆっくりどうぞ」

そして弾は調理場の方に戻った。

どうやら皿洗いもしているみたいだ。

「瑛斗、今のはなんだ?」

「気にすんな。さて、何食う?」

お品書きを三人に見えるように出す。

「どうしようかなぁ」

「いろいろあるのだな」

「迷う……」

「瑛斗は何回か来たことあるんでしょ? どれが美味しかった?」

「ここの料理はハズレが無いからな。俺も来るたび悩むんだよ。そうだなぁ……よし、じゃあ本日のおすすめにするかな」

「そうか。では私も嫁と同じものを頼もう」

ラウラの言葉にシャルと簪が反応した。

「じ、じゃあ僕もそうしようかな……」

「わ、私も……それが、いい」

と言うわけで本日のおすすめを四人分注文することに決めた。

「マドカー! 注文!」

「あ、はーい!」

呼ぶとマドカがエプロンのポケットからメモとペンを取り出してやって来た。

「お客様、ご注文をどうぞ!」

「ノリノリだなぁ。じゃあ本日のおすすめを四つ」

「本日のおすすめを四つですね。かしこまりました」

サラサラとメモにペンを走らせてマドカは調理場の方に向かう。

「蘭ちゃん! 本日のおすすめ四つ!」

「はーい!」

調理場から蘭の声がした。

「蘭ちゃんの働いてる姿は元気をくれるなぁ」

「吉岡さん、それ言うの七回目ですよ」

「馬鹿野郎クリス。俺は何度でも言うぜ。それに厳さんがいなくて追っ払われないから蘭ちゃん見放題だ」

「吉岡さん、その発言限りなくアウトに近いです」

「しかし、いつもと違って新しい子が二人も見れるなんてラッキーだぜ」

「あの無口な子、梢ちゃんも、中々いい子だしな」

「村上さん、俺はマドカちゃんを推すぜ。いい笑顔だ」

何やら妙な会話が聞こえるぞ。

「あ、おっさんたちもいるじゃん」

五人のおっさんが顔の前で手を組んでやや下の方を見ながら何やら話している。

「だが!」

一番年上の寺田さんがおもむろに立ち上がった。

「俺たちは蘭ちゃんファンクラブ! それを忘れてはならん!」

「そうだ! よく言った!」

「俺たちゃ蘭ちゃん一筋! 浮気なんてしねぇ!」

「こんなんだから俺らまだ独身なんだけどな!」

『わはははははは!』

ハイテンションなおっさんたちのテーブルにはビールが注がれたジョッキがあった。

「だいぶ飲んでるなありゃ」

「だね」

「昼頃からずっといるんだぜ、あの人たち」

「マジかよ」

「まぁちゃんと料理注文してくれてるから良いんだけどさ」

一夏が空いたテーブルの皿を片付ける途中で俺たちに顔を向けた。

「お兄! ちょっと手が離せないからこっち側お願い! 一夏さん! フライの盛り合わせ出来ました!」

「オッケー。一夏!」

「今行く! じゃあな」

蘭がテキパキと指示して料理を作っている。

「凄いな蘭ちゃん。あんな手際良く料理できるんだ」

料理部所属のシャルが感心したように言う。

「いいお母さんになるね」

「……私も、そう思います」

「あ、戸宮ちゃん」

「……本日のおすすめ四つ。お待たせしました」

「お、鶏肉と野菜の炒め物か」

「……ご注文は以上でよろしいでしょうか」

「ああ。ありがとう」

「……では、ごゆっくり」

戸宮ちゃんは伝票を切ってテーブルに置いて一礼してからまた別の客の方に。

「すげー手慣れてるな」

「嫁、早く食べよう。せっかくの料理が冷めてしまう」

「そうだな。じゃ、いただきます」

それから俺たちは結構長いこと五反田食堂でゆっくりした。

厳のじいさんが戻って来ておっさんたちと一悶着して、制止に入った蘭にじいさんがおっさんたちもろとも鉄拳食らったりとドタバタしたが、店がしっかり回っていたことに関しては蘭たちを褒めていた。

そして帰り道。泊まって行けばいいと言われていたけど、俺たちと帰れば心配ないと断った戸宮ちゃんは俺たちについてきた。

せめて見送りをということで、帰り道の途中まで蘭も一緒に来ている。

「梢ちゃん、今日はありがとうね。とっても助かったよ」

「……ううん、私も楽しかった」

「私も! すっごく面白かった! ね、お兄ちゃん?」

「そうだな。俺も五反田食堂手伝ったの中学の終わり以来だったから久し振りに働く楽しさを味わったぜ」

「あの、本当にバイト代いいんですか? 一応おじいちゃんに言われてお二人と梢ちゃんの分のバイト代を持ってきたんですが……」

「いいっていいって。成り行きでやることになったんだし。それに昼どころか夕飯までタダにしてもらったんだ。これ以上はバチがあたる」

「 私も気持ちだけで充分だよ」

「……楽しい思い出ができたから」

「そう、ですか。本当にありがとうございました」

蘭がお礼を言うのと、一夏の家へと続く曲がり角に着くのが同時だった。

「じゃあ俺とマドカはこっちだから」

「おお。またな」

「気をつけて帰るのだぞ」

「おやすみ……」

「おやすみ、一夏、マドカちゃん」

「うん。おやすみー」

手を振るマドカを連れて、一夏は家の方へと歩いて行った。

「……蘭、私も、ここまででいいよ」

戸宮ちゃんは蘭に顔を向けて一言告げた。

「……もう暗いし、おじいさんたちが、心配するよ」

「うん……」

 

寂しそうな顔をした蘭に、戸宮ちゃんは笑った。

「……今日は、すごく良い日だった。きっと、一生忘れない」

「梢ちゃん……!」

「……また、学園で会おう」

「うん! またね!」

「よし、じゃあ行くか。俺たちも一緒だから、蘭も安心しな」

「はい。じゃあ、梢ちゃんのことお願いします」

少し名残惜しそうにする蘭に手を振ってから、駅まで向かってバスに乗った。

「どうだった戸宮ちゃん。友達の家に遊びにいって、お店手伝った感想は」

「……とっても優しくて、温かかったです」

「それは良かった」

「……いいですね、ああいうの」

戸宮ちゃんはどこか遠い目をしながらそう言った。

 

 

学園に帰還して、戸宮ちゃんと別れて二年生寮に向かうと、山田先生が門の前に立っていた。

「あ、桐野くん!」

「山田先生? まだ門限には時間がありますけど?」

「あ、いえ、そうではなくてですね、桐野くん宛にエレクリット・カンパニーから手紙が来てるんですよ」

「俺宛に?」

なんだろう? この前届いた新しいISスーツに何か不備でもあったんだろうか?

「これがその手紙です」

手渡された封筒はまだ糊付けされていた。どうやら中身は先生も見ていないようだ。

「では、確かに渡しましたから私はこれで。あまり夜更かししたらダメですよ?」

言うと山田先生は校舎の方へ戻って行った。

「瑛斗、エレクリットからってことはエリナさんかな?」

封筒の裏を見る。

「差出人は……ん?」

「どうした嫁?」

「差出人が誰なのか書いてない……」

「え? じゃあ、なんで山田先生はエレクリットからの手紙だって言ったの?」

門の前の電灯に封筒をかざしてみると、中身のシルエットが浮かんだ。

折られた紙のようだ。

「……爆発物ではないだろうな?」

「怖いこと言うなよ。開けるぞ」

「待て。不用意に開けるのは━━━━」

ビリッ

「まずいと言おうとしたのになぜ開ける……」

「特に危険なものはなさそうだったからな」

「それで……中身は?」

「ああ。えっと……」

封筒を開ける瞬間。

 

この瞬間までは、俺はこの作業が俺……ひいては世界を揺るがす大事件の発端になるなんてことは、まだ知るはずもなかった。


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