IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
林間学校初日の夜。
俺は宿泊施設であるホテルの一室。要は織斑先生の部屋にいた。
「……では、夕方にお前が言っていた更識を連れて遠くまで行ってしまったというのは全くのデタラメだったのか」
「はい。あの時はああするのがベストだと判断しました。無駄に混乱したらまずいので」
「だからこうして私の部屋に単身来たというわけか」
椅子に座っている織斑先生の前に直立し、今日の昼、あの森の地下で起きた出来事を報告する。俺がここに来た理由はそれだった。
「山の地下に謎の洞窟に謎の秘密基地、そして極めつけに謎のサイボーグ少女……にわかには信じられんな」
「でしょうね。けど、それよりも信じられないものがありました」
「なんだ?」
俺は《G-soul》の腕の装甲とヘッドギアを展開した。
「地下から出る直前にすごいものを見ました」
アイ・センサーでディスプレイを操作して展開した右手装甲の手のひらに画像を拡大して先生の前に出した。
「これは……」
「形はちょっと違いますけど、間違いありません━━━━ゴーレム・シリーズの機体の残骸です」
僅かに開いた段ボールから覗く黒い腕や頭のパーツ。それを見る織斑先生の目はいつにも増して鋭い。
「そのサイボーグ少女、『くー』とか言ったか? それがこれを運んでいたのか?」
「はい。俺と簪があの子と会った時も段ボールを運んでいましたし、それの中身も十中八九は……」
「……………」
織斑先生は思案するように手を口元にやって数秒してから俺の方を向いた。
「桐野、このことを更識の方は知っているのか?」
「いえ、俺だけです。簪はくーの方に注意を向けていましたから」
「そうか……このことは私から他の先生たちに話しておこう。お前はもう行け」
「わかりました」
展開を解除して立ち上がる。
「一夏たちには、伝えますか?」
「いや。やめておけ。それが他の生徒に聞かれたらそれこそ混乱を招きかねない」
確かに先生の言うことには一理あるな。
「そうですか。では、失礼します」
「……………」
扉を閉める瞬間、織斑先生の顔が見 えたけどその表情はどこか怒っているように見えた。
(どうしたんだろ……?)
ほんの少し気になったけど、それよりも気になる現象が来た。
「きーりーのーくん……」
「え?」
曲がり角から俺を呼ぶ声と手招きが。
「こっちにおいで……」
「誰だ?」
曲がり角に出ると真っ白い布を被ったなにかが現れた!
「うおっ!?」
驚く俺をよそに白い布のなにかはクスクスと笑いながらUターンして走り出した。
「なんだったんだ、今の?」
白くてなんかフワフワした感じだったな。幽霊的な……
「………………」
幽霊、的な……
「……ま、まさかな。は、ははは………ん?」
ふと足元に赤い紙切れが落ちていることに気づいた。
「『ホテルの外、入り口付近に一人で来い。恐怖の案内人より』……?」
◆
ヒュウゥ~……
ホテルの外に出ると少し冷たい風が髪を揺らしてきた。
「来てみたものの……誰もいないな」
キョロキョロと見渡す。しかし俺以外に人らしい姿は見当たらない。
ふと、あるものが視界の端に映った。
「な、なんかえらく不気味な看板だな」
真っ赤なペンキで着色された木の板に『こちら』という文字と矢印が乱暴に彫られていた。
矢印が指す方向を見れば、夜の暗さで先がよく見えない林道がこちらに口を開けていた。
「……………」
はい。はいはいはい。はいはいはいはいはい。
感じてるよ。俺の第六感が危険を察知してるよ。これはアレだな。悪ふざけだなきっと。
「や、やっぱ部屋に戻ろ━━━━」
prrrrr!
「うわビックリした!」
携帯の着信音にオーバーに驚いてしまった。人がいなくて助かったぜ。
「……シャルから?」
通話ボタンを押して携帯を耳に近づける。
「シャルか。どうし━━━━」
『え、瑛斗助けてっ』
直後、シャルの震える声が聞こえた。
「どうした? 何があった!?」
『ほ……ホテルの前の赤い看板の林道に入ったら━━━━うわっ!?』
ブツッ! ツー、ツー…
「シャル!? おい! シャル!?」
突然切れた電話に、妙な危機感を覚えた。
掛け直してもシャルの携帯の電源は落ちてるらしく出ることはない。
「いったいなんだってんだ……!?」
電話で聞き取れた言葉を思い出す。確か『林道』って言ってたな……。
「……ひょっとして、この林道か?」
ホテルの前の赤い看板の林道と言ったらこれしか考えられない。ISを展開するには狭すぎるか……!
「……くそっ!」
俺は林道へ駆け入った。
(シャルに何が━━━━)
ガサガサッ!
「!?」
後ろからの物音に弾かれるように振り返った。
数メートル先に小さな人の影が見える。
「……………?」
目を凝らして観察しようとすると、その人影は手を俺の方へ突き出してピョンと一度飛んで近づいてきた。
それと同時に頭の部分の左右から垂れている何かが揺れる。顔を隠すように札が貼ってあるな。
……あ、これ本で見たことあるぞ。確か………そう!キョンシーだ!
中国の妖怪の!
「……キョンシー?」
おかしいぞ。
なんで日本にキョンシー? ってか、キョンシーってホントにいんの!?
「……ち……せ」
「え?」
呻くような声が聞こえた。
「血を━━━━よこせぇぇぇ!」
キョンシーが叫ぶやいなや円月刀を振り上げてきた!
「ぎゃああああああ!?」
その斬撃を咄嗟に躱し、ダッシュで逃亡を図る。
「まぁぁぁてぇぇ……!」
小柄なキョンシーは円月刀を片手に同じく走って追いかけてきた。なんで!? ジャンプするだけじゃねえの!?
「うわああああ!!」
無我夢中で走り、分かれ道を特になにも考えずに左へ曲がる。
「あ〜……」
キョンシーは右の方へ走って行った。
「な、なんなんだよ……あれ」
怖かった……。……ハッ!?
「お、おいおいおい……べ、別に怖がってなんかないぜ? よ、よよよよよ妖怪なんて、そそそそんなひ、非科学的な……」
誰にというわけでもなく言い訳する自分が悲しくなった。
「っ! そうだ! シャル!」
忘れるところだった! シャルが危ないんだ!
林道を進むこと数分。井戸が目の前に現れた。
しかもいい感じに苔むして古ぼけている。
「やだよぉ……またそれっぽいじゃーん」
こういうのって、井戸から女のお化けが出てくるって相場が決まって━━━━
「一まーい……二まーい……」
……ん? なんか、皿的なのが井戸から浮かんで………?
「三まーい……四まーい……」
「で、出たっ!?」
井戸から出てくる皿を数えるようにしながら、白い着物を着た髪の長い女が皿と一緒に浮上してきおった!?
「一枚……たりなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!」
「おわああああああっ!!?」
女の周りを浮遊していた皿たちが俺めがけて飛んできた!
ドスッ! ドスドスドスッ!
躱すと、皿は木に刺さって止まった。
「あれ? あれれ?」
女幽霊が困惑している! きっと今のが予想外だったんだな!
「さ、さいならっ!!」
タイミングを逃さず逃亡!
皿は周りを良く見てから飛ばしましょう! いや飛ばしちゃダメだけども!
「くそおおおお! なんだってんだよおおおおおお!」
もう半泣きで道を進み続ける。
途中あんな妖怪やこんな妖怪、ゾンビの集団やヴァンパイアとか、いろんな国のいろんな魑魅魍魎に遭遇し、おまけに背中にこんにゃくが張り付いたり全然関係ない普通のトラップに引っかかったりと心身……主に精神がボロボロになりました。
「ぜぇ……ぜぇ……シャルゥ~どこだぁ~……」
それからしばらく経ってから大分開けたところに到着した。
すると少し遠いところに金色の髪をなびかせた見覚えのある背中が。
「………………」
「シャル! 無事だったか!」
安心した俺はシャルに駆け寄る。
「あの化け物たちはなんだ? すっげー怖かったんだけ……ど……」
「………………」
変だな? なんでこっちを振り向かない?
「……シャル、だよな?」
念のため確認を取ってみる。
「シャル? その人は……こんな顔だったぁぁぁぁぁぁ!?」
「~~~~~~~~~!?!?!?!?!?」
俺は、生まれて初めて声にならない悲鳴を上げた。
「の……のっぺら……ぼ……」
そこで俺の視界は暗転した。
◆
「……ハッ!?」
目を覚ました俺が最初に見たのは俺の顔を覗き込むシャルだった。顔は付いてる。
「あ、瑛斗起きた?」
「こ、ここは?」
「えっとね、準備する場所だよ」
「準備……?」
「ほら」
シャルが指差した方向を見ると、顔に貼られた札を剥している俺が林道に入って一番最初に遭遇した妖怪、円月刀を振りかざしてきたキョンシー……
「いやぁー、愉快愉快! 驚かし甲斐があるわね瑛斗は!」
もとい鈴。
「………………」
「面白かったねー! お皿が木に食い込んで動かなくなったのは予想外だったけど」
井戸から出てきて皿を飛ばしてきた女幽霊……ではなく、マドカ。
「………………」
「でも……ちょっと可哀想だった……」
釣竿にこんにゃくを垂らしているものを持った簪。
「………………」
「わたくしが棺桶から出てきた時なんて、瑛斗さんすごい顔してましたわ」
額の汗を優雅にハンカチで拭く、ヴァンパイア……の恰好をしたセシリア。
「…………………」
「私がセットしたトラップもいい具合に作動したな」
特にお化けの恰好をしてるわけじゃないけど、ラウラも満足気に頷く。
「…………………」
そしてその他大勢のクラスメイトや同学年の女子たち。
「瑛斗。もう、わかったよね?」
「は、はは、はははは……」
もう、笑うしかない。これは、つまり、あれだ。
「ドッキリかチキショォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」
やられたよ。まったくよお!!
……
…………
………………
……………………
「なるほど。イベントってこれのことだったのか」
どっと息を吐き、全てを理解した。
「うん。瑛斗と一夏以外の人には話がついてたんだ。ちょっとやりすぎちゃったかも。ごめんね」
シャルが苦笑いをしながら謝ってくる。
「いや、いいよ……ドッキリとしての完成度は超凄かったから」
「そう言われるとアタシたちも張り切って準備した甲斐があったってもんよ」
鈴が得意気に笑う。
「見て見て! このお皿、ブレードビットを挟み込むようにしてセットするから浮いてる風に見えるんだよ! 特製品だよ!」
マドカが心底楽しそうにしながら皿、というかビットを飛ばす。
「整備科も頑張りました~」
相変わらずダルッダルの袖ののほほんさんが様々なドッキリグッズを準備しながら言う。
「頑張り過ぎ。コスプレにしても……あれ?」
数えてみる。足りない。というか、いないぞ。
「どうかしたの?」
「なあ、箒は? アイツはやらないのか?」
考えてみれば、箒以外の専用機持ちは全員集合している。
「「くっ……!」」
その名を口にした途端、なぜかセシリアと鈴が悔しそうに呻いた。
「?」
「箒は一夏と共に来ることになっている」
横に立つラウラが説明してくれた。
「一夏と?」
「ああ。くじ引きで決まった」
「ふーん……ん? 一夏は箒となのになんで俺は一人で回らされたんだよ?」
「この手のものがお前は苦手だと言うのは周知の事実だからな。ただの遊び心だ」
「さらっと失礼なこと言わなかった今!?」
くっそー! 完全に遊ばれた!
しかし、こうしてドッキリをされたまま終わるのも癪だ。何か………そうだ!
「よし! 俺も参加するぜ! このドッキリ!」
「お前も何か驚かせる道具を持っているのか?」
ラウラが向けてくるその赤い目に、
「ああ持ってるさ! 特別なのをな!」
俺は元気よく頷いた。
◆
まだ日中の熱を帯びているか、わずかに暑い夜空の下を歩く二人の影。一夏と箒である。
「確か……あの林で落としたんだな?」
「あ、ああ」
懐中電灯を手に進む一夏の横にぴったりとついて歩く箒。彼女は意気込んでいた。
(ひ、昼はどうなるかと思ったが、まだ私に運は向いている!)
結局、昼のサバイバル訓練は大して一夏と接することができなかった箒はそれはそれは後悔していた。
だが天が見かねたのか、最後のチャンスが舞い降りてきた。このドッキリイベントである。
見事一夏とイベントに参加する権利を獲得した箒は、『落し物を拾ってくるのを忘れたから一緒に取りに行ってほしい』と適当な理由をつけて一夏を外に誘い出していた。
(ここが正念場だ。頑張れ私!)
心の中で小さな自分が自分を応援している。
「なあ……明日、明るくなってからじゃダメなのか?」
「え?」
しかしそんな箒とは対照的に、一夏は乗り気ではなかった。
「だって気味悪いぜ。さっきも空耳かもしれないけど誰かの悲鳴っぽいのが聞こえたし……」
「そ、それは……」
(瑛斗め、どれほど怖がっていたのだ……! 一夏が怖がってしまっているだろうが!)
瑛斗に若干理不尽な憤りを覚えつつも箒は一夏に思いとどまらせるために動いた。
「だっ、ダメだ!」
「ええ?」
難色を示す一夏の手を強く握ったのだ。
(こっ、こここれくらいしなければ!)
「すぐに必要なのだ! 早く取りに行かなければダメだ!」
ずいっと顔を近づける。自分でもわかるほど顔は赤くなっていた。
「そ、そんな大事ならなんで落としたまま忘れたりしたんだよ。ってか、その落し物ってなんなんだ? いい加減教えてくれよ」
「それは……」
箒は思いもよらない問いかけに少々たじろいだ。
(ここで下手な嘘をつけば一夏が帰ってしまう可能性が高い………)
箒は生まれてからこれまで嘘をつくのが苦手であった。つけはするが大体はすぐにばれてしまう。
(それだけは絶対に回避しなくては!)
けれども、脳をフル回転させて一夏を誤魔化す嘘を考えた。その間は一秒にも満たないだろう。
「で、なんなんだ?」
「わ、私が落としたのは……」
「落としたのは?」
「……たお━━━━」
「ヒャーッハッハッハッハ!!」
「「!」」
箒が口を開く前に甲高い笑い声が大気を震わせた。
「な、なんだ今の?」
「わ、わからん……」
二人が周囲を警戒する。その時!
「うわっ!?」
一夏の身体が浮き上がった。
「一夏っ!? きゃあっ!?」
直後に箒の身体も一夏同様宙に浮く。
「な……なんだ? 何かに掴まれてる!?」
一夏は宙に浮いたままもがくが、無駄に終わる。
(こ、こんな仕掛けまで……いったい誰が?)
箒も自分が固い何かに掴まれて物理的に浮いている現状に驚いていた。
他の女子たちが仕掛けを用意しているのは知っていたが、詳しいことは聞かされていない。だからこんなことをされるとは夢にも思ってなかったのだ。
「おわあっ!?」
一夏の身体がぐるりと向きを変えられて箒に背中を見せる形になった。
「一夏!」
箒が一夏の名を呼ぶと箒の前で異変が起きた。目の前に顔が現れたのだ。
(瑛斗━━━━!?)
「………………」
目の前に現れた瑛斗はウインクを一つするとまた風景に溶け込み、箒と一夏を林道に運び入れ、そっと地面に下ろした。
「な、なんだったんだ……」
「………………」
一夏は驚きつつも、ふぅ、と息を吐いて汗を拭った。
(なぜかは知らないが、瑛斗も一枚噛んでいるのか━━━━ならば!)
「行くぞ一夏!」
「おわっ」
離れた手をもう一度掴み、箒は進みだす。
「………………」
そんな二人を林道の入り口で見つめる瑛斗は、自身を包むGメモリー《シェラード》のステルスフィルムを解除して(計画通り……)とほくそ笑んだ。
「俺だ。ターゲットは無事入った」
通信回線を開き、次の仕掛け人に情報を送る。
『了解よ。めっちゃくちゃに怖がらせてやるんだから!』
ツインテールのキョンシーがモニターの向こうで意気込む。
「おう、頼んだぜ」
短い通信を終えて、瑛斗はもう一度薄く笑みを浮かべた。
「さあ、思いっきりビビり倒してもらおうじゃないか……!」
数分後、男女の悲鳴が林に木霊した。
……
…………
………………
……………………
「はあ……はあ……ビックリした……!」
一夏は木に寄りかかってどっと息を吐いた。
「ゾンビも怖かったけど、キョンシーとヴァンパイアはなんだったんだ。マジな殺気を感じたぞ」
道に入ってからというもの、円月刀を振り回すキョンシーと模擬弾を込めたスナイパーライフルを携帯したヴァンパイアに襲われたり、暗闇から突然ゾンビが現れるなど恐怖体験の連続であった。
「い、一夏。大丈夫か?」
そんな一夏と林の中を進む箒は心配するように声をかけた。
「なんとかな。お前こそ大丈夫か? 結構怖がってたみたいだけど」
「ば、馬鹿を言うな! 私がこんなことで怖がるなど━━━━」
「あ、足元に虫が」
「きゃあっ!?」
箒はその場から跳び、一夏にしがみつく。
「へっへっへ。嘘だよ」
「なっ……!? ふ、ふざけるのも大概にしろ!」
「と言いつつも離れないあたり怖がってるんだな」
「~~~~っ! 馬鹿者!」
バシッ!
「ってぇ! 叩くやつがあるか!」
「ふんっ! 自業自得だ!」
ぷいっと一夏から顔を逸らす。だがその腕はしっかりと一夏の腕に絡んでいる。
(……こうして、コイツの近くに立つのはいつ振りだろう……)
これまでも何度か傍にいることはあったが、その時とは違う胸の高鳴りを感じた。
(もう少し顔を寄せたら……き、キスが、できそうだ……)
いつかもそんなことがあった。そう、去年の夏頃にも。
(もしかしたら……今なら……)
「……一夏」
「それにしても、みんな気合い入ってるな」
「━━━━え?」
「ラウラたちが言ってたイベントって、このことだろ?」
「あ……」
どうやら、一夏は感づいたらしい。
「お化け屋敷的なやつだよな。いやぁ、本物顔負けの怖さだ」
まあ、本物にあったことないけど。と一夏は続けた。
「あ、もしかして俺がさっき聞いた悲鳴って瑛斗のだったのか?」
「う、うむ……おそらく」
「かなりビビってたんだな、アイツ。やっぱりお化けとか怖いんだ」
そう言って笑う一夏の顔に、箒は一層鼓動が速くなるのを感じた。
(考えてみたら……今、私は一夏と二人きり……)
周囲をさりげなく見渡すが、人の気配はない。
━━━━夜の森はね……人を大胆にするのよ━━━━
(…………………)
楯無の言葉が脳裏をよぎったところで、箒は弾かれるように動いた。一夏の手を引いて道を外れる。
「ど、どうした? 落し物ってのはマジなのか? ここらへんで落としたのか?」
一夏はきょとんとしている。
「一夏……」
「な、なんだ?」
箒は一夏の両肩に手を乗せて、一夏の目をじっと見つめた。
「箒?」
だが自分の方が耐えきれなくなって目を逸らす。
(何を躊躇っている! ここで動かなければいつ動くというのだ!)
小さい自分が心の中で叱咤してくる。
「……そ、そうだ、楯無さんが悪いんだ。楯無さんがあんなことを言うからだ……!」
ぶつぶつと小声でつぶやいてから、もう一度一夏の目をまっすぐ見据える。
「楯無さんが、なんだって?」
「い、一夏……聞いてくれ」
「お、おう」
「私は……その……」
(どうした! 言え! 言ってしまえ! いつぞやは景気づけに水を飲んだ途端意識が飛んだが、今回は違うはずだ!)
「お、お前のことが━━━━!」
「おやおや? そこにいるのは誰かな?」
「「!?」」
繁みの奥から人の声が聞こえた。
声のした方に顔を向けると、シルエットが見えた。
長い髪をたなびかせ、『ウサ耳』をのせているような頭の影。
「おお! いっくんと箒ちゃん!」
そして底抜けに明るい声。
箒の姉であり、ISを中心とする社会を築き上げた張本人。
「姉さん……!?」
「束さん!?」
「いぇーす! 束さんだよー! ぶいぶい! おひさ!」
篠ノ之束であった。以前会った時と同じように物語の登場人物のような服装である。
「こんな夜に二人でなにしてるのかなー? あ! もしかして!」
束はそのまま箒に近づいて一夏から引きはがした。
「……そっかそっかー、箒ちゃんも大胆なことするねぇ……ふひひ」
小声で声を潜めて耳打ちしてくる束に箒は小声で返した。
「いったい何しに来たのですか! いえ、そもそもどうしてここに!?」
「箒ちゃんがいるところなら、たとえ火の中水の中、あの子のスカートの中だって行くよー」
「ふざけないでくださいっ!」
箒は束から離れた。
「おっとっと、相変わらず元気だね箒ちゃんは。束さん嬉しいー」
「あなたは!」
「あ、あのー?」
取り残されていた一夏が呼びかけてくる。
「ど、どういう状況なんだ? ってか、束さんはどうして?」
「よくぞ聞いてくれたねいっくん。実はね、ここら一帯の地下には私の秘密基地があるんだよ」
「ひ、秘密基地?」
「そう。まあでも、引っ越し作業も終わったしお払い箱さ」
束の言っていることがいまいち理解できなかった二人に、束は背を向けた。
「おいでよ。教えてあげるから」
束の後ろを着いて歩くと、川原に辿り着いた。
「よいしょ」
束が川の流れの傍に近づいてしゃがみ、石に手を触れた。
ガコッ
すると束の前の地面に穴があいた。
「ここが入り口。他にもいろんなところにあるけどね」
「地面に穴が……!」
「…………………」
驚く一夏と無言を貫く箒。
箒の方を見てから束は小さく笑い、自分の衣服に手をかけ━━━━脱ぎ始めた。
「っ!?」
「た、束さん!?」
流石の箒も驚いて表情を強張らせる。
「この入り口は束さんが身体を洗う時に使う川への入り口だったのでーす♪」
驚く二人をよそにあっという間にパンツ姿になる束。そして川の中に足を踏み入れた。
「夏は暑いよねぇ。風呂よりも冷たい川の方が気持ちいいよー」
スイスイと川を泳ぐ束を呆気にとられながら見ることしかできない二人。
「ほらほら~、背泳ぎ~♫」
川の流れが月の光を乱反射させてシルエットしか見えないが、束の女性的な体つきは一夏にはしっかり見えていた。
水面に揺れるその姿は、どこか神秘的で、芸術的で、蠱惑的だ。
「い、いったい何がしたいんだ……?」
「………………」
そのまま束の泳ぐ姿をぼんやり眺めていると、地面に開いたままだった穴から人が出てきた。
「束さま、川で体を洗うならちゃんとタオルを持っていかないとダメじゃありませんか」
「……子ども?」
「女の子だ……」
「おー! くーちゃん気が利くぅ!」
束は泳ぐのをやめて川岸まで来た目を閉じた少女に近づいた。
「そこに置いておきますよ。ところで、男の人と女の人の声が聞こえたのですが、誰かいるのですか?」
「うんいるよー。いっくんと箒ちゃん」
説明されると、ワンピースの少女は気配のしたほうを向いた。
「織斑一夏さまと篠ノ之箒さまですか。初めまして。束さまからお二人のことは聞いております」
ペコリと頭を下げてくる少女に一夏も答え、そして束に問いかけた。
「は、初めまして。束さん、この女の子は?」
束は背を向けて身体をタオルで拭きながら答えた。
「この子はくーちゃん! 束さんはくーちゃんのお母さんなのです!」
「っ! ふざけないでください!」
我慢の限界を迎えた箒は束に吠えた。
「いきなり現れて、この子の母親!? あなたはどこまで人をバカにしたら気が済むんですか!」
「ほ、箒。落ち着けって」
「一夏は黙っていろ! 私は姉さん! あなたに聞いている!」
「………………」
束は答えようとしない。だが下着姿のまま箒の前に立った。
「答えてください……!」
「……箒ちゃん、憶えてる?」
「何をですか……」
「私がまだISを発明する前。まだ箒ちゃんが小さった時……」
束は自分の脇腹に濡れて張り付いた髪を取り、箒に見せた。
「あ……」
箒は一歩怯えるようにして後ずさった。
(なんだ?)
一夏は箒が壁になる形で見ることができなかった。
「忘れません…忘れられるわけがない!」
「そっか。よかった……」
束は箒の横を通り、くーに近づいてタオルを手に取った。
「……!」
箒は口を一文字に結んだまま動けない。
「じゃあね、二人とも」
束はそのまま地面に開いた穴に歩き出す。
「待ってくれ! 束さん、あなたは何を考えているんですか!」
一夏が束を呼び止めると、束は一夏に振り返った。
「いっくん、もうすぐこの世界は変わるよ」
「え……?」
「いっくんの近くにいる人が、その鍵だよ」
「俺の……近く?」
「そう遠くはないね。もうすぐ、もうすぐだね」
「い、いったい何の話なんです! 束さん!」
「いくよ、くーちゃん」
「はい」
一夏の問いに答えることなく、束は穴の中へ降りて行った。
「束さん!」
もう一度一夏は束の名を呼んだが、返事はなかった。
「織斑一夏さま」
束の後ろに立っていた少女が一夏に声をかける。
「お願いします。どうか、束さまの邪魔をしないでください。束さまには束さまなりの考えがありますので」
「君は……」
一夏が言う前に少女は一礼し、束を追うように穴の中へ入っていた。同時にその穴は塞がれ、大小様々な石が敷き詰められた川原の一部になった。
「…………………」
嵐のような出来事を終えて、一夏はふと箒の方を見た。
「ほう━━━━」
呼びかけようとしたが一夏はそれをやめた。箒の目から涙が落ちたからだ。その拳を硬く握り、身を震わせている。
(こんな箒の姿……見たことがない……)
いつもの箒からは想像がつかないようなその姿に、一夏はなぜか胸に痛みを感じた。
「一夏……帰るぞ」
そして箒は涙を拭うと、ポニーテールを揺らして踵を返した。
「あ、おい」
一夏は早足で進む箒の後ろを追う形になる。しばらく沈黙が続いたが、一夏は意を決して声をかけた。
「……大丈夫か?」
「気にするな……」
箒は短くそう答えると、また黙り込んだ。
(気にするに決まってんだろ……)
そう胸中でつぶやいたところで、携帯にメールが来た。
「瑛斗から……?」
瑛斗から届いたメールを開いて文面を見る。
《魑魅魍魎がスタンばってるんだが》
「あ」
そこで思い出した。自分たちがドッキリにかけられていることに。
「箒、瑛斗が待ち構えてるみたいなんだけど……」
「すまないが……気が乗らない」
「え、けどよ」
「本当にすまない……みんなにも、伝えておいてくれ……」
「箒!」
追いかけなければ、と思った時には、箒は駆けだしていた。
「箒……」
「どうしたんだ? あいつ」
いつの間にか、一夏の隣に、頭に斧が食い込み、額に矢が突き刺さった頭だけ小道具満載ゾンビメイクの瑛斗が立っていた。
「うわっ!? 瑛斗!?」
「……メールの直後に驚かそうと思って来てみれば、いったいどうした?」
「……実は」
一夏は瑛斗に説明を始めた。その十数分後、イベントは瑛斗の号令のもとに終了となるのだった。