IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
シャルロットと瑛斗がいなくなったIS学園は、存外、平静を保っていた。
学園のそこかしこから聞こえる、少女たちの賑やかな声。
一人の少女と一人の少年がいなくなった程度では、何も変化はないように見える。
だが、実際は変化は起こっていた。
「…………瑛斗さんもシャルロットさんも見かけないと思ったら、そういうことだったんですね」
屋上のテラスでは、蘭と梢が鈴からこの数日に起こった出来事を聞かされていた。
「デュノア社ってすごい大企業って聞いてましたけど……」
蘭はショックを隠しきれない様子で、目を伏せる。
「まあ、こういう話は深く関わらないと知れない話よね。梢は知ってたんじゃないかしら?」
「……噂程度には」
梢は鈴の目を見て頷く。
「……私は、自由を求めていた。何にも縛られない、私が私であることの証明を」
「梢ちゃん……」
「……でも、彼女は、シャルロット・デュノアは、私よりも、もっと過酷なものに縛られてる。もしかしたら、それは永劫に彼女を縛り続ける」
「私たち、何もできないんでしょうか……」
「こればっかりは諦めるしかないわね。シャルロット達もそうだけど、アタシはあいつのほうが心配だわ」
「……あいつ?」
「もしかして、ラウラさんですか? ラウラさん、シャルロットさんと一緒にいるのよく見かけますし」
「……確かルームメイトだったはず。今、彼女は一人………?」
「そうよ。ありゃ相当参ってるわね」
「でも、今日見かけた時はそんな風には見えませんでしたけど」
「それはアンタたちがまだラウラのことあんまり知らないからよ。一年も付き合えばわかるわよ。あの落ち込みっぷりは異常ね」
鈴は椅子の背もたれに寄りかかり、空を見上げた。
(ラウラのことは任せろって言ってたけど、あいつ、大丈夫なのかしら)
見上げた空では、二羽の鳥が、じゃれ合うように飛んでいた。
◆
「……頼まれていた品は送っておいた。明日には届くだろう」
二人がいなくなって一週間が経つ。私はいつも通り、定時の連絡を入れていた。
『ありがとうございます。隊の者も、あの漫画の続きを心待ちにしておりました』
私が所属するドイツ軍
瑛斗とシャルロットがいないことには慣れたつもりでいる。だが、やはり二人部屋で一人でいるのは寂しかった。
「そうか……」
意図せずに自分の声が小さくなる。
『隊長? お声が弱々しいですが、いかがなさいました?』
少しの変化でも見逃さないのはクラリッサの良いところだ。だけど、今回ばかりは見逃してほしかった。
「クラリッサ……」
『はい』
「………いや、なんでもない」
一人が寂しい、などと情けないことを部下に言ってしまうところだった。
『……隊長』
「なんだ」
『無礼を承知でお聞きしますが━━━━何かあったのではありませんか?』
「別にそんなことはない。気にするな」
『わかりました。……ですが隊長、無理はなさらないでください』
クラリッサは、まるでどこかで見ているかのような言葉を言ってきた。
「分かっている。心配をかけたなら謝ろう」
『いえ、そのようなことは……』
「これで定時連絡を終了する。切るぞ」
『あ、隊ちょ━━━━』
電話を切り、そしてベッドに仰向けに倒れる。
「……………」
隣には、空のベッドがもう一つ。
「シャルロット……」
いつもなら傍にいてくれるはずのシャルロットはいない。
それが、こうも……。
「……………」
視界が滲む。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。
『ラウラ、私だ』
ドアの向こうから聞こえた声は、箒のものだった。
「入るぞ」
こっちの返事を待たずにドアを開けてきた。私は慌てて目を拭う。
「ほ、箒か。どうした?」
目の前に立つ箒はなぜかたどたどしい口調で声をかけてきた。
「その……今からISの自主訓練をしようと思っているのだが、ど、どうだ? 付き合ってはくれないか?」
「私がか? セシリアや鈴……一夏がいるだろう」
わざわざ私に声をかけなくとも、もっと頼みやすい者がいたはずだ。
「あ……そ、それはだな。ラウラが、一番ISの扱いが上手くて………だから……」
目を逸らす、というか顔を逸らして言う。その動きに合わせてポニーテールも揺れた。
「楯無さんにでも頼めばいい。一度はコンビを組んだのだろう」
「あ、う………ええい!」
奇声を発した後、箒はどかっと私の隣に座った。
「ああそうだ! 別に訓練に行こうとは思っていない! お前が放っておけないんだ!」
「………………」
余りにも率直な言葉にどう返したらいいか分からなくなった。
「この一週間、お前はずっとそうだ。授業も上の空で、放課後は部屋に籠って。心配するなと言う方が無理な話だ。だから、その、シャルロットの代わりと言うとなんだが、話し相手くらいならなれる」
「箒………」
正直、嬉しかった。
しかし━━━━。
「ありがとう。しかしそれには及ばない。私は……大丈夫だ」
箒の言葉に甘える自分が、許せない気がした。
「心配をかけたなら謝ろう。だが私も軍人の端くれ。この程度のことは、なんら問題ではない」
「………………馬鹿者っ!!」
瞬間、右頬に痛みが走った。殴られたと気付いたのはその数秒後だった。
「な、何を━━━━!」
「黙れっ!」
「………っ!?」
その一喝に圧倒されて、思わず言葉を呑んでしまう。
「いつまでそうやって意固地になっている! なぜそう意地を張る! 瑛斗とシャルロットがいなくなって寂しいのはお前だけではない! 簪も、一夏も…………私だって寂しい!」
箒のその目には怒りが籠っているように見えた。でもその怒りのわけが何なのか、私にはわからなかった。
「大方お前は、そんな情けないことを自分が言えるわけがないとでも思っているのだろうが、そんなこと関係ないだろう! 寂しいなら寂しいと、どうして言わない!」
「……………」
その言葉に俯いてしまう。
「……大丈夫なんだな? 寂しくないんだな?」
『寂しい』と、一言そう言えたら、どんなに楽か……。
だが、悔しいが箒の言うことは当たっていた。そんな情けないことを言うなど、私自身が許せなかった。
「なら私ができることはない。邪魔したな」
だから━━━━
「……って、くれ…………」
「………………」
「行か……ないで………。私を、一人に……しないでくれっ………!」
気が付いたときには私は箒の服の袖を掴み、声を震わせてながら泣いていた。
「ラウラ……」
「ずっと、寂しかった……! シャルロットも、瑛斗もいなくて……ずっと、ずっと…………!」
押さえていたものが一気に溢れだした。
「………最初からそう言えばいいんだ。まったく……」
箒は困ったように笑うと、私の背中に両手をまわした。そこが、限界だった。
「うわぁぁぁぁん………! あぁぁぁぁぁぁ……!!」
私は泣いた。眼帯が涙に濡れていくのを気にすることもなく。嗚咽を交えながら。
誰かの胸で泣くことが、こんなにも心地のいいものとは知らなかった。
箒は、私が泣き止むまで、ずっと傍にいてくれた。
◆
「……………」
ラウラと別れた箒が廊下を歩いていると━━━━、
「よ、お疲れさん」
曲がり角で声をかけられた。
「どう………だった?」
一夏と簪であった。箒は小さく息を吐く。
「ああ。もう大丈夫だろう。思いきり泣いていたからな。明日にはきっと元通りだ」
簪は箒に頭を下げた。
「ありが……とう。本当は、私が行くべき、なのに」
「気にすることはない。ラウラも、ちょっとやそっとでは素直にならない奴だ。自分で言うのもなんだが、私くらいでないとな……」
「うん。私じゃ、箒みたいには、でき……ないよ」
「そうそう。簪じゃあラウラをビンタなんてできない。随分と荒療治だったなぁ」
「なっ!? み、見ていたのか!?」
慌てる箒をよそに、二人は笑った。
「でも、これでラウラは大丈夫だな。あとは………」
「……瑛斗とシャルロットか」
「シャルロットも、心配、だけど………瑛斗が……」
「上手くやっているといいのが、本当にどこへ行ったのかわからないのか?」
箒は一夏に問う。だが当の一夏も肩を竦めた。
「わからない。そもそも俺たちは瑛斗がどこに行ったのかも知らないんだ。知ってるのは《セフィロト》の制御法を習得しに行ったってことだけ。楯無さんも千冬姉も何も教えちゃくれない」
「あの二人は、教えてくれないだろうな……」
一夏の言葉に箒も肩を落とす。
「………でも、きっと大丈夫」
しかし簪はそう言いきった。
「なんでわかるんだ?」
一夏が聞くと、簪は胸のあたりに手をやって答えた。
「瑛斗を……信じてるから」
「簪………。そうだな。瑛斗を信じよう」
「ああ。簪の言うとおりだ。瑛斗なら大丈夫だろう」
三人は、遠い、しかしどこかにいる瑛斗を想うのだった。
◆
「んっ、もっと……腰をっ、いれんか。……違う。もっと、じゃ。もっと深く。強くじゃ」
「こうか……なっ!」
「んんっ、そうじゃ。その調子で、どんどんやれ」
(なぜだ。なぜなんだ……!)
どうしてこうなったのか、わからなかった。
(どうして俺は……!)
「なんで農作業してんだよぉぉぉぉぉぉぉーっ!!!!」
そうだ。そうなんだ。なぜか知らんけど俺はいま鍬を持って畑をざっくざっくと耕している。
「音を上げとる暇はないぞ、瑛斗。まだ七割程しか終わっとらん」
その近くで草むしりをしているチヨリちゃんがご無体なことを言いおった。
「なんでだよ! なんでこんなほのぼのと農業しちゃってんだよ!!」
おかしいよね! 俺、全然違う事をしに来てるはずなのに!
「なんじゃ騒々しい。おぬしが耕した畑、なかなか悪くない出来じゃぞ」
チヨリちゃんが指差す先では、良い感じに耕されてる畑の『うね』が。
「お褒めに預かり光栄だよっ! そりゃね! そりゃあんな丁寧なレクチャー受けたらこうもなるわ!」
「ふっふっふ。いいトレーニングになっておろう?」
楽しそうに笑うチヨリちゃん。
昨日までの二日間、俺はこの小さな女の子の悠々自適な生活リズムに付き合わされていた。
朝飯食って、農作業して、昼飯食って農作業して、一緒に風呂入って、夕食を食べて、同じ布団で寝る。
俺の焦る気持ちとは裏腹に、のんびりした時間が流れている。
何が悔しいって、それを悪くないかも思い始めてる自分がいることだ。
俺は抗議を諦めて再び鍬で地面をざっくざっくと耕し始める。
「……わかったよ。この際だからもうやり通すよ。でもなんでこんなことをしなきゃならないのかっていうのは、そろそろ教えてくれても良いんじゃないか?」
チヨリちゃんは、こんなことをする理由を未だに何も話してくれていなかった。
「ふむ、まあそれくらいなら教えてもいいじゃろ」
しゃがんでいたチヨリちゃんは、腰をトントンと叩いて身体を伸ばした。
「あの部屋はの、連続で使うことはできん。三日に一回が限界じゃよ」
「なんで」
「そもそもおぬしの深層意識を呼び起こすのには、おぬしのセフィロトのサイコフレームをあの部屋と共振させる必要がある。サイコフレーム同士の共振はとてつもないエネルギーを発生させるんじゃ。それを受け止めるのは連続しては不可能なんじゃ。無理をすれば、あの部屋が爆発してしまう。その威力はワシにも計り知れん」
「爆発って……」
「とにかく、もう一度深層意識に入り込めるのは明日じゃ。今日はゆっくり農業でもしておけ」
「んな暢気な……」
俺が言おうとすると、しゃがんでいたチヨリちゃんは立ち上がって額の汗をぬぐった。
「ワシが、なんでこんな山の地下で、わざわざ農業しとると思う?」
「いきなりだな。なんでって言われても……食糧の確保?」
「それもあるが、もう一つある。こっちの方が重要じゃな」
「チヨリちゃん、考えても分からないようなことを聞いてこないでくれよ」
「……それもそうじゃの。簡単なことじゃ。『息抜き』じゃよ」
「息抜き?」
「ああ。行き詰った時、上手くいかない時、こうして直接的な関係を持たないことをして一旦忘れるんじゃ。おぬしもそうじゃろ?」
「……………」
「おぬし、ここに来るまでに何かあったようじゃな。それをどうにかしたくて躍起になっておる。しかしサイコフレームの制御……それが足枷になってどうすることもできない。違うか?」
まるでエスパーかなんかなのかみたいに人のことをズバズバ当ててきやがる。脱帽だぜ。
「……………その通りだよ。友達が大変なことになってるんだ。助けてやりたい」
「そのISの持ち主か」
チヨリちゃんが指差す俺の首には、いつもシャルがしていたように待機状態のラファールがかけられている。
「腕に一つ、首に二つ……一人で国を落とせるレベルじゃのぉ」
「はは。俺にそんな度胸はないよ」
「では、おぬしの言う『助けたい』とは、どういう意味じゃ?」
「そのままだよ。あいつは、きっと辛い思いをしてる。苦しんでるんだ」
「なぜわかる?」
「友達だから………!」
そこで俺は息を飲んだ。そうか。シャルがあの時怒った理由は━━━━!
鍬を地面に下ろす。もう『うね』は完璧に仕上がっていた。
「チヨリちゃん、俺はあいつを助けたい。それができるなら、国一つ━━━━フランスだってなんだって、相手にしてやるさ」
「その意気じゃ。気分はどうじゃ?」
「ああ。ますますやる気が出てきたよ。けど落ち着いてる」
そう言うと、チヨリちゃんは口元に薄い笑いを浮かべた。
「じゃあ、あの部屋に行くとするかの。ついて来い」
「え? 明日なんじゃないのか?」
歩き出すチヨリちゃんを呼び止める。
「本当は一日にいくらでも使える。おぬしは冷静さを欠いておったから、あえて使わせなかったんじゃよ」
そしてチヨリちゃんは縁側にあがった。
「どうしたー、はよ来んかー」
奥からチヨリちゃんが俺を呼んでいる。
「……かつがれたみたいだな、どうやら」
俺はやれやれと頭を振り、それについて行った。
「では、準備はよいな」
研究所の部屋の前に着いたチヨリちゃんは、横に立つ俺に聞いてきた。
「おう。いつでもいいぜ」
「では……!」
チヨリちゃんが扉を開けると、以前と同じように部屋の真ん中に椅子が置かれている。
「よし……」
部屋に一歩踏み出す。なんかちょっと緊張してるな、俺。
「瑛斗、アドバイスは忘れてはおらんな?」
「否定するな。目を背けるな。だろ? わかってるよ。行ってくる」
そして俺は椅子に座った。
次の瞬間、部屋は輝き出して、俺の意識は吸い込まれた。