IS〈インフィニット・ストラトス〉〜G-soul〜 作:ドラーグEX
「う……」
目を覚ますと、俺はどうやら保健室に寝かされていたらしく、最初に目に入ったのは天井だった。
「いててて……」
殴られた右頬には湿布が貼ってある。
「あ、気がついた?」
その視界に、楯無さんが入り込んでくる。
「……楯無さん、近いです」
しかしその顔と顔の距離が近すぎる。
「……ふふっ」
なぜか俺を見つめたままの楯無さん。その目が綺麗で、吸い込まれそうになる。
「あの……あのあとはどうなったんですか?」
俺が問いかけると楯無さんは顔を離して近くの椅子に座った。俺も体を起こして楯無さんの顔を見る。夕日をバックにしたその姿はどこか神秘的だ。
「あのあとって、どこから?」
「どこからって……俺が気絶してからですよ」
「え……」
すると楯無さんはショックを受けたように顔を俺から逸らした。
「憶えてないなんて……ひどいわ!」
「はい?」
「瑛斗くん、見かけによらず大胆だったんだから……」
「あ、あの~? 俺は一体何をしたんでしょ?」
「言えるわけないじゃないの……あんな激しいこと」
「何だ!? 俺は一体なにをしたんだ!?」
「なにって、その……」
楯無さんが恥ずかしそうに俯く。
「瑛斗くんが、おねーさんが介抱しようとしたら、急に人が変わって…………」
その時、俺の直感が告げた。
『とにかく謝れ!』と。
「すいませんでしたぁぁぁっ!」
ベッド上でこれ以上ないほど全力の土下座。なにをしたのかなんてこの際二の次! 今はとにかく謝り倒すんだ!
「ちょ、え、瑛斗くん?」
「ごめんなさいごめなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃっ!」
そりゃもうもの凄い力で頭を擦り付ける。
「━━━━ぷっ」
「?」
楯無さんが突然吹き出し、俺は顔を上げる。
「あはははははっ!! うん! それだけ元気ならもう大丈夫みたいね」
「え?」
「瑛斗くんはダリル先輩に負けてからずーっと気絶しっぱなしだったわ」
「へ? え、てことはつまり……」
「うん。おねーさんのドッキリに引っかかったの。きゃは☆」
星が出るウインク一つ。楯無さんはカラカラと笑い出した。開いた扇子には『成功』の文字が。
「もぉ~………脅かさないでくださいよ」
俺は恨めし気に楯無さんを睨む。
「ごめんごめん。想像以上に面白い反応だった━━━━」
「桐野ぉっ!」
「「!」」
ドアが勢いよく開かれた。
「ちょ、ちょっと先輩! 待って! 待ってっす!」
止めるフォルテ先輩を無視してずんずんと部屋に入ってきたのは、ダリル先輩だった。
「な、なんですか?」
「ど、どうしました?」
突然のことに俺と楯無さんは驚く。
そんなことはお構いなしにダリル先輩は俺の前に仁王立ちした。その隣でフォルテ先輩がアワワ……と落ち着かないでいる。
「え……えっと~?」
狼狽する俺を見下ろしながらダリル先輩は続ける。
「フォルテに謝れ」
「え……」
「聞こえなかったか? フォルテに謝れって言ってんだよ」
「……あー……」
俺はチラ、と楯無さんを見た。
しかし楯無さんは視線を逸らしやがる。おのれぇ……!
俺は妙な緊張を覚えながらダリル先輩に顔を向けた。
「えっと……ですね。ダリル先輩」
「なんだよ」
「その、今日の試合………どうでした?」
「は?」
「いやだから、今日の試合の感想です」
「感想って……そりゃ、久々に燃えるファイトだった。やっぱり射撃云々なんかより接近戦だな」
「ハウンドは、素晴らしい機体ですか?」
「まあな。これからも世話になるつもりさ」
その発言に一番反応したのはフォルテ先輩だった。
「じゃ、じゃあ!? 先輩! 卒業後の進路は!?」
「予定通り、軍のIS機関でテストパイロットだけど?」
「~~~~~っ……! ダリル先ぱぁい!」
フォルテ先輩はダリル先輩に抱き着いた。
「わっ、ちょ、おいフォルテ! なんだよいきなり!」
「よがっだぁ~! よがっだっす~!」
おいおいと泣きながらダリル先輩に顔を押し付けるフォルテ先輩。
「な、なんだ? 私変なこと言ったか?」
状況を把握できていないダリル先輩に俺は声をかけた。
「俺たち、フォルテ先輩から聞いたんですよ」
「聞いた? 何を?」
「何って、そんな隠さなくていいんですよ。プロボクシングのスカウトのこと」
「え……」
虚を突かれたふうの先輩に楯無さんが続ける。
「実は、先週からの瑛斗くんの態度はお芝居だったんです」
「芝居?」
「ダリル先輩がISを手放すって話を聞いて、先輩にまたISに関心を持ってもらおうってことでフォルテ先輩と芝居を打ったんですよ」
「え? ……え?」
「ですから、俺がフォルテ先輩をボコったのも嘘。ただフォルテ先輩に包帯巻いて絆創膏貼っただけです」
「………………」
ぽかーんとするダリル先輩。
「えっと……つまり……?」
「つまり━━━━こういうことです」
楯無さんが扇子を広げる。そこには『テッテレー』と達筆な筆字。
俺は満面のドヤ顔で告げた。
「作戦……大! 成! 功!」
「…………………」
ダリル先輩はわけがわからないと言った感じで沈黙している。
「ま、これで俺も悪役をやらなくて済むんでよかった━━━━」
「なあ」
「はい?」
ダリル先輩が俺の言葉を遮った。そして、想像もしていなかった一言を言い放った。
「……何の話?」
…………………。
「「「……え?」」」
「悪い。え、何? 話が全く見えない」
ダリル先輩は首を捻っている。
「え、な、何言ってるんすか! 先輩がプロボクシングのスカウトに応えたって聞いて、私は気が気じゃなかったっすよ!」
「あー……あれな。断ったぞ」
「断った!? すか!?」
「ああ。断ったぞ。言われたその場で」
「じゃ、じゃあなんで私が聞いた時は誤魔化したっすか!?」
「そっ、それは……!」
「それは、なんすか!」
「お……お前との、約束があるから……」
「え……」
「恥ずかしかったんだよ! お前に正面から言うのが……!!」
「せ……先輩……!」
「……フォルテがやられたって聞いてから、冷静じゃなかったな、私。おかしいと思ったんだよ。お前の回復が妙に早かったからさ。こういうことだったんだな」
「ご、ごめんなさいっす……」
「いいんだよ。私のことを思って、やってくれたんだろ? それが嬉しいよ」
「先輩……!」
フォルテ先輩の三つ編みを撫でるダリル先輩。見ていて微笑ましい。
微笑ましい━━━━━━━━が!!
「あのー、ほっこりした雰囲気みたいですけど、良いですか?」
俺は手を上げて向き合う二人の注意を惹いた。
「え、てことはなんですか? フォルテ先輩の勘違いのおかげで、俺はノリノリで悪役やって、ダリル先輩の怒りを買って、思いっきりぶん殴られたってことですか?」
「ああ。そういうことになるな」
ダリル先輩がさらっと言った。
「そうか。そうかそうか。良かったじゃないですか先輩。ただの勘違いだったみたいで」
俺はにこやかな表情でフォルテ先輩の目を見る。
「き、桐野……? な、なんだか瞳孔が開いてるっすよ……?」
「そんなことなフザケンナァッ!」
「ぎゃー!」
俺はフォルテ先輩に飛びかかった!
「はいストップ」
「げふっ!?」
楯無さんの拳が俺の鳩尾に入った。
「ここは保健室よ。静かに」
「も……もっと他の止め方あるでしょお………!」
「それじゃ、フォルテちゃんたちはもう行っていいですよ。お騒がせしました」
そう言って楯無さんは二人に帰るように促す。
「そ、そうか。それじゃお言葉に甘えさせてもらうよ」
ダリル先輩はそう言って出口へ向かって歩き出す。
「あ、そうだ。桐野。ほら」
ダリル先輩がポケットから何か取り出して俺に放った。
「デザートタダ券だ。お前にやるよ」
「え」
「私は甘いもんはそんなに好きじゃないからな」
フォルテ先輩が食いついた。
「ずるいっす! どーして私じゃないっすか!」
「お前は今回の一件の原因だろうが。罰だ」
「ぶーぶーっす!」
そんな会話をしながら先輩ズは保健室から出て行った。
「よかったじゃない。デザートタダ券ゲットよ」
「微塵も嬉しくねえー………」
俺はグダーッと突っ伏した。
「それにしても、フォルテちゃんの勘違いだったなんて不運だったわね」
笑みを浮かべながら言う楯無さんを俺はジトーッと見る。
「……楯無さん、知ってたでしょ」
「あら? なんのことかしら?」
「とぼけてもダメですよ」
「きゃ、怖い怖い」
そう言って楯無さんは椅子から立ち上がった。
「それじゃあ私も行くわ。瑛斗くんも先生から検査の話を聞いたら出てきていいから」
「は、はぁ」
「じゃね」
楯無さんも行ってしまった。
「………………」
保健室に残ったのは俺一人。他のベッドも使われていない。先生もこの時間はいないから完全なロンリーだ。
楯無さんの足音が消えたのを確認して、
「すぅ……」
思いっきり息を吸う。そして、叫んだ。
「なんか納得いかねえぇぇぇぇっ!!」
この、胸いっぱいの感情を。
◆
「……ったく。とんだ骨折り損、もとい殴られ損だったぜ」
卒業マッチの夜。俺はこれまでの経緯をみんなに愚痴混じりに話してから食後のデザートの苺パフェを食っていた。
「そう? 先輩からタダ券もらえたんだから良かったんじゃない?」
鈴が杏仁豆腐を食いながら俺を見る。
「まあ、貰ったからにはありがたく使わせてもらうけどよ」
俺は上着のポケットから財布を取出し、一枚のカードを取る。件のデザートタダ券である。
「ちょうど卒業式の日までなんだね」
シャルが俺の手元を覗き込む。そんなシャルの前にはチーズケーキが。
「しかし、瑛斗。今日の試合は残念だったな」
「あとちょっとだった……」
ラウラと簪が俺の今日の試合について話題を振る。ちなみに二人もそれぞれチョコプリンと抹茶パフェを食べている。
「ああ。まさかボクシングを引っ張って来るとは思ってもみなかったからな」
ダリル先輩のあの戦い方は一度も見たことがなかったし、ハウンドシリーズ系統では考えられない戦闘法だったから面喰っちまってあの時の俺の心情は穏やかではなかった。
「データだけが全てではないと痛感したな」
「へーへー、おっしゃる通りで」
ラウラの悪戯っぽく言う言葉に頭が上がらない。
「瑛斗も頑張ったみたいだけど、お兄ちゃんも頑張ったんだよ!」
手にショートケーキの刺さったフォークを持ちながらマドカが言った。
「負けちまったけどな」
はは、と一夏は苦笑しながらコーヒーゼリーを口に運ぶ。
「雪羅で結構追いつめたんだが、やっぱ経験の差だな。最後はエネルギーが切れて白式に戻ったところをめった打ちにされたよ」
「まったく、あれしきの試合で勝てなくてなんとする」
箒が一夏にお小言を言いながらあんみつを食べる。
「そうですわ」
パウンドケーキを食べていたセシリアが珍しく箒に同調した。
「相手は三年生の先輩だったとは言え、一夏さんが勝てない試合じゃありませんでしたわよ」
「お、おお」
「明日からにでもわたくしが訓練をつけて差し上げますわよ?」
「ま、待て! それは私の仕事だ!」
箒がセシリアに食って掛かる。
「ちょっと! 私にもやらせなさいよ!」
鈴もそれに加わっていつもどーりな感じになる。
「……どうでもいいけどよ」
俺はパフェの下の方のアイスを掻き出しながら言う。
「お前ら、俺のデザートタダ券活用し過ぎじゃね?」
『ごちそうさまでーす』
八人の声が綺麗に揃ってた。
卒業式まであと数週間。何事もないと思っていた。
思って……いたんだ。