リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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またもクアットロ回。
あっさり終わらせる気だったのに、何かコイツ書いてると愉しくて筆が乗ってしまう作者です。


副題 続・外道無双
   デンジャラスクロノくんタイム


第十五話 地獄が一番近い日 其之弐

1.

 空から降り注ぐ雨は赤い。

 血の様な赤と共に流れ落ちるは、ヘドロの如くに濁った黒。

 

 赤い雨は強酸の如くに全てを溶かす。全てを穢し貶める魔群の毒は一度浴びれば、魂さえも消耗させていく。

 その雨の中で飛び交う黒は、悪食に狂った無数の蝗。その鋭い顎門に喰らい付かれたが最後、その身は肉片さえも残さず貪り喰らわれるであろう。

 

 嵐の如くに飛び交う致死の毒。間近に迫る捕食の顎門。

 その只中に取り残された彼らは、恐怖に怯えて震えていた。

 

 上質なスーツに身を包んだ紳士たち。

 上品な宝飾品で身を着飾った淑女たち。

 立食会に参加していた有力者たちは今も、その地獄の中で生きている。

 

 彼らには身を護る術がない。

 彼らには助かる為の手段がなかった。

 

 それでも、そんな彼らが今も生きている。

 其処には、その理由には、ある一人の男が奮闘する姿があった。

 

 

「随分と、頑張りますねぇ」

 

 

 関心と呆れが等分に混ざった様な声音で、クアットロの分体が嗤う。

 魔蟲形成によって作り出された彼女の影は、マルチタスクによってまるで別の場所で全くの同時に活動できる。

 

 物量。圧倒的な数の暴力。

 

 単純な量において、クアットロと言う女は超越の領域に手を伸ばしている。

 無限に湧き出すかの如く増殖を続ける魔群を前に、生半可な個の強さなど意味を為さない。

 

 

「け・ど・もう限界かなぁ? それとも、とっくに限界は過ぎていてぇ、死に物狂いに喰らい付いているだけとかぁ?」

 

 

 蟲は増える。蟲は増え続ける。

 初撃として撃ち込まれた偽神の牙。それによって生じた死者の躯を苗床にして、腐臭と共に魔蟲の群れは増え続けている。

 

 無残な躯を見る度に、力のなさを思い知らされる。

 ホテルに勤めていた従業員。己の配下である局員達。巻き込まれた多くの犠牲に胸を痛めて、故にこそ男は意志を強くする。

 

 

「なぁんか言ったらどうですかねぇ? 無様で情けない、嘘吐きの英雄さん」

 

 

 クアットロの嘲笑に、返す言葉はない。

 そんな言葉を返す余力さえ、今の男には欠けていた。

 

 既に初撃にて重体。魔群の最大火力を防ぎ切れなかった身体は、多くの骨を砕かれて、多くの内臓を潰されて、今にも意識が遠のきそうな状態だ。

 

 流した血の量に視界は霞んで、白き和服は赤が入り混じった斑模様。

 その肩に羽織った将官用のコートは穴だらけ、度重なる魔法と異能の行使に脳は焼き切れそうになっている。

 

 続く襲撃を防ぎ切れる余裕はない。

 まだ続く戦いを生き延びる道理などない。

 全身に負った傷口は、今尚降り続く雨に打たれて広がっていく。

 

 それでも――

 

 

「……はぁ、はぁ」

 

 

 クロノ・ハラオウンは揺るがない。

 既に限界を半歩超えた有り様で、されど胸に燃やす想いを糧に支配の力を行使する。

 

 その背に、血の雨は届かせない。

 暴風を生み出し操り、雨の降る向きを変えている。

 折り重なる風が空気の層を生み出して、血の雨が生み出す被害を防いでいる。

 

 その後背に、牙を剥く蟲の群れは通さない。

 今にも喰らい付かんと襲い来る蝗の群れが、何かに弾かれる様に止められる。

 弾丸の如き速度で飛翔していた蟲の群れが、気付けばまるで別の場所へと飛ばされていた。

 

 

「守るさ。守り抜いて見せる」

 

 

 言葉を口にする度に、吐きそうになった血反吐を飲み込む。

 

 その生身と鋼鉄。

 二つの両手で操る力は空間支配。

 万象遍く掌握する力が生み出すのは、後背を守る絶対安全圏。

 

 この安全圏は犯させない。

 この支配圏は奪わせない。

 

 失った命に報いる為にも、手に拾えた命は必ず守り抜く。

 

 

「僕を侮るな。クアットロ」

 

 

 着流しの上に羽織った穴だらけのコートが風に揺れる。

 恐怖に震え怯える有力者達を守るクロノは、その力強い背中を彼らに向けていた。

 

 

「……全く、愚かですねぇ」

 

 

 その姿を愚かと称して、啖呵を切られた女は蔑みの色を瞳に宿す。

 彼の行動は愚かだ。もっと効率よく合理的に動けば或いは自分に届くやも知れないのに、下らない情に揺り動かされる男の姿は愚かと言うより他になかった。

 

 

「そんな足手纏い。さっさと見捨てていれば、此処から逃げ出す事だって出来たのに」

 

 

 最初の一撃。偽神の牙を受けた時、男は即座に空間を跳躍した。

 されど此処は鳥籠の中、逃げられる場所は限られていて、男が跳躍した先は地下四階。

 

 逃げられない事を悟った彼は、即座に防御の為に全霊を賭した。

 パーティー会場に居た人々を魔法と異能を以って作り上げた防御障壁で守りながら、その身さえも盾にして、頭上より降り注ぐ破壊の力に耐え抜いたのだ。

 

 

「両手に一杯抱え込んで、動けなくなるなんて愚の骨頂」

 

 

 その結果がこの状況。

 呼吸さえも苦しい程に追い込まれて、更に魔群の追撃を受けている。

 

 もしも彼が最初から自分の身だけを優先して、その守りを己だけに使っていたら。

 もしも彼が最初から反撃の瞬間さえも視野に入れて、人々の身体を盾に潜伏していれば。

 

 その場合はこうも容易くはいかなかっただろう、とクアットロは確信する。

 最大火力を耐えきって、そしてこうして未だ後背を守るだけの力を残しているのだから、彼が己に勝つ事だけを思考していれば、或いはこの()()を破壊されていたかもしれないのだ。

 

 だが、そんなものは最早あり得ぬ過程の話。

 彼、クロノ・ハラオウンは最も愚かな選択をしているのだから、最早己の敵足り得ないのだ。

 

 

能力対処限界(キャパシティオーバー)ですよ。貴方一人や、或いは数名ならば兎も角、それだけの人数を抱えたまま、この私から逃げ出せよう筈がない」

 

 

 雨が届かぬ様に風を操り、魔群に食われぬ様に空間を歪める。

 それだけで手一杯になっている。それ以上には手が伸ばせなくなっている。

 

 それが故の能力対処限界。その代価として、男は一切の余力を失くした。

 如何に等級拾の歪み者とは言え、同時に対処できる物事は多くはないのだ。

 

 何よりもクアットロが愚かだと思う事は、そんな対処限界を超えた事を今尚続けている事。

 

 後背に守る人々を見捨てれば、今からでも逃走くらいは出来るであろう。

 この男の底知れなさも考慮すれば、或いは数名は連れて脱出できるやも知れない。

 

 だと言うのに、全てを守り続けている。

 絶対にそんな事はやり通せないと分かるだろうに、それを貫こうとする。

 

 その姿が余りにも愚かしいから、失笑さえも浮かばない。

 

 

「何やら念話で企んでるようですがぁ、結局全部無駄です。ざ~んねんでしたぁ!!」

 

 

 そしてそんな状況を覆そうと、念話で仲間と連絡を取っている。

 その強かさは結構だが、出来る事と出来ない事を割り切る合理性もなく、それで己に勝ろうとする思考は腹立たしさすら感じる愚かさだ。

 

 

「……そうか」

 

 

 だから苛立ち紛れに掛けた嘲笑に、返す男の言葉は澄ましたもの。

 

 

「だから、どうした」

 

 

 理屈は要らない。合理性など必要ない。

 ホテル内に居た人々全てを守る事は出来ず、出来たのは手の届く場所に居た人達を庇う事だけ。それでも、救えた者は居たのだ。

 

 ならば、その行いに迷いはない。

 男の内に全ての人を守れなかった後悔はあっても、今守る人を見捨てない選択をした後悔などは欠片もない。

 

 故に守るべき人々に背を向ける男は、血で霞んだ瞳で強く前を見据えていた。

 

 

「…………へぇ、未だそんな強がり言えるんですねぇ」

 

 

 嗚呼、忌々しい。嗚呼、腹立たしい。

 そんな風に強がって、愚かなままで突き進む姿に、耐え難い程の苛立ちを感じる。

 

 何よりも忌々しいのは、彼がそれでいて諦めていない事。

 クロノ・ハラオウンは、この詰んだ状況でも己に勝とうと足掻いている。

 

 嗚呼、何て向こう見ずな無知蒙昧。

 それで己を乗り越えようなど、余りにも増長が過ぎるであろう。

 

 

「なら良いですよ。何時まで強がっていられるか、試してみましょうかっ!」

 

 

 それが余りにも許せなかったから――

 

 

 

 クアットロの悪意は、その意志すらも砕かんと牙を剥いた。

 

 

 

 蟲が騒めく。降り注ぐ雨の中、蟲がキシリキシリと騒めいている。

 

 

「さあさあ、紳士淑女の皆様方!」

 

 

 蟲で出来た白衣の女は嘲りを顔に張り付けて、その両手を大きく広げて声を上げる。

 

 女の悪意が向けられる先、それは立ち向かう男であって彼ではない。

 クロノと言う青年の意志を凌辱する為に、まずは彼が守る者たちを踏み躙るのだ。

 

 

「貴方方は理不尽に、不条理に、無作為に、その命を奪われようとしております!」

 

 

 降り注ぐ雨が勢いを増す。喰らい付かんとする蟲の群れがその数を増す。

 前衛に立つクロノ・ハラオウンを完全に無視して、その悪意を人々へと届かせんと苛烈に迫る。

 

 

「ですがご安心を、貴方達の目の前には英雄が居る。貴方方が勝てると信じ、今なお貴方方を守っていらっしゃる英雄が存在しているのです!」

 

 

 だが通らない。だが通じない。

 その前に立つクロノが決して、襲い来る害意を背後に通す筈がない。

 

 空を飛翔する蟲の群れは落とされ続けて、赤い雨は防がれ続ける。

 そんな現状を認める様に口に出して語りながら、クアットロはニヤリと張り付く笑みを浮かべた。

 

 

「……何を」

 

 

 その一種異様な行動に、クロノも疑問の声を其処に漏らす。

 一体何を考えていると言うのか、その問い掛けに対する答えは――

 

 

「そう。英雄クロノ・ハラオウンは、必ずや悪辣なる魔群を打倒し、皆様方を救い上げるでしょう。……ただし」

 

 

 最悪の形で明かされる。

 その女の悪意は、其処で真なる姿を見せた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ! 貴様っ!?」

 

 

 クロノも其処で、敵の狙いに漸く気付いた。

 クアットロ・ベルゼバブと言う外道は、彼らに共食いをさせようとしているのだ。

 

 

「そう! 皆様方は多過ぎる! さしもの英雄でも守り切れぬ程に、その数は多いのです!!」

 

 

 降り頻る雨が勢いを増したのも、襲い来る魔群の数が増えたのも、全ては彼らの理性を削ぐ為に。

 冷静な思考力を奪い、狂乱状態に陥れ、そして互いに相食む様に食い合わせる。

 

 

「故に、故に故に故に! 助かりたければ、間引きましょう! 救われたければ、殺しましょう!」

 

「聞くなっ! 戯言だっ!!」

 

 

 女の語りを遮る様に男が口にするが、一度広がった悪意は拭えない。

 今更耳を閉ざしても最早手遅れ、一度そんな言葉を聞かされてしまえば、どうしても可能性を思考してしまうのだから。

 

 その毒はまるで蜜の様。

 殺せば助かると言う偽りの希望は、余りにも甘い誘惑過ぎて拭えない。

 

 

「決して罪ではありません。これはカルネアデスの板! 緊急避難の為に行われる行為は、悪ではなく生物が行える当然の権利ですものっ!」

 

 

 動揺が走る。民衆が揺れ動く。

 そうしなければいけないと言う錯覚が生まれ始め、そうすれば助かるかも知れない可能性が見えて、そう動いても咎められない状況が積み上がる。

 

 ならば衆愚と化しつつある人々が、一体その悪意にどれ程に抗えるのか。

 

 

「汝、隣人を殺せ! 汝、隣人から奪え! そうすればきっと、貴方達の英雄が助けてくれるわよぉ!」

 

 

 守られている人々が迷う。

 そうするべきなのではないか、と言う毒は染み込んだ。

 

 

 

 それでも、理性がある限りは最悪の展開にはならない。

 疑念や希望だけで即座に殺し合う程に、彼らのモラルは崩壊していない。

 

 故に、最後の一手。そのモラルさえも壊し尽す危機を与えてあげよう。

 目の前に死の危険が迫れば、そんな余裕など一瞬で崩れ落ちる筈だから――

 

 

「それが出来ないならぁ」

 

 

 ニヤニヤと悪意に満ちた嘲笑を張り付けたまま、クアットロは致命的な一手を其処に刻み込んだ。

 

 

「み~んな。こんな風に弾けて死ぬのよ!」

 

 

 パァンと、軽い音と共に鮮血が舞う。

 膨らんだ風船が弾け飛んで、血と臓物を貪りながら中から蟲が湧き出してくる。

 

 鮮烈なまでの死を間近に受けて、クロノは一瞬思考が停止した。

 

 

 

「っ!?」

 

 

 守られていた筈の人が膨れ上がって、弾けて破裂して飛び散った。

 何をされたのかを理解出来ず、何が起きたのかを知る為に、クロノのマルチタスクが最高速度で回り出す。

 

 

(守りは抜かれてない! 蟲は一体も通してないっ! コイツはっ!!)

 

 

 回る思考が出した答え。それはとても単純な解答。

 クロノの守りは抜かれていない。それは最初から、其処にあっただけの話だったのだ。

 

 

(最初から、仕込んでいたっ!!)

 

 

 そう。クアットロ=ベルゼバブは、最初から仕込んでいた。

 この立食会が計画され、参加者が決まった瞬間から、この女は“卵”を仕込んでいた。

 

 それが結果のこの事態。

 それを読み取れなかったが故の不手際。

 

 そんな悪意の結果が、最後の一手として彼らの理性を砕き尽くした。

 

 

「そんな、嘘、だろ」「え、死んだ……」「いや、いやぁぁぁ!」「そんな、ここなら安全だったんじゃ」「助けろ。私を助けろぉぉぉぉぉ」「私は、死にたくない、だから」「お前、今何をしようとした」「儂を誰だと思っているんだ、さっさと儂の為に!」「ふざけるな! コイツ俺の事狙ってやがる」「嫌だ嫌だ。あんな死に方だけは嫌だ!」「こいつらが居るから、そうよ。私だけでも」

 

 

 凶行は次なる凶行を生む。

 一瞬の思考停止が生み出すのは、共に相食む地獄の底。

 

 

「Oh Amen glorious!」

 

 

 悪辣なる外道が哄笑を上げる中、遂に共食いが始まってしまう。

 既に互いに傷付け始めた彼らは、最早行きつく先に行くまで止まれず――

 

 

「万象っ掌握っ!」

 

 

 そんな彼らの暴力を、力尽くで妨害する。争えない様に、空間支配で動きを止める。溢れかえった蟲の群れを、掌握して結界より転移させた。

 

 

「落ち着けっ!!」

 

 

 マルチタスクを以って、植え付けられた“卵”を解析して転移させる。

 見つけ出せぬモノには干渉させぬ為に己の異能の質を高めて、彼らに対する支配権を奪い取る。

 

 そうして安全を確保した青年は、未だ恐慌の中にある人々に向かって言葉を投げ掛けた。

 

 

「恐れるのは分かる! 怖がるのは分かる! 戸惑うのも分かる! だが!!」

 

 

 相食む地獄の果てには、あの外道が望む結末しか訪れない。

 その結末を望まぬからこそ、クロノ・ハラオウンは言葉を重ねる。

 

 

「僕を信じてくれ!」

 

 

 守り抜く。もう奪わせない。

 もう干渉はさせない。これ以上はやらせない。

 

 彼らが安心できる様に、偽りだらけであろうとも英雄と言う仮面を此処に見せる。

 

 

「もうっ、やらせない! 二度と、取り零すものかっ! この手が届く領域、その万象、決して取り零しはしないと誓うっ!!」

 

 

 もう二度とは奪わせるモノかと、誇りと命を賭して此処に誓う。

 

 

「その覚悟がある! だから!」

 

 

 もう好き勝手にはさせないと誓い、その覚悟を此処に示す。

 

 

「もう一度だけで良い。この僕を信じてくれ!」

 

 

 真摯に告げるその言葉に、誰かを罵倒する声は治まっていく。

 誰かを呪う様な言葉は、目の前の英雄を応援する声援へと変わる。

 

 皆、分かっている。誰が本当の悪であるかは。

 皆、分かっているのだ。己を守る英雄の姿は。

 

 だから、この瞬間に偽りではない希望を抱く。

 彼がそう誓うならば、きっと。そんな希望は膨れ上がって。

 

 

「う~ん。ナイス演説。だ・け・ど」

 

 

 女の予定通り、それは此処で絶望に変わった。

 

 

「後ろに意識を向け過ぎよぉ」

 

「がっ!?」

 

 

 溢れ出す魔蟲の群れ。

 吐瀉物と共に口から零れ落ちるのは、魔群と呼ばれし蝗の群れ。

 

 それは、クロノ・ハラオウンの内側から溢れ出していた。

 

 

「アハハハハ! どうかしらぁ、腸の中から直接蟲が湧き出してくる気分はぁ!?」

 

 

 胃と腸より発生し、食道を遡って溢れ出す蟲の群れ。

 嘔吐で焼き付くよりもひりつく感覚と、身体の中を内側より貪り食われる痛みに悲鳴すらも上げられない。

 

 

「がっ、げぇぇっ、ぐぇっ!?」

 

 

 吐き出す。吐き捨てる。

 湧き出し続ける蟲は際限なく、込み上がる血の混じった吐瀉物は、何時しか生きた蟲の塊に変わっていた。

 

 

「ウフフ。アハハ。アアアハハハハハハッ!!」

 

 

 皆の希望を背負った男が蹲り、無様に嘔吐くその姿。

 恐怖と絶望に染まる人々の表情を肴に愉しみながら、クアットロ=ベルゼバブは狂った様に笑い続けていた。

 

 

 

 何が起きたのか、答えは単純。

 卵を植え付けられていたのは、有力者達だけではなかったのだ。

 

 そう。最初から罠に掛かっていたのは、クロノ・ハラオウンも同様だった。

 

 卵と言っても、魔群のそれは蟲の卵と言う訳ではない。

 周囲に満ちる蟲の群れは、即ち魔群の血液を媒介として呼び出された悪なる獣。魔群の血より生まれし怪異である。

 

 魔群の力は血に宿る。

 その血を媒介とし、その力を発揮する。

 

 故にこそクアットロは、立食会の食事に己の血を混ぜていた。

 エリキシルによって傀儡となった感染者を使い、最初からその仕込みを終えていたのだ。

 

 

「隙だらけ。幾ら同格でも、そんなに油断していたら幾らでも干渉できちゃうわよぉ」

 

 

 だがそれは、絶対に勝利出来る秘策ではない。

 仕込んだ卵とて、羽化させる為の干渉をせねば門にはならない。

 

 その干渉する力に対して抗えば、同格ならば防げる単純な罠でしかなかった。

 だからこそ、こうしてクロノが膝を屈しているのは、自分よりも他人を優先し過ぎたからに他ならない。

 

 

「このまま、腸から貪り食われて死んでみるぅ?」

 

「げっ、がっ!?」

 

 

 それでも、未だ後背の守護を続ける男。

 馬鹿を見るかの如き冷たき視線で、男を見下すクアットロに慈悲はない。

 

 身体の内側に開かれた門は塞ぐ事も出来ず、このまま内より食われて終わる。

 彼が死ねば、彼に希望を抱いた人々は、今度こそ絶望の果てに理性を失くして殺し合うであろう。

 

 その瞬間が訪れる時を、今か今かと待ち侘びる女は、恍惚とした表情を顔に浮かべて。

 

 

「っっっ! なっ、めるなぁぁぁっ!!」

 

「舐めてないわよぉ。だ・か・らぁ、はいドーン!!」

 

「がぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 内側に開いた門ごと外部へと転移させて立ち直った青年の頭上に、次々に降り注ぐのは偽神の牙。

 無数に枝分かれした悪魔の咆哮が、青年の身体をまるで蹴鞠の如くに打ち据え続ける。

 

 

「そらそらそらそらぁ、今度は自分の身体ばっかりぃ、後方注意怪我一生ってねぇん!」

 

「っっっ!」

 

「あらあら凄い。身を挺して人々を守るなんて、管理局員の鏡ねぇ!」

 

 

 苛烈な砲撃の中に混じるは、後背襲撃。

 一瞬でも己を顧みれば後方を襲われ、身体を張ってそれを庇えば次に来るのは容赦のない連続攻撃。

 

 既に重症を負っていた身体は、絶え間ない蹂躙にさらされて最早死に体。

 外部も内部も蹂躙され尽くして消耗していく英雄の姿に、誰もが心を恐怖で震わせていた。

 

 

「ほんっと、バッカみたい」

 

 

 詰んでいる。終わっている。

 最早この男に、一体何が出来ようか。

 

 

「皆、皆、顔と名前しか知らない皆。君達を守る為に、僕はこんなに傷付いてる!」

 

 

 嗤う女の悪意を前に、最早男に出来る事など何もない。

 唯、見捨てられないと両手に荷物を抱いたまま、最期の時を迎える迄奮闘する。

 

 

「誇りある管理局員として、決して要救助者に優劣なんて付けたりしない! 誰も犠牲にしないで必ず、助けてみせるから僕を信じて!」

 

 

 その結末が、これだ。

 その結果が、これなのだ。

 

 

「……それで、結局その様じゃ意味ないわよねぇん」

 

 

 襤褸雑巾と化した青年を踏み躙りながら、クアットロは笑い続ける。

 その愚かしさを馬鹿にして、その意志を下らないと嘲笑って、その在り方を無様と嘲弄する。

 

 

「貴方は所詮、下らない偽善者。身の丈に合わない願望に押し潰された理想主義者。合理的な判断すら出来ない愚か者」

 

 

 そうして、嗤い続けるクアットロは、その手に巨大な魔砲を生み出す。

 それは最初に撃ち放った偽神の牙。男には防ぐ事の出来ない、全てを決する最大火力。

 

 これにて全てが終わる。

 嘲笑われたまま、クロノと言う男は此処で命を落とすのだ。

 

 

「おめでとう。正義の味方。……貴方のお陰で、みぃんな死ぬわ」

 

 

 せめて安らかに眠れ(レストインピース)正義の味方(ジャスティスヒーロー)

 お前の存在の愚かしさは、何時までも覚えて嗤い続けてやろう。

 

 クアットロは悪辣な笑みを浮かべたまま、その手を振り下ろした。

 

 

「……正義の味方、か」

 

 

 迫る死の咆哮を前に、男は呟く。

 死に掛けた身体を生かす歪みの力を感じながら、クロノはニヤリと笑って言葉を返した。

 

 

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

 

「はぁ?」

 

 

 意味が分からない。訳が分からない。

 目前の終焉を前にして、遂に気が触れたのか。

 

 そう困惑するクアットロを鼻で嗤って、クロノはその手に印を切った。

 

 

「合理性がない偽善者。理想に溺れた正義の味方。そんな言葉はな、褒め言葉にしかならないんだよ、クアットロ」

 

 

 放つ力は計都・天墜。

 偽神の牙とぶつかり合った彗星は、しかし僅かな拮抗を作るだけ。

 

 歪みの補助も一切なしに、落下すると言う本来の形を歪めて頭上に放つ。

 そんな形で行使された不完全な術は、魔群の最大火砲を前に抗う程度の力しか持ってはいなかった。

 

 

「……貴方、行き成り何言ってるの?」

 

 

 そんな絶望的な状況下で、それでも強気に笑う男の精神が理解出来ない。

 もう詰んでいる状況下で、それでも揺るがずにある男の在り方が分からない。

 

 

「簡単な話さ。お前の非難した行動、その全てに僕は誇りを抱いている」

 

 

 何故、こうも揺るがない。

 何故、こうも強く在れるのだ。

 

 

「賢しさで、守るべき者を忘れてはいけない。合理的に動いて、理想を見失っては意味がない。下らない偽善? 結構な話じゃないか!」

 

 

 どんな窮地でも諦めず、どんな絶望にも屈しない。

 決して勝機などはない状況でも、言葉一つで絶望の淵にある人々に希望を信じさせる存在。

 

 

「理想を忘れて合理に走り、守るべき者を見捨てて得た勝利。そんなものよりも、その言葉の方が、遥かに価値がある!」

 

 

 それを人は――

 

 

「僕はそう学んだ。だから、そう生きるんだよ」

 

 

 英雄と呼ぶのだ。

 

 

「……」

 

 

 何処までも正義を為す愚か者。絶望を覆す嘘塗れの英雄。

 ぶつかり合う破壊の力を向け合いながら、クアットロは苛立ちの籠った視線を男に向ける。

 

 

「ウザい」

 

 

 零れる感情は唯一つ。溢れる言葉は無数に連なる。

 

 

「ウザいウザいウザいウザい! ほんっと、マジでウザいのよ、意味分かんない!!」

 

 

 理解出来ない。意味が分からない。

 

 この嘘に塗れた虚言癖が、どうしてこうも人々を救い上げる。

 何故、こんな気狂い染みた男の言葉で、絶望していた人間達の目に光が宿る。

 

 

「クソッタレな偽善者の独善者! 自分一人で抱えられない荷物に潰されたまま、蟲に○○○喰われて悶絶して死ねや! この不能野郎がぁぁっ!!」

 

 

 分からないから拒絶する。分からないものを破壊する。

 向ける右手は悪魔の顎門へと変じて、放たれるのは偽神の牙。

 

 ただ一撃で追い詰められているのだから、もう一撃で全ては終わる。

 思い通りにならない玩具を此処で壊す為に、クアットロは全力を行使した。

 

 

「……ふっ」

 

 

 その破壊を前に、されどクロノは揺らがない。

 血反吐塗れの吐瀉物塗れ、それでも諦めない男は笑みを浮かべる。

 

 

「一点程、訂正する箇所があるな」

 

「あぁ!?」

 

 

 この瞬間に、女はクロノだけを見ていた。

 

 

「僕が何時、一人で全てを背負うと言った」

 

 

 故にこの瞬間、クアットロの視線は彼女達から外れていたのだ。

 

 

「元より、自分の手の大きさなんて知っている。出来ない事があるって、僕は痛い程に分かっている」

 

 

 最初からこの身を犠牲にして、それで全てを守れると言うならば失う事などなかった筈だ。

 

 だが、そうではない。

 そうではないのだと、クロノ・ハラオウンは知っている。

 

 

「だから信じて頼るんだ! 大切な仲間達を! 共に繋いだこの絆を!」

 

 

 あの日、永久に失くした笑顔があった。

 あの日、一人ぼっちになった自分に、全力で向き合ってくれた言葉が今も胸にあるから――

 

 

「それだけが、こんな筈じゃなかった世界を変える力となる!!」

 

「なにを――」

 

 

 彼の奮闘に、彼女達は間に合った。

 

 

――Briah

 

 

「僕たちを侮った、僕だけを敵と捉えた、お前の負けだ! クアットロ!!」

 

 

――死森の(ローゼンカヴァリエ・)薔薇騎士(シュヴァルツヴァルド)

 

 

 女が紡いだ言葉と共に、周囲の景色が一変した。

 

 

 

 

 

2.

 赤い紅い月の下、暗い昏い夜の帳が落ちる。

 訪れたのは薔薇の夜。取り込んだ者全てを溶かして喰らう、吸血鬼の腹の中。

 

 

「なっ、この状況で無差別攻撃ですってぇ!?」

 

 

 誰彼構わず喰らうは死人の森。

 この世界に囚われたが最後、弱き者から命を落とすは必定であろう。

 

 

「頭湧いてるんじゃないの!? まず真っ先に、一般人が死ぬじゃないの!!」

 

 

 女には理解出来ない。女には意味が分からない。

 故に――クアットロの予想を外すその選択こそ、起死回生の渾身打。

 

 

「なんだ、心配してるのか?」

 

「っ!」

 

「だが不要だ。この僕を誰だと思っている」

 

 

 偽神の牙に押し負けた彗星を維持したまま、クロノ・ハラオウンは強気に笑う。

 

 その笑みは偽り。その余裕は嘘吐きの仮面。

 力の維持で限界を超えて、己を巻き込んで吸い尽くさんとする夜に身体を震わせて、今にも壊れそうな有り様を仮面の下に隠している。

 

 それでも、嘘吐きの英雄は揺るがない。

 

 

「夜の内側に昼を持ち込んだ。この先に被害は決して通さん!」

 

 

 クロノの背を境界線に、夜と昼が異なっている。

 展開された薔薇の夜と言う異界の中に、外の世界を転移させると言う荒業によって安全圏を死守しているのだ。

 

 

「っ! だとしても、あの二人はっ!!」

 

「ふん。それも然したる問題じゃない」

 

 

 クアットロの言葉に、返すは確信を込めた一言。

 

 揺るがぬ男は信じている。

 

 信じて用いる。信じて頼る。

 仲間達を信ずればこそ、男が揺らぐ筈はない。

 

 

「お前はエースを舐め過ぎだよ」

 

「ディバイィィィンバスタァァァッ!!」

 

「タイラントォォォフレアァァァッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 横合いから放たれる号砲。圧倒的な力を秘めた火力が、計都星とぶつかり合っていた偽神の牙を吹き飛ばす。

 

 一つ一つは叶わずとも、夜の力で軽減されたゴグマゴグならば――

 

 四人の力が合わされば、この脅威とて吹き飛ばせるのだ。

 

 

「別に、何も特別な事をした訳じゃない」

 

 

 なのはとアリサもまた、薔薇の夜に食われている。

 その影響を受けながら、その身を消耗させている。

 

 それでも、駆け付ける女達の姿に、疲弊の色はあれど憔悴した色は見られない。

 彼女達が心の中に燃やす闘志は、欠片足りとて揺らいでいないのだ。

 

 

「ただ単純に、味方の攻撃で潰れるよりも前に相手を倒せれば良い。アイツら二人が薔薇の夜に耐えきれば良いだけの話だ」

 

「っっっ!? あったまおかしいんじゃないの、アンタ達ぃ!?」

 

 

 結局の所、根性論。

 耐え抜けば良いと安易に語るが、それは想像を絶する苦行であろう。

 

 全身は傷だらけ。消耗は激しく、何時倒れてもおかしくない状態。

 そんな状態で、更に味方の攻撃による被害を受けたまま、格上の怪物を倒そうなどと正気ならば考えすらしない愚策だ。

 

 だが、それでも――

 

 

「お前には予想も出来なかったんだろうさ。徹底して己のリスクを避け続けるお前には、な」

 

 

 味方諸共に薙ぎ払う戦術故に、女が見抜く事は出来なかった。

 例え被害を受けて尚、耐え抜いて反撃に移れるなどと、どうしてこの女が考えられよう。

 

 常に安全圏に身を置く女は、故にこそリスクを度外視した行動を前に虚を突かれたのだ。

 

 

「さあ、これで詰みだ」

 

 

 今、この瞬間にクロノは、三人の仲間の姿を確認した。

 今、この瞬間にクロノは、薔薇の夜と二人の魔法に蹴散らされた蟲の残骸の先に、魔群の器を目視した。

 

 故に――

 

 

「万象掌握――捉えたぞ!!」

 

 

 もうその距離は、己の掌中だ。

 襲い来る敵は、この瞬間だけ消え去っている。

 

 故にすずかは赤い夜を消し去り、そしてクロノは万象掌握を発動した。

 

 

 

 守るべき人々を守る為に、一人の男は其処に残った。

 そして天に舞う堕天使の下へと、辿り着いたのは三人の女達。

 

 

「見つけたよ。貴女はもう、私達の射程内に居る」

 

「高町、なのはっ!?」

 

 

 降り注ぐ翡翠色の雨を回避する。

 翼で飛び回る少女を追う誘導弾は回避し切れず、右手が変じた魔砲より放たれた無数の弾丸がそれを迎撃した。

 

 

「だらっしゃぁぁぁぁっ!」

 

「アリサ、バニングスっ!?」

 

 

 翡翠の光が去った直後に襲い来るのは、赤い炎。

 金糸の女が放った紅蓮炎上が、逃がすものかと燃え上がる。

 

 咄嗟に無数の蟲を呼び出し、壁を作る。

 球体の如き蟲の群れが炎を遮り、イクスヴェリアは安堵の息を吐いた。

 

 

「油断したねっ! 今の私は、絶好調なのよっ!!」

 

「月村っ、すずかぁっ!?」

 

 

 魔砲を防がれ、魔群を焼かれ、次いで襲い来るは吸血瘴気。

 あらゆる全てを簒奪する二大凶殺に追い詰めれらて、遂にクアットロ=ベルゼバブは――

 

 

『はぁぁぁぁぁぁっ!!』

 

「っっっ!?」

 

 

 その隙を逃さずに撃ち込まれた三つの魔力弾が、女の器を傷付ける。

 常に安全圏にて嗤い続けていたクアットロは、この時初めて被害を受けたのだった。

 

 

「これで漸く、戦闘開始。一方的な蹂躙は、もうおしまい!」

 

「年貢の納め時ってやつよ。諦めて拳を握れっ! クアットロ=ベルゼバブ!」

 

「もう逃がさない。もう逃げられない。血に宿った蟲に相応しく、薔薇に吸われて死になさいっ!」

 

「高町なのは! アリサ・バニングス! 月村すずかぁぁぁっ!」

 

 

 空中で魔群を取り囲む様に、三人のエースが姿を現す。

 

 もう一方的な展開にはさせない。

 この手は届く距離まで来たのだから、奴にも相応しいリスクは背負わせよう。

 

 これより始まるのは、蹂躙ではなく戦闘なのだ。

 

 

「嗚呼、ムカつく。本当にムカつくわ」

 

 

 その三人の表情は、まるで戦闘になれば勝てると確信する様に。

 その三人の会心の笑みは、もう己に勝利した事を確信した様で。

 

 

「逃げられない? 年貢の納め時? 一方的な蹂躙はもう出来ない?」

 

 

 気に入らない。

 気に入らない。気に入らない。

 気に入らない。気に入らない。気に入らない。

 

 

「舐めてくれるじゃない。この私を、この魔群をっ!」

 

 

 己はお前たちより格上だ。お前たちは己よりも格下だ。

 分を弁えろ。己を知れ。その無知蒙昧な脳髄に、誰が完全なる存在なのかを刻み込め。

 

 

「ドクターが作り上げた完全なる存在を甘く見て、イラつくのよねぇ、アンタ達はぁぁぁっ!!」

 

 

 たかがエースストライカーが三人。至高の存在である己には届かない。

 正面決戦に持ち込んだからと言って、勝てる道理などないのだと教えてやろう。

 

 

「良いわ! 見せてあげる! 魔群が持つ最大の力をっ!!」

 

 

 教えてやろう。物量は時に質を凌駕する。

 教えてやろう。この絶対たる量は、絶対たる質を伴っている。

 

 教えてやろう。真なる魔群と言う怪物は、正面決戦でこそ真価を見せるのだと。

 

 

「そして後悔しろ! この私を、対等の場に引き摺り下した事をっ!!」

 

 

 激昂と共に断言する。

 お前たちはあのまま、嘲弄されながら死んでいった方が幸せだった。

 

 そう感じる程に、絶対的な力の差に絶望させたまま、この場で皆殺しにしてくれよう。

 

 

「来たれ、ゴグマゴォォォグ!!」

 

 

 そして、暗黒の太陽が其処に生まれた。

 

 

 

 カサカサと蠢くそれは、無限を思わせる数の群体。

 周囲を焼き尽くさんとする力の本流は、正しく神域に届かんとする程。

 

 ドロドロと、ドロドロと、汚物を垂れ流すかの様に悪意を漏らすその力は、この場に居る誰よりも強大だ。

 

 

〈無限の悪意を前に押し潰されろっ! クソ女共がァァァァッ!!〉

 

 

 黒き太陽の中に飲まれた女の声が響く。

 姿を消したクアットロは、その量が変じた質を持って女達を押し潰さんと行動する。

 

 

 

 そう。魔群は強い。

 それは真っ向から戦おうと変わらぬ事実。

 

 例え相性が最悪の魔刃に対してでも、条件さえ揃えば対等となる。

 偽りの神々である夜都賀波岐と相対してでも、真面な戦闘が出来るだけの力を持っている。

 

 例え星の輝きとて、魔群を滅ぼすには火力不足。

 例え魔王の火砲であっても、魔群ならば正面から撃ち破れる。

 例え薔薇の夜が魔群の血を吸い尽くそうとも、滅ぼし切るには射程距離が絶望的なまでに足りていない。

 

 

〈さあ、死ね。死ね死ね死ねシネェェェェ!!〉

 

 

 そんな怪物の悪意の叫びと共に、太陽が爆発して蟲と魔弾が天を焼いた。

 圧倒的な破壊のエネルギーが、大気を歪めて世界を焼く。全てを汚し貶める毒が、女達へと降り注いで――

 

 

「そこっ!」

 

 

 其処でアリサ・バニングスは、何故か何もない空間へと紅蓮の炎を解き放った。

 

 

「……っ!?」

 

 

 瞬間、空が歪んで剥がれ落ちる。否、その偽装が焼き払われた。

 

 

「……どうして、気付いたのかしらぁ」

 

 

 崩れ落ちた偽装は、シルバーカーテン。

 クアットロと言う戦闘機人が所持していた、嘘と幻を見せるインヒーレントスキル。

 

 黒い太陽とは真逆の場所に、クアットロは潜んでいた。

 そして、その姿をシルバーカーテンによって偽装して、蟲の分体で分かりやすい激昂を演じていたのだ。

 

 そんな偽装を暴かれたクアットロは、どうしてと表情を失くした顔で問い掛ける。

 

 

「はっ、下らない」

 

 

 それに返すのは、アリサの鼻で笑う声。

 クアットロと言う女と直接相対した事がある彼女だから、その激昂が小物女の演技であると気付いていた。

 

 クアットロの言葉は演技であれ、其処に偽りはない。

 魔群は間違いなく強大な存在で、眼前に今尚残る暗黒の太陽は確かに三人のエースを纏めて落とすだけの力があった。

 

 だが、それでも敗北の可能性がないとは言い切れない。

 ほんの僅かな可能性に過ぎず、藁を掴む話ではあったとしても、確かに其処に勝機はあった。

 

 故に――

 

 

「アンタみたいな小物が、正面決戦なんてする訳ないじゃないの」

 

「…………」

 

 

 クアットロはその可能性を許容しない。

 絶対に勝てると確信出来ない限り、女はリスクを背負わない。

 

 故にこそ、強力な見せ札の影に隠れて逃げようとした女の企みは、余りにもあっさりと見抜かれたのだった。

 

 

「言ったでしょう? もう逃がさない」

 

「……」

 

 

 月村すずかが睨み付ける。

 女の纏う漆黒の瘴気が、溢れ出さんとばかりに猛っている。

 

 

「全力全開で、戦って貰うからっ!」

 

「……」

 

 

 高町なのはが杖を構える。

 翡翠の輝きを纏った彼女を前に、小細工などは通じない。

 

 その質と量を前に対抗するならば、本当に敗北の可能性を覚悟せねばならず。

 

 だからこそ――

 

 

「……はぁ、もう良いわ」

 

「何を」

 

 

 クアットロは溜息を吐く、とてもとても深い溜息を。

 そして諦めた様な投げやりな声音で、その最低な言葉を口にした。

 

 

「負けを認めてあげるって、言ってるの」

 

「は?」

 

 

 それは誰もが予想外。この女の底を見抜いたと確信したアリサですら、一瞬言葉に詰まる程のおかしな発言。

 

 そんな言葉に硬直した彼女らを見詰めながら、外道は口が裂ける様な笑顔を浮かべて語った。

 

 

「……だって、もう要らないもの」

 

「いらない?」

 

「ええ、要らないわ。もうこんな器は要らない。貴女達なんかに追い詰められる、魔群の主(イクスヴェリア)なんて必要ない」

 

 

 外道は敗北を認めた。魔群は勝利を諦めた。

 

 頑張れば勝てる。真面にやれば勝てる。

 そんなのは、女が真剣に取り組む理由になり得ない。

 

 

「そんな訳でぇ、……死んでね。イクスヴェリアちゃん?」

 

〈クアットロ!?〉

 

 

 故に彼女が今狙うのは、少しでも勝者たちの心に亀裂を刻む事。

 その勝利に汚物を塗りたくって、その余韻を台無しにしてしまう事こそクアットロの行動理由であった。

 

 

「あ、え?」

 

 

 そうして、イクスヴェリアは己の肉体を取り戻す。

 血液の中に潜んでいた魔群と言う毒が消え失せて、その小さき身体は反天使と言う異形から人のそれへと戻っていた。

 

 

「そんな、クアットロ。私の中から……」

 

 

 誰もが勘違いしている。

 誰もが勘違いしていた。

 

 

〈さぁて、それじゃぁ皆様方。そろそろ私は逃げさせて貰うわねぇ〉

 

 

 エリキシルと言う血を媒介とし、冥王を器に顕現していたクアットロ。

 彼女が魔群の主であると、彼女こそが魔群と言う反天使なのだと誰もが勘違いしていたのだ。

 

 

〈元より私は形なき魔群。器なんて幾らでもあるものぉ〉

 

 

 彼女は廃神。魔群と言う悪夢。魔群の主ではなく、魔群そのものなのだ。

 魔群の主とは、即ち彼女を宿した人間。彼女を血中に宿した人間こそを、反天使の一柱と呼ぶのだ。

 

 そう、在りし日の神座世界(アルハザード)。それを例に挙げれば分かるであろうか。

 

 第二天の治世の下、現れた魔群ベルゼバブを宿した人間の名を、ソフィア・クライストと言った。

 そしてそんな彼女から、魔群を掠め取った男。反天使の一人である男の名を、ジューダス・ストライフと言ったのだ。

 

 彼らは共に、ベルゼバブと言う悪魔を宿した者達。

 そう。彼らと同じ立場に居たのは、クアットロではなくイクスヴェリアであったのだ。

 

 クアットロは、彼らに取り付いた悪魔と同じ物。

 器である者達が死した後も、別の器があれば幾らでも脅威を振り撒ける怪物こそがクアットロ=ベルゼバブに他ならない。

 

 

〈だから、冥王様(ソレ)はあげる。敢闘賞って所かしらぁ〉

 

「……随分と気前がいいじゃない。自分の器をあっさりと差し出すなんて」

 

 

 だからこそ、クアットロにとってイクスヴェリアを失う事は痛みにはならない。

 指一本を失うよりも尚軽い、指の薄皮を一枚剥がされた程度の損失にしかならないのだ。

 

 寧ろ無理に器に固執して、他の己にまで被害が及んでしまう可能性こそ絶対に避けねばならぬ事態である。

 

 それに、情報が流出する危険だって存在しない。

 何故ならば、イクスヴェリアはもう既に――

 

 

〈そうでもないわよぉ。……だって冥王様(ソレ)、もう死ぬもの〉

 

「え? 何を言って」

 

 

 その死が避けられない程に、その内面は壊れ切っているのだから。

 

 

〈実はねぇん、その子長く眠り続けてた影響か、それとも制作時のミスか、最初から壊れてたのぉ〉

 

 

 それは古代ベルカに生まれ、そして今に甦った冥府の炎王に残された傷痕。

 活動してから数日でその生体機能は不全状態となり、そのまま放置すれば死に至ると言う拭いきれない一つの欠陥。

 

 

〈それをドクターはぁ、魔群の血。エリキシルを摂取させる事で、誤魔化して来たのぉ〉

 

 

 エリキシルは、クアットロの死体を磨り潰して作り出した麻薬。

 その薬物に不死の力が宿るのは、奈落の底にいるクアットロと繋がる媒介となり得るものだから――

 

 クアットロが力を貸さなければ、エリキシルは唯の血の塊でしかない。

 

 

〈だから、その子は私が居なければ、最初から生きてはいられなかった〉

 

 

 既に活動限界は超えていた。既にその身体は蝕まれていた。

 

 あのエリオ・モンディアルがクアットロを殺せなかったのは、クアットロが死ねばイクスヴェリアも死ぬからだったのだ。

 

 

〈エリオ君のお気に入りだから残しておいたけど、もうその意味でも役に立たないんだもの。格下に此処まで追い詰められる器なんて要らないから、機動六課(ゴミバコ)にポイって捨てちゃうのよ〉

 

「クアットロ=ベルゼバブッ!!」

 

 

 そんな外道の言葉に、女達は嚇怒を胸に抱く。

 許せはしない悪であると再認し、怒りで以ってその名を呼ぶ。

 

 

〈アハハ。ハハハハハハハハハッ!〉

 

 

 その姿に、クアットロは笑みを隠せない。

 

 所詮は他人だ。イクスヴェリアの生死など、彼女達には関わりない事だろう。

 だからどうしたと言い捨てる事が出来る内容で、だが彼女達が正義の味方ならば無視出来る事ではない。

 

 そう読んだクアットロの思惑は、笑いが止まらない程に合致する。

 

 

〈おめでとう! 貴女達の大勝利よ!〉

 

 

 彼女達の正義感が強いから、この言葉は毒となり得る。

 彼女達の意志が尊いからこそ、イクスヴェリアを見捨てる事に意味が生まれる。

 

 

〈皆で囲んで、必死に叩いて、リンチの果てに少女一人を殺した機動六課のエース達!〉

 

 

 嘲笑う声は甲高く。罵倒する言葉は弾んでいる。

 

 嗚呼、楽しい。嗚呼、愉しい。

 無関係な人の悲劇に義憤を抱ける彼女達だからこそ、こうもあっさり踏み躙られるのだ。

 

 

〈流石ね! 素敵だわ! これで犯罪者が一人減って、世界は綺麗になったのね!!〉

 

「こんの、クソ女ぁぁぁぁッ!!」

 

 

 叫ぶ声が耳に心地良い。

 憤る表情に、散々にしてやられた溜飲が下がる。

 

 怒りに任せてアリサが炎を燃やし放つが、しかしクアットロには効果がない。

 既にもう此処に彼女は居ないのだから、残った蟲が意味なく燃えていくだけなのだ。

 

 

〈アハハハハ。じゃぁ、またねぇ〉

 

 

 そんな姿を嘲笑ったまま、クアットロを模った蟲の群れは炎の中に燃えて消える。

 後には何も残さずに、勝利の美酒に汚物を混ぜられた女達は険しい表情を浮かべていた。

 

 

「アイツ!」

 

「アリサちゃん! 今はそれより!」

 

「分かってるわよ!!」

 

 

 天より落ちていくイクスヴェリアを見やる。

 彼女は犯罪者であれ、今は見捨てられた一人の少女。

 

 助けられる命ならば、助けねばならない。

 そんな善人である女達は、その意志に従って少女へと手を伸ばして――

 

 

「え」

 

 

 その手が届く寸前に、空が大きく震えた。

 

 

 

 

 

 差し出した手を止めて、女達はその場所を見る。

 本能から感じる恐怖に、何もかもが終わってしまう様な感覚に、その場所から目を逸らす事が出来なかった。

 

 

「……なに、あれ」

 

 

 空が罅割れている。大地が捲れ上がっている。

 あらゆる命が消えていき、何も認識できない空間が少しずつ広がっている。

 

 

「世界が死んでいく」

 

 

 そう。世界が死んでいる。世界が死んでいく。

 光と共に溢れる力が全てを分解して、世界を虚無へと変えていく。

 

 

 

 エクリプスウイルスの暴走。

 神の子と魔刃が相対したその場所で、世界の終わりは既に始まっていた。

 

 

 

 

 




今回の推奨BGM
 1.Fallen Angel(PARADISE LOST)
 2.Rozen Vamp(Dies irae)
 2の途中、クアットロが囲まれた場面から最後まで。
  其の名べんぼう 地獄なり(相州戦神館學園 八命陣)



次回、少し場面を遡って、トーマ対エリオから開始です。




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