リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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StS編序盤の山場です。


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第六話 誓約 其之壱

1.

 第二十三管理世界ルヴェラ。

 文化保護地区とされた山の奥に、その遺跡は存在している。

 

 

「ここ、だよね。スティード」

 

〈ええ、この水晶鉱山の跡地に存在しています〉

 

 

 一昨日から歩き続けて、されど少年の顔に疲労は見えない。

 鍛えられた身体と観測型デバイスの的確な助言。小休止を挟みながら行動する少年の調子は、クラナガンを抜け出した五日前と遜色ない。

 

 

「けど、勝手に飛び出しちゃって。……先生達、怒ってないかなぁ」

 

 

 力への誘惑。勝利への執着。そう言った感情に任せて動き出してしまったトーマは、今更になって迷っている。

 これで良いのか、こんな事をしていて良いのか、そんな感情ばかり湧いてくる。

 

〈問題ありませんよ。トーマ。結果を出せば良いのです〉

 

「スティード」

 

 

 そうなのかな。そうなのであろうか。

 疑問を抱けど足は止まらず、きっと心の何処かで渇望している。

 

 勝ちたい。勝ちたい。アイツに勝ちたい。

 その感情が薄れぬ限り、トーマの足は止まらない。

 

 

〈入口までもう直ぐです。頑張りましょう。トーマ〉

 

「……うん。そうだね」

 

 

 未だ迷いはある。未だ疑念はある。されど――

 

 

「ここまで来たんだ。今更、何もせずには戻れない」

 

 

 黙って此処まで来てしまった。勝手に航行船に潜り込んで、このミッドチルダから離れた次元世界まで来てしまったのだ。

 

 今更戻っても意味はない。そう心を定めた少年は、鉱山跡へと近付いていく。

 

 

 

 山の麓。渓谷の近くに開けられた大穴。鉱山への入り口を前に立つ。

 一見するとごく普通の廃鉱山にしか見えないが、その奥には研究施設がある事が明かされている。

 

 人気はない。何故だか知らないが、人の気配は存在しない。

 潜り込む好機だと判断した少年は、怖気付く姿も見せずに一歩を踏み出して。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 入ろうとした瞬間に、その声を聞いた。

 

 

「……声? スティード?」

 

〈いいえ、私ではありません〉

 

 

 念話での呼び掛け。その声の違いを知りつつも、念の為に問い掛ける。

 予想通りの言葉をスティードは返し、そしてトーマはその奥に居る者の存在を確信した。

 

 

「なら、この声は……」

 

〈ええ、間違いなく〉

 

 

 スティードに聞かされた己の為の剣。

 ユニゾンデバイスに似て非なる、己を高みへと導いてくれる人型兵器。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 リリィ・シュトロゼック。

 トーマを待ち望む、トーマの為に生み出された剣。

 人を摸した少女と聞いている。彼女は一体、如何なる人物であるのだろうか。

 

 

〈急ぎましょう。トーマ。……リリィが貴方を呼んでいる〉

 

 

 疑問に答えを出す必要はない。もう直ぐ出会う事が出来るのだから。

 

 

 

 鉱山内を暫く歩く。岩肌が剥き出しになった坑道を進むと、ある一区画より機械的な造形へと内装が一変していく。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 迷う事はない。この呼び声に従う限り、迷いはしない。

 やはり人気はない。研究施設に入り込んだというのに警報一つ鳴る事はなく、トーマは先へと進んでいく。

 

 本当に誰もいないのか。それとも誰かが居ても対応出来ない状況なのか。そんな事すら考える事はなく、トーマは声に導かれて前へと進む。

 

 一直線に、他の襲撃者の誰よりも早く、トーマはその場所へと辿り着いた。

 

 

 

 その少女は十字架に掛けられていた。

 

 

「君が……」

 

 

 腰まで届く薄い金髪。人と寸分違わぬ造形。柔らかなその体を隠すは、白地の布切れただ一枚。

 

 

「リリィ」

 

 

 微睡みの中に沈んでいた少女は、トーマの声を聞いて瞼を開く。

 トーマの胸元でスティードが光を放ち、少女の身を縛っていた鎖は弾け飛んだ。

 

 

「ちょっ、危なっ!」

 

 

 身体を固定していた鎖が消失した事で自由落下し始めた少女を、トーマは慌てて受け止める。

 抱きしめた両手より感じる熱は、まるで作り物とは思えなかった。

 

 

「…………」

 

 

 パクパクとリリィが口を開く。声を発しようとしているのか、だがその開いた口から言葉が零れる事はなかった。

 

 

「この子、声が……」

 

〈どうやら不具合が発生しているようですね。ですが問題ありません。リアクトすれば異常個所も自己修復される事でしょう〉

 

 

 言葉も喋れぬ少女を見詰める。

 

 何故だろうか、初めて見た筈なのに初対面な気がしない。

 腕の内に抱いた美しい少女を、大切にしたいという感情が湧き出してくる。

 

 

〈トーマ。誓約を〉

 

 

 そんな感情に違和を感じるトーマに、彼のデバイスは思考する余地を与えない。

 

 

〈彼女との誓約を交わしてください〉

 

 

 今日この日の為に作り出されたデバイスは、己の生まれた意味が果たされるその瞬間を促す。

 

 誓約。それが何を意味するのか分からない。

 誓約。どうすればそれを為せるのかが分からない。

 

 唯、自然と手が伸びる。トーマの右手が、リリィの左手が、重なり合おうと伸ばされて――

 

 

「それは困るな」

 

 

 その手が合わさる直前に、鋭い魔槍が振るわれた。

 

 

 

 

 

2.

 赤い夢を見る。少女は赤い夢を見ている。

 赤い色に満たされた世界で、幾多の叫びが響く夢。

 

 優しいモノ。大きいモノ。女の声。少女の雄叫び。男の誓い。

 断片的過ぎて何が起きているのか、何を見ているのか、それすら分からぬ悪い夢。

 

 

「っ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 そんな夢から覚めた少女は、高ぶる動悸を抑えて荒い呼吸を整えた。

 

 

「キャロ」

 

 

 ベッドの上で呼吸を整える少女を案じて、彼女の姉妹がその手を握る。交わした手の温かさに、身体の震えは止まった。

 

 

「また、あの夢を見たの?」

 

「うん。……ごめんね、心配かけて」

 

 

 儚げに謝るキャロの姿に、ルーテシアは憤りを隠す。表情を悟られない様に、俯く妹を抱きしめた。

 

 

 

 キャロは昔から、こんな性格をしていた訳ではなかった。

 気の良い陸士部隊に育てられ、姉や白竜と共に遊び回る事を好む活発な少女であった。

 

 それが弱気になったのは、家族に迷惑を掛けているという不安から。

 努力に努力を重ねなくては不安に負ける様になったのは、この悪夢に魘されるようになってからだった。

 

 原因は分かっている。その理由をルーテシアは父より聞き出している。

 

 赤毛の女。舞い散る鮮血。燃え上がる炎。

 これらを見た日の晩、キャロは必ず悪夢に魘される。

 

 アルザス崩壊事件。管理局の歴史においても数少ない凄惨な事件の光景が、まだ物心付かない赤子の心に刻まれてしまっていたのであろう、と。

 

 その悪夢も、最近は見なくなっていた。ルーテシアが一緒の布団で横になり、手を繋いで居なければ眠れなかった当時とは違う。

 

 あの日真実を知り、そして答えを得たキャロは痛みから逃れられ掛けていたというのに――それが再燃してしまったのは、先の事件での経験と記録映像を見たからであろう。

 

 

「大丈夫だよ、キャロ。……悪い人は此処にはいないから」

 

 

 震える妹を宥めながら、ルーテシアは怒りを抱く。

 

 無数の屍。燃え盛る炎。赤毛の少女。三つの要因で妹のトラウマをこれでもかと抉ってくれた魔刃に怒りを抱く。

 

 ルーテシア・グランガイツは、エリオ・モンディアルを相容れぬ敵だと認識した。

 

 

「悪い、人」

 

 

 だからこそ。

 

 

「本当に、あの人は悪い人なのかな?」

 

 

 そんなキャロの言葉は、予想外にも程がある物であった。

 

 

「キャロ?」

 

「沢山の人を殺した。トーマさんを傷付けた。確かに悪い人だとは思う」

 

 

 ルーテシアの疑問の声に、キャロは己の想いを紡ぐ。

 

 

「だけどさ、それだけの人なのかな?」

 

 

 機動六課の寮内で、静かに吐露されるのはキャロの想い。

 罪悪の王と言う既に救えない相手に抱くのは、優しい少女の身勝手な想い。

 

 

「だって、あの人。悲しそうだった」

 

 

 スティードが記録した映像に映った少年は、何処か寂しそうで悲しそうだった。

 

 

「だって、あの人。優しそうだった」

 

 

 赤毛の少女の名を呼ぶ姿には、仲間の少女を抱き抱えて身を引く姿には、誰かを想う優しさが確かにあった。

 

 

「だから、悪いだけじゃないんだって、そう思いたい」

 

 

 だから想いたいのだ。

 

 

「誰かを愛せる人なら、きっと悪いだけの人じゃない」

 

 

 だから信じたいのだ。

 

 

「誰かを想える人なら、取返しが付かなくなるなんて、ないんだって思いたい」

 

 

 きっと彼もきっかけさえあれば変われる筈だ。

 悪人が何時までも悪いままで居なくてはいけない、そんな道理はない筈なのだ。

 

 

「だって、私は憎むよりも愛したい」

 

 

 その言葉は、真実を知った時にキャロが口にした答えと同じだった。

 

 

「愛しい日々の大切さを知ってるよ。お父さんやお母さんや、るーちゃんが教えてくれた大切な事は知ってるよ」

 

 

 故郷の崩壊は悲しい。悪夢を見続けるのは恐ろしい。

 それでも憎悪や憤怒と言った感情が、この愛しい日々の記憶に勝る筈がない。

 

 

「だから、それを知る事が出来るなら」

 

 

 故郷を焼いた存在の名をキャロは知らない。

 知らなくて良いと思ったから、知らないでいる事を選んだ。

 

 

「痛みよりも、優しさの方が大切だって、分かってくれると思うんだ」

 

 

 大切な誰かを想える優しさがあるなら、きっと彼には救われる余地がある。

 大切な誰かの手を離さずに居られるなら、きっと彼にも未来はある。

 

 キャロはそう信じていたいのだ。

 

 

「そっか」

 

 

 そんな妹の想いを聞いて、ルーテシアは静かに頷く。

 

 

「なら、そうなると良いよね」

 

「……何を考えてるんだって、怒らないの?」

 

「なんで私がキャロを怒るのよ」

 

 

 魔刃に救われる余地があるとしても、現時点で重犯罪者である事には変わりない。

 そんな相手に対する不適切な発言。管理局員として相応しくないと分かって、怒られると思ってしまう。

 

 そんな妹の不安を笑って一蹴する。内に抱いた己の怒りなど、あっさりと封じ込める。

 

 

「……夢物語だって、笑わないの?」

 

「笑わないわよ。私を誰だと思ってんのよ」

 

 

 誰かを愛せる人ならば、誰とだって分かり合える。

 そんな思いは夢物語。幼子の思い描いた幻想に過ぎない。

 そんな思いを一笑に付す事はなく、ルーテシアは真剣に受け取る。

 

 そこまでする理由。それは唯一つの理由。

 

 

「ルーテシア・グランガイツはお姉ちゃんなのよ。なら、妹を守って見せるまでよ」

 

 

 姉は妹を守る者だから、それ以外に理由などない。

 

 

「キャロが望むなら、そうなる様に動こう。お前は救いようがないのかって聞いてやりましょう」

 

 

 その想いを守るのだ。それに反する現実など、一切合切壊して見せよう。

 

 

「んで、なんて言われようと魔刃を捕縛して、無理矢理にでも更生させるのよ。上から目線で、救ってやれば良い。簡単な事じゃない!」

 

「あはは、……相変わらず、るーちゃんは凄いね」

 

 

 苦笑と共に何時もの口癖を口にするキャロ。

 

 

「何言ってんのよ」

 

 

 そんな彼女に聞こえぬ様に、ルーテシアは小さく呟く。

 

 

「キャロの方が強いよ。……私じゃ、絶対に許せないもん」

 

 

 その優しさの中にある強さを知っている。

 だから、そんな妹が誇れる姉である様に、それがルーテシアの誓いなのだ。

 

 

 

 

 

「さって、と何時までもこうしていても気が滅入るだけよね」

 

 

 私服に着替えて、ルーテシアはキャロへと手を差し伸べる。

 

 

「ちょっと散歩にでも行こ?」

 

「うん」

 

 

 妹は姉の手を取って、二人は共に六課の寮を抜け出していく。

 

 訓練はない。仕事もない。今の新人達に与えられたのは数日の休暇。

 トーマが行方不明になり、ティアナが荒れている現状。そこに不安や恐怖を抱かない訳ではない。

 

 だが、今の自分達に出来る事はない。だから与えられた休暇の中で、心身を整える事こそが己の役割なのだろうと子供たちは知っている。

 

 大人達も知っている。この子達は大丈夫だと。

 他の新人達と異なり、心が強い二人は自分の意思で立ち上がれるのだと。

 

 

 

 クラナガンの街へと飛び出していく少女達を、寮の前から一匹の獣が見詰めていた。

 

 思い出した仲間の凶行。狂った闇の書に飲まれかけた時、その真実を知った青き獣。

 彼は己達の罪科。その象徴と言うべき少女の姿が消える迄、その背を見詰め続ける。

 

 

 

 青き守護獣は残り少ない寿命を抱えて、一体何を想うのであろうか。

 

 

 

 

 

3.

 エルセア地方。ポートフォール・メモリアルガーデン。

 オレンジの髪の少女は、何をするでもなく立ち尽くしている。

 

 

「最初から、分かっていたのよ。私はどんなに頑張っても、超一流になんて、きっとなれない」

 

 

 吹き抜ける風の中、目の前に聳え立つ慰霊碑は揺るがない。

 

 

「悔しくて、認めたくなくて、泣きたくなるくらいに。……けど、やっぱり揺るがない」

 

 

 屍人は語らない。大天魔との戦いの中で命を落とした人々、彼らが眠る墓所は揺るがずに其処にある。

 

 

「私はさ、凡人なりに必死に生きて来た心算だよ。迷って、間違って、後悔して、……それでも諦める事だけはしなかった」

 

 

 自分は凡人だ。言われなくても分かっていて、それでも必死に食らい付いてきた。

 

 

「目指すべき背がある。傍に居る相棒が居る。仲間だって増えた」

 

 

 自分は凡人だ。必死に積み重ねた全てが生かせず、結局味方を苦難へと追い込んでしまった愚か者だ。

 

 

「誰にも負けたくない想いがあって、立って戦えって教えがある」

 

 

 師は無力な己を鍛えてくれた。

 相棒はこんな己を確かに信じてくれた。

 

 

「だから頑張ってきた。だから諦めたくなかった。だから、まだ進みたい。……なのに、私は結局何も出来ていない」

 

 

 自分はあの義兄の様にはなれない。師の様にはなれない。光り輝く星がある空は、こんなにも遠いのだ。

 

 

「私は弱くて、敵は強くて、仲間も皆、先に行ってしまう」

 

 

 あの時、自分が間違えなければ勝機はあった。四人でしっかりと連携を取れば、傀儡師ならばどうとでもなった筈だ。師が其処に加われば、魔刃を追い返すことだって不可能ではなかった筈なのだ。

 

 たら、れば、そんな事を考えていても仕方がないとは分かっている。

 だが、それでも、あの嘲笑う言葉が拭えない。自分のミスが、己の無力が、何よりも腹立たしかった。

 

 

「泣いて祈れば叶う奇跡なんて、いらない。……けど」

 

 

 相棒は姿を消した。己が無力だから。なら、どうすれば良いと言うのか。

 仲間達はこれからも付いてきてくれるだろうか、役立たずな自分はそれに何を返せる。

 

 分からない。分からない。分からない。

 諦めたくはない。折れたくはない。けれど。

 

 

「……もう。辛いよ」

 

 

 そんな弱音が、一つ零れた。

 

 

「兄さん」

 

 

 屍人は語らない。呼び掛ける声は風に消えて、少女は口を押えて跪いた。

 

 小さい嗚咽は、誰にも届かない。

 

 

 

 

 

「……私、何やってんだろ」

 

 

 夕日が落ちる頃、全てを吐き出し終えて少女は立ち上がる。

 

 

「弱音を吐くくらいなら、頑張らないと」

 

 

 凡人の自分が追いつく為には、一秒だって無駄にしてられない。

 役に立てず無様を晒したなら、次こそはと心に誓って走り出すべきだ。

 

 

「誰かにそう言われたからじゃなくて、私がそうありたいから」

 

 

 今なお忙しくトーマ捜索やミッドチルダで起きる犯罪に対処している義兄や師。彼らに何時までも迷惑かけて居たくない。

 あの人たちに誇れる自分になりたいから、ティアナは諦める事が出来ないのだ。

 

 問題は山積みだ。為すべき事は山ほどある。

 相棒や仲間達が抱える問題。それらに対処できる程、自分は強くない。

 

 結局、己一人で手一杯。だから、せめて足手纏いになり続ける事はないように。

 

 目指すべき場所は変わらない。ランスターの弾丸の強さを見せる。その為に、管理局員として空を目指し続けるのだ。

 

 

「また、来るね。兄さん」

 

 

 屍人は語らない。唯、一陣の風が吹いた。

 

 

 

 

 

 ならば、その声は誰の言葉だ?

 

 

――もう行ってしまうのかい?

 

「え?」

 

 

 振り返るティアナの視界に、あり得ない光景が映る。

 

 

「久しぶりに来たんだ。もう少し話をしよう」

 

 

 その優しい声を覚えている。

 

 

「顔を見せて欲しい。その姿を見せて欲しい。どれ程大きくなったのか、しっかりと見せてくれないかな?」

 

 

 その優しい笑みを覚えている。

 

 

「う、そ……」

 

 

 管理局の制服を着た、茶髪の青年。

 生前と全く変わらぬその姿を、ティアナが見間違う筈もない。

 

 

「兄、さ……ん……?」

 

 

 屍人は語らない。死者は帰らない。失った者は、決して戻らない。

 

 

 

 ナラバ、コレハダレダ。

 

 

「大きくなったね、ティア」

 

 

 ティーダ・ランスターは優しく微笑んで、愛しい少女の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

4.

 カメラ型の機械が火花を散らす。砕け散った鉄の塊を見下して、エリオは忌々しいと舌打ちをした。

 必殺の意を以って振るわれた機械仕掛けの魔槍は、この残骸が身代わりとなった所為で躱されてしまった。

 

 

〈ゴメンな、兄貴。私が実験体の避難を優先して欲しいって言った所為で〉

 

 

 自分の所為で白百合の破壊が遅れてしまった。そんな風に詫びるアギトとユニゾンしたまま、エリオは小さく首を振る。

 

 

「……別に構わないさ。どうせ誤差にしかならない」

 

 

 この研究施設にとって招かれぬ客であるエリオと、正式なゲストであるトーマ。どちらが先に到着するかなど、元より明らかだったのだ。

 アギトの要望を優先した事も、さして不利益にはなっていない。

 

 

「出口なんてない。トーマの終着は此処なのだから」

 

 

 トーマはリリィを抱き抱えて、一目散に逃げ出した。

 魔槍に砕かれて地面にバラけたスティードが最後に発した強大な魔力光。それを目暗ましに魔刃から逃げ出したのだ。

 

 だが出口へ、ではない。この鉱山内に作られた研究施設の出入り口は、機密保持の為に数が極端に限られている。

 

 その全てがエリオの背より後ろにある。トーマが逃げ出した先は、更なる機密区画。逃げ込んだ場所は出口ではなく袋小路だ。

 

 

「ゆっくりと、確実に、一手ずつ潰してあげるよ」

 

 

 ばきりと硬質な物が折れる音が響く。進む足でスティードの残骸を踏み潰し、少年は黄金に染まった瞳でその先を見据えていた。

 

 

 

 トーマは逃げている。両の足を必死に動かして、背後より迫る脅威から逃げ続けている。

 勝てない事は分かっている。一人ではないのだから、守るべき人がいるのだから、魔刃に挑んではいけないと分かっている。

 

 

「くそっ、くそっ、くそっ!」

 

 

 悔しさに歯噛みした。スティードを壊されて、それでいて逃げるしか出来ない己の無力が腹立たしい。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 迫る刃は雷光の如く。緩まず弛まず、少年を確実に追い詰めていく。

 

 

〈誓約を〉

 

 

 肩を切り裂かれ、腿を引き裂かれ、ボロボロになりながら逃げるトーマ。念話越しの少女の声に、吐き捨てる様に彼は叫んだ。

 

 

「そんな余裕はないんだよっ!」

 

 

 刃は既に己の身体を掠める程に、雷速の悪魔は油断をしない。

 トーマの爆発力を知る為、リリィの意味を知る為、罪悪の王には慢心がない。

 

 確実に追い詰めてくる。その刃で確実に血肉を削ぎ落としてくる。

 

 結果として嬲っているが、彼は遊んでいる訳ではない。反撃を許さぬ距離で少しずつ追い詰めながら、致命的な隙を晒す瞬間を待っている。

 

 足を止めたら、その瞬間に心臓を抉られるであろう。

 やり方も分からぬ誓約をする余裕など、欠片たりともありはしない。

 

 

「っ、こんな様で……」

 

 

 情けなかった。逃げるしか出来ない己が、スティードが身代わりになって稼いでくれた時間を浪費しかしていない己が、既に詰んでしまっていると分かっていて覆せない己が情けない。

 

 

「まるで溝鼠だ。よく逃げる」

 

 

 再生力に物を言わせて、致命傷だけは避け続ける。挑んでも勝てないと分かっているから、逃れる事だけを考えて足を動かす。

 

 

「なら、手を変えよう」

 

 

 生き汚い少年の無様を嗤って、エリオはその手に赤い炎を宿した。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 燃え上がる炎は火竜の吐息が如く。

 振るわれる槍は熱風を伴って、密閉された空間を満たしていく。

 

 

「正気かよ、お前っ!?」

 

 

 思わずと言った体でトーマが叫ぶ。

 

 鉱山内に作られた研究施設。周囲が機械仕掛けとは言え、此処は密閉された鉱山内だ。

 鉱山火災と言えば、余りにも凄惨な光景が浮かぶ物。どう考えても、誰も彼もが巻き添えを喰らう。

 

 広域殲滅の炎魔法によってそれを意図的に引き起こす悪魔は、控えめに言っても狂っている様にしか思えない。

 

 

「く、クハハ」

 

 

 殺傷設定の炎で全てを焼き払いながら、罪悪の王は歪な笑みを浮かべて口にする。

 

 

「悪魔に正気かなんて、問うべきじゃぁない」

 

「っ!」

 

 

 既にこの施設内には自分達しかいない。

 実験体は全て逃げ出し、それ以外は無価値な躯を晒している。

 

 己は人間の上位互換である魔人。ユニゾンによって性能は更に底上げされ、内なる悪魔によって炎と瘴気、毒物の影響を受けない。

 

 巻き上がる炎は逃げ道を完全に奪う。燃え上がる業火は呼吸さえも困難にし、肉体機能を極端に低下させていく。

 

 己が行動不能になる前に、先に相手の可能性が全て潰えるのだ。ならば、このまま全てを焼き尽くしても問題はないだろう。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 逃げ惑う少年の背に向かって、更に炎を燃やして振るう。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 一歩進む度に新たな火が燃え上がる。

 

 

「火竜一閃」

 

 

 燃えろ。燃えろ。燃え尽きろ。

 岩盤の内に作られた機械の道は、紅蓮の炎に染まっていった。

 

 

 

 

 

 よろよろと進む。呼吸さえ真面に出来ず、蒸し風呂を思わせる様な高温に頭が茹る。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 縺れそうになる足を必死に動かして前に進む。背を追う魔刃は未だ健在。止まってしまえば終わるのだ。

 

 

〈トーマ〉

 

 

 念話の声すら苦しげに、腕の中に居る少女は朦朧とした視線で語りかけてくる。

 

 

〈誓約を〉

 

 

 分かっている。最早分かってしまっている。

 足を止めれば死ぬであろう。だが、このまま進み続けても死ぬだけなのだ。

 

 この先はどれ程ある。この先はどこまである。

 それすら分からなくとも、行き止まりは確かにある。

 

 その先の死を、望まないと言うなら――

 

 

〈誓約を〉

 

「……それしか、ないのか」

 

 

 逃げ惑う足とは違う理由で震える手。全身に襲い来る恐怖の理由を、トーマは確かに分かっている。

 

 勝てない。勝てる気がしないのだ。

 挑んでも無理だ。勝てるだけの力がない。また負ける。もう負けるのは嫌だ。

 

 そんな恐怖に膝を屈しそうになって、だから何だかんだと理由を付けて逃走を選んでしまった。

 勝てないと分かって、勝てないと諦めて、それでも逃げた先にも死しかないなら――

 

 

〈大丈夫〉

 

「リリィ」

 

 

 不安に震えるその手を、白魚のような指先がなぞる。

 

 

〈私が貴方を勝たせる。貴方が望んでくれるなら、私が必ず勝利させるから〉

 

 

 その為に己は生まれた。

 その為に己は作られた。

 

 理由は、それだけではない。

 

 

〈戦おう? そして勝とう?〉

 

 

 あの黄昏の浜辺を通じて、彼女は彼と出会っている。

 その残滓の共鳴を通じて、白百合は少年を知っている。

 

 その命の辿った道筋を、彼の心を知るからこそ、少女は彼の助けになりたいのだ。

 

 

「リリィ」

 

 

 呼吸も出来ぬ状況下。声も出せず、足も動かない白百合の乙女。

 作り物であれ、人とまるで変わらぬ少女は、どれ程に不安を抱えているだろうか。

 

 そんな少女が勝たせると言った。

 そんな少女にここまで言わせて、逃げ続けるなど男ではない。

 

 

「……僕を、高みへと導いてくれ」

 

 

 縋るような言葉に、返されるのは確かな笑顔。

 リリィの手が、トーマの手と重なる。ゆっくりと生まれた輝きが、二人の重ね合わせた手の近く、手首に一対の輪を生み出す。

 

 

――誓約(エンゲージ)――

 

 

 此処に契約は交わされる。

 新たに得た力を振るわんと、少年がその手を伸ばし――

 

 

 

 

 

 ずぶりと嫌な音がして、鋭い痛みが胸を抉った。

 

 

「知っていた筈だろう? 分かっていた筈だろう?」

 

 

 そう。知っていた。分かっていた。

 足を止めれば死ぬと、誓約を選べば殺されると分かっていた筈なのに。

 

 

 

 胸から突き出た刃。その槍はトーマとリリィを諸共に貫いていた。

 

 

 

 それに気づいた瞬間に、忘れていたかの如く口から大量の鮮血が溢れ出す。

 

 

「これが君の終着点だ」

 

 

 己の血で赤く染まった白百合は、既に鼓動を止めている。

 白百合の血で染まったトーマの視界には、もう何も映らない。

 

 

「さようなら、トーマ」

 

 

 槍が引き抜かれて、少年と少女は崩れ落ちる。

 幕引きは此処に――少年の戦いは死を以って終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 


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