副題 水橋キラーは弄られキャラ。
魔刃の進む道と、神の子の進む道と。
1.
ここ数年で見慣れた執務室。御門の呪印によって己の歪みを封印する施設。
それと寸分違わぬ内装に仕立て上げられた本局地下の一室で、クロノ・ハラオウンは革張りのソファに背を預けた。
「やれやれ、随分と念の入った事だ」
管理局本局地下五十メートル。有事に於ける避難場所と同等の深度に新たに建造されたその部屋は、嘗てクロノが居た執務室より遥かに制限が大きい。
その特殊な鋼鉄で作られた部屋の壁はあらゆる電波の類を遮断する。
外部には何十メートルにも渡って高出力なAMFが展開され、配備されている戦闘機人の数は以前の数十倍だ。
そして歪みを抑える呪印の数は数十倍――と言うレベルではない。
内部に居るクロノが吐き気や頭痛を覚える程に、数百数千を超える呪印は彼に害を与える程になっている。
「本当に呆れるしかない。臆病にも程があるだろうに」
彼はあの戦闘の直後に、駆け付けて来た管理局員達の手によって囚われ、こうして地下に監禁されている。
それ故に、意識を失った義妹とは会話を交わす事すら出来なかった。
そんな状況に深い溜息を吐いて、けれど悪い気分ではなかった。
公的な罰こそ謹慎処分に収まっているが、実態はそんな物では済まない程に悲惨な状況。
暫くはこの苦痛を受けなくてはいけない。
頭蓋を砕くかの様な痛みを、胸焼けを遥かに酷くした様な吐き気を、纏わり付いて離れない不快感を受け入れねばならない。
単独行動の罰則として権限の多くを剥奪された結果、外部との連絡も不可能となった。
先までよりも強化された警備網に隙などある筈もなく、もう抜け出す等は不可能であろう。
そんな最初の鳥籠よりも遥かに劣悪な環境で、それでも満足を感じているのはあの子の命を救えたからか。
あの妹が流した涙を見て、後悔を抱くなどある筈ないのだ。
「……何、ふりだしに戻っただけだろう」
だから、そんな風に強気の言葉を紡ぐ。
常時監視された室内で余裕の笑みを絶やさずに、見る者達に言い聞かせる様に内心を呟く。
「暫くは退屈な日々が続くだろうが、己の心に従った結果だ。粛々と受け止めるとするさ」
そんな風に己には反逆の意志などないと示し、クロノは作り物の瞳を閉ざした。
どの道、こんな言葉一つで今なお監視を続ける彼らが絆されるとは思っていない。
安心が隙となり権限を取り戻す機会は必ず廻って来るだろうが、そこに至るまでにどれ程の時間が掛かるかは分からない。
それまではこの何もない一室で、電波も魔力波も何も届かない部屋の中で、退屈を相手に時を待つだけの日々となるだろう。
如何に不快な感覚を誤魔化し、何もない部屋で退屈さをどう紛らわせるかと戯れに思考する。
結局、寝て過ごす程度の事しか出来ないか、と溜息を吐いた所で――暫くは退屈が続くと言うクロノの予想を覆す出来事が起こった。
コンコンと扉が叩かれる。予期などしていなかった来訪者の訪れに、クロノは閉じた瞳をゆっくりと開く。
此処は管理局内部でも特別な権限がなければ立ち入れない場所。上級将校の一部でなければ存在すら知らない秘中の秘。
そんな地下の更に奥深くに監禁された男を訪ねて来るのは、一体如何なる人物か。
業突く張りな将校か。或いは義憤に燃える様な政治家か。
そんなクロノの推測に反して立ち入って来たのは、実に可憐な乙女であった。
「失礼します」
「……貴女は」
腰まで届く長い金髪。黒を基調としたシックな衣装。傍らに赤毛の女性を伴って鳥籠の中へと足を踏み入れた乙女は、深窓の令嬢らしく優雅に一礼した。
「クロノ・ハラオウン提督。……少しお話しがあって参りました」
「カリム・グラシア。聖王教会の聖女様が、この虜囚に過ぎぬ我が身に一体何の用件でしょうか?」
クロノは「歓迎しますよ。お茶は出せませんがね」と軽口を飛ばし、カリムはそんな対応にくすりと柔らかな笑みを零すのだった。
「……では、お話しを始める前に、シャッハ」
「はっ! ヴィンデルシャフト」
カリムの指示に従い、その傍らに控えていた赤毛の女性がデバイスを起動する。
その魔法が使用された瞬間に、己の義眼を含む一部の機械機能が大幅に制限された事を理解して、クロノは訝し目に目を細めた。
「……これは?」
「行きつけの喫茶店の店長さんに作って頂いた魔法ですよ。……高濃度AMF下でも機能を発揮するとは、相変わらず良い腕です」
そんな彼女の言葉に、クロノはふと思い出す。これはあの悪友との殴り合いで、彼が使用した魔法に酷似していると。だとすれば、その効果の程もアレの延長上なのだろうと推測した。
「これで監視の目は消えました」
やはりか、とカリムの発言に納得を抱く。
監視の目を潰す等と言うあからさまな異常を残すのではなく、欺瞞情報を流し続けるような魔法を作り上げている。
それを己の義眼に映し出される虚像から判断したクロノは、納得と同時に何故こんな真似をするのか、と言う疑念を抱いた。
「これより話す内容は、監視があると何か不都合でも?」
相手が上層部の目を欺いて己に害を為すとは考えていない。
その女性の評判やそこまでするメリットがない事も判断材料の一つではあるが、何より重要なのは彼女が友人の作ったであろう魔法構成を使用している事。
あのフェレット擬きが容易く奪われたりする筈がなく、ならば彼は己の意志でカリム・グラシアにこれを託したのだ。
カリム・グラシアはあの悪友に全面的に信頼されている事となる。
そんな彼への信頼故に、クロノはカリムに対して警戒する必要などはないと確信しているのである。
「……それを貴方自身で判断して頂きたいのです。少なくとも、私や店長さんは管理局上層部に知られると厄介な事になると判断しておりますので」
言ってカリムは傍らに控える女性に指示を出す。
デバイスの収納空間より一枚の用紙を取り出した赤毛の女性は、それをクロノ・ハラオウンへと手渡した。
その際、僅かに視線が交差する。赤毛の女性の己を見る目の色に違和感を覚えながらも、クロノは受け取った用紙に目を落とした。
【二つの月が重なり 偉大なる父が紅き涙を零す時 彼の軍勢は訪れない
七の地獄は姿を見せず 黄金の瞳が見詰め続ける 楽園が崩壊するその時迄
その日を待ち侘び牙を研ぐ 偽りの神々が再び姿を見せた時 楽園は此処に崩壊する】
「……これは?」
「私は
その白い紙に書かれたのは予言の書。カリム・グラシアが予言した、ある一つの出来事に付いて記された用紙であった。
「この予言の通り、前回のミッドチルダ大結界消滅時に夜都賀波岐はこの地に襲来しませんでした」
そう。三年と言う月日は既に経過している。あの終焉の怪物が訪れてから、本来ならば続く大天魔の襲来があって然るべき時は経っているのだ。
だが前回の双子月が重なる日、彼らが姿を見せる事は無かった。
終焉の襲来から戦力の消耗を完全に補えている訳ではない現状。襲来がなかった事は純粋に有難い事ではあったが、個人としては安堵よりも憂慮の情を強く抱いた物であった。
それが何れ来たるべき時の為に、雌伏しながら牙を研いでいると考えれば酷く納得のいく回答だった。
「……偶然の一致と言う可能性は? それに酷い言い掛かりではあるが、君が既に終わった事をそれらしく書き記しただけと言う可能性も有り得る」
とは言え、彼女の書いた予言書が信頼出来る物かと言えば、それは否だ。
予言者の著書と言うレアスキルの存在と、彼女のネームバリューや悪友が信じた事などを考えれば信に足りるのであろう。
だが、クロノが持つ判断材料などそれだけなのだ。
個人の人柄に関してはそれだけでも信頼には足ると判断するクロノだが、大天魔が其処に関わって来ると話は変わる。
偽りの予言を信じて失敗すればそれだけで大量の犠牲が出るのだから、疑って疑い過ぎる事は無いのだ。
「クロノ提督! 貴方は騎士カリムを侮辱する気ですか!?」
そんな疑念の籠った言葉に怒りを感じるのは、カリムではなく彼女の護衛である女であった。
「貴方は上層部の中でも良識派であると判断していたのに、カリムをまるで詐欺師か何かの様に! 見損ないましたよ、クロノ提督!」
その感情は怒り。それは自身が護衛対象であり、幼馴染の親友でもある女性を詐欺師か何かの様に貶める発言をしたクロノに対する怒り。だが、その瞳に籠った感情はそれだけではなかった。
「私は貴方を目標とし己を練磨していたと言うのに、……貴方と言う人間は、軟禁生活を送る中で上層部同様に染まってしまわれたのですか!!」
それは憧憬であった。そしてそれを裏切られたが故の嘆きの色でもあった。
多分に理想で美化しているきらいはあるが、それだけではないとクロノは感じ取る。その瞳が違うのだ。
まるで実際に会った事があり、現実と理想を重ね合わせて見ていたかの様な瞳。
英雄と言うネームバリューに憧れていたのではなく、直接相対し言葉を交わした事があるからこそ、女はクロノに対して憧れていたのである。
そう。この男女は顔を合わせ、言葉を交わした経験がある。身内と言う程に近くはなく、だが初対面と言う訳ではない。
顔見知り程度ではあっても憧れるのには十分な言葉を交わした関係であり、だが一点両者の認識に大きな違いが存在していた。
それは――
「……済まない。何処かで会った事があるか?」
「覚えていないのですかっ!?」
「あ、ああ……」
クロノ提督は欠片たりとも、赤毛の女の事を記憶していなかったと言う一点である。
念押しの為であり同時に鎌かけの意も込めた挑発行為に、ここまで反発されるとは思っていなかった。
故に何処か戸惑った表情で、どうしてそんなに過剰反応するのだと目を白黒とさせてしまう。
「私です! シャッハ・ヌエラですよ! あの日、御前試合! 一回戦で戦ったシャッハです!」
「あ! ……あれ? 居たか。そんな奴」
「居ました! 私、居ましたから!」
辛うじて思い出せた様な気がしたが、どうやら別の記憶と混同しているらしい。
本気で思い出せないと首を捻る憧れの人物の対応に、怒りが何処かへ消え去ったのか目を涙で潤ませながらシャッハは全身で己を主張する。
「それに一度だけでなく、別の場所でも会っています! クラナガンの北部ストリートでご友人と口喧嘩されていた貴方方の間にカリムが仲裁として入った際、護衛として付き添っていたのも私です!!」
「……済まん。割りと本気で思い出せん」
「酷いっ!? あの敗北を期に、貴方に勝つ為に非才ながらも己を磨き上げていたと言うのにっ!!」
「……いや、マジで済まん」
打ちひしがれる女性に対して、クロノは何と口にしたら良いのか分からずに謝罪の言葉を述べる。
そんな彼の対応にシャッハは、嗚咽さえ零し始めそうな程に落ち込んでいく。
「ごほん。同じ女として思う所がない訳ではありませんが、取り敢えず落ち着きなさい。シャッハ」
「……ですが、カリム」
「高濃度AMF下では、この魔法は余り持たないのです。貴女も歪み者である以上、この対歪み者とでも言うべき施設に余り長居は出来ないでしょうし、私事よりも本題を優先しなさい。騎士シャッハ」
敢えて騎士と呼ぶ事で自覚を促す。その言葉を受けて、騎士としての役割を思い出したシャッハは己を律した。
「……すみません。公私混同が過ぎました。騎士カリム」
シャッハ・ヌエラより謝罪を受けて、カリムは静かに微笑みながら頷く。そうして護衛が醜態を見せた事に関してクロノに頭を下げた。
「シャッハが失礼をしてしまいまして、申し訳ありません」
「あ、ああ」
カリムの謝罪をクロノは動揺しながらも受け入れる。
そんな若き提督の態度に、シャッハを直ぐに止めずに敢えて放置する事で会話の流れを握り取れた事実を確認して、カリムは柔らかく笑うのであった。
そしてこの場の流れを掌握したカリム・グラシアは、本題に入る為の前提としてクロノが先に上げた邪推込みの推論に対する確証を示す。
「先に貴方が言った様に、後出しで予言を出されても信じられないのは当然の事です。……歪みでもないレアスキルによる予言など、正直眉唾物と言われても仕方がないですからね」
そう語って彼女が取り出させたのは、先と同じく一枚の書類。それは彼女の予言の確証となるやもしれない、先を占う予言書の一片。
「……これは、先程と全く同じ内容?」
「次の双子月が重なる日を予言した内容です。……約三年後、大天魔がこの地に現れなければ、私の予言の正確さの証明にはなるかと」
その内容は一言一句先と変わらぬ代物。三年後の襲来においても、大天魔は現れないと言う予言であった。
「……それで、本題は?」
其処まで見れば判断出来る。それだけ分かればもう十分だった。
カリム・グラシアがこの場に来たのは、彼女が見せたい予言があるから。
その本命となる三つ目の予言の正当性、それが確実に起こる事なのだと教える為にこんな茶番を見せたのであろうと。
「本題となるのは、三つ目。最後の予言についてです」
彼女の意図をクロノが理解した事に、カリムは笑みを深める。
利己と我欲に塗れた現在の上層部。戦時下にあってもそれを通せる彼らは、政治工作においては海千山千の強者だ。
歪み者ではないカリムは、そんな彼らの得意分野で我意を通さねばならない。故に彼女は鳥籠の英雄よりも腹黒い遣り取りには長けているのである。
三枚目の予言書をシャッハに用意させている女性。
深窓の令嬢もかくやと言う笑みの裏に隠れた腹黒さの一端を垣間見て、若き英雄は降参するかの様に肩を竦めた。
腹の探り合いでは勝てないと諦め、嘘吐きの英雄は手渡された最後の用紙を見た。
【旧い結晶と無限の蛇が蠢く地 死せる王の下 聖地より彼の翼が蘇る
悪なる獣が地を満たし 中傷者は虹の輝きを汚れさせ 首輪の外れた罪悪の王が中つ大地の法の塔を無価値に堕とす
それを先駆けに終末の喇叭が鳴り響く 堕落した天使達が築き上げる阿鼻叫喚の中 傲慢なる者は楽園の終わりを宣言する
戦慄と共に審判の日は訪れ 罪深き衆生は地獄に飲まれる
楽園は此処に 永劫失われるであろう】
その予言を見て顔つきを変える。それは余りにも危険に過ぎる内容だから。
「……成程、これは上層部には見せられんな」
「ええ、余りにも可能性が多過ぎて、どうなるか読み切れませんから」
それぞれの単語を如何なる解釈で読み解くべきなのか、専門家ではないクロノには其処までは分からずとも、分かる事は幾つかある。
罪悪の王。先の一件以降、更に一段階危険度が引き上げられた有史以来最大となる犯罪者。
その名が記されている。彼が管理局の本局を焼き尽くすと言う事が示されている。そして楽園が崩壊すると言う言葉。
それはまるで、ミッドチルダと言う世界の壊滅を暗示しているかの様だ。そう思ってしまったクロノは、故にその予言の危険度を理解して頭を痛くする。
もしもこの予言を管理局上層部が知れば、本当にどう動くか分からない。
利己と我欲に満ちた彼らが、果たして如何なる所業に出るか。
少なくとも、滅ぶと宣告されたミッドチルダの為に身命を賭して戦うなどは決してしないであろう。
「それで、何故これを僕に?」
頭痛を堪えながらクロノは問い掛ける。それは当然の疑問。
「信頼できる上層部の人間なら、僕よりもゲイズ中将辺りに当たるべきだろう。……鳥籠の英雄に見せる内容ではないな」
所詮クロノは鳥籠に囚われた虜囚に過ぎない。
英雄としてのネームバリューこそあるが、実権を一切持たない彼に予言を見せたとして、一体何が出来ると言えようか。
「既にゲイズ中将には見せていますよ。予言に対する意見としては否定的な彼も、対応は必要だと判断するレベルの内容ですからね」
そんな彼の当然の疑問に、カリム・グラシアはあっさりと答えを返す。
この流れにこそ持ち込みたかった彼女は、笑みを止めた真摯な瞳で管理局の英雄へと助力を請うた。
「貴方に見せた理由は単純です。……旗頭になって頂きたい」
それは英雄である彼のネームバリュー。そして上層部が何よりも重要視するが故に、彼らを惹き付ける華となれる彼に望む役割。
「英雄が統べる。英雄達による、ミッドチルダを守護する部隊。最悪な状況でも必ず動ける。他の幹部たちの息が掛かっていない最高戦力が欲しいのです」
誰もを惹き付ける華として、カリムらが動ける時間を稼いで欲しい。そして同時に、最悪の状況下で確実に動ける部隊としてもあって欲しい。
それこそがカリム・グラシアが、クロノ・ハラオウンと言う英雄に望む役割。
「この僕に道化を演じろ、と?」
「それが必要ならば」
鳥籠の虜囚にこの話を持ち込む時点で、既にクロノを表に出す用意は出来ているのであろう。
聖王教会の聖女と陸の最高指導者が連名でクロノの解放を望めば、管理局の上層部とて無下には出来ないのだ。
それだけで解放される程ではないだろうが、その辺りは政治的な裏工作が色々と行われているのであろう。
己を手玉に取った女性の腹黒さに辟易しながらも、クロノはこの頼みは断れないと判断し始めていた。
「設立するとなれば、何処に作る?」
「ゲイズ中将の指揮下。地上本部の一部署でしょう。表面上は極めて危険なロストロギアに対処する為の、古代遺物管理部に所属する形になる予定です」
「……機動部隊は、五課まで存在していたな」
己に望まれたのは戦場の華達を纏め上げる道化の立ち位置。同時に如何なる状況でも動ける最強部隊の完全掌握。
陸に所属し、聖王教会の後援を受け、海の提督が指揮する私兵部隊。新たに作られるその部隊、名を付けるとするならば。
「さしずめ、機動六課と言った所か」
三つの部署の重役によって構成された部隊ならば、管理局上層部が介入する事は難しい。最高評議会からの直接命令であっても、軽く抵抗し多少の時間を稼ぐ事は出来る。
英雄の私兵と嘲笑され、所詮は民衆の人気取りと馬鹿にされ、いざとなれば独断で動く事も求められるのであろう。
蜥蜴の尻尾に位置する役割。
「それで、返答の方は?」
「良いだろう。受けよう。その話」
だが受けないと言う理由がない。受けない訳にはいかない。
これに協力しなければ己はこの場所より動く事は出来ず、そうして崩壊の時はやってきてしまうのだから。
「……無論、幾つか条件は付けさせてもらうがね」
そんなクロノの出した条件を、カリムは万民を魅了する様な笑顔で了承した。
2.
その人の事は地獄に堕ちても忘れない。
少女が見た中で誰よりも強く、誰よりも雄々しく、なのに誰よりも泣きそうだった少年の姿を、彼女は奈落の底に堕ちたとしても忘れないであろう。
雷光が走る。鋭い穂先が光輝き、赤き血が滴り落ちる。
赤毛の少年が走り抜けた後は深い赤色に染まり、生きとし生ける者は何一つとして残らない。
〈なあ、相棒。俺の力は使わないのかい?〉
「誰が」
命乞いをする研究員を殺し、逃げ出そうとする研究員を殺し、囚われた実験体たちを磨り潰し、無価値な屍の山を築きながら、エリオ・モンディアルは冷たく告げる。
「もう二度と、お前には頼らないよ」
〈これは手厳しい〉
含み笑いをしながら語る内なる悪魔に苛立ちながら、エリオは槍と魔法を振るい死者を増やし続ける。
やり過ぎた事への罰則として与えられたのは殲滅任務。全てを皆殺しにしろと命じられ、不要になった研究施設の駆除を行うこの現状。
悪魔の炎を使えば一瞬で終わったであろう。こうして不快な感触を実感する必要もない。それでも、そうと分かっていてももう頼りたくはなかった。
「僕は一人でやる。……そうさ、お前は必要ない」
そんな少年の言葉に悪魔は笑みを深くする。無傷な身体と正反対に、傷だらけな少年の心を見ながら哄笑を堪える。
〈しかし酷いなぁ。随分と凄惨に殺す物だ〉
絶望の表情を浮かべたまま解体された者達。それを見下ろして、ナハトは心にもない事を語る。
そんな悪魔の嗤いに返すのは、エリオらしくもない言葉であった。
「殺し方に綺麗も汚いもないだろう。さっさと潰して、それで終わりだ」
〈ふむ。ルネッサ・マグナスへの対処に心を痛めていた相棒らしくもない〉
「ルネッサ・マグナス? ……誰だ、それは?」
自分が殺した者。決して忘れぬと背負った筈の己の罪科。
それすら忘れ果てているエリオは、本当に分からないと首を傾げる。
〈……ああ、別に大した者じゃない。所詮は既に死んだ者だよ〉
「……なら無駄口を叩くな。死ねば所詮人なんて肉の塊、覚えておく価値すらない」
それはエリオ・モンディアルの価値観ではない。
元より彼は死者の為にこそ己に価値を求めたのに、今ではその死者を忘れ去ってしまっている。
〈…………おやおや〉
「何がおかしい」
〈いや、何。……順調過ぎて、嬉しくなってきただけだよ。……なあ、お前はどうして己に価値を求めたのか覚えているか?〉
「…………おかしな奴だ。そんなの、弱いままで居るのが気に入らないから以外に何がある?」
そう。それは悪魔の価値基準。
死んでしまえば全て無価値。結局どれ程大切な物であろうと、あっさりと死んでしまう程に弱い奴には覚える価値すら存在しない。
弱者は存在自体が悪なのだ。そんな人間離れした思考を、疑う余地すらない程に盲信している。
そんな異質な己に疑問すら抱けず、エリオは死人を増やし続ける。
「僕は弱い。まだまだ弱い。……お前の力抜きでは、あの吸血鬼に倒されるかもしれない程度の力しかない。管理局全軍を殲滅出来る力は未だないんだ」
〈魔法の力と体術だけでそれだけやれれば、もう十分だと思うがね〉
「足りないよ。まるで全然足りてない。……こんな弱者じゃ、そこの塵山と等価の価値しかない」
死者を無価値と断じ、彼らが関わる記憶を同じく無価値と切り捨て、貪欲に強さを求める。
(そうだ。……その調子だよ、相棒)
それは人の在り方ではない。エリオは人から外れ始めている。全てナハトの目論見通りに。
(そのまま行けば、その拘りはシンとなる。真なる罪がその心に目覚めた時こそ)
力の多用は、少年の魂を悪魔へと近付けていた。だがその精神の在り様が違い過ぎたから、まだ少年は悪魔の王足り得ていない。
故にこそ、信頼への裏切りによって無頼のシンに目覚めつつある少年は近付いている。今になって漸く、それに至ろうとしている。
そう。目覚めの時はもう間もなく。
そのシンが真実、大罪と呼べる純度になった時こそ。
(お前は
エリオは死んでナハトになる。
首輪は外れ、己は真実、悪魔の王として顕現する。
その時を、悪魔の王は哄笑と共に待ち続けている。
少女は気付いた時から其処に居た。過去の記憶は思い出せず、
貴重なサンプルとして保存されていた少女は、度重なる人体実験の果てに心身共に疲れ果て、己の生を諦める程に摩耗していた。
「早く! 退避の準備を!」
「くそっ、管理局め。……あれだけ散々利益を渡したのに、不要になればこれかよっ!」
「愚痴ってる場合か! 早く動かないと俺達も奴に殺されるぞ!!」
だが今日は何時もと違った。何時もは気持ち悪いにやけ笑いを張り付けた男達も、己を切り刻んでいた女達も、研究所に居た全ての人間が青褪めた表情で怯え戸惑っている。
「最低限の研究データと希少な実験体は忘れるなよ! 特に烈火の剣精は数百年物の希少素材だ! 回収し忘れたら次などないぞ!」
「そんな暇ないわよ! 早く逃げないと、私達も!!」
「もう、遅いさ」
少女にとっての絶望が崩れ落ちる。
より恐ろしい悪魔を前に、全てを閉ざしていた扉は崩れ去る。
扉を蹴破り立ち入って来た赤毛の少年は、目にも止まらぬ速度で一番近くに居た女性を串刺しにする。そうして人の刺さった槍を天高く掲げると。
「サンダーレイジ!!」
殺傷設定の雷撃が広域を焼き尽くす。その場に居た研究者達は一瞬にして焼き焦がされる。
時間にして数秒と持たずに、少女の絶望はこの世より消滅した。
悪魔はゆっくりと近付いて来る。研究資材を保存するケースに入れられていたが故に、未だ息のある少女の下へと近付いて来る。
その発する気配は重い。その身が放つ魔力は、この古代ベルカ技術を研究する施設に保管されたあらゆる全てよりも遥かに大きい。
その極まった体技は、掠れた記憶の中にある戦争の英雄達、その全てを超えている。
それなのに、近付いて来る少年は今にも泣きそうな様に見えたから。
「なあ、……アンタも寂しいのか?」
「……っ!?」
赤い髪をした融合騎の少女は、悪魔にそんな言葉を投げ掛けていた。
血臭を身に纏った少年が研究施設を後にする。
生存者はいない。与えられた任務は殲滅。生きとし生ける者全てを殺し尽くせと命じられたのだから、罪悪の王が去った後に生存者などは残らない。
〈全く、甘いねぇ、相棒は〉
「……僕が命じられたのは人間の殲滅だ。コレは人じゃなくて物だろう?」
〈ま、そういう事にしておくさ〉
手に抱いた小さな子供。全長三十センチ程度の小さな妖精を抱き抱えた少年を、悪魔は揶揄する様に嗤う。
そんな悪魔に詭弁を返しながらも、少年は己が何故この娘を拾い上げたのか分からない。
直前まで殺す心算だったのに、寂しいのかと問い掛けられ、一緒だなと笑みを浮かべられ、気付けばそんな少女を連れ出していた。
そんな複雑な感情に答えを出せぬまま、エリオは空いた片手でデバイスを通信モードで起動させると嫌いな女へと連絡を取った。
「任務終了だ。クアットロ」
〈はいはーい。二十七個目の殲滅任務ご苦労様ですぅ。……流石に疲れて来ましたぁ? けどざんねーん。まだまだ仕事は山盛りですよぉ〉
「……僕が言う事でもないが、違法な研究施設が多過ぎだ。この三日でどれだけ殺したと思っている」
〈そりゃ手段の是非なんて選べませんしねぇ。取り敢えずやらせてみてぇ、駄目そうなら殲滅するのが、管理局のやり方ですよぉ〉
「……秘匿したいなら厳選すれば良い物を、無駄死にとこっちの労力が大きくなる」
〈まぁ、研究者とかぁ、掃いて捨てる程いますからねぇ。ドクター程じゃなくても、せめてプレシアくらい行かないと使い捨てにする程度の価値しかありませんよぉ。だから、数打って当たらなければ、不味いから排除する、と言う訳です〉
管理局の最大の強みはその数なれば、使い捨てる様に彼らはその数を浪費する。
無数の管理世界にはそれこそ無数の違法研究所が存在し、それらが不要になった際に排除するのもまた無限蛇の役割であった。
〈まあ、エリオ君には無価値の炎があるじゃないですかぁ。あれなら、ちょっと燃やすだけで殲滅出来る訳でぇ、負担なんてある訳ないですよねぇ?〉
「…………」
エリオの内心を、悪魔が告げた言葉を、同じ悪魔であるが故に知るクアットロは、知りながらも敢えて馬鹿にするかの様に語る。
否、知るからこそ、彼女は傷に塩を塗るかの様に嗤うのだ。
〈ま、余計な拘りで余計に疲れてもぉ、知った事じゃないんですよねぇ。そんな訳でぇ、次のお仕事でぇぇぇす〉
そんな彼女の言葉と共に、エリオの眼前にて転移反応が起きる。
魔法陣と共に転送されてくるのは、先日に一度だけ顔を合わせたある一人の少女であった。
薄い茶髪を後頭部で纏め、民族衣装に似た服装の上に純白の胸当てを付けた幼い少女。年の頃は五、六歳か、感情の死んだ瞳で少女は己の名を告げた。
「先日振りです、罪悪の王」
杖を片手に、幼い少女は一礼する。
それは王侯貴族の様に、礼儀に則った美しい仕草であった。
「改めまして、無限蛇より傀儡師の号を受けました。イクスヴェリアと申します」
「……どういう心算だ、クアットロ」
次の仕事があると言うのに、一見してか弱い少女を押し付けるのは如何なる道理か。目を細めて問い掛けるエリオに、返されるのは女の嘲笑。
〈なぁに、大した事じゃありませんよぉ。……ちょぉぉぉっと聞き分けの悪い子なんでぇ、再教育と言う訳ですぅ〉
冥府の炎王イクスヴェリア。残虐非道と伝えられる彼女の伝承とは真逆、彼女は徹底した非戦論者であり、余りにも使い勝手が悪かったからこそ再教育を受ける事となった。
〈態々お荷物を拾い上げている優秀なエリオ君ですからねぇ。……今更一人が二人に増えても問題ないでしょう? しっかり教育しなおしてくれると期待してますよぉ〉
その教育担当にエリオを選んだのは、クアットロにとっては嫌がらせ以外の意味などはない。
融合騎を持ち出した事も上げられてしまえば、断る余地など何処にもない。
否、元より断る権利など彼にはないのだ。エリオ・モンディアルは弱いのだから。
「……ちっ」
そうしてデバイスに送られる次なる任務。今回の様な自業自得な者らを殺す物ではなく、だが確かな殲滅任務。
冥王に現実を教える為だろう。
何の罪もない一つの世界を滅ぼせと、唯魔法文明でありながら発展していないからと言う理由で、全てを殺せと言う殲滅任務が下された。
「……付いて来なよ。途中で死んだら捨てていく」
胸糞が悪くなる。反吐が出そうだ。そんな風に思いながらも、自由などない罪悪の王は次元世界を一つ滅ぼす為に動き出す。
だが傀儡師は、そんな彼の後を追うではなく立ち止まったまま問い掛けた。
「……罪悪の王。貴方は疑問に抱いた事はありませんか」
「何?」
魔刃の背に向けられた傀儡師の問い掛け。
それは彼女が蘇ってから、否、眠りに落ちる以前より抱いていた疑問。
「私達は死んだ方が良い。……死にたいのに、この毒が死を許容させてくれない」
全てに嘆きを齎すだけの存在。許されてはいけない怪物。
己をそう定義する炎王は、同じく悪徳の存在へと問い掛ける。
彼ならば、人形兵団の在り方に憐れみを抱いていた魔刃ならば、魔群や狂人と違って話しも通じるかもと期待して。
「一体、私達は何の為に生かされているのでしょうか」
「知らない。どうでも良い」
そんな必死の問い掛けは、どうでも良いと切り捨てられた。
「……私達の所為で、多くの者が苦しむと言うのに?」
「それこそ知った事か。弱いから悪いんだ。弱者に価値などありはしない」
「…………」
罪悪の王に取りつく島などない。
悪魔の影響で価値観すら歪み始めている少年に、嘆きの声など届かない。
弱肉強食。それこそ世界の真理であり、奪われるのは弱者である限り仕方がない事なのだ。
「次の任務が詰まっている。死にたいからと足を引くなら、容赦なく置いて行くよ。……無価値で居たくないなら、死ぬ気で足掻け」
死んでしまえばそれは唯の物体だ。
死者は無価値で、死人の意志など何の意味もない。
死ぬとはそう。無価値になると言う事。
「どうせ僕らは罪人だ。死んだとて、皆が諸手を上げて喜ぶだけだろうさ」
死んで嘆く者などいない。死んで喜ぶ者しかいない。
ならばこの命に執着する意味などはなく、あるのは無価値なままでは居られるかと言う意地一つ。
何の為に価値を求めたのかも忘れて、それでも価値を得る為に弱い悪魔は強さを求める。
「だから、余計な事など考えない事だ。……その方が楽になるし、楽より価値を求めるなら強くなれば良い」
余計な思考など要らない。答えの出ない禅問答などは必要ない。
己は弱いのだから、強く為る為に必要な物以外は一切必要ないのだろう。
そんな風に思って、片手に抱いた熱に少し戸惑って。
そう。何か現状に不満があると言うならば、この余計な物も抱えて居たいと願うならば。
「この首輪を外せるくらいに強くなれば、きっと何かが変わるだろうさ」
零れ落ちた言葉は弱者の戯言。
それでも強くなれれば、そんな風に少年は願いを抱いていた。
「……私も、変われるでしょうか」
「知らないよ。変わりたければ好きにしなよ。変われないなら、それは君が弱いだけだ」
歩き去って行く罪悪の王は、その異名の如く罪に満ちた悪漢である。
されど、その一瞬の会話の中で、エリオと言う人間は罪悪だけではないと知れたから。
傀儡師と呼ばれた少女は、ほんの少しだけ輝きを取り戻した瞳で彼を追う。
血と死と嘆きと絶望が満ちた溝の底で、それでも光を追い続けている魔刃の背中を傀儡師は追い続ける。
3.
木造のログハウス。先日の無限蛇の齎した被害が、ラジオを通じて流される店内。
カウンター席に腰掛けたトーマは、背を向けた師に己の体験の全てを伝えていた。
「先生。
温かな珈琲の揺れる水面を見詰めながら、トーマは己の胸中を語る。
目の前で助けられた人を殺された事。自分の大切な物を壊された事。そして何も出来なかった事。
その全てが、どうしようもない程に悔しい。
「俺が、俺が何とかしないといけなかったのに、何も出来なかった」
背中を向けた金髪の師は何かを語る事もなく、何時も通りにトーマの話しに耳を傾ける。
失ったモノは大きい。もしかしたら、自分がもう少し強かったら、助けられたかも知れない事が悔しい。
涙を流して、墓を作る事しかしてあげられなかった、そんな己の弱さが恨めしい。
そんなトーマらしい悔しさの中に、彼らしくもない何処か異質な色も混じっている事を理解して、青年は目を細めた。
「違う。俺が何もしなくても、解決した。俺が動くより、きっと上手く解決した。……その事が、悔しいんだ」
そんな師の背に、幼い子供は告げる。
どうしようもない強迫観念に突き動かされたまま、己の望みを師に伝えた。
「だから、強くなりたい。先生みたいに、強くなりたい」
少年にとって強さの象徴である先生はゆっくりと振り返ると、その仙道の如き澄んだ瞳でトーマを見詰めるのだった。
「……君に教えていない技は一杯ある」
それは御神の秘技であり、ストライクアーツとの組み合わせにより青年が作り上げた新たな体技である。
「君に教えていない技術も、君が習得するべき技術も、確かに多く残っている」
それは彼の技術であり、彼が作り上げて多くの魔導師達が使用する新たな魔法でもある。トーマが強くなる道は、青年が教えられる技術の幅は、それこそ多く存在している。
「なら!」
「……けど、君が望んだのは、本当に一人で強くなる事だったかな、トーマ?」
「え」
けれど、それを教えると言う形にはならない。
普段とは異質な、嘗て見た軽度の暴走状態にも似た状態になっている今のトーマに、教えるべきはそうではないと知っている。
「あの日、君が泣きながら口にしたのは、本当にそれだけだったのかい? 笑顔で逝ったクイントさんが、君を許して抱き締めたゲンヤさんが、そして僕が教えようと決めた君の意志は、己の為だけの強さではなかった筈だよ」
思い出す。壊れかけた記憶を思い出す。
亡くした悲しみに、流れ込んで来る悔しさに、破損してしまっていた記憶を思い出す。
「あ」
あの日、己の毒を封じきれず暴走したあの日、それを必死で止めてくれた母が居た。
その代価に片腕を失い。魂に刻まれた毒と歪みによる汚染によって、彼女はその数日後に亡くなった。最期まで、トーマに笑顔を向けたまま。
あの日、母の死因になったトーマを許した父が居た。
己の所為で死んだのだと嘆くトーマに、お前の所為で死んだのではなく、お前の為に生きたのだと語った父が居た。
抱きしめる腕の強さに、語られる男の言葉に、アイツが守った者を過小評価するなと叱りつける声に、声を張り上げて泣いた想い出を取り戻す。
あの日、強くなりたいと叫んだトーマに、しっかりと向き合ってくれた先生が居た。
母の為に、父の為に、支えてくれる全ての人の為に、強くなりたいと言う子供の言葉を、戯言と笑わずに受け入れてくれた師匠が居たのだ。
「……
教えは一杯受けた筈だった。
望んだ物は、全てを自分で解決する手段ではなかった。
そう。自分は先生みたいな、優しくて大きい男になりたかったのだ。
だから先生を真似する様に口調を変えて、意識してそんな風になろうとして、それを目標に追い掛け続けた。
「強くなりたい。そう思うのは確かで、そうなりたいのは確かで、そうならなくちゃいけなくて、……けど、一人で抱えるのは違っている」
もう嘆かなくて良い様に、そんな不幸が大切な人達に降りかからないように、求めたのは自分の強さと綺麗な世界へと繋げる意識。
あの時、もっと強ければルネッサは助けられた。だからそれを悔しがるのは正しい。
けれど、あの後、何も出来ない弱さを嘆いたのは間違っている。
あそこで悔しがるより、何とかする力を得ようと足掻くより、助けて貰った感謝を抱く事こそトーマの常であっただろう。
強さだけではない。己が求めていたのは、それだけではなかった筈なのだ。
「そもそも、今回は僕がやるより上手く纏まったじゃないか。……それなのに自分が、って馬鹿か僕は」
この結果を喜ぶ事は出来ない。失った重さを前に、嘆かずには居られない。
それでも、悔しがるのだとしても、自分が等と口にするなど、トーマ・ナカジマらしくない。
皹の入った卵の殻は、そんな忘れかけていた自分らしさ。
砕けた卵の殻は、まだ崩れない。その殻は皹だらけだけど、大切だから剥がしたくはないのだ。
「……悔しがる事、上を目指す向上心は悪くないよ。トーマ」
「先生」
「けどね。君が望んだのは、手を取り合って前に進む事だ。……君の願いがそれなら、一番大切な想いは、最初の一歩は忘れちゃいけない」
優しく告げる師の言葉。語るユーノは店の扉へと視線を移し、釣られてそちらへと視線を向けたトーマは見る。
「馬鹿トーマ!」
「ティア!?」
扉を開けて入って来たのは、あの日共に戦った少女の姿。その瞳に淀みはなく、何処かすっきりとした表情で、ティアナ・L・ハラオウンは手を差し伸べる。
「色々、試したい事があるのよ! 相棒なんでしょ、手を貸しなさい!」
己に芽生えかけている歪み。他人を動かす事に長けた資質。その全てが、選ぶべき道を分かり易く示している。
一人では何も出来なくとも、この馬鹿となら出来た事がある。
自分一人では届けない場所に居る人の下へも、誰かと一緒なら行けると分かった。
それを嫌がる捻じ曲がった根性は、一瞬の邂逅が、願い続けて来た手の平が正してくれたから。
だからティアナは頬を羞恥で染めながらも、今更何をと思いつつも、それでも一緒にやろうと手を伸ばすのだ。
「それを忘れなければ、きっと手を差し伸べてくれる人は来るはずだからね」
ユーノが静かに語り、その背を押す。
背中を押された少年は、差し出された少女の手を握り返した。
「行くわよ、相棒!」
「……ああ、行こう! 相棒!!」
失った嘆きを、溢した涙を拭って、笑顔と共に走り出す。
誰かと一緒に先へと進む事こそ、自分の進む道には相応しいと思ったから。
訓練校の少年少女達はその瞳に星の様な輝きを宿して、手を取り合って前へと走り出すのであった。
魔刃エリオはPARADISE LOSTにおけるジューダスポジ。
パラロスって言えば? ジューダス! そんな答えが返るジューダスポジ。
そんな魔刃エリオはStS編では出番多めです。
リリカルなのはVS夜都賀波岐のStS編と言えば? 魔刃エリオ! そんな答えが返るくらい活躍させたい。(小並感)
そんな訳で、現行ではStS編はトーマとエリオの対立を軸に進む予定です。