リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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デデーデー、デデーデー、そんなBGMが鳴り響く展開です。


推奨BGM
1.Paradise lost(PARADISE LOST)
4.ROMANCERS'NEO(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY)


訓練校の少年少女編第六話 無価値の悪魔 上

1.

 

 

 

 誰にも頼れないから、誰にも頼らずに済むように、誰よりも強くあろうと決めた。

 

 

 

 

 

 幸福になれる筈だった。これから進める筈だった。そんな女が、目の前であっさりと殺された。

 あの日、焼き尽くされたあの故郷の光景の様に、忘れられない光景を再び此処に作り上げた。

 

 

「お前ぇぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 

 雷光を従えて現れた赤毛の少年。エリオ・モンディアルは無言で見下ろす。

 その泥のような憎悪も、その灼熱の如き怒りも、どちらも無価値と冷めた瞳で見詰めている。

 

 その姿が、その存在が、どうしようもなく許せない。

 

 怒りの情が抑えられない。憎悪の念が消えてくれない。抑えられない感情に振り回されながら、トーマはエリオに向かって飛び出した。

 

 悪意を持って拳を握る。展開する魔法はナックルダスター。圧縮魔力を纏った高威力の近接魔法。

 少年の激情が籠った一撃は、傍目に見ても強烈な物であると分からせる程に素早く、鋭く、堂の入った鉄拳粉砕。

 

 

「温いよ」

 

 

 だが、無意味。だが無価値。その情は温いのだと、エリオはあっさりと身を躱す。

 足元に展開されるはソニックムーブ。静から動へ、降り注ぐ雷光の如き軌跡を描く高速魔法。

 

 

「がっ!?」

 

 

 雷光の速度で放たれるは、神速の速さから続く三連蹴撃。

 拳が空ぶったトーマの身体に打ち込まれるのは、瞬く間もない速さと重さを伴った連続蹴りだ。

 

 

「紫電一閃」

 

 

 連続蹴りで宙に浮いた体に、雷光を纏った殺意の拳が打ち込まれる。

 容赦など欠片もない打撃に、トーマはまるで襤褸屑の様に吹き飛ばされた。

 

 

『トーマっ!?』

 

 

 その交差は一瞬。それまでに掛かった時間は、余りにも短かった。

 エリオが現れて、即座に反応した二者が動く前に、トーマは廃墟の壁にぶつかり崩れ落ちる。

 

 

「スピーアアングリフ」

 

 

 崩れ落ちたトーマに向かって、エリオはその槍を構える。

 槍の穂から噴射される黄色の魔力を推進剤に、爆発するように迫る彼に躊躇いなどはない。

 

 その鋭い穂先は、確実に少年の命を奪うであろう。そう予測させる事が、余りにも自然な一撃だ。

 

 

「っ! 枯れ落ちろ!!」

 

 

 それを妨げんとすずかが動く。その暗き瘴気を、二大凶殺をエリオに向かって放つ。

 

 

「ちっ」

 

 

 迫る黒き瘴気に舌打ちを鳴らして、エリオは身を退く。

 雷光が地を這うが如く、大地を細かく踏み締めながら距離を取った。

 

 

「ティアナっ! トーマを!」

 

「は、はいっ!」

 

 

 すずかとエリオは互いに向き合う。

 自身も反応出来るか分からない。そんな神速の魔刃を前に息を飲むすずか。

 

 彼女の背後に庇われながら、ティアナはトーマの下へと向かった。

 

 

 

 ごくりと唾を飲むすずかに対して、エリオは何処までも自然体。冷たく冷めた瞳が見据えるは、眼前に居る彼女ではなく、トーマ・ナカジマ唯一人。

 

 混乱は大きい。余りにも激しい変化に、未だ思考は追い付いていない。だが、言える事は唯一つ。

 

 

「舐めてくれるじゃない。罪悪の王、エリオ・モンディアル!」

 

 

 目の前で教え子を傷付けられて、怒らぬ程にすずかは冷めてなどいない。

 漸く捕えた重要人物をあっさりと殺されて、頭に来ないような人物ではない。

 己を一顧だにもせず、あからさまに侮る態度を見せる人物を許容できる様な女ではないのだ。

 

 

「広域次元犯罪者風情がっ! 私の前で、私を無視して、私の教え子に、手を出してるんじゃないのよっ!」

 

 

 総合SSS級広域次元犯罪者。それは無限蛇の中でも特に目撃情報の多いエリオ・モンディアルに対して、管理局が下した評価。

 あらゆる次元世界に出没して、全てを焼き滅ぼした少年の姿は、余りにも多くの者に知られている。

 

 歴史上ごく少数しか該当者のいない最高ランクの犯罪者は、怒りを露わにする女を鼻で笑った。

 

 

「……舐めてなどいないさ」

 

 

 舐めてはいない。油断ではない。それは揺るがぬ事実として其処にある。

 

 

「正当な評価だよ。吸血鬼。君程度なら相手にもならない。……それは内に居る白貌が出て来ようと変わらない」

 

 

 路傍の石に、何故視線を向けようか。

 障害にさえならぬ弱者を、どうして相手取る必要があろうか。

 

 それ程に、両者の実力はかけ離れている。

 

 

「っ!? 馬鹿にしてっ!」

 

「事実さ。……それを教えてあげよう」

 

 

 猛り狂う凶殺血染花を前に、魔刃は感情を一切動かさぬままに冷たく告げた。

 

 

「ディエスミエス・イェスケット・ボエネドエセフ・ドウヴェマー・エニテマウス」

 

 

 呟くような声量で、エリオが言葉を口にする。それは詠唱。奈落へと繋がる為の呪われし言葉。言葉を口にする度に、発する気配の質が暗く暗く淀んでいく。

 

 

「っ! させないっ!」

 

 

 その気配の質から危険を感じ取ったすずかが動く。

 力の行使に言葉が必要ならば、それを口にする余裕を与えないのが正答だ。

 

 女が放った簒奪の瘴気が、詠唱を妨害せんと少年に降り注ぐ。黒き瘴気は凄まじい速度でエリオへと迫る。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 だが、そんな対応も考慮済みだ。魔刃は当然の如く反応する。

 ブリッツアクション。小刻みに高速移動魔法を発動させながら、少年は瘴気を軽々と躱して行く。

 

 瘴気の浸食速度は確かに速いが、それでも雷光の如き速度で動く少年程ではない。何処までも追い続ける瘴気であっても、その言霊が力を示す前には追い付けない。

 

 

「無頼のクウィンテセンス。肉を裂き骨を灼き、霊の一片までも腐り落として蹂躙せしめよ」

 

 

 素早く回避を続けながらも、少年の声が止まる事は無い。その詠唱は、無価値の炎を生み出す言葉は、最早止める事が叶わない。

 

 

「汝ら、我が死を喰らえ――無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 言葉と共にエリオの全身から黒き炎が顕現する。

 無価値な色で燃え盛る腐食の炎は、迫る簒奪の瘴気を一瞬で燃やし尽くした。

 

 

「血染花の瘴気を燃やした!? ならっ!!」

 

 

 焼かれた瘴気の代わりに放つは吸魂の杭。全身から肉を食い破って現れる薔薇の棘が、全てを奪わんと弾丸の如く飛来する。

 

 

「無駄だよ」

 

 

 だが、それも届かない。それは通らない。

 無数の杭は黒き炎に触れた瞬間。腐って燃えて無価値に堕ちる。

 

 その力では、エリオ・モンディアルには届かない。

 

 

「無価値の炎は全てを無価値にする。それは、形があろうとなかろうと変わらない。王国(マルクト)の力じゃ、これは防げない」

 

 

 形ある物。形なき物。それらは全て無意味に変わる。

 あらゆる力に対する反存在である黒き炎は、あらゆる力を消滅させる。

 

 それを鎧の如く全身に纏った魔刃に対し、如何なる攻撃もどのような防御も全てが無駄だ。

 

 

「……好きに足掻きなよ」

 

 

 これは戦いではない。

 争いとは対等の存在の間でしか起こらない。

 

 故に勝機など何一つとしてないこれは、唯の蹂躙だ。

 

 

「全部、無価値だ」

 

 

 黒き炎を纏った少年は表情一つ変えることは無く、冷たい声で揺るがぬ事実を告げていた。

 

 

 

 

 

2.

「しっかりしなさいっ! 馬鹿トーマ!」

 

「っ、ぐっ」

 

 

 すずかがエリオに立ち向かう中、ティアナは倒れたトーマに近付きその肩を揺らす。

 殺傷設定による攻撃を受けた影響は心配だが、それを考慮に入れている余裕はない。

 

 恐らくはアレが罪悪の王。

 ルネッサが勝てないと断言した、無限蛇の最強戦力。

 

 月村すずかでもあの少年には勝てない。

 目の前でルネッサが殺されるまで、その存在に気付けなかった。

 余りにもあっさりと上手を行ったその光景が、彼我の実力差を示しているのだ。

 

 

「ティアっ、僕はっ」

 

「気付いたわね。さっさと動くわよっ!」

 

 

 頭を揺らされて意識を取り戻したトーマ。

 彼の返答を待つでもなく、ティアナは立ち上がるようにその身を急かした。

 

 何をするにも、まずは動かなくてはならない。

 援護に徹するか、足手纏いにならぬように先に逃げて応援を呼ぶか、どちらにせよ、黙って立ち尽す訳にはいかない。

 月村すずかが、どれだけの時間を稼げるかも分からないのだから。

 

 

「っ! 今はどうなってるっ!!」

 

 

 即座に行動しようとしたティアナを、トーマは片手で掴んで押し止める。

 血走った瞳。飢狼の如き表情。らしくない彼の姿に、ティアナは驚愕に瞳を揺らす。

 

 

「……戦闘は継続中よ。……すずかさんが足止めしてるけど、どうなる事か」

 

 

 その表情に飲まれながら、ティアナは何とか答えを返す。そんな彼女の言葉を聞いて、トーマは瞳に暗い炎を燃やした。

 

 

「アイツがいる。……まだ、ここにっ!」

 

 

 笑みが零れる。怒りが満ちる。

 憎悪に濁った瞳には、星の様な輝きなど残っていない。

 

 

「っ! アンタ、何する気よっ!」

 

 

 立ち上がったトーマが魔法を展開する。それは紛れもなく殺傷設定の物。

 その有り様で何をするのか、その魔法で何をするつもりなのか、そんなティアナの言葉に耳を傾ける事もなく、トーマは譫言の様に一つの感情を口にする。

 

 

「アイツが居る。エリオが居るんだ! 皆を殺した。ルネッサさんを殺した。アイツがっ! 手の届く所にっ!」

 

 

 無価値に燃やした。死体すら残さずに焼いた。全て無価値と蹂躙した。

 地面に転がった彼女の頭が、脳裏に焼き付いて離れない。あれを許してはいけないと、荒れ狂う感情が制御出来ない。

 

 

「っ! それで、アンタに何が出来るのよっ!」

 

「……何も出来なくても、何もしない理由にはならない」

 

 

 だから、トーマは拳を握り締めて動く。負けるとしても、勝機はないとしても、道理に合わぬとしても、それでも立ち止まるなど出来はしない。

 

 

「アイツは、アイツだけは許せないんだ!」

 

 

 許せないと言う激情を口にする。だからどうしたいと言うのか。止めたいのか、殺したいのか、それすら分からずに唯憎悪を叫んでいた。

 

 

「……トーマ」

 

 

 その姿は、痛ましかった。

 彼は憎悪に滾る復讐鬼ではない。彼は憤怒に狂う執行者ではない。

 

 怒りと憎悪を抱いても、その本質は変わらない。

 無垢なる愚者は、激情に振り回されていても無垢なままなのだ。

 

 だからこそティアナには、傷だらけの子供が泣いているようにしか見えなかった。

 失って悲しいと、どうして奪うんだと、そんな感情を憎悪に変える姿は、余りにも痛々しかったのだ。

 

 恐らくトーマは止まらない。その激情に振り回されたまま、何も為せずに倒れるだろう。

 その光景が余りにも容易く浮かんでしまった。止めないといけないと、そう思ったのだ。

 

 トーマの激情。その憎悪。真面な術では止まらない。

 それを止められるのは、その切っ掛けとなった人物の言葉だけだろう。

 

 だからティアナは御免と胸中で呟いて、死んだ同類の言葉を代弁した。

 

 

「……そんな様で、ルネッサが喜ぶとでも思ってんの」

 

「っ!?」

 

 

 恐らく、彼女が死んでしまった今、その胸中を真に理解出来るのはティアナだけだ。

 失われた者への想いに突き動かされる少年を止められるのは、きっとティアナだけなのだ。

 

 

「アイツが、何で最期に笑ったと思ってるのよ!」

 

 

 だから、死者の言葉を勝手に代弁する。死者の言葉を騙り、その想いを決め付ける。そんな恥知らずな真似をする。

 

 

「救われたのよ! 助けられたのよ! 死ぬ事に気付いていたのよ!」

 

 

 きっとルネッサはそれを望んでいたから。

 きっとルネッサは、その星の様な瞳が輝き続ける事を望んでいたから。

 

 だから、彼女の事を引き合いに出して、トーマの心を揺さぶるのだ。

 

 

「だから、アンタのそんな姿が見たくなくて、それで笑顔を張り付けたんでしょうがっ!!」

 

 

 転がり落ちた首。切り落とされたそれは、けれど最期まで笑みが浮かんでいた。「ありがとう」その言葉は、確かにトーマに届いていた。

 

 

「それなのに、今のアンタは何っ! 許せない。許したくない。憎い。憎まなくちゃいけない。……そんなアンタの何処に、アイツが焦がれた光があんのよっ!!」

 

「……でも、それでもっ!」

 

「でもじゃないでしょうっ!」

 

 

 パシンと大きな音が、辺りに響いた。

 

 

「ティア」

 

「頭冷やしなさい。馬鹿トーマ」

 

 

 叩かれて赤く染まった頬に手を当てて、トーマは茫然とティアナを見詰める。

 そんな彼にティアナが告げるのは、何処までも身勝手でしかない彼女の意志だ。

 

 

「アンタの理由なんて知らない。アンタとアイツの因縁なんて知らない。譲れない道理があるのかもしれない」

 

 

 エリオ・モンディアルとトーマ・ナカジマ。その二人の間にある因縁も、トーマがエリオを恨む理由も、ティアナには分からない。

 

 ルネッサ・マグナスを殺された。それだけで怒り悲しむのは当然であろうが、それだけではないのであろう。それだけの理由を、ティアナは知らない。

 

 

「挑むのも、抗うのも、恨むのも、何も否定なんてしない。だって、私だってそうだもの!」

 

 

 憎む敵が居るのはトーマだけではない。討つべき仇が居るのは少年だけではない。

 あの腐毒の王を前にすれば、ティアナもトーマと同じく憎悪に振り回されて無様を晒すであろう自覚はある。

 

 

「けどねっ、アンタがらしくない無様晒してたら、それで嘆く奴が居るって気付きなさいよっ! その光に焦がれた奴が居たって、確かに理解して動きなさいよっ!!」

 

 

 ティアナの言葉は、ブーメラン発言だ。その時、その場に立って、同じ事をしてしまうのであろう。同じ言葉を返されれば、口を噤むしかない発言だ。

 

 それでも、厚顔無恥にその言葉を口にする。

 今、ルネッサの声を代弁出来るのは、ティアナしかいないのだから、その笑顔の意味を失わせない為には、彼女が口にするしかないのだ。

 

 

「アンタは馬鹿でも、何もかもを一人で背負い込むような馬鹿じゃないっ!」

 

 

 口にするのは、ティアナの目が見てきたトーマの姿。

 気に入らない奴だけど、気に入らない奴だからこそ、目に焼き付いていた彼の姿。

 

 

「アンタは誰かを救いたくて必死になる馬鹿でしょ! 頑張っていれば、誰かが助けてくれるんだって、そう信じている馬鹿でしょう! 何時だってこんな筈じゃなかった世界で、それでも綺麗なもんを信じてる大馬鹿でしょうがっ!」

 

 

 そんな突き抜けた馬鹿だと思ったから、挑むのが馬鹿らしくなったのだ。

 勝てないと割り切って、競い合うのが愚かしいと自嘲して、馬鹿だけど凄い奴だと思ったのだ。

 

 

「だから、なのに、そんな頭に血を上らせて、一人で無様に突貫して負ける。ふざけんなよ、馬鹿トーマ!」

 

 

 だから、この馬鹿には大馬鹿のままで居て欲しいのだ。

 

 トーマ・ナカジマが度し難い愚か者だからこそ、ティアナ・L・ハラオウンは共に在れると思っているのだから。

 トーマ・ナカジマが余りにも馬鹿だったからこそ、ルネッサ・マグナスは救われたのだから。

 

 

「……ティア」

 

 

 零れ落ちた言葉は、突き付けられた感情は、トーマの胸に確かに響いた。

 身勝手な決め付けの言葉ではあっても、彼の記憶にある言葉を引き出し、その頭を冷やすだけの力はあったのだ。

 

 

「先生曰く、一人で出来ない事も、皆となら。……一人で無茶をして、何も出来ないんじゃ意味がない」

 

 

 呟くように口にするのは、そんな師の教え。全然守れてないじゃないかと首を振って、トーマは項垂れたまま口を開いた。

 

 

「……ティア、御免」

 

「違うでしょ、馬鹿トーマ」

 

「……そうだね」

 

 

 頭を下げて詫びる少年に、そうではないだろうとティアナが返す。

 そう。この場に必要なのは謝罪ではない。そう気付いて、少年は小さく苦笑した。

 

 

「僕一人じゃ勝てそうにない。悲劇を広げる、アイツを止める事すら出来はしない。……だから、手を貸して欲しい。手伝って、欲しいんだ」

 

「ふんっ、言うのが遅いのよ」

 

 

 トーマの瞳に、輝きは再び灯される。

 

 憎悪は晴れない。怒りは拭えない。エリオは許せない。

 けれど、それで輝きを塗り潰してしまう事は、もうしないと此処に決めた。

 

 

「それで、僕はどうすれば良い。……二人なら、アイツを止められるの?」

 

「……はぁ、バッカじゃないの?」

 

「ティアっ!?」

 

 

 二人なら出来るんじゃないのか、そう驚きを露わにするトーマに、ティアナは溜息交じりに現実を告げる。

 

 

「罪悪の王は、私達が二人掛かりでも倒すのがやっとなルネッサが、子猫と巨象くらいに違うって言ってた怪物よ。……そんな奴、二人で挑んで、如何にかなる相手じゃないわ」

 

「……ティア。事実かもしれないけど、それ身も蓋もない言葉だよね」

 

 

 断定の言葉に、どこか疲れた声を漏らすトーマ。

 そんな気の抜けた表情を軽く笑って、ティアナは彼女の考える対策を口にする。

 

 

「だから三人で一緒にやるのよ。……すずかさんを二人でサポートする。それが現状で出来る最善手よ」

 

 

 己一人では届かない。ティアナを入れても、二人掛かりでも勝てないだろう。

 

 

「アンタも言ったでしょ。一人で無理なら皆でってさ。……要は、そういう事なのよ」

 

 

 だが、すずかも共に、三人でなら出来るかも知れない。

 一本の枝は簡単に折れても、三本揃えば断ち切れぬ様に、数は力となるのだから。

 

 

「……うん。そうだね。すずかさんと一緒なら、三人で挑めば、きっと」

 

 

 絆を信じて、信頼する人と共に、悪なる敵を止めるのだ。

 その方が、トーマ・ナカジマの選ぶ道にはきっと相応しい。

 

 その方が、きっと彼女も喜ぶはずだ。そう信じて、トーマは瞳を強く輝かせる。

 

 もう迷わない。信じた友と、前へ進む。

 弱くても、小さき火花でも、一人でないなら大火になれる。

 

 

 

 繋いだ絆が、輝かしい明日を運んでくれると信じて――

 

 

 

 

 

「――きっと、何が出来るんだい?」

 

『っ!?』

 

 

 だが、現実は、この世界は、余りにも残酷であった。

 

 

「何も出来はしないよ。無価値な塵は、幾ら積もろうと塵のままなのだから」

 

 

 立ち上がった少年少女の前に現れる赤毛の少年。

 身の丈程の槍を手に持つトーマと同い年頃の少年は、傷一つない姿で近付いて来る。

 

 

「……お前、すずかさんはどうした!?」

 

「吸血鬼風情が、僕に抗えるとでも思っていたのか? ……余り笑わせてくれるなよ。トーマ」

 

 

 黒炎は消えている。使用出来ないのではなく、使用する必要がないから。

 敵にすらならない月村すずか。それにすら劣る少年少女には、無価値の炎を見せる必要さえ感じない。

 

 

「っ! トーマ! 一端散開して――」

 

 

 咄嗟に状況を理解したティアナが指示を出そうとするが、それよりもエリオの行動は早い。

 

 

「目障りだ。路傍の石」

 

「っ!?」

 

 

 踏み込む速度は雷光。翻る石突は人体急所の一つを打ち抜き、ティアナは呼吸さえ満足に出来ずにその場に蹲った。

 

 

「ティアっ!」

 

 

 蹲る少女へと駆け寄る少年。だがトーマがその手を届かせる前に、無情な悪魔の蹴りが少女の胴に打ちこまれる。

 まるでボールの様に、腹を蹴られた少女は吐瀉物を撒き散らしながら地面に沈んだ。

 

 

「弱さに価値はない。塵は幾ら積もっても塵でしかない。総じて、弱者は無価値だ」

 

 

 倒れた少女を冷徹な瞳で見下して、口にするのはそんな言葉。

 エリオ・モンディアルと言う怪物は、冷たい瞳でティアナを無価値と断じていた。

 

 

「無価値な君は全てが終わるまで、そのままその場で蹲っていろ」

 

 

 故に殺す価値もない。意識を奪う必要すらない。動けなくなった路傍の石を意識の外へと追いやって、エリオはトーマへと振り向いた。

 

 

「エリオォォォォォォッ!」

 

「……少し、五月蠅いよ。トーマ」

 

 

 相棒を傷付けられて激昂するトーマが拳を振るうが、それよりも早く翻された槍が突き刺さる。

 

 

「がっ!?」

 

 

 トーマの胴に槍を突き刺し、そのままエリオは強く押し込む。

 まるで昆虫標本の如く、少年は槍に貫かれたまま地面に縫い付けられた。

 

 

「一つ、教えてあげよう」

 

 

 槍型デバイス“ストラーダ”の穂に当たる部分に足を乗せて、踏み躙りながらエリオが口にする。

 無感動な悪魔が刻み込むのは、トーマの理想を踏み躙る悪意の言葉。

 

 

「信頼。友情。絆。それらは全て、弱さの別称だ」

 

 

 それは彼が生きた溝の底の中で理解した。彼にとっての世界の真理。それはトーマが掲げる綺麗な物。その全てを否定する呪いの言葉。

 

 

「一人では何も出来ぬから、誰かを求める。一人で在れぬ程に脆いから、誰かを頼る無様を、聞こえが良い様に装飾しているんだ」

 

 

 足に体重を乗せる。内臓を抉り混ぜてペーストにするかのように、槍を動かす。

 上がる苦悶の声にさえ表情を動かさず、罪悪の王は言葉を返す余裕もない少年の願いを踏み躙っていく。

 

 

「絆を口にし、信義を頼りに、誰かを救う言葉を口にする」

 

 

 誰かを頼り、誰かに縋る。薄い絆を頼りに、それを剥がされてしまえば、こうして何も出来ない無様を晒す。

 

 

「君は弱いね。トーマ」

 

 

 それは弱さだ。エリオの目に映るトーマは、余りに弱くてちっぽけだ。

 

 

「サンダーレイジ」

 

「があああああああああああああっ!?」

 

 

 電撃変換魔法が放たれる。踏み躙る足元の槍を伝わって、広範囲を焼き払う電撃魔法が体内だけを駆け巡る。

 

 

「……嗚呼、本当に弱い」

 

 

 苦悶の声にすら揺るがない無情の仮面が、ほんの僅かに揺らぐ。その隙間から覗く色は、余りにも深い憎悪の色。

 

 

 

 神の卵。反天使。神に至れる者。神を殺せる者。

 トーマとエリオ。少年達は正反対に位置する器だ。対を為す相克なる者達だ。

 

 魔刃の存在意義とは、未だ至れぬ神の子を真に完成させる為にある――だと、言うのに。

 

 

「……何で君は、こんなにも弱いんだっ!!」

 

 

 零れ落ちる言葉は憤怒。垣間見える色は憎悪。

 魔刃は誰よりも、トーマ・ナカジマを憎んでいる。

 

 

 

 

 

3.

――君の存在価値を教えてあげよう。

 

 

 そんな言葉を告げられたのは、果たして何時の事だったろうか。

 

 

――知りたがっていただろう? 見つけたがっていただろう?

 

 

 トーマと会い、彼に一方的な共感を覚えた後の事だったか。

 それとも、慈悲により見逃した筈のルネッサが、己が見逃した所為でより深い地獄に堕ちた姿を見た後だったか。

 

 今となっては、覚えてすらいない。

 

 覚えているのは見せられた内容。

 忘れられないのは、“反身”が与えられた幸福。

 刻まれて拭えないのは、無限の欲望によって刷り込まれた憎悪である。

 

 

――ほら、見てごらん。アレが君の価値だ。

 

 

 サーチャーによって撮影された映像。

 そこに映る少年は、にこやかな笑顔で笑っていた。

 

 温かな両親に囲まれ、強い師に導かれ、優しい世界で安穏と生きていた。

 己の同類。そう思い込んでいた少年は、確かな自己を得て、満たされた世界で生きていた。

 

 

――魔刃は神の卵を孵化させる為だけに存在している。

 

 

 対して、己はどうであるか。冷たい研究施設で寝起きし、頼れる他者などどこにも居らず、憎悪と怨嗟の叫びに満ちた溝の中を生きている。

 

 嘆きを生み、悲劇を作り、屍を重ねる。

 屍山血河を築いて、それでも必死に前を見ていたのは、誰にも頼れない泥の中で強くなろうと足掻いていたのは、それをするだけの価値があると思いたかったから。

 

 

――罪悪の王は、次代の神を育て、その糧になるべき存在。詰まりは踏み台だ。

 

 

 見つけたかった存在理由は、あっさりと与えられた。

 齎された答えは、死ぬ為だけに存在していると言う実に下らないもの。

 

 そんな答えを探し続けていたのかと、幼い少年は茫然と画面に映し出される光景を見詰め続けた。

 

 

――君が殺して来た命も、君が食らって来た魂も、君が作り上げ続けた悲劇も、全てがあの子の為にある。

 

 

 最初こそ、神殺しとして作られたのであろう。だが、想定していた以上のスペックを得ても、根本の所でエリオ・モンディアルは欠陥品でしかない。

 

 これ以上の成長は期待出来ず、奈落との同調がなければ、己が存在すら保てないと言う人としても不安定な有り様。

 全ての神を追い落とす事を望む狂人にとって、エリオ・モンディアルは失敗作でしかない。

 

 そんな神殺しとして不完全なエリオは、故にそれ以外の理由を与えられたのだ。

 管理局全軍を蹂躙できるであろう彼は、新世界の神の踏み台に丁度良かったのだ。

 

 だからこそ狂人は、エリオが望んでトーマを傷付けるように、その思考に暗い憎悪を植え付ける。

 

 

――良かったね、エリオ。君は新世界の礎になる。これ以上はない価値だとは思えないかね? 

 

 

 見せられた。見せられた。見せられ続けた。

 雨の日も、晴れの日も、嵐の日も、雪の日も、エリオはトーマの姿を見せられ続けた。

 

 トーマが皆に囲まれていた日。エリオは誰もいない荒野で一人佇んでいた。

 トーマが見ず知らずの誰かを助けた日。エリオは見ず知らずの誰かを殺した。

 トーマが何の変哲もない一家を笑顔に変えた日。エリオは何の変哲もない一家の笑顔を奪い去った。

 トーマが優しい両親から「誕生日おめでとう」と祝われた日。エリオは同じ実験体から「生まれて来なければ良かったのに」と呪われた。

 

 その光景は焼き付いて離れない。その光景が焼き付いて離れない。その光景が、焼き付いて離れてくれないのだ。

 

 

――真実を知れば、皆が喝采を以って称えるであろう。君が死んでくれれば、それで世界は救われるのだからっ!!

 

 

 己が望んだ価値とは、後世において誰かに評価される事だろうか。

 己が欲しがった価値とは、弱い子供の餌となって死ぬ為だけの人生だっただろうか。

 

 殺して来た者。殺してしまった者。殺したくなかった者。

 それらが失われた理由が、そんな価値だと言われて、どうして納得出来ようか。

 

 

――これが、君が探し続けていた君の価値だ。

 

 

 欲しかった生きる意味は、そんな物ではない。

 罪に塗れた己が生きていて良い理由は、こんな下らないものではない。

 

 

 

 

 

「これが、僕の価値。こんな弱い生き物が、僕の存在理由」

 

 

 槍に貫かれ、電撃に蹂躙され、真面な反応すら示さなくなった“反身”を見下す。足元で痙攣するしかない弱者を、怒りと憎悪に濁った瞳で見下している。

 

 

「弱い奴には何も出来ない。弱者は無価値だ。……そんな弱者と等価であるなら、この全てに価値がない」

 

 

 泥の中で生き、誰にも頼れぬが故に強くある事を望んだエリオにとって、強さとは絶対の価値基準だ。

 

 死んだのは弱いせい。失うのは弱いせい。守れないのは弱いせい。

 己が意に沿わぬ命に逆らえぬのも、己がこの首輪を外せぬ程に弱いからに他ならない。

 

 所詮世の道理は弱肉強食。弱者は全てを失う。それが自然の摂理である。

 

 だからこそ己を殺せる力を持っていたならば、抗っても無意味な程に彼が強かったならば、エリオはトーマの糧となる事を受け入れた。それ程に強かったなら、諦めが付いていたであろう。

 けれど、トーマ・ナカジマは信じたくない程に弱いのだ。

 

 

 

 電撃を流す。魔力を流す。止まりかけた心臓を無理矢理に動かし、外部からエクリプスウイルスを励起させる。

 

 

「がっ!?」

 

 

 気絶なんて許さない。此処で倒れて終わりなど認めない。

 苦しめ。嘆け。絶望しろ。その為ならば、治療魔法をかけてその身体を万全な状態まで引き戻してやろう。

 

 

「エ、リ、オッ!」

 

 

 無理矢理に意識を覚醒させられ、己が名を叫ぶトーマを見下ろす。

 その目には憎悪の色がある。その瞳には憤怒の情がある。だが、その瞳の奥にある星の輝きだけは、未だ消えてはいなかった。

 

 忌々しい。その輝き(よわさ)は気に食わない。

 

 

「……まだ、憎悪が足りないようだね」

 

 

 他者を排する激情こそが、尽きぬ憎悪こそが、人を先へと進めるのだ。

 人間は他者を呪って、共に食らい合って、足を引き摺り合って強くなる。

 

 それこそが、エリオにとっての真実。彼が見続けた世界の形。

 

 

「……なら、刻んであげよう。分からせてあげるよ。弱者は全てを失うんだ」

 

 

 だからこそ、其処に至らせてやろうと、悪意を持って言葉を紡ぐ。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 槍の穂先でトーマの腕を狙う。

 掠める様に振るわれた刃が切り裂くのは、彼が両手に付けるアームドデバイス。

 

 

(シン)(シン)から、(シン)(シン)へ、奈落(アビス)から王国(マルクト)へ、前存在物質の相転移を確認」

 

 

 知っているぞ。見ていたぞ。

 それは大切な物なのだろう? それはお前の母の形見なのだろう?

 

 

活動(アッシャー)形成(イェツラー)創造(ブリアー)流出(アティルト)

 

「や、め――」

 

 

 刃によって宙に舞う二つ一組のデバイス。紫色のリボルバーナックルへと振り下ろされるのは、腐炎を纏った巨大な槍。

 

 

「堕ちろ、堕ちろ、腐滅しろ」

 

 

 トーマの制止は届かずに、母の形見は無価値に腐って燃え尽きた。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「君の宝物は失くなったね、トーマ。……さて、次は何が良い?」

 

 

 絶叫するトーマの頭を踏み躙って、冷たい瞳で魔刃は告げる。

 

 

「先生から貰った物があったね。父親から貰った物もあったね。羽虫の羽を毟る様に、蟻の手足を捥ぐように、君が持つ物、一つ残らず無価値に堕とそう。……それが嫌なら、強さを示せ」

 

 

 魔刃を超える力を見せろ。

 己の憎悪など打ち崩せる程の憤怒を見せろ。

 この身を打ち破り神に至る為に、その憎悪を以って己を塗り替えろ。

 

 

「……見せなよ、トーマ。何かあるんだろう!」

 

 

 神の卵。至れると言うなら至って見せろ。

 そうでなくてはならない。そうでなくては許せない。

 

 

「これが君の限界ならっ!」

 

 

 覚醒でも暴走でも何でも良い。

 何かを示して乗り越えて見せろ。

 

 それさえ出来ないと言うのならば。

 

 

「無価値なまま、絆に縋る弱者なまま、この醜悪な世界諸共死んでしまえっ!!」

 

 

 

 

 

4.

 吐瀉物に顔を埋めたまま、ティアナはその光景を見ていた。

 絆を否定され、大切な物を奪われて、嬲られ続ける少年の姿を目に焼き付ける。

 

 腹が立つ。腹が立った。

 

 トーマを嬲る魔刃の姿に。エリオに良い様にされているトーマの姿に。

 それに何よりも、偉そうな言葉を口にして置きながら何も出来ない己に、何よりも強い怒りを抱いた。

 

 

(ふざけるな、ふざけるなよ、ティアナ・L・ハラオウン! こんな無様で、アイツの相棒だって名乗るつもりっ!?)

 

 

 己を叱咤する。薄れる意識を、歯を食いしばって持ち堪えさせる。

 

 彼の相棒になる事を認めた訳ではない。そうなりたい訳でもない。

 だが、今回限りは協力すると決めたのだ。手を貸してやると、上から目線で語ったのだ。

 

 ならないとなれないは違う。己があの馬鹿の相棒になる事すら出来ない。そんな弱い無様を晒すのが、どうしても我慢できなかった。

 

 

(何か、ないのっ! あの怪物を倒す方法! 方程式の答え! 何処かに、私の出来る何かがっ!!)

 

 

 そんな物はない。人形兵団にすら届かぬティアナの弾丸が、どうして罪悪の王を揺るがす事が出来るであろうか。

 

 あれは無限蛇の最強戦力。単独で大天魔を相手取ってなお、勝利する事が出来るかもしれない怪物だ。

 

 万象流転の担い手クロノ・ハラオウンでも届かない。盾の守護獣ザフィーラでも敵わない。エースオブエース高町なのはですら殺される。

 

 そんな怪物を前に、唯の凡人に一体何が出来ると言うのか。

 

 

(答えがあるならっ! それをっ!!)

 

 

 渇望する程にそれを願ったティアナの右目に、あり得ぬ景色が垣間見えた。

 

 

 

 幼い頃。少女は右目の神経が腐る程の被害を受けた。

 外科手術と再生医療によって癒えた傷痕には、しかし魔力が残留し続けていた。

 

 重濃度高魔力患者とは、大天魔襲来の際に彼らの魔力被害を受けた者の事。その魔力汚染によって、身体機能に異常を来たした歪み者をそう呼ぶのだ。

 

 ティアナの右目は、軽度であっても天魔の力に汚染された物。幼き頃から鬱屈した願いを抱いて、確かな渇望へと到達した凡人の瞳の汚染は歪みへと変わっていた。

 

 青く輝く瞳に映る。その光景は霧が掛かったようで見え辛い。

 

 所詮は右目。神経一つの汚染しかない。

 渇望で変化しようとも、ティアナの歪みは格が低い。

 

 それは等級にして陰の一。己の力すら自覚できない現状。瞳に映る光景が何かさえ、今の彼女には分かっていない。

 

 

(それでも)

 

 

 凡人は所詮、目覚めても凡人の域を出ない。

 

 

(見えた一瞬を、信じるっ!)

 

 

 それでも、己に出来る何かがあるなら、それを信じて一点に掛けるのだ。

 

 

「トーマッ! アンタが信じる一番強い一撃をっ! 私を信じて打ちなさい!!」

 

 

 叫び声を上げて、ティアナはアンカーガンから一発の弾丸を放った。

 

 その一発の弾丸は、歪みを纏っている訳ではない。

 その一発の弾丸に、特別な何かがある訳でもない。

 

 

「路傍の小石が、無駄をする」

 

 

 躱す必要すらなく。脅威を感じる訳がなく。弾く手間さえ必要ない。

 それでも、その青き瞳に何かがあると感じたエリオは、油断をせずに一歩を退く。

 

 

「……何っ?」

 

 

 その一歩が、圧倒的な優位を狂わせた。

 

 ずぶりと沈み込む己の足。一歩引いた先の大地に穴が開いて、エリオは困惑の声を漏らす。

 

 

(何だ、何が起きている!?)

 

 

 彼が現状を把握するよりも早く、飛来したティアナの弾丸が地面にぶつかる。

 

 余りにも弱弱しい弾丸。非殺傷とは言え、怪物を傷付けるには足らぬ一撃。

 だが、偽りの星光によって限界を迎えていた大地を崩すには、その一撃で十分だったのだ。

 

 

「っ!? 廃棄区画地下空洞かっ!!」

 

 

 大天魔襲来に備えて、クラナガンの街並みは地下へと収納できるように設計されている。

 故にクラナガンの地下には大きな空洞があるのだ。街一つすっぽりと覆い尽くす程に、大きな地下空間が存在している。

 

 それは、旧市街であり、既に廃棄されたこの区画も変わらない。薄い地上の地面の下には、広大な地下空間が広がっている。

 それを知って誘い込んだのか、そう驚愕するエリオに返す言葉は。

 

 

「……知らないわよ。何よそれ」

 

 

 そう。ティアナは知らない。廃棄区画が旧市街だった事も、その地下空洞が今なお塞がれずに残っている事も、既に大地が崩れ落ちそうだった事も、何も知りはしなかった。

 

 

「見えただけよ。……アンタが倒れる景色がね」

 

 

 此処で一発の弾丸を放てば、それでエリオが倒れる未来が成立する。

 そんな光景が見えたから、ティアナは信じた。そんな一瞬の幻に全てを賭けた少女は、既に効果を失った右目でエリオを見る。

 

 安定しない彼女の歪みは、もう使えない。

 その汚染魔力は余りにも矮小過ぎて、効果が長続きする事は無い。

 

 けれど、これで充分であった。

 

 

「っ! だが、この僕が墜落死するとでも!? 侮るな!!」

 

 

 腐炎を解除して、飛翔魔法を展開する。

 無限の欲望に作り変えられた彼に、使えぬ魔法など存在しない。

 

 空を雷速で飛翔する少年は、あっさりと崩落を抜け出す。

 地の底へと落ちていくのはエリオの傍に居たトーマだけ、結局小石の力などそれだけでしかなく。

 故にそこに畳み掛けるのは、小石ではない女の力だ。

 

 

「恋人よ、枯れ落ちろぉっ! 死森の薔薇騎士ぃっ(Der Rosenkavalier Schwarzwald )!!」

 

「っ!? まだ息があったのかっ!?」

 

 

 空に舞い上がった紫の女。魔刃を落とすは、夜の女王。

 腐炎が己を焼き尽くす前に、腐って焼け落ちた半身を己で抉り取っていた女は、己の裸体を片手で隠しながら、残る片手で赤い夜を展開した。

 

 腐炎があれば、夜は一瞬で燃え尽きたであろう。

 己の内に魔刃を取り込んでしまえば、月村すずかはその瞬間に死んでいた。

 

 だが、己の腐炎はあらゆる全てを焼いてしまう。己の魔法も焼いてしまうから、墜落死を避ける為には解除するしかなかった。

 故にこの瞬間、この今だけはその簒奪の夜に対して、魔刃は有効打を示せない。

 

 

「ちぃっ、アクセス――我がシンッ!!」

 

 

 だがそれも一瞬。己が腐炎を以ってすれば、この夜を破る事は容易い。

 ごっそりと力を奪い取られながら、飛行魔法を解除した魔刃は全てを焼き尽くさんとその呪詛を口にする。

 

 だが――

 

 

「なっ!?」

 

 

 轟音と共に撃たれる身体。射線を視線で辿ってみれば、見詰める先にあるのは管理局の装甲車両。

 

 咥え煙草の中年指揮官の指示の元、局員達の手によって一斉砲火される。

 それは、人形兵団より奪い取った質量兵器。魔導師ですら耐えられぬスチールイーター。

 

 

「このっ、タイミングでっ!?」

 

 

 無数の質量兵器に撃ち抜かれ、紡ぐ言葉を妨害される。

 集った味方を巻き込まぬ為に夜は解除され、代わりにと降り注ぐ吸魂の杭はエリオの落下速度を加速させる。

 

 

(っ! 腐炎は、夜がないならいらない! なら、まずはこの状況からの脱出をっ!!)

 

 

 このままでは墜ちる。故にまずは脱出を。

 

 人間離れした己の身体能力ならば、薔薇の夜でも使われない限りは耐えられる。最悪は魔刃の真なる力を解放すれば、それで全てが解決する。

 

 そんな冷静な思考での判断は――

 

 

「先生直伝!」

 

「トーマッッッ!?」

 

 

 目の前で共に落下する少年の、完全に脱力した姿を見て停止した。

 

 目の前の少年は、何一つとして恐れていない。

 落下し続ける。このままでは死に至ると言うのに、己が信じる至高の一撃を放つ為だけに力を溜めている。

 

 恐れがない訳ではない。怯んでない訳ではない。

 だが相棒は信じろと語った。だから彼は信じているのだ。己がすべきは、一番強い攻撃を打つことだけだと。

 

 そう。彼にとっての至高とは、唯一つしかない。

 トーマが最強と信じる一撃は、エースの砲撃でも世界の毒でもない。

 

 それは人の意志。魔導師でもない人間の、本気の力を見せる拳。

 魔力など使わずに打てるように、彼の師が改良し完成させたその拳の名は――

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!!」

 

「がっ!?」

 

 

 その拳が、魔刃の身体を打ち抜いた。

 

 

「分かったか、エリオ!」

 

 

 もしも、何か一つでも欠けていたら、彼らは敗北していただろう。

 そうでなくとも、僅かタイミングがズレただけで、彼らは蹂躙されていたであろう。

 

 薔薇の夜で弱体化し、無数の銃弾に打ち抜かれ、崩落に巻き込まれていた状況だからこそ、その拳は届いた。

 

 それは万に一つどころか、那由他の果てに一つの可能性だった。

 それでも、現実に実現したならば、それは一つの必然となるのだ。

 

 ボロボロになったティアナが、裸体を隠したすずかが、部隊を指揮するゲンヤが、三人がバインドを展開する。その魔力の鎖が、落下するトーマを救い上げた。

 自分で助かる術もなく、されど必ず助けてくれると信じていた少年は、誰も信じず頼らぬ無頼漢へと確かに告げる。

 

 

「これが、お前が馬鹿にした。僕らの(つよさ)だ!!」

 

 

 皆に助けられた少年を見上げたまま、誰にも救われない少年は穴の奥へと飲まれていく。

 

 

 

 弱いままに、助け合って勝利を掴む。そんな己の思想を完全否定する輝きを憎悪の瞳で見詰めたまま、エリオ・モンディアルは大地の底へと消えていった。

 

 

 

 

 

 




天邪鬼な作者が、前評判通りの展開にする筈がなかった。そんなお話しでした。

けど、これ、前後編なんだぜ。(邪笑)



【名称】名称不明
【使用者】ティアナ・L・ハラオウン
【効果】詳細不明。
等級一という最低の格でありながら、魔刃に対して効果を発揮した所から見るに、恐らくは直接的な干渉ではないと思われる。

その青き瞳は魔眼であり、何かを見る為の力を秘めている。
今は未だ真面に発動する事すら出来ず、無理に使おうとすれば一時的な失明状態となる模様。

後にその力を知る御門顕明曰く、御門龍水の歪みに似て非なる力との事。





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