リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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ルネさんの年齢は原作と変わっていないです。けど、見た目的には原作通りです。

Q.詰まり、どういう事だってばよ。
A.見た目は大人! 頭脳は子供! その名は、無限蛇のルネッサ!!



推奨BGM
1.ROMANCERS'NEO(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY-)
2.トーマ テーマ曲(リリカルなのはA's POTABLE -THE GEARS OF DESTINY-)
3の途中から.Paradise lost(PARADISE LOST)



訓練校の少年少女編第五話 涙を拭う手を伸ばす

1.

 突如現れた少年。その拳があっさりと星光を消し去った事に、ルネッサは最大級の警戒を以って向かい合う。

 

 どれ程に動揺しようとも、彼女の加工された脳髄は戦闘時には冷静な判断力を取り戻す。必要と彼女が判断すれば、その動揺は切り替えられる。

 

 自身の最大威力である魔弾を防げる少年。その存在は、敵に値しないとは言えない。

 まずは観察して出方を窺わなければ、そう彼女の脳内に刷り込まれた戦闘知識が判断を下していた。

 

 

(正直、助かった)

 

 

 そんなルネッサの冷静な判断に、最も救われていたのはトーマ・ナカジマに他ならない。

 

 ぶれる視界。映る風景は矮小化し、敵性を除いた全てが正しく認識できなくなる。

 一瞬しか発動させなかったと言うのに、こびり付いて離れない認識異常。それは身の丈に余る力を使った代償だ。

 

 

――世界を壊す癌。エクリプスウイルス。

 

 

 己の内にある毒素。永劫破壊の模倣は世界を壊す。

 あらゆる魔力を分解し己が内へと喰らい尽くすその力は、魂の簒奪と言う聖遺物が持つ基本機能を極端に引き上げた物。

 

 

――それは君の世界を軽くする。全てを破壊し、それさえ認識させない毒だ。

 

 

 その対象は魔力のみに限らない。この世界の万物とは魔力によって構成されているのだから、食らう力が取り込むのは魔力だけでは済まない。

 

 トーマ自身が気付けぬままに、世界を剥がして食べてしまう。

 この世界は簒奪に抗える程の力が残っていないのだから、崩壊は自明の理である。

 

 ゆっくりと剥がれていく世界。偽りの星光を迎撃した場所は、まるで爆撃にあったかのようにごっそりと地面が剥がれ落ちている。

 

 一瞬の発動によって“トーマに食われた”ミッドチルダの大地。それが物語っている。これを制御せずに使い続ければ、比喩でも誇張でもなく世界が滅ぶ。

 

 使ってはならない。決してそれは、世界を救う力には成り得ない。

 それを知っている。この力の怖さを、母の死の原因となった嘗ての暴走を、トーマは決して忘れない。

 

 

――けど、使わないといけない。そう思った時には、迷わずに使うんだ。

 

 

 師の言葉が胸中で木霊する。恐ろしい己の力に恐怖する心を意地で捻じ伏せる。

 必要ならば、躊躇わずに振るうべきだ。それで救えるならば、決して怖気ついてはならないと知っている。

 

 

(……分かっています。今がその時、ですよね、先生!)

 

 

 泣いている声が聞こえた。唯それだけの理由で現れた少年は、ルネッサ・マグナスと対峙する。

 

 呪われし世界の毒はそう何度も使えない。未だ五感がその代償で狂っているのだ。ゼロは使えて後一度が限度。その次に使えば制御が外れ、その次の次には暴走に至ろう。

 

 魔砲はもう防げない。それでもその身に怯懦はない。

 そんな物は、足を止める理由にはならないのだから。

 

 

「涙を拭いに来た、ですって!」

 

 

 片や慎重さ故に、片や手詰まりになっているが故に硬直している両者。そんな動けぬ二人に変わり、口を開くのはティアナ・L・ハラオウンだ。

 

 

「ふざけんじゃないのよっ!」

 

 

 己では逆立ちしても適わぬ敵に勝てるかも知れない。そう思わせる少年に腹が立つ。

 これで分かり易い俗物の様に手柄の横取りを望むならば兎も角、助けに来たと恥ずかしげもなく口にする少年に苛立ちを抑えられない。

 

 誰が泣いている物か。誰が助けを望んだ物か。そんな拒絶の意思が籠った言葉。

 

 

「ふざけてなんかいないっ!」

 

 

 そんな言葉を、トーマは一言で否定する。

 

 

「僕は真面目だ! 助けに来て何が悪いっ!」

 

 

 ルネッサから瞳を逸らさず、されど込められた想いさえも届くその言葉。それは何処までも自分勝手な我儘だった。

 

 

「君が危機に陥っている事が分かって! 目の前に泣いている人が居る事を知って! 黙っているなんて出来るもんか!!」

 

 

 知ってしまったのだ。分かっているのだ。

 なら、どうして手を伸ばさずに居られようか。

 

 

「助けに来た! ティアを! そして、ルネッサさん! 貴女もだ!!」

 

『はっ!?』

 

 

 トーマの言葉に、ティアナとルネッサは声を揃えて驚愕する。彼の発言は、誰にとっても想定外の物であった。

 

 

「言ったろ、涙を拭いに来たって!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは泣いていない。

 彼女は何処までも強い意思を胸に、確かに前を向いていた。

 

 故に泣いているのは彼女ではない。

 トーマが涙を拭いたい相手は、ルネッサ・マグナスに他ならない。

 

 

「泣いているようにしか見えない。助けを求めているように見えたんだ! なら、どうしてそれから目を逸らせる!」

 

 

 それは渇望ではない。それは願望でもない。

 

 それは何処までも、当たり前な感情の発露。目の前で泣いている人の存在を知って、それから目を逸らせないと言うごく当然の優しさでしかない。

 

 

「この指は、その滴を止められるかも知れない! この手は、伸ばせば届く場所にある! なら、手を伸ばさない理由がない!」

 

 

 トーマの理由などそれだけだ。相棒を助け、泣いている女の涙を拭う。その為だけに、彼はこの場に立っている。

 

 

「……アンタ、アイツは無限蛇よ。下っ端なんかじゃない幹部構成員。どんだけ人を傷付けて来たと思ってるの!?」

 

 

 そんな彼に少女は現実を告げる。犯罪組織の幹部構成員。今この瞬間にも被害を広げ、嘆きを撒き散らしている女。

 泣いている幼子を慰めるのとは訳が違う。余りにも悪性に傾いた者を、どうして救えると言えようか。

 

 

「救える筈がない! もう手遅れにも程がある!」

 

 

 犠牲者達の恨み。もう後には退けないと言う思い。己の夢に泥を塗っていたと気付いても、未だ暴走を止められないのは、退き返せないからなのだ。

 

 同類であるティアナには分かる。あそこまで堕ちたルネッサは、差し延ばされた手を握り返せない。それをするには、もう手遅れなのだ。

 だからこそ、もう救えぬ同類の為にも、安易な救いを口にするなとティアナは憤慨する。

 

 

「言ったでしょうがっ! 幸福の椅子には限りがある! アイツは、その椅子から転げ落ちたのよ!」

 

 

 幸福の椅子には限りがある。

 救える者と救えない者は、必ず存在し続ける。

 

 ルネッサ・マグナスは、間違いなく後者であるのだ。

 

 

「……確かに、幸福の椅子には限りがあるのかもしれない」

 

 

 それは拭い去れない事実である。それは覆せない現実だ。

 頭が良くなくとも、馬鹿は馬鹿なりに必死で考えて、確かに真実だと受け入れた。

 

 

「だけど、それでもさ! 限りある椅子を並べれば、座れる人は増えるだろ!?」

 

 

 受け入れた上で、トーマが語るのは屁理屈だ。彼が見たい、綺麗な世界の光景だ。

 

 

「一人用の椅子でも、二人分横に並べれば三人座れる。もっと増やせば、もっともっと、座れる人は増えていく!」

 

 

 狭い思いをするかもしれない。一人で座るより居心地は悪いだろう。

 けれど、譲り合って手を取り合えば、少ない幸福を分け合う事は出来る筈なのだ。

 

 

「誰かが譲りあって、そうして座れる人が増えていけば、きっと幸福の総量は増えるんだ!」

 

 

 それは所詮夢物語。現実にするためには、幾度も壁にぶつかるだろう。

 

 

「手遅れなんて、ある筈ない!」

 

 

 それでも夢を追う事を諦めない。それが叶わぬ等とは思わない。

 人には無限の可能性があって、何処からだって立ち上がれる。何処へだって行けるのだと信じている。

 

 

「もしそうだとしても! それでも僕は手を伸ばす!!」

 

 

 それでも立ち上がれないと言うならば手を伸ばそう。この手を取ってくれるなら、どんな場所へも助けに行く。

 震える日は温めよう。凍える日は隣に居よう。切なき日はずっと離さずに居る。

 

 

「君の為じゃない! ここで諦めたら、僕が僕を許せないからだ!!」

 

 

 禁じた剣を手に掴み、何時か大きな炎に変わると信じて、その小さな火花を燃やすのだ。

 

 夢追い人は迷わない。輝く未来を求めて前に進む。遥かな空の果てには、その理想郷があると信じている。

 

 

「だからっ! 黙って救われてろっ! 笑顔で終わるハッピーエンド以外、僕は望んでいないんだ!!」

 

 

 何に憚る必要もなく。何に躊躇う道理もなく。大馬鹿者は、確かに己の意志を此処に示した。

 

 

 

 

 

「……それで、どうする気よ」

 

 

 その想いの熱量に飲まれかけたティアナが問い掛ける。

 一体どうやってルネッサと言う女を救う心算なのか、と。

 

 女は救えない。不死不滅の怪物を、一体どうやって止めると言うのか。

 

 

「知らない! 見えない! 分からない! けど、諦めたくはないっ!」

 

 

 そんな言葉に、トーマは隠しもせずに口にする。

 何も打つ手がない事を、恥ずかしげもなく明らかにした。

 

 

「だからさ、ティア! 何か良い案はない!?」

 

 

 いっそ清々しいまでの考えなし。救える保障も、勝てる根拠もないのに、取り敢えず想いの丈を口にしただけ。

 そんな阿呆丸出しの少年の姿に、ティアナは頭を抱えて天を仰いだ。

 

 

「……馬鹿だ。馬鹿だって思ってたけど、そんなもんじゃない大馬鹿だった」

 

 

 溜息を零す。阿呆らしくなっていく。どうしてこんな大馬鹿に、ムキになって張り合っていたのであろうか。

 

 

「……はぁ、何か張り合うのも馬鹿らしくなってきたじゃない」

 

 

 単純に言えば、ティアナは呆れ切っていた。

 

 怒りを忘れた訳ではない。嫉妬はまだ残っている。

 けれど、それで食いつく程でもない。こんな馬鹿と張り合うなど、己も馬鹿だと宣言しているような物ではないか。そんな風に思えて、ティアナは深く溜息を吐いた。

 

 

 

 トーマ・ナカジマは愚かしい。

 自分より他人が大事と言う異端者ではない。損得の計算が出来ない馬鹿でも、誰でも良い誰かの為に全てを捨てられる異常者ではない。

 

 皆に愛され、皆を愛する幸福な少年。夢物語を信じる愚か者だ。

 何処までも真っ直ぐに誰かを救おうとする。どれだけ否定されようと、あり得ぬ夢を追い続ける大馬鹿野郎。

 そんな大馬鹿を見ていると言うのに、どうしてか清々しい気持ちになった。

 

 こんなにも真っ直ぐな馬鹿など、彼女の人生で初めて見る存在だ。

 絶対に要領の良い生き方ではなく、損得何て考慮に入れない愚劣な生き物。

 だが、こんなにも世界は残酷なのだから、中には打っ飛んだ馬鹿が居ても良いのではないだろうか。

 

 吹っ切れて、己に芯が出来たから、そんな風に思えたのだ。

 

 

「……良いわ、ちょっとは手伝って上げる」

 

 

 だからだろうか、こんな馬鹿に手を貸してやろうと気紛れを起こした。どうせ失敗するにしても、何かをしようと思えたのだ。

 

 

「ティアっ!」

 

「色々、私も思う所はあるのよ」

 

 

 この馬鹿の言葉に場が飲まれている間に、何とか己の傷は塞いだ。全快には程遠いが、多少の戦闘が出来るレベルには回復した。

 故にティアナは、トーマに背を預ける様に並んで立つ。

 

 

「アイツには散々良い様にされて、その苛立ちをぶつける理由もある! それに、捕殺するより、捕縛して更生させた方が、何か管理局員っぽいじゃない!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウンは管理局員なのだ。戦って、意志をぶつけて、それで良き方向へ向かう事こそ、局員が目指す未来であろう。

 

 手にしたアンカーガン。その中身のカートリッジはもう打ち止め。奮い立つ心が輝きを生むが、それとて無限には成り得ない。それでも、負ける気はしなかった。

 

 

「手札全部教えなさい、馬鹿トーマ! アンタの力、私が最適解で扱って上げるわ!」

 

「ああ、二人でやろう! あの涙を止めるんだ!!」

 

 

 肩を揃えて、己より強い敵に向き合う。この瞬間、二人は初めて相棒となった。

 

 

 

 

 

2.

「忌々しい。ええ、本当に……」

 

 

 少年の言葉が齎した硬直。その動揺から立ち直った女は、苛立ちを覚えながら魔砲を構え直す。

 

 涙を拭いに来た。そう口にする少年。悪逆の限りを尽くす怪物でさえも、救おうとする揺るぎない瞳。暗闇に慣れてしまった己には眩しすぎるその姿。

 

 傍らに立つ少女。あれ程に蹂躙され、力の差を知ったと言うのに尚も向かって来ようとする意志。己では持てない何かを持っている、同類だった筈の誰か。

 

 そのどちらもが許せない程に忌々しい。

 

 

「今更! 今更そんな言葉などでっ!!」

 

 

 右の砲門を前に向け、呪われし魔弾を放つ。

 それは集束砲を模した砲撃ではない。雨霰の如く降り注ぐは、無数の魔力弾。

 

 彼女の半身と同化したスチールイーターが放てるのは、偽りの星光のみに非ず。集束なしに放てば散弾銃の如く魔力の弾幕を作り上げる。

 

 

「っ! やっぱり言葉だけじゃ届かないのかっ!?」

 

 

 明確な拒絶の意思を前に、トーマは歯噛みしながらも拳を握り締める。

 言葉だけで届けば良かった。口に開いただけで止まってくれれば良かった。けれど、それで届かないと言うのならば。

 

 

「ならっ、高町式のお話しだ! 戦えなくなるまでボロボロになって、それでも共に在る事を諦めない!!」

 

 

 真っ直ぐな少年は、降り注ぐ雨の中を疾走する。

 ジュウと肉が焼ける音が聞こえて、全身に感じる痛みに少年は歯を食いしばる。

 

 降り注ぐ魔力弾の雨。弾け飛ぶそれは、唯の魔力の塊ではない。集束されていないとは言え、ベルゼバブの血液が込められたそれは万物を腐食させる悪魔の毒だ。

 

 シールドで受け止めれば盾が溶ける。バリアジャケットで触れれば、己の肉体ごとに溶かされる。回避しようにも、余りに数が多過ぎる。

 

 

「クロスファイア! シュートッ!」

 

 

 故に正答解とは受ける前に撃ち落とす事。攻撃そのものが届く前に、その時点で防ぐ事こそが正解だ。

 

 ティアナの作り出した複数の誘導弾が空中で腐毒の雨とぶつかり合う。

 正面切ってのぶつかり合いでは勝てないと判断している彼女の選択は、確実に自分達に当たる弾丸のみを迎撃する事だ。

 

 

「ウイングロード展開!」

 

 

 そうして開いた道に翼の橋が掛かる。雨に焼かれたトーマはしかし、そんな物では止まれないのだと前へ突き進む。

 

 降り注ぐ雨に際限はない。ティアナの迎撃が減らしては居るが、それも些少。

 純粋に魔力総量が違う以上、撃ち合い続ければ敗北は必定だ。

 

 エクリプスによる再生機能の向上。多少の傷など直ぐに治る。

 だが、この腐食の弾丸は魂を汚す物。故に身体の傷が塞がろうとも疲労は拭えない。幾度となく受け続ければ、この場で倒れて終わりだろう。

 

 トーマもティアナもそれが分かって、それでも二人は勝利を信じて戦い続ける。

 

 勝機はある。確かに存在している。

 ティアナ・L・ハラオウンは、既にその道筋を見つけ出しているのだ。

 

 

〈分かってるわね。馬鹿トーマ。……勝機は一瞬、相手がこっちの手を過大評価している今だけしかないわよっ!〉

 

 

 走り抜けるトーマの頭に響く声。

 ティアナが念話によって伝えるのは、僅かに過ぎる彼らの勝機。

 

 ルネッサがトーマのゼロを警戒し、集束砲を使用しない状況でこそ、彼らの勝機は成立する。その評価が訂正されてしまう前に、勝負を決めなければ勝ち目はない。

 

 

〈ああ! この一連の攻防。外すか当たるか、それで全部決まる!〉

 

 

 故にこれは長期戦には成り得ない。走り出したトーマの足が、彼の手が届く場所まで行けるかどうか、それが全てを決定付けるのだ。

 

 分は悪い。相手がこっちの手札をある程度読み切れば、その瞬間に敗北は確定する。それでも。

 

 

〈確信してる。分かっているさ。ティアの策なら、僕らなら〉

 

 

 それでも確信している。その瞳は揺るがない。諦めない想いは届くのだと知っているから。

 

 

「必ず! 勝てるっ!」

 

 

 諦めない少年の瞳は、余りにも眩しかった。

 故にその星の様な瞳は、ルネッサの心を搔き乱す。

 

 制御装置では抑えられなくなった激情を吐き出すように、女は己の恨み全てを此処に叫んだ。

 

 

「地の底みたいな戦場で、生まれ育って戦った!」

 

 

 食料や日常品すら手に入らず、兵器と弾薬だけは山と言う程に存在していたオルセアと言う場所。

 国境問題。人種差別。大凡全ての戦争理由が存在していたあの場所で、父と共に戦い続けた。

 

 

「その先にあったのは、もっと汚れた地獄の底だった!」

 

 

 九歳の時に重症を負って、父の指揮する部隊も壊滅寸前にまで追い詰められた。

 本来ならば管理局の救助隊に助けられていた彼女達の運命は、しかし管理局にその余裕がなかった事で変わってしまった。

 

 このままでは全滅する。そう感じたトレディアが求めたのは、オルセアに眠ると言う古代の兵器。冥府の炎王と呼ばれたロストロギア。

 それを得てしまった事で、父や仲間達は罪悪の王に殺されて、ルネッサは無限の欲望の手中に墜ちた。

 

 

「罪科を重ねて、それでも夢見て、その夢さえ穢してしまっていて!」

 

 

 他に何もないから、その夢だけは叶えよう。

 空っぽの平和ではなく、自分達の生きた戦場こそが戦う意味を教えてくれると信じて。

 

 ああ、それも過ちだったと言うのならば、本当に自分には何もない。

 

 

「今更、救いなんて、ある筈がない! だから、私を惑わすなっ!!」

 

 

 穢れてしまえ、壊れてしまえ、何もかも終わってしまえ。

 その無限の弾丸は彼女の意志だ。際限なく、制限なく、無限に降り注ぎ続ける弾丸は、世界そのものを汚していく。

 

 その魔弾は迎撃し続ける事が出来る物ではない。その雨は耐えきれる物ではない。

 

 

「っ! あぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 トーマの足が止まる。

 必死に耐えて来た少年も、その腐毒に魂を汚されて膝を折る。

 

 もう一歩だって進めない。

 ここまで来れた事こそ奇跡。ならば、この結末は必然か。

 

 ルネッサは嗤う。ああ、これで偽りの救いは消えるのだと。何処か寂しげに、泣きそうな瞳で嗤った。

 

 

「レェェェストイィィンピィィィィスッ!」

 

 

 せめて安らかに眠れ、愚か者。

 膝を折った少年に、無数の雨は降り注ぐ。

 

 降り注ぐ雨が肉を溶かす。膨大な臭気と共に煙が発生して、何もかもを覆い隠した。

 

 

 

 

 

 異臭を伴う煙が風に吹かれて消えていく。

 降り注ぐ雨が溶かした後には、何も残っていなかった。

 

 そう。トーマの死体すら、その肉片も血痕すらも残っていない。

 

 

「……何ですって?」

 

 

 それはあり得ない。全てを溶かす腐食の雨とは言え、これ程に早く何もかもを溶かすなどありはしない。

 必ず何かが残る筈。それすら、ありはしないと言うならば。

 

 

「まさか、幻影魔法!? なら、あの訓練生たちは!」

 

 

 最初から、こちらに向かっていたトーマは幻影だった。

 そう考えれば、その無謀な特攻も理解出来る。トーマ・ナカジマは最初から囮であったのだ。

 

 

「ファントムッブレイザァァァッ!」

 

 

 その推測を保障するかのように、突如頭上に出現したティアナがアンカーガンを構えて放つ。彼女の全てを込めた一撃は、非殺傷設定の全力砲撃。

 

 

(これが本命!? 否、これも布石か!)

 

 

 先に通らなかった一撃を、この聡明な訓練生が本命とするのは考えにくい。ならば切り札は、間違いなくあの少年の力。

 この砲撃を受けた直後に、ディバイドゼロを受ければベルゼバブとて持ちはしない。

 

 

「だが、解ってしまえば温いっ! その策略は通しませんっ!」

 

 

 先の少年が影に隠れて、少女の砲火の直後に迫っているのであろう。ならば、少女の砲火ごと、纏めて全て消し去るのみ。

 

 

「イミテーション・スターライトブレイカー!!」

 

 

 故に放つは最大出力。悪魔の砲門に集うは、毒に穢れた黒き星の輝き。

 右の半身にエネルギーをチャージして、偽りの星光を以って勝負を決する。

 

 

「その瞬間を、待っていた!」

 

「っ!?」

 

 

 そのチャージの瞬間に、その一瞬の隙に、トーマ・ナカジマが眼前に出現する。

 

 何故、どうして、何があったのか。

 戸惑うルネッサに告げられる言葉は、一手上を行った少女の会心の笑み。

 

 

「私の幻影魔法ってさ、衝撃を受けると消えちゃうのよね。……だから、アンタがしこたまぶん殴ってたその馬鹿は、幻影じゃなくて本物だったのよ!」

 

 

 幻影は全てが消えたと言う光景のみ。全ての砲火をその身に受けて、トーマは確かに膝を折っていた。

 彼が倒れ伏した瞬間に、ティアナが姿を隠す魔法を掛けただけ。満身創痍で立ち上がるのは、確かに少年の意志である。

 

 

「その魔砲が、君の罪の象徴」

 

 

 全身に浮かび上がる赤き刻印。右手に集うは全てを食らう世界の癌。

 

 

「罪科が、過ちが、正しい道を選べなくさせるなら!」

 

 

 振るわれる拳が狙うのは、女を縛る呪いの魔弾。

 その穢れた力こそが、彼女の心に積もった絶望こそが、手を取り合う事を妨げるのならば、それをここで破壊しよう。

 

 

「まずはそれを、ゼロにする!」

 

 

 撃ち抜かれた拳が、ルネッサの右半身を破壊する。

 巨大な砲門を魔力へと分解し、ゼロに返して我が身に喰らう。

 

 半身を砕かれたルネッサは、驚愕に目を見開いたまま、続く左の手に集う美しい輝きを焼き付ける。

 

 

「その上で、これはっ! 先に進む為に、今の君を止める一撃だ!」

 

 

 その左手に集まるは、青き輝き。強く光るは非殺傷の砲撃魔法。

 

 

「ルネッサ・マグナス! アンタは非殺傷なんて効かないって言ったわね!」

 

 

 頭上より迫る茜色の輝き。眼前にて膨れ上がる青き輝き。そのどちらもが、もう躱せない。

 

 

「断言してあげるわ! アンタに殺傷設定なんて効かない! アンタの弱点は、非殺傷の一撃なのよ!!」

 

 

 どんな重症も一瞬で治してしまうベルゼバブ。その身に殺傷設定など意味はない。

 不死不滅の怪物に対して有効なのは、不死なる体を傷付けずにその意識を奪い去る非殺傷の一撃なのだ。

 

 故に、ここに勝負は決する。少年少女は勝利を掴む。

 

 

「なのはさん直伝! ディバインバスターッ!!」

 

 

 トーマの左手が集った青き光を撃ち抜く。

 己を飲み干すその輝きを、唯綺麗だと感じて見惚れた。

 

 

 

 茜色と青色。二色の砲撃はルネッサの身体を飲み干し、ここに子供達はベルゼバブを打ち破った。

 

 

 

 

 

3.

 三年前。当時九歳であったルネッサは、その日、野営地の中を歩いていた。

 

 先日の戦闘で重症を負い、真面に動かぬ右半身。それを引き摺りながら、少女は静かな夜を進む。

 幼い頃に廃薬莢に塗れた家屋の跡より拾ったお気に入りの絵本。その本を左手に抱いたまま、野営地の中心へと進む。

 

 数日前まで暗い雰囲気だった其処は、明るい空気に包まれている。

 先日の敗北で壊滅寸前だった部隊は、つい先程まで、久方ぶりに楽しげに飲めや歌えと騒いでいた。

 

 トレディアが見つけ出したロストロギア。

 これで漸く、オルセアは平和になるのだと誰もが思った。皆が笑みを浮かべて、この地獄は終わるのだと笑い合って。

 

 

――嘆くな。悲しむな。受け入れろ。世の理とは、そういうものだと理解すれば楽になる。

 

 

 堕ちて来た赤毛の少年。その少年が伴う黒き炎は、何もかもを焼き尽くした。

 笑い合った人達も、大好きだった父親も、何もかもを炎で燃やして無価値に変えた。

 

 

――お前達に許された事は唯一つ。今夜この場所で、僕に出会わなければ良かったのにと、そう後悔しながら……死ね。

 

 

 本来の歴史ならば、トレディアが冥府の炎王を見つけ出すのはもっと先の話であった。

 本来の歴史ならば、その晩に至る前に彼女達は管理局によって救い出されていた筈だった。

 

 だが、そうはならない。三年前とは即ち、あの絶望の怪物が襲来した年だ。当時の管理局は歴史上でも類を見ない程に弱っており、外に視線を向ける余裕などはなかった。

 

 オルセアの活動家であるトレディアが、オルセアにて冥府の炎王を見つけ出したのは必然だ。

 管理局に救われた後、再びオルセアに戻った彼が見つけ出した者こそ、イクスヴェリアと言う存在であったのだ。

 

 ならば、イクスヴェリアは元からオルセアに封じられていた。そして、それを見つけ出す術を、トレディアは既に持っていたのだろう。

 故に、トレディアはオルセアを離れなかった為に、本来より数年は早くイクスヴェリアを見つけてしまう。

 

 そして、同じく炎王を探していたスカリエッティに、戦地から実験材料を得る為に様々な勢力を裏から支援していた無限の欲望に、邪魔だと判断されてしまったのだ。

 

 ほんの僅かなズレが、戦地より光の中へと救われる筈の少女を、より深き闇の底へと突き落とす結果に繋がった。

 

 あの夜起きた事など、それだけの事でしかなかった。

 

 

 

 

 

 冷たい泥の中にいる。

 絶望の底で、抱いた矛盾を自分を騙す事で受け入れていた。

 

 それでも他者と触れ合えないこの身体は、酷く冷たい。

 

 ああ、その筈なのに、今は何故だか温かかった。

 目蓋を開いてそれを見る。優しく己を抱き締める、強き少年の姿を見る。

 

 

「痛く、ないんですか?」

 

 

 女は問い掛ける。薬物によって強制的に成長させられた己の身体。

 年齢不相応な程に発育したこの肉は、触れるだけで他者を溶かす毒である。

 

 

「うん。痛い。すっごく痛い」

 

 

 ジュウと音を立てて体を溶かす毒。エクリプスを励起させた影響で肉体こそ癒えていくが、感じる痛みは隠せない。

 

 

「けど、温かい。この温かさを捨ててしまう方が、心が痛いよ」

 

 

 それでも温かい。抱きしめた女の身体は、確かに温かいのだから。振り払ってしまう痛みよりも、この痛みに耐えて居たかった。

 

 だから、そんな優しい少年の温かさを知ったからだろう。ぼそぼそと呟くように、ルネッサは己の胸中を彼に晒した。

 

 

「全身が毒に変わって、他者と触れ合う事も出来ないと思っていました」

 

「けど、こうして今は触れ合えてる。感じる熱は、確かに温かいよ」

 

 

 出来ないと思っていた。けれど、この真っ直ぐな少年はあっさりと踏み越える。

 

 

「自分で夢を汚して、そうするしか生きる術もなくて、もうどうしたら良いか分からなかった」

 

「夢を汚したなら洗いながそう。それしか生きる術がないなら、もっと別の生き方を探してみよう?」

 

 

 出来ないと諦めていた。けれど、この真っ直ぐな少年は、その諦めをあっさりと乗り越える。

 

 

「きっとさ、人は何処からだって立ち上がれるし、何処へだって行けるんだ」

 

 

 少年の言葉は、空っぽの胸に強く響いた。

 

 

「先生曰く、諦めたらそこで終わり。なら、諦めないで前を見よう」

 

 

 少年の言葉は、絶望の底で諦めていたルネッサの心を、救い上げる程に強く輝いていた。

 

 

「探してみよう? 他にないのか。見つけ出そう? 他にないのかを、さ」

 

 

 その伸ばした手の先の温かさ。

 それを知ってしまえば、もう拒絶する事なんて出来なかった。

 

 

「……けど、怖いです。道があるのか、あったとして、私は許されるのか」

 

 

 自分に探せるのであろうか。

 探せたとして、奪って来た者達は私を許してくれるだろうか。

 

 そんな無形の恐怖に震えるルネッサに、トーマは優しく声を掛ける。

 

 

「その先に進むのが怖いなら、僕がその手を取るよ。誰かが君を責めるなら、一緒に頭を下げて謝るよ。君が一人で歩けるようになるまで、石を投げられても、罵声をぶつけられても、それでもこの手は離さないから」

 

 

 何かが変わる訳ではない。

 何も見つからないのかも知れない。

 

 それでも傍に居よう。

 傍に居る誰かが支えてくれれば、きっと何処へだって進んでいける。

 

 トーマはそう信じている。

 

 

「本当に、進めるでしょうか?」

 

「進めるさ。ほら」

 

 

 未だ震える女の肩を抱きながら、少年は頭上を見上げる。

 釣られて見上げるルネッサの目に、一人の女の影が映る。

 

 空から降りて来るのは、ベルゼバブとなった女を救える唯一の人材だ。

 

 

「枯れ落ちろ」

 

 

 人形兵団を打ち破り、漸く辿り着いた紫髪の女性。月村すずかは既に終わっていた戦闘に驚愕を浮かべつつ、ルネッサの身を縛っていた毒をあっさりと消し去った。

 

 

「……始末書提出。後お仕置きだからね。特にティアナ」

 

「げっ」

 

 

 笑顔を浮かべながら激怒している女性は、そんな風に口にして。

 

 

「けど、良く頑張ったね。二人共」

 

 

 本当はいけないんだけどね、と笑いながら二人を褒めた。

 

 

 

 そんな偶然の様に現れた救い。

 あっさりと取り除かれてしまった毒素に、ルネッサは茫然とする。

 

 そんな彼女に、微笑む少年は口にする。

 

 

「頑張っている人を見ると、助けたくなるだろ?」

 

 

 それはきっと、誰もが抱くであろうと少年が信じる想い。

 誰かの為に、何かがしたい。頑張っている姿を見れば、誰かがそう思う筈だとトーマは信じている。

 

 駆け付けたすずかに叱られているティアナの姿。

 そんな日常の如き光景を見ながら、トーマはルネッサに伝える。

 

 

「だから、頑張っていれば、助けてくれる人は必ず来る筈さ」

 

 

 この世界はきっと、残酷なだけではない筈だ。

 

 そう語る少年の姿は、その輝かしい瞳は。

 まるで満天の星空の様に、何処までもキラキラと輝いているのだった。

 

 

 

 

 

「所で、ずっと抱きしめられてるのは、少し恥ずかしいです」

 

「あ、え、御免っ!?」

 

 

 頬を赤く染めた女の声に、少年は慌てて体を離す。

 成熟した大人の色気を持つ女の身体は、自覚してしまうと少年には刺激が強い物であった。

 

 

「……それ、誰にでもするのですか?」

 

「え、抱きしめるの? いや、同性相手はちょっと」

 

「いえ、そうではなく。……誰にでも助けの手を伸ばすのか、と言う事です」

 

 

 何処か恥ずかしげに頬を搔く少年の姿に、女は問い掛ける。

 それは自分を救ってくれた少年の行動に対する、純粋な疑問であった。

 

 

「うーん。どうだろ。目の前に泣いている人が居て、助けられそうなら、誰にでもするんじゃないかな?」

 

 

 女と少年は初対面。だと言うのにこうまで苦難を背負い込む。それが女には理解出来なかった。

 

 そんな問い掛けに、トーマが口にするのは当たり前の善意。

 でも何処かズレた、しかし異常者のそれではない。そんな無垢なる想いの言葉。

 

 

「だってさ、僕が助けた人が、立ち上がれた後で誰かを助けてくれるかもしれない。……それは、とっても素敵な事じゃないか」

 

 

 きっとその方が綺麗だから。そこにそれ以上の理由はないのだ。

 無垢で、愚かで、だからこそ口にされる想いは、それ以上でも以下でもない。

 

 きっとこの少年は誰であっても手を伸ばし、必死に救おうとするのであろう。

 

 

「変な人」

 

 

 其処に何か思う所がない訳ではない。そんな感情のままに、無茶をする少年を周囲は気が気でなく見守っているのではないだろうか。

 そんな事に気付いているのか、いないのか、愚直に進む少年は変わらないのであろう。

 

 

「……けどそれ以上に、素敵な人ね」

 

 

 けれど、ああだけど、その姿は輝かしい。

 その愚かしさは、思わず手を差し伸べたくなる程に、とても綺麗な物なのだ。

 

 

 

 何となく思い出す。大好きだった絵本の内容。

 

 

「まるで、王子様みたい」

 

「うぇっ!?」

 

 

 救いがない戦場の中で見ていたのは、星から来た王子様が沢山の人を笑顔に変える、そんな絵本だったのだ。

 だから、そんな絵本から飛び出してきたような少年だから、目が離せないのだろう。どうして今更、と思ってしまっていたのだろう。

 

 

 

 きっと、やり直せる筈だ。

 今からでも、この少年が手を引いてくれるなら。

 

 そんな風に思って、差し伸べられた手をルネッサは確かに握り返したのだった。

 

 

 

 

 

「……はぁ、終わった」

 

 

 笑顔で激怒していたすずかの説教が終わり、うんざりとした表情を隠さずにティアナは溜息を吐いた。

 

 自業自得だと分かってはいるが、疲労の濃い身体に女の言葉は酷く響いていたのであった。

 

 

「……そう言えば、アンタどうやって来たの?」

 

「え?」

 

 

 疲れた体を解しながら、ティアナはそう言えばと思い出したかのように疑問を口にする。

 それは当たり前の疑問。トーマの持つ能力では、どうやっても此処まで来れない筈なのだから。

 

 

「ほら、何かルネッサの事も知ってたみたいだし、何時から覗いてたのかしら、って」

 

 

 ルネッサの事情を知っている風だった少年。

 それを知れる状況に居た事が意外だったのだ。

 

 この愚直な少年ならば、到着した時点で参戦していそうだと。

 

 

「何言ってるのさ。ティアが僕を呼んだんじゃないの?」

 

 

 故に、その返しは予想外な物であった。

 

 

「だって、ほら。デバイスへの着信、ティアの番号になってる。このライブ映像見たから、ティアが何処に居るか分かったんだよ?」

 

 

 トーマが手に取るは訓練校で支給された連絡用のデバイス。

 其処に流れる映像は、ティアナも持つそれがリアルタイムで記録していた映像。

 

 ティアナのアドレスで送信されたその映像を見たからこそ、トーマはこの場所へと駆け付けて来れたのだ。

 

 

「……私は、呼んでない」

 

 

 呼んでいる筈がない。今の吹っ切れた彼女ならば兎も角、あの当時の彼女は、トーマに対して強い敵愾心を抱いていたのだから。

 

 茫然と呟かれたティアナの言葉は、場の空気を一変させるには十分過ぎる物だった。誰もが凍り付いたまま、何かがおかしいと思考に沈む。

 

 

(待ちなさい。ティアナ・L・ハラオウン。これはおかしい。おかしすぎる)

 

 

 トーマの下へ、ティアナのアドレスを騙って送られた動画映像。

 まるで己をルネッサの下へと誘導するかのように、数が少な過ぎた人形兵団。

 

 そもそもの前提として、何故、人形兵団はミッドチルダでこの暴動を引き起こしたと言うのであろうか。

 

 

「……まさか、まだ何も終わっていない」

 

 

 驚愕に染まった三人の視線が向くのは、倒れ伏したルネッサ・マグナス。

 だが、驚愕を顔に浮かべているのは、ルネッサもまた同様であった。

 

 

「何か、知っている事はないの? 這う蟲の王」

 

 

 冷たい視線で問い掛けるすずかに、ルネッサは首を横に振って返す。

 

 

「知らないわ。私は何も聞かされていない。……知っているのは」

 

 

 彼女が口にする真実は、誰もの予想を外す物。

 

 

「私は、這う蟲の王ではない」

 

「何ですって!?」

 

 

 それは管理局が得ていた前提情報の否定であった。

 

 

「私は、人形兵団の司令塔。ルネッサ・マグナスを含めて、その軍勢を人形兵団と呼ぶの。……這う蟲の王は、真なる魔群は別に居る」

 

「それは誰っ!?」

 

「それは――」

 

 

 伝えようとした真実は、しかし告げる事は出来なかった。

 ルネッサの声が止まる。いざという時に用意された機構が動作して、ルネッサは言葉を口に出来なくなっていた。

 

 

〈あー駄目ですよぉ。ルネちゃぁん。……人形は人形らしく、踊ってくれないとぉ〉

 

 

 そんなルネッサの脳裏に、甘ったるい女の声が響く。それはルネッサの無様を嗤い、その有り様を見下す悪意の声。彼女が得たエリキシル。その大元となった、魔群と呼ばれる女の声だ。

 

 

〈所でぇ、話は変わりますけどぉ。……ルネちゃんは、願望を渇望に変える方法を知っていますかぁ?〉

 

 

 甘い声で毒を口にする女。告げる真実は救いではなく、既に終わりが確定した捨て駒の女の心を踏み躙る悪意である。

 

 

〈それは簡単。与えてからぁ、奪う事。叶えてあげてからぁ、最悪のタイミングで奪い去るのぉ〉

 

 

 誰も反応が出来ていない。誰もが予想を外していた。

 

 その事に、女の悪意を受けてルネッサは漸く気付く。

 無限蛇が何の為に己を此処に寄越したのか、それに漸く気付いた。

 

 だからこそ、今この場で動ける唯一人であったルネッサは、動かぬ体を意地で動かす。

 

 

 

 真なるベルゼバブの悪意。それが向くのは、己を救ってくれた彼だと分かった。

 だから必死で体を動かして、少年の心が傷付かないように笑みを浮かべて。

 

 

〈……今みたいに、ねぇ〉

 

 

 ありがとう。声にならない声で、ルネッサは最期にそう告げた。

 

 

 

「え?」

 

 

 トンと女に突き飛ばされて、トーマは尻餅を付く。

 

 

 

 そんな彼の目の前に、イカヅチが落ちて来た。

 

 

 

 落ちて来た雷光は、鋭い切っ先を伴っている。

 その槍の穂先は肉を引き裂き、女の身体を地に縫いとめる。

 

 

「あ、ああ」

 

 

 まるで百舌の早贄。晒された女の死骸の上へと着地した赤毛の少年は、茫然と残骸を見詰める少年を見下したまま無常に告げる。

 

 

「無価値に死ね。それが君に相応しい末路だよ。ルネッサ・マグナス」

 

 

 引き抜かれた槍が振るわれる。翻る穂先が女の首を切り裂いて、まるで噴水の如く吹き上がる赤い水が、トーマの視界を紅色へと染め上げた。

 

 少年が踏み付けるその体は、黒き炎に焼かれて無価値に消える。

 嘗てのヴァイセン。生まれ育った街並と同じように消えていく。

 

 その光景は、決して忘れられる物ではない。涙を零す少年は、忘れられない景色を再び作り上げた宿敵を睨み付ける。

 

 

「久し振りだね。……僕を覚えているかい? トーマ」

 

「エリオォォォォォォォォッ!!」

 

 

 何もかもを無価値に変えた罪悪の王。

 その姿を前に、トーマは灼熱の如き怒りを抱く。

 

 輝かしい少年は、どす黒い憎悪の情と共に、魔刃の名を叫んだ。

 

 

 

 繋いだ絆はイカヅチによって砕かれた。

 無価値な悪魔と神の卵は、此処に再びの邂逅を迎える。

 

 

 

 

 

 




今回の無限蛇の目的は、トーマ君へのテコ入れだったと言う事実。ルネさんは捨て駒。


そんな訳で次回はVS魔刃エリオ一回戦。多分StS編前最後の戦闘になります。



敵味方の簡単な戦力比。

○味方側
・すずかさん。普通に強い。消耗もほぼ皆無。ただし、光、炎、腐毒弱点。再生能力持ち。
・トーマ君。覚醒イベント次第だが、基本スペックはエース陣に大きく劣る。消耗がきっつい。再生能力持ち。
・ティアナちゃん。凡人。死に掛け。何もない。


○敵側
・魔刃エリオ。全力出すと天魔級。攻撃属性は雷光、腐る炎。再生能力無視する特殊能力持ち。


味方最強なすずかちゃんが、実力で劣る上にガンメタ張られている現状。

……勝てない(確信)



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