リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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お久しぶりです。
休日出勤と残業の影響で書けない日が続いてました。


終焉の絶望編最終話の今回は後始末回。
時間を掛けた仕上がりになっているか不安ですが、楽しんで頂ければ幸いです。


推奨BGM
4.innocent starter(リリカルなのは)


終焉の絶望編第七話 掌に残った小さな物

1.

 雪解けと共に新緑が芽吹き、別れと出会いに咲く花弁が蕾を付ける頃。

 栗色の髪をした一人の少女が、クラナガンの街並があった場所を歩いている。

 

 長く続いた診断と入院と言う名目の軟禁状態から漸く解放された高町なのはは、終焉が過ぎ去った後のミッドチルダを進んでいた。

 

 

 

 彼の終焉が到来してから三ヶ月弱。

 

 あの怪物が齎した被害は大きい。その戦いで生じた被害は甚大だ。

 人的被害は管理局員のみであったが、物的な被害は天災など比較にならない程の物であった。

 

 彼の怪物が進んだ道に出来た黒き砂漠。

 クラナガン中央部を飲み込む程に巨大な渓谷。

 アルカンシエルの連続使用により荒れ果てた大地。

 

 残された光景の中に、嘗ての色は欠片もない。

 

 怪物が進んだ道に生じた黒き砂は、極大の死に触れた事で終わってしまった物質だ。

 触れれば塵の如くに崩れ落ち、魔法で再構成しようにも終焉と言う形は変化を受け入れない。

 何かに活かせる事はなく、足場にするには不安定に過ぎる。少しずつ崩れて消えていく滅びの砂。

 

 その砂漠は宛らアリジゴクが如く、或いは底なし沼が如く。一歩進めば崩れ落ちて飲まれていく。

 そんな砂の上で、そんな砂漠の直ぐ傍で、真面な生活など出来よう筈がない。

 

 クラナガン中央に走る巨大な亀裂が、各所を完全に分断している。

 魔法が主流となったミッドチルダでも、陸路と言う物が完全に使われなくなった訳ではない。

 故に地上移動を完全に遮断してしまう渓谷は、補給物資、配給物の輸送に甚大な被害を与えていた。

 

 アルカンシエルによって街並みは崩れ去った。

 嘗て生きた場所は、当たり前だった生活の場は、何一つとして残らず消えた。

 

 廃墟さえ残らない。クラナガンの風景は、亀裂が走った大地と砂漠しかない地獄の如き光景だ。

 

 絶望が過ぎ去った場所に希望などはない。

 唯其処に居るだけで全てを終わらせる怪物は、正しく全てを終わらせて過ぎ去った。

 

 最早この地は人の生きる場所ではない。

 最早この地には嘗ての名残りなど残っていない。

 地球へと避難して、再びこの場所へと戻って来た者達を受け入れてくれる故郷は、何処にも残されていなかった。

 

 ならば、彼らの目には希望は欠けているのであろうか?

 ならば、彼らは絶望し、諦め、嘆き、死に損なっているのであろうか?

 

 否。

 

 地球は未だ災害より立ち直れていない。彼らが避難先で暮らせぬのは道理である。

 

 だが、他に移住の地はあった。

 無数にある管理世界。関りのある管理外世界。望む場所へと彼らは進めたのだ。

 

 それでも彼らはミッドチルダに戻る事を望んだのである。

 滅び去ってしまった故郷の有り様を知らされながらも、それでも戻って建て直す事を選んだのである。

 

 クラナガンこそが、彼らにとっての帰る場所なのだから。故に、その目に絶望などありはしなかった。

 

 

 

「親方ー! 支柱組み終わりだそうです! 次は建築魔導師に連絡で良いんでしたよね?」

 

「ああっ!? んな事も覚えてねぇのかよ。連絡前に耐久チェックだ。あのでっけぇ谷の上に鉄板置いて、支えられるくれぇの代物に出来上がってるかどうか調べねぇと」

 

「……あ」

 

「おいコラ。もしかして、先に連絡してんじゃねぇだろぉな」

 

「あ、あはは。……すみません」

 

「ばっかやろうがっ!! 砂の移送は足場固めてからだって、何度も言っただろうがっ!」

 

 

 大渓谷前に停車された作業車付近で、年嵩の男がまだ若い男に対して怒鳴り声を上げている。

 彼らは黒き砂と大渓谷と言う破壊に対応する為の作業者達だった。

 

 死の砂はそのままにはしておけない。

 何かの資源になると言う事もなく、触れれば勝手に崩れていく黒き砂は、厄介と言うより他にない。

 

 扱いに困ったその砂。ならばどうするのか。

 

 丁度近くに巨大な穴があるのだから、転移魔法でそちらへと流し込んでしまえば良い。大渓谷を巨大なゴミ箱にしてしまおう。それこそが彼らの解であった。

 

 無論、足場にもならぬ程に脆い砂。谷に埋めて表面を舗装しただけでは、上を通った際に危険が残る。

 その為に支柱を幾つも組んで、鋼鉄の蓋が簡単には崩れ落ちないようにする工事を行っているのだ。

 

 

 

「ほら、嬢ちゃん。食べな」

 

「……良いの?」

 

「子供が気にするんじゃないよ。それとも、甘いの嫌いかい?」

 

「ううん」

 

「なら、ほら」

 

「うん」

 

「……私にも何か甘い食べ物はないかね?」

 

「……アンタはその腹の脂肪があるでしょうに、我慢しな。食い物沢山頼んだスプールス行き商船がもうじき戻ってくるとは言え、甘味なんて嗜好品は持って来ないだろうからね」

 

「……デブに甘味を許さぬとは、割りと死活問題なんだが」

 

「全く、何の為の脂肪なんだい。良い大人が情けない顔してまぁ」

 

「……おじさん。半分こ、する?」

 

「おお、もしや天使か!? ……だが、うん。我慢しよう。……本当に残念だが、我慢しよう。私にも、大人の意地と言う物があるんでね」

 

 

 偶然持っていた板チョコレートを幼子に譲る年老いた女。受け取った物を笑顔で口にする幼い少女。消えていく甘味を名残惜しそうに見詰める恰幅の良い中年男性。

 

 

「本当に要らないの?」

 

「……ちょっとだけ」

 

「情けない男だね、全く」

 

 

 結局甘味を分けて貰った男は情けなく笑い、仕方がない男だと老女は笑い、つられて童女も笑い声を上げる。仮設住宅にて語り合う、そんな団欒の光景。彼らは家族ではない。各々別に家庭を持つ第三者達だ。

 

 復興作業に従事する者の家族や、資材の搬出入管理や管理局との折衝の為に、暫くミッドチルダに滞在する必要がある者達だ。

 

 資材はなく、また居住地を作れる程のスペースも多くない。クラナガンに用意された仮設の居住施設は、どうしても大量には作れない。

 

 だが、クラナガン以外の四区画には人が集まり過ぎている。居住施設は唯でさえ埋まってしまっている。

 空いているのは、人の住みにくい森の中や廃棄区画くらいな物である。故に複数の家族、複数の世帯が一時的な同居生活を送っているのだ。

 

 まるで江戸時代の貧乏長屋。それをもっと簡素にした居住区。

 そんな場所で、見ず知らずの者らは手を取りあって、生きている。

 

 配給品や保存食を分け合う形で過ごす彼らは、そんな風に笑い合っていた。

 

 

 

「すみません。あの人を助けられませんでした」

 

「…………」

 

「自分は同じ船に乗っていたと言うのに、それでも何も出来なかったんです」

 

「貴方が謝る事でもないでしょう」

 

「それでも、自分は艦長に対して何も出来ませんでした。あの死の光が艦を飲もうとする直前に転移魔法で逃がされて、何も出来ずに生き延びたのです」

 

「あの人は、最期に何と?」

 

「……奥さんに、愛していると伝えてほしいと。……それと約束の場所を焼いてしまって済まない、とも」

 

「そう、ですか」

 

 

 その地で起こるのは良き光景だけではない。

 奪われた悲しみ、焼いた痛み、そんな愁嘆場も当然の如くに存在している。

 

 

「……管理局上層部は復興支援を優先する決定を下しました。……戦没者の追悼は未だ何時行われるかも決まっていないんです」

 

 

 時空航行部隊に属する一隻の戦艦。その副長を務めた人物が、艦と運命を共にした艦長の末路をその奥方へと語る。

 復興さえ真面に出来ていない状況、犠牲者達の追悼はおざなりな物となっていた。

 

 

「せめて、遺族年金や遺留品などは、直ぐにそちらに回るように掛け合って見ます」

 

「……いいえ、構いません」

 

「奥さん」

 

「そのような余裕があるなら、ミッドチルダ復興の方へその分を回してください。それが何よりの供養と罪滅ぼしになる」

 

 

 未亡人は穏やかに笑う。

 この地に戻って来た彼女が望むのは、今は亡き夫が命を賭けてでも守りたかった光景を取り戻す事。

 

 

「きっとあの人も生きていれば、それを望んだはずです。……ミッドチルダを守る事、それを誇りに思っていた人ですから」

 

「…………っ」

 

 

 そんな微笑みを見て、副官は唇を噛み締める。

 上の不当な扱いに腐っていた己が、情けなく感じられて、その女の姿に心を揺さぶられて、彼は上官の想いを継ぐ事を決意していた。

 

 そんな光景は、一部でしかない訳ではない。多くの場所で、多くの人が、異なる理由で前を見ている。同じような強い意思を伴った遣り取りが、数多くの場所に存在している。

 

 そこに生きる誰もが、前を向いていた。

 

 クラナガンを進むなのはは、そんな光景を目の当たりにする。そんな遣り取りを耳にする。そんな光景を多く見る。

 

 

(強い。うん。強いんだ、この人達は)

 

 

 嘆きはある。悲しみはある。愁嘆場は存在していて、それでも誰もが前を向く事を止めていない、そんなミッドチルダの強さを目に焼き付けて歩く。

 

 愛しい少年の下へと向かう少女は、その強さに感銘を受けていた。

 

 

「あ! 高町なのはだ!」

 

「にゃっ!?」

 

 

 そんななのはは街を行く途中、何故だかまるで知らない少女に声を掛けられた。

 

 

「おおっ! 本物はニュースペーパーの一面より可愛らしいな!」

 

「この太っちょが、私らの英雄に何言ってんだい!」

 

 

 少女の言葉に反応して、中年の男と老婆も顔を向ける。

 その瞳にあるは称賛と興味の色。まるで街中でアイドルや芸能人を見つけたかの如き好奇と、歴史上の偉人を称えるかのような尊敬の色が多分に混じった視線を受ける。

 

 

「にゃにゃにゃ!?」

 

 

 そんな風に目の色を変えて近付いて来る人々に、少女は訳も分からず動揺する。

 どうしてそんな視線を向けられるのか、長く外との接触を絶っていて、自由になった瞬間に飛び出して来た少女には分からない。

 

 

「うっわー! マジもんの不屈のエースっすよ! ちょっとサイン貰って来て良いっすか!?」

 

「馬鹿野郎、仕事中だぞ! ……貰ってくんなら、家の娘の分も貰って来い!」

 

「うっす!」

 

 

 そんな街の一区画で起こった騒ぎを聞きつけて、次から次へと人が押し寄せて来る。

 作業者の家族達は無論の事、作業者自身でさえもその手を止め、彼女を一目見ようと近付いて来る。

 

 

「にゃぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 そんな津波の如き人の群れに混乱を極めた高町なのはは、翠色の輝きを振り撒きながら、空高くへと逃げ出した。

 

 ミッドチルダ。クラナガンにおいては、緊急時以外に飛行魔法の使用は許されていない。彼女のそれは明確な違反行為であり、処罰の対象となるのであろう。

 

 それでも海の士官である男は、局員として間違っていると分かっても、この地を襲う絶望に最後まで挑み続けた不屈のエースオブエースの違法行為を咎める事はしなかった。

 

 

「我らが英雄に、敬礼」

 

「有難う、小さな英雄さん」

 

 

 飛び立っていく小さな少女の背を、副官だった男は軍隊礼式にて見送り、未亡人となった女は夫が愛した世界の為に戦った英雄に感謝を述べる。

 

 翠の輝きと共に飛び去っていく次代の英雄の背を、誰もが感謝を抱いて見送っていた。

 

 

 

 

 

2.

「英雄、か」

 

 

 ミッドチルダ。地上本部の一室で、和服の青年は小さく呟く。

 

 数少ない現在のクラナガンの娯楽として用意されている新聞。管理局が完全監修しているその一面を飾るのは、新たな英雄誕生と言う見出しであった。

 

 

「何も出来なかった僕らが英雄か、笑わせる。……本当に質の悪いプロパガンダだ。実際に効果がある所も含めて、な」

 

 

 自身に与えられた陸の階級章。そして与えられた勲章を掌で弄びながら、クロノ・ハラオウンは自虐的に笑った。

 

 

 

 彼の絶望の襲来。それが齎した被害と何も出来なかったと言う事実。

 法の守護者である管理局が何一つとして出来ずに敗北したと言う事実は、万民に衝撃を与える物であろう。

 

 このまま公表すればどうなるか分からない。

 だが、さりとて被害の大きさ故に隠し通す事など不可能だ。

 

 故に管理局上層部の選んだ選択は、英雄的な行動を取った人物を称賛し、その成果を誇張した上で高らかに喧伝すると言う物であった。

 

 まるで戦時下、敗戦間際の国家が取るような英雄喧伝。

 無数の賛辞と美辞麗句によって称えられる人物は二人。作り出された英雄は二人だった。

 

 

 

 最強の怪物が襲い来る状況で、怪物が立ち去るまで耐え続けた不屈の戦士。エースの中のエース。ストライカーの頂点。次元世界最高の魔導師。

 

 不屈のエース・オブ・エース、高町なのは。

 

 ミッドチルダ全土を焼いてなお止まらぬ怪物の魔の手から、多くの人々を救い上げた英雄。民間人の犠牲者を零にすると言う、管理局始まって以来の偉業を成し遂げた英雄。

 

 万象流転の担い手、クロノ・ハラオウン。

 

 彼ら二人を管理局は英雄として喧伝し、その戦果や戦場での姿。素性や生い立ちまでも美化して触れ回っていたのだ。

 

 

「……あれま、我らが英雄様ってば陰気な表情してるわね。折角の栄転なんだし、喜んだら?」

 

「ナカジマ准陸尉」

 

 

 そんな鬱々とした表情を浮かべたクロノの姿を、茶化すかのように口にして青髪の女性が室内へと入って来る。

 ポニーテールの女性が口にした言葉に、溜息を交えながらクロノは言葉を返した。

 

 

「栄転、と言えば聞こえは良いですがね。……実際の所、上が命綱を手元に置いておきたいだけでしょう。あの怪物を前に、結界ですら役に立たないと証明されてしまった訳ですからね」

 

 

 軟禁状態から解放されて直ぐに飛び出したなのはは知らないだろうが、彼らには既に昇進と転属が決定している。

 

 海の航行部隊所属の三等海尉から、空の教導隊の一等空尉への転属が内定している高町なのは。

 海の提督位と、陸の准将位を兼任する事が確定しているクロノ・ハラオウン。

 

 この広い執務室は、陸准将となるクロノに与えられた、彼専用の執務室である。英雄と称された彼らの進退は、上の都合で歪められてしまっていた。

 

 

「まぁ、そんな愚痴はどうでも良いでしょう。……それで、今日はどのような用件で?」

 

 

 自身の境遇に関する愚痴を切り捨てると、クロノはそう問い掛ける。

 彼の昇進が内定してから、その恩恵に預かろうと近付いて来る者は増えたが、この女性がそういう類ではない事は良く知っている。

 

 態々、用件もなく来るような人物ではない、とは言い切れないが、それでも勤務時間中に執務室にまで足を運ぶような人ではない。故に何か理由があるのだろう、と。

 

 

「んー? 挨拶回りって感じかしらね。私、管理局辞めるから」

 

 

 あっけらかんと女が告げるのは、自身の進退。管理局員の中でも古株と呼べる女傑が行うのは、退職の為の挨拶回りであった。

 

 

「……そんなに、返しの風が?」

 

 

 目を細めて、クロノが問い掛ける。この女性が無間地獄の中で倒れ、医療班の元に預けられていた事は知っている。歪み者としての限界が訪れている事は知っていたのだ。

 

 

「ん、まぁ、ね。……余命宣告、されちった。五年以内には死ぬだろうってさ。その先の生存率は五パーもないらしいわ」

 

「それは」

 

 

 あっさりと告げられる言葉に、どう返した物かとクロノは押し黙る。

 返しの風によって身体機能の大半を失った女性は、日常生活を送るだけでも長くは持たない。

 残された内臓器に掛かる負荷は増大して、そう長くない内に機能を停止して死に至る。

 

 戦闘はおろか激しい運動すら出来なくなったクイントは、故にこそ長く務めた管理局を辞めるのだ。

 

 

「ま、気にしなさんな。……残った最期の時間はさ、愛する夫と、愛せるようになる子供と、その二人の為に使えるんだから」

 

 

 だから、残された時間は家族と共に過ごそう。永遠に記憶に残る、温かな刹那を残すのだ。

 それがクイントの選んだ、余生の過ごし方であった。

 

 

「……それは、羨ましい話しですね」

 

「でしょ?」

 

 

 もう家族と過ごせない青年は、そんな光景を幻視して羨ましいと語る。

 そうだろうと答えを返す女性は、だからこそ同情も憐憫も要らぬのだと笑っていた。

 

 

 

 そんな風に語るクイントは、ふとクロノの机に積み重ねられた書類を見て首を捻る。 まだ正式に将官と任じられていない現状、彼が行う仕事はまだない筈では、と。

 

 

「ああ、これですか? ……ナカジマ准尉と同じく、管理局を辞める人物に対する、嘆願書って奴ですかね」

 

「ふーん。辞めるなって? 随分と慕われてる奴みたいね。……って、これ」

 

「ええ、あのフェレット擬きに対する物ですよ」

 

 

 それは魔導師としての力の一切を失い、管理局からの解雇宣告を受けた少年に対する物であった。

 

 少年と直接の面識がある者、少年の姿を神楽舞やアースラが撮影した映像などで見ていた者、そんな多くの人々が彼の残留を希望して署名を用意していた。

 

 

「ロウラン提督に、レジアス中将。フィルス法務顧問相談役に、クローベル統幕議長。グランガイツ隊長や家の宿六のもんまであるじゃない! あの子、どんだけ手広くやってたのよ!?」

 

「ええ、其処は脱帽しますね。……あんな無限書庫なんて役に立たずだった札しかなかったのに、それだけの人物から評価を得ていたんですから」

 

 

 彼らが名を連ねる残留の為の署名が此処にあるのは、将官位の中ではクロノがユーノと最も近い人物であると思われているからだ。

 

 彼ならばユーノ・スクライアの希望に沿う形で、この署名を活かせるであろう。そう判断されているからこそ、これらの署名がここに集まっていた。

 

 

「そんな訳で、これを上層部に渡してアイツを慰留させるのも、そのまま野に放っておくのも、僕の意志次第という状況ですね」

 

「……どうする気?」

 

「こうします」

 

 

 クロノがトンと机を叩くと、それら資料がバラバラに引き裂かれて飛び散った。

 

 

「何を!?」

 

「紙繊維の隙間に、空気を転移させて破裂させただけですよ。これも万象掌握のちょっとした応用です」

 

「へー、そうなのかー。って、そうじゃないわよ! 今起きた原理を聞いたんじゃなくて、何でそんな事したのかって聞いてるの!」

 

「……ああ」

 

 

 そうそうたる面々の署名を、まるでシュレッターに掛けるかの如く処分した青年にクイントが詰め寄る。

 このままではユーノ・スクライアは管理局を追い出されたままになる、と彼の師として怒りを向けて。

 

 

「良いんですよ。……今のアイツは、ほぼ役立たずです。それでも、あの馬鹿の事だから、引き留められていると知ってしまえば、責任感だけで留まろうとしてしまうでしょう」

 

 

 残った場合、彼が配属されるのは何処になるか。

 経験を買われて前線部隊の船に同乗するか、適正を買われて事務方に属するか、引き留めの署名をした者らの部隊のどれかに配属される事だけは確定している。

 

 

「死傷率の高い前線部隊に配属されるか、事務方に行くか、どちらにせよ、魔法もマルチタスクも歪みも何もないアイツじゃ、相応以上に苦労する」

 

 

 マルチタスクと言う魔法がある事が前提として組み上がっているスケジュールの中、戦闘機人のような頭脳に追い付く事は不可能だ。

 

 魔法を使えない以上事務方としては役立たずで、戦士として前線に出すのは論外。

 ならば彼はその友誼に答え続ける為に、一体どれほどの努力を続けなくてはいけないだろうか。

 

 

「もう頑張った筈だろう。もう十分な筈だろう。……だから、そろそろ休ませてやりましょう」

 

「クロノ、アンタ」

 

 

 故にクロノはこの署名を彼に見せない。その存在すら教えない。こうして揉み消して、なかった事にしてしまう。

 己の親友には、戦場よりも相応しい場所があると思うから。

 

 

「……無論、何時までも休みは与えませんがね。アイツは僕の顎で使われるのがお似合いです。暫くしたら、適当に理由を付けて専属の部隊にでも引き摺り込んでやる予定です」

 

 

 それはそれとして忙しいのは事実だ。世界に時間はないのは事実なのだ。

 何時までも休ませている余裕はなく、それ以上に別の誰かにアイツを預ける心算もない。

 

 だから、今は休め。そして休んだら馬車馬の如く酷使してやるから覚悟しておけ、そんな風にクロノは笑っていた。

 

 

「……全く、友達想いなのか、何なのか。さっぱり分かんないわ」

 

 

 そんな青年の言葉に呆れたような声を漏らして、クイントは肩を竦める。

 青年の心中は上手く表現し難いが、弟子を大切に思っている事だけは確かだろうと確信する。

 

 だから、彼らは放っておいても大丈夫だと思えたから。

 

 

「んじゃ、そろそろ行くわ。まだ結構、挨拶していかないといけない場所が残ってるからね」

 

「……お元気で、と言うのも変ですかね」

 

「良いんじゃないの? 死ぬまで笑って過ごす心算だもの」

 

 

 ひらひらと手を振って、去って行くクイントに、クロノはさようならと声を掛ける。そんな言葉にじゃあねと返して、クイント・ナカジマは執務室を後にする。

 

 クイント・ナカジマとクロノ・ハラオウン。この時二人が交わした言葉が、別れの言葉となるのであった。

 

 

「……籠の鳥、だな」

 

 

 扉が閉まると同時に、クロノはそう呟く。

 

 もう二度と自分とクイントが会う事はないだろう。

 クロノはこの建物より、外へと出る事が出来ないのだから。

 

 極まった歪みが周囲に悪影響を及ぼす。周囲の安全の為にも、クロノは本局庁舎より外部に出る事が許可されていない。

 

 そんな名目で軟禁状態は続いている。御門の礼服を着ていれば外部に与える影響は最小となるにも関わらず、彼はそんな名目で外部に出る事を禁じられていた。

 

 

「英雄が、聞いて呆れる。上層部が常に手元に逃げ道を用意しておきたい、そんな理由で、避難民に対する支援すら行えない」

 

 

 クロノが動けば、それだけでミッドチルダの問題の殆どが解決する。

 砂漠の砂を取り除く事も、大渓谷を消し去る事も、別の無人世界から土を大量に転移させれば事足りる。何なら地面を交換すると言う行為だって、簡単に出来るのだ。

 

 食料や嗜好品とて、其処にあると分かっていれば幾らでも転移させられる。本当ならば、節制を強いる必要すらない。

 

 建物とて資材と設計図さえ用意してくれれば、物質転移によって組み上げられる。

 前準備はしっかりとした物が必要となるが、組み上げ自体は一刻も必要としない。

 

 クロノが動けば、そう遠くない先に嘗ての光景を取り戻せるのだ。それでも、それを上層部が許さない。

 

 英雄クロノの歪みは復興支援には使えない。彼は特殊な構造である本局周辺から外へ出る事が出来ないからだ。そんな偽りの理由を周囲に説明して、彼をこの一室へと軟禁している。

 

 彼が歪みを使った影響で深度を高め、その命綱が潰えてしまう事を恐れる。

 管理局から抜け出し、別の世界へと向かってしまう、そんな万が一の事態を恐れている。

 

 故に、この執務室には、彼の着る礼服と同じ呪詛が刻まれている。

 その力を極端に抑える作りをした建築物の中では、彼は先に見せた小技のような物しか使えない。

 

 扉の外には戦闘機人。諜報型のドゥーエと戦闘型のトーレが複数体控えていて、常時監視下に置かれているのが現状であった。

 

 

「……そろそろ時間か」

 

 

 時計を見上げて、椅子から立ち上がる。

 任官の為の式典と、名ばかりの立場故に参加しなければならない意味のない会議。

 それらに出席する為に、クロノ・ハラオウンは壁に掛けられたコートを手に取った。

 

 

「似合わないな」

 

 

 極まった歪み故に、白い和装以外を着る事が出来ないクロノは、その上から全身を覆うタイプの局員用コートを着込む形で、正式な儀礼の場に立つ事になっている。

 

 姿見に映った軍服の如きコートを和服の上から着る姿は、何とも言えないミスマッチさを醸し出していた。

 

 

「まあ、良いか」

 

 

 前を閉じ、両手に白手を嵌めれば多少はマシになるかもしれないが、コートの襟首まで閉じてしまうと流石に窮屈だった。

 こんな状況へ追い込んでくれた者らへの反発も含めて、彼らしくない崩した格好のままに歩き出す。

 

 

「……ふん。何時までも飼い殺しに出来るとは思うなよ」

 

 

 歩き出す直前、鏡に映った姿にまるで首輪のような物を幻視して、クロノは吐き捨てるように言葉を漏らす。

 

 

「僕は万象を掌握する。……何れお前達も掌握して、足元に平伏せさせてやる」

 

 

 あの親友が望み、出来なかった事を成し遂げよう。

 監禁され続け、本部より外に出る事が出来ない現状、出来るのは有力者相手の顔繋ぎくらいだ。

 

 向こうも率先して尾を振って来るだろう。何せ、クロノの力が最後の命綱になる事は既に証明されているのだから。

 

 

 

 幻視した首輪を破る日を夢見て、黒の提督は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

3.

 幻視ではなく、現実として首に嵌められた輪が存在している。肉に食い込むように、神経と一体化したその黒い首輪を忌々しそうに触れる。

 

 途端に脳裏に走った痛みに、歯を食いしばって耐える事となった。

 

 

「全く、君は相変わらず学習しないね、エリオ。言ったであろう。その首輪を外そうと思うと、余計に苦しむ事になる、と」

 

「スカリエッティ」

 

 

 ミッドチルダ東部にある天然の洞窟を利用して作られた研究施設。

 終焉の被害を受けた中央地区とは異なり、殆ど被害を受けてはいないこの場所へと戻って来たスカリエッティは、己の首輪を忌々しそうに触れる九歳前後の少年へと声を掛けた。

 

 

「君がその首輪を外そうと思考したり、或いは私を害そうと思えば、その首輪は君を殺す。その痛みは警告だよ、エリオ」

 

「…………」

 

「君は神殺しとしては失敗作で、人間としても不完全だ。……それでも、一個の兵器として見た場合、君以上に優れた物はない。高町なのはも、クロノ・ハラオウンも、楯の守護獣ザフィーラも、君には勝てない。魔刃は真実、管理局最強だ。下位の者なら、大天魔であっても討てるであろう。……だから、そう簡単に壊れては困るんだよ」

 

「…………」

 

「君は君が無価値でない理由を見つけたいんだろう? 己の命に、己が誇れる価値を見つけたいんだろう? その前に死にたくはない筈だ。その為にも死ねない筈だ。……他ならぬ、君に食われたモンディアル夫妻の為にも、ね」

 

「……お前が僕にそれを言うのか」

 

 

 エリオの瞳が憎悪と殺意に染まる。

 

 己に無価値と言うレッテルを張った研究者に、己を失敗作と断じるこの狂人に、己に父母を殺させた男に、お前が言うのかとエリオは怒りを向ける。

 

 頭痛が酷い。身体が悲鳴を上げている。

 まるで拷問に掛けられているかの如き苦痛に、エリオは表情を歪ませる。

 

 

「だから分からない子だね、エリオ。私を殺したいなら、その首輪を如何にかしてからにしなさい。……その時は素直に殺されてあげよう。それはきっと、君と言う子が、私と言う親の思惑を乗り越えた証になるのだからね」

 

「お前が親を騙るな。……反吐が出る」

 

「……モンディアル夫妻が君の親だとでも? 遺伝子上はそうかも知れないが、君はエリオ・モンディアルのクローンでしかない。エリオ本人と夫妻のリンカーコアを取り込んで、その自我を殺し尽くした君が、エリオと名乗る事自体、正しくないとは思えんかね?」

 

 

 高町なのはに施したリンカーコアの移植。その技術を確立する為の実験台となったのが彼だ。取り込んだ魂を己の糧とすると言う形で、自我を得たのが彼だ。

 

 エリオ・モンディアルとは、スカリエッティが生み出した神殺しの試作品である。

 

 

「故に、君の父は私だよ。君は現状、私の傑作であり、失敗作でしかない」

 

「ちっ……」

 

 

 エリオ・モンディアルは強い。

 スカリエッティが作り上げた中では、正しく最高傑作と言えるであろう。

 

 だが、それが彼の限界だ。無価値な悪魔はもうこれ以上の力は得られない。神域に手を伸ばす事は出来ても、その域を踏破する事は出来ない。

 

 これ以上手を加えれば、これはもう壊れてしまうから。

 

 

「……外道が」

 

 

 吐き捨てるように口にして、エリオは研究室を後にする。

 

 このラボは存外広い、表に出る事は許されていなくとも、この下劣畜生と同じ空気を吸って居たくはなかったから、別の場所へと移動しようとして。

 

 

「ああ、そうだ。エリオ。……君に一つ頼みたい事があるんだ」

 

 

 そんなスカリエッティの言葉に引き留められた。

 

 

「頼み? 命令の間違い、だろ」

 

「いいや、頼みさ。……君が動かないと、目標以外も巻き込むやり方で対処する形となるがね」

 

「……断る余地を与えない頼みは、命令と同じだ」

 

 

 忌々しい。だが聞かぬ訳にもいかない。

 そんな表情で足を止めたエリオは、何を求めるのかと問い掛ける。

 

 

「上からの指示もあったからね。最高評議会への義理立ての為にも、進めていた計画を、少し見直す事にしたんだ」

 

 

 そんな彼に狂人が語るは、狂った彼の狂った企み。

 

 

「トレディア・グラーゼ。計画への協力者だったんだが、彼が不要になった。……更に言えば、彼が手に入れたモノが必要になったんだ」

 

 

 計画の変更と共に必要になった兵器。戦力としては二流だが、純粋な物量としては脅威である古代の王。

 

 猫に小判。豚に真珠。トレディア・グラーゼと言う小物に持たせておくには、冥府の炎王は勿体無いにも程がある。

 

 

「だから、トレディアを殺して、アレを回収して来て欲しい。……当然、アレに関して知る者も、全員処分して来るように」

 

 

 手心を加えて見逃さないように、残った情報からこちらを探られないように、全てを無価値に変える彼を動かそうとする。

 

 彼が動かなければ、アレを回収する為にトレディアが住まうオルセア全土を火の海に変える事すら辞さない。

 

 

「出来るね? エリオ」

 

 

 君が殺せば被害は最小限だ。そんな風に笑って、スカリエッティは無価値な悪魔を動かした。

 

 

「…………」

 

 

 最早語る事もない。憎悪に身を焼かれた己がこの男に斬り掛かる前に動こうと、エリオは無言で立ち去って行く。

 

 

「さて、しっかり殺すんだよ、エリオ。……一人でも残して置いたら、きっと良くない事になるよ」

 

 

 ああ、けれど、あれで甘さを残す少年だ。きっと数名は生き残りが出るであろう。

 彼の首輪には監視機能もあって、その後詰めとなる部隊も用意されているとは知らずに、命乞いをされれば手心を加えてくれるであろう。

 

 冥府の炎王に施す予定の施術。

 その実験台になる生き残りはそれで回収出来る。

 

 

「ふむ。不死の肉体を得る秘薬、エリキシルとでも呼ぼうかね? ……まぁ、名付けるのは実験の後でも構わないか」

 

 

 やる事は多くある。己の計画の為に、為さねばならぬ事は多くある。

 

 

「ああ、だが、しかし。……あれは面白かった」

 

 

 そんなスカリエッティは、作業の手を進める前に彼の光景を思い出して思わず笑い出す。自らを呼び出し、仰々しく語る最高評議会の的外れさに笑みを零す。

 

 

「ふふ、ふはは。……全く、彼らは私を笑い殺す気かね? 真実を教えよう? 今更そんな事実など、当に知っているのだと言うのにね」

 

 

 笑いを堪えるのが大変だった。

 そう語るスカリエッティは、全てを知っていた。

 

 

 

 小型のサーチャーによって、或いは量産された戦闘機人によって、彼はミッドチルダの全情報を既に解き明かしている。隠された物全てを暴いている。

 

 ジュエルシードを廻る戦い。闇の書を廻る戦い。

 そこで彼は大天魔の情報を得た。特に彼にとって有益となったのは、天魔・奴奈比売が見せた多彩な技術。

 それによって、旧時代の技術を知った彼は、それまでは仕組みがまるで違うが故に突破できなかった御門の防衛網を、すり抜ける事が出来るようになっていたのだ。

 

 故に彼が知り得ていない情報など、最早ありはしない。老人達の想定など、彼は数年も前に外れていたのだ。

 

 先の会合によって得た成果は、評議会からの御墨付きと、その場を見たであろう顕明の感情が籠った語りを聞けた事だけだ。それ以外に、彼が得た物など何もない。

 

 

「ああ、滑稽だな、私を生んだ老人達。何時まで世が貴方達の思惑通りに動くと錯覚しているのだろうか!」

 

 

 あの時に見せた笑みは、彼らの滑稽さを嘲笑った物。

 自らが認められた事への歓喜ではなく、新たな難題に挑むが故の狂喜ではなく、その間抜けさへの嗤いであった。

 

 

「聖なる王。新たな神。……そんな物には余り興味が惹かれないがね。まあ良いだろう。多少は顔を立てて、少しだけ手を貸そうとも!」

 

 

 己を縛る鎖は既に噛み切った後とは言え、それでもまだ彼らには利用価値がある。

 何れ彼らの足元は崩れ落ちるが、その時までは精々協力するとしよう。

 

 それでは何から始めようか、そう思考したスカリエッティはふと机の上に置かれた紙の束を見つける。

 

 エリオが持って来たのであろう。

 それはヴァイゼンで彼が起こした事件に関する報告書であった。

 

 

「……ふむ。記録映像で見知っては居たが、あの子も存外に執着心が強い」

 

 

 報告書に記された内容。其処には極端な程に、トーマに関わる内容が少なかった。

 最も報告せねばならぬ事、それを最低限に抑えている辺りに、返って強く意識していると感じさせる。

 

 

「トーマに対する執着。これは唯の罪悪感か? それとも自己投影の一種か?」

 

 

 神の依代であるが故に先天的に自我を持たないトーマ。

 自己のないクローンと言う生まれであり、食らった魂と記憶によって自己を曖昧なものとしてしか確立出来ていないエリオ。

 

 自分のない両者は、とても良く似ている。

 その情報を知らずとも、何処かで共感していたのかもしれない。

 演技する人形の如き怒りに、エリオである事を演じている少年は思う所があったのかもしれない。

 

 唯の推測に過ぎない。邪推の域を出ない。

 だが、あの少年の事をエリオが意識しているのは確かである。

 

 

「ふむ……」

 

 

 さて、ならばどのように扱うのが良いだろうか。

 エクリプスウイルスと言う原初の種より生み出された病毒に侵された少年を、どの様に扱うべきであろうか。

 

 

「ならば、ああ、そうだ! 良い事を思い付いた!!」

 

 

 そんな風に思考して、スカリエッティは妙案を思い付く。

 己の思考が出した結論に、それは良いと自画自賛する。

 

 彼の瞳に映るのは、エクリプスウイルスのモデルとなった原初の種だ。

 

 

 

 原初の種。それは金属だ。

 それは血痕の付着した、何の変哲もない金属にしか見えない。だが、そうではない。

 

 それは物質的にはそうであっても、その実、魔法では解析し切れない程に高度な術式が施されている。

 故に常識では考えられない程の硬度を誇っている。真面な方法では溶かす事すら出来ぬ程に、個として極まっている。

 それもまた聖槍と同じく至宝の一つであるのだ。

 

 嘗て、最高評議会が行った過ち。

 罪姫・正義の柱を利用しようとした結果、結局何も出来ずに終わった愚行。

 

 エクリプスウイルスの根源となった原初の種とは、聖槍にぶつける事で無理矢理に砕いた正義の柱の欠片である。

 聖なる槍とならび称される程の宝物より取り出された物。砕いて作った欠片をこそ原初の種と呼んでいるのだ。

 

 至宝としての正義の柱は残っている。その刃先が欠け落ちただけで、管理局ではその程度しか出来なかった。

 その刃先の欠片を再現しようと作り上げた物こそが、スカリエッティの作り上げたエクリプスウイルス。即ち、永劫破壊の模倣である。

 

 それは所詮模倣品だ。故に参考となった欠片自体は彼のラボに残っている。

 ならば、彼に与えるべきなのは、その欠片を使った物であるべきだ。それを使って、トーマの為だけの聖遺物を生み出そう。

 

 

「新たな神に成り得る者よ。君に首飾りを贈ろう! とてもとても美しい首飾りを贈ろう!」

 

 

 残った欠片を利用する。その小さな破片を材料に、美しい首飾りを作り上げるのだ。

 

 

「原初の種より生み出そう! その種より花を育てよう! 美しき花の首飾りだ! 穢れなき聖母の象徴の如く、白百合の名を与えよう!!」

 

 

 その姿はトーマに合わせて、美しい少女の物にしよう。何故だかその欠片を手にすると幻視する黄昏の如き女。彼女に似せて作るのも良いかもしれない。

 彼女の持つ黄金の如き髪色を、欠片である事を考慮して少しばかり薄めた色にしようか。

 

 そんな愚にも付かない事を考慮しながら、狂気の科学者は笑い狂う。

 

 

「受け取ってくれると嬉しいなぁ! ふふふ、ふはは、はーははははははははははっ!!」

 

 

 洞窟の奥底で、次を見据える科学者は笑う。

 狂った男は被害を振り撒き続ける。決して、己の行いを省みる事などはしない。

 

 彼にとって真面目に生きるとは、己の欲望を肯定し、それを満たす為にあらゆる努力を惜しまない事なのだから。

 

 

 

 

 

4.

 真面目に生きる。

 

 自分の足で、自分の手で、確かに今を生きていく。

 その難しさに、ユーノ・スクライアは溜息を吐いた。

 

 

(魔法を使えれば、簡単な事なのに、それがないだけで、こんなにも難しい)

 

 

 出来る限り魔法は使わない。

 そう決めていても、日常の中で頼る瞬間は度々あった。

 

 書類を処理する際にマルチタスクを、大きな物を輸送する際に転送魔法や浮遊魔法を、極力消費を薄くして、必要ない時は自前の手足を使っていた。

 

 それでも、これまでは日常の中に魔法が溶け込んでいるのが当然だったのだ。それが完全になくなった事は大きな影響を与えていた。

 

 

 

 終焉が去った翌日の朝、ユーノ・スクライアは目を覚ました。

 

 愛しい少女の事を思考して、会いに行こうとするが面会謝絶。

 そんな彼に与えられた言葉は、魔力資質を失った事を理由にした解雇通知であった。

 

 半ば追い出されるような形で本局を後にした少年。

 彼の胸には、ぽっかりと穴が開いたような感覚だけが残されていた。

 

 

――高町なのはは任せたまえ。必ず、君の元へと戻すと約束しよう。

 

 

 如何にか抗おうとした少年に、狂気の科学者は真摯に答えた。

 自らを信頼してくれた彼にだけは良いだろうと、魔力を不要とする通信機器を渡してくれた。

 

 これで高町なのはと連絡を取れるようにしておく。だから案じる必要はない。そんな風に言われた為に、それ以上食い下がる事はなく退いた。

 

 

――こっちは僕に任せておけ、お前より権力に近い立場だからな。階級だろうが家名だろうが、使える物は何でも使って、お前が描いていた理想絵図を形にしてやる。

 

――戦場は戦士が行くものだ。俺達のように力ある者にある義務だ。……今のお前は、其処に行く必要はない。だから、今は休むと良い。

 

 

 追い出される前に出会った二人の男達はそう語った。

 中途半端に終わった夢を親友が継ぎ、もう戦えない自分の代わりに戦友が戦場に出る。だからお前は自由に生きろ、そんな風に二人は語った。

 

 だから、だろうか。何もする必要がなくなった彼は、それでも何かをしてみよう。そんな風に思ったのだ。

 

 最初は復興への協力をしようか、とも思った。だが、魔法も使えなくなった技術者でない者の支援など、今は必要とする段階でもなかったのだ。単純な人手は足りていたのである。

 

 だから、何をしようか、そう考えて思い付いたのが、己を鍛える事であった。

 

 

――鍛えてくれ、って言われてもね。私ももう真面に動けないし、ぶっちゃけ魔法抜きなら、もうアンタの方が強いわよ。

 

――不完全で下駄を履いていたとは言え、閃を使えたんだろう? ……恥ずかしい話だが、美由紀や恭也と違って、俺は閃を使えないんだ。そんな君に、俺が教えられる事はもう多くない。御神の技を教える事は出来ても、劇的なパワーアップと言う形にはならないだろう。

 

 

 そうして二人の師匠に如何にか連絡を付けた所、返って来た返答は両者共に同様の内容。

 

 もう学ぶ時期は終わりつつある。

 免許皆伝。もう師の背を追い掛ける時期ではない。

 

 後はユーノ自らが、その上に積み重ねていくのだと揃って口にされたのだ。

 

 どの道、地球に赴く為の足はまだ用意出来ない。緊急連絡用に地球に残していた通信機とスカリエッティより貰った通信機で遣り取りをしただけだ。

 

 通信機越しになのはの無事を伝え、彼女とその両親の会話を成立させる事は出来たが、自分が向こうに行くことは出来なかった。故に御神の技を学ぼうにもまだ暫くは掛かるのだ。

 

 

 

 自分で自分を鍛える。

 それにした所で、どうしても時間は余ってしまう。

 

 地球に行けたなら、翠屋を手伝った。

 クイントの元に行くなら、子育てや家事を手伝った。

 

 だが己だけで鍛えるなら、空いた時間をどうするべきか。

 自ら道を切り開く時期に差し掛かった少年は、他に何をするべきかと迷ってしまった。

 

 

――アンタ、桃子さんから御菓子作り教わったんでしょ? コーヒーや紅茶も淹れられるなら、喫茶店でもやってみたらどう?

 

――これ、ミッドチルダの商業法関係書類。……恋人が無職だなんて、そんな恥を女の子にさせたら捥ぐからね。

 

 

 女の子二人に言われて、成程そうかと結論付ける。

 

 翠屋の手伝いは然程した訳ではないが、誰しも始めは未経験だ。

 経営ノウハウや食材の仕入れなど、分からなければ勉強すれば良いのだ。

 

 そう言った事は得意で、それをする為に必要な貯金は山ほどあった。

 連日の激務で溜め込んでいたお金を使う機会はなかったから、必要な物は十分な程にあったのだ。

 

 だから、そんなお店を作ってみようと素直に思った。

 

 

 

 場所はミッドチルダの片隅。今はこの場所から別の場所へと移動する船も真面に出ていない状況、他の世界を選ぶ事は出来なかった。

 

 購入した土地は、クラナガン東部森林地帯の一部。

 復興中の中央区からは比較的近く、それでも元から人が余り住んでいなかった場所。

 

 ミッドチルダの建築業者は軒並み大忙しだ。東西南北の四区画の各住宅地は人で溢れ返っていて、入りきれない人々が仮設住宅で生活する現状。

 

 そんな状況でも復興作業に従事する彼らに、お店を作って欲しいと言っても断られるのが責の山。下手をすれば激怒されるであろう。

 

 森林地帯と言う立地上、周囲には木が山ほどあった。

 無限書庫で記憶した情報の中には、設計や建築に関わる情報もあった。

 

 どうせ復興まで月日を無駄にするくらいなら、まずは一人でやってみよう。それで駄目そうなら、復興が終わった後にでも建築を改めて依頼すれば良い。

 

 そんな風に安易に考えて、ユーノは家を建て始めた。

 

 

 

 自生する木々を、管理局に許可を取って切り倒す。

 木を斧で切り倒し、形を整えて運ぶ。唯それだけの事が、とても大変であった。

 

 釘や金属は用意出来ない。材料は木材のみなのだから、形が崩れてしまえば使えない。

 切り倒した木の硬さが予想よりも弱かったり、想定した形に削れなかったりして、何度も何度も失敗を繰り返した。

 

 柱や梁のバランスに何度も失敗した。

 鉄や釘を全く使わずに作るのは熟練の技だ。

 建築に手を出したばかりの素人には難し過ぎる。

 

 漸く形になった木組みが軽い振動で崩れ落ちる度に心が折れそうになり、それでも通信機越しに聞こえる励ましの声に頑張った。

 

 太陽の少女が見ているのだ。ならば、月の少年は確かに輝く。

 

 

 

 寒い時期のテント暮らし。

 復興作業がキツイ中、彼らに衣食住を頼る訳にはいかない。

 

 日々の糧は森の恵みと言うべき動植物。

 冬場である以上、必然として採れる食材は少なくなっていく。

 

 スクライアと言う出身上、サバイバルには比較的に慣れていたが、その時には魔法があった。

 様々な魔法の道具があった。今あるのは、魔力を使わない最低限の道具だけである。

 

 最初は満足に食料も取れず、キノコや食べられる草などを採って生活していた。

 次第に川魚や冬眠中の獣を狩れるようになり、自然の中でも当たり前に生きられるようになっていった。

 着る物がボロボロになっていき、生きる事だけでも難しい場所で、それでもユーノは家を作り続けた。

 

 文明の利器に頼って、魔法に縋って生きていた少年は、漸く知る。生きるとは本来、とても難しい事であったのだ、と。

 きっとこんな難しさの中でも、諦めずに目標へと向かって行く事こそが、真面目に生きると言う事なのだと。

 

 難しい。それは酷く難しい。

 

 それでも、背を押す声があるから、機械越しに聞こえて来る声があるから、真面目に生きる事をやめたくはなかった。

 

 

 

 そうして、漸く形になる。

 

 この三ヶ月で生きる事の難しさを知って、自分一人で成し遂げる事の難しさを知って、そうして出来たのは不格好な木造住宅。

 

 木だけで組まれた寒く、暗く、住み辛いログハウス。

 意図してないのに前衛的な形をしている椅子や机の出された木のテラス。

 

 それだけが、ユーノが手にした小さな成果。

 

 

「後は、これで」

 

 

 用意した板に色を塗る。文字を描いた看板を背負って、嵌め込む為の穴を開けて置いた屋根へと上る。

 看板に書かれた文字は店名。少年が愛した、少女を象徴する一つの色。

 

 それを嵌め込む事で、小さな彼の小さなお店は完成した。

 

 

「ユーノくーん!!」

 

 

 遠くより聞こえる声に振り返る。

 忘れもしない。忘れる筈がない。それは彼が愛した、大好きな女の子の声。

 

 

 

 翠色の輝きと共に飛び込んで来る高町なのはを抱き留める。

 少年の大好きな、太陽に向かう向日葵の如き笑顔を浮かべた少女を抱き締める。

 

 その腕の中に感じる温かさこそが、彼に残った小さな、されどとても重い宝石。それだけがユーノ・スクライアに残った幸福の全て。

 

 

 

 

 

 喫茶・桜屋。正式オープン。

 

 森の中にある小さなお店。

 小さな子供が経営する、とてもちっぽけな喫茶店であった。

 

 

 

 

 

 

 




エリオは仮にも三騎士より強い魔刃(偽)なので、終曲ザッフィーの全力と張り合えるクラス。多分時間制限の関係でエリオが勝つ。

奴奈比売、紅葉辺りなら問題なく勝てるが、屑兄さん辺りを相手にすると負ける感じ。
高位の面子を討てないのに、成長も期待出来ないので、スカさん的に失敗作だったりします。

当然、そんだけ強い理由があるので、その辺バレると結構致命的。
アンナちゃん辺りとやり合うと、力の本質明らかにされるのが先か、アンナちゃんを倒せるのが先か、と言う戦いになりそうです。

そんな魔刃エリオくん。STS編ではナンバーズポジとゼストポジを兼任。多分、過労死すんじゃね、というくらい働かせる予定。



喫茶店の戦う店長って、中年だといぶし銀キャラになるポジだと思う。(小並感)
今後、ユーノ君のお店は彼の成長に合わせて、少しずつ彼の手で増改築されていく予定です。



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