リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今更ですが、今章は絶望臭濃厚です。

そう言うのが苦手な人は、STS編終盤まで投稿されてから一気読みする事を勧めます。


最後まで絶望臭は付き纏いますが、最終的にはトゥルーエンドに至ります。流れが変わるのが、STS終盤の予定です。


終焉の絶望編第二話 星は墜ちる

1.

 憎むと言うのは、酷く気力を消費する感情だ。

 一時ならば兎も角、長く、強く、憎しみを抱き続けるのは難しい。

 

 少なくとも、生まれたばかりの自我しか持たぬ少年にとっては、憎悪と憤怒を抱き続けると言う事は不可能な行為であった。

 

 

「……」

 

 

 激しい感情に揺さぶられて芽生えかけている心は、然し未だ明確な個我を得るには至らない。幼い心は、未だ成熟には至れない。

 

 元より、彼は真実、この刹那を愛していた訳ではない。愛せる筈がない。愛する他者は愚か、己自身すら存在していないのに。

 

 故にそれは彼の前世とも言うべき、ある男の名残りだ。

 それは彼が内に秘める神の残滓が抱いた感情に引き摺られていただけだ。

 

 何もない刹那を愛する想いも、時が止めれば良いのにという願いも、全てを奪われた憤怒も、何もかもがトーマの物ではない。

 

 激しい感情に揺さぶられて、自我が芽生えかけてはいるが、これはそう遠くない内に消え去ってしまうであろう。

 

 トーマだけが持つ物を生み出せない限り、彼は己の内にある神の魂に飲まれて消えるのだ。

 神の記憶を乗り越えない限り、彼は己を得る事すら出来ぬのだ。

 

 それは歴代の依代達が通った道。

 輪廻の中で、僅かに生まれかけた感情は、結局実を結ばずに消え去り続けていた。

 

 

 

 無価値となった鉱山街。その全景見渡せる高台で仰向けに寝そべりながら、人形のように虚ろな瞳でトーマ・アヴェニールは空を見上げる。

 

 打ち倒されて、置いて行かれて、そうしてずっと、トーマはそうしていた。

 何をするでもなく、何を考えるでもなく、何を想うでもなく、唯、其処に倒れていた。

 

 

「……フネ」

 

 

 暗い雲の隙間、空の向こうに船が見える。その歴戦の風貌を船体の傷として残す巨大な船は、管理局が誇る巡航L級艦船。

 

 大気圏内へと突入し、近付いて来るその大きな船を、トーマはぼんやりと見上げていた。

 

 

 

 

 

2.

「――と言うのが、ヴァイセンにて起きた集団変死事件の全容です」

 

 

 L級次元航行艦船二番艦エスティアの一室で、二人の女性が語り合っている。

 茶髪を短く切り揃えた冷たい印象を受ける女性と、長い青髪を頭の後ろで束ねた快活な女性。どちらも印象は違うが見目麗しい女性である。

 

 

「そんな事があったのね」

 

 

 茶髪を短く切り揃えた眼鏡姿の女性、オーリス・ゲイズ。

 彼女が纏め上げた文書のコピーを手に、クイント・ナカジマはこの地を襲った悲劇の断片を理解した。

 

 

 

 第三管理世界ヴァイセン。彼の地を襲った集団変死事件よりそう時を置かずに到着した管理局の部隊は、唯一の生存者であったトーマ・アヴェニールを保護し、治療に当たった。

 

 その後、話を聞ける程度に回復した彼より事情説明を受け、現場検証を行っているのが現状である。

 

 

「んでさ、トーマ・アヴェニールって、上から保護して来いって言われてた子でしょ? 保護出来次第、直ぐに戻るように言われてるけど、……戻んないの?」

 

 

 彼らに与えられたのは、一枚の写真。同時に下された指示とは、其処に映っている人物を保護して、ミッドチルダまで早急に連れて来るように、という物であった。

 

 だが、その指示を無視して、彼らは未だヴァイセンに留まっている。

 大気圏内にエスティアを浮遊させ、バリアジャケットで防備した武装局員達に周辺の精査を行わせているのだ。

 

 その指揮を執っているのが他ならぬ、この場に居るオーリス・ゲイズ三佐であった。

 

 

「はい。今回の特殊任務には些か以上に不自然な点が多過ぎます。それを精査せずに戻るのは、ある意味最も危険であると父――レジアス中将は判断しているのです」

 

「最も危険、ね。割と今更な感じがするけどね」

 

 

 彼女が此処にいる理由は単純だ。

 

 たった一枚の写真だけ渡して、何故保護するのかすら語られていない任務。

 休暇中であったクイント・ナカジマや、別部署の高町なのは等を無理矢理連れ出して用意した寄せ集め部隊は、余りにも出鱈目な面子を揃えている。

 

 不沈艦と言う異名を持ち、大天魔の襲来にあってなお一度足りとも沈んだ事のないこの船、エスティアと言う旧式艦。

 まるでその異名に願掛けするかのように、多少の性能差など関係ないと言うかの様に、それを選んだ事がまずおかしい。

 

 そして、乗組員の構成も違和感ばかりある。技能的には兎も角、その職を専門としていない者ばかり掻き集められているのだ。

 

 彼の地球での災害から生き延びたヴァイス・グランセニック。

 地球出向時、偶然体調を崩していたが故にアースラクルーでありながら地球に出向しなかったルキノ・リリエ。

 他にも、全員が何らかの形で奇跡的に助かったと言われる者達。現在のエスティアを動かしているのは、そんな彼らである。

 

 それに加えて艦長にファーン・コラード三佐。老いて退役するまで、一線で活躍し続けた教導隊の魔導師を据えているのだ。

 既に現役を離れて久しい、地獄を生き延び続けた女傑を態々訓練校から引っ張り出して起用しているのである。それも艦長経験などない人物を、だ。

 

 余りにも不自然が過ぎる。違和感しか存在しない。

 

 まるでどうしようもない状況下で、藁にも縋るように縁起担ぎをしている。そんな事を言われたら信じてしまいそうになる面子ばかりが、ここに居るのだ。

 

 それに対して懸念を示したレジアス中将が、その懸念を精査する為に送り込んだ人物。それこそがオーリス・ゲイズであった。

 

 

「他にも色々とおかしな事があります。例えば、何で保護対象であるトーマ・アヴェニールだけが生き延びてて、都合良く他の人が全滅してるのか」

 

 

 理由を明かされず、普通に生きている子供を保護する。それは拉致行為と何も変わらないだろう。

 管理局のネームバリューがあるとは言え、少年とある程度以上親しく付き合っている者が居れば、保護は些か手間が掛かる物となっていた筈だ。

 

 

「……管理局上層部がこの事件を仕組んだとでも言う気?」

 

 

 オーリスの発言の意図を読みかねるクイントが口を開く。そんな彼女に対して、オーリスは首を振って否定を返した。

 

 

「まさか、多分今回の事は彼らにも予想外だった筈です。……最初から保護対象以外を消す心算なら、個人を保護しろではなく、生存者を保護しろと命令が下っていたでしょう」

 

 

 個人を保護しろと命じれば、何故なのかと邪推が入る。邪推が起これば暴かれる危険が残る。こうしてレジアスが娘を介入させたように、他者の妨害が加わってしまう。

 

 もしも管理局が特定の人物のみを意図的に残していたのだとすれば、そんな邪推が入る余地など残す筈がない。

 

 

「……私はこの事件は唯の偶然。或いは、逆に変死事件の首謀者が、管理局の掴んだ情報に合わせて動いたのではないか、と判断しています」

 

 

 管理局が意図したのではなく、管理局の動きに誰かが便乗した。その結果がこの惨劇ではないかとオーリスは語る。

 故にこの事件は無関係なのだ。この凄惨な事件よりも、何か恐ろしい事が起こるやもしれないのだ。

 

 それが、何よりもオーリスには恐ろしかった。知らずに済ませる事が出来ない程に。

 

 

「……考え過ぎじゃないの、オーリス。上が秘密主義なのは今に始まった事じゃないでしょ?」

 

 

 そんな風に留まり続け、この世界を良く精査するべきだと語るオーリスを、考え過ぎだとクイントは笑い飛ばす。

 そんな彼女の快活な笑みに、感じている不安を多少和らげながら、オーリスはその鉄面皮を崩した。

 

 

「……楽観的過ぎるのは貴女の悪い癖だと思うわ、クイント姉さん」

 

「考え過ぎなのはアンタの悪い所よ。むっかしから変わんないわよねー」

 

 

 オーリスが口調を崩した事で、二人は気安い態度で話す。実際、この二人は親しい仲である。

 クイントの直属の上司であるゼストと、オーリスの父であるレジアスは竹馬の友とでも言うべき間柄だ。

 当然、その二人を接点として両者が私的に会う機会もあり、幼い頃よりオーリスはクイントを姉の如く慕っていたのである。

 

 

「……唯でさえ、姉さんは最近体調が良くないのだから、もう少し気を使って欲しいわ」

 

「げっ、バレてる?」

 

「気付かない訳ないでしょう? 不摂生なのは駄目よ」

 

「んー。そういうんじゃないんだけどさー」

 

 

 向けられる心配に、何処か言葉を濁しながら、軽く頭を搔いていたクイントは意図的に話題を変える。

 

 

「って、それより、そうじゃないわよ。トーマよ。トーマ」

 

「急に話しを逸らさないでよ。それも悪い癖よ。……それで、トーマ・アヴェニールがどうしたの?」

 

「あの子、身寄りないんでしょ? このままだと、管理局の孤児院行きと見た!」

 

「……ああ、何時もの病気ね」

 

 

 クイント・ナカジマは、万仙陣が齎した事件より一つの悪癖を生み出していた。

 身寄りのない幼い子供を見ると発症するその病に、親しい知人は皆頭を痛めている物だ。

 

 

「で、その子、どんな感じ? 予想外な程に理性的だったんだっけ?」

 

 

 故郷全てを焼き尽くされて、後に残るモノはなく、だと言うのに彼は冷静に受け答えが出来ていた。

 自身が見聞きした事を、年齢からは考えられない程にしっかりと口にしていたと聞く。

 

 クイントは未だ直接会っていない少年の様子に興味を持ってオーリスに語り掛けるが、彼女は何処か表情を曇らせる。きっと、彼女が望んでいる言葉は返せない。

 

 

「あれは理性的と言うより――」

 

 

 まるで人形の様であった。内に何もない人形が、予め決められた事柄に反応していただけ、そう思ってしまった。

 

 そう口にしようとしたオーリスは、自身の言わんとする事を鑑みて、首を振って口を噤んだ。

 

 

「――いえ、大した事ではないわね」

 

「ふーん。よっし、見て来るわ!!」

 

 

 言うが早いか、クイントは部屋を飛び出し、トーマが保護されている医務室へと突撃を始める。その後ろ姿に、頭が痛くなるような思いを抱えて、オーリスは溜息を吐いた。

 

 クイントの悪癖。それは身寄りのない子供を見つけると養子にしようとする事だ。

 

 三年前より続いていて、しかし未だ一人も養子縁組出来ていない。「私の子供になれ」と言わんばかりにがっついて、寧ろ子供達に泣かれ嫌われてしまうその姿は、理由を知るが故に、ある種憐れみを誘っている。

 

 いっそのこと前線に居る戦闘機人でも持っていこうか、などと言い出した際には流石に止めたが、そろそろ一人くらいは養子になってくれる子が居ても良いだろうとも思う。

 

 

「……あのトーマって子が頷くとは思えないし、また自棄酒に付き合うのかしらね」

 

 

 破天荒に引っ掻き回し、不安など消し飛ばしてくれる姉の背を見詰めながら、オーリスはそんな風に言葉を呟く。

 懸念は未だ晴れない。だが、管理局が絶対に戻れと指定した日時までにはまだ時間がある。

 

 後一日、この地を調べよう。トーマ・アヴェニールの背後関係を洗おう。自身が調べている間にも、父が何かを見つけ出してくれるかもしれない。オーリスはそう考えて、仕事に戻るのであった。

 

 

 

 

 

3.

――君に伝えたい事があるんだ。

 

 

「……にゃはは」

 

 

 どこか恥ずかしそうに少年が口にした言葉を思い出す。

 彼が口を開く前に呼び出されて言葉が伝えられる事はなかったが、真っ赤に染まったその顔が言葉以上に雄弁に語っていた。

 

 

――……戻って来たら、君に伝えるよ。

 

 

 大切な事だから、急かされながら言いたくはない。

 そんな少年がどんな風に言葉を口にするだろうかと予想しながら、なのははヴァイセンの空を飛んでいた。

 

 

「……あれ?」

 

 

 ヴァイセン上空にて警戒任務に当たっていた高町なのはは、船の甲板上に一人の少年の姿を見つけて声を漏らす。

 茶髪に癖のある髪型をした幼い少年。トーマ・アヴェニールである。

 

 正直、高町なのははその少年を苦手としていた。

 

 見たことがない程に強大な魂。まるで星を飲むほどの大きさを、無理矢理人間大に縮めたような密度の魂を内包しながらも、無表情、無感動で何を考えているのか分からない少年。

 

 語り掛けても機械的に返すだけ、誰よりも強大な魂を持っているのに、まるで生きていない姿にその真を掴みかねていたのだ。

 

 だが、今はその少年に変化が起きている。

 遠目に見ても分かる程に、異質で巨大な魂が、小さく輝いているのだ。

 

 最初に見た時、その魂は掠れていた。削れて、摩耗して、風化して、今にも消え去りそうな程、密度は濃いのに色は薄い。そんな異質な魂だった。

 

 その内に、小さな色がある。魂の全体像と比べて遥かに小さなその色は、小さな染み所か点にすら見えない。

 ともすれば見失ってしまいそうになる儚い点。だが、それが確かに輝いて見えたのだ。

 

 

「ねぇ、どうしたの?」

 

 

 だから、だろうか。苦手としていた少年に、なのはは語り掛けていた。

 

 

「……分からないんだ」

 

 

 分からない。少年はそう言葉を漏らす。

 真実、戸惑いを抱いている少年は、分からぬ言葉を分かろうと、甲板に出て思考をしていた。

 

 

「分からない?」

 

「“記憶”にないんだ。“記憶”も知らないんだ。それが僕には分からない」

 

 

 それは神も知らない。父母の愛を受けずに育った刹那の記憶にはない、一つの存在。

 

 

「ねぇ、お母さんって何?」

 

 

 空より近付いて来たなのはに対して、トーマは彼女を見上げて問い掛ける。

 今世でも、前世でも、母の愛を知る事のなかった子供がそれを問い掛けていた。

 

 

「どうして、知りたいと思ったの?」

 

「家の子になりなさいって言った人が居る。お母さんになってあげるって言った人が居る。その言葉が、良く分からない」

 

 

 突然入って来た女性がそう口にした。捲し立てるように、家の子にならないかと語る彼女は、必死過ぎて普通の子供ならば退いてしまう物であっただろう。

 

 だが、ここに居る少年は普通ではない。空っぽの少年は、まだ芽吹いたばかりの少年には、強き言葉でなくては響かない。

 だからこそ、その真に迫った言葉がガランドウの胸に響いていたのだ。

 

 

「……それで、どう思ったの?」

 

「分かんない」

 

「嫌じゃなかった?」

 

「多分」

 

 

 なのはの言葉に、トーマが答えを返す。

 嫌ではなかった。そう、嫌ではなかったのだ。

 

 家族に成ろうと言われて、分からないから無理だと返した少年に、私も分からないから一緒に探して行こうと語った女性。

 

 クイントは何処までも真摯に向き合ったから、その小さな感情の欠片を揺り動かすに至っていた。

 

 魂を見詰める少女は気付いている。高町なのはには分かっている。

 その小さな魂に宿った色。その波長から、大体どのような感情を抱いているのかが判断できる。

 

 そう、ならきっとこの子は――

 

 

「なら、きっと嬉しかったんだよ」

 

 

 嬉しかったのだ。その魂の輝きは、喜びの色をしていた。

 

 

「そう、かな」

 

 

 クイントの言葉は不純だ。彼女の行動は純粋ではない。

 子供が欲しい。母になりたい。その為に誰でも良いからと声を掛ける事を、良い行いとは言えないであろう。

 

 だが、それでも、そんな形でも真剣に求められるのは初めてだったのだ。

 産みの親も、育ての先生も、同じ仲間達であっても、彼を受け入れようとはしなかった。それ程に、彼は異質であった。

 

 

「うん」

 

 

 だからこそ、不純であってもトーマにくれた言葉が嬉しかった。純粋でなくとも、その声は真摯であったから、彼を揺り動かすだけの力があった。

 その言葉があったからこそ、僅かに芽生え始めていた自我は、確かな己を獲得しようとしている。

 

 

「そう、なんだ」

 

 

 なのはは知らない。それがどれ程に凄い事なのか。

 

 両面の鬼が待ち望んで、御門顕明が諦めたその芽生え。

 神の残滓に翻弄されて芽生えた感情ではなく、真実トーマ自身が初めて抱いた、彼の内より零れ出した喜びと言う感情。

 

 これまでは駄目だった。僅かに自我が生まれる余地すらなかった。向き合ってくれる人が居なかった。例え居ても、彼の記憶と被る事では意味がなかった。

 

 今だからこそ、その変化が起きている。

 それがどれ程の奇跡であるのか、彼女は知る由すらなかった。

 

 

「それで、お母さんになってもらうの?」

 

「分かんない。だって、何すれば良いのか分かんない」

 

 

 今までのトーマの行動は、全て“記憶”という模範解答があった。

 喜びも怒りも哀しみも楽しさも、全て彼の記憶をなぞって真似ていただけ、だからこそ、誰もが彼を人形の様だと感じていた。

 

 だからこそ、初めて自分で考える彼は、何が正解か分からぬ道に惑っている。

 

 

「簡単だよ」

 

 

 そんな彼に、なのはは先達として答えを示す。それはとっても簡単な、子供の権利。

 

 

「お母さんって呼んで、一杯甘えるの。それで十分なんだから!」

 

 

 なのはの言葉をトーマは衝撃を受ける。

 とても簡単で、でもとても難しい事。甘えると言う行為すらも知らない彼は、どうしたら良いのか分からない。

 

 それでも、そうして“記憶”にない事が増えていく。トーマ自身が確かな者に変わっていく。

 

 未だ生まれたばかりの少年と、母に成りきれていない女。不器用な二人は、けれど確かな絆を築くであろう。

 

 子供ならば誰でも良いという考えは、共にある内に変わる筈だ。

 未だ明確な形にならぬ自我は、共にある内に成長していく筈だ。

 

 きっと二人は、良い方向へと向かっている。

 それが分かったから、高町なのはは微笑んで――

 

 

 

 

 

「……え、何で?」

 

 

 急に輝きを失ったトーマの魂に、驚きの声を漏らすしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 誰かが一点を見ている。

 それは焼け落ちた鉱山街の先、遺跡鉱山のある地点。

 

 其処を、その先から来る者を、トーマではない誰かは見詰めている。

 

 

「なぁ、良いのか?」

 

 

 ぶっきらぼうな口調で、トーマではない誰かが言葉を紡ぐ。

 

 その異常な密度をした魂が、恐ろしい程に輝いている。

 僅かに残った“記憶”が、同胞との共鳴を得て、此処に少年を塗り潰す程に励起していた。

 

 そう。此処に現れる。“記憶”にとっての同胞が。少年を塗り潰す程に近く、近く、彼が近付いている。

 だから、少年を塗り潰した残滓は、何でもない事を口にするかのように、その絶望の名を呼んだ。

 

 

「ミハエルが、来るぞ」

 

「みは、える……?」

 

 

 そんな彼の言葉と共に、それは現れた。

 

 

 

 それは、赤い涙と共に堕ちては来なかった。

 それは、大地を震わせ、炎を伴って現れる訳ではなかった。

 それは、雷光と共に現れる訳でもなければ、或いは世界が悲鳴を上げるかのように、罅割れて姿を見せる訳ではなかった。

 

 何時の間にか居た。

 そう表現する事しか出来ない程に、気付けば遺跡の上に立っていた。

 

 まるでコマ落ちしたフィルム映像。絵コンテが抜け落ちたアニメーション。

 明らかに前後がおかしい。居る筈のない異物が、唐突に出現すると言う異常が其処にあった。

 

 

「何……あれ……」

 

 

 何だあれは、何だあれは、何だあれは。

 

 高町なのはは理解出来ない。強いとか弱いとか、大きいとか小さいとか、そんな事が分かる領域にあれはいない。

 

 その虎を模した兜で己の面を隠し、擦れて崩れ落ち続けている黒き甲冑に身を包んだナニカは、余りにも異質だ。どうしようもない程に、条理から外れ過ぎている。

 

 まるで空を泳ぐ深海魚。深海で生活する肉食獣。地中を飛び回る鳥。

 其処に居る事自体がおかしい。まずもって、そんな物が居る筈がない。そう感じさせる怪物だった。

 

 

「天魔・大獄」

 

 

 その異常に気付いたのか、クイント・ナカジマが言葉を漏らす。

 艦橋で呟かれるその声に、怪物に飲まれたなのはは言葉一つ返す事は出来ず、しかし同時に理解していた。

 

 あれは大天魔だ。それも、今まで見た誰よりも恐ろしい大天魔である、と。

 

 

「早くっ! 逃げなさいっ!!」

 

 

 そんな彼女に、クイントは逃げろと叫んでいた。

 大天魔を前にしてもなお立ち向かえる女性の表情が、唯、恐怖で染まっていた。

 

 

 

 黒き砂漠が広がっていく。あらゆる物が渇いて逝く。万象全てが命を失い、黒き砂となって崩れ落ちる。抗えぬ死が振り撒かれる。

 

 それは彼が何かをしたからではない。

 求道の極致である怪物は、別段何をしている訳でもない。

 

 天魔・大獄。其は求道の到達点。徹底した静の具現。

 鎧の内で完結したその法は、他者に害を為す事はない。その一瞥が、その挙動が、直接何かを齎す訳ではない。

 彼は己一人で閉じているから、その影響が外部に漏れる道理はない。

 

 彼は唯、其処に居るだけだ。故に、周囲が滅び去って行くのは、彼の仕業ではない。

 終焉と言う怪物に触れた周囲の物がその波動に影響されて、勝手に死んでいるだけなのだ。

 

 そう。何をする必要もない。唯、其処に居るだけで全てを終わらせる。それはそういう怪物だ。

 

 最強の大天魔。天魔・大獄。

 終焉の絶望が、少女達の眼前に姿を見せていた。

 

 

 

 嘗て、この世界に大天魔が堕ちて来た時、流れ出す神は己の崩壊も恐れずに、共に堕ちて来た同胞達の身を守った。

 既に崩壊しかけていた彼らを保つ為に、己の加護を劣化させ、その存在を保つ為に力を抑え付けたのだ。

 

 だが、そんな彼の行いに否と答えた者が居る。

 当時の彼に言葉を掛ける事が出来た二人の内の一人。その男だけは、神の保護に否と答えたのだ。

 

 

――もし、奴が来たら、お前はどうなる? その想いを果たす事すら出来ず、波旬の法に討たれるであろう。俺はそれが許せない。

 

――自滅は良い。お前が愛した子らがお前を殺すのも、お前が蘇り永劫全てが凍り付くのも構いはしない。

 

――それはお前の選択の果てにある結果だからだ。奪われるのではなく、失われるのではなく、そうなってしまったならば、それがお前の終焉なのだろう。

 

――だが、奴には渡せない。俺の刹那を、波旬の法に譲りはせん。お前に訪れるべきは至高の終焉だ。聖戦の果ての結末が、奴に砕かれると言う形になる事だけは認められん。

 

――だから、どうか俺を止めようとしてくれるな。お前を守る為にも、この力が必要なのだ。

 

 

 それが嘗て交わされた言葉。

 そこまで言われてなお、消滅寸前の彼を止めようとした神に、男は告げた。

 

 

――案ずるな、俺を信じろ、戦友(カメラード)。お前を残して、俺は逝かん。

 

 

 そう言われてしまえば、信じずにはいられなかった。故に、神の保護は彼にない

 

 

 

 天魔・大獄はこの地に堕ちて来た瞬間から、既に死に掛けていた。

 光を見る事は出来ない。音を聞く事は出来ない。味覚も嗅覚も死に、触覚すら存在しない。五感は完全に失われている。

 

 全身を苦痛が苛み、一歩動くだけで魂は自壊しかける。軋む鎧は常に崩れ続けている。己を閉ざす殻すら安定させられない。

 

 彼はこの数億年、一睡たりともしたことがない。一寸でも眠りに堕ちれば、その瞬間に死亡する。僅かにでも意識が途絶えれば、もう己を保つ事すら出来はしない。故に唯の一度も休んだことがない。

 

 そんな状態で、彼は数億年に渡り己を保ち続けた。

 そんな形でありながら、彼は失った刹那の半身を探し続けた。

 そんな有り様だと言うのに、未だ天魔・大獄は最強の力を保っている。

 

 最強の大天魔は未だ健在だ。

 

 

「嗚呼、其処に居るのだな、戦友(カメラード)

 

 

 掠れた声で黒甲冑が言葉を漏らす。声を出す事すら辛いであろうに、そんな素振りを見せる事すらない。

 

 姿は見えない。声は聞こえない。

 繋がりを頼りに半身を探して、天眼によって位置を探る。

 

 それはさながら、足元の小石を天体望遠鏡で探そうと言う行為。合理性と言うのが欠落した、余りにも無駄が過ぎる行動だ。

 だが、それ以外に今の彼には、戦友を探し出す術がない。

 

 

「そうだ。俺は此処に居るぞ、ミハエル」

 

 

 トーマの中に居る誰かの記憶が言葉に応じる。

 彼の残滓が、己を迎えに来た友人を受け入れようとしている。その残滓に正常な判断能力などない。

 

 それは脊髄反射の如く、嘗ての記憶に引き摺られて呼応しているだけに過ぎない。

 

 それでも、友の呼び声は、大獄に届いていた。

 どれ程に摩耗しようとも、その男が己の戦友の声を聞き逃すなど、あり得ない。

 

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、天魔・大獄は動き出す。

 死を以って死を殺す。己に訪れる終焉を、全てを終わらせるというその力で相殺する。

 僅か体を身動ぎさせるだけで死に至る彼は、己の力で己の死を無理矢理に殺して、そうして漸く、自由に動く事が出来るのだ。

 

 三つ首の虎が姿を現す。その巨体が大きさを増して行く。大極は既に展開されている。

 既に五感を失って久しい彼が、何かを認識する為には己を引き延ばして確認するしかない。

 太極という手を使って、手探りに探す。或いは天眼を利用する。それ以外に、彼に現実を理解する術はない。

 

 求道の究極形である彼の太極は、内向きに閉じた物。その巨大な随神相の内側にこそ存在している。

 それを以って彼が外界を知ろうとするならば、知ろうとする全てを随神相の内側へと飲み込まねばならない。

 

 終焉と言う地獄の中へと。

 

 波旬の法下で抑圧されていた頃と異なり、彼は望めば一瞬で単一次元世界を地獄に飲み干すであろう。その終焉の地獄へと、何もかもを取り込めるであろう。

 だが、それは彼の本意ではない。それを彼は望んではいない。だからこそ、その随神相の行動は、酷く緩慢だ。

 

 死の息を吐く事もない。破滅の光を齎す事もない。大陸よりも巨大化出来るであろうその随神相も、今は山より大きな程度だ。

 

 逃げるならば逃げろ。去るならば追わぬ。

 戦士でない者を殺す気はなく、戦士であっても無差別な死は望まない。

 

 天魔・大獄が求めるのは、トーマの内にある魂のみだ。

 

 ゆっくりと随神相が迫る。その内側へと全てを飲み込んでいく。

 その力に触れた物が、全て死んでしまう。巨大な随神相に飲まれて滅び、その随神相の緩慢な動きだけで、世界が砂の大地に変わってしまう。

 

 黒き砂が広がっていく。あらゆる物が命を失い、黒き砂漠となって広がっていく。其処に救いなどありはしない。

 

 彼の太極は黒肚処地獄。それは遍く全てを終わらせる理。

 

 万象には発生と同時に終わりがある。

 開始の幕があるならば、必然として終わりは訪れる。

 この世に一秒でも存在した物ならば、何時かは必ず終わるのだ。

 

 彼の法則とは、その終わりを強制するという物。

 歴史ある存在。この世に一秒でも存在した物ならば、例外なく触れるだけで終わらせる終焉の拳。

 

 広がり続ける随神相は、彼の拳と同じだ。その全身遍く全てに死が満ちている。その内側に飲まれれば、全てが砂となって滅び去る。

 

 例外などはない。抗える者など居ない。終焉の怪物は誰にも止められない。

 

 

 

 ならば、対処は一つだ。

 

 

「……全く、刀自殿も人使いが荒い」

 

 

 ミッドチルダ東部。御門一門が大社の最奥で、青年は一人溜息を吐いた。

 三年間に渡る監禁生活によって伸び放題になった髪は長く、その身を封じる呪を刻み込まれた和装は衰えた身体には酷く重く感じられる。

 

 

「文句を言っている暇はないぞ、ハラオウン!」

 

「寝起き、と言うか封印明けなんですよ。……どうにも体がしっくりとしないな」

 

 

 鎖から放たれたのが二日前。それまでは絶食に等しい状態で囚われていた。不可思議な術と大量の機材で無理矢理に生かされていたのだ。愚痴の一つも言いたくはなる。

 

 

「まぁ、それでもやりましょう。……大天魔に一泡吹かせる、良い機会だ」

 

 

 暫し体を慣らしてから、という話だったが状況が変わった。

 ゲイズ親子が原因ではない。どの道刻限が来れば、クロノ・ハラオウンを使用して回収する心算だったのだから、彼らの行動など大局に影響を与えてはいない。

 

 予想を外したのは、天魔・大獄だ。あんな死に掛けと言うのも生温い状態なのに、予想を遥かに上回る速度で移動していたのだ。

 一歩踏み出せば自壊すると言うのに、その自死を無理矢理に殺して全力で移動していたのである。

 

 唯、神の依代を見つけた。それだけの理由で、だ。

 

 

「恐ろしいな。悍ましいな。余りにもお前は強すぎる」

 

 

 その気配を遠く離れたミッドチルダに居ながら理解して、クロノ・ハラオウンは言葉を紡ぐ。

 ああ、恐ろしい。ああ、悍ましい。この怪物には、確かに誰も抗えんだろう。

 

 

「だが、移動しなければならない以上、お前は辿り着けんよ。……其処は僕の距離だ」

 

 

 陰の拾。其処に至ったクロノに、最早限界などはない。

 遍く次元世界。無数に連なるその全てを、彼は己の支配下に置いている。

 

 故に、態々現場に出向かずとも、構わない。ミッドチルダの深奥にあっても、その力を振るえるのだ。

 

 エスティアに搭載された機材との同調によって介入する為の視点を得ている今、既にヴァイセン一帯は彼の領域と化しているのだから。

 

 

「万象、掌握」

 

 

 言葉と共に力が放たれる。

 その歪みは、エスティアとその内に居る者らを帰還させる。

 

 転送は一瞬だ。瞬間的に行われる移動に、今の大獄は反応出来ない。思考速度にさえ淀みが生じている怪物は、当然の如く認識能力も低下している。

 

 必然、彼らは無事に逃れられる。終焉の怪物を前にして、その絶望を前にして、争う事なく逃げられる。

 

 そうなる、筈だった。

 

 

「っ! 何の心算だ、高町なのは!?」

 

 

 クロノの表情が驚愕に染まる。己の強制に抗う少女の存在に顔を歪める。

 高町なのはともう一人。その二人が、万象掌握の影響下から抜け出していた。その二人だけが死地に残っていた。

 

 己の干渉を弾いた両者に、何を考えていると毒吐いて、再びクロノは力を行使する。

 高町なのはの力の性質上、己の支配に抗う事は可能であろう。だが、素の力で判断するならば、己の方が格上だ。

 万象掌握の強制に、高町なのはは何時までも抗う事は出来ない。ならば続く一手で確実に回収する。

 

 そんな思いで発現した力は、何故か目標を捉えられずに失敗する。それを怪訝に思いながらもう一度力を行使した。

 

 一度目は抗いによって防がれた。続く二度目は一瞬目標を見失った。

 そして三度目で漸くクロノは高町なのはの回収に成功する。

 

 

 

 だが、それは少しだけ遅かった。

 終焉の怪物は、僅か一瞬で絶望を齎していたのだった。

 

 

 

 

 

4.

 己を救わんとする力を感じながらも、なのははそれに身を委ねる訳にはいかなかった。

 既にエスティアは消えている。その内にあった者らは皆、ミッドチルダへと退避出来ている。唯一人、トーマ・アヴェニールを除いて。

 

 それはクロノにとっても、御門顕明にとっても、想定外だった状況だ。トーマ・アヴェニールが万象掌握に抵抗出来るなど、誰が予想出来ようか。

 

 少年の内にある魂は、その殆どの力を失っている筈だった。

 少年の内に生まれた色は、未だその力を行使出来る程には育っていなかった。

 

 だが、ここに例外が起きた。

 

 天魔・大獄との遭遇により励起した記憶、それに引き摺られて少年は一時的に強大な力を有していたのだ。万象掌握に抗う程に至っていたのだ。

 

 エスティアと言う目を失った事で、クロノは現場を認識する能力を失った。トーマ・アヴェニールの事を伝えられていない彼は、その存在すら知らない。故に動けない。

 

 まさかこれ程に力を残していたとは思ってもいなかった顕明は、想定外の事態を認識してすらいない。

 彼女はクロノの様に機械を己の身に組み込んでいるのではなく、天眼という神の瞳を持つ訳でもない。

 必然として、その場で起きている現象を認識する事は出来ず、故に動けない。

 

 ゆっくりと迫る終焉に向かって、宙に浮かんだトーマが近付いて行く。その終焉を受け入れようと、その小さな手を伸ばしている。

 

 

「っ!」

 

 

 いけない。何がいけないのか分からないが、それでもこのままじゃいけないと感じた。

 故になのはは、己の地力を引き上げると万象掌握の支配を跳ね除けて、トーマを守る為に動いていた。

 

 

「トーマくん!」

 

 

 その小さな体を抱き留める。記憶の残滓に惹かれて反射で動いているだけの少年は抵抗を見せずに、その腕に抱き抱えられる。

 

 迫っていた三つ首の虎が、その顎を開いていた。大きな口の中へと飲みこまれる。その鎧の中へと包まれる。

 

 クロノの支配が届かぬ場所。其は終焉の世界。無間黒肚処地獄。

 

 

「…………っ!?」

 

 

 ザーザーと砂嵐の如く、視界が揺れる。意識が途切れる。鎧の中に満ちた死に、高町なのはは耐えられない。

 当然の如く少女は死に至り、そして少年は回収される。その果てに訪れるのは、世界の終焉だ。

 

 

(嫌だ)

 

 

 諦めない。過去に類を見ない程の純度で、高町なのははその終わりに抗う。

 

 だが、その地獄は耐えられない。己の死は避けられない。

 砂の海が広がっている。砂の嵐が広がっている。黒肚処地獄に救いはない。

 

 

(嫌だ。嫌だ。嫌だ)

 

 

 死ぬものか。死んでたまるか。終わってなるものか。

 だが、その終焉は払えない。決して拭い去る事は出来ない。

 

 充満するその死は、神格でない者など一瞬で死に至らしめる。神格であっても耐える事は難しい。

 不撓不屈による生存能力で僅かに持ってはいるが、それも時間の問題でしかない。

 

 

(諦める、もんかっ!!)

 

 

 けれど死ねない。だけど死なない。その命を諦める訳にはいかない。

 だって、まだ何も得てはいない。何も為してはいない。愛しい少年との想い出を作っていくのだ。去ってしまった友達を追うのだ。大切なこの世界を救うのだ。

 

 その為にも、まだ終われない。

 

 

「……全力、……全、開っ」

 

 

 血を吐くような声で口にする。己の力を振り絞る。

 

 最期の力を振り絞って生み出した魔力で、無理矢理に飛翔する。

 奪われてはならない少年を抱き留めたまま、この地獄の出口を突破した。

 

 

 

 彼女にとっての救いは三つ。

 

 一つは飲まれてから経過した時間の短さ。

 出口は一瞬で到達出来る場所にまだあった。生存に特化したなのはならば、逃れるだけの時間を稼ぐ事は出来たのだ。

 

 二つは天魔・大獄の現状。

 彼は逃げるならば追わぬと、己の地獄に出口を残していた。

 そして状況の変化を即座に認識出来ぬ程に思考能力が落ちていた為に、その出口を通って去って行く戦友の姿を認識する事が出来なかった。

 

 三つはクロノ・ハラオウンの歪みの力。

 この終焉の絶望を前に、即座に逃げ出せると言う力は破格だ。

 その力が故に、太極より脱した彼女達は回収された。抜け出した瞬間に、彼女達はミッドチルダへと転送されたのだった。

 

 

 

 だが少し遅かった。そう僅かに遅かった。

 

 黒肚処地獄に、高町なのはは飲まれたのだ。

 一度飲まれれば、例え何をしようとあらゆる全てを死に至らしめるその地獄に。

 

 

 

 

 

5.

「で、また告白出来なかったんですか?」

 

「むっ、今回は不可抗力だよ。……いざ言おうって時に、なのはが呼び出しを受けたんだから」

 

 

 時空管理局地上本部。

 その敷地内にある“本局”と呼ばれる区画の一部署、無限書庫。無数の書物と電子データによって作り出される情報の海。

 管理局の頭脳とでも言うべき場所で、二人の少年は片手間に仕事を片付けながらそんな会話をしていた。

 

 

「同じですよ。……全く、急に休むと言い出して、漸く進展するかと期待すれば、それですからね。煮え切らないにも程があるでしょう」

 

「期待って、……急な休暇申請だったのにあっさりと許可出たの、それが理由?」

 

「それもありますがね。室長は休まな過ぎなんです。もうちょっと休暇を取って下さい。母からも色々言われてるんですよ」

 

 

 運用部のレティ・ロウランより直接紹介された人材。無限書庫発足当時よりの部下であるグリフィス・ロウランは溜息混じりに口にする。

 

 

「……休む暇、ある?」

 

「……今日は詳細調査依頼が二桁ですよ。快挙ですね」

 

「通常の資料請求は?」

 

「いつも通り、三桁は超えていますよ」

 

「休む暇、ないじゃん」

 

「……人増やしません?」

 

「人が増えてもさ、僕ら責任者の判断が必要な物は結構あるんだよね。それに、詳細資料調査だと、どうしても専門知識が必要だし。……きっと休めない」

 

「……世知辛いですねぇ」

 

 

 二人の少年はそんな風に遣り取りをしながら、彼らにしか出来ない作業を進めていく。

 

 我が子を前線に出したくない親心と、無限書庫が化けると判断したレティの慧眼によって無限書庫へと配属されたグリフィス。

 事務官を目指していた筈なのに、何故か古代語の解読や、多文明の風習や伝承に関する知識ばかり詳しくなっていく。そんな現状に眼鏡の少年は溜息を吐いた。

 

 そんな風に、書類を捲る音やキーボードを叩く音がする室内に、一際大きな電子音が響いた。

 

 

「……え? クロノ?」

 

 

 音を立てるデバイスの画面に映った懐かしい顔に戸惑いを浮かべたユーノは、彼から語られる言葉に表情を変えた。

 

 

「っ!」

 

 

 ガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。仕事を放り出して、部屋の扉へと向かう。その顔は焦燥に染まっていた。

 

 

「室長!?」

 

 

 突然の行動にグリフィスが驚愕の声を上げるが、それに構っている場合ではない。そんな暇などありはしない。

 

 

「御免、後、任せる!!」

 

 

 唯一言そう告げると、ユーノは無限書庫を飛び出した。

 

 

 

 走る。走る。走る。

 

 久し振りに全力で走るという行為に、直ぐに息が上がってしまう。自身のイメージよりも遥かに遅い速度に苛立ちながら、ユーノは一つの場所を目指す。

 

 デバイス越しにクロノが伝えた場所。地上本部の手術室を目指して走る。

 彼の口にした情報を信じられない。信じたくない。そんな筈はないと必死に否定しながら、唯、走った。

 

 そうして、其処で少年は見た。

 

 両手を握り締めて、悔しそうにしている(クイント)。何が起きたか分からないと言う、人形の様に虚ろな表情を浮かべた少年(トーマ)。随分と窶れ、幾分か印象が変わった悪友(クロノ)

 

 そんな彼らが視界に映らぬ程に動揺した少年は、既に諦めた雰囲気を浮かべている医療班の人間を押し退けて、手術室の中へと入り込んだ。

 

 

「……嘘、だよね」

 

 

 脳波。心音。共にフラット。

 繋がれた機械は、嫌な電子音を響かせている。

 

 もう打つ手はない。そんな風に語る医者の声が煩わしい。

 

 そんな筈がない。そんな筈がない。そんな筈がない。

 きっと、この子は起き上がってくれる。当たり前の様に、不屈の意志で起き上がってくれる。

 

 そう信じようと、信じさせて欲しいと手を伸ばす。

 

 

 

 触れた少女の身体は冷たかった。

 

 

 

 がっくりと膝をつく。積み重ねた全てが、崩れ落ちたように思える。何の為に、己は進んで来たのか、それすら分からなくなってしまう。

 

 月は己を輝かせる光を失った。

 

 

 

 天高く輝かんとした星(たかまちなのは)は此処に墜ちる。

 

 

 

 そしてヴァイセンに残された怪物は、その時になって漸く戦友が去ってしまった事を理解した。

 その太極に飲まれた者を認識する。曖昧な思考で、それを確かに理解する。

 

 幼い少女が居た。何故なのか分からないが、その少女が戦友を連れ去って行った。それを漸く認識する。

 

 

「……ミッド、チルダ、か」

 

 

 怪物は理解する。その少女が去った先。戦友が消えた場所。其処が何処であるのかを。

 

 

「……待っていろ。……直ぐに、行く」

 

 

 己を魔力に返す事すら出来ない怪物は、ゆっくりと視線を動かす。その視線の向かう先は、ミッドチルダ。

 

 

 

 終焉の絶望は止められない。

 

 

 

 

 




なのは撃墜イベント+マッキー登場イベント=地獄絵図。


第一回、マッキーインパクト。
終焉の絶望は、まだまだ続きます。


ちなみにマッキーの随神相は原作よりデカい。
普段は富士山レベルだが、その気になれば水銀の随神相並(地球全土を飲み干すサイズ)になる。

原作では波旬の世界だった影響で抑圧されていたが、随神相は神格の強さに比例して大きくなるそうなので、夜刀様の体内であるリリカル世界ならデカいだろうなぁ、と言うイメージですね。



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