リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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シュテルん「星光は夢界にて、最強!」(キリッ)


そんなシュテルんの名前がデストラクターだった事に気付いたので、夢界編四話を全て修正しました。

災厄じゃなくて、破壊だったんだね、シュテルん。勘違いしてたよ。


闇の残夢編第四話 夢界を行く 其之肆

1.

 それは、最早戦闘ではなかった。

 

 ドンと音を立てて、空気が揺れる。

 ドシンとその身が動く度に、大地が揺れて罅割れる。

 

 まるで組体操の演技が如く、裸体を晒す少女達が絡み合って生み出された肉塊の巨人。

 三千と言う膨大な人間の塊は、本来ならば己が自重を支える事すら出来ずに崩れ落ちる代物だろう。

 

 だが、そうはならない。手足で支えている訳ではなく、切り貼りされて、継ぎ接ぎされたその少女達は崩れる事すら出来はしない。

 

 とは言え所詮は肉の塊。自重で崩れる事はなくとも、動ける道理も其処にはない。そう。本来ならば。

 

 黄金の瞳が怪しく輝く。動く道理のない肉塊を強引に動かすは、少女が持つ黄金瞳。その力によって、唯の肉塊は凶悪な巨人として動くのだ。

 

 

「アハッ!」

 

 

 巨人の頭部と一体化した少女が笑みを零す。愛する少年との逢瀬に笑い声を上げる。その花開いたように笑う姿は、何処までも毒々しい。

 

 

「アハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 黄金の瞳が輝く。その力によって支えられている怪物。

 核となるは頭部に居る少女か? この少女さえ討てば、巨人は自壊するであろうか? 答えは否だ。

 

 この怪物に主従はない。この怪物に明確な核は存在していない。三千のシュテル。その全てが脳であり、心臓であり、核である。どれを潰そうとも、意味などないのだ。

 

 

『アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!』

 

 

 狂笑の大合唱。我が世の春を迎える女達は「あな、嬉しや」「あな、愛しや」と笑い続ける。

 本来、頭が複数あれば行動も揺れるであろうに、シュテル・ザ・デストラクターにそれはない。

 彼女達は同じ者を見ている。彼女達は同じ方向を見ている。彼女達は皆、同じ愛に狂っている。

 故に、シュテル・ザ・デストラクターが自壊する事はあり得ない。何があろうと、何をされようと、愛に狂った怪物は決して崩される事はあり得ぬのだ。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥゥゥゥノォォォォォォォ!!』

 

 

 三千人の大合唱。その咆哮が生み出すは音の衝撃波。その咆哮だけで街を瓦礫に変える暴威である。

 公園の街路樹が吹き飛んでいく。オフィス街のビルが崩れていく。遠く見える山々が土砂崩れを起こして壊れていく。

 

 その巨人の暴威。格を無視した単純な力のみならば、彼の大天魔が神相に勝るとも劣らない。彼女の力は、高町なのはの三千倍では留まらない。

 

 鋼牙機甲獣化帝国。その夢が生み出す力は、己の力を三千倍にすると言う物では断じてない。

 三千倍の力は、彼女の生まれに依る物だ。三千人のシュテルを繋ぎ合わせたから三千倍と言う力を持っていただけ。三千倍と言うのも、三千人を繋げているから単純計算で元の三千倍と言う、余りにも暴論が過ぎる言葉でしかない。その肉の巨人は異能による産物ではなく、彼女が隠していた真の姿なのだ。

 

 故に、この夢を発現する前から、シュテル・ザ・デストラクターの力は高町なのはの三千倍であった。人型の時点で、それだけの力を有していた。

 

 鋼牙機甲獣化帝国と言う急段が彼女に与えるのは、己の力の倍加ではない。己を肉の巨人に変える事ではない。

 その真は、己の力を無限に引き上げ続ける事。腕力。体力。速力。魔力。それら全ての力を、無尽蔵に強化し続けるだけの単純な能力こそがこれである。

 

 だが、それは単純故に強力だ。簡単な思考であるが故に崩せない。一度発現すれば、最早誰にも止められない。

 他の誰もが持ち得ない強度で、他の誰もが届かない程の高みに、シュテル・ザ・デストラクターは到達できる。

 

 夢界において生み出された廃神の中で、正しくシュテル・ザ・デストラクターは最強なのだ。ならば、その暴威を前に命を保ち続ける少年の技巧は、如何なる神業か。

 

 

「はぁ……はぁ、はぁ」

 

 

 否。それは神業ではない。それは悪魔の技術でもありはしない。

 荒れた呼吸で必死に逃げ惑う少年の身を保つのは、彼が積み重ねた努力の結晶だ。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 翠色の輝きがシュテルを捕えようとする。しかし無意味。一秒は愚かコンマ以下の時間を稼ぐことも出来ずに力尽くで破り捨てられ、魔力と化して消え去っていく。だが、それで良い。

 

 

「っ!」

 

 

 豪風を纏って襲い来るシュテルの巨体。それが迫る前にユーノは己が身を繰って回避する。直前に躱したのでは間に合わない。シュテルの速さは神速が如く、目で認識していては間に合わない。

 故にこそのバインド。感知魔法を纏わせて展開する事で、シュテル・ザ・デストラクターの襲い来る方向とタイミングを完全に予測する。更にそれだけでもない。

 

 

「神速!!」

 

 

 御神不破を最強足らしめる技法の一つ。加速された自己認識における領域内で、ユーノは体を必死で動かしてシュテルの速力に追い付かんとする。

 

 無限強化され続けるシュテルの速度に追い付かずとも、行動の起こりに先んじて、神速を用いて回避に動けば、その直撃を防ぐ事は出来るのだ。

 

 だが、それでも足りない。それ程に積み重ねてもまだ不足する。

 

 

「がはっ!」

 

 

 完全に回避した筈の巨人の突進。その余波として吹き荒れる暴風ですら、ユーノを殺すには十分過ぎる。少年を百度殺しても有り余る程の暴威である。

 

 まるで風に舞う木の葉の様に、或いは吹き飛ばされる紙塵のように、ズタボロになった少年は吹き飛ばされて落ちていく。

 

 

 

 まだ息はある。まだ生きている。その暴風の威を受ける瞬間に、その身を完全に脱力させて、吹き飛ばされるがままに任せた少年は、己を百度は殺す威力の殆どを防ぎ切る。

 

 それでも、被害をゼロには出来ない。九割九分九厘を防げる程に見事な体技を示しても、その一分ですら少年を磨り潰すには十分なのだ。一厘ですら少年の体に重症を負わせるであろう威力がある。

 

 そして――

 

 

「ぎっ、がっ!?」

 

 

 シュテルの進撃により荒れ果てた大地。その地面は地割れし、隆起している。真面に着地出来る場所など殆ど残っておらず、そんな場所に都合良く落ちれる道理もありはしない。

 

 少年は主役ではない。ご都合主義など起こらない。万に一つ、億に一つの奇跡を掴める人間ではないのだ。故にこそ、まるで百舌の早贄の様に、突き出た岩に突き刺さって血反吐を零す。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

「ぐぅぅぅっ!!」

 

 

 そんな少年を、狂愛の怪物が見逃す筈はない。咆哮と共に、愛していると語りながら襲い来るシュテルから逃れる為に、己の身体に突き刺さった岩を、痛みを無視して引き抜いて、即座に体を動かす。

 

 まるで生き汚い害虫の様に、血反吐を零しながら少年は必死で、その暴威から逃げ惑う。

 

 

(こんなの、予想以下じゃないか!!)

 

 

 ボロボロになって、這い蹲るように躱しながら、それでもそんな風に思考してユーノは強がる。

 それしか出来ないから、それさえしなくなれば心が折れるから、それだけは揺るがせないのである。

 

 彼が生き延びているのは努力の賜物だ。彼はこんな状況を何度も想定し続けていた。

 彼の大天魔の随神相。その暴威を何度も目にしてきているのだ。それを打ち破るには、それに対抗するには、それから生き延びる為には、どうすれば良いかをずっと考え続けていた。

 

 打開策は出ない。強大過ぎる神に打ち勝つ術など浮かばない。……それでも、生き延びる算段は立てていた。

 

 雷速で迫る母禮の随神相。腐毒を纏い近付けば終わる悪路の随神相。

 それらから逃れる為には、その初動を知らねばならない。彼らが動いてからでは間に合わない。

 その為に感知能力を持ったバインドと言う代物を考え付いた。その為だけに、その魔法を作り出していた。

 

 圧倒的な暴威を持ちながらも、あらゆる異能を封じる宿儺の随神相。

 その暴威に耐え抜く為には、異能の関わらない純粋な体技が必要となる。神速と言う技法によって、その暴威に僅かにでも抗わんとした。

 脱力と言う躱し方を覚えて、躱し切れない威力を僅かにでも減らそうと思考した。

 

 魔法の真実を知るまで、戦う事を諦めるまで、マルチタスクを使ってユーノはずっと考えていた。

 イメージの中では、絶えず随神相と戦い続けていた。一度たりとも勝利はなかったが、それでも生き延びるだけの技巧は磨いていたのだ。

 

 司書となった事で無為になったかと思われていたそんな努力が、こうして今その花を咲かせていた。

 

 

(こいつは確かに天魔級の怪物だけど、それでも太極がないだけ遥かにマシだ)

 

 

 触れれば腐る。あらゆる力を自壊させる。囚われれば逃げられない。そんな理不尽が伴った暴威に比べれば、シュテル・ザ・デストラクターは単純暴力だけでしかない。故にまだ軽いのだ、とユーノは己を奮い立たせるように内心で吐露した

 

 

「この状況は、嫌って程イメージしたんだ。頭に焼き付いて離れないくらい、訓練を重ねてるんだ」

 

 

 回復魔法で己を癒す。感じる痛みを、歯を食いしばって耐え抜く。神速による頭痛は、マルチタスクの同時使用によって負荷を増している。だが、そんな事は諦める理由にはなりはしない。

 

 

「だから、さぁっ!」

 

 

 泥を食んで、血反吐を零して、それでも、逃げ回るしか出来ていない。だが、確かに今生きている。

 

 正直、少年には現状が理解できていない。何が起こっているのか、この狂愛の廃神が何なのか、何一つとして分かっていない。それでも、何の為に戦っているのかは分かっている。

 

 あの子が危機にある。今直ぐにでも助けに行きたいのに、あの子を象った怪物が邪魔をする。ならば、何をすれば良いのかは単純だ。何を為せば良いのかは簡単だ。

 どれ程に苦しもうとも、どれ程に絶望的であっても、諦める道理など、ありはしない。

 

 ボロボロになった体を無理矢理に癒して、必死に二本の足で立ち上がって、少年は咆哮する。

 

 

「諦めると、思うなよ!」

 

 

 その姿は、何処までも雄々しい。確かな人間の輝きに満ちていた。

 

 

「嗚呼、嗚呼、……素敵よ。ユーノ」

 

 

 己が愛する少年の輝きに見惚れながら、シュテルは情欲に濁った瞳を向ける。

 

 

「さあ、もっと破壊(アイ)してあげます! もっと(アイ)し合いましょう! ねぇ、ユーノ!!」

 

 

 狂愛は毒々しく笑みを浮かべる。だが、それに向き合う少年に怯懦の色は欠片もない。

 

 それでも勝敗は明らかだ。否、論ずる余地もありはしない。これは最早、戦闘ですらないのだ。

 

 勝敗などはない。勝者と敗者などは生まれない。これは強者による弱者の蹂躙。圧倒的な暴力による搾取と何ら変わらないのだ。故にここにあるは、勝者と敗者の構図ではなく、加害者と被害者、捕食者と獲物の構図となる。

 

 現状では、ユーノの死以外に結末などはあり得ない。このままでは死ぬであろう。

 破壊の愛に砕かれる以外に道はない。必死に縋って、血反吐を吐いて、それでも時間稼ぎが責の山。そんな現状では、どの道先などありはしない。

 

 故に悲鳴を上げている脳を更に酷使する。

 故に動かなくなりつつある身体を更に酷使する。

 

 その先にある、未だ見えない蜘蛛の糸を探す。この蹂躙劇を、一握の勝利が存在する戦闘へと変える為に、少年は必死で思考を巡らせている。

 

 

 

 シュテルの振るう暴威に耐える。その凶悪な愛情を、ユーノは必死になって躱し続ける。その姿に、少年の輝きに魅せられた女は考えを変えていた。

 

 

「そう。ええ、そうですね」

 

 

 己の内で出た解答。三千のシュテルの総意を受けて、シュテルは行動を切り替える。

 圧倒的弱者であるユーノを殺し切れない。それに苛立っている、という訳ではない。寧ろその抗いを喜んですらいる。故に、彼女が戦い方を切り替えるのは別の理由。

 

 

「同じ事の繰り返しばかりでは、マンネリになりますからね」

 

 

 己は楽しめているが、独り遊びに耽るのはいけない。ワンパターンで飽きさせてはいけない。愛する貴方に、最高の破壊(アイ)を与える為に。

 

 

「少し、趣向を変えましょう」

 

 

 毒花の如く、少女は微笑む。三千のシュテルの前に現れるのは、同数の魔法陣。

 

 

「っ!?」

 

『集え、明星。全てを焼き消す炎となれ』

 

 

 三千のシュテルの大合唱。其が生むは炎に染まった星の輝き。

 高町なのはのコピーが、スターライトブレイカーを使えぬ道理は存在しないのだ。

 

 

『ルシフェリオンブレイカー!!』

 

 

 放たれるは赤き星の輝き。炎熱変換が混ざった集束砲。その数が、三千。

 

 炎が街を焼く。大地を焼く。空を焼く。天を焦す。

 それは正しく彼女の異名が如く、星を滅ぼすに足る破壊(アイ)の力だ。

 

 誰も生きられぬであろう地獄が現出する。何も残らぬであろう地獄が顕象する。夢の世界は炎に包まれる。

 立ち位置の関係上、炎を浴びる事はなかった風芽丘町方面だけを残して、海鳴の街は須らく灰となる。

 

 最早誰も生きていないであろう。何を為そうと防げぬ筈だ。そんな光景を前に、シュテルは笑みを浮かべ続ける。

 

 

「さあ、ユーノ。貴方はこれにどう対処しましたか?」

 

 

 華やかな笑みを浮かべて、シュテルはそう口にする。ユーノ・スクライアならばこのような攻撃、防げるだろうと盲信する。対処出来なかったとは思考していない。

 

 無論、そこに道理はある。この三千の砲火には間隙が存在している。

 

 本来、集束砲と言う物は複数を同時に使用する物ではない。

 周囲の魔力を集束させると言う性質上、複数個所に集束点を生み出せば、互いに干渉しあって上手く発動しなくなる。それは集束砲と言う魔法にある、避けられぬ欠点だ。

 

 それをシュテルは、なのはの三千倍と言う魔力で強引に発動させた。

 それをシュテルは、無限強化され続けている膨大な魔力でゴリ押ししたのだ。

 

 全力全開。一切の手抜かりはない全霊の砲撃。それでも、その性質上粗は生じる。魔力集束の干渉により、隙間は生じているであろう。

 

 あの頭の切れる少年がそれに気付かない筈がない。気付けば必ず、何某かの対処を見せる。

 

 

「私は全霊を出した。同時に貴方の輝きが見える状況も生み出した。だから、ね? 貴方の全てを私に見せて」

 

 

 燻ぶる業火の中、赤き光が消えていく。

 数秒。数十秒。数百秒。ゆっくりと周囲を見詰めて、一人の少年を探すシュテル。

 

 そんな少女の盲信に答えるかの如く、少年は確かに健在であった。

 

 焼け爛れた肌。ボロボロの五体。それでも、少年は未だ己の足で立っている。

 魔力障壁などでは防げないであろうその焦熱を、防ぎ切った。彼はそれだけの力を捥ぎ取っていた。

 

 その力の名は――

 

 

「それは……邯鄲の夢?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 序段顕象。楯法の堅。死なないと言うイメージ道理に、己の夢で守りを生み出す。

 夢界においては、邯鄲の夢は他の技術を上回る。それはこの偽りの世界においても同じ事。

 その集束砲の弱所を見抜き、シュテルの放つ魔法よりも優先される楯法の堅を用いた。故にユーノは、多大な被害を受けながらも健在であった。

 

 

「何故、貴方が夢を使えるの?」

 

 

 それは当然の疑問だ。この夢は夢界の主とその眷属にしか使えない物。如何なる道理でもって、ユーノ・スクライアが行使していると言うのか。

 

 

「……お前は、僕に見せ過ぎたんだよ」

 

 

 そんな少女の問い掛けに、ユーノは吐き捨てるように返す。慣れない力と、不完全な発動故に負った傷に苛まれながらも、確かな意志を其処に示す。

 

 この世界を、そしてシュテル・ザ・デストラクターを、ユーノ・スクライアは解析していた。初めて会った瞬間から、絶えずマルチタスクの内の一つを使って解析していた。

 

 五里霧中の霧の向こう。僅かに見える蜘蛛の糸。それを手繰り寄せる為に、彼はその性質を暴こうと動いていたのだ。

 

 

「邯鄲の夢。五常・顕象。……即ち、戟法の剛と迅。楯法の堅と活。咒法の射と散。解法の透と崩。創法の形と界。十の夢より紡がれる特殊な術式。この世界限定の技術とは言え、大した物だよ」

 

 

 夢界において生まれた技術。人々の無意識より零れ落ちた秘術を、ユーノは知恵で暴いていく。彼の最大の強みは、そのマルチタスクと知識量。故に、今の彼に暴けぬ魔法はない。

 

 

「けどさ、結局本質は魔法と同じだ。この世界を構成する力が魔力なら、当然、魔法で干渉して解析は可能なんだ」

 

 

 これが真実、人の無意識のみで編まれた世界であったならば、こうも簡単には行かなかっただろう。如何にユーノとて、全てを暴くにはもう暫くの時間を要した筈だ。

 

 だが、これは魔法によって生まれた世界。魔法によって成り立つ力。故に彼に暴けぬ道理はない。

 

 

「知識の量が自慢でさ。これだけ見れば、似たような物は生み出せる」

 

 

 管理局の全知。無限書庫の膨大な書籍量を、ユーノは全て記憶している。其処に記された記述を、一言一句違えずに暗記している。

 

 絶対記憶能力と言う物がある。記憶障害の一種とも言えるが、確かにあらゆる物を忘れない人間は存在している。ならば、極限の集中力があれば、努力を重ねれば、記憶出来ない道理はない。

 

 人の身でありながら、核爆弾の構造の全てを覚えられるような魔王(バカ)も無数にある世界の一つには居るのだ。ならば、どうしてユーノ・スクライアが無限書庫の全てを記憶出来ない道理があろうか。

 

 彼の魔王(バカ)と違って、ユーノにはマルチタスクと速読魔法と言う助けがある。彼の同時思考数は十二。それだけの下駄を履いているのだ。この結果も当たり前だと彼は認識している。

 

 常識で考えれば、マルチタスクの助けがあったとは言え、一月でそれを記憶するなど不可能だ。それを可能としたのは、優れた頭脳と精神性。その点において、彼は正しく化け物であると言えるであろう。

 

 魔法の知識に関して言えば、ユーノは既に夜天を超えている。

 

 

「無限書庫司書長を、舐めるな!」

 

 

 彼は管理局の司書長。一月足らずの司書長とは言え、生来の資質と完全に合致しているが故に、そう名乗るに足る質を有している。

 彼の最も優れたるは、肉体の強さではなく、魔法の技術ではなく、その知識の総量なのだ。

 

 故に、夜天が魔法を組み合わせて生み出したこの異界。其処より零れ落ちたこの邯鄲の夢。そこに介入して、己もそれを使えるようになる事は、不可能ではない。

 

 否、寧ろ簡単であったと断じよう。それだけの知識を、彼は持つ。

 

 

「ふふふ。驚きました」

 

 

 そんなユーノの姿に、シュテルは素直に想いを吐露する。そこに偽りなどはない。確かに彼女は驚いていて。

 

 

「けど、それでどうするのです?」

 

 

 だが、その余裕は覆らない。その優位は覆されない。

 

 

「貴方が使えるのは序段顕象。所詮は夢を使えるようになっただけ」

 

 

 序・詠・破・急・終。邯鄲の夢には練度がある。その五つの位こそが、邯鄲の五条楽。序段に目覚めたばかりのユーノが、急段に至っているシュテルに勝る道理はない。

 

 

「……それに、もう貴方は詰んでいる」

 

「なっ!?」

 

 

 今度の驚愕は少年の口から。シュテル・ザ・デストラクターは盲信していた。その方法は分からずとも、必ずユーノは生き残ると確信していたのだ。

 故にこそ、そこに彼女の布石がある。生き延びたユーノに、彼女が伝えるのは全霊の愛だ。

 

 

「愛しています。ユーノ」

 

 

 背後から抱き付いて来る裸の少女。甘く囁き、首筋に唇を落とす。その姿は紛れもなく、シュテル・ザ・デストラクター。

 その姿は肉の巨人ではなく、唯人のそれ。高町なのはと同じ顔の少女が見せる艶姿に、しかしユーノには羞恥を覚えるだけの余裕もない。

 

 絡みついて来る少女は一人ではない。足を掴んで少しずつ上って来る少女。左の腕を抱き抱えて、耳元で愛を囁く少女。背中越しにその体温を伝えて来る少女。正面から、己が裸体を見せ付けながら絡みついて来る少女。

 

 

「愛しているわ」

 

「愛しているの」

 

「愛しているから」

 

「嗚呼、お願い。抱きしめて」

 

 

 背徳の情景。甘い息使いに混じる愛の言葉。

 それを紡ぐは、全てが同じ顔。肉塊の巨人より零れ落ちた、三千の内の一つである。

 

 肉体を剥いで、楯法の活で再生させた。結果として生じるは無数のシュテル。彼女達は皆、唯一つの想いを胸に、少年の身を求めて手を伸ばす。

 

 

「っ! 邪魔だっ!!」

 

 

 纏わり付く少女達を少年は力尽くで振り払う。楯法の活によって、傷付いた両腕を癒し、魔力で強化した体と、寸勁の一種である体技を持って密着したシュテルを打ち倒す。

 

 

「っ!?」

 

 

 ぐしゃり、と嫌な音がして、不快な肉塊が拳に纏わり付く。三千倍と言う強度を持つシュテルから離れようとした全力攻撃は、三千分の一でしかない今のシュテルを、バリアジャケットや障壁は愚か強化さえされていないその身体を、あっさりと潰した。

 

 吐き気がする。想い寄せる少女と同じ顔の命を奪った事に、ユーノの心は動揺に揺れる。

 

 

「ふふ。嗚呼、素敵。貴方の愛も素敵よ、ユーノ」

 

 

 そんな想いを抱いて立ち止まるユーノに、シュテル達が群がっていく。

 潰れた顔が復元する。壊れた体が復元する。其は楯法の活。欠損したパーツの補充は愚か、完全に死亡した自分自身を再生できる程に、シュテルの活は練度が高い。

 

 

「不死身、なのか!?」

 

「ふふ。うふふふふ」

 

「アハ、アハハハハ」

 

 

 笑う声が重なる。狂笑が繰り返される。

 肉の巨人は、三千と言う命の全てを同時に奪われない限り、滅びる事がない。

 

 そして、ユーノに執着するは、零れ落ちたシュテルの断片だけではない。

 

 

「さあ、(アイ)して上げる」

 

 

 決して滅びぬ少女達に纏わり付かれて、身動き一つ取れぬ少年の眼前に巨人が立つ。三千の内の数十が欠けた程度。醜悪な肉の巨人は未だ、その暴威を保っている。

 

 その手を振り上げる。少年と絡み付いて口付けする己自身を、纏めて磨り潰そうと、シュテル・ザ・デストラクターはその手を振り上げる。

 

 今の彼女はユーノだけを見ている。三千の全てが、その意識の全てを愛する少年へと向けていた。

 

 故に――

 

 

〈ねぇー! シュテルん!!〉

 

「っ!?」

 

 

 突然、割り込んで来た念話に巨人の動きが止まった。

 

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターには一つの欠点がある。それは本来のグルジエフの怪物にはなく、彼女だからこそ生まれてしまった欠点。

 群体とは言え、それを構成する個の全てがシュテルである事。それこそが彼女の欠陥を生み出している。

 個が抱いた感情と全く同じ感情を、別の個も抱いてしまう。同じ方向を向いているが故に、感情を揺さぶる程の出来事が起こると三千の意識が其方に向いてしまうのだ。

 

 常ならばそうなる事もない。マルチタスクを操る要領で、三千の自分にそれぞれ別の行動を割り振れる。

 だが、今の彼女は正に悲願が叶おうとしていた状況で、その想いもまた高まっていた。全てが一点に集中してしまっていた。

 

 他の些末事ならば兎も角、声を掛けて来たのは大切だと認識している同胞の一人。常に監視の目を向ける一つ。

 故に咄嗟に向けられた言葉、それに対する驚きで個の動は乱される。それに連動して、一瞬とは言え、群が動きを止めてしまった。

 

 

「っ! 今だ!」

 

 

 その偶然に助けられたユーノは、解法の透を発現する。巨人の一撃を躱す力はないが、今の純度が落ちたシュテルの断片から逃れるには十分。

 自らを透過させて拘束から擦り抜けると、後先を考えずに転移魔法を発動した。

 

 

〈ねー! シュテルん! 何かモンスター作ってよー! ねー!〉

 

「…………」

 

 

 彼の居た場所を無言で見詰める。転移魔法の残滓しか残っていないそれを見詰める。

 

 

〈ねー! シュテルんってばー、ねー!〉

 

『私と彼の逢瀬を邪魔するなァァァッ!!』

 

〈シュテルんが怒ったー!?〉

 

 

 どうでも良い念話で己の邪魔をしたレヴィに怒鳴り付ける。ついでに三秒程度で考えた落書きのイメージを送り付けて、その念話を断ち切った。

 馬鹿にしたデザインを送ったが、アレは馬鹿故に馬鹿にされている事にすら気付かないであろう。そう思うと、苛立ちが拭えない。

 

 その八つ当たりとばかりに、周囲に魔法を連射する。怒りの咆哮を上げながら、周囲全てを焼き払う。

 パイロシューター。ブラストファイアー。フレイムスパロー。ヒートバレット。フレアバースト。

 

 無限強化される魔法で偽りの海鳴を焼き尽くしながら、隠れる事の出来る場所を一つ一つ潰して行く。

 この世界から逃れる事は出来ない。ここに居る者達は皆、夢を見ているだけでしかない。

 

 ここで起きる事は全てそういう夢でしかない。転移魔法を使っても外には行けず、この世界の何処かに転移した。そんな形に収まる筈だ。

 全ての出来事は所詮イメージ。空想の産物でしかない。夢見る夢から覚めぬ限り、所詮は何処へも行かれない。

 

 

「ええ、そう考えれば良いのです。彼はこの地の何処かに居るのだから、かくれんぼの様な遊びと思えば、それはそれで楽しいでしょう。……レヴィは後で数回程焼きますが」

 

 

 そう己に言い聞かせて冷静さを取り戻したシュテルは、ゆっくりと視界を巡らせる。

 彼女は三千の群体。先の様に一つの感情に囚われなければ、その六千の瞳が個別の物を映し出せる。

 一対三千のかくれんぼ。三千の鬼を前にすれば、見つけ出すのにそう時間は掛らない。

 

 ふと、周囲を見回しているシュテルは、ディアーチェの現状に気付いた。

 

 迫り来る紫の少女。迎え撃つ闇統べる王。その戦闘を暫し見詰める。

 そうして、同胞の不利を感じ取ったシュテルは、一つの魔法を発動する。

 

 

「ディザスターヒート」

 

 

 三連続で放たれる炎の砲撃。それが闇統べる王を後一歩にまで追い詰めていた少女を焼き払った。

 

 

「全く、レヴィと言い貴女と言い。……これは貸しですよ。ディアーチェ」

 

〈ああ、分かっているさ、シュテル〉

 

 

 そんな遣り取りを終えてから、焼き払った吸血鬼の少女の事など気にも留めずに、シュテルは唯一人の少年を探す。

 

 

「もーう、いーいかい?」

 

 

 戯れに口にした言葉。当然の如く返事はなく、故にシュテルも待とうとはしない。

 

 

「さ、遊びましょう?」

 

 

 醜悪な巨人は愛しい少年を求めて、ゆっくりと動き出す。

 

 

 

 

 

2.

「っ、はっ……」

 

 

 崩れ落ちたビルの一画に隠れて、少年は荒い呼吸を整える。

 

 この夢の世界で転移すればどうなるか分からない。だからこそ使わないでいたかったが、他に術はなかった。やむをえず転移をしたが、どうやら異常はないらしいとほっと一息を吐く。

 

 地響きがする。燃え盛る業火の音がする。あの怪物が居る場所からは離れられたようだが、そう遠くに移動出来た訳でもなさそうだ、とユーノは思考する。

 

 遠からず見つかるだろう。あれと戦うには対策が必要となる。その為にも、まずは現状の確認を優先する。

 

 

「現状。僕が使えるのは基本的な魔法と、邯鄲の夢が三種類。……正直、手札がまるで足りてない」

 

 

 使える邯鄲の夢は三種類。楯法の堅と活。解法の透。その三つだけなのだ。

 

 

「全く、夢なら都合の良い資質をくれれば良いのに、何でこんなに現実的なのさ」

 

 

 恐らくは自分の自身に対するイメージが原因だろうとは思う。そうは思えど、愚痴を口にしてしまうのは避けられなかった。

 

 

「回復。防御。解析。この三つは実戦レベルで使えるけど、他は全く、発動すらしない。透過による回避も、格上相手だと成功率は低い。活による再生は、失った部位を生やすぐらいが限界かな。堅も、あの巨人の拳を防げるレベルじゃない」

 

 

 総じて微妙。これだけでは奴を倒す札に成り得ないとユーノは判断する。

 

 

「夢の掛け合わせが出来れば良いんだけど。……やっぱりマルチタスクによる複数顕象じゃ足し算にしかならない、か」

 

 

 五条楽の位階とは、どれだけの夢が同時に使えるかという事でもある。二種類の夢を掛け合わせれば、その結果は乗算の如くに力を跳ね上げる。

 マルチタスクで同時使用すれば或いはとも考えたが、結果は乗算にはならず加算止まり。複数同時使用は出来たが、詠段にすら至れなかった。

 

 

「僕の使える邯鄲の夢じゃ、逆立ちしたってあいつには勝てない」

 

 

 それが結論だ。それがユーノ・スクライアの限界だった。

 少年は特別な生まれをしている訳ではない。危機に陥ったら、摩訶不思議な力が湧いて来て覚醒する訳ではない。

 それは主役のやる事だ。主人公補正やご都合主義と言った、選ばれた人のみの権利であろう。

 

 ユーノ・スクライアにそれはない。彼にあるのは、優れた頭脳と人並み外れたマルチタスク量。そして、努力して積み上げてきた物だけだ。

 

 

「分かっているさ。だからこそ、僕に都合の良い展開なんてありはしない」

 

 

 痛い程に分かっている。どうしようもなく理解している。

 急に邯鄲の夢が成長して、急段に至るとか、実は隠された力が存在していて都合良くパワーアップなどはあり得ないのだと。

 

 彼が邯鄲の夢を得たのは、積み重ねた努力の結果の知識量が故。

 彼がシュテルの猛攻に耐えられたのは、積み重ねた修練が花開いたから。

 

 もう彼に隠し玉はない。もう既に全てを出し切っている。

 

 

「なら、作るしかない。……あいつの夢を、崩す術を」

 

 

 あるのは知識だけ。あるのはちっぽけな夢の欠片。これを活かして、どうにかあれを崩す術を生み出すのだ。

 

 

「……僕じゃ、無理だな。僕の力じゃ無理だ」

 

 

 幾つもの構成を、高速思考と並列思考で生み出しては破棄する。どうしようもなく出力が足りていない。あれを崩せるには至らない。

 

 夢界において、邯鄲の夢は絶対だ。仮にユーノの中にすずかやアリサの持つような、神格域の魂の断片でもあれば別だが、他の方法では邯鄲の夢は崩せない。

 

 

「……なら、使うのは、あいつの力だ」

 

 

 読み取ったこの力の全容。解析した急の段の構成。そこから確認できる一つの要素。それこそが、恐らくは唯一の勝機となる。

 

 

「協力強制」

 

 

 協力強制とは、呼んで字の如く、相手の力を利用して相手を嵌める戦闘技法。邯鄲の夢の使い手同士では重要な要素となる、切り札を使う為の前提条件。

 

 例えば右腕のない戦士が居る。その戦士は相手の右側しか狙わないという枷を自身に課していると仮定する。

 その戦士を相手が見た時、果たしてどう思うであろうか? 相手は右しか狙って来ない。左は狙って来ない。となれば、左は不要と判断するだろう。

 

 その時、両者が左を意識しなくなる。両者の間で、左は不要という意見の一致が達成される。

 その結果として起こるのは、不要と断じた左の消失。協力の強制に嵌って、敵は左半身を失うのだ。

 

 その時に生じる力は、自身と敵手。その力を合わせた物となる。故に一度嵌れば、協力強制は覆せない。故に協力強制は、本人の力の限界を超えた奇跡を顕象させる。

 

 

「……けど、協力強制を行うには、最低でも急の段に至らなければならない」

 

 

 急段の発動条件こそが協力強制。協力強制を意図的に発動出来るのは、急段より上の位階に至った者のみ。ユーノはその条件を満たしてはいないのだ。

 

 八方塞がり。完全に詰み。急の段には至れないからこそ、協力強制を求めたのに、それを使うには急の段に至るより他に術がないのだ。

 

 ならば――

 

 

「なら、あいつ自身に使わせるしかない」

 

 

 己に出来ないならば出来る者にさせれば良い。シュテル自身の力で、シュテル自身を嵌めさせれば良いのだ。

 

 方法はある。たった一つだけ存在している。

 シュテルの首を絞めるのは、シュテル自身の狂愛だ。

 

 

「……出来るか、僕に」

 

 

 己の掌を見詰める。ボロボロの自分に、果たして出来るであろうかと。

 

 

「否、出来るか、じゃない。やるんだ」

 

 

 意思を確かに、目標を定めた。

 

 

 

 そんな瞬間に――

 

 

「みぃぃぃぃぃぃぃぃつけた」

 

 

 ビルの割れた窓ガラスの向こう側に、シュテル・ザ・デストラクターの姿があった。

 

 

 

 轟音と共にビルが崩れ去る。巨人に押し潰されて崩壊する。

 瓦礫と共に落下しながら、ユーノは自身を見詰める醜悪な巨人を見上げる。

 

 

「なぁ、シュテル・ザ・デストラクター」

 

「何ですか、ユーノ?」

 

 

 落ちるユーノは、追い掛けるシュテルに向かって問い掛ける。

 それは前提となる一言。協力を強制する為に必要な一言。確認の一言である。

 

 

「君は、僕を愛しているのかい?」

 

 

 そんな言葉に、シュテルは満面の笑みを浮かべる。自身を知ろうとしてくれている。そう感じて相好を崩す。

 

 

「ええ! 勿論ですとも!!」

 

「そうかい。……なら、良かった」

 

 

 これでこいつは嵌る。唯一つ、後一つを打ち込めば、その枷に嵌る。

 拳に一つの魔法を展開する。そうしてユーノは、崩れていく瓦礫を目暗ましにして、翼の道を展開した。

 

 翼の道を全力で駆け抜ける。しかし、少年の速力では、シュテル・ザ・デストラクターには届かない。

 ならば必然。あっさりと捕まるであろう。そうして破壊の愛で砕かれる。それが辿るべき末路であろう。

 

 だが、そうはならない。

 

 

「この刹那に、全てを賭ける!!」

 

 

 ユーノ・スクライアの使えるマルチタスク。その数は十二。その全てをフルに回転させる。

 一つは身体能力強化。一つは翼の道の維持。一つは拳に展開した一つの魔法。最低限に必要な、それら三つの魔法。

 

 一つは神速による限界を超えた加速。だが、それ一つでは届かない。だからユーノは神速を重ねる。

 二重神速。それを使える技量に、ユーノは未だ至っていない。高町恭也や高町士郎に比べれば、彼は剣士として完成していない。

 だが彼にはマルチタスクがある。複数の思考がそれぞれに神速を重ねれば、一時的にではあるが師である士郎をも超える神速を発揮する事が出来る。

 

 二重の神速で二つ。三重にする事で三つ。シュテルの脅威から逃れる為に、マルチタスクを三つ使用する。

 

 

「がっ、ぎぃ」

 

 

 口から悲鳴が零れる。限界を超えた脳の酷使に、頭が焼け付いたように痛む。

 目や鼻や耳と言った顔にある穴からは出血が止まらない。その症状は、嘗て限界を超えた高町恭也よりなお重い。

 

 それは神速に対する慣れによって、脳内が特殊な変化を遂げていた恭也と異なり、ユーノの身体が耐えられるように出来ていないから。

 だからこそ、己の力で死にそうになっている。だけどこれは夢だと知っているから、この痛みにだって耐えられる。

 

 

「楯法の活!」

 

 

 肉体の不具合を、無理矢理に治癒して治す。元凶となっている神速やマルチタスクの過剰使用を控えずに唯癒した結果、治した矢先に壊れるが、また治す事で対応する。

 

 限界を超えた脳。限界を超えた身体。こちらを狙うシュテルから刻まれる傷。それらを治す為に三つのマルチタスクを活に専念させる。

 

 これで九つ。残る一つで敵を見据えて、もう一つで討ち果たすべき方法を算段する。最後の一つに怯えや震えを押し付けて、ユーノは限界を超えて走り続けた。

 

 

「ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!」

 

 

 こちらを求めて手を伸ばす少女。その身が放つ暴威もユーノは気にしない。今の彼は楯法の活により、即死でなければ死にはしない。ならば止まる道理もない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 雄叫びを上げる。勝利の為の咆哮を上げる。

 そうしてユーノは、シュテルの巨腕に拳を打ち込んだ。

 

 その拳は、シュテルの腕を浅く傷付ける。その身を構成する三千人の内、たった一人の命を奪う。だが、それだけだ。それ以外には何も起こらない。

 

 

「今、何かしましたか?」

 

 

 優しく問い掛けるシュテルの余裕は崩せない。その巨体は崩れない。一人の死もすぐさま元通りになるだろう。

 核がないシュテルを倒すには、三千人全てを同時に殺さなくてはならない。ユーノ・スクライアにそれは不可能なのだから、彼に勝機などありはしない。

 

 せめて、その限界を超えた雄姿に敬意を示して、ゆっくりとそれを教えてあげようと、シュテルは不動のまま楯法の活を発現して。

 

 

「おや?」

 

 

 何故か、傷が塞がらなかった。

 

 

「今、何をしましたか?」

 

 

 先と同じ言葉の問い掛け。だが其処に籠った意味が違っている。

 そんなシュテルの問い掛けに、少年は悪童の如き笑みを返した。

 

 ユーノが打ち込んだ魔法。それは意識を誘導する為の魔法。思考を特定の方向に動かす魔法だ。

 無論、こんな物一つで感情を変えさせる事は出来ない。直接肉体に打ち込まれた事で瞬間的な強さは跳ね上がっているが、それ一つで感情を変えさせる事は出来ない。

 

 協力強制に必要となるは強い想いだ。信念や拘りを超えた、渇望の域に近い狂念が必要となるのだ。

 誘導魔法で植え付けた意志一つでは、そこまでの想いには至らない。狂念を持つ者は、そんな薄い思考操作などあっさりと弾くであろう。上手くいったとしても、植え付けられた願いが渇望になる事は無い。本来ならば。

 

 だが今回だけは事情が違う。シュテル・ザ・デストラクターだけは別なのだ。

 この愛に狂った女だけは、植え付けられるであろう誘導を覆せない。そうなるだけの理由が其処にある。

 

 

「僕はさ、愛する人から送られた物とか、残しておきたくなる人間でさ」

 

 

 ボロボロの少年は、首から下げた銀色の飾りを優しく撫でる。彼の持つ、誰もが持つであろう考えを口にする。

 

 

「誰だって、大切な人からの贈り物は残しておきたいだろ? それがどれだけ下らない物でも残したいって思う僕は、きっと女々しいんだろうけどさ」

 

 

 与えた誘導はそれだ。愛する人から与えられた贈り物を、残して置きたいと思う様になる思考の誘導。

 

 

「君は僕を愛してるんだろう?」

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターはユーノ・スクライアを愛している。

 ユーノに与えられた思考誘導によって生じた想いが、己の渇望とでも言うべき愛に即した物だったからこそ、彼女は自身を嵌める急段を生み出してしまう。

 

 分かっていても、気付いたとしても、もう抗う術はない。何故なら、真実、心の底からそれを望んでしまっているから。

 

 

「なら、僕に与えられた痛み(おくりもの)もそのまま残して置けよ」

 

 

 彼女は急の段位にありながら、自分だけの急段を持っていなかった。

 あったのは廃神と言う夜天の眷属故に得た力。鋼牙機甲獣化帝国と言う彼女の渇望とは掠りもしないその異能。

 

 既に急の段にあった彼女は、己の渇望さえ生まれれば新たな力に目覚めるだけの下地があった。彼女だけの急段が生まれる余地があったのだ。

 故に、与えられた思想が渇望となる程に合致した事により、彼女だけを苦しめる急段を彼女自身がここに生み出してしまった。

 

 それは、破壊の愛を満たす急段。愛する人に付けられた傷が、永劫癒えぬという強制法則。

 既にユーノは同意している。協力強制は成り立っている。故に、最早シュテルの傷が癒える事はもう二度と無い。

 

 

「さて、後は簡単な話だ。シュテル・ザ・デストラクター」

 

 

 ユーノは語る。己の掴んだ僅かな勝機。とてもとても細い蜘蛛の糸。

 

 

「三千人。三千回ぶっ飛ばせば、終わりだ」

 

 

 シュテル・ザ・デストラクターはもう回復しない。残る命は、後二千九百九十九人分。

 

 

「たった三千人だろう? 軽いんだよ!!」

 

 

 たった一つを削るのに死に掛けて、体はもうボロボロで、それでも軽いとユーノは語る。やって見せるさと彼は強がる。

 

 上等だよ。狂愛の廃神。三千人と言うお前の全て、その悉くをここで打ち破る。

 

 そんな少年の言葉に、シュテルは体を震わせる。その震えは恐怖故ではない。嵌められた事への屈辱故ではない。その身を震わせるのは、抑えられない程の歓喜である。

 

 

「うふ、うふふ」

 

「あは、あはは」

 

「きゃは、きゃはは」

 

『ウフフ、アハハ、アーッハハハハハハハハハ!!』

 

 

 シュテルが笑う。シュテルが笑う。シュテルが笑う。

 無数のシュテル達は一方的な不利を強要されて、そんな渇望を抱かされて、狂ったように笑い続ける。

 

 とても嬉しかったから。とてもとても嬉しかったから。

 

 

「嗚呼、嗚呼、何と言う気分でしょうか!」

 

「今ほどに言葉が軽いと思った事はありません。どれ程に口にしても安っぽく感じてしまう。何を言おうとこの感動を表せない」

 

「だと言うのに、嗚呼、嗚呼」

 

「歌い上げたい。詩に書き留めたい。不完全な言葉だとしても、この感激を残したいのです!」

 

「貴方の破壊(アイ)が私に残る。永劫この身に残り続ける。三千人の私達。その全てを(アイ)してくれる!」

 

「素敵よ。最高の気分。これこそが、私の渇望だった! 教えてくれて、本当にありがとう!!」

 

 

 無数のシュテルが続けざまに想いを語る。全てのシュテルが感動に包まれている。その狂態を見て、その狂想を知って、ユーノが感じる想いは一つだけ。

 

 

「君の愛は、確かに本物なんだろうさ」

 

 

 その愛だけは認めよう。その愛だけは揺るがないのだと確信する。偽物であれ、贋作であれ、劣化品であれ、シュテル・ザ・デストラクターの愛は真である。

 

 

「君の言葉も、感じる想いがあったよ。……愛に理由は要らない。愛に保障は要らない。それを確かに刻んだよ」

 

 

 その女の狂愛は理解出来ないが、嗚呼、確かにその言葉には同意しか抱かなかったのだ。

 

 

「だからこそ、君に倣って、ここに宣言しようと思う」

 

 

 彼女のお蔭で見えた。目を逸らしていた真実。己の内に芽生えかけていた確かな想いのその名前。

 

 

「僕が憧れたのは、君じゃない」

 

 

 愛を知らなかったから、それに理由を求めた。それが愛だと言い切る事が不安で、愛するに足る理由を探し続けていた。

 

 

「僕が恋したのは、君じゃない」

 

 

 愛を知らなかったから、そこに証明を求めた。己の想いが愛であるのだと、明確な証を欲しがった。それがないのが酷く不安で、本当にそうなのかと自問ばかりしていた。

 

 

「僕が愛しているのは、君じゃない!」

 

 

 その想いの答えを教えてくれたのはこの廃神だ。だからこそ、この言葉を口にする。

 無意味どころか、この言葉で相手の愛が失われれば、この僅かな勝機も失われるだろう。だと言うのに、それでも口にするのだ。

 

 

「僕は、高町なのはを愛している!!」

 

 

 真実はたった一つ。理由がなくとも、証がなくとも、確かに感じる想いはそれ一つ。今、ここに感じる想いは真実なのだ。

 

 

「覚悟しろ、シュテル・ザ・デストラクター。僕の愛は、軽くないぞ!!」

 

 

 迷いを吹っ切った少年は、その切っ掛けとなった少女に感謝の想いを込めながら、己の意志をここに示す。

 

 

「嗚呼、憎らしい」

 

「嗚呼、愛おしい」

 

「嗚呼、羨ましい」

 

「嗚呼、妬ましい」

 

「嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼!!」

 

 

 狂ったように、否、真実狂ったシュテル達は千路に入り乱れる想いに振り回される。無数の生じる感情を整理出来ず、唯、その全ての情が向かうべき少年を睨み付ける。

 

 

『ユゥゥゥゥゥゥノォォォォッ!!』

 

 

 ここに、愛を自覚した少年と、狂愛の廃神の戦いは漸くその幕を開いた。

 

 

 

 

 

 

3.

 その瞬間に流れが変わったのは、その戦場だけではなかった。

 

 

「あれ? 何で生きてるの?」

 

 

 レヴィ・ザ・スラッシャーが疑問を投げ掛ける。それに対する答えはない。そんな言葉を返す余裕は、少女には存在していなかった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 視界が霞む。眩暈がする。体が重い。

 どうしても体は満足に動かず、今にも倒れ込んでしまいそうになる。

 

 それでも、アリサ・バニングスは生きていた。

 

 

――馬鹿者がっ! ……相手……に……引っかかる………う。

 

 

 己の内側で叱りつけて来る誰かの声がする。だがその声はノイズ混じりで真面に届かず、その姿はまるで砂嵐が走っているかのように、輪郭さえ定かではない。

 

 

――私と……の相性は…悪だ。無理……に繋いだが、それでも…………る。………死の半分…請け負って……ことしか……なかった。

 

 

 霞む視界に映る影。その姿が女である事だけを辛うじて理解する。その姿からイメージする色は赤。赤い女性が其処に居ると感じている。

 

 

――何時もの……力…振るえ…と…思…な…。私の助…がなけ…ば、……は炎弾一つ……出せん………忘れるな。

 

 

 その女性の言う事はまるで聞き取れない。だが、必死に伝えようとして来る言葉の断片から、ニュアンスだけは理解する。

 

 一つ。己が死んでいないのは、彼女がその死の半分を請け負ってくれたから。

 一つ。自分と彼女の相性は最悪であり、それ故に真面な対話すら行えないであろうと言う事。

 一つ。これまで自分が紅蓮炎上を使えていたのは、彼女が全面的に協力していたから。

 

 死の半分を請け負った事で大分無理をしたのだろう。現状、彼女の協力は完全に失われている。最早、今の己は炎弾一つ出せないであろう。それだけ分かれば、十分である。

 

 

「んー? 何で生きてるのかなー? ま、いいや。生きてるって事は、また遊べるってことだよね!」

 

「ふっざ、けんじゃ、ない、のよ!」

 

 

 薄れそうな意識で言葉を口にする。手を噛んで血を流して、途切れそうな意識を痛みで無理矢理に保つ。

 

 

「誰が! もう! 二度と! アンタなんかと! 遊ぶもんか!!」

 

「えー!」

 

 

 請け負って貰えたのは半分。半死半生のままで、それでもアリサは立ち上がるとレヴィ・ザ・スラッシャーへと怒りを向ける。

 

 

「覚悟しなさい! 思いっきし、ぶん殴ってやるわ!!」

 

「ん? なーんだ。アリサも遊ぶ気じゃないか! さあ、殺し合いというゲームで遊ぼう!」

 

 

 流れは変わった。これより激闘の第二幕が始まる。

 

 

 

 

 

4.

 そして、二つの戦場にて流れが変わったのに対し、この場所では戦場を決定付ける大きな変化が起きていた。

 

 

――かつて何処かで そしてこれほど幸福だったことがあるだろうか

 

「何?」

 

 

 何処からともなく聞こえて来る声に、ロード・ディアーチェは眉を顰める。何だ、この声は、そう周囲を見回して、その異常に気付いた。

 

 

――幼い私は まだあなたを知らなかった

 

 

 声は止まらない。詩は止まらない。その漆黒の瘴気が放たれる。奪われる命の向く先は、首のない少女の遺体。

 

 

――いったい私は誰なのだろう いったいどうして 私はあなたの許に来たのだろう

 

 

 首のない少女が立ち上がる。瘴気によって簒奪した命を使って、その身を復元させていく。

 

 

――ゆえに恋人よ 枯れ落ちろ

 

「蝙蝠か!? ええい、何と生き汚い!!」

 

 

 その手にした魔法杖より力が放たれる。首のない彼女ならば殺し切れるであろう。確かな威力の籠った全力攻撃。

 

 だが、それすらも糧とする。そうして砕けた筈の頭部が復元する。その顔は、月村すずかのそれである。

 

 

――死骸を晒せ

 

「……俺をあのメスガキと見間違うだぁ? おいおい、舐めてくれるじゃねぇか、てめぇ」

 

「何? 何だ、貴様は!?」

 

 

 だが、それは月村すずかではない。同じ顔。同じ髪型。だが、その色が違っている。

 紫色の髪が真っ白に染まっていく。その隙間から垣間見える瞳は血のように赤く。そしてその顔は病的なまでに薄い白貌。

 

 その人物は、月村すずかでは断じてない。

 

 

――Briah

 

 

 詠唱が終わる。その呪詩が完成する。現れるは、天魔・血染花。

 

 

「はっ、さっきからてめぇら、心までどうだとか、我は邪悪だの、ごちゃごちゃ屁理屈こねくり回しやがってよぉ。知らねぇ、見えねぇ、何だそりゃ? 食い物かぁっ!!」

 

「貴様ぁっ! 我が問うているのだ! 名乗らんかっ!!」

 

「……良いぜ、戦の作法だ。教えてやる」

 

 

 白貌の吸血鬼は笑う。笑いながら己の名を、誇らしい異名を、己が力を解放する言葉と共に口にする。

 

 

――死森の(ローゼンカヴァリエ)薔薇騎士(・シュヴァルツヴァルト)

 

「聖槍十三騎士団。黒円卓第四位。ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ!」

 

 

 白貌の吸血鬼の瘴気が周囲を覆う。それが生み出すは一つの異界。引き摺り込むは永遠に明けない夜。

 

 

「覚えておけ、今すぐ死ぬその瞬間までなぁぁぁっ!!」

 

「がっ!? 貴様ァァァァッ!?」

 

 

 命を食らう夜は、月村すずかの二大凶殺とはその威が段違いだ。

 間に少女と言う異物を挟まずに放たれる力は、正しく天魔のそれである。

 

 ロード・ディアーチェは抗えない。月村すずかの夜と拮抗していた少女は、故に遥か高次の力を防げず、何も出来ずに吸い殺される。

 

 

「なぁ、月村すずか。……俺もお前も畜生だ。俺らみたいな奴には、どうしようもねぇ不運ってのが付き纏う。ここぞって時に、何もかも逃がしちまう」

 

 

 己の内に眠る子供にそんな言葉を投げ掛けたのは、さて、どんな気紛れか。

 少女の語った言葉に絆されたからか、それとも後一歩という所で全く意識していない不幸に躓いてしまった同類を憐れんでの言葉か。

 

 

「だからよ。願ったのさ。幸運さえも奪い取る夜を」

 

 

 カズィクル・ベイが表に出られたのは、ここが精神に依存する夢界だからだ。今の彼では、現実世界で表に出て来るだけの力はない。だが、この夢界でなら、確かに全盛期の力を振るえるから。

 

 

「なぁ、中身に塵しか詰まってねぇ劣等の屑。……最高だろう? この夜は」

 

 

 最早原型さえも残らぬ程に吸い尽くされたディアーチェに向かい、白貌は嘲笑いながら語る。

 

 

「クックック。クハッ! ヒャァァハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 その奪い取った命を糧にする事すらせずに、不味いと吐き捨てて、男は笑い続ける。

 その人の神経を逆撫でするような甲高い声で、赤き月夜の照らす夜の世界で、吸血鬼は狂ったように笑い続けた。

 

 

 

 

 

 




ベェェェェイッ!! ってなった今回の話。他にも色々濃厚だけど、やっぱり最後はベェェェェイッ!! だと思う。(小並感)
ラスト付近の推奨BGMは勿論『ROZEN VAMP』。『禍津血染花』でも可。


○因みにユーノ君のシュテルん攻略法。
・まず相手の能力を解析して丸裸にします。ついでに自分もそれを使えるようになります(インテリ系な対応)
・次に相手の回復能力を封じます。なお、その際に行うのは気付かれても防げないような罠です。(インテリ系な対応)
・最後に、殴りましょう。一人殺せたんだから、あと二千九百九十九人だけだし、何とかなる。(迸る脳筋臭)

家のユーノはインテリ系脳筋。(確信)



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