リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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“彼の”で“あの”と読んで欲しい。そんな三十四話です。

推奨BGM
 Don't be long(リリカルなのは) 流すタイミングはお好みでどうぞ。


第三十四話 彼の空に輝く星の様に

1.

 寄せては返す影の海。炎によって生じた黒煙によって空が暗く染まる今、その境界は曖昧で、全てが黒く染まって映る。

 

 先の惑星全土を包み込んだ大火災の名残など、最早それだけ。

 各地で燻ぶっていた炎は影の海に飲まれて消え去り、守護獣と焦熱地獄の主が戦闘跡など何処にも残ってはいない。

 

 黒き海より生じる波の音。この場に残った四人の呼吸音と、大天魔の鈴を鳴らすような声。なのはの手に握られたレイジングハートが駆動する音。

 今、ここで聞こえるのはそれだけ。それ以外には何一つとして音がない。そんな静寂に満ちた暗き世界で、二人の少女は向き合っていた。

 

 白き衣を纏いしは、魔導師高町なのはの姿。

 そのバリアジャケットと一体化した銀細工は、海の色か煙の色か、どちらを映しているのか分からぬ程に暗く染まってしまっている。

 

 対するは天魔・奴奈比売。袖のない巫女装束に似た衣装に身を通す。死人のような肌をした少女。彼女はその四つの瞳でなのはを見詰め、その答えを待った。

 

 

「……それで、答えは?」

 

 

 焦熱地獄が消えた今、防御障壁は必要ない。

 故に万が一にも三人が傷付かぬように、奴奈比売の元まで飛行して近付いていく。そんななのはに、もう一度、奴奈比売は問い掛けた。

 

 貴女は何を選択するというのか、決めておきなさいという嘗て受けた言葉。

 その答えを問われて、なのはは複雑な内心を整理するかのように、一つ一つ言葉にしながら、彼女なりの答えを返した。

 

 

「怖いよ。逃げ出したい。今でも確かに、そう思っている」

 

 

 拭い去れない。恐怖に震える己を誤魔化す事は出来ずに、震える手足を握り締めながら、それでも確かになのはは告げる。

 

 

「けど、もっと大事な事がある。それが分かった。それに気付いたんだ」

 

 

 気付くまでに随分と遠回りしてしまったけど、確かに気付けた。答えは出せたのだ。

 

 

「私ね。皆と一緒に居たい。貴女と一緒に居たいんだ」

 

 

 その為に必要ならば、恐怖だって乗り越える。怯えなんか消し飛ばす。大切な貴女と共にある為に、そんな言葉を奴奈比売に伝える。

 

 

「だから、決めた。私は、もう逃げないよ」

 

 

 それが、高町なのはの決意。

 奴奈比売の問い掛けに対する、なのはなりの解答だ。

 

 

「ああ、本当に……馬鹿な娘」

 

 

 そんななのはの言葉に、奴奈比売は優しげに微笑みながら口にする。

 こんな罪深い魔女が大切だと、面と向かって口にする。そんな友人に愛おしさを感じながらも、それでもその願いを否定する。

 

 

「ダメよ。もう戻れない。もう引き返せない。覆水は盆に返らぬように。……いいえ、その言い方は正しくないわね。私の選択は、最初から決まっていたのだから」

 

「どうして!?」

 

「……悪いけど、理由は語れない。貴女が知る必要はないの」

 

 

 戻らない。もうあの輝きには戻れない。

 本人からその願いを否定されて、理由は語れないと言い捨てられて、それで納得出来る程に、なのはは物分かりが良くはない。

 

 幼子に教え諭すように告げられて、そんな奴奈比売の言葉になのはは反発する。

 

 

「納得できない! 何で! どうして! 教えてよ、アンナちゃん!!」

 

 

 涙目になりながら、なのはが口にするのは子供の駄々だ。例え理由を口にされても、それでも少女は同じ言葉を言ったであろう。

 別れたくない。一緒に居たい。そう素直に口にする姿に、ああそう出来たらどれ程に素晴らしいかと思う。せめて理由を説明してあげたいと、思わないでもない。

 

 けれど、それを口にする事は出来ないのだ。他ならぬ、彼女の為を思えばこそ。

 

 救いのない未来など、どうして知る必要があろうか。

 何も知らずに居れば良い。恐怖も絶望も抱く事はなく、穏やかに終わりを迎えれば良いだろう。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 高町なのはの声を聞きながら思考する。それはこの世界はそう遠くない内に滅ぶと言う事実。

 

 覇道神が死ねば、全てがほぼ同時に消え失せる。

 何もかもが一息に終わる。世界全てが消え失せるのだ。痛みなど感じる筈がない。

 ならば終わる事など知らず、唯平穏に生きていれば良い。何時か終わると恐怖し続ける必要はない。

 

 そうならずとも、仮に彼が蘇れば、世界は紅蓮に染まって凍り付く。

 その果てに生まれるのは無間の地獄。昨日と同じ今日。今日と同じ明日が永遠に続く世界だ。

 

 変化は一切訪れず、何も生まれない。何も起こらない。唯々美しい平穏が続いて行く。

 その世界に生きる者らは、誰もがその世界を素晴らしいと認識する。その思考さえも操られて、不変こそが素晴らしいと思い込む。

 誰もがその情景を美しいと思い込み、誰もがその在り様を尊いと思い込み、糸に繰られた人形はその操り糸を認識する事さえ出来はしない。

 

 その世界は、他者から見れば確かに地獄であろう。それを齎す彼こそが、邪神の法と語る歪な世だ。

 けれど、内を生きる者らにとって、決して不幸ではない。気付かなければ、死する事も老いる事もない世界で、永劫幸福に浸っていられる。

 

 だが、ここで真実を知ってしまえば、その世界が訪れたとしてもその知識が亀裂となって残るであろう。その幸福に浸る事が出来なくなる。

 誰もが幸福な地獄の中で、唯一人正気を保って彷徨い続ける事になるのだ。愛すればこそ、どうしてその様な境遇に貶める事が出来ようか。

 

 だから、天魔・奴奈比売がこの地を去る理由を語る事は無い。共に居られぬ理由を、口にすることは無い。

 語ることはなく、全てを我らだけで終わらせる。故に決別の意志は揺るがない。

 

 

「教えて! お話しして! 理由も知らず諦めるなんて、したくない! 出来ないよ!!」

 

 

 黙して語らぬ友に対し、なのはに出来る事はない。

 だから武器を振るう。それが間違っているとしても、言葉だけで諦める事は出来ない。何も言われずに、話もしてもらえずに、諦めるなんて選べない。

 

 嫌われても良い。罵られても良い。それでも、黙ってなんて行かせない。桜色の輝きを放ちながら、少女は友達と争う覚悟を決める。

 

 

「……なのは」

 

 

 明確に拒絶を伝えられても諦めない。どれ程追い詰められても立ち上がる。そんな姿を、少し眩しく思う。

 

 その不屈の意志こそが、夜都賀波岐をして脅威だと思わせている。脅威として認められてしまった。

 結果を出し過ぎてしまったのだ。母禮の判断は、彼女の独断と言う訳ではない。悪路も常世も、そして奴奈比売自身も同じ判断を下している。

 

 もう放置しておくことは出来ない、と。

 

 心が折れてくれれば、それが一番だった。その一瞬でどれ程苦しもうとも、先に進もうと思わなければ、目溢しされていたであろう。

 けれど、もう恐怖で縛り付ける事は出来ない。それをなのはは示してしまった。

 

 先の戦いの中、何度燃やされようと立ち上がった姿を覚えている。

 焼かれる度に介入しようか、気が気でなく案じていた彼女は、故にこそ、その精神の強さが揺るがせないと分かってしまっている。

 

 だが世界の真実を告げる事も、その息の根を止める事も、どちらも奴奈比売には選べない。

 

 だから――

 

 

「……それ、返してもらうわね」

 

「え?」

 

 

 唐突に、高町なのはの力が消失した。

 バリアジャケットが消え去る。飛行魔法が解除される。魔力の使い方すら分からなくなった。

 

 唐突に裸体を晒す事になった現状に羞恥して、どうしても飛び方が思い出せない現状に動揺して、頭の中に生まれた記憶の空白に、何が抜け落ちたのかすら分からず恐怖する。

 

 高町なのはは混乱したまま落ちていく。暗き空を、影の海へと真っ逆さまに。

 現状を理解すら出来ない彼女に、出来る事など何もなかった。

 

 魔法も歪みも、どちらも奴奈比売が与えた物。

 友の体や魂に害を与えぬように、直ぐに消し去れるように手を加えて、染み込ませた力だ。

 

 故に安全装置が其処にはあった。それは歪み出力の制限であり、同時に万が一その力がなのはを害する事となったならば何時でも回収出来るように、魔女の手が加えられていた。

 歪み者の状態が二種類の果実が混ざったミックスジュースならば、なのはは仕切りを作ったコップの中に、混ざらぬように二種類の果実ジュースを入れているような状態だったのだ。

 故に魔女にしてみれば、それを分離するのは実に容易い。与えた力を回収するのは、彼女にとっては欠伸が出る程に簡単な事なのだ。

 

 天から墜落した少女の身体を、暗き影が受け止める。

 その身を傷付けぬように、影の海は優しく包み込んで、海の底へと飲み干した。

 

 

「そのまま寝てなさい。……貴女が目覚めた時、全てが終わっているように。私、頑張るから」

 

 

 魔力を失い。歪みを失い。ありとあらゆる力を喪失する。そんな彼女へ、優しく囁くように魔女は告げる。

 優しい友の声を聞きながら、小さきその身は深淵へと落ちていく。黒く海の底。光届かぬ影の奥へと。

 

 

 

 そうして、少女は地に堕ちた。

 

 

 

 

 

2.

 少女は海の中を沈んでいく。

 その身に宿る力は最早ない。歪みも、魔法も失われてしまった。

 

 魔力は残っているが、それでも、与えられた知識を奪い取られた少女には、どうすれば魔力を使えるのかも分からない。

 

 お気に入りだった衣服は焦熱地獄によって焼き尽くされた。

 肉体の再構成で、そんな物まで作っている余裕はなく、バリアジャケットで代用していた。

 バリアジャケットを纏う事が出来なくなった今、少女はその裸身を晒したまま、影の海に揺蕩っている。

 

 

 

 影より声が零れ落ちる。

 囁くように、纏わり付くように、紡がれるは女の情念。

 あれが欲しい。あれが欲しいと囁く声は、聴く者の心を少しずつ壊していく。

 

 この影より逃れる事は敵わない。

 抗えば抗う程に底の底へと沈みゆく、囚われた肉体よりも先に心が壊れる。故にここは黒縄地獄。

 

 されど今、この地獄が高町なのはを害することは無い。

 あらゆる力を失った少女を包み込む海は、まるで母の胎の内にある羊水の如く。優しく抱き留め、安息の内に眠らせる。

 

 害意がない。悪意がない。

 彼女に対する負の念がなき故に、魔女はその少女が己の念に壊れぬように、優しく優しく守っている。

 

 それが確かに理解出来たから――

 

 

(……それじゃあ、駄目だ)

 

 

 安らぎの中で眠りそうになりながらも、高町なのはは思考する。

 その安らぎの中、混乱より冷めた頭を動かす。守られているだけじゃ、こうして抱かれているだけじゃ駄目なのだ、と。

 

 

(何時だって、そうだった)

 

 

 人として共に在った頃も、そして天魔としての正体を晒した後も、アンナは何時だって、高町なのはを守っていた。

 

 平穏な日常の中で、常に手を引いてくれたのは彼女だった。

 初めての友達。その存在は特別で、彼女が居たからなのはは孤独を感じなかった。確かになのはの救いになっていた。

 

 魔導師として覚醒した時もそう。歪み者として覚醒した時もそう。

 受ける筈の被害を、払うべき代価を、全てを彼女が肩代わりしていた。返しの風が起こらなかったのは、アンナがそれからなのはを守り続けていたから。

 

 大天魔としての姿を晒した時もそう。どうでもいい存在ならば、彼女はその時点で排除していた。

 こうして一瞬で力を奪うことも出来たのだから、全てを奪って、それで終わりにしてしまっても良かったのだ。

 

 そうしなかったのはきっと、力を失くしたなのはが、それでも無茶をする事を恐れたから。

 劣等感を抱いていて、魔法の力によって漸く自己肯定しかけていたなのはから、それを奪い去るのを躊躇った気持ちもあるかもしれない。

 

 だから、態々恐怖を刻み込む事で、近付くなと教えようとしたのだろう。

 

 

(……そう。分かってる)

 

 

 影の中、揺蕩うなのはの身体を抱きしめる。薄ぼんやりとした膜のような力。

 それが本来の能力でないと分かる。己が渇望を形にした太極に耐えるだけの護りを作るのが、どれだけ難しいのかを察する。

 

 

(貴女は……何時だって私を守ってくれていた)

 

 

 無理をしてまで守りを残す。こんな状況になってまで守ろうとする。真実を語らないのも、きっとそう。

 力を奪い取って無理矢理に眠らせようとするのもそう。それら全ては、幼い少女を守るために。

 

 その行いは褒められた物ではないだろう。そのやり方は不器用に過ぎる。

 それでもそこに確かな想いが存在している。友を思いやる愛情が、確かにそこに存在していて。

 

 

(けど、それじゃあ駄目なんだ)

 

 

 微睡から目を覚ましながら、母の温もりを感じさせる膜を破きながら、高町なのはは選択する。

 

 

(守られているだけじゃ駄目。手を引かれているだけじゃ駄目。……私は、アンナちゃんと友達だから!)

 

 

 対等になりたい。対等でありたい。友達だと胸を張って誇れるように、そういう自分になりたい。

 その為には、守られていては駄目だ。今を甘受するだけじゃ駄目だ。

 

 その想いで、己を護る加護を破壊する。その身を影へと躍らせた。

 

 

「っ!?」

 

 

 瞬間。心を壊すような痛みがなのはを襲った。

 男を呼び続ける魔女の声が精神を擦り減らし、流れ込んで来た記憶の一部が心を凌辱する。

 

 それでも、高町なのはは諦めない。

 

 黒縄地獄は抗えば抗う程、底へと沈んでいく。

 底なし沼の如く、どうしようもなく深い場所へと落ちていく。

 

 逆説的に言えば、抗えば底へ落ちれるのだ。

 

 太極の力が強い場所とは、即ちその神の本質に近い場所。彼女の心の深奥に他ならない。

 

 

(私は知らない。アンナちゃんの事、知らなかった)

 

 

 甘い物が好きで、白い犬が苦手。いたずらが好きで、真面目に振る舞うのが苦手。

 どんな遊びが好きか、どんな場所を好んでいるか、そういった事は知っている。

 

 けれど、分かるのは今のアンナだけだ。そんな友人としての一面だけだ。

 過去の彼女を、大天魔としての顔を、何一つなのはは知らない。

 

 アンナが何を見て、何を聞いて、何を思って、何を隠しているのか。

 高町なのはは彼女の過去を知らない。知ろうともしていなかった。

 

 

(だから、知ろうと思う。……この先に落ちれば、それが分かる筈だから)

 

 

 体を暴れさせて、影に抗う様に身を捻じる。自ら抗う事で、影の奥へと飲まれていく。

 高町なのはは自らの意思で、その深淵へと進んで行った。

 

 

 

 まず始めに見たのは魔女の記憶。

 その表層にあるは陰惨で、醜悪で、不快に満ちた痛みと苦痛と屈辱の追体験。

 

 魔女狩りによって刻まれた痛み。裏切られた怒り。拭い去れぬ憎悪。己が身を襲った理不尽を味わい、その全てに蹂躙される。

 

 アルザスと言う世界が崩壊する光景を見る。

 その中で悲鳴を上げて散っていく人々。傷付けられて倒れていく彼らを、嗜虐の笑みを浮かべて蹂躙する。その誤った悦楽に、己の心が歪んでいく。

 

 それを彼女の視点を借りて体験し、唯それだけで心が悲鳴を上げた。

 

 耐えられない。耐えたくない。そんな感情を抱いてしまう。

 他者に害される痛みも、他者を害する醜悪な光景も、どちらも望んで見たくはない。

 そんな痛みと苦しみを自分が受けたから、全く同じ物を他者へと与える。お前も底へ堕ちてしまえと蹂躙する。そんな魔女の悪循環。

 

 その光景に吐き気を覚えて、耐えられないと首を振って、それでもこれは彼女を知る為に必要なのだと腹を括る。

 元より、一度潜航を始めた以上は後には退けない。もう戻る道などありはしないのだ。ならば覚悟を決めて進むしかない。

 

 高町なのはは更に奥へと沈んでいく。

 

 

 

 次に見たのは世界の真実。奴奈比売がなのはに隠し通そうとしていた事実だ。

 魔女にとっては常に考えていなければならない命題で、故にこそ表層に近い場所にそれはある。

 

 

(これが……)

 

 

 その姿を見た瞬間に、先の醜悪な光景は消え失せる。

 神々しさでも邪悪さでもなく、記憶越しだと言うのに強烈な存在感を叩き付けてくるそれは、魔女が愛した神の姿。

 永遠の刹那と謳われた、偉大なる神。今もなおこの地に生きる人々を愛し、守り続けている全能の神の姿を垣間見た。

 

 

(お母さんが言っていた。赤い瞳の、意地っ張りで心配性な……けど、凄く優しい神様)

 

 

 覇道神という存在を知る。

 その大いなる愛を、断片に過ぎずとも感じ取る。

 

 そしてその命が、今にも途絶えようとしている事を理解した。

 

 

(あの言葉は、そういう事だったんだ……)

 

 

 世界が終わる。他ならぬ愛した子らによって滅ぼされる。

 その結末に抱いた想いを、彼の愛を理解出来ぬ者らに抱いた想いを、大天魔が怒り狂う理由をそこに感じ取る。

 

 

(だけど……、もう大丈夫ですって言う為には、何をすれば良いの?)

 

 

 分からない。分からない。分からない。

 そんな真実を知って、しかし何が出来ると言うのか。

 

 永遠に続くと無意識に信じ込んでいた現在が崩壊しようという現状に驚愕する。どうしようもない現実に戦慄する。

 大天魔達の望みの切実さを理解して、同時にそれが為った後に訪れるであろう悍ましさに恐怖する。

 

 そうして茫然としたまま答えを出せずに、高町なのはは更に奥へと落ちて行く。

 

 

 

 辿り着いた其処は黒縄地獄の深淵。彼女の願いの根源だ。

 

 地に落ちた星が天を見上げる。

 地星となった女が、その煌めく星々を羨ましいと見上げている。

 

 

――怖かった! 置いて行かれるのが!

 

 

 そんな魔女の心の叫びに、同じ事を思っていた高町なのはは、心の底から同意した。

 置いて行かれるのは怖い。その輝く星々は何処までも遠くに行ってしまって、一人残されるのは寂しいのだ。

 

 何時かそうなる事を思うと、どうしようもなく恐怖が湧いて来る。

 

 

――嫌だった! 抜かされるのが!

 

 

 ああ、嫌だ。そんなのは望んでいない。

 遥か後方に居た筈の者らがあの星々に追い付く。そんな姿を見せられる度に、自身の足の遅さを自覚する。

 

 

――私! 歩くの遅いから!

 

 

 そう。歩くのが遅いのだ。

 その事を自覚すると、どうして自分はああなれないのだろうと、そんな鬱屈を抱えてしまう。

 

 どうして彼らだけがそうなのだと嫉妬して、そんな自分を嫌悪する。

 

 

(……同じだった)

 

 

 高町なのはは、魔女の願いの始まりが、何処までも自分と似通っていた事を自覚する。

 

 

(私とアンナちゃんは同じだったんだ)

 

 

 ずっと周囲を妬んでいた。どうして自分はと僻んでいた。

 神様に摩訶不思議な力を恵んで貰って、そんな自分は強くて凄いと思い上がった。

 そして本当の輝きと言う物を見せられて、自分が地星に過ぎぬのだと理解させられた。

 

 何処までも二人は似通っている。その願いは限りなく同一に近い。

 故にこそ、魔女はなのはに目を掛けていたのであろう。嘗ての自分を重ねて、故に戯れで近付いた筈が、本当に大切な物に変わってしまう程に感情移入をしてしまったのだ。

 

 けれど唯一つだけ、なのはとアンナには、決定的な違いがあった。

 

 

――だから! 足を止めてやろうと思ったのよ! 文句ある!!

 

(……違う)

 

 

 それは僅かな、けれど確かな違い。

 他者の足を引くと言う在り方を、不屈の少女は選べない。

 

 

(それは違うよ。アンナちゃん)

 

 

 心の底からの叫びに反発する。それは違うだろうと口を開く。

 彼女を襲った理不尽を受け入れられず、終わりつつある世界に何の答えも返せず、けれどその願いだけは、間違っていると断言出来る。

 

 そこだけは、己の望みと違っていると言えたから、そう。文句があるのだ。

 

 足を止めてやろうと言う思いは理解出来る。嫉妬や羨望から、そう思う事は自分にだってある。

 引き摺り下ろしてでも、傍に居て欲しいと言う思いは同意できる。そうして大切な人が傍に居れば、安らぎを覚える事は確かに出来る。

 

 けれど、それでも、自分が望むのは底辺で共にある事ではない。

 

 

(……伝えよう。この想いを)

 

 

 文句があるのだ。その願いには。

 間違っていると思うのだ。その願いは。

 

 私達が焦がれたのは、あの輝きだ。天上にあって輝くからこそ、その煌めきは尊いと思ったのだ。それを引き摺り下ろしては、意味がないだろう。

 

 傍に居たい。そうなりたい。

 確かに想うのはその願いで、だからこそ、その輝きを台無しにしてしまう行為は認められない。

 

 底辺に貶めてしまえば、あの輝きが失われてしまうから。

 私達の願いは、あの輝きと共にありたいという物で、その輝きを消したいと願っている訳ではないのだから。

 

 彼女の願いは間違っている。そう文句を口にしよう。

 その願いでは、あの焦がれる程に尊い輝きが消えてしまうではないか、そう伝えよう。

 

 

 

 思えばアンナとは、一度たりとも喧嘩をしたことはなかった。本音を言い合う事もなかった。

 何時も何時も守られていて、手を引いてもらっていて、対等であった事などない。

 

 だからこそ、今度は精一杯に喧嘩しよう。

 本音を告げて、大喧嘩して、それでも友だと語れる関係を目指そう。

 

 守られているだけじゃない。

 向き合って、対等の立場で争って、仲直りして絆は強くなる。

 

 そうなって初めて、彼女を親友と呼べるように成れると思うから。

 

 

 

 立ち上がる為の力は、既に己の中にある。

 リンカーコアが集める世界の魔力ではなく、己の魂から湧き上がる魔力を感じ取る。

 

 力を使う為の見本はここにある。

 魔女の膨大な記憶の中には、様々な知識が存在している。それを見本とすれば、どうすれば良いのか分かるから。

 

 さあ、ここから始めよう。

 与えられた偽りの翼ではなく、今度は自分の足で進み始めよう。

 

 

「全力! 全開!!」

 

 

 少女の身体から、桜色の輝きが溢れ出した。

 

 

 

 

 

3.

 影に覆われた星を見下ろしながら、天魔・奴奈比売は小さく息を吐いた。

 

 焦熱地獄に焼かれた世界。最早この地は人の住める場所ではない。

 影に飲まれた人間の総数は億に迫るが、それだけの人を維持するだけの恵みが、この星には残っていなかった。

 

 海は干上がり。田畑は焼け落ち。油田は尽きた。

 あらゆる資源が底を尽き、最早原型を留めているのはこの海鳴の一部のみ。

 それだけの資源で、残された僅かな物だけで、残された人々を生かす事など出来はしない。

 

 二次災害が必ず起こる。僅か残された物を奪い合うだろう。その光景が、容易に想像出来る。

 災厄が起きた世界で、そんな醜い争いが起きれば、嘗ての景色はその残り香すら残さず消えてしまうから。

 

 

「私の影に飲まれて、止まってしまえ」

 

 

 飲み干した人々を片手間に治療しながら、奴奈比売はそう決める。

 世界が終わるその瞬間まで、己がこの世界を停止させていようと決断する。

 

 十年に満たぬ年月ではあるが、その程度には、この世界に対して愛着が生まれている。

 年の離れた友達と出会えたこの世界を、優しき時間を残しておきたいと思えたから、愛する男を真似して、停止させてしまおう。これ以上壊れてしまう前に。

 

 

 

 視線をビルの屋上へと移す。其処には、残されていた三人の子供達の姿があった。

 

 高町なのはの敗北に驚愕した表情を晒しているユーノ・スクライア。

 彼に癒され、漸く意識を取り戻し掛けているアリサとすずか。

 

 奴奈比売の神相が動く。その巨体が津波を発生させる。

 もうこれ以上苦しませぬように、眠っている間に終わらせようと、影の津波は高層ビルごと子供達を飲み干そうとする。

 

 

 

 そんな影を、桜色の極光が吹き飛ばした。

 

 

「なっ!?」

 

 

 驚愕に目を見開く。信じられぬと絶句する。

 太極によって生じた影を消し飛ばしながら、現れたのは力を剥奪された筈の少女であった。

 

 何故、何故、と動揺する奴奈比売の前で、膨大な魔力を放出して宙に跳び上がった少女は赤い宝石をその手にする。

 

 

「レイジングハート!」

 

〈Stand by ready, Set Up〉

 

 

 白き衣がその身を彩る。バリアジャケットが展開される。

 魔法の知識はなのはの中には残っていない。なのはは知らない。その使い方を思い出せない。

 

 ならば何も出来ないか、否。覚えていないなら、新しく生み出していけば良いのだ。

 今度はあの神様から奪うのではなく、自分の内より生じた力のみで構成できる自分なりの魔法を。

 

 レイジングハートは覚えている。共に歩いたその道を、機械の杖は忘れていない。

 だから、この相棒と一緒に考えれば、新しい魔法だって作っていけると確信している。

 

 飛翔魔法を作り上げて浮かび上がる少女の身から溢れ出す力。膨大な魔力ではあっても、黒縄地獄を吹き飛ばすだけの力はない。

 けれどなのはは、瞬間的に太極に迫る程の質と量を持った魔力を生み出すと言う形で、それを可能としていた。

 

 それ程の魔力。生み出しているのは彼女の歪みではない。最早、彼女に歪みはない。奴奈比売の力は残滓すらも残っていない。

 

 あるのは唯、彼女の魂より溢れ出す力。

 

 

 

 嘗ての世界。黄昏の女神が触れた者全てを斬首したように。黄金の獣が目覚めて直ぐに人の枠を逸脱したように。

 今ある世界。氷村遊と言う男が、魂を蒐集した結果、己が想像する吸血鬼としての力を得たように。

 

 強き魂は力を持つ。その輝きは力を生み出す。

 神の加護から解脱して、己の力で異能を生み出す。自分の魂にて、不撓不屈という歪みの力を再現する。

 与えられた歪みではなく、自分の中から同じ物を作り出す。

 

 それこそが、溢れ出す無尽蔵の力の正体だ。

 

 

「知らない。知らない、知らない。何よ、それ!?」

 

 

 そんなのは想像すらしていなかった。

 そんな事出来る筈がないと思っていた。

 

 今の世の人々は、極端に魂が劣っている。

 その内で一際目を惹く程の力を残している少女であっても、生まれついての神格には遥かに劣っている。

 

 だから、そんな彼女が己の加護もなく前に進めるなんて、思ってもいなかったのだ。

 

 

「アンナちゃん!」

 

 

 そんな風に動揺する魔女に、なのはは言葉を告げる。

 それは彼女の想い。彼女の願い。彼女の決意。決定的な言葉である。

 

 

「私も、怖かった! 置いて行かれるのが!」

 

 

 その心中を吐露する。

 彼女と同じ想いを抱いていた事を。発端は同じなのだと伝える。

 

 

「嫌だった! 抜かされるのが!」

 

 

 今でも嫌だ。置いて行かれるのも、抜かされるのも、受け入れられない。許容できない。

 

 

「だけど、羨むだけで終わりたくない! だから!!」

 

 

 足を引くのは違う。他者を貶めるのは違う。己の望みは、それではないのだと断言できる。

 

 そう。己の望みは、唯一つ。

 

 

「私は、全力全開で空を飛ぶ!!」

 

 

 歩くのが遅いなら、走れば良い。

 走っても届かないなら、走り続ければ良い。それでも無理なら空を飛ぶ。

 

 片時も休まずに全力で先を目指し続ければ、何時かきっと、あの星にだって届くと思うから。

 

 

「私は、あの星になりたいんだ!!」

 

 

 生まれながらに輝く星々に、地星は追い付けないのかも知れない。

 偽りの翼で飛ぼうとすれば、イカロスの神話の如く、大地へと落とされる結末が待っているのかも知れない。

 けれど。あの焦がれた星のように。その傍らで輝く事を諦めない。諦めたくないのだ。

 

 それがきっと、二人の地星を分ける、唯一つの違い。それこそが、高町なのはの決意である。

 

 

「……何よ。それ」

 

 

 動揺の中、告げられた言葉に愕然とする。

 その言葉を口にするなのはの姿は、魔女の目を持ってしても地星と断ずる事は出来ぬ程に、煌びやかに輝いていて。

 

 

「……同じだったじゃない」

 

 

 同じだった。同じように生きて、同じように思って、ああ、なのに何故、そんな結論を抱けるのだ。

 

 無理だと諦めてしまえば良い。

 私は諦めたから、せめて傍に居て欲しいと足を引くことにしたのに。

 

 同じと思っていた相手にそんな言葉を返されては、自分の願いが惨めに過ぎる。

 己には足を引く事しか出来ぬのに、その願いを全否定されたと思ったから。

 

 

「……許さない」

 

 

 お前まで置いて行く。私一人を残して先に行く。

 あの天に輝く星々の様に、同じ筈だった少女にまで抜かされる。

 

 

「許さない。許さない。許さない。許さない。許さない!」

 

 

 そんな事は許せないし認められない。

 そうとも、高町なのはは地星のままで良い。己と同じで居れば良いのだ。

 

 

「貴女も、底辺(ここ)に居てよ! なのはぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 黒縄地獄が荒れ狂う。

 天魔・奴奈比売は、初めて敵意を持って少女の名を叫んだ。

 

 

「……行くよ、アンナちゃん! これが、最初で最後の大喧嘩!!」

 

 

 桜色の少女は杖を構える。

 対等になる事を望んで、真正面から受けて立つ。

 

 自信を持って友達と呼べるように。ここに全てをぶつけ合う。

 

 

 

 こうして、闇の書を廻る物語は、最後の戦いの幕を開いた。

 

 

 

 

 




なのはの能力は歪み状態と全く変化していません。
単純な実力なら、クロスケやザッフィーに勝てないレベル。

けれど、奪い取るのではなく、自分の足で歩き始めた。そこには確かな価値があるでしょう。


本来、彼女の歪みは最初から太極クラスの魔力生成も出来たけど、それやると流石に返しの風がヤバいから奴奈比売が出来ないようにリミッター掛けてた形です。

既に奴奈比売の支配から抜け出した今、生み出した魔力量に耐えられるならば、大量の魔力を生成出来るようになりました。

それでも世界を支える程の量は生み出せず、中堅どころの太極に抗うだけの魔力量を作るだけで物凄い消耗する状態。

けれど、漸く大天魔と魔法戦闘が出来るようになりました。


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