リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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A's編もいよいよ最終局面。
長く続いた今章も、終曲の刻へと差し掛かっています。

副題 青き獣の咆哮。
   少女の想い。少女の意地。
   ダイナミック消火活動。


※2017/01/06 改訂完了。(正直A’s編ラスト辺りは弄る所があんまりない)



第三十三話 終曲の刻

1.

 激しい音を立てて、拳と剣がぶつかり合う。

 片や武器、片や素手という対峙。常識で考えるならば、どちらが優位かは一目瞭然と言えるであろう。

 だが獣の拳は唯の拳に非ず。時を停滞させる加護に守られたその拳は、聖遺物である双剣と比べても何ら劣る物ではない。

 

 拳はその手数で、剣はその間合いで、敵手の獲物を上回る。

 ならばその差を分けるのは、仕手の技量か、精神の有り様か、或いは天運か。

 

 単純な技量と言う点において、獣は天魔に遠く及ばない。

 重ねた年月が違っている。練磨された期間が異なっている。百年を超える戦闘経験も、億年を超えるそれには届かない。

 だがそれでも戦いは形となっている。争いは一進一退の様相を見せていた。

 

 何故か、答えは決まっている。技量差を補って余りある物。それは精神の有り様だ。

 

 家族同然の少女を我が手で焼き、その存在を揺らがせる程に追い詰められている大天魔。

 そんな彼女が相対するのは、彼の面影を残す守護の獣だ。その存在から怒りと憎悪を向けられる度、彼に否定されているような気がして、女は冷静ではいられない。動揺を押し殺す事が出来ていない。

 

 対する獣は既に死兵と化している。その身に纏った頑健な鎧に物を言わせ、致命的な一撃以外は躱そうともしない。

 一刀をその身に受け己が血肉を失おうとも、その代価に血肉は愚か骨の随まで持っていくと猛っている。

 

 話しにならない。比較になる筈がない。

 如何に技量が卓越しようと、心技体にズレが生じていればその技巧は一つ二つ程度では収まらぬ程に劣化する。その本領の一割すらも発揮できまい。

 その身に受ける被害を恐れず、唯攻撃のみに専心する死兵を前に、その動揺が与える影響は酷く大きい。

 故にこそ、こうして戦闘は形となっている。頭一つは実力が劣るザフィーラは、辛うじての勝機を掴んでいるのだ。

 

 武器の差。技量の差。心身の違いの差。それらを総じて判断すれば、彼我の力は拮抗している。

 一秒おきに天秤は揺れる。一瞬先には状況が変わっている。攻守は目まぐるしく変化して、正しく死闘を演じている。

 

 故に戦いは拮抗していると言えるだろうか? 攻守が目まぐるしく変化する激闘は、両者共に傷付く程に先の読めない物であるか? それは否。

 

 獣の拳は時間停止の鎧を破れない。今の劣化した鎧すら砕けない。

 盾の守護獣が得たのは守勢の力。守りたい物を守るために、時よ止まって欲しいと祈った神の断片だ。

 背に負うギロチンこそ破壊の意志を宿してはいるが、拮抗した戦いの中で慣れぬ武器を当てる事の難しさを思えば、実質役に立たぬ武装と言えるだろう。

 

 だが拳だけでは超えられぬ。その鎧を打ち破れない。

 劣化した鎧はその硬度を乱高下させているが故に、その拳が影響を与える事も確かにあるが、それが致命傷へと届く事はない。

 仮に億を超える拳打を放とうとも、その拳で天魔・母禮を討ち果たす事は不可能だろう。

 

 ならば大天魔が圧倒的に優位かと言えば、それもまた否である。

 時間停滞の鎧は、あらゆる被害を遠ざける。本来の覇道ではなく、獣に合わせ求道へと変じたその鎧は、傷付けられるという結果に至るまでの過程を無限に引き延ばすのだ。

 

 大天魔の放つその猛威すらも遠ざける停滞の鎧。

 それを破るには純粋な力の総量が必要となる。停滞しきれぬ程の力で押し潰すのが正当だ。

 常の母禮ならばその格の差で無理矢理に突破する事も出来ただろうが、それも今は不可能となっている。

 

 心が揺れて火力が落ちている今、守勢に特化したこの騎士を討てない。ザフィーラの護りを突破する程の力が今の彼女にはないのである。

 故に出来るのは、その鎧を揺らがせる事のみ。決定打には程遠い傷を、その身に付けるのが精々なのだ。

 

 それでもなお、有利不利を語るのであれば、母禮がやや優位と言った所であろうか。

 

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 

 母禮の咆哮と共に神相が動く。その山をも越える巨体に、大きさから感じ取れる鈍重さは欠片もない。

 その四腕二刀の怪物は、ありとあらゆる動作が雷速なのだ。認識も対応も、条理にあっては間に合わない。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 ザフィーラは己が認識を加速させ、その圧倒的な初動に対抗する。己が肉体の周囲の時を停滞させ、雷光速度に追い縋る。

 周辺一体を時間停滞の影響下に置くことは出来ない。周囲が既に自らよりも高位の覇道に染められているから、ではない。単純に、獣の願いが覇道に至る事がない故に。

 

 

 

 求道。それは己を変える願いだ。自らの内側のみで完結する渇望。こうなれたら良いのにという願いこそを求道と呼ぶ。

 覇道。それは他を変える願いだ。他者の存在ありきで成り立つ渇望。こうであったら良いのにという願いこそを覇道と呼ぶ。

 

 彼の永遠の刹那は覇道神。その呼び名が示す通り、彼の願いは覇道に属す。

 美しい刹那よ、永遠であれ。輝かしい宝石達よ、どうか消えてくれるな、潰れてくれるな。それこそ彼の祈りである。

 停滞も停止も、その祈りより生まれた物。全てを凍らせる紅蓮地獄は、その実、凍らせる事で宝石を守りたいという守護の祈りに他ならぬのだ。

 

 対してザフィーラが願うは何か。問うまでもない。それは奪いし者への復讐である。

 最早彼に守りたい宝石は残っていない。この世に守るべき物などありはしない。故、神の願いに共感する事など出来よう筈がない。

 彼が共感したのは奪われし痛みだ。その怒りと憎悪に同調したが故に力を引き出せているが、その本質たる願いは同じではないのだ。

 

 歪みと同様。引き出した力は変質している。

 奴奈比売の太極。その祈りは足を引いて他を貶めるというもの。だがその祈りの声は、受け取り方次第で千差万別の結果を見せる。

 

 クロノ・ハラオウンはそれを、引き留める事で失わない為の祈りと捉えた。

 故に万象掌握。その力はあらゆる存在の位置に干渉し、己が手の届く場所まで引き寄せるという形に変化した。

 

 ティーダ・ランスターはそれを、何時か届かせる為の祈りと捉えた。

 故に黒石猟犬。時間も空間も飛び越えて、何処までも追い続け、決して逃さないという形に変化した。

 

 ゼストはそこに、貫き続ける想いを見出した。手を届かせる事を諦めたくはないという執念に同調した。

 クイントはそこに、無数の自分の内には至る者も居る筈だという想いを見出した。万に一つの可能性。手を増やせばそれも掴めるのではないかという淡い期待に同調した。

 メガーヌはそこに、周囲が変わればきっと手が届く筈だという想いを見出した。今ある現実を否定して、都合の良い環境を作れば或いはという逃避に同調した。

 

 同じ願いより派生しても、受け取り手の在り方次第でこれ程に変異する。故にザフィーラが引き出した力が変異するのも当然の結果と言えるのだ。

 

 彼が同調したのはその怒り。決して許さぬと言うその憎悪。消えてなるかという意志である。

 他に守る者が居ないから、世界の停滞は己の停滞という形に変化する。主を失い、書を失い、消えることを避けられない現状。ならばその消滅の訪れまでの時を無限に引き延ばせば良い。そういう形に変じている。

 

 故にそれは覇道ではなく求道。最早、涅槃寂静・終曲とは呼べない、異なる力と化しているのだ。

 

 

 

 劣化した母禮と変質したザフィーラ。両者は速度では拮抗している。速力はほぼ同等と捉えられるであろう。

 だが、攻撃性能が大きく劣っている。ザフィーラの拳は鎧を撃ち抜けず、その背の刃は振り回そうと当たらない。

 対する母禮もまた、停滞の鎧を抜けてはいないが、それでも神相と人の相が合わさった連携攻撃は苛烈である。

 

 その巨体から振るわれる一撃は、少しずつではあるが時の停滞を揺るがせてすらいる。

 永遠結晶から未だ無尽蔵の魔力を注がれているが故に、多少の手傷など無視してゴリ押しするザフィーラ。激しい動揺と著しい劣化故に決定打を持たない母禮。

 

 その死闘は、未だ決着を見せるには遠い。

 

 

 

 

 

2.

 そんな激戦の片隅。半ばまで融解しかけている高層ビルの屋上で、高町なのはは守るべき者らを己が障壁で守り通す。

 母禮に接近してしまった事で焦熱地獄の余波を受けた少年少女は、全身火傷を負って倒れていた。

 

 

「皆」

 

 

 彼らは直接焼かれた訳ではない。その身を消えない炎に焼かれた訳ではない。

 それでも彼らの傍らにその神相は現れた。防御魔法が融ける程の高熱を振り撒いていた神相が、直ぐ傍に出現したのだ。

 

 それが例え一瞬の事とは言え、その被害は大きい。

 防御魔法が解除されてしまえば死に至ると言う状況で、それを奪われたのだ。その被害が大きくならぬ筈がない。

 

 ドロリと溶け出したコンクリートの上、今にも倒壊しそうなビルの屋上に倒れる三人。

 彼らを焦熱地獄より護る為に防御魔法を展開した高町なのはだが、彼女に出来る事はそれだけだった。

 

 治療魔法を使用する事が出来ない彼女では、状態を診察する事も出来ない彼女では、未だ生死の境にある彼らに対して出来る事が他にない。

 

 

「うっ、うう……なのは?」

 

「ユーノくん!」

 

 

 そんな何も出来ずにいるなのはの目の前で、ユーノは何とか身を起こす。ボロボロで、何度も起き上がる事に失敗しながら、それでも上体を引き起こす。

 そんな彼に、なのはは手を貸さない。そうしようと思っても、彼の惨状を見た瞬間に、そんな思いは何処かへ行ってしまった。

 

 その顔が焼けている。その肌は焼け爛れている。そんな一目で分かる悲惨な有り様に、なのはは思わず息を飲んだ。

 

 

「大、丈夫。炎に直接、焼かれた訳じゃない。息は、止めていたから、ね。見た目程には、被害はないんだ」

 

 

 全身火傷を負いながら、何とか立ち上がって、そう語る少年の姿は痛々しい。

 消えない炎に焼かれていれば、魔法での治癒なんて出来なかった。だから不幸中の幸いだとユーノは語る。

 

 それでも、その身を襲う痛みは尋常ではない筈だ。

 痛みと重度の脱水症状によろけながらも、ユーノはしっかりと立ち上がる。

 

 そんな彼は自分の傷を治す訳ではなく、その手を二人の少女達へと向ける。温かな翠色の光が、彼と同じ火傷を負ったアリサとすずかの体を包み込んだ。

 

 

「……二人とも、内臓器には悪影響がなさそうだ。今の内に、治療をしておかないとね」

 

「……ユーノくん」

 

「ほら。治すのが遅れると傷が残るし。……女の子の顔に火傷痕は残せないでしょ?」

 

 

 痛みを堪えて、治療魔法を行使するユーノはそんな風に笑う。

 自身の治療よりも二人の治癒を優先して、なのはに心配をかけぬよう口を意識して滑らかに動かす。

 

 そんな少年の姿に、どうしようもなく罪悪感が湧いた。

 

 

「……私の、所為だ」

 

 

 戦いの中、彼らが襲撃される隙を作ってしまったのは自分だ。何度となく視線を向ければ誰だって、そこにある者に気付いてしまう。

 安易に相手の神経を逆撫でするような言葉を使えば、その矛先は別の場所に向かうことも有り得る。そんな事を考えずに居たから、こうして余計な被害を出してしまったのだ。

 

 もっと他にやり様があったのではないか、もっと上手く動けたのではないか。

 自分の失敗で傷付いた彼らを見ていると、そんな風に思えて来る。そんな後ろ向きな考えを捨て去る事は出来なかった。

 

 

「なのは」

 

 

 自責する少女に少年は言葉を掛ける。

 それは安易な慰めではなければ、彼女の自責を拭う言葉でもなかった。

 

 

「後悔するのは後でも出来る」

 

 

 ユーノ自身、彼女の所為で傷付いた等とは思っていない。君の所為なんかじゃないと否定したい。

 けれどそんな言葉を伝えた所で、少女の自責の念は拭えないであろう。なのははそんな慰めの言葉を受け入れない。その程度には、彼女の事を分かっている心算である。

 

 だから、ここでそんな言葉を伝える事に意味はない。意味がない事に時間を割くのは、この状況では建設的とは言い難い。故に彼は、大切な少女に対して、敢えて厳しい言葉を口にするのだ。

 

 

「今は、今だけしか出来ない事をするべきだよ」

 

 

 後悔するのは後で、今はするべき事をする。

 大天魔と言う災厄は未だ残っている。現状がどう動くのか、彼らには予想すら出来ない。ならば今は、出来る事をするしかない。

 

 なのはに伝える言葉。同時に自分にも言い聞かせるように、何度となく呟く。

 彼自身、出来る事が治療しかないという現状を歯痒く思っている。この地獄において、己が身すら守れない現状に、悔しさを抱かぬ筈はない。

 

 それでも、今はするべき事をするのだと割り切る。今はそうしなければ、いけないのだ。

 

 

「ユーノくん」

 

 

 その言葉に悩みながらも、なのははそうだねと頷いた。

 重症でありながらも出来る事をしようとする輝かしい姿に羨望を抱きながら、その悲惨な状態に悔恨を抱きながら、それでも思いを胸中に仕舞い込む。

 

 悩むのも後悔するのも詫びるのも、全ては後回し。今は唯、彼が言う通りに。この場で出来る事をこそ、考えるべきなのだ。

 

 

 

 なのはは己に残された手札を考える。出来る事を思考する。

 治療魔法は使えない。自ら友を、大切な人を癒す事が出来ない。自分の魔法適正は戦闘分野に特化しているから。

 

 だがそれでも、あの激闘には立ち入る事が出来ないであろう。

 

 前方で行われている激闘を見詰める。

 雷の速度で行動する天魔・母禮と、そんな彼女に付かず離れず、同等の速度で戦いを繰り広げている盾の守護獣。

 それ程の高速戦闘になのはでは付いて行くことすら出来ない。速度勝負に持ち込まれれば、何も出来ずに嬲られるだけだと分かってしまった。

 

 ならば援護か? これも無理だ。

 人間の認識など置き去りにした速度で激しくぶつかり合う彼らに、狙いを定める事などは出来ない。

 遠距離からの砲撃などまず当たらない。誘導弾の速度では追い付かない。広域を纏めて薙ぎ払うなど、善戦しているザフィーラの妨害にしかならないだろう。

 

 今出来る事は、ユーノ達をこうして防御障壁で守る事だけ。

 考えれば考える程、出て来る結論はそれだけで、それしか出来ない悔しさに手を握り締める。

 

 置いて行かれるのが嫌だ。何も出来ない事が悲しい。

 嘗ては自分より弱かったあの獣が、自分では届かない場所まで、あっさりと抜き去ってしまったのが嫌だった。

 

 眼前の超高速戦闘に参加する事は出来ない。その速さに追い縋る事は出来ない。自分は足が遅いから。

 

 そんな思いを内心に抱きながら、そんな弱音を飲み干し噛み殺す。

 

 今は出来ない。それを受け入れる。

 今出来ることは、皆を護る事だけ、それを受け入れる。それを為すのだと心に決める。

 

 高町なのはは前を見続ける。

 何れあるかも知れない状況の変化。その時、己に出来る事が増えたならば、それを決して見逃さないように。

 

 その戦闘から目を離さずに、彼女は唯、その先を見詰めていた。

 

 

 

 

 

3.

 炎が揺らめく。雷光が煌めく。人神一致したその四刀から振るわれるは、正しく絶殺の境地である。

 その怒涛の攻撃を前に、返されるのは同速の一撃だ。己の身を省みぬ獣の拳打は、その身に僅かな焼け跡を作りながらも、母禮の体に衝撃を走らせる。

 

 

「どうして」

 

 

 戸惑いはここに。大天魔である女は戦いの最中で、考えるべきではない事を思考してしまう。

 激戦の最中、その力を見る度に動揺は強くなる。その力が彼の加護と同質の物であると言う確信が、打ち合う度に強くなっていく。

 

 押し殺していた疑惑が溢れ出し、問うべきでない言葉を口にしてしまう。

 

 

「どうしてお前が、その力を!?」

 

 

 その力、見紛う筈がない。盾の守護獣が纏う加護を、母禮が分からぬ筈がない。

 何よりも取り戻したいと願っている存在。その断片に過ぎずとも、原型から逸脱して変化していても、それは確かに彼の力なのだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 変貌したザフィーラが、その問いに言葉を返す事はない。

 唯、眼前の怨敵を討たんとする獣に、それ以外を思考する余地などは残っていない。

 

 

「くっ」

 

 

 その赤く染まった姿。その総身より放つ力。そこに、どうしようもなく彼の影を感じ取ってしまう。

 その憎悪に満ちた瞳を直視していられない。その憤怒に満ちた咆哮が恐ろしく思えてしまう。

 

 その容姿は違えど、その力と感情は余りにも彼に似通って見えるから。

 そう。あり得ないとは分かっていても、それでも思ってしまうのだ。

 

 

(……貴方はもう、私達を見限ってしまったの?)

 

 

 あの心優しき少女を殺した事を咎められている気がする。

 彼が愛した故郷を模した世界を焼いてしまった事に、怒りを向けられている様な気がする。

 大切な宝石達を砕き続ける夜都賀波岐が失望されてしまったように感じて、だから眼前にある盾の守護獣に力を貸しているのだろうかとさえ思えてしまう。

 

 また一段。願いの純度が下がる。その動揺が、母禮の存在を揺るがせた。

 

 

「そこかぁぁぁぁぁっ!!」

 

「っ!? 速い!?」

 

 

 ザフィーラの攻撃が母禮の対応速度を上回る。

 本来ならば、速度という一点においては彼をも上回る戦乙女の力が、この瞬間に限りは彼の断片にすら劣っていた。

 渇望の劣化によって速度が下がる。精神の揺らぎによって力が落ちる。故にザフィーラの速力は、母禮のそれを上回ったのだ。

 

 

「おぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 僅か上回った速力差を頼りに、激しい猛攻を仕掛けるザフィーラ。

 降り注ぐは拳打の雨霰。その手数の総数は、最早数える事すら出来ないであろう。

 

 時の鎧は未だ超えられない。それでも、更にその存在が揺れた今、その鎧は罅割れ始めている。

 

 

「っ!?」

 

 

 数百と打ち込まれた拳の最後の一つが、その鎧の向こうへと確かにその威を届かせる。天魔・母禮のその身に、確かに痛痒を刻み込んでいた。

 

 殴り飛ばされる痛みに、手にしていた永遠結晶を取り零す。

 取り零した結晶を慌てて拾い上げた母禮は、そこで漸く気が付いた。

 

 

「……この繋がりか!?」

 

 

 永遠結晶を通じて流れる魔力。そこにある繋がりこそが、盾の守護獣の力の源であると。

 

 盾の守護獣のその異常な力。それは彼の身の丈を遥かに超えている。その身に宿した魔力だけで支えきれる物ではない。

 何より彼は主を失くしている。その根本である闇の書も失われている。そんな歪な状態では戦闘所か存在し続ける事も難しいだろうに、それでもこうして大天魔と渡り合う程の力を示したのだ。それは明らかに異常であろう。

 

 それを可能としているのが、永遠結晶を介して行われている魔力供給だ。無限に注がれ続ける魔力が、彼に力を与えている。

 求道に変じた停滞の鎧の稼働時間を引き延ばし、その消滅の瞬間を遠ざけていたのだ。

 

 少し考えれば分かる事。魔力の流れを辿れば、その瞬間に気付いていた筈の事。

 それに思考が及ばぬ程、自身は動揺しているのかと自嘲して――それでも、気付いてしまえば対処は容易い。

 

 

「はぁっ!」

 

 

 足を止めて炎を放つ。望んだ物のみ焼き尽くす炎は、永遠結晶を傷付けず、目には見えない魔力供給のラインだけを断ち切った。

 これで盾の守護獣は最早その力を十全には使えない。消滅するまでの時を引き延ばす為に、魔力を常時消費し続けなくてはならない。

 

 故にこの獣には、時間制限が生じている。

 これまでは永遠結晶より供給される無尽蔵の魔力が、これだけの無茶を許容していたのだ。無制限の魔力があったからこそ、彼は大天魔と伍することが出来たのだ。

 

 だが、それもここまで。魔法生物であるが故に魔力を生み出せず、主が居ないが故に補給されることもない。

 魔力を外部から取り込もうにも停滞の鎧がその変化を阻害する。良くも悪くも影響を停滞させるその力は、治療や補給すらも妨げる。

 

 だが、それを解除すればその瞬間に死亡してしまうのだ。故にその選択は選べない。

 

 最早、彼に残されたのは、変異した瞬間に奪い取った魔力のみ。そこに残った力の全てを使い切れば、死に至る事は避けられない。

 消費を抑える事で小刻みに使って行けば、数年以上は持たせられるであろう大量の魔力。人の一生では使い切れぬであろう強大な魔力。

 だがそれも、大天魔と五分に戦える今の姿を維持しようとすれば数刻で尽きるであろう。それ程に、その力は大量の魔力を消費していくから。

 

 後どれ程持つか。時間切れはどれ程先か。最早、長くは戦えぬし生きられぬ。それ程にザフィーラは追い詰められていた。

 

 

 

 しかし、それ程に追い詰められてなお、盾の守護獣は動じない。その一瞬の隙を、彼が見逃す筈もない。

 

 

「その隙は、逃さん!!」

 

 

 永遠結晶との供給ラインを絶つ為に足を止めた母禮。

 焼き払う対象を定め、その力を行使した彼女は、その分だけザフィーラに後れを取った。

 

 一秒にも満たぬ僅かな時。

 その一瞬は、超高速で戦い続ける両者の中では確かな隙となる。

 

 だが――

 

 

「……獣風情が! そんな見え透いた手にっ!!」

 

 

 隙が生まれると気付いていたのは彼女も同じく。

 分かっていて足を止めたのだ。確かな隙を残すとは言え、それでも無尽蔵の魔力供給を絶つことを優先したのだ。

 

 それを選択した理由はその魔力供給がある限り、盾の守護獣が不死身に近い存在になるが故。そしてもう一つ。

 僅かにザフィーラが上回ったとは言え、未だ両者の速力は際どい天秤の上にある。一秒の隙が出来たから迎撃が出来ないという程には、まだ離れていないのだ。

 

 対処は可能だ。来ると分かっていれば、一秒以下の隙など大勢を決する程の隙には成り得ない。そう断じたからこそ、敢えて隙を晒す事を許容した。

 

 決死を抱いて襲い来る獣に、母禮は炎の剣を構え迎え撃つ。

 

 初動の差は確かに大きい。一撃は先に己が受けるであろう。それでも、それ以上はやらせない。この隙は決定的な物には成り得ない。

 母禮がザフィーラの迎撃に専心する限り、その隙は致命的な物には成り得ない。その一撃は、時間停止の鎧を破るには届かない。

 

 そう。母禮は専心してしまった。

 そこに第三者の介入がある可能性などは一切考慮せずに――

 

 

「レストリクトロック」

 

 

 絶えずその動きを見詰めていた少女が居た。

 自分に出来る事を、その瞬間が訪れる事を、一人待ち続けていた少女が居たのだ。

 

 

「っ!? 高町、なのは!!」

 

 

 高町なのはが、追い付けぬ敵手が立ち止まった瞬間を見逃す筈がない。迎撃に動く為に隙が生まれる瞬間を見逃す事はない。

 ならば、その一瞬の隙に、介入が起こらぬ道理はない。これは大天魔と盾の守護獣の一騎打ちではなく、焦熱地獄の権化と地獄に抗う者達全てとの戦いなのだから。

 

 

「くっ! 邪魔だっ!!」

 

 

 桜色の拘束魔法がその身を縛る。その魔法が保たれるのは一瞬。一秒にも満たぬ僅かな時。

 大量の魔力によって構成されながらも、母禮の動きを僅かに鈍らせることしか出来ず、炎に包まれ溶けていく。

 

 だが、それでも、そんな僅かな差が、確かな隙を致命的な隙へと引き上げる。コンマ数秒以下の差が、その迎撃を失敗させた。

 

 

「獣風情か……。そうとも、貴様は、その獣風情に敗れるのだ!」

 

「がっ!?」

 

 

 ザフィーラが母禮の頭部を左手で掴む。

 迎撃が追い付く前に、剣の間合いの内側。零距離にまで接近する。

 

 背に負う断頭台の刃を駆動させる。扱い慣れぬ武器であろうと、これだけ近付けば外さない。

 その刃は、その不死者殺しは、例え大天魔であろうと抗えない程の力を秘めているが故に――これ程動揺し弱体化した大天魔が相手ならば、その首に当たれば切り落とせる。

 

 

「終わりだ! 天魔・母禮!!」

 

 

 その首を切り落とす。斬首の刃は振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 だが、その斬首の刃は届かない。

 振り下ろされた刃は、狙った敵を切り捨てる前に、黒い影に纏わり付かれてその動きを止められていた。

 

 影は獣の四肢を拘束し、その自由を奪い去る。

 逃がさぬとばかりに伸ばされた左手は、しかし掴み続ける事が叶わなかった。

 

 

「……全く、動揺し過ぎよ。レオン」

 

「マレ、ウス」

 

 

 母禮の背に現れた少女。天魔・奴奈比売は呆れた声でそう語りながら、黒き影に囚われた獣を遠くへと引き摺って行く。

 例え停滞の鎧であれ、求道として変じている今、鎧ごと捕えるその影から逃れる事は出来ない。

 

 

「アレがどれだけ出来の悪い模造品なのか、一目見れば分かるでしょうに。随分とまあ、酷い有り様晒しちゃって。……ちょっと頭冷やしてきなさい」

 

「私は……いや、済まない」

 

 

 彼が私達を捨てる訳がない。もしそうならば、既にこの身の加護は失われている筈だ。

 奴奈比売はそう語り、母禮の抱いているであろう不安を一笑する。そんな彼女に対して何かを口にし掛けた母禮は、然しそれをいう事はなく、戦場へと背を向けた。

 

 

「……悪いが、先に戻る」

 

「はいはい。そうしなさいな。……取り敢えず、穢土に戻って自分を作り直しなさい。アンタに今消えられたら困るんだからね」

 

 

 奴奈比売の軽口に、分かっているさと母禮は返す。

 戦場に背を向けた彼女から、ここにあるという意志が消え去り、その身は魔力へと変じていく。

 

 消え去る間際。一瞬だけ、少女の家があった場所を見て。

 

 

「ぐ、おおおおおおっ!」

 

 

 怨敵が去って行く。後一歩まで追い詰めたその敵が、手の届かぬ場所へと消えてしまう。

 

 そうはさせぬ。それだけは許すか、と獣は抗う。

 天魔・母禮が魔力となって消えていく姿に、その光景を前に獣は咆哮した。

 

 その身を引き千切りながら、僅かに拘束を緩ませる。その背に負った刃が動かせるようになると、その力で黒き影を絶ち切った。

 

 元より影は捕える為の物。足を引く為の枷。停滞の鎧を封じる影であろうと、その強度は刹那の怒りに比べれば程遠い。

 故に神の怒りを形にした刃ならば、その影を切り裂く事が出来るのだ。

 

 ザフィーラは己が身を鎧ごと停止させていた影を打ち破ると、奴奈比売を無視したまま母禮を仕留めんと跳躍した。

 

 

「……ああ、何て醜い」

 

 

 そんな獣の姿に、変じてしまった断頭台の力に、奴奈比売は吐き捨てるように口にする。

 

 その刃に、あの刹那がどれ程の想いを抱いていたのか、獣が知る由はないという事は分かっている。

 それでも、その刃を破壊の意志と捉え、攻勢の為だけの武器として扱う獣に、知らぬとは言え苛立ちを抱く。

 

 あの愛の深さを知らずに、我が物顔でその力を行使する。

 彼の女神に対する愛を知らず、彼の護りたいと願った祈りの尊さを知らず、その力だけを盗用する。

 

 そんな獣の姿に、既に奴奈比売は激しているのだ。怒り狂っている。

 その無様は許せない。それは彼の想いに対する侮辱であると。

 

 

「邪魔だ! 退けぇぇぇぇっ!!」

 

 

 少女の姿をした大天魔に対し、そこを退けと咆哮しながら、ザフィーラは突き進む。己など眼中にないという目が、その行動が、奴奈比売の怒りを膨れ上がらせる。

 

 

「……こんな物で?」

 

 

 傍らを過ぎ去っていく盾の守護獣。

 その背を追い掛ける黒き影は、その速度に追い付く事は無い。時を停滞させ加速する獣は、足の遅い魔女では追い付けない。

 

 ああ、けれどこんな物、所詮は紛い物だ。質の悪い模造品に過ぎぬのだ。

 

 

「……この程度で?」

 

 

 今にも去って行く母禮を捉えんと、その刃を振るうザフィーラ。

 その速さは奴奈比売の比ではない。その刃は確かに天魔を滅しうる。

 

 だが、矛を持っただけ。この程度の力を得ただけ。それで揺るぐ程、彼女も彼女が愛する刹那も甘くはない。

 

 それを今教えてやる。

 

 

「この私を! 彼の永遠(アイ)を! 甘く見てるんじゃないのよぉぉぉぉっ!!」

 

 

 無間黒縄地獄。

 膨れ上がった黒き影が起こすは、壁が迫るが如き大海嘯。

 誰も何処にも行かせない。皆等しく無価値と成れ。そんな魔女の願いが星を飲み干す。

 

 それは最早、沼と言う言葉では語れない。その影の総量は、そんな言葉ではまるで不足している。

 

 そこに生まれるのは影の海だ。惑星全土を覆い尽くす、黒き影こそ彼女の太極。

 

 

「っぅぅぅ! おのれぇぇぇぇっ!!」

 

 

 どれ程早く動こうとも、星を飲み干す影から逃れる場所はない。

 世界全土を包み込む影の海を前に、ザフィーラに出来る事など一つもない。

 

 抗う事すら敵わない。何も出来ずに海の底へと沈んでいく。

 どれ程周囲を停滞させようとも、その停滞させた空間ごと飲み干される。

 

 天魔・奴奈比売こそが盾の守護獣にとっての天敵。何を為そうと打ち破れぬ脅威であったのだ。

 

 

 

 既に消え去った母禮の姿に、ザフィーラは届かぬ手を握り締め、憎悪を叫ぶ。

 影の海に溺れながら、その憎悪だけを口にし続ける。盾の守護獣は天魔・奴奈比売を前に、何も出来ずに敗れ去った。

 

 

 

 

 

4.

――ものみな眠る小夜中に 水底を離るることぞ嬉しけれ

 

 

 黒き海の底に囚われた守護獣は、最早何も為す事は出来ない。

 その停滞の鎧が影より放たれる呪詛からその身を守ってはいるが、供給なき今、時間切れはそう遠くない。

 

 ただ無意味に、ただ無価値に、獣は消滅するまで海の底に囚われる。その末路に、奴奈比売は一先ず怒りの溜飲を下げた。

 

 

――水のおもてを頭もて 波立て遊ぶぞ楽しけれ

 

 

 海に現れしは大海魔。

 蛸や烏賊を思わせる軟体動物の体に、女の顔が張り付いたその異形。

 巫女装束では隠し切れぬ程に醜悪さを見せる。その化外こそ奴奈比売の神相。

 

 その影より零れる祈りの言葉と同じく、波立て遊ぶ化外の姿。

 それがゆるりと動く度、街を飲み干す程の津波が起きては、周囲全てを押し流す。

 

 

――澄める大気をふるわせて 互いに高く呼びかわし

 

 

 神相の傍らに立つ少女は、この世界を監視していた視線が消えた事を認識する。

 

 全く過保護が過ぎるのだ。あのまま自分が出なければ、彼はこの地に更なる災厄を齎していたであろう。

 そんな悪路王の気配が去ったことに、奴奈比売は安堵の溜息を漏らした。

 

 

――緑なす濡れ髪うちふるい 乾かし遊ぶぞ楽しけれ

 

 

 天魔・奴奈比売はそうして、視線を一つの場所へと移す。そこは少年少女らが居た高層ビルの屋上。

 惑星全土が影の海に飲まれた今、まるで小島のように頼りなく存在している数少ない足場の一つ。

 

 敢えて飲み干さぬように残したその場所。

 倒れ込んでいる二人の友と、こちらを見詰める一人の友の姿を認識して、奴奈比売は微かな笑みを浮かべる。

 

 

「……次に会う時までに、決めておきなさいと言ったわね」

 

 

 彼らを危険視してこそいない魔女だが、それでもこうまで抗われてしまえば、何もせずには立ち去れないであろう。

 惨殺する意志こそないが、それでもここで行動を見せねば多少は面倒な事になりそうでもある。

 

 だから、これを機会に確認しよう。

 そして心折れていないならば、まだ抗うと言うならば、その時は……。

 

 

「答えは決めたかしら? なのは」

 

「……アンナちゃん」

 

 

 優しい声音と共に問われたなのはは、その双眸で友を見詰める。

 影に飲まれ、ここに残った子供達以外の誰もが消え去ってしまった世界で見つめ合う。

 

 

 

 もう目は逸らさない。前に進むと決めたのだから。

 

 

 

 

 




アンナちゃん「白犬には勝てなかったけど、青犬には勝った!」(ドヤァ)


終曲ザッフィーの天敵は、宿儺と奴奈比売。
マッキー相手だと、太極効果を停滞で若干引き延ばせるので、実は奴奈比売の方が苦手なザッフィー。なので真面に抵抗すらできず、瞬殺されるという結果になりました。



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