リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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いよいよA's編も中盤の山場を超えます。VS奴奈比売。
彼女にとって一番どうでも良い存在であるクロノくんは泣いて良い。


副題 クロノくんタイム・エクストリーム。
   置いて行かれたくなくて、けど何も出来なくて。


推奨BGM Letzte Bataillon(Dies irae)



第二十七話 歪みの主

1.

 影を抜けた先、人の子一人いない無人世界にて三人は大天魔と相対す。

 

 

「……アンナちゃん」

 

 

 桜色の少女は目の前の光景が信じられぬと声を震わせ、その姿に地星の魔女は僅か表情を陰らせる。

 友の変わり果てた姿に震えるなのはも、彼女を案じるユーノも、そしてどこか寂しげな笑みを浮かべて少女を見詰める大天魔も、誰もが僅か動きを止めた。

 

 故に、この場で最も早く行動に移ったのはこの少年。

 

 

「ユーノ! お前はそいつを守ってろ!!」

 

 

 吐き捨てるように口にすると、クロノ・ハラオウンは動き出す。

 

 万象掌握による撤退は行えない。

 それが何故なのかは分からないが、彼の歪みは今現在も封じられている。

 

 撤退は出来ないのだ。敵は新たな大天魔。謎の力で歪みすら封じる怪物だ。

 歪みが使えぬ以上は転移魔法や高速飛行魔法で逃げるしかないのだが、それでこの恐るべき怪物から逃れられる道理はないだろう。

 

 ならば選ぶは唯一つ。退けないならば倒すしか道はない。

 

 

「悠久なる凍土。凍てつく棺のうちにて、永遠の眠りを与えよ」

 

 

 だが如何に大天魔を打倒する?

 敵は万夫不当。一騎当千。そんなエースストライカーすら霞む怪物だ。

 一手でも行動を許せば壊滅は必死。戯れ半分の攻撃ですら人の耐えられる物ではない。

 

 故に初撃必殺。一切の抵抗も許さず、反抗の余地を与えず、一気呵成に最大火力をぶつけて撃破することこそが最適解だ。

 

 その手にした氷結の杖は既に起動している。

 必ず大天魔は来ると予測していたのだ。ならばそれに対する準備がないはずがない。

 

 守護騎士達を打ち破る際に、直接攻撃をユーノとなのはに任せたのは全てこの為。

 クロノは歪みを使用しながらも、デュランダルというデバイスに魔法の構築をさせていた。

 

 どうしても発動に時間が掛かってしまうこの切り札を、奴らの出現と同時にぶつけて撤退の隙を生み出す為に。

 

 此処に一瞬の隙を突いて、クロノ・ハラオウンの切り札は発現する。

 

 

「凍てつけ! エターナルコフィン!!」

 

〈Eternal coffin〉

 

 

 瞬間。大寒波が周囲を包み。空を大地を海を、全てを凍らせた。

 

 

 

 エターナルコフィン。それはSランクオーバーとされる規格外の氷結魔法。

 攻撃目標となる対象を停止、凍結させることを目的とした、温度変化を引き起こす魔法。

 温度変化である故に通常の防御魔法では防げず、一度発動すれば外的要因がない限り対象を封じ続けるであろう魔法。

 詠唱に時間が掛かる。消耗が大きいと言う欠点こそあるが、大海原すら凍らせる強力な広域殲滅魔法だ。

 

 クロノがデュランダルを用いて発現させたのは、そのエターナルコフィン、ではない。

 

 

「……凄い」

 

 

 寒さか恐怖か、震える少女を抱き留めたままユーノは感嘆の声を漏らした。

 

 彼の眼前にあるは、白き山。巨大な氷の山脈だ。

 視界に映る範囲。地平線の果てまでも凍っている。大地に空に海に氷の華が咲き、無人世界を美しく飾っていた。

 

 

 

 デュランダルという現代のロストロギア。

 それは唯、エターナルコフィンを発動する為だけのデバイスである。

 

 世界を構成する魔力素にすら介入し、その力を利用して対象を封じる事を目的としたデュランダルより放たれるエターナルコフィンは、最早元の魔法とはかけ離れた物と化している。

 

 その攻撃範囲は元の魔法の比ではない。

 その凍結能力は従来のエターナルコフィンとは比べ物にすらならない。

 氷結変換資質に特化した大魔道士ならば使用できるエターナルコフィンとは訳が違うのだ。

 このロストロギアより放たれるそれは、真実世界を滅ぼし得る、人の手には過ぎたる力。

 

 その効果範囲は、一千万キロ平方メートル。カナダやアメリカ、中国といった巨大な国家の国土全てを凍らせてなお足りない。

 発動時の対象指定は、凍らせない対象を選択する為に。そうでなくば、味方全てを巻き添えにしてしまいかねないのだ。

 

 その凍結は物質のみならず、魂すら封じる。

 例え発動直後に大天魔が魔力素へと戻り逃れようとしても、その魂を逃さず確実に捕えるのだ。

 

 それほどの力を持つ。デュランダルは恐るべき兵器である。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 大量の魔力を消費した疲労で、肩で息をするクロノ。

 この魔法を使用する為に、小型の魔力炉すら内臓しているデュランダルだが、それでもなお魔力は足りず、使用者に掛かる負担は大きい。

 

 持ってあと一発分。だが躱せないタイミングでの攻撃だった。そして敵はこちらがデュランダルを持つとは知らぬはず。

 ならば余力が尽きたとて何の問題はないと、クロノは安堵の息を漏らして――

 

 

「クロノ! 後ろだ!!」

 

「何っ!」

 

 

 ユーノの叫びと共に振り返った。

 氷山の中に敵はいない。デュランダルの力より逃れた敵手は、既に彼の背後に回っていた。

 

 

「ばぁっ!!」

 

「っ!?」

 

 

 鈴を転がすような声が響く。

 

 振り向いた先に居た無傷の大天魔の姿に、クロノは混乱しながらも慌てて距離を取る。

 そんな無様を晒す少年の姿を、魔女は愉快そうに嘲笑いながら何もせずに見逃した。

 

 己を演じる。嘗ての己に舞い戻る。

 必要なのは恐怖である。もう二度と関わろうと思えない惨劇を生み出すことである。

 ならば己は嘗ての己を演じよう。その在り様を残虐な魔女へと変わらせよう。

 

 そんな風に思考して行動する魔女に、敢えて無防備な隙を突こうとしない魔女に、クロノは唯怒りを燃やす。

 

 

(ああ、今の一瞬でその気になれば幾度でも殺せただろうに)

 

 

 嘗められている。その事実に頭がカッと熱くなる。

 だがそれを如何にか自制して、クロノは奴奈比売へと向き直る。

 

 冷静さを保てなくなったら勝ち目は消える。

 ならば感情など押し殺せと理由を作って自分を誤魔化した。

 

 

(良いさ、侮るならば好きにしろ。こちらはその隙を突かせてもらうだけだ)

 

 

 如何にしてデュランダルの力より逃れたのかは分からない。

 あれの特徴はその攻撃範囲や魂干渉のみにあらず。周囲の魔力素を根こそぎ使用するという性質故に、発動時に他者の魔法を封じるという副次効果もある。

 

 そしてその力は大天魔に対しても有効であるのだ。

 彼らの存在は魔力素に依存している。その力もまた魔法と同質の物である。故にほんの僅かであるが、その力の発動に干渉出来るのだ。

 大天魔の力に干渉することが出来る。その力を弱体化させる。故にこそ、デュランダルは対天魔決戦兵器足り得ている。

 

 これに対処できるのは、存在そのものが炎の塊である為に凍結不可能な天魔・母禮か、単純な強さで無理矢理突破できる天魔・大獄か、そもそも発動を封じる天魔・宿儺のみである。

 

 ならば如何にして天魔・奴奈比売は防いだのか、疑問に思いつつも今は考え込んでいる余裕はない。

 相手が余裕ぶっているのならば尚更、この瞬間に次善の策を構築し打って出るべきだ、と――そう考えたクロノは、唐突に浮遊感を感じた。

 

 

「なっ!?」

 

 

 一瞬の暗転。直後視界に映ったのは凍る山脈の先端。

 目の前に迫る氷の凶器を、訳も分からぬままに手にしたデバイスで砕いた。

 

 

「がはっ!」

 

 

 瞬間。砕いて飛ばした筈の氷の杭が、クロノの内側より心臓を貫いていた。

 

 吐血する。白き大地を赤く染めて、クロノは驚愕しながら己の身体を見下ろす。

 体内に唐突に現れたその氷杭は、クロノの内臓を押し潰しながら表へとその顔を覗かせていた。

 

 咄嗟に生命維持装置が動作し、心臓機能を機械部分が代替する。戦闘機人でもある彼は、窮地に際してその予備機構を起動させる。

 だがそれも魔力を現動力としたもの。デュランダルによって大半の魔力を消費している今、その稼働時間には限りが生まれている。

 

 クロノの視界に数字が映る。それは心機能代替の可能時間。体内の機械が動作できる時間であり、クロノの生存可能な時間でもある。

 その数字は300。秒単位で減少していく数字が示すのは、残り五分という僅かな時間。その数字が残っている内に治療をせねば死ぬ。そんな命のタイムリミット。

 

 

「あらま、これで死んじゃうと思ったんだけど」

 

 

 真っ青な顔で血を吐くクロノの姿に、予想外だと魔女は語る。

 まずは一人。魔女にとってどうでも良い人物を殺害することで、あの娘に恐怖を植え付けようとしたのだが、それがこうして失敗するとは思ってもいなかったのだ。

 

 そんな驚きの表情を浮かべる魔女に、苦悶の声を漏らしながらも彼女以上に驚愕しているクロノは、信じたくない自身の考察を口にした。

 

 

「……これは、僕の歪みか」

 

 

 苦々しい顔で口にする事実。

 信じたくもないが、否定できない。そうであるとすれば、全てに納得が行くのだ。

 

 今、万象掌握を使用出来ないのは、同じ力を自分より上手く使い熟している眼前の大天魔によって、先んじて空間支配されてしまっているから。

 エターナルコフィンが躱されたのは、その効果の範囲外に逃げられたから。周囲の魔力素が無くなれば魔法は使えない。大天魔自身も弱体化する。だが、それでも、自身の魂を薪とする太極や歪みならば、弱体化はしようが発動は出来る。

 

 転移魔法ならば、周辺魔力素の無効化により封じられていた。

 影を介した転移とて、その影の操作自体を妨害し、転移させる隙など与えることはなかっただろう。

 だが、純粋な転移能力。ただ己が意志力だけで、特定の現象を介さずに、転移するという行為を封じる力をデュランダルは持っていない。

 

 そう。天魔・奴奈比売がデュランダルより逃れたのは、万象掌握の力に他ならない。

 

 

「良い歪みね、これ。気に入ったわ」

 

 

 ニヤリと嗤って口にする大天魔。

 その口振りは、本心から気に入ったと言っているとは思えない。真実、彼女にとって歪みとは、面倒くさい改変に他ならない。

 

 それでも敢えてそう語るのは、その反応を見たいが為。

 まるで奪った玩具を見せびらかす子供のように、そう告げる事自体を、そしてその反応を楽しんでいると言わんばかりの行為である。

 

 

「何故、だ。何故、お前が僕の歪みを」

 

 

 血反吐を堪えながらクロノは問う。

 そんな彼の問いに、魔女は醜悪な笑みを浮かべて、真実を答えたのだった。

 

 

「滑稽ね。貴方達が自慢する歪み。その根源が何であるのかも知らずに使用している」

 

 

 重濃度魔力汚染とは、大天魔の魔力をその身に受けた者の証。歪みの根源とは、即ち大天魔の力に他ならない。

 

 穢土夜都賀波岐が纏う毒。それを受けた者こそが歪み者ならば、その毒を放つ者は誰であるか。

 最も戦火を広げた悪路王か? あの嘲笑う両面の鬼か? 穢土に残った最強の大天魔か?

 

 否。

 

 

「私こそが、その根源。私こそが、その源。貴方達の歪みの大本は私自身なのだから、その力を私が振るえぬ訳がないでしょう?」

 

「馬鹿、な」

 

 

 驚愕で目を見開くクロノに告げられる言葉。

 

 天魔・奴奈比売こそ歪みの根源。天魔・奴奈比売に使えぬ歪みはない。

 根源たる彼女はあらゆる歪みを、使用者よりも使い熟す。それらは全て彼女の祈りより生まれた力。

 

 故にこそ、天魔・奴奈比売はそれらを真に近い形で具現させることが出来るのだ。

 

 

 

 万象掌握。呟きと共に、少女の周囲に無数の器具が浮かび上がる。

 鋼鉄の処女。苦悩の梨。九尾のネコ鞭。スペインの長靴。スペイン式擽り機。膝砕き機。カタリナの車輪。審問椅子。異端者のフォーク。ハゲタカの娘。頭蓋粉砕機。腸巻き取り機。ファラリスの雄牛。ウィッカーマン。人間プレス機。魔女の錐。

 その全てが拷問道具。魔女自身がその身を持って体験した事もある。人を効率的に苦しめる為だけに生まれた処刑道具。

 

 

「っ!?」

 

 

 その機材を、如何なる目的で取り出したのか。察しが付いたクロノは表情を歪ませる。

 そんな彼に優しく笑いかけると、天魔・奴奈比売は甘い声音で嗤って告げた。

 

 

「言ったでしょう。……壊してあげる、と」

 

 

 拷問器具を手に取って、地星の魔女はその笑みを醜悪な物へと変えた。

 

 

 

 

 

2.

――置いて行かないで 去ってしまわないで 私はとても遅いから、手を伸ばしても貴方に届かない 悲しい 悲しい 寂しい 寂しい 喪われるのは悲しい 残されるのは寂しい だから祈ろう 全てを賭けて 万象遍く支配すれば 届かぬ手もきっと届くだろうから

 

 

 其は祈り。幼い少女の姿をした大天魔の口より紡がれる言の葉は、彼女の祈りであり彼の祈り。

 故にその想いに同調している今、その力は真実同質の物として顕現している。

 

 

「がああああああああああああああっ!」

 

 

 絶叫が上がる。それは黒髪の少年の物。

 雄牛の中に閉じ込められて全身が焼かれる。擽り機によって肉を削がれる。膝が砕かれ、肩が砕かれ、頭蓋が粉砕されそうになる。

 

 咄嗟に魔力を消費して拷問器具を破壊することで逃れるが、その度に300秒しかない時間が加速度的に消えていく。

 

 拷問自体を防ぐことは出来ない。それは彼女が用いる万象掌握という歪みが原因だ。

 その歪みによって、拷問器具が、あるいはクロノの身体が、噛み合う状態へと強制転移させられている。

 

 気が付いたら拷問器具に囚われているのだ。

 咄嗟に反応して打ち壊せている事こそが彼の反応速度の異常さを示していて、同時にその限界をも示している。

 

 痛い痛い痛い。

 全身を襲う苦痛。苦しめて殺す為だけの器具を受けて、クロノ・ハラオウンは逃げ惑うより他に術がない。

 

 そんな姿を無様と見下して、魔女は醜悪に嗤っていた。

 

 

「クロノ。あいつ」

 

 

 上空での一方的な遣り取りに、ユーノは歯噛みする。

 このままじゃいけない。このままではどうしようもない。

 自分が参戦してどうなるとは思えないが、それでも放置はしておけない。

 

 動き出そうとしたユーノは、ぎゅっとその服を握り締める手に押し止められた。

 

 

「なのは」

 

 

 抱き留めた少女は震えていた。少年の衣服を握り締めて、恐怖に怯えていた。

 

 

 

 目の前にある光景が恐ろしい。あの大天魔が恐ろしい。

 あれは友達の筈なのに。どうしてこんな事をするのかと問わなくてはいけない筈なのに。

 

 あの醜悪に嗤う魔女が、只々恐ろしくて動けない。

 

 あの魔女の姿が、両面の鬼と重なる。あの嘲笑う声が、同じ様に聞こえてくる。

 他者を嬲る姿が恐ろしい。誰かを傷付ける姿が悍ましい。あんな怪物が友であるなどと信じたくない程にそれを恐れて。

 

 

――それが手前の本質だ。高町なのは

 

 

 そんな鬼の言葉を思い出す。目を背けて、耳を塞いでいた言葉を思い出す。

 怖いモノを前にして、目を背けてしまうその弱さ。恐怖に震えるその感情は、まるで何も変わっていない。

 

 

――君は弱いね

 

 

 あの日、鉄槌の騎士に告げた自分の言葉を思い出す。

 お話しさせてという言葉を、自分より弱い相手にしか口にしていなかった事実に思い至る。

 

 ああ、誰よりも止めなくてはいけないのは、彼女ではないのか。

 ああ、誰よりも話を聞かなくてはいけないのは、彼女ではないのか。

 

 動いて。動いて。動いて。

 どれほど願っても、この体は震えて動かない。恐怖に震えて動けない。

 

 

 

 縋るように、彼の衣服を握り締める。

 震える手で、迷子のような瞳で少年を見詰めた。

 

 けれど、その手は優しく解かれた。

 

 

「少し待ってて、すぐ戻るから」

 

 

 少年の意志は崩れない。少年の思いは揺るがない。

 ユーノにはなのはが何をそこまで恐れているのか、そしてあの大天魔が誰であるのかも分かっていない。

 

 だが、それでもあれが友人であるのだとなのはが確信を抱いていることは分かっている。

 そしてクロノが今にも死にそうな無様を晒していることも分かっている。だから――

 

 

「ぶん殴って、君に頭を下げさせる」

 

 

 大天魔であることなど関係ない。力の差なんて知ったことか。少女を泣かせる存在を、少年は許しはしないのだ。

 

 殴り飛ばして引き摺り戻して、そうして全部解決だ。その後はいつも通りが返って来る。

 そう語った少年は、大天魔の遊び場。少年達の死地へと飛び出して行った。

 

 

 

 その背を見詰める。置いて行かれた少女は、伸ばし掛けた手を彷徨わせる。

 彼を押し止めることは出来ない。けど共に進むことも出来ない。

 

 進めていると思った。前に進んでいると思った。

 けれど、あの日、己に対する否定から目を逸らしたあの日から、何一つ変わっていない。

 

 戦場に向かう彼の背が、只々遠く感じられた。

 置いて行かれた少女は蹲り、恐怖と羨望と自己嫌悪の入り混じった感情に身を震わせていた。

 

 

 

 

 

「クロノォォォォォッ!!」

 

 

 金髪の少年が名を呼びながら参戦する。

 その姿を見下しながら、天魔・奴奈比売は何故来たのかと内心で罵倒した。

 

 あの子を宥めていればいいものを。怖気付いて共に震えていれば見逃したものを。ああ、何故出て来るのか、と。

 

 そんな魔女の内心など知らずに、ユーノはその言葉を告げる。

 

 

「何無様晒してんだよ! 僕は乗り越えたぞ、こんな歪み! 僕は勝っただろう! お前にさ!!」

 

 

 奴奈比売が振るう歪みの力に嘲弄され、戦場へと近付けていないユーノは、それでもそう強気で口にする。

 自分はお前が使った歪みを乗り越えてお前を倒したのに、そのお前はこんな形を似せただけの模造品を超えられないのか、と罵倒して進む。

 

 

「はっ、好き勝手言ってくれる」

 

 

 目の前で消えていく数字を眺めながら、クロノはユーノの勝手な言葉を馬鹿にする。

 言われなくても分かっている。その言葉には幾つも異論がある。だから彼もまた、同じ様に吠えるのだ。

 

 

「分かっているさ。乗り越えてやる! そもそも勝ったのは僕だろうが、目玉かっぽじって、よく見ておけフェレット擬き!!」

 

 

 奮起する。咆哮する。こんな物超えてやると、意思の力で立ち上がって――そんなクロノの思いを嘲笑うかのように、ピーと機械音がしてカウントが一気にゼロになった。

 

 

「な、ぜ……」

 

 

 足を見る。何時の間にか影が纏わり付いている。

 その影がクロノの身体から、残る魔力を吸い出していたのだ。

 

 鋼鉄の処女がその身を開く。

 心停止により身動きが取れなくなったクロノは逃れる事も出来ずに、その腕へと落ちて行って――バタンと鉄の蓋が閉じた。

 

 鉄の乙女が赤い涙を流す。

 その抱擁に包まれて、クロノ・ハラオウンは呼吸を止めたのだった。

 

 

 

 

 

「はい。これで御終い」

 

 

 血涙を流す鋼鉄の処女の前で、天魔・奴奈比売はそう語る。

 どうすると、最後の慈悲を持って魔女はユーノへと問い掛けた。

 

 

「さ、このまま逃げるなら見逃してあげるけど」

 

 

 出来れば殺したくはない。あの娘の想い人をどうして奪い去る事が出来ようか。

 だがそれは出来れば、だ。必要ならば処分する。この少年の死が決定的な絆を打ち砕く物になろうとも、それであの娘がもう戦場に望まなくなるのならば。

 

 

「何、終わった気でいるのさ」

 

「……何ですって?」

 

 

 そんな魔女の最後の慈悲を、ユーノは笑って跳ね除ける。

 懐疑の視線で見詰められるだけで膝を付きながら、脂汗を浮かべたままに少年は魔女の言葉を笑い飛ばした。

 

 

「あいつが終わる? この程度で? はっ、あり得ないね」

 

「…………」

 

 

 少年の確信を抱いた表情に、気でも狂ったかと魔女は嘆息する。

 クロノ・ハラオウンの死亡は確実だ。アレには耐えられるだけの札など何もない。

 そんな既に死んだ少年を盲目的に信じるその姿は、最早哀れみすらも抱かない。

 

 

「馬鹿ね。貴方」

 

 

 だから、終わらせよう。せめて一瞬で終わるが慈悲と知れ。

 

 天魔・奴奈比売の影が蠢き、まるで槍の如き刃を形成する。

 そしてその刃を振り上げて、その切っ先がユーノの身体へ向かっていく瞬間に――彼女の背から、青き光が溢れ出した。

 

 

「なっ!?」

 

 

 驚愕に表情を歪める天魔の背後。鋼鉄の処女が砕け散る。

 その内側より姿を現すのは、満身創痍のクロノ・ハラオウン。

 

 心臓を失い、魔力を奪われ、死んだ筈の少年はそれでも空に浮かんでいた。

 

 

「動けるだろうな」

 

「当然だろう」

 

 

 大地に膝を付いて、息も絶え絶えに問うユーノ。

 そんな彼に余裕を見せながら、赤に塗れた黒衣の執務官は言葉を返す。

 

 取るに足りないと、思慮の外へと置いていた。

 故にこそ信じられないと、奴奈比売は驚愕している。

 

 カウントはゼロを切っている。その全身の傷は致命傷だ。

 なのに、何故と。驚愕する奴奈比売に、クロノが語る事実は唯一つ。

 

 

あいつ(ユーノ)が乗り越えたんだぞ。ならば、この僕に超えられない道理はないだろうが!!」

 

 

 負けられない少年は、その身一つで自分の歪みを乗り越えた。

 ならば自分に出来ない道理はない。歪みが封じられた状態でも、万象掌握を乗り越えて見せると、クロノは意思を込めてそう告げた。

 

 

「っ!? 貴方――」

 

 

 クロノの姿を観察した奴奈比売は、その体に起きた事象を正確に理解した。

 

 歪みの深度が増している。その影響が増している。

 壊れた心臓の代替を肉体内に作り出した。肉を動かし、内臓をずらし、それでも足りない血肉を無理矢理作り出している。

 

 それはある意味道理である。目の前に歪みの根源があるのだから、望んで貪ればその深度を増すことは簡単なのだ。

 

 

「そう。そういう事。……それが出来るだけの器と、覚悟があった。詰まり、侮り過ぎたという訳ね」

 

 

 だがそれを為すには、二つの壁が存在している。

 誰もが容易く出来る様な、簡単な事では決してない。

 

 歪みの根源から流れ込む力。それを必要以上に取り込めば、その瞬間に自我も保てなくなり自壊する。

 クロノ・ハラオウンがそうならなかった理由は単純に、取り込んだ力を受け入れるだけの器を既に持っていたからだ。

 

 失った事で強くなった願い。傷付いて、それでも立ち上がった事で練磨された魂。

 それが陰の等級にして拾と言う、極みに到達する事を彼に許したのだ。彼以外、例えば高町なのはが同じ行動をすれば、その瞬間に死んでいただろう。

 

 だがそんな器を作り上げた彼であっても、もう一つの問題は解決できない。

 高度な歪みを持つ事。それ自体が持ち合わせるその問題点は、彼が死ぬまで付いて回る。

 

 彼の選んだ解決策は、断崖の果てへと飛び降りる行為と同じだ。

 器が伴わなければ落ちる途中で、恐怖の余りに心が死ぬ。仮に意識を保てても、何時かは地面に落ちて墜落死。

 

 どちらにしても、終わりへ落ちる自殺行為と言えるだろう。

 

 

「それ、真面に死ねないわよ。……いいえ、もう無様に死ぬことも出来ない」

 

 

 その歪みの深度は最早、準神格域。等級にして陰の拾に届いている。

 神格域への一歩であるが、この世界の民が持つ魂ではその力に耐え切れない。

 そこまで行けない少年は神格には至れず、しかしここまで進んでしまえばもう戻れない。

 

 行き過ぎた力は使用者を苦しめる。

 どれ程醜悪な形となっても、どれ程の障害を抱えても、もうクロノ・ハラオウンは死ぬことさえ出来ないのだ。

 

 

「だから、どうした」

 

 

 そんな生き地獄を告げられて、知ったことかとクロノは返す。

 その少年の姿に奴奈比売は息を飲み――故に意識の外から迫る力に対処が出来なかった。

 

 

繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!」

 

「っ!?」

 

 

 空間支配によって近付けない筈だった少年が、その拳を大天魔へと振るっている。

 威圧感だけで呼吸も出来なくなっていると言うのに、動けぬままに拳の圧を飛ばしていた。

 

 懐のカートリッジに込められた魔力を使用した一撃は、しかし時間停止の鎧を打ち破れずに少年の拳だけが砕ける結果に終わる。

 ユーノへと振り返った奴奈比売は、影を用いて反撃を行う。一撃にて殺してしまおうと、しかしその影は少年を貫かずに空を切った。

 

 

「万象、掌握?」

 

「ああ、支配権は返してもらったぞ」

 

 

 遠く、奴奈比売の影が届かぬ位置へ、少年を飛ばした力は正しく万象掌握。

 元が奴奈比売の力であれ、クロノの色で塗り替えられた今、その歪みはクロノの物だ。その真価を真に発揮できるのは彼をおいて他に居ない。

 

 故に、等級が極みに至った今、彼の歪みは奴奈比売の支配を乗り越える。

 

 

「……虎の子だってのに、あいつ硬過ぎるんだけど!?」

 

「折角、スカリエッティの研究所で補給して来たんだ。まだ残ってるだろ? もう一発やってこい。震えて動けないフェレット擬きでも、囮程度にはなれるだろうさ」

 

「誰が震えて動けないって! 後で泣かすぞ、岩石頭!」

 

「笑わせるなよ。弱虫フェレット。泣くのはどっちか、これが終わった後にでも教えてやるさ」

 

 

 そんな風にじゃれ合う少年達は臆することがない。

 屈することはなく、諦めることはなく、圧倒的な脅威へと立ち向かう。

 

 

「……男の意地とか、嫌いじゃないんだけどね」

 

 

 だが、それが自分に向けられるとなると話は別だ。

 唯の意地だけで乗り越えられるような、甘い存在ではないと教えてやろう。

 

 奴奈比売は冷静さを取り戻しながら、取るに足りない少年達を潰す為に動き出した。

 

 

――何処へも行かせない 何処にも逃がさない 何処へ行ったとしても 何処までだって追い求める あの高みへと至る為なら 時も 距離も 全てを乗り越えてみせる 撃ち放たれた弾丸は 必ず貴方を捕えるのだから

 

 

 轟と放たれるは歪みを纏った魔力弾。

 変幻自在に追い掛ける。無限加速の猟犬は正しく――

 

 

「これ、ティーダさんの歪みだ!」

 

「っ、死者の物まで使えるか!?」

 

 

 少年達の前で飛来する黒石猟犬。

 天魔・奴奈比売が用いるのはそれのみに非ず。

 

 存在重複。乾坤一擲。増殖庭園。

 管理局が誇るエースストライカーの歪みが同時に顕現する。

 

 そして、それだけでも終わらない。

 

 

――どこにも行かないで 置いていかないで 私はとても遅いから 駆け抜けるあなたに追いつけない ああ だから待って 一人にしないで あなたと並べる未来の形を 那由多の果てまで祈っているから それが限りなく無であろうとも 可能性だけは捨てたくないから

 

――私は地べたを這いずりまわる 空を見て 空だけを見て あの高みに届きたいと 恋焦がれて病んでいく 他の物は何もいらない あれが欲しい あれが欲しい ああ だけど悲しい 届かない だから祈ろう 私という存在の全てを賭けて あの星に届く手が欲しい

 

――皆私を残して逝ってしまう 誰も私を顧みない 寂しい 寂しい 私はいつも一人きりで 泣いて震えて沈んでいく 仲間が欲しい 手を取り合いたい 皆と一緒に あなたと一緒に 一人にしないで 忘れないで ねえ だから横並びになりましょう 私のところに降りてきて 私があなたを引きずり下ろす 愛するあなた みな残らず 私の愛に巻き込まれたまま泥に沈んで お願いだから

 

 

 可能性の拡大。

 あらゆる物を切り裂く斬撃。

 他者から幸運を奪い去る禍憑き。

 

 その強大な力ですら、展開された歪みの一部に他ならない。

 

 その歪みの総量は千を超える。

 その歪みの種類は万を超える。

 億人の歪み者が同時に力を行使したとて、ここまでの光景は生まれ得ないであろう。

 

 既に死んだ者の歪みであれ、違う世界で生きた者の歪みであれ、その全てを天魔・奴奈比売は使い熟せる。

 等級にして玖相当。極みに至った者にこそ劣るが、それでも彼女の歪みは使用者のそれを超えている。

 

 天魔・奴奈比売に挑むとは、億人の歪み者を同時に敵に回すよりも恐るべきことなのである。

 

 

「貴方達の意地は、この総量を乗り越えられるとでも言うのかしら?」

 

 

 天を覆う歪みの群れ。圧倒的なその物量。

 天魔・奴奈比売はその物量こそが最大の脅威。

 穢土夜都賀波岐の内でも最も出来る事が多い、限りなく全能に近い大天魔。

 

 そんな彼女に、超えられるのかと問われた少年達は――

 

 

「勿論!」

 

「無論!」

 

『出来る訳ないだろうが!!』

 

「は?」

 

 

 ポカンと目を丸くする奴奈比売の前で、尻尾を巻いて逃げ出した。

 

 

 

 そもそも前提となる条件が異なっている。

 彼らが戦闘を望んだのは、撤退出来ないという状況故に、仕方なくの消去法。

 

 だが、今クロノは支配権を取り戻した。万象掌握を完全に使い熟している。

 ならば逃れられないという前提が破綻している。戦わなければいけない理由がない。

 

 故に、こんな化け物と無人世界で戦う必要などはない。尻尾を巻いて逃げれば良いのだ。

 

 

「っ!? 逃がすと!」

 

「思っているさ」

 

 

 少年達も、奴奈比売も同時に悟る。

 空間転移能力を取り戻したクロノに対し、逆に空間転移を妨害されている奴奈比売は追い付けない。

 

 デュランダルの影響は未だ残っている。

 ユーノのように小型のカートリッジでも持ち歩いていない限り、今この場で魔法は使えない。

 そして歪みによる転移という唯一点に限るならば、模倣である奴奈比売よりも極みに至ったクロノが勝っている。

 

 故に――

 

 

「なのは!」

 

「掴んだな、退くぞ!!」

 

 

 ユーノがなのはを抱き締め、クロノが万象掌握を行使する。

 向かうは一路。ミッドチルダ。大天魔の立ち入れぬ彼の地であった。

 

 

 

 逃げ帰るクロノは、しかし満足気ですらある。

 勝機は掴んだ。デュランダルに対し万象掌握で対処したという事実が示している。

 

 転移以外に、奴奈比売が永久凍結に対する術を持たない。

 空間転移系能力は己の極まった歪みが全て封じることが出来る。

 

 故に、この大天魔ならばやり方次第で倒せると確信していた。

 

 なのはを抱き締めるユーノは、その表情に安堵を浮かべている。

 威圧感だけで真面に動けなくなる程に、実力の差は明白な強敵。其処から逃げ出せた安心感。

 

 其処に約束を守れなかった歯がゆさを感じながらも、それは次だと意識を切り替え今は退く。

 

 そして抱きしめられたなのはは――何も出来ずに震えていた。

 万象掌握の力によってこの地から転移しながらに、少女は震える事しか出来なかった。

 

 

 

 掻き消えていく少女達の姿に、もう追い付けぬかと奴奈比売は溜息を吐く。

 

 此処で仕留める事は出来なかったが、それでも闇の書の回収は妨害出来た。

 今回はそれで満足するしかないかと思考を変えると、消え去ろうとする高町なのはとその目を軽く合わせて想いを伝えた。

 

 

「……なのは。次に会う時までに、どう動くか決めておきなさい」

 

 

 恐怖に折れて蹲るか、意地を張って戦場に来るのか。

 そのどちらにするのか決めておけと、天魔・奴奈比売は静かに告げる。

 

 目が合った瞬間。怯えたように逸らしたなのはの態度に、寂しそうに微笑みながら。

 

 

 

 

 

 戦いは終わる。少女の心と、彼女達の絆に傷を付けたまま、少女にとっては何一つとして進展せずに、終わってしまった。

 

 

 

 

 




蚊帳の外ななのは。彼女が決意するのはもう少し先です。
その前にもう少し追い詰めますけど(ゲス顔)


クロノくんが陰の拾になりました。ここで成長ストップです。
天魔勢下位とは言え、勝機を見つけ出せるようになったので、もう十分でしょう。

そしてデュランダルのお披露目。速攻潰される。
開幕ブッパはだからいけないとあれ程(ry


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