リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今回はクロノくん回。


副題 はやての想い。
   悪友二人。
   クロノの意思。


※2016/12/17 改訂完了


第二十四話 新しき風

1.

 ミッドチルダ西部エルセア地方。

 中央区であるクラナガンの街並みから離れた場所にある霊園。

 

 ポートフォール・メモリアルガーデン。

 その一画、新たに建てられた墓石を前に少年は立っている。

 

 天魔大戦によって、失われた命を弔う大きな慰霊碑。

 それがある事でも有名なこの場所で、クロノは小さな墓石を前に物思いに耽っていた。

 

 

「御免。少し、遅くなった」

 

 

 口にした言葉は、遅れてしまったことへの謝罪。

 墓石を立てる事も、こうして振り返る事すらも、遅れてしまったと頭を下げる。

 

 眼下にある墓石。その内に眠る者などない。

 アースラは断片すらも回収できず、宇宙の藻屑となってしまった。

 

 それでも此処は、彼女達の墓石である。

 弔うとは死者の為だけではなく、生者が先に進む為に――ならば、空の棺にもきっと意味はあるのだろう。

 

 

「そっちに行きたい気持ちは、まだある。けど、さ」

 

 

 空の棺に向き合って、少年が口にするのは宣誓だ。

 死者への想いを伝えて、残された生者として生きる為に、此処に一つの誓いを立てる。

 

 

「もう少しだけ、ここで進んで行こうって思うんだ」

 

 

 まだ足掻いてみようと思った。

 まだ生きてみようと、そう思えた。

 

 そう想えるだけの出会いがあって、そう抱けるだけの絆があった。

 だからクロノ・ハラオウンは、まだ向こうへは逝けないのだと死人に語る。

 

 

「向き合ってくれる奴が居たから、負けたくない奴がいるから、僕はまだここで生きるよ」

 

 

 何時か向かうその日まで、精一杯に生きたのだと誇れる様に。

 自分の意志でこれからも抗って生きるのだと、確かに少年は此処に誓う。

 

 一人ではない。この想いを抱くのは、きっと自分一人ではないのだから。

 

 

「そっちに逝くのは、もう少し後になりそうだ。……その分、土産話を沢山持っていくからさ」

 

 

 視界の隅に、金髪の少年が映り込む。

 離れた所からこちらを窺うその姿に、変に気を回してと苦笑する。

 

 そうして一笑すると、クロノは瞼を閉じる。

 瞳を閉じたままに数秒。そうして心の向く先を此処に定める。

 

 語り掛けたい事は多くある。伝えたい想いは、山の様に存在している。

 だが、今はこれで良い。迷っていた分を取り戻す為に、今は一歩でも進む時だ。

 

 そうとだけ心に決めて、少年は作り物の瞳を開いた。

 

 ひゅうと冷たい風が吹き、献花の花が空に舞う。

 白菊の花弁が飛び去っていく光景を、目を細めて見送った少年は身を翻す。

 

 

「また、会いに来るよ」

 

 

 大切な人達に別れを告げて、少年は先へと一歩を踏み出す。

 今はもう振り返らない。全てが終わる日までは、前へと進むと決めたのだから。

 

 

 

 温かな日差しの中、少年の門出を祝福するかのように白い花弁は美しく空を彩っていた。

 

 

 

 

 

2.

 秋の終わりにしては、温かな気候が続く中。

 日の差し込む民家の縁側面した窓の傍らにて、両腕を失くした蒼き獣は穏やかに見守る。

 

 身動きすら出来なくなった彼が、意地を貫き通して救えた命。

 車椅子の少女は意識を取り戻して、姉と慕う女性と共に台所に立っていた。

 

 

「アカン。アカンて螢姉ちゃん。それ塩やない。砂糖や」

 

「え? まさか!?」

 

 

 幾ら目覚めたと言っても、瀕死の重傷を負っていたのだ。

 集中治療室から出たばかりの患者と同じく、無理をさせる訳にはいかない。

 

 そういう理屈で、調理を買って出た櫻井螢。

 長い付き合いからその料理の腕を知っていた八神はやては、不安を感じながらに同席した。

 

 その不安は見事に的中し、ある種感心してしまう程の失敗を見せている。

 やっぱりこうなったかと、調理補助を行う少女は窶れた顔に苦笑を浮かべていた。

 

 

「あーあ、こんなに入れてもうて」

 

「くっ、ならば、塩を多めに入れることで中和を!?」

 

「それもアカンて。塩で甘さは消えんし、そんなドバっと入れたらしょっぱくなってまうやん。甘さ消したいんなら辛めの味付けに変えてしまうんが一番やな。甘辛とか美味いやん? 取り合えず、豆板醤辺り入れればええと思うで」

 

 

 簡単な物を作ろうとして、選んだ料理は野菜炒め。

 単純な料理に苦戦している姉貴分を、直ぐ傍らで妹分が支えている。

 

 

(ああ、そうだ。これこそが……)

 

 

 そんな温かな光景を、優しい眼差しで見詰めている。

 盾の守護獣はそんな日常の光景を、確かに好んでいると自覚していた。

 

 

「豆板醤。豆板醤。ハッ! これか!?」

 

「ちゃう。それ豆板醤ちゃう。赤味噌や」

 

 

 調味料の棚から、的確に違う物を選ぶ櫻井螢。

 姉の料理音痴っぷりに頭を抱えながら、違うとツッコム八神はやて。

 

 そんな光景を日常と、そう感じている盾の守護獣。

 彼はふと、そんな光景を日常と捉えている事。それに疑問を抱かない事に、疑問を抱いた。

 

 

(日常。ああ、そう思ってしまう程に、慣れていたのか)

 

 

 日常。これが日常の景色である。

 無意識にそう思った事に、ザフィーラは苦笑する。

 

 戦う為に生まれて、護る為に生きた守護の騎士達。

 戦う事しか知らずして、護る為だけに生きるしかなかった作り物。

 

 温かな食事。温かな寝床。温かな空気。

 そのどれか一つだけでも、己達には過ぎた物だった筈なのに。

 

 それを当然の一部だと、そう思うようになっていたのは何時からだろう。

 

 

「螢姉ちゃんは一人でやらせると味付け忘れて不毛な味になるし、それ指摘しても調味料間違えるからなー」

 

「くっ! だ、大丈夫よ。食べられる物しか使っていないんだから、まだ食べられるレベルだものっ!」

 

「そらシャマルの劇物に比べたら天と地やけど。……比べられて嬉しいん?」

 

「……私が悪かったわ」

 

 

 疲れてはいるが、和らいでいる少女の表情。

 不遜にも慣れてしまう程に、幸福だったこの時間。

 

 それを守りたいのだと、心の底から確かに思う。

 失ってしまった両の腕に、護れないと言う歯がゆさを感じている。

 

 此処まで壊されてしまえば、修復には書が必要となる。

 闇の書は此処にはなく、蒐集の為にヴィータが持ち出したままである。

 

 不安に思う。己はこれを守れるだろうか。

 恐ろしく感じる。何かが起きた時、無力になってしまわないか。

 

 

「で、出来たわ」

 

「うん。出来たな。……後は味見をして微調整するんやで、螢姉ちゃん」

 

 

 守りたい。護らせて欲しい。そうありたいのだ。

 

 心の底から理解する。これが感情の動きだと。

 嘗てにはなかった程に、真に迫っているのだと分かっている。

 

 

「あ、味見ね。……はやてがやってくれないかしら?」

 

「…………あー、駄目やって、螢姉ちゃんが初めてちゃんと味付けしたんやから、最後まで自分で完成させへんと」

 

「む。むむむむむ」

 

「味見も含めて料理やで、螢姉ちゃん」

 

 

 ふと一瞬、会話の途中ではやての顔が強張ったような気がした。

 だがそれも一瞬。にこやかに会話を続ける二人の姿に、気のせいだろうと結論付ける。

 

 そうして、盾の守護獣はその身を休める。

 

 

(何か起きたならば、その時せめて、我が身を引き換えに出来るように――)

 

 

 守るべき光景は此処にある。守りたい人は此処に居る。

 ならば盾たる己の役割とは、腕を失くそうと、四肢をもがれようと、命を失おうとも変わらない。

 

 守りたいのだ。護らせて欲しい。どうか健やかにあってくれ。

 

 それは騎士としての役目ではなく、心の底から願った祈り。

 これまでの歴代などは余り覚えていないが、それでもこれ程に祈った事はない。

 

 守護の獣としてではなく、唯のザフィーラと言う個が願う。

 作り物から変わり始めたその獣は、心の底からそれだけを願っていた。

 

 

 

 

 

 八神家の縁側より外に出て、八神はやては溜息を一つ吐く。

 周囲に誰も見ている人がいないと分かって、その弱さが瞳から溢れ始めていた。

 

 大丈夫。今は誰も見ている人はいない。

 盾の守護獣は眠りに就き、櫻井螢は病院へと足を運んでいる。

 

 一人だ。一人だから、泣いても良い。

 そう語る内心の弱さに、はやてはぐっと唇を噛み締めた。

 

 

「アカン。泣いたらアカン」

 

 

 目尻から零れる滴を、指で拭って首を振る。

 泣いてしまえと語る弱さを、必死の思いで食い止める。

 

 泣いてはいけない。今泣いてしまえば、きっともう立ち上がれない。

 大丈夫。誰も気付いてはいなかった。ならばこのままでも隠し通せる。

 

 この異常を、誰に明かしてもいけないだろう。

 

 

「皆頑張っとるんよ。皆、皆頑張っているんやから」

 

 

 皆が頑張っている。必死に戦っている。

 

 シャマルが慣れない前戦に出る程に。

 ザフィーラが腕を失くしてしまう程に。

 食事やお風呂が大好きだったヴィータが戻ってこれない程に。

 

 皆が頑張っているのだ。必死に戦っているのだと知っている。

 

 戦う理由は、闇の書の完成。

 それをもってして、全てを救わんとする祈り。

 

 今も死に向かう、八神はやての命を救う為に。

 失われてしまった家族(シグナム)をこの場所へと取り戻す為に。

 

 その為には書の力が必要で、だから必死に動いている。

 もう限界の状態で、如何にか必死に食い付いているのが現状だ。

 

 だから、この状況を知られる訳にはいかない。

 これ以上に多くの物を背負わせたくはないから、歯を食い縛って涙を拭う。

 

 泣いてはいけない。折れてはいけない。

 自分だけが嘆いていてはいけない。それは分かっていると言うのに――どうしてか涙が止まってくれない。

 

 

 

 

 

 秋の温かな日差しの中、香る新緑の空気。

 緑多き風芽丘の大気は、交通量の少なさもあってとても澄んでいて――まるで溝川の底のような臭いがした。

 

 腐っている。腐っている。腐っている。

 

 八神はやての肺は腐っている。八神はやての喉は腐っている。

 呼吸器も食道も胃の中も、あらゆる全てが致命的なまでに狂っている。

 

 どこに居ても、生塵の処理場に居るかのように感じてしまう。呼気をする度に現実が否応なしに伝わって来る。

 何を食べても、糞尿と吐瀉物を織り交ぜたような味しかしない。味見なんて出来ないし、何より作り手に悪いとは分かっても、笑顔を浮かべ続けるのはとても大変だった。

 

 地獄の中に落ちたあの日から、少女は未だ抜け出せない。

 目を覚ましてからの八神はやての現実は、その様相を変えてしまっていた。

 

 目を覚ました瞬間に感じた恐怖。現状を理解した瞬間に感じた絶望感。

 それらに振り回されるように狂騒を演じて、漸く周囲を認識出来る様になって、心配を掛けていることを理解した。

 

 そうして落ち着いた後で、螢達から聞かされた守護騎士の現状。

 余りにも変わり過ぎた現実を理解して――少女は一つの結論に至った。

 

 

「私には何も出来ないんやから、泣いてしまうのだけはアカンのや」

 

 

 頑張っている皆の為に、出来る事が心配を掛けないこと以外に何一つとしてありはしない。

 だから八神はやては涙を隠して、笑顔を浮かべるのである。

 

 それは一体、どれ程の地獄であろうか。

 

 日常生活が行えない程に、五感の多くが狂ってしまっている。

 腐ってしまった肉体の一部が、体内を侵した魔力汚染が、死に体の身体を無理矢理に動かす魔力が、八神はやてを壊している。

 

 死にたくはない。けれどこんな体で生きていくのかと思うと、それだけで心が折れそうになる。

 家族が居なくなったのは悲しい。皆が傍にいないのが寂しい。取り戻したいのだと切に切に願っている。

 

 誰かに迷惑を掛けるのはいけないと分かっているけれど、もうそれを止めることも出来ない。

 誰かが傷付けば元通りに戻るのだと知って、それをいけないことだと理解していて、それでも止めることが八神はやてには出来なかった。

 

 だから少女は涙を拭い、必死に笑顔を作るのだ。

 何も出来ないからこそ、それだけは守り続けるのだ。

 

 

「……ああ、空気が不味いなぁ」

 

 

 誰にも届かぬ程の小さな声音で、涙を拭った少女は一人呟く。

 彼女は未だ、叫喚地獄の中にいる。抜け出すことなど出来はしない。

 

 

 

 

 

3.

 ミッドチルダの首都クラナガン。

 中でも北部に程近い街中を、雑談を交わしながら二人の少年が歩いている。

 

 

「……まさか、お前がこんな行動に出るなんて」

 

「自分でも柄じゃないとは分かっているさ。余り言うなよ、フェレット擬き」

 

「擬き言うな、岩石頭」

 

 

 一人はクロノ・ハラオウン。

 常の管理局の制服姿ではなく、珍しくラフな私服姿をしている。とは言えカジュアルと呼べる程に着崩してはいない。

 ベルトや襟首などをキッチリと整え、ネクタイまで締めているその姿からは、杓子定規な彼の堅物っぷりが伺えるであろう。

 

 もう一人はユーノ・スクライア。

 同じく民族衣装ではなく、カジュアルな服装をしている。

 だがこちらはクロノとは違う。襟首を開き服の裾をズボンの外に出すなど、多少の着崩しをしている。

 そんな少年は、街角の屋台で購入したクレープを口に含みながら歩を進めていた。

 

 

「食べ歩きは行儀が悪いぞ」

 

「気にするなよ、けどこれ不味い」

 

「なら食うな」

 

「買っちゃったんだから仕方ないだろ」

 

 

 じゃれ合いながらも、少年達は目的地を目指して進んでいる。

 ポートフォール・メモリアルガーデンを出た二人は、揃ってある場所を目指していた。

 

 

「管理局には帰投するけど、もう一度地球に戻らないとは言っていないとか、詐欺じゃないか」

 

「規律は守っているぞ。出頭命令の方は、こうして顔を出した時点で果たせている」

 

 

 それは堅物だった少年には珍しい。契約の裏を突くような揚げ足取り。

 

 上層部の指示に従って、こうして管理世界には戻って来た。

 アースラが壊滅したのだから、次の配属先が決まるまでは所属が宙ぶらりんとなる。

 

 その状況を活かして、溜まっていた休暇を捻じ込んだ。

 そして休暇だからと主張して、こうして独自に動いているのである。

 

 

「次の配属先が決定するまでには時間が掛かる。その間に僕が地球で残りの休暇をどう過ごそうが、僕の自由と言う訳だ」

 

 

 全てはもう一度、地球へと向かう為に。

 そしてその地に潜んでいるであろう大天魔。彼らと再び相対する為に。

 

 

「詭弁だね。ってか、知り合いに支援を求めてる時点で、結構ヤバい橋渡ってない?」

 

「別に大した事にはならんさ。僕は個人として、親交のある人物に協力を依頼するだけだからな」

 

 

 唯戻って相対しても、結果は敗北以外にあり得ない。

 だから戻る前に出来る限り、対策を整えてから地球に戻る。

 

 その一環として既に、白衣の狂人に協力は取り付けた。

 そしてもう一つの札を用意する為に、今目的地へと向かっていた。

 

 

「ビビっているなら、逃げ出しても構わないぞ」

 

「だれがビビってるかって」

 

 

 煮え切らない様子のユーノに、臆しているのかとクロノは笑う。

 誰が臆しているかと反論して、ユーノは何を案じているかと口にした。

 

 

「僕が心配してるのは、そんな詭弁、バレないのかって事さ」

 

 

 クロノの行動を追えば、何を企んでいるか明白だ。

 詭弁がバレれば妨害が入り、そうすれば動けなくなる。

 

 ユーノが心配しているのは、それで地球に戻れなくなる危険性だった。

 

 

「何、執務官には独自裁量権がある。なるべく早く地球に行ければ、口出しされても知らぬ存ぜぬで通せば良い」

 

 

 そんな少年に、クロノは笑って言葉を返す。

 多少の問題ならば特権で、強引に突破してしまえば良い。

 

 全ては時間の問題だ。

 執務官より上位が動く前に、用意を終えて地球に向かえば良いだけなのだ。

 

 

「折角の特権だ。こういう時にこそ、使わないとな」

 

 

 時間の問題だからこそ、為すべき事は最低限に。

 そんなクロノが足を止めたのは、先の霊園に向かった時だけだった。

 

 リンディ。エイミィ。アースラクルー。

 彼女らの墓石を用意する事以外には、スカリエッティへの交渉と管理局への休暇申請しかしていない。

 

 生き急いでいるのではないか。立ち止まるべきではないか。

 ユーノは先の醜態を知るからこそ、僅かに不安を抱いて問い掛けた。

 

 

「……ミッドの家には戻らないのか?」

 

 

 ハラオウンと言う名家の血筋。

 家柄に相応しい邸宅は、このミッドチルダに存在している。

 

 其処に一度、立ち寄るべきではないか。

 そう口にしたユーノに対し、クロノは首を横に振った。

 

 

「独自裁量権があると言っても、ミッドで捕まったら自由には動けんからな」

 

 

 時間が余りない。それが理由の一つである。

 ミッドチルダに居る時間は、それこそ最低限にしておきたい。

 

 

「此処で為すべきは最小限だ。切り札一つなく戻るのは論外だが、そう長々と時間は掛けてられん」

 

 

 だが、それ以外にも理由があった。

 

 

「それに、墓参りはもう十分だ。……帰るべき場所に帰るのは、全てが終わってからで良い」

 

「クロノ」

 

 

 帰るべき場所に帰るのは、今ではないと分かっている。

 だから前に進む為にも、膝を折りそうになる事は避けたいのだ。

 

 何処か寂しそうに笑いながらも、其処に弱さや儚さは見えない。

 自暴自棄ではなく、強度を揺るがせない為に、今は立ち止まらないと決めただけ。

 

 それが分かって、ユーノは安堵する。

 堅物さに強かさも合わさって、クロノは確かに変わっていた。

 

 

「しっかしお前もさ。負けてからあっさり復活し過ぎだろ」

 

 

 安堵する内心を隠して、口にしたのはそんな皮肉。

 話題を変えたユーノの言葉に、クロノは眉を顰めて言葉を返した。

 

 

「まあ、気持ちの切り替えは出来たからな。……しかし、一つ聞き捨てならんな。誰が誰に負けたんだ?」

 

「お前が、僕に。……あの喧嘩は僕の勝ちだろ? どう考えてもさ」

 

 

 誰が負けたと言うのか、そんな風に睨み付けるクロノ。

 お前が負けたのだと、悪童の影響を受けた笑みを浮かべるユーノ。

 

 二人は足を止めて睨み合う。

 

 

「……ふん。先に気絶したのはお前だろうに。どう考えても僕の勝ちだな」

 

「あ?」

 

「なんだ、言いたいことでもあるのか?」

 

 

 勝敗など、どちらでも良いだろう。

 第三者ならば言うのだろうが、当事者達には重要な項目である。

 

 ユーノにとっても、クロノにとっても、相手は負けたくない男なのだ。

 

 

「本懐を遂げたのは僕だぞ。お前をぶっ飛ばして更生させたんだから、どう考えても僕の勝ちだろう!」

 

「はっ、その後死に掛けてたお前をスカリエッティの元まで連れて行ったのは僕だぞ。意識を失くして死にそうだったお前が勝者? 馬鹿を言うなよ、白けるんだよ」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 顔を近付けて、ガンを付ける。

 互いに勝利を譲らぬ少年達は、相手が認めないなならば、仕方がないと開き直り。

 

 

「もう一度、ぶっ飛ばしてどっちが上か教えてやるよ、クロノ!」

 

「はっ! 上等だユーノ。覚えの悪いお前の頭でも分かるよう、骨の随まで敗北を叩き込んでやる」

 

『ぶっ飛ばす!!』

 

 

 白昼の街中で、拳を握り締めて振り被る。

 周囲の迷惑などは省みず、さあ、今から戦うぞと互いに構えた。

 

 天下の往来にて、拳を向け合う子供達。

 そんな目立つ行為をしていれば、妨害が入るのも当然だった。

 

 

「お二人とも、ここは公共の場ですよ。それでは周囲の御迷惑になってしまいますわ」

 

 

 第三者に声を掛けられて、争い始める前に揃って踏み止まる。

 振り向いた先には、穏やかな笑みを浮かべる金髪の少女が立っていた。

 

 

「むっ……それも、そうだな」

 

「確かに、此処では迷惑になるよね。……えぇと、ごめんなさい」

 

 

 そうして冷や水を掛けられて、少年達は冷静さを取り戻す。

 通行人や商売人などが迷惑そうにこちらを見ていることに気付いて、二人は恥じ入る様に頭を下げた。

 

 

「いえいえ、まだ大事にはなっていませんから。……ただ、余り喧嘩をしてはいけませんよ」

 

 

 深窓の令嬢と言った物腰の少女は、それだけを口にすると立ち去っていく。

 長い金髪を靡かせて、不快に思われない程度の香りを残していくその姿は、正しく清楚な美少女と言える物である。

 

 少女に付き従うように侍っていた短い赤髪の修道女は無言。

 唯、ユーノとクロノに一礼だけして、少女の背を追い掛けて行った。

 

 

「修道服。聖王教会の人かな?」

 

 

 その背を見詰めて、ユーノは呟く。

 黒を基調とした衣服は、確かに修道服にも似た物であった。

 

 ミッドチルダの北部はベルカ自治領。聖王教会が統治する区画である。

 その付近を歩く宗教関係者となれば、聖王教会の人間だろうと考えるのは妥当な判断と言えるだろう。

 

 そんな彼の言葉に、クロノはふうと一息吐く。

 知らないのかと白けた目をして、彼はユーノに説明した。

 

 

「聖王教会のカリム・グラシアだな。付き人の方は分からんが」

 

「……何で知ってんのさ」

 

「聖王教会の名家であるグラシア家の令嬢だぞ。管理局と関りは深いし、次期教皇の有力候補とされる才女だ。一般の認知だって高い。……むしろ、何でお前が知らないんだ」

 

「スクライアにはそんな情報入って来ないんだよ。……どうせ僕は田舎者さ」

 

 

 管理世界でも有名な話に、どうして知らないのかとクロノは呆れる。

 遺跡発掘の部族にはそんな話は流れて来ないのだと、不貞腐れる様にユーノはクレープに噛り付いた。

 

 因みにカリム・グラシアの付き人は、シャッハ・ヌエラと言う。

 前回の神楽舞にてクロノの対戦相手だった人物なのだが、クロノは完全に忘却していたりする。

 

 

「ってか、本当に不味いな。コレ」

 

「……そんなに不味い不味い連呼されると逆に気になるな。少しくれよ」

 

 

 噛り付いたクレープの味に、表情を歪めるユーノ。

 その様子に逆に興味を惹かれたのか、クロノは少しよこせと口にする。

 

 僅か表情を歪めた後に、ユーノは握ったクレープをクロノへと差し出した。

 

 

「ほら、手で千切りなよ。直接は止めろよ、僕は男と間接キスなんて御免だ」

 

「それは僕もだ。そっちの歯型付いてないとこ、よこせ」

 

 

 昼食用として販売されている、ハムや野菜。ドレッシングが入ったクレープ。

 その角を切り取り、口に入れる。途端に口内に広がる絶秒な不味さに、クロノはその表情を大きく歪めた。

 

 

「確かに、不味いな」

 

「だろ?」

 

「しかし、何故こうも不味くなるのか」

 

「多分、使っている材料が悪いんだろうな。特に油。後は焼きムラが出てるから焼き方も悪い。具材の選択も悪くもないけど良くもない感じだね。ドレッシングは論外」

 

「……そこで料理評論家みたいな台詞がポンと出る辺り、お前は何処に向かっているんだとツッコミたくなるな」

 

「……何が言いたいのさ」

 

「いや、別に。……ただお前、局員より司書か料理人の方が合っていると感じてな」

 

 

 発言としては、特に意図があった訳ではない。

 それでも其処に悪気がないと言えば、確かに嘘になるだろう。

 

 この少年の適正が、戦闘よりもそっちにあると思うのは本心だ。

 そしてそれは同時に、先の不完全燃焼で残った感情から出た売り言葉でもあった。

 

 

「おい。それ、暗に頼りないって言ってないか?」

 

「いや別に、直ぐそういう風に考える所、女々しいとは思うけど」

 

 

 ユーノにとって、その言葉は侮辱にも等しい物である。

 戦士でありたいと望む少年は、そんな売り言葉に買い言葉を返していた。

 

 

「……」

 

「…………」

 

 

 二人の少年は再び睨み合う。

 しかし先程周囲に迷惑を掛けたばかり、とユーノは怒りを抑えて――

 

 

「大体、女々しいのはどっちだよ。あんな風に無様な暴走した挙句、年下の女の子に迷惑かけてさ」

 

「おい。何が言いたい」

 

「べーつーにー」

 

「……」

 

「…………」

 

 

 ユーノの発言に、クロノはカチンと来ながらも己を制する。

 自分の無様さは、他ならぬ自分こそが良く知っている。だから何を言われても、仕方ないのだと己を律することが――

 

 

『上等だよ、お前! ぶっ飛ばしてやる!!』

 

 

 出来なかった。怒りを抑える事も、己を律することも。

 

 互いに拳を握り締め、相手の胸倉を掴んで睨み合う。

 それでも拳を振るわないのは、先程の経験が活きたからか。

 

 殴り合いではなく、ならば決着を如何に付けるか。

 それに迷ったユーノは視線を周囲へと移し、その張り紙を目にした。

 

 

「あれで勝負だ!」

 

「……ふん。良いだろう。何をやっても僕の方が上だと、お前に教えてやる」

 

 

 ユーノが指差す張り紙は、中華料理店の物。

 大食いチャレンジ。時間内に食べ切れたら、無料。

 

 時間がないと理解して、一体何をしているのか。

 互いに冷静な部分でそう思いながらも、そう簡単には止まれない。

 

 男の子には、意地があるのだ。

 理由も手段も大した事ではないが、相手は意地を貫くに足る者なのだ。

 

 そんな下らない理由で、そんな下らない手段で、下らなくはない相手と競い合う。

 馬鹿げた意地だと理解しながらに、それでも少しの時間ならば良いだろう。

 

 そう内心で折り合いを付けた二人は、互いに勝利を確信していた。

 

 

「いい気になるなよ、クロノ! 桃子さんに鍛えられた僕の胃袋を嘗めるなっ!」

 

 

 美味しいお菓子が作れるまでの失敗作処理。

 夕食後に詰め込まれていく高カロリー物体の山は、確かにユーノを食戦士として鍛え上げている。

 

 適当に選んだ勝負内容だが、確かに勝利への確信はここにあった。

 

 対して、クロノは馬鹿な奴だと内心でほくそ笑む。

 クロノ・ハラオウンは半身機械の戦闘機人。人と似ていて人ではない。その身の内にはエネルギー吸収を助ける特殊な機関も存在しているのだ。

 

 本来はエネルギーを効率良く摂取し、摂取したエネルギーを保持する機構だが、応用すれば大量の料理を瞬時に消化する事とて不可能ではないのである。

 

 

 

 そんな彼らのフードファイトは、互いに僅差に留まった。

 結局、食材切れで決着付かず。決着は今後に持ち越される事となった訳である。

 

 

「次は、僕が、勝つ。……うっぷ」

 

「くっ……変換速度が遅いぞ。スカリエッティ。くそ」

 

 

 互いに口を抑えながら、学ばない少年達。

 そんな風に馬鹿をやりながら、彼らは目的地へと辿り着いた。

 

 

 

 ミッドチルダの外れ。

 北東に位置する場所。そこにその洋館は立っている。

 

 広大な庭園と大きな洋館の姿。

 そこで幼少期を過ごした少年は、懐かしいという感傷を抱いてその先へと向かって行った。

 

 

 

 

 

4.

 微睡の中で老人は夢を見る。

 かつての夢。かつての誇り。今は亡き、大切な者達。

 

 そういった輝かしい過去を夢に見ている。

 

 

 

 若き日に理想を抱いて管理局へと入局した少年期。

 大天魔の襲来によって知った現実を、何とか変えようと熱意に任せて努力し続けてきた。

 

 現実と理想の差を知り、たった一人の限界を知った青年期。

 神々に対抗する兵器を開発するという動きがあることを執務官という役職故に知れた彼は、そこに己が進むべき道を見出した。

 

 そして執務官長という立場を得た。

 崩壊寸前の艦隊を纏め上げたことで海の英雄。歴戦の勇士などと称され持て囃された。

 

 

 

 若き才と出会い、その生きる姿に希望を見出した壮年期。

 研究は生き詰まり、防衛は常に限界。討伐には失敗し、諦めが芽生え始めていた頃。

 

 そんな男は、歴代でも最高と言える弟子を育て上げた。

 そんな男の弟子が生きる姿に、諦めながらも僅かな希望を見出した。

 

 己一人では届かずとも、己がそうであったように彼らが跡を継いでくれる。

 弟子である彼が妻を迎え、子を為した。その子が育つ姿に、抱いた希望は確信へと至る。

 

 一人では達成できずとも、何かを残すことならきっと出来る。

 その道の後に続く者が途絶えぬならば、それこそが人の輝きなのだと確信した。

 

 

 

 緩やかな平穏を失い。唯走り続けた中年期。

 我が子のように思っていた教え子を失い、娘達と共に対抗手段の完成にのみ専念した。

 

 狂気にも似た男の執念と、叡智を持った狂人の介入が状況を打破する。

 行き詰っていた欠陥品は完成し、その決戦兵器を手に男は憎むべき神々へと挑んだ。

 

 そして、その結果は――こうして、唯の老人が残った姿が明らかにしているであろう。

 

 

「私は届かなかった。……そう。届かなかったんだ」

 

 

 安楽椅子に揺られる初老の男。

 だがその疲れ果てた姿は、末期の老人を思わせる。

 

 そんな老人は、孫のように思う少年に向かって問い掛けた。

 

 

「……それで、こんな枯れ果てた老人に何の用かな? クロノ」

 

「ギル・グレアム提督」

 

 

 振り返る事もない。枯れた声で語る老人の背中。

 その姿に寂しさにも似た感情を覚えながら、クロノは気持ちを切り替えて口を開いた。

 

 此処に来たのは、過去に浸る為ではない。

 この先に進む為に、必要な力を得る為に来たのだ。

 

 

「伝えておくべきことが一つ。そして、聞きたい事が一つです」

 

 

 要件は二つ。要求が一つに伝達が一つ。

 

 伝えるべきことは単純だ。

 この祖父のように思っている老人に対して、伝えねばならない事は一つだけ。

 

 

「母さんが、死にました」

 

 

 自分にとっての母。老人にとっての娘。

 その死を口にして、此処に一つの決着を付ける。

 

 そんなクロノの言葉に、ギル・グレアムは天を仰いで呟いた。

 

 

「そうか。……そうか」

 

 

 逝ってしまったか、と老人は嘆く。

 こんな老い耄れよりも早くに、逝ってしまうのかと嘆いている。

 

 その悲痛に沈む姿は、安楽椅子に座り背を向けた状態でも分かる程。

 それ程に気落ちしている事が、誰にも分かる程に明らかに伝わって来ていた。

 

 

「――っ」

 

 

 だが、それだけだ。そこに悲痛はあれ、怒りはない。

 ギル・グレアムは無情感こそ抱いているが、理不尽に対する怒りを抱いてはいないのだ。

 

 その事実に、その爪も牙も剥がされた姿に、クロノは拳を握り締めた。

 

 

 

 嘗て、リーゼアリアとリーゼロッテという使い魔にクロノは鍛え上げられた。

 

 ギル・グレアムの使い魔であった、二人の猫娘。

 正しく一級と言う実力を兼ね備えた彼女達を、クロノは師と仰いでいたのである。

 

 その訓練の為に、この屋敷で幼少期を過ごした。

 ギル・グレアムの元、リーゼ姉妹に扱かれながら局員となることを目指していたのだ。

 

 当時のギル・グレアムは精力的な男であった。

 既に初老の域に差し掛かっていた男ではあったが衰えは微塵も見られず、クロノはその姿に唯憧れた物である。

 

 だが、それが今は見る影もない。

 

 そうなった理由は分からない。

 唯、クロノが初陣で重症を負い、高魔力汚染を抱えて闘病している間にリーゼ姉妹が死んだという話だけは聞いている。

 

 その後、グレアムは執務官長を辞し隠棲したとだけ聞かされていた。

 執務官としての激務故に会いに行く時間も作れなかったクロノが、こうして彼と顔を合わせるのはもう数年振りの事である。

 

 故にその変貌を知らなかった。

 だが、いや、だからこそ少年は思う。

 

 グレアムが為した功績を、スカリエッティより聞かされたからこそ、筋違いと分かっていても思ってしまうのだ。

 

 

「どうして、貴方は! 彼の大天魔を一度は追い詰めたと言うのに、何故再び立たないのですか!?」

 

 

 悲痛の籠った言葉。怒りの籠った言葉。

 尊敬する人だからこそ、強く合って欲しいという勝手な言葉。

 

 憧れの祖父が病床に伏した姿に、見上げる孫は弱音を聞きたくなかったと憤っている。

 そんな孫の言葉を受けて、内に籠る感情を知り僅かに歓喜する。それでも老人が立ち上がるには、何もかもが遅かった。

 

 この老人はもう、折れている。

 彼はもう諦めていて、立ち上がる事は出来ないのだ。

 

 

「何処でそれを聞いたかは知らないが、追い詰めた、か。……そうだな。確かに私は、後一歩という所まで手を届かせた」

 

 

 管理局が作り上げた対大天魔兵器。現代に生まれたロストロギア。その名を氷杖デュランダル。

 彼の大天魔すら凍てつかせるそれは、確かにある無人世界で行われた戦闘において、天魔・悪路を封じることに成功した。

 

 だが――

 

 

「その末路が、これだ」

 

 

 安楽椅子から上体を起こし、振り返るグレアムの姿に少年達は息を飲んだ。

 

 その顔は酷く焼け爛れている。その体は半分程が炭化してしまっている。

 魔法技術による延命装置に繋がれていなければ死んでしまう程に、自分の足で立ち上がる事も適わぬ程に、ギル・グレアムは衰えていた。

 

 

――無間焦熱――

 

 

 嘗て己を焼いた炎を思い出す。

 

 愛しい娘達の命と引き換えに、大天魔を如何にか罠に嵌めることに成功した。

 そうしてデュランダルによって彼の怨敵を永久凍結させた直後、勝利を確信した彼の眼前に現れたのは黄金の大天魔。

 

 金糸の髪を持つ、四腕二刀の女武者。

 紅蓮の炎と天を裂く雷光。二つの力を持つ怪物の名を――天魔・母禮。

 

 デュランダルの凍結は、収束魔法の技術を応用した物。

 大天魔自身の力を利用して、永久に封ずることを可能とした物。

 故にこそ決して溶ける事はなく、神々に対しても切り札足り得る武器だった。

 

 だが、決して溶けぬ筈の氷獄が砕かれた。

 八大地獄が内一つ。炎熱を司る焦熱地獄を前にして、永久の氷は崩されたのだ。

 

 大天魔の太極とは、概念に近い力である。

 悪路の腐毒がそうであったように、母禮の炎もまた同様なのだ。

 

 氷は炎で溶ける物。それは子供でも分かる世の道理。

 例え大天魔自身の力によって維持される永久凍結であろうとも、理論上は他の大天魔にも崩せぬ代物であろうとも、それが氷であれば炎に溶かせぬ道理はない。

 

 結果として、老人は多くの者を失った。

 何一つとして得ることは出来ずに敗れた老人は、もう手元に何も残っていないのだ。

 

 

「私はもう、疲れてしまったんだよ。……神々に抗える程、私は若くも強くもないのだ」

 

「……っ!」

 

 

 大天魔との戦いは、希望一つ見えはしない。

 愛しい者を失って、抗う術も届かずに、それでも戦い続けることの出来る者など多くはないのだ。

 

 

「それで、こんな役立たずを戦場に出すことを望んでいたんじゃないんだろう?」

 

 

 その疲れた表情に、クロノは奮起させることを諦めた。

 

 元よりそれが目的ではないのだ。

 ここに訪れたのは、大天魔打倒の術を求めての事。

 

 スカリエッティが漏らした、現代のロストロギアを求めてやって来たのだ。

 

 

「……ええ、僕が必要としたのは」

 

「デュランダル、か」

 

 

 氷杖デュランダル。

 一度とは言え大天魔をも追い込んだその力があれば、そう考える者は多く、そして求める者も少なくはない。

 

 だが、それをギル・グレアムは死蔵した。誰にも渡さず、決して使うこともせずに。

 

 

「……一つだけ忠告させて欲しい」

 

 

 ギル・グレアムは語る。

 己が辿って来た人生から得られた事実を忠告する。

 

 

「その先は、地獄だぞ」

 

 

 それは万感の籠った言葉だった。

 立ち上がり、進む先には何もないと知っているかのような言葉だった。

 

 抗えるかも知れない。そんな中途半端な希望は毒である。

 如何にかなるかも知れない。その想いこそが、救いのない地獄に人を落とすのだ。

 

 故にグレアムはデュランダルを封じた。

 人の手では神を弑逆出来ないのならば、あれはない方が良い。そう信じて。

 

 彼の経験が言っている。彼の過去が語っている。

 そんな物があるからこそ、誰もが己と同じ地獄を経験するのだろうと。

 

 それ故の忠告。けれど――

 

 

「ええ、知っています」

 

 

 クロノは知っている。この先が地獄なのは知っている。

 今生きる世界は、当の昔から地獄だったのだと知っていたのだ。

 

 失ってしまった命があった。

 取り零してしまった宝石があった。

 

 僅か十四年で、これだけのことがあったのだ。

 ならば先がより過酷となるのは、どうしようもなく分かり切ったことだろう。

 

 苦しいだろう。悲しいだろう。辛いだろう。

 考えるだけで引き裂かれる様な、想像するだけで叫びたくなる様な、そんな救えない地獄がある。

 

 けれど、それでも思うのだ。

 黄昏の先に待つ。この夜の帳が落ちた時代で、確かにクロノは思うのである。

 

 

「明けない夜はない。黄昏の後、日が沈み、そして夜明けが何時か来るように」

 

 

 実りの秋は此処に終わって、今に残るは冬の時代だ。

 稲穂を思わせる輪廻の女神は此処になく、全てを凍らせる冬の眠りが維持している。

 

 その事実を知らずとも、確かに想う事はある。

 夜の先の曙光が見たい。冬の後に訪れる、春の季節が見たいのだと。

 

 

「だから、僕はそれを目指したい。何時か来る夜明けを待つのではなく、自ら夜明けに向かって歩を進めたいんです」

 

 

 そんな事に気付くまでに、色々と馬鹿をやってしまったんですがね。

 そう続ける少年の姿を、老提督は眩しい物を見るかのように見詰めていた。

 

 

 

 そう。あったはずだ。嘗ての自分にも、こうして希望に溢れて前を向いていた時期が。

 そう。信じたはずなのだ。こうして引き継がれていく想いこそが、唯一人が持てる可能性なのだと。

 

 だから、老人は少年の想いを受け止めた。

 もう立ち上がる事は出来ずとも、先に残す為に想いを受け入れたのだ。

 

 

「あの子の――クライドとリンディの想い出の場所だ」

 

「え?」

 

「そこにデュランダルは眠っている。好きに使うが良い」

 

 

 分かるか、と問いかけるギル・グレアム。

 母さんから惚気話は何度も聞きましたからとクロノは返す。

 

 此処に一つ、祖父から孫へと、それは受け継がれる。

 

 

「有難う御座います。グレアム提督」

 

 

 駆け出して行く黒髪の少年。

 同行していた金髪の少年は一礼をするとその後を追って行く。

 

 そんな子供達の見詰めながらに、ギル・グレアムは一人呟いた。

 

 

「あれが、若さか」

 

 

 大天魔との戦いは命懸けだ。それでも返る物のない絶望的な戦場だ。

 

 彼らにデュランダルを託した事が、吉と出るか凶と出るかは分からない。

 彼らを戦場へと追いやるこの選択は、きっと間違っているんだろうと確信している。

 

 娘達と息子夫婦を失って、そして孫までも死に急ごうとしている。

 その事実に、この老い耄れより先に逝ってくれるな、という想いを抱いている。

 

 けれど、ああそうだとしても――

 

 

「新しい風が、吹き抜けていったな」

 

 

 

 吹き抜けていった新しい風は、何かを成し遂げてくれそうだと確かに思えた。

 そんな風に目を細めて、老いて枯れ果てた老人は微かな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 僅かに揺れていた安楽椅子が、静かに止まる。

 全てを託した老人は眠りに落ちて、風の生末を祈るのであった。

 

 

 

 

 




クロノくんパワーアップ回。

魔改造デュランダル入手。
現在の弱体化天魔ならワンチャンあります。
母禮と大獄には効きませんが、宿儺相手だと発動すらしませんが。


後、重病人モードでも他人を気遣えるはやてちゃんはマジ天使だと思う。(小並感)


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