リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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勢いで書けたので投下。相変わらずの独自理論ありです。


副題 闇の書の異常。
   ユーノ。世界旅行するの巻。
   圧迫面接。in闇の書。


推奨BGM
1.Sol lucet omnibus(Dies irae)
2.Omnia Vanitas(Dies irae)
3.Take a shot(リリカルなのは)
4.刹那・無間大紅蓮地獄(神咒神威神楽)

※2016/12/09 改訂作業終了。


第二十三話 下らない喧嘩

1.

 八神家の扉が叩かれて、内側から扉が開く。

 崩れる様に倒れ込んで来た影は、両腕を失った獣の姿。

 

 主を守り抜いた蒼き獣は、震える声で小さく口にする。

 

 

「ああ、良かった」

 

 

 一言だけを口にして、盾の獣は扉を開けた女を見上げた。

 目線が一瞬だけ噛み合って、直ぐにザフィーラは意識を閉ざす。

 

 両腕が欠損した、見るも無残なその姿。

 そんな獣とは反対に、眠り姫には傷がない。

 

 獣は守り抜いたのだ。

 力がなくとも、見苦しい形となっても、それでも確かに守り抜いた。

 

 そんな姿に、ナニカを重ねた。

 

 

(揺れている。揺れているのね)

 

 

 託された少女を優しく抱き上げ、黒髪の女は確かに理解する。

 心が揺れている。感情が揺れ動いている。精神が大きく揺らいでいる。

 

 それは剥き出しの魂を、自我によって形成する彼女達。

 天魔・夜都賀波岐にとっては命取りにも繋がると分かって、それでも揺れ動く情が隠せない。

 

 

「揺れているのは、私? それとも――」

 

 

 それに何かを重ねて見たのは、果たして櫻井螢であろうか。

 大切な人を守ろうと必死に抗う獣に、何かを思っているのは彼女であるのか。

 何れ訪れる悲劇が確定している少女に、言葉に出来ない何かを抱いているのは彼の乙女ではないのか。

 

 

――子供の癖に、余計な事をするんじゃないっ! 私は私の目的があってこうしている。自惚れないでよ、戒! 貴方達のことなんか、唯のついでに過ぎないわ!

 

 

 ノイズが走る。ノイズが走る。ノイズが走る。

 眠る筈の女の記憶が流れ込んで、思考が大きく乱される。

 

 救えない筈の命を救おうと足掻くその姿は、まるであの日の自分達に似ているかの様で――違いがあるとするならば、今度は奪う側に立ってしまったと言う事実。其処に何も感じないと嘯く事は、流石に出来そうにはなかった。

 

 

「マレウスめ。もっと早くに動けと言う」

 

 

 だからそんな感情を誤魔化そうとして、忌々しく思う仲間の不手際を口に出す。

 雷の乙女が抱いてしまった祈りを一時の気の迷いと振り払って、道を照らし出してはいけない少女を見詰めた。

 

 

「はやて」

 

 

 抱き締めた少女を、温かなベッドの上に横たえる。

 微かに呼吸を繰り返すはやての髪を、慈母の様な笑みを浮かべて優しく梳いた。

 

 

 

 この少女を救ってはならない。

 この少女の道行きは、暗き闇に覆われていなくてはならない。

 

 我々は諦めた。この世界は閉塞している。結局誰も救えない。

 ならばせめて、皆愛しき刹那の腕にて、永劫凍って眠るが良い。

 

 それこそが救いで、それだけが救済で、他の形は諦めた。

 そしてその最低限の救済に至る為に、八神はやての命は邪魔なのだ。

 

 だから躊躇ってはいけない。

 だから戸惑っていてはいけない。

 だからもう間違える事だけは、決してしてはいけないのだ。

 

 それが分かって、必要以上に感情移入していると自嘲する。

 今この瞬間にも全てを投げ出して、少女を愛でたままに共に滅びられれば――そう抱いてしまうのは、長く生き過ぎた自滅衝動が故だけではないのだろう。

 

 

(我ながら、無様ね)

 

 

 優しく微笑む仮面と異なり、その内面は酷く荒れていると自覚する。

 燃え続ける炎が燻っている。道を照らし出す雷は望めないし、望んではいけない。

 

 今回の行いは、自己に致命的な傷を刻むであろう。

 下劣畜生に堕ちると言う行為は、抱いた二つの願い双方と反している。

 

 故に今回の結末がどういう幕を迎えたとしても、そう遠くない日に天魔・母禮は自壊する。

 少女を失う日に刻まれるであろう亀裂は、既に摩耗している彼女にとっては致命傷となるであろう。

 

 そうと分かって、それを選ばない理由がない。

 そうと分かっているから、選べる道が他にない。

 

 

「一緒に死んであげる事は出来ないけど……そう長く待たせる気はないわ」

 

 

 少し寂しい想いをさせてしまうわね。と少女の栗毛を優しく撫でる。

 為すべき事が全て終われば、その時は一緒に居てあげられるから。と優しい色を微かに浮かべる。

 

 この時既に、女は己の終わりを理解していたのだろう。

 

 

「何時か帰るべき、あの優しい黄昏へ――」

 

 

 きっとその日が来ると信じて、全てが報われる事を祈って、櫻井螢は少女の髪を優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

2.

 さほど広くはない病院の廊下で、二人の少年が対峙している。

 黒衣のバリアジャケットで身を包んだ少年執務官。クロノ・ハラオウン。

 デバイスを用いず、民族衣装風のバリアジャケットを展開している金髪の少年。ユーノ・スクライア。

 

 彼我の距離は遠くなく、拳を振るえば当たる程。

 ここで戦えばどうなるであろうか、嚇怒と共に喧嘩を売った少年は感情を抑えて冷静に思考する。

 

 結界で覆われているとは言え、ここは病院の一区画。万が一にも結界が消えてしまえば、どのような被害を出すか分からない。

 その戦いの余波。制御を外れた魔力弾はおろか、投げ飛ばされた互いの体躯のような些細な物でさえ周囲に被害を与えかねないのだ。

 

 それを案じるのならば、ここは場所を移すのが道理であろう。

 

 

「クロノ。まずは場所を――」

 

 

 そう提案しようとした所で、直後には全く見知らぬ場所に放り出されていた。

 一面に広がる荒野。荒れ果てた大地には僅かな草木しか見えず、人の子一人見えぬ世界。

 

 

「……僕が知る限り、人の文明の生じていない無人の世界だ。地球とまるで変わらぬ気候。それでいて周囲に被害を齎すこともない。……そら、これでお前も余計な事を考える必要はないぞ?」

 

「……はっ! 気が利くじゃないか」

 

「何、意識を逸らしていたから負けた、などと言い訳されたくないだけさ」

 

 

 気付かぬ内に転移させられた。予兆すら感じ取る事が出来なかった。

 その事実を前に内心で戦慄する少年は、敢えて強い言葉を口にしながら戦況を把握する。

 

 彼我の距離は先程までとは違う。一足では踏み込めぬ位置にある。距離を制する敵手に対して、この位置取りは致命的。

 

 

「教えてやろう。僕とお前の決定的な差を。歪み者と唯人の、絶望的な力の差を!」

 

 

 この僅か数歩の距離は、しかし絶対の距離である。

 空間の支配者たる黒衣の魔導師を前にして、感じる怯懦は確かにあった。

 

 それでも負けられない。負ける訳にはいかない。

 その為にも、怒りではなく冷静な思考で勝機を探し続ける必要がある。

 

 ならば――頭を動かせ。知性に頼れ。頭脳で捉えろ。

 敵の弱所を、敵のパターンを、全て読み切って悉くを乗り越えろ。

 

 如何に褒められたとて、誰に認められたとて、ユーノの武才は付け焼刃。

 自身にとって至大至高の刃とは、この優れた頭脳以外にありはしないと分かっている。

 

 

「分かっているよ! 力の差なんて!!」

 

 

 ユーノ・スクライアは自らの怯懦に怒りと決意で蓋をして、弾き飛ぶように走り出した。

 

 

「チェーンバインド!」

 

 

 そしてマルチタスクを二つ動かして、同時に二つの魔法を行使する。

 一つはチェーンバインド。無数に展開された翠の鎖が、拘束せんと荒れ狂う。

 

 そんな光の鎖は、されど本命ではなく囮。

 無数の鎖の影に隠れて、障壁を展開した少年は前方に向かって突撃する。

 

 

「プロテクションッスマッシュッ!!」

 

 

 砲撃魔法すら弾く障壁を、全面に集中させての飛翔突撃。

 ユーノの意図は単純だ。距離を制されるならばその前に、近付いて殴ると言う一択。

 

 元より攻撃魔法は不得手。遠距離射撃は最低レベル。

 役に立ちそうな攻撃魔法は、拘束からの爆発魔法であるアレスターチェーンくらいである。

 

 距離の長さは敵に利する。此処は既に敵手の間合いだ。

 鍛え上げた拳を振るう為にも、距離を近付ける事が第一条件。

 

 故にこそ二つの魔法は、そのどちらもが囮である。

 ユーノ・スクライアの本命とは、この距離を零へと近付ける事なのだ。

 

 だが、そんな行動は――

 

 

「軽いぞ。ユーノ」

 

 

 当然の如く読まれている。当たり前の様に対処される。

 如何に魔法に対する鉄壁であれ、密度が違う歪みを防ぐには格が不足しているのだ。

 

 

「万象掌握」

 

「っ!?」

 

 

 目の前に迫るのは土の色。展開した筈の障壁が消えている。

 否、違う。障壁を完全に無視して、中身のユーノだけを転移させたのだ。

 

 地面に叩き付けられる。

 飛翔魔法を制御出来ないと、そう理解したユーノは――

 

 

「こっちだって、読んでるんだよっ!」

 

 

 その程度、やってのけると予測していた。

 最初から対処は考えていたのだ。即応する事は不可能ではない。

 

 飛翔魔法の勢いのままに、地面にぶつかる少年。

 前以てイメージしていた通りに、肩から落ちた少年はくるりと一回転して受け身を取る。

 

 柔道で言う前回り受け身。それで勢いを流した後、更に一歩を其処で踏み込む。

 回転の運動エネルギーを殺さずに、其処に加速魔法を加えて前へと進んだのだ。

 

 

「お前のパターンは、もう分かってるんだっ!」

 

 

 空間を支配するクロノ・ハラオウン。彼は効率を好む癖がある。

 敵を倒す為に最低限の力で、その為に初手の操作は自滅を誘発しようとする。

 

 来るタイミングが分かって、飛ばされる場所も読めていた。

 ならば動ける。だから対処できる。転移させられるのが避けられないなら、それを前提に動けば良い。

 

 彼我の距離は一足では届かぬが、二足を過ぎれば余る程。

 そうと分かっていたならば、初回さえ回避すれば拳が届く筈だから――

 

 

「……いいや、お前は何も分かっていないよ」

 

 

 寸前まで迫った拳は、彼の言葉と共に離される。

 あと一歩の距離が、最初の距離に戻されていた。

 

 

「歪み者とそうでない魔導師はな。……そもそも質量の差が違うんだ」

 

 

 話が違う。前提が違う。打開策などありはしない。

 距離を制されるという事実は、そもそも接近戦に持ち込むことすら不可能なのだと示している。

 

 距離を制するクロノに対し、一歩の間合いは無限の距離に等しくなるのだ。

 

 

「反則だと、そう思うか? それが正常だ」

 

〈Stinger blade execution shift〉

 

 

 クロノの持つデバイスが魔法を展開する。それは彼にとって、切り札の一つと言える魔法。

 

 中規模範囲攻撃魔法。放たれる魔力刃の数は百を超える。

 それら全てが一斉に狙いを定め、ユーノ・スクライアへと降り注ぐその姿は、正しく処刑と呼ぶに相応しい。

 

 

「っ! おおおおおっ!!」

 

 

 攻撃を空ぶった影響で泳ぐ上体を、背筋の力で無理矢理に建て直す。

 マルチタスクで思考を加速させ、探索魔法の応用で刃の隙間を探し出す。

 

 頭脳を回して、思考を回して、魔力を回して、見付け出したのは僅かな巧妙。

 一発二発の被弾など覚悟の上、自身に加速魔法を掛けるとその僅かな隙間を縫って飛び出した。

 

 その直後に――

 

 

「っ!?」

 

 

 気付けば元の場所に居た。

 脱出した筈の刃の檻に、再び閉じ込められたのだ。

 

 

「魂の密度が違えば、干渉は防げない。そして僕の歪みを前にして、防げないとは致命を意味する」

 

 

 世界を支配する力を持つ少年は静かに告げる。

 万象掌握を前にして、位階が違えば何も出来ない。

 

 これは徹底した格下殺し。一方的に過ぎる暴力装置。

 クロノ・ハラオウンと言う歪み者は、自身より格下の敵に対しては全能の神にも等しい存在となるのだ。

 

 

「サークルプロテクション!」

 

 

 刃が直撃する刹那、翠色の魔力光が球状の守りを形作る。

 高町なのはの集束魔法ですら、防ぎ切れるであろう自慢の守り。

 

 クロノの放った魔法であれど、確実に防げる強度はある。

 そのまま展開し続けれたなら、確かに処刑の刃は防げただろう。

 

 

「万象掌握」

 

 

 しかし通らない。それでは通じない。

 クロノ・ハラオウンの歪みは、その防御魔法だけを転移させる。

 

 そうして守りを剥がされ無防備となった少年の身に、百を超える刃が突き刺さった。

 

「がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 非殺傷ではない本気の魔法。

 鮮血が舞って、血飛沫が荒野を彩る。

 

 全身を刃に貫かれた少年は、血反吐を吐いて膝を屈した。

 

 

「お前が歪み者になれない時点で、僕に敗北すると言う結末は決まっていた。それだけの話だ」

 

 

 その光景を見下しながら、当然の結果と吐き捨てる。

 徹底した格下殺しであるクロノに対して、ユーノが勝る理屈などは何処にもないのだ。

 

 

「……ま、まだ、だ」

 

 

 それでも、諦めない。まだ倒れる訳にはいかない。

 勝る理由などはなくとも、負ける訳にはいかないのだから、逃げる道など何処にもない。

 

 

「まだ、僕は、戦えるっ!」

 

 

 歯を食い縛って、血の混じった唾を吐く。

 震える足に力を入れて、霞む視界で敵を見る。

 

 負けられない。理由がある。

 放っておけない。相手が居る。

 示さなくてはいけない。強さがある。

 

 ならばまだ倒れない。だからまだ立ち上がる。

 そんな血塗れの少年を前にして、クロノ・ハラオウンは暗く嗤った。

 

 

「あれだけ啖呵を切ったんだ。此処で終わっては困る」

 

 

 そうとも、この程度で終わっては困る。こんな物は序の口だ。

 真実、貴様が軽んじた歪みの神髄は、この先にこそあるのだから――

 

 

「万象掌握」

 

 

 言葉と共に、ユーノの眼前にある景色が一変した。

 

 

 

 熱い。熱い。熱い。

 まず初めに感じたのはその感覚。

 

 肌を焼くような熱さ。

 肺を焼き尽くすような熱気に満ちた空気。

 眼前に迫るのは、赤き溶岩に満ちた海である。

 

 即ち、ここは――

 

 

「火山の、噴火口!?」

 

 

 今にも爆発しそうな赤を前に、咄嗟に飛翔魔法で己の体を支える。

 

 バリアジャケットは展開されている。

 防護服がある限り、溶岩そのものに突っ込まなければ耐えられるとは知っている。

 

 あらゆる環境に耐えるのが、このバリアジャケットと言う防護服。

 宇宙服の代用にもなるこの魔法なら、余程の衝撃がなければ問題はない。

 

 耐えられないのは、落ちた場合だ。

 単純な強度の問題で、焼かれ続けるなら防護服が持たないのだ。

 

 そんな熱さに耐えるユーノの真横を、青き魔弾が掠めていった。

 咄嗟に躱した魔力の弾丸は、ユーノの背後にある噴火口を刺激する。

 

 

「っ! あの野郎ぉぉぉぉっ!!」

 

 

 爆発する。吹き上がる。噴出する。

 その勢いは、その速度は、ユーノの飛翔魔法などを遥かに超えていた。

 

 

「ウイングロード! フラッシュムーブ!」

 

 

 飛行より走った方が速い。だが唯走るだけでは間に合わない。

 魔力の消費も気にせず、翼の道を足場に瞬間加速魔法を連続使用して駆け上っていく。

 

 吹き上がる炎は、それでもユーノよりは僅か早く。

 

 

「っ! あああああああっ!!」

 

 

 飲まれる直前に、ユーノは噴火口より脱出した。

 

 ぜぇ、はぁ、と荒い呼吸をしながら何とか距離を離そうとするユーノ。

 だが、クロノが彼にそんな余裕を与えるはずもなく。

 

 

「がっ!? がば、ごぼ!?」

 

 

 突然に切り替わる景観。

 熱気によって酸素不足となり、荒い呼吸を繰り返していた肺に注がれたのは大量の塩水。

 

 眼前に広がるのは、青く透き通った海の底。

 

 

(今度は深海か!? あの野郎!!)

 

 

 呼吸をしていた所為で、海水を飲んでしまったのは問題だ。

 それでも意識してバリアジャケットを切り替えれば、酸素の不足はどうにかできる。

 

 問題なのはそれではない。

 此処が深海である事、それこそが問題なのだ。

 

 

(最大の問題は水圧。ある程度なら耐えれるけど、専用の調整をしてないから深度次第では不味い)

 

 

 どれ程深い場所に落とされたのか、多少の水圧なら兎も角深度によってはバリアジャケットが持たない。

 大量の水に押し潰される形でバリアジャケットが解除されれば、結果として海に溺死体が浮かび上がる破目になる。

 

 

(そんな、死に方は御免だよ!)

 

 

 マルチタスクを走らせて、瞬時に対処法を導き出す。

 複数の思考がパニック状態となっているが、幸い同時思考数には自信がある。

 全てが思考不能になることはない。一つ二つ正常に動けば、現状把握には十二分だ。

 

 

(直接海上への移動。駄目だ。水圧変化に恐らくバリアジャケットが持たない。転移魔法の使用。駄目だ。クロノ・ハラオウンの領域内で、空間干渉は行えない)

 

 

 現状は詰んでいる。

 ならばどうすれば――

 

 

(……いや、待て、クロノはこの付近にいるのか?)

 

 

 先程の噴火口の時は魔力弾を撃ち込んで来たことから、付近に居たのだろうと分かっている。

 

 だが、ここはどうだ。先の時のように傍で確認できる安全圏などはない。

 海の底が見える以上、ここは少なくとも深度500メートルは遥かに超えているであろうことは明らかだ。

 

 クロノのバリアジャケットも、深海調査用のそれではない。

 ならばいない事に賭けて、転送魔法を使用する事こそが正答解。

 

 

(トランスポーター!!)

 

 

 思い付いた直後、ユーノは転移魔法を発動した。

 そう。全ては、黒衣の少年が目論見通りに――

 

 

「万象、掌握」

 

「っ!?」

 

 

 転送魔法の陣が歪む。その術式が狂わされている。

 術式が外部から改竄されている。プログラムが変化している。

 

 移動方陣の向かう先を、大きく書き換えられたと理解した。

 

 

(最初から、これが狙いかっ!?)

 

 

 ユーノは理解する。これこそが敵の狙いだったのだと。

 クロノはユーノから抵抗する力を奪う為に、転移術式を使わざるを得ない状況を作り上げたのだ。

 

 

(予想外だった。ここまで出来るなんて、考えられるかっ!?)

 

 

 魔法とは自然摂理や物理現象をプログラム化し、それを魔力によって書き換えると言う技術だ。

 万能の力となる可能性を持つ魔力素を体内に取り込み、それを「変化」「移動」「幻惑」させて発生する疑似科学と言っても良い。

 

 当然、その術式。プログラムは繊細にして複雑な物。

 魔力素が万能の性質を持つが故に、僅かに細部が変わるだけで結果が大きく変じてしまう。

 

 クロノは、其処に漬け込んだのだ。

 其処に干渉するだけの力を、クロノの歪みは有していたのである。

 

 

(脳内で展開されるプログラム自体の、構成式を移動させるなんて反則だろっ!?)

 

 

 詠唱・集中と言った魔法発動トリガー。

 其処に至る前の、外部に出る直前のプログラムに干渉された。

 

 そして発動を間近にして、その改竄に気付いたとてもう遅い。

 一度魔力を走らせた魔法プログラムは、今更に対処出来る物ではない。

 

 滅茶苦茶に掻き乱された術式は、消費も転移先も黒衣の意のままとなる。

 体内の魔力がごっそりと消費されて行く感覚と共に、ユーノの身体は転移していた。

 

 

(宇、宙……)

 

 

 転移した先、其処は広大な星の海。

 蒼き星を眼下に見る漆黒の中、ユーノは放り出されていた。

 

 空気がない。酸素がない。放射能に満ちている。

 とは言えバリアジャケットは次元航行船でも活動出来る様、宇宙空間にも対応できる。

 

 故に問題点は其処ではない。

 当たり前の様に対処できる事を、クロノが策とする筈がない。

 

 ならば其処には、二段目の底があるのだ。

 

 

(墜ちる)

 

 

 重力の井戸に身体が引かれる。

 放り出された空間は、地球の重力圏からは逃れられない位置だった。

 

 如何に宇宙服であるバリアジャケットでも、大気圏突入の衝撃には耐えられない。

 防護服とはそもそもそんな用途などは想定していないのだ。耐えられる道理が何処にもない。

 

 障壁の魔法を使ったとしても、一体何処まで軽減できるだろうか。

 いいやそもそも、先にごっそりと魔力を持っていかれた関係で、真面な魔法を発動させるだけの力も残っていない。

 

 

(詰みだ)

 

 

 総じて詰み。チェックメイトとなったのだ。

 クロノの策略の全てを見抜けず、彼の歪みの出来る事を把握してはいなかった。

 この戦いは始めた時点で、一度の敗北は確定していたのだと――そんな事は初めから分かっている。

 

 

(漸くチェックメイトだよ! クロノ!)

 

 

 だから詰みになったのだと、ユーノは悪童の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

3.

 激しい轟音が響いて、大地が激しく揺れる。

 まるで隕石が衝突したかのような衝撃に、地面にクレーターが生まれていた。

 

 

「これで、終わりか」

 

 

 落ちてきたユーノを見据えて、クロノは小さく鼻を鳴らす。

 クロノ・ハラオウンは未だ無傷である。ああも啖呵を切った割には大したことがない、と。

 

 煙が晴れていく。その先に、少年の姿があった。

 

 金髪の少年は、衝突の衝撃で発生したクレーターの中央に倒れている。

 最期の抵抗に張ったのだろう防御魔法は崩れ落ち、バリアジャケットは解けて消え去っている。

 第九十七管理外世界で購入したのであろう普段着の下からは、圧し折れて飛び出している骨が覗き見えていた。

 

 

「まだ、息はある、か」

 

 

 原型を留め、呼吸を保っている。それが限界だったのだろう。

 両手足はおかしな方向を向いていて、腹からはあばら骨や臓器の一部が飛び出している。

 

 防御魔法と防護服が、辛うじてその命を繋いでいたのだろう。

 それでもこの様、放置しておけば確実に死に至る状態。最早虫の息に近しいが、それでも未だにユーノは生きていた。

 

 そんな瀕死の少年へとクロノは歩みを進めていく。それは救う為に――ではない。

 

 

「……お前の事だ。これで折れることはないのだろう。……だから、悪いな」

 

 

 このまま死なずに生き延びれば、きっとこの少年はまた立ち塞がるのだろう。

 あの両面の鬼に蹂躙された後で、あれだけの啖呵を切ってみせた少年だ。この程度では折れないと、その程度には理解している。

 

 だから、ここで止めを刺すのだ。もう二度と、邪魔をされないように。

 

 

「じゃあな、ユーノ。……先に逝って待っていろ。僕もそう遠くない内にそっちに逝く」

 

 

 最後に全てを見届けよう。

 せめてこの手で直接、命を奪う感触だけは残しておこう。

 

 そう思ったクロノは青き魔力刃を手に、それが届く距離にまで近付いた。その時に――

 

 

「チェーンバインドっ!」

 

 

 意識を失った筈の少年が、その魔法を紡いでいた。

 完全に油断していたクロノは対処出来ずに、その左手に翠に輝く鎖が絡み付く。

 

 

「なっ!?」

 

 

 がしゃりと手錠を嵌める様に、翠の光が二人を繋ぐ。

 満身創痍の少年は立ち上がって、強い瞳でクロノ・ハラオウンを見詰めていた。

 

 

「……何故、だ?」

 

 

 魔力はもう切れていた筈だ。

 元々ユーノの魔力量は多くはなく、地球と言う星は彼にとって鬼門であろう。

 

 いいや魔力が残っていても、ユーノの防御魔法で耐えられる物ではない。

 宇宙空間からの落下と言う衝撃に、耐えきれるだけの魔法があって堪るものか。

 

 混乱するクロノを前に立ち上がった少年は、まるで悪童の如くニヤリと笑う。

 事此処に至る迄の多くが予想を反しても、展開だけはユーノ・スクライアの思惑通りに進んでいたのだ。

 

 

「スカさん印のカートリッジ。お前も見てただろ?」

 

「まだ、隠し持っていたのかっ!?」

 

 

 掌でユーノが弄ぶのは、既に中身の切れたカートリッジ。

 圧縮魔力を溜め込む物体から、必要に応じて魔力補給を行う道具。

 デバイスがなくても使える様に、彼の最高頭脳が作り上げた代物だ。

 

 悪路に付けられた傷を治療出来た様に、過剰な魔力があればユーノは大抵の事が出来る。

 膨大に過ぎる魔力の補給道具を隠し持っていた少年は、それで限界を超える障壁を作り出していたのである。

 

 使った魔法はハイプロテクション。其処に飛翔や重力制御を最大限にぶち込んだ。

 怪しまれない様に速度を極限まで制御して、落下直後に変身魔法を使用して重症を演じていた。

 

 それでも、無傷では居られない。

 治癒魔法を回しても治らぬ程には、身体の傷は確かに重い。

 

 だが、確かにチェックは掛けられた。

 王の駒は直ぐ目の前に、一手で届く位置にある。

 

 

「チェックメイトだ。これでお前は、もう歪みを使えないっ!」

 

「っ!?」

 

 

 じゃらりと音を立てる鎖。それが繋ぐはクロノの左手首と、ユーノの右手首。

 自身と相手を繋ぐ事。それだけで封印できるのが、クロノ・ハラオウンの持つ歪みの正体。

 

 

「お前の歪みの最大の欠点は、お前が掴んだ者を手放せないって言う事だ!」

 

 

 クロノの歪みとは、助けられない者を救いたいと言う祈りである。

 手を伸ばす事こそが彼の願いであって、掴んだ者を振り払う事など望んでいない。

 

 一度掴んだ者、助け出した相手。

 それを放り出すことなど、彼の渇望とは相反しているからこそ――

 

 

「こうしてお前の身体に触れていれば、それだけで万象掌握は無効化出来るっ!」

 

 

 零距離戦闘において、万象掌握はその力の一切を発揮することが出来ないのだ。

 

 

「気付いて、いたのか……」

 

「ああ! 僕がどれ程お前を見ていたと思っている! あの敗北に、どれ程悔しい思いをしたと思っていたんだ!!」

 

 

 全てはこの一瞬の隙を生み出す為だけに、勝機はこの先にしかなかった。

 バインドで己とクロノを繋ぎ止め、万象掌握を封じる事だけを目的としていた。

 

 その為に一度負けたのだ。

 支配を封じる為に、先ず負ける事こそ勝利条件。

 

 クロノの出来る事を見誤っていたが、そんなのは大勢に影響しない。どうあれ負けると分かっていた。

 敗北した自分に対して、油断したクロノが近付いて来る事。その一点だけに最初から賭けていたのである。

 

 そんな分の悪い賭け。賭け金全部フルベット。

 その大一番に勝利した今、互いの条件は対等となった。

 

 この今になって漸く、下らない喧嘩はその幕を開けるのだ。

 

 

「これがお前の歪み――万象掌握の弱点だ!!」

 

「っ! だが、そんなもの!!」

 

 

 この鎖こそが歪みへの対抗手段だと言うならば、それを破壊してしまえば良い。

 魔力刃を灯したS2Uを鎖に向かって振り下ろして、クロノはバインドを破壊しようとする。

 

 だがそんな真似、相対する少年が許す道理もない。

 この密着状態ならば、魔法を使うよりも拳を振るった方が早いのだ。

 

 

「知ってるかい、クロノ! これ、地球じゃチェーンデスマッチって言うんだぜ!!」

 

「何? がっ!?」

 

 

 右手で鎖を引っ張って、左の拳で殴り抜く。

 身動きできない等距離で、武器も魔法も技術も全ては意味がない。

 

 泥臭く殴り合う。それだけが今、出来る事。

 

 

「デバイスなんか、使う暇がないぞ! さあ、男らしく殴り合おうじゃないか!!」

 

「っ!? この、脳筋がっ!!」

 

「脳味噌のことで云々言われたくはないさ! 岩石頭!!」

 

 

 引き寄せたクロノの頭に頭突きをかまして、額から血を滲ませながら、ユーノは悪童の如くに嗤うのだった。

 

 

 

 

 

 殴り合う。殴り合う。殴り合う。

 互いの歯が飛び、互いの骨が折れ、互いに血飛沫が舞う。

 

 単純な近接格闘での技量は同等。

 否、ユーノの方がもう僅か上を行くだろうか。

 

 だがそんな技術差も、この距離では然したる意味がない。

 相手と腕が繋がれている現状、回避や防御の技術が介在する余地がないのだ。

 

 この殴り合いで関係するのは唯、一撃の威力とタフネス。そして意思の強さである。

 

 一撃の重さはクロノの方が上を行く。

 それも当然、彼の右手は鋼鉄の塊なのだから、その一撃は未だに体が出来上がっていないユーノの拳の比ではない。

 

 そしてタフネスもまたクロノの有利。

 彼の身体は戦闘機人のそれ。骨格レベルで弄られているそれに、未だ十に満たない少年の未熟な身体。それも体中がボロボロの状態で、及ぶはずがない。

 

 デバイスを投げ捨て、歪みを封じて、それでもクロノの方が有利である。

 そんな戦闘。そんな殴り合い。だが、そうでありながらも、戦線は拮抗している。それは何故か。

 

 

「何故、何故! 倒れない!!」

 

「はっ、馬鹿だなクロノ! 分かんないのかよ! 気付かないのかよ!!」

 

 

 そこにあるのは唯一つの要因。

 筋力でも耐久力でもない要素。

 

 即ち、それは――

 

 

「死にたがりの拳なんて、取るに足りないんだよ!!」

 

「っ!?」

 

 

 意志の強さ。そこにあるは意思の差だ。

 先を求める意思の差が、退けないという想いこそが、ユーノがクロノに勝る唯一つの要因である。

 

 

「僕が、僕が死にたがっているだと!?」

 

「違うのかよ!」

 

「違うさ!」

 

 

 認められるか。認めるものか。

 死にたがりと罵倒する言葉に、クロノは反発の意を示す。

 

 そうして振るわれた拳を受け止めて、ユーノは喝破するかの様に怒号した。

 

 

「なら、何なんだよ! 今のお前の無様さは!?」

 

「っ! うるさいんだよ! 何も知らないお前がぁっ!!」

 

「都合が悪くなればまたそれか! 言っただろう、言われないと分からないってさぁっ!! 覚えておけよ、岩石頭!!」

 

 

 互いに罵倒しながら殴り合う。否定しながら向き合い続ける。

 そこには技術などはなく、そこには異能などもなく、只々愚直な想いのぶつかり合いだけが存在していた。

 

 

(こんな、馬鹿野郎にっ)

 

 

 ぎしり、と体が軋んだ。

 処刑の刃によって付けられた傷は残っている。落下の衝撃は本物だった。

 それは例え防御魔法で凌いだとしても、治療魔法で治したとしても、完治する訳などある筈もない。

 

 全身が傷む。内臓がズレている。

 無理矢理治療した骨折が、どうもおかしな形でくっついてしまったようだ。

 

 ああ、それでも――

 

 

「負けるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 この死にたがりにだけは、負けたくない。

 負けたくないと思えるならば、どんなに辛くてもまだ戦える。

 

 

「僕はまだ戦える!」

 

 

 悲鳴を上げている体を無視して、ユーノは拳を振るう。

 今にも倒れそうな状態で歯を食い縛って、意地を貫く為に前へと踏み出す。

 

 

「だから倒れろ! 勝つのは僕だ! 死にたがって破滅しそうな馬鹿野郎に、負けてなんかいられないんだよ!!」

 

 

 ユーノの拳を受けて退きながら、それでもクロノは一歩で踏み止まった。

 負けたくないと吠える少年に対して、似た様な気持ちが芽生えていると自覚する。

 

 

(こんな、奴にっ)

 

 

 ぎしりと体が軋んだ。

 視線をユーノから動かさずに、視界の端で確認すれば右手が煙を発している。

 無理をさせ過ぎたらしい。これまでの行動で精密機械は完全に壊れてしまっている。何時動かなくなるかも分からない。

 

 それだけではない。全身が怠い。疲労が濃い。空腹と睡眠不足。三日に渡って不摂生をしたツケがここに来た。

 そしてそこに打ち込まれた拳が、駄目押しとなったようだ。もう何時倒れてしまってもおかしくない程に、その体は駄目になっている。

 

 ああ、それでも――

 

 

「負けるものかぁぁぁぁっ!」

 

 

 此処で負ける様では何も出来ない。

 こんな理想主義な弱者にだけは、負けたくなんてなかった。

 

 ならばそう、まだクロノだって戦える。

 

 

「僕はまだ戦える!」

 

 

 限界を迎えた体を意思で支えて、そしてクロノは拳を振るう。

 疲労も摩耗も関係ない。今この瞬間だけは、ただの死にたがりなままじゃない。

 

 

「だから倒れろ! 勝つのは僕だ! 愛した人達の死が無価値ではなかったのだと示す為に、命を賭けてもやるべき事がある! だから、こんなところで、こんな奴なんかに負けられないんだよ!!」

 

 

 殴り合う。殴り合う。殴り合う。

 其処に高尚な思想はなく、果たすべき理想もなく、あるのは唯の意地二つ。

 

 これは下らない喧嘩でしかない。

 

 異能が関わる高次元の戦いなどではない。

 優れた技術を持つ者同士の果たし合いなどではない。

 戦士と戦士が誇りを賭けた、対等の決闘などでは断じてない。

 

 これは下らない喧嘩でしかない。

 

 見苦しいであろう。醜いであろう。

 その技術は洗練されていない。互いに打ち合う拳で顔は膨れ上がって居て、その争いは見るに耐えぬ程に低次元。

 

 ああ、だがそれでも――

 

 

『おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 決して無価値などではない。

 

 

 

 拳を打つ度に想いを込める。打ち合う度に否定する。

 最初はその無様な有り様への想いで、ああ、けれどそれだけでは言葉は尽きる。

 

 互いに進む先が異なるなら、求める未来図が違うなら、否定の言葉はそれを否定するだけに尽きる。

 それでも罵り足りないのならば、それとは無関係の所に抱いた眼前の少年への不満を口にするだけだ。

 

 

「時空管理局の執務官。生まれも立場もエリートで、自信と力に溢れていて、何でもサラッと当たり前のように熟していく。そんなお前がっ!」

 

「唯の民間人。遺跡発掘の一族で、争い事とは無関係な筈なのに、あんな怪物達に立ち向かえる。無力な癖に意地一つで貫く姿に、まるでこっちが真面目に生きてないって思わされる。そんなお前がっ!」

 

『気に入らないんだよ! お前がっ!!』

 

 

 それは嫉妬である。それは憧憬である。

 

 隣の花は赤い。隣の芝生は青い。

 人は誰しも、自分にない物を羨ましいと思ってしまう物。

 

 その才能が羨ましい。家族が居たのが羨ましい。大切な人を失っていないことが羨ましい。その在り様が羨ましい。その意思が羨ましい。

 

 羨むということは、一面であれ相手の事を認めていなければ生じない思いである。

 

 

「クロノォォォォォォ!!」

 

「ユーノォォォォォォ!!」

 

 

 それを口にする時点で、最早虚飾は剥げている。

 ここにあるは剥き出しの意思であり、剥き出しの想いであるのだ。

 

 目的など放り出して、先の事など全て忘れて、唯目の前の相手だけを認識する。

 確かに重要な目的はある。為さねばならぬことはある。だが、それも今は関係がない。

 

 今は、今だけは――この気に食わない男を、打ち破る為だけに。

 

 

『おぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 

 

 重い音を立てて、二人の少年の拳が互いの顔面に打ち込まれる。

 クロスカウンター。互いの一撃は、確実に相手を捉えている。其処に優劣などはない。

 

 殴り飛ばされ、翠色の鎖が消え失せる。

 食い縛った身体は限界を迎えて、どちらからともなく少年は倒れた。

 

 揃って、仰向けに倒れる二人。

 ユーノもクロノも、最早一歩を動く力もない。

 

 

 

 下らない喧嘩の結末は、こうして双方の相討ちと言う形に終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ぽつぽつと雨が降り始める。

 熱を持ち過ぎた体を冷やすような冷たい雨に濡れながら、ユーノは小さく呟いた。

 

 

「……なあ、頭、冷えたか」

 

 

 動かなくなった体で、空を眺めながら口にする。

 本当はもう少し大きな声で言いたかったが、どうにも外れてしまったらしい顎は上手く動いてくれなかった。

 

 彼が思い付いた“友人”を止める為の方法。

 不器用で出鱈目で、でもそれしか思い付かなかったのだ。

 

 

「……ああ」

 

 

 それでも、そう。立ち止まらせることは出来ていた。

 内に籠った全てを吐き出して、動けない程痛め付けられて、思考しか出来なくなってしまえば嫌でも冷静さを取り戻す。

 

 此処で漸く、クロノ・ハラオウンは止まれていた。

 降り始めた雨の中に、漸く止まれた少年は空を見上げて自嘲する。

 

 

「本当は、分かっていたんだ」

 

「……」

 

「死にたがっていることも、間違っていることも、望まれていないことも、全部、全部分かっていて。……ああ、それでも」

 

 

 大切だった。愛していたのだ。

 だから立ち止まれなかった。立ち止まりたくはなかった。

 

 彼女達の下へと、そう望んでいたのは事実である。

 其処から目を逸らして、復讐をと猛っていたのは事実であった。

 

 動けなくなって、漸くにクロノはそれを認めていた。

 

 

「分かって、いたんだっ!」

 

 

 雨が強くなる。豪雨の様に強くなる。

 それはまるで涙を流せぬクロノの代わりに、誰かが泣いているようにも思えた。

 

 

「エイミィ……母さんっ」

 

 

 慟哭するかのように、クロノはその名を口にする。

 想いを全て吐き出すかのように、雨音の中で叫ぶクロノの声。

 

 それを聞きながら、ユーノは意識を手放す。

 ここで全てを吐き出せたなら、きっとクロノは大丈夫だろうと安堵していた。

 

 

 

 そうして意識を失った少年の横で、クロノ・ハラオウンは愛する人達の為に、初めての涙を流したのだった。

 

 

 

 

 

4.

 少女は暗闇の中に居た。

 闇の奥底。光の届かぬ地。上も下も、前後左右すらない場所に一人居る。

 

 知っている。分かっている。この場所を少女はとても良く知っている。

 

 

「闇の書の、中?」

 

 

 此処は闇の書の内部。其処の底の億の奥。

 

 何故ここに居るのだろうか?

 書の中に戻った筈はないのだが、と疑問を抱いて、ふと奥にあるナニカに気付いて意識を切り替えた。

 

 

「何だ、ありゃ?」

 

 

 少女は知らない。鉄槌の騎士は知らない。守護騎士達の誰もが知らない。

 闇の書とは封印だ。その奥にある永遠結晶エグザミア。それを封じる為の機構。

 

 ならば其処に居るのは、永遠を象徴する存在。

 エグザミアとは即ち、■である彼から零れ落ちた憎悪である。

 

 

「あ――」

 

 

 それに気付いて、それを認識した瞬間、少女は言葉を失った。

 

 

 

 この押し潰されるような感覚。否、押し潰されるなどという生優しい物ではない。

 溢れ出る瘴気の念が、想像を絶する程に濃く広がっている。それはまるで、この闇の書の内側を猛毒で染め上げてしまっているような異常。

 

 そう。それは明らかに別次元。

 あの叫喚地獄の主ですら、赤子にさえ見えぬ程に強大な存在。文字通り全てが隔絶してしまっている。

 

 その瞳は血涙を流しながら赤く染まり、その肌は浅黒く病的なまでに痩せ細っている。

 その髪は瞳と同様、血の様な赤き色を見せていて、絡みつくように白き双頭の蛇が巻き付いていて、その腕には死者の躯を抱き留めている超越者。

 

 それこそが――穢土の主柱。天魔・夜刀に他ならない。

 

 

「あ、ああ……」

 

 

 茫然と口を開く。声を出すつもりはないのに零れ落ちていた。

 そんな少女の無様を、神は気にする素振りすら見せず、只々譫言のように同じ言葉を繰り返している。

 

 それは必然。何故ならばここにあるは残滓に過ぎぬから。

 欠落した欠片の一部。負の念だけがこびり付いたモノだから、それは真実外界を認識してなどいない。

 

 

――許さない。認めない。消えてなるものか。

 

 

 最早その言葉に意味はない。

 嘗ての負の情を撒き散らすだけの、意味のないリフレイン。

 

 今の世界とは分断された、唯取り残された憎悪の欠片。

 それこそが闇の書の動力源であり、これこそが今、彼ら守護騎士とその主を生かす力だ。

 

 

 

 おかしいとは思わなかったのか?

 何故あんなにも簡単に、守護騎士らは魂に目覚めた。

 

 人の作りし人工物には魂など宿らぬ物。

 それが芽生える為には確かな時間か、それだけの決定的な何かが必要だ。

 そして彼らが経験した現象は切っ掛けとは成り得ても、それだけで目覚めるには不足が過ぎた。

 

 おかしいとは思わなかったのか?

 何故叫喚地獄に飲み込まれた書の主が、今尚生存しているのか。

 

 腐毒の王が加減した? 初期治療が有効だった?

 ああ確かにそれも理由の一つだろうが、それだけが全てと言う訳ではない。

 

 彼女達が魂に目覚めたのも、書の主が未だ生きているのも、全ては此処にコレが居たから。

 怒り狂い憎悪する神の残骸。永遠結晶エグザミアから流れ込む力が、彼女達に影響し続けていたのである。

 

 

「あ、ああああああああっ!?」

 

 

 入って来る。入って来る。入って来る。

 流れ込んで来るのだ。まるで水が高きから低きに流れるように、その膨大な力が注ぎ込まれる。

 

 

「ああああああああああああっ!!」

 

 

 止めてくれ、耐えられない。もう無理だ。

 鉄槌の騎士という小さな器に、大天魔すら軽々と超える程の力を注がれては壊れてしまう。

 

 それでも流れ込んでくる力に、加減などは欠片もない。

 そんな思考の余地もない結晶体は、純粋な力として彼女達を強化し続けている。

 

 

「うあああああああああああっ!!」

 

 

 自我が消えるその感覚。

 己が薄れる錯覚に、例えようがない程の恐怖を抱く。

 

 ヴィータは恥も外聞もなく、涙や鼻水を垂らし、声を上げながら逃げ出した。

 

 

 

 その背に届く。一つの言葉。

 

 

――我ら無間地獄の怒りを思い知れ。

 

 

 それに何の意味もなく、そこに何の価値もなく。

 闇の書の奥底で、その残骸は恨みの言葉を唯々漏らし続けていた。

 

 

 

 

 

「あ、あああああっ!!」

 

「ヴィータちゃん?」

 

 

 叫び声を上げながら目を覚ます。

 顔を真っ青に染めた鉄槌の騎士の姿に、湖の騎士は心配そうな表情を浮かべていた。

 

 

「あ、シャマル? ……夢、だったのか?」

 

 

 蒐集を繰り返す中、少し休めと言われて仕方なくとった仮眠。その最中での出来事であったのか、と思い至る。

 

 

「随分魘されてたみたいだけど、大丈夫なの?」

 

「あ、いや、平気だ。……ちょっと嫌な夢、見ちまってよ」

 

 

 そんなヴィータの言葉に、平気なら良かったとシャマルが胸を撫で下ろす。

 その姿を見詰めながら、しかし抱くは一つの疑問。

 

 ああ、あれは本当に唯の夢だったのだろうか?

 

 それが疑問として引っかかり、どうしようもなく気に掛った。

 

 

「なあ、シャマル?」

 

「どうしたの、ヴィータちゃん?」

 

「お前さ、変な夢、見た事ないか?」

 

「変な夢って、どんな夢かしら?」

 

「いや、その。……闇の書の奥にある。何かの夢」

 

 

 そんな風に問いかけるヴィータの言葉に、シャマルは少し考え込むように黙り込んで。

 

 

「いいえ、そんな夢は見た事もないわね。……そもそも、闇の書の奥には何もないでしょう」

 

「そっか、そうだよな」

 

 

 ワリィ、変なことを聞いた。そうシャマルに告げると、ヴィータは闇の書へと視線を移す。

 きっとあんな夢を見たのは、闇の書が完成していないから。蒐集効率の悪さを気にし過ぎて、夢にまで見てしまったのだろう。

 

 

「漸く、550頁。この調子で行けば、きっと」

 

「いや、足りねぇ」

 

 

 シャマルの楽観論を否と切り捨ててヴィータは思う。

 漸く550頁。まだ116頁残っているのだ。闇の書が記録媒体としての性質を持っている以上、集まれば集まる程稼げる頁は少なくなる。

 

 もうこれ以上集める事は、今以上に厳しくなるだろう。

 

 

「何か、別の方法を考えねぇといけないかもしんねぇな」

 

 

 そう悩みながらも、今以上に効率の良い蒐集方法などそうはない。

 だから二人の守護騎士はこれまで通り、盲目的に蒐集を続けるのであった。

 

 

 

 垣間見た夢の事など、全てを忘れて――

 

 

 

 

 

 そんな姿を、何処かで見ていた両面の鬼が嗤った。

 

 現状は天魔・宿儺の思惑通り。

 人間達も守護騎士達も、他の大天魔達ですら予想の範疇を超えていない。

 

 誰も彼も、未だこの両面の鬼の掌から抜け出せていないのだ。

 

 

 

 

 

 




天魔・宿儺「計画通り」(ニヤリ)

実は無印編の自壊法展開で割と色々やってた彼。
あれ一つで一石三鳥くらいのメリットを得ています。


ジュエルシードの仕組みは魔力素の物質化と物質の魔力素化。
それを膨大な魔力と使用者の意思で行っていたという独自設定です。
(※改訂でそのシーン丸々カットしたけど、設定は変えてません)


後、夜刀様が書けた。
それだけでテンションマックスで執筆速度が上がった作者でした。


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