リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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戦神館技は似たような効果の別物。


副題 招待状だけじゃ入れないお家。
   チート下種野郎。
   救出者は大穴。



なのは編第二話 傾城反魂香

1.

「ここか、ここになのは達が」

 

 

 海鳴市を離れた地に聳え立つ洋館。歴史を感じさせる古い佇まい。

 だが決して埃塗れているという訳ではなく、寧ろその逆。名門男爵家に相応しい格式高さが、外観からも垣間見えた。

 

 その美しい在り様は、夜の王を自称する氷村遊の拠点というには、些かおどろおどろしさに欠けている。

 

 これぞ貴族院、辰宮男爵。その娘、辰宮百合香の代を最後に途絶え、以後彼女に心奪われた男達によって維持されていた邸宅だ。

 

 

「恭也」

 

 

 高町恭也と月村忍。そしてノエルとファリン。

 共にやって来た四人は、その洋館の前に足踏みをしていた。

 

 忍の手に握られた一通の手紙。彼らの家族が囚われている写真と、この場所の地図。そして忍達を誘き出す為の言葉と罵倒が記された物。

 

 呼び出しの脅迫文。でありながら、こちらの人員を指定していない。

 何人でも好きに連れて来いという余裕が透けて見え、彼女は其処に確かな脅威を感じていた。

 

 まず間違いなく、氷村遊はこの地に何かを仕掛けている。あの超越種を気取りながらも、人間を侮ってはいない男が何の確信もなく余裕を見せるとは思えない。

 

 あの男は、一度人間と同族の前に敗れた。故にこそ、人を侮る慢心を捨てている。

 ならばこの行動は、慢心ではなく余裕の表れ。其処に何かを秘めている事は、想像するに容易い道理だ。

 

 だが、それが如何なる物であるのか分からない。

 あると分かっているけれど、其処が読めない故に恐ろしい。

 

 

「考えても無駄だろう。まずは俺が切り込む」

 

「……ええ、そうね」

 

 

 急ぎこちらに向かっている父と妹。彼らに先んじてこの場に来た恭也は、まずはその罠を見抜く為に動くべきだと判断した。

 

 それに忍も同意する。如何なる罠があるとしても、ここで立ち止まる訳にはいかないから――

 

 

 

 バンと勢いよく扉を蹴り飛ばし、恭也は刀の柄に手をかけ突入する。

 一息の呼吸の内に奥まで踏み込んで、故に彼はソレに囚われた。

 

 

「……何だ、これは?」

 

 

 磨き上げた大理石の床。その中央に敷かれた赤い絨毯。趣味の良い調度品が、館の荘厳さを引き立てる。

 そんな美しい景観をぶち壊すかのように、桃色の煙が充満していた。

 

 呼吸と共に、恭也はその甘い香りを吸い込んでしまう。

 一瞬、眼下に映るは青髪の女の微笑み。幽玄艶美なその姿。

 

 女の耽美な笑みが、一瞬で切り替わる。嘲笑う男の姿へと。

 

 

「…………」

 

 

 ぼんやりとした思考で恭也は思う。

 

 果たして自分は何をしているのか、と。

 

 そう。至高の御方で在らせられる氷村様。その邸宅に泥を塗り、あまつさえその首を取ろうなどとは許されない。たかだか身内が害された程度でそんな思いを抱く、それは余りにも不敬であろう。

 

 その不敬の罪を償う為にも、己と同じことを考えた不遜な女の首を差し出そうと、腰に携えた小太刀を鞘より抜き放ち――

 

 

「くっ!?」

 

 

 素早く手を捻って、刃を自分の足に突き刺した。

 

 激痛と共に、一瞬その支配から解き放たれる。

 桃色の靄に霞んだ思考を振り払い、残る片足で後方へと跳躍する。

 

 この誘惑の香が、届かぬ場所まで。

 

 

「恭也!」

 

「扉に近付くな、忍! 近付けば質の悪い洗脳を受けるぞ!!」

 

 

 突然の行為に驚愕の声を上げる忍に、恭也は端的に言葉を返す。

 館中に満ちる桃色の煙は、人の心を搔き乱して狂わせる魔性の香り。

 

 

「この煙。麻薬? それも阿片とかと同じ、吸引するだけで影響される物!?」

 

「さあ、な。……だが、真面な物じゃないだろうさ」

 

 

 元の位置へと立ち戻り、推測を言葉にして交わす。

 荘厳なりし貴族の豪邸は、嘲笑う男の手によって、阿片窟へと変わっていた。

 

 

 

 傾城反魂香。

 それは特殊な秘術やオカルトに属する力、ではない。

 辰宮百合香という女が後世に残した秘薬。吸えば誰もを跪かせる麻薬である。

 

 かつて辰宮の家にはある迷信があった。

 子を為す際に先祖代々受け継がれた秘薬を持って行為を行う。そうすることでより優れた子を産み落とすことが出来るという考え方。

 

 実際に、何か意味があった訳ではない。

 代を重ねた貴族が、薬物を利用した情事に魅入られた。それだけの話だ。

 

 恥ずべき汚点。貴族に相応しくない行為。

 それを隠す為に、そして行為を正当化する為に作り上げた愚かな家訓に他ならない。

 

 だが、男爵家に生きる者達は信心深くそれを信じ、守り続けた。

 その家訓の生まれた理由を知らず、大正の世に時代が移ってもなお、信じていたのだ。

 

 そんな愚行の果てに、辰宮百合香という女は生まれた。

 行為の際に使われた秘薬。生まれた時から媚薬漬けだった女は、その体臭や吐く息さえ媚薬と同じ物となっていた。

 

 故に傾城。正に傾国。

 彼女はそこにあるだけで、あらゆる全てを狂わせる。

 

 そんな女と共にある者は皆、誰もが彼女に跪いた。

 

 同じ空間で呼吸をするだけで、皆虜となる。

 薬に溺れ、恋に溺れ、誰も彼もが盲信する。

 

 彼女はそれを犬と案山子と嘲笑った。

 

 己の思うようにしかならぬ現実を、己の思うようにはならぬ現実を、とても軽い物だと思い続けた。

 

 そんな思いを打ち崩してくれる男はおらず、そんな彼女を守り続ける男もおらず、ただ自身を盲信する己の形に閉じた者達に囲まれて、彼女は子も為さずに生を終えた。

 

 

 

 そんな彼女が残した物がある。

 それこそが秘薬。それこそが傾城反魂香。

 

 自身と同じ体質に他者を変えてしまう薬。己の虜となった男達に、自分の体や辰宮の秘薬を研究させてまで作らせた傾城反魂香。

 

 さて、そんな秘薬を、果たして彼女は何を思って生み出したのか。

 

 

 

 この秘薬を巡り、争いが起こった。

 誰もが辰宮百合香のように、他者を魅了する力を欲しがった。

 

 秘薬を手にした者は、誰もが恐れ使えなかった。

 辰宮百合香のように、己に閉じた者しかいない現実に取り残されることを恐れた。

 

 そんな中、これを手にした氷村遊は躊躇いもせずに飲み干した。

 家畜にしては良い物を作り上げた。そう笑って飲み干した。

 

 

 

 そして彼は魅了の毒と化した己の体液から香を作り上げると、その薬毒をもって辰宮邸を染め上げた。

 煙を逃がさないように、煙で充満するように、この邸宅を基本構造から作り変えた。

 

 故にこれは氷村遊の傾城反魂香。

 阿片窟と化した辰宮邸は、最早生物の踏み込めぬ地獄である。

 

 

「呼吸してはいけない以上、私達は入れないわね。ノエル! ファリン!」

 

「はっ」

 

「は、はいい」

 

 

 この地獄に踏み出せるのは、人では無い者達のみ。

 氷村遊と戦うことが出来るのは、エーアリヒカイト姉妹のみである。

 

 

 

 悔しそうに歯噛みする恭也の前で、不安に震える体を己の意志で抑える忍の前で、ノエルとファリンは辰宮邸へと踏み込んだ。

 

 

 

 

 

「まあ、そう考えるのが当然だ」

 

 

 外部を移す監視カメラのモニターにて、全てを眺めていた氷村遊は笑う。

 窓の傍に置かれた豪奢な椅子に腰かけて、頬杖を突きながら彼女らの奮闘を見下している。

 

 彼が腰掛ける椅子の周囲には、侍女服の乙女達。

 熱に浮かされた瞳で主を見るその姿。真実それは他者愛ではなく、閉じた理想を見る自己愛でしかない。

 

 氷村が欲しいと思った時に、血を差し出す為だけに生かされている。彼女達は所詮、家畜の群れ。

 

 離れた場所には子供達。その周囲を黒服の男とイレイン達に囲まれている。

 拘束こそされていないが、皆意識を失っている。うるさく目障りだったから、そんな理由で少女達は気絶させられた。

 

 そんな少女らに香の効果は見られない。それはこの部屋には香が焚かれていない為、そして氷村が意図的に距離を離している為だ。

 

 数人ほどの人間で実験した結果。彼はこの香が人に影響を与える詳細な条件を熟知している。ある程度離れておけば、一日二日では相手を染め上げることは出来ないと知っている。

 

 染め上げないのは、それではつまらないから。

 結果の見えた遊興だけでは、暇つぶしにもならないだろう。

 

 

「そう。結果は見えているんだよ。一族に手を出した家畜の男。そしてそんな男に股を開いた売女。一族の面汚し共め」

 

 

 氷村遊は暗躍していた。己に敵対する可能性のある全ての人間を調べ上げていたのだ。

 故に知っている。己の傾城反魂香に抗えるのは、エーアリヒカイト姉妹というたった二体の人形しかないと。

 

 

「安二郎は、アレはアレで良い働きをしたよ。お蔭で五十を超える人形を用意出来た」

 

 

 そして、彼女らだけでは突破は不可能だ。

 イレインを元にした量産型が五十と少し。この辰宮邸のいたる所に配されている。

 

 たった二体の、それも旧式の人形では突破など出来るはずもない。

 

 

「だが、それでは些かつまらない」

 

 

 結果の決まった道楽に、果たして何の愉悦があるか。

 精々どの様な表情を浮かべて壊れるか、酒の肴になる程度だ。

 

 故に――

 

 

「この子達で遊んで、無聊を慰めるとしよう」

 

 

 囚われた子供たち。その絆を踏み躙って暇を潰そう。

 氷村遊は、その赤い瞳で眠る少女達を見下ろし、嗤った。

 

 

 

 

 

2.

「あれ、ここは」

 

「やあ、やっと起きたかい、すずか?」

 

「っ!? 氷村、叔父さん」

 

 

 目を覚ました月村すずかは、目覚め直後のぼんやりした思考から、忌むべき親族の声を聞いた所で自分が置かれている状況を思い出す。

 

 捕らえられた。友達が傷付けられる光景を前に、意志を折られた。

 そんな状況を思い出して青褪めるすずかに、氷村遊は優しげな微笑みを向ける。

 

 

「君の身体は、大切な物だからね。思わず手を上げてしまったけれど、異常はなさそうで良かったよ」

 

 

 次々と少女達が目を覚まし、そして現状を理解して表情を変える。

 

 そんな少女達を眺める氷村は微笑みを浮かべている。

 だが、それが正の意味ではないことは、すずかにも良く分かった。

 

 目が笑っていない。見下している。

 張り付いた笑みには、温かさが欠落していた。

 

 

「しかし、すずかも一族としての意識があるようで大変結構」

 

「何を、言っているんですか?」

 

「その下等種のことだよ。態々身近に侍らせるんだ。非常食以外の意味などありはしないだろう?」

 

 

 そんな言葉は、気持ちが悪い。

 己の価値観を押し付けて来る男に、すずかは素直にそう思う。

 

 

「ああ、その点でも済まなかったね。折角の非常食を、僕が台無しにしてしまう所だった。非礼を詫びるよ」

 

 

 高みより見下す声に、謝罪の色などまるで見えない。

 彼は真実詫びているのではなく、すずかの嫌悪を隠せぬ表情を見下して嗤っているのだから。

 

 

 

 月村すずかは己の血を嫌っている。

 

 夜の一族。選ばれし者。人間の上位種。

 何だそれは下らない。人より長い寿命も、人より優れた身体能力も、整った容姿も、血を吸わねば生きられないという体質も、全てが疎ましいと思っている。

 

 血を吸わねば生きられぬ我が身。それは寄生生物と何が異なるのか。

 血に保障された美貌。そこに一体何の価値があるというのか。

 

 人より優れた身体能力の所為で、全力を出せたことなど数えるほどしかなく、いつも不完全燃焼。燻ぶった感情を胸に宿している。

 人間よりも長生きできる命なんて、友人達に置いて行かれてしまうだけではないか。

 

 そんな血を嫌っている。そんな血の所為で友人からも一歩引いてしまう。

 月村すずかにとって、夜の一族であることは、コンプレックスでしかない。

 

 そんな風に思考していると気付いているからこそ、氷村遊は歪に嗤う。

 

 

「その表情。どうやら家畜に情を移してしまったようだね。……いけないな。御飯事で遊ぶことを許されるのは子供の特権だが、それと現実を混ぜてはいけない」

 

 

 月村すずかは、次代の為の胎盤だ。故にこそ其処に価値が生まれている。其処にしか、彼は価値を認めていない。

 

 家畜の穢れた種を受けた忍とさくらは論外。残る一族の中で、数少ない純血種の少女。故にこそ、月村すずかだけは残しておく必要がある。

 

 だが、それだけだ。

 

 

「それは家畜だ。それは人間と言う名の劣等種だ。僕ら夜の一族にとって、餌でしかない」

 

 

 必要なのは、胎盤だけ。子宮とそれに付随する機能。極論、胴体と頭部だけ残っていればそれで良い。

 

 手足なんて必要ないし、それ以上に心も感情も不要である。

 だからこそ一時の楽しみを優先して、彼女の心を圧し折らんとしているのだ。

 

 

「それを理解するんだ。すずか。……君では、家畜の友人にはなれないよ」

 

「っ!」

 

 

 それは、心のどこかで思っていた事。

 人間と違う生き物が、どうして友になれると言うのか。

 

 それを明かせぬ月村すずかは、氷村遊の笑みに震えた。

 

 

「……さっきから、あんた何なん? 下等種とか、家畜とか、夜の一族とか、訳の分からんことばっかりや」

 

 

 車椅子を失い、殴られ続けた結果、身動きすらまともに出来ない八神はやて。

 頬を腫らした少女が疑問を零すが、返る視線は冷たい物。子供の疑問に答える程度の器すら、外道の内には存在しない。

 

 

「発言を許した覚えはないぞ、下等種」

 

 

 彼の声に従い、周囲を囲んでいた男達がはやてに迫る。

 

 思わず、ひっと怯える声を漏らす少女。

 彼らに暴行を振るわれたことが、幼い少女には傷として残っていた。

 

 

「や、やめなさいよ!」

 

 

 金髪の勝気な少女は、怯えながらも割って入る。

 男達に囲まれ、頭を屈めて震えるはやてを抱きしめ、守るようにその背を見せる。

 

 そんな震える二人の姿に溜飲を下げて、氷村は笑みを浮かべて口にした。

 

 

「……しかし下等種相手とは言え説明は必要かな? すずかはまだ自分の素性を話していないようだしね」

 

「あ、やめ」

 

 

 流す視線ですずかを見詰めて、さあ壊してやろうと笑みを歪める。

 少女が隠し続けていた秘密を暴いて、その絆を踏み躙る為に言葉を語る。

 

 

「僕らは夜の一族。お前達の頂点に立つべき超越種。解り易く言えば、吸血鬼という奴だよ」

 

 

 止めようとした少女の抵抗も虚しく、その事実は明かされる。

 すずかの素性が明かされる。そんな言葉が、皆の前で確かに語られた。

 

 

「……な、何を言って?」

 

 

 そんな荒唐無稽な言葉に、アリサは疑問を口にする。

 

 恐れるように震えるすずかの姿に、それが偽りではないと分かってなお、吸血鬼などという生き物への実感は湧かない。

 

 それは架空の生き物だろう。御伽噺の化け物だろう。

 現実にある筈がないと言う。そんな当たり前の反応を前に。

 

 

「そうだね。口で言っても分からないだろうし、実演を見せてあげよう」

 

 

 氷村遊は、微笑みを浮かべてそう告げた。

 

 男が軽く合図をすると、選ばれた女は歓喜を浮かべる。

 手招きされた侍女の一人が、陶酔した表情を浮かべて彼に縋りついた。

 

 絡み付く肉体は、煽情的な物。熱に浮かされた表情で抱き着く女を抱き返して、氷村遊はその鋭い牙が並んだ口を大きく開いた。

 

 噛みつき、そして血を吸う。

 それは悍ましくも、官能に満ちた光景。

 

 ごくり、ごくりと吸われる度に、女はやせ細っていく。

 艶やかでありながら清らかな乙女の肌は、その瑞々しさを失っていく。

 

 肉は削ぎ落ち、皮と骨だけになっても吸血は終わらない。

 喘ぐ声が断末魔の悲鳴と変わって、それでも捕食は止まらない。

 

 枯れ果てた木乃伊の骨を噛み砕く、女の髪と皮を貪り喰らう。

 その姿は吸血鬼と語る事すら憚れる程に、余りに悍ましい化生の物。

 

 

「ふう。やはり食事は生娘に限るね。他の物とは味が違う」

 

 

 食事を終えた氷室は、微笑みながら椅子に背を預ける。

 そんな彼の保存食たちは、陶酔した表情で彼の口元を拭っている。

 

 床に落ちたのは、全てを吸い尽くされた女の服。

 同じ末路が待っているのに、仕える女達は表情を一切変えていない。

 

 何故なら、彼女達は己に閉じているから。

 自己しか見えていない女にとって、それは幸福以外の何物でもない。

 

 悍ましかった。

 それが何よりも、恐ろしいと感じていた。

 

 怯えた表情で、あるいは嘔吐を堪えるような表情で、少女達は氷村を見る。

 そんな彼女らの視線に、男は悠然とした笑みを浮かべて、揺るがない。

 

 

「そう。これが吸血鬼。僕達、夜の一族だ」

 

 

 お前達の横にいる月村すずかも同じ物だぞ、と氷村は告げた。

 

 誰が信じる物かと言えるだろうか、誰がその言葉を否定するだろうか。

 

 黙り込んでしまった少女こそが、何よりその言葉を肯定している。

 ごくりと唾を飲み干して、その滴る血が美味しそうだと思ってしまった少女は、他の誰よりも感性がかけ離れていた。

 

 その羨ましそうに男を見た姿を、友人達に見られてしまう。

 相容れぬ感性を持つ事に気付かれて、向けられるのは恐怖の視線。

 

 

「化け、物……」

 

「っ!?」

 

 

 言葉が漏れる。その視線の主ははやて。

 幼く傷付いた少女は、その目をすずかと氷村。その双方へと向けている。

 

 彼女を抱きしめる金髪の少女も震えている。

 あっさりと奪われた命に、目の前で起きた異常に普段の勝気を見せることも出来ていない。

 

 

「あ、あ……。私」

 

「そうだよ。すずか。僕達は化け物だ。そういう目で見られることを誇るんだよ」

 

 

 教え諭す男は笑みを浮かべて、拒絶された少女を見る。

 

 人間の少女達がすずかに対しどれだけ好意を抱いていようと、極限状態でそれを示せる子供などはそうはいない。

 

 こうなることは氷村の予想通り。

 今日が初対面という少女も居たお蔭で、随分と上手く進んでくれた。

 

 なら後一押し。決定的な拒絶の言葉を少女達に言わせれば良い。

 追い詰められた月村すずかは、少し背を押してやればそれだけで良い。

 

 きっと彼女自身の意志で、友を吸い殺そうとしてくれるだろう。

 

 そうすれば最後、彼女は下等種を同格と見ることは二度となくなる。誉ある新たな一族の誕生だ。

 

 

「違うよ」

 

 

 歓喜してその瞬間を待つ氷村に、冷や水が掛けられた。

 

 

「すずかちゃんは、貴方とは違う」

 

「何?」

 

 

 彼女の存在こそが予想外。人死に慣れていない少女達だからこそ、こうして場の雰囲気に流されるのだ。

 

 ならば必然。幾度となく死を間近に見て、そしてこれ以上の鉄火場を乗り越えてきた少女が居れば、その目論見は砕け散る。

 

 

「すずかちゃんは私の友達だもん! 生まれも種族の違いも関係ない! 私達の絆だけはそんな物では崩れないって信じている!!」

 

 

――四人揃って、何があろうとそれだけは変わらない、って信じている。

 

 

 かつて聞いたその言葉。それは負い目を隠していた月村すずかの、偽らざる本音だと理解している。ならばきっと、この男と月村すずかは絶対に違うモノ。

 

 だから――

 

 

「私はすずかちゃんの友達だ! すずかちゃんがどう見ていたって、それだけは、変わらないんだから!!」

 

「なのは、ちゃん」

 

 

 高町なのはの宣言に、場の誰もが心を動かされる。

 

 涙に滲んだ瞳でなのはを見詰めるすずかの姿。

 その姿に、ああそうねと勝気な少女も立ち上がる。

 

 

「全く、そんなことを忘れてるなんて、私らしくもない」

 

 

 怯えから震えて、友達を怖がる?

 そんなのはアリサ・バニングスには相応しくない。

 

 

(全く、いつもぽやぽやしている癖に、本当に大切な場所だけは見誤らないんだから)

 

 

 何処か笑う様に、己の親友を心の内で称える。

 感じた想いを確かにして、彼女も此処に宣言する。

 

 

「そうよ。すずかは私の親友! 紛れもない親友なんだから! 胡散臭い言葉で割って入んな、糞野郎!!」

 

「アリサ、ちゃん」

 

 

 そう二人の熱に当てられる。

 一人の少女の思いも、此処に変わる。

 

 

「……私は、まだ怖い」

 

 

 怖い。怖い。怖い。

 恐ろしいと言う感情は染み付いて、悍ましいと想ってしまう。

 

 今日会ったばかりの相手が血を吸う怪物だと知って、それを受け入れられる程に彼女を知っていないから、もしかしたらと思ってしまう。

 

 

「けどな、ずっと一緒におるなのはちゃんやアリサちゃんがこう言うんや。なら、すずかちゃんはそうなんよ」

 

 

 だけど、自分がそう感じてしまうのは、知らないから。

 それが分かって、だから知っている人達が彼女を受け入れた。それこそ一つの指針となるのだ。

 

 

「私も信じる。すずかちゃんを信じとる、なのはちゃんやアリサちゃんを信じる。二人に信じられとるすずかちゃん自身を信じるんや!」

 

「はやてちゃん」

 

 

 少女達の想いに、すずかは感涙する。

 ああ、ああ、自分は受け入れられているのだ、と。

 

 怪物でしかない。化外にしかなれない。

 そんな血を吸う化け物でも、こうして居場所はあるのだと。

 

 

 

 そんな少女達の姿を見下ろして――

 

 

「詰まらないな」

 

 

 舌打ちと共に、氷村は吐き捨てた。

 

 

「僕はそんなメロドラマが見たい訳ではないんだよ。……もっとドロドロした争いを演出して欲しいね」

 

 

 この冷血なる男には、そんな少女達の想いすら三文芝居にしか見えない。

 故に、その赤い瞳がより鮮やかに輝き、そんな光景を崩さんと力を見せた。

 

 

「あ、駄目! あの人を見ないで!?」

 

 

 月村すずかは悲鳴を上げる。その瞳の意味を知っている。

 その赤き瞳は、夜の一族の純血種が持つ力。氷村遊の持つ魅了の魔眼。

 

 

「え? あ」

 

 

 その瞳が射抜くのはアリサ・バニングスという少女。

 金髪の少女は、赤い瞳に魅られた瞬間、体の制御が奪われたことを理解した。

 

 

「傾城反魂香では威力を調節出来ないからね。魅了の魔眼を使わせてもらったよ。……意識を奪わないように、口だけは動くようにしてあるんだけど、気分はどうだい?」

 

「な、何よ、これ!?」

 

「言っただろう? 魅了の魔眼だと。こっちは反魂香ほどに強くはないが、色々と調節出来るのが強みでね」

 

 

 強い意思があれば打ち破れる程度。目を合わせなければ使えない程度の力。

 嘗ては鷹城唯子に破られて、余りの馬鹿馬鹿しさ故に、致命的な隙となった物。

 

 だが、それでもある程度の役には立つ。

 あれとて、相原真一郎と言う予想外の要素があればこそ成立した事。

 

 幼い少女の意思だけでは、どれほど強く思った所で抜け出すことなど出来はしない。

 

 

「さあ、愁嘆場を続けよう。題して友の裏切り。金の少女は二人の友を嬲り殺し、その後に己が所業を悔やんで自決する。ああ、面白いとは思わないかい?」

 

「あ、逃げ!」

 

「アリサちゃん! はやてちゃん!!」

 

 

 小さな手で、今まで守っていた少女の首を絞め始めるアリサ。

 呼吸を止められ、足が動かぬ為に抵抗すら出来ないはやて。

 

 そんな二人を必死に止めようと、すずかはアリサに縋り付く。

 だが魔眼によって脳のリミッターを無理矢理外された少女は、夜の一族の膂力を持ってしても止めることが出来ない。

 

 そして、そのまま訪れるべき結末へと――

 

 

「レストリクトロック」

 

 

 辿り着く事など、あり得ない。

 

 桜色の輪が、少女の動きを捕え破局を退けた。

 氷村遊の企みは、またも太陽の少女に打ち破られる。

 

 

「なのは、ちゃん?」

 

 

 白き衣を纏った姿に、誰もが目を見開いた。

 

 何故、と。それは何、と。

 桜色の輝きに包まれる少女を、誰もが驚愕の視線で見詰めていた。

 

 

「私、魔法少女だから!」

 

 

 そんな軽い返しをなのはがする。

 胸中で湧き上がる嫌な予感を押し込みながら、なのはは氷村遊を見上げた。

 

 まだ、勝機は見つからない。決定的な隙を見つけた訳ではない。

 それでも、もう黙ってはいられない。そんな衝動で、確かに立ち上がった魔法少女。

 

 

「何だそれ? 見たことがないぞ!?」

 

 

 そんな少女が見上げる黒い太陽は、歓喜の笑みを浮かべていた。

 

 

「霊力や妖力とも違う力。何だそれは、知らないぞ! なあおい、下等種。それは何だ!?」

 

 

 氷村は真実、喜んでいる。少女の見せた未知なる力に。

 摩訶不思議な力の波動に、力を求める男は焦がれている。

 

 

「さあ、僕にもっとそれを見せてみろ!!」

 

 

 彼はかつて相川真一郎らに敗れた。

 故に彼らを認めたのか? 否。否である。

 

 だが事実として彼は敗れた。

 ならばそこには理由があったのだろう。

 

 あの日の敗北理由は、真一郎と唯子の二人が見せた痴話喧嘩。

 それに隙を見せた瞬間に、異母兄妹であった綺堂さくらに殴り倒されたと言う無様に過ぎる結末だ。

 

 殴り飛ばされて、支配能力を解除させられる。

 結果として操る下等種に反旗を翻され、捨て台詞と共に逃げ出すと言う無様。

 

 そんな結果を認められなかった氷村遊は、故に己の記憶を書き換えた。

 現実から逃避して、都合の良い理由を勝手に妄想する。そんな小物がこの男である。

 

 倒されたのは、彼らには己に勝る部分があったから。だが頑なに自身が劣等種に劣るとは思わない氷村は、彼ら自身ではなく彼らの用いた技術にこそ自身を上回る秘密が隠されていると妄想した。

 

 故に蒐集を始める。優れた技術。連綿と受け継がれる力。

 それらはこの僕の為にある物だろうと、それらがあれば、もうあんな無様には至らないと。

 

 その輝きをよこせ。

 その力を振るって良いのは僕だけだ。

 

 羊の毛を刈りコートにするように。

 牛の乳を搾り料理の材料にするように。

 

 人の生み出した技術を、その飼い主が貰い受けるは当然の権利。

 

 だから見せろ。

 だからもっと教えろ。

 

 そんな氷村の言葉に対し――

 

 

「べー!」

 

 

 なのははあっかんべして背を向けた。

 

 氷村の前に侍るイレイン達を、友達を守りながら倒せるとは思わない。

 同時に黒い太陽の如き気配を放つ氷村に、真っ向から勝てるとも思っていない。

 

 だけど、あんな男の思い通りには動きたくないから――

 

 

「ディバインシューターッ!」

 

 

 非殺傷の魔法で周囲の男達を吹き飛ばし、友達の手を取り扉へ向かう。

 

 

「すずかちゃん!」

 

「うん。はやてちゃんは任せて!」

 

 

 魔法で拘束したアリサの手を引き走るなのは。

 はやてを背負い彼女に続くすずか。彼女達が目指すのは、この場からの脱出だ。

 

 

「ディバインバスター!」

 

 

 殺傷設定の魔法が扉を破壊する。

 その光景に、そんなことも出来るのかと氷村は関心した表情を浮かべている。

 

 其処に、逃げられると言う焦燥感は欠片もない。

 そもそも、逃げる事など不可能だと知っているから、氷村遊は動かない。

 

 

「あ、れ……?」

 

 

 扉を壊すと同時に入り込んで来た桃色の香を、なのはは吸い込んでしまった。

 膝が動かなくなって崩れ落ち、少女達は何も出来ずに此処に倒れる。

 

 この邸宅は氷村達の居た一室を除いて、全て傾城反魂香で満たされている。人が立ち入ることが出来ない、阿片窟へと変わっていたのだ。

 

 なのはが逃亡を望むのなら、扉ではなく氷村の背にある窓を目指さなくてはいけなかった。死中にこそ活はあった。死中にしか活はなかったのだ。

 

 

「気軽に吸えよ。己の形に閉じると良い。そして僕の名を称え続けるんだ」

 

 

 そう悪意に満ちた笑みで氷村は語る。

 崩れ落ちた少女達を見下しながら、椅子に腰掛け嗤っている。

 

 

「それだけが、僕がお前達家畜に許す、唯一つの行いなのだから」

 

 

 傾城反魂香は超えられない。魅了の毒は崩せない。

 敵意を示す事も出来ずに、彼女の戦いは敗北と言う結果に終わるのだ。

 

 

「私、は……」

 

 

 何かしなくてはいけないのに、何をすべきかも思い出せない。

 桃色の香を吸い込んだなのはは、その歪みによって高められた魂故にこの猛毒に耐えているが、それでもそう長くは持たないだろう。

 

 

「さあ、お前たち。その下等種を捕えろ」

 

 

 身動き取れず倒れそうになっている少女達。

 彼女らを捕縛するように、氷村は男達に指示を出す。

 

 黒服の男の手が延びる。

 その腕がなのは達を捕えようとしている。

 

 

「すずかの手足は切り落としておけ。他の下等種は、そうだな。その変異種以外は要らないから、好きに壊して良いぞ」

 

 

 さあ、捕えたらまずどうするべきか。

 あの桜色の輝きは気にかかる。体を開いて中を見れば分かるだろうか?

 いや、折角の貴重な素体だ。適当に下等種同士を番わせて、数を増やしてから捌くべきか。

 

 取らぬ狸で皮算用をするかのように、氷村はその使い道を考えて――突如入って来た影が、男達を叩きのめした。

 

 

 

 その女の姿に、絶句する。

 何故、お前がと氷村遊は目を見開いて。

 

 

「あれー。体が勝手に動きますぅぅぅ!?」

 

「……ファリン・綺堂・エーアリヒカイトだと!?」

 

 

 機械の乙女が、其処に居た。

 

 

 

 

 

3.

 誰もがそれを意識していなかった。

 その情報を知っていても、大した障害にはならぬと氷村遊は考えていた。

 

 ファリン・綺堂・エーアリヒカイト。

 

 月村すずかの侍女であるその自動人形は、自動人形と呼ぶのがお粗末になるほど出来が悪い物だった。

 

 電子の頭脳と記憶回路を持つのに、何故か物事を忘却する。

 姿勢制御のバランサーが組み込まれているはずなのに、いつも転んでばかりいる。

 

 故に氷村はファリンを出来損ないと判断した。

 所詮廃品をリサイクルした物。中枢に致命的な破損が残っていたのだろう。

 

 使えぬ塵。役に立たない屑である。

 見るべき場所すらない、屑鉄の塊でしかない。

 

 それがファリン・綺堂・エーアリヒカイトだと。

 

 

「あわわわわ!? 身体が止まりませぇぇぇん!!」

 

 

 だがそれが、何故ここにいる?

 あんな塵が、何故ここまで来れるのだ?

 

 この屋敷には無数のイレインが控えていて、こんな出来損ないがここまで来れるはずはない。

 

 事実。ノエル・綺堂・エーアリヒカイトは未だ一階付近で戦闘を続けている。

 既に片手を捥がれ、自身に倍するイレインを同時に相手取り追い詰められている。

 

 だというのに、ノエルに劣るファリンだけが何故、ここにいるのか。

 

 二手に分かれ、偶然敵がいない道を来た?

 否、この館にそんな都合の良いルートは存在しない。

 優れた知能を持つ氷村自身が作り上げた防衛拠点だ。そこに欠落などあるはずもない。

 

 ならば、可能性は唯一つ。

 

 

「突破したというのか? 欠陥品がイレイン達の守りを?」

 

 

 男達を殴り飛ばして少女達を解放したファリンは、その内の一人の前に跪く。

 

 

「これを使え、少しは楽になるぞ。――って今度は口が勝手に動きましたー!?」

 

 

 ファリンが手にした酸素ボンベを差し出す。

 傾城反魂香が呼吸することで効果を発揮するなら、酸素を吸わせて薄めることは出来る筈だ。そういう思考で、彼女はそれを持たされた。

 

 忍が万が一の為に用意していた物の中に、酸素ボンベがあったのは偶然だ。

 だがそれが役に立つ。要救助者の人数分はないが、一つずつ機械人形達に持たせたのだ。

 

 それをファリンは、月村すずかではない少女に用いる。

 

 否、その女はファリンではない。

 

 

「あ」

 

「案ずるな。月村すずかや他の小娘に興味はないが、お前だけは私が守ってやる。――だ、駄目ですよぉぉ! すずかお嬢様に何かあったら私が怒られて――ああ、もう煩いんだよファリン! お前は黙って私に任せていろ!!」

 

 

 意識が戻って来る中で、なのははその声の正体に気付いた。

 

 忘れないと誓った。覚えていると約束したのだ。

 だから彼女の事を、高町なのはは確かに覚えている。

 

 

「イレイン、さん」

 

「ああ」

 

 

 くしゃりと少女の髪を撫でて、イレインはその前に立ち上がる。

 

 やれ、という男の指示に従い、襲い来るかつての同型機。

 その無数の腕から放たれる刃。絶殺を告げるその凶刃を前に、しかし女は怯むこともなく。

 

 振るわれた刃を躱し、その腕を掴む。掴んだイレインを盾にし、続くイレインの刃を防ぐ。関節を抑え、力尽くで腕を捥ぎ取ると、奪った刃を後に続いたイレインの頭部に突き刺して破壊した。

 

 

「さぁて、これで残るは三体だ。後がないな、元雇い主」

 

 

 壊れた人形の上に立ち、女は確かに笑みを浮かべる。

 戦闘人形イレインは、唯一人の為に此処に居た。

 

 

「……人形風情が、良く吠える」

 

「そうだな。だが、その人形風情にお前は負けるんだよ」

 

 

 氷村遊は彼女の逆鱗に触れた。

 

 その少女だけは覚えていると言ったのだ。

 覚えていてくれるのは、その少女だけなのだ。

 

 ならばここで、その少女をこんな下らない男にくれてやる訳にはいかない。

 

 

「お前はここで死ね、氷村遊!」

 

「思い上がったな! 出来損ないがぁっ!!」

 

 

 夜の王を前に、機械の乙女は立ち塞がる。

 守るべき少女を背に、己の意志を貫くために――

 

 

 

 

 

 

 




この世界のお嬢は、鳴滝にもくらなくんにも狩摩にも会えなかったハードルート。
彼女が何故、傾城反魂香を作らせたのか、それは作者にも分かりません。


ちなみにこの氷村さん。凄い盛られてます。
具体的にはその性能を知ったベイ中尉が「そうだよ、吸血鬼ってそういうもんだよ!」と物凄い喜ぶレベルの魔改造が施されております。小悪党の屑野郎だけど。


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