リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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フローエ・ヴァイナハテンッ!
受け取るが良い。天狗道の射干に用意させた、卿らへのクリスマスプレゼントだッ!


【番外編予告】THE DARK SIDE ERIO

1.

 その一撃は、酷く響いた。強く強く響いたのは、決して肉体などではない。魔人の肉体にとって、この程度の衝撃など痛みにならない。

 なら、何が痛む。叫びたい程に痛いのは、一体何だ。一体どうして、こんなにも泣き出しそうになっているのか。決まっている。その瞳が、示していた。

 

 

「先生直伝――繋がれぬ拳(アンチェインナックル)!」 

 

 

 見上げる空に浮かんだ星。多くの人々に救われて、拳を振るう敵を見る。その討つべき反身の瞳は、確かに輝かしい光を持つ。

 その瞳が憤怒や憎悪を抱いていれば、ああ確かに言い訳出来た。その瞳に浮かんだ色が、軽蔑ならばまだ良かったのだ。だが、それだけはいけない。それだけは、許容出来なかった。

 

 それでも、見詰める瞳に何も返せない。母の形見を奪った敵に、救いたいと願った人を殺した敵に、それでも彼が示した色はそれだったのだ。

 

 

「何となく、分かったよ。……お前はお前で、可哀想な奴だったんだな。エリオ」

 

 

 彼は許した。その瞬間に、彼は確かに許したのだ。故郷を焼いて、形見を奪って、救うべき人を殺した。そんな敵を受け入れたのだ。

 その瞬間に膨れ上がる。掻き毟りたい程の憎悪が、吐き出したい程の嫌悪が、どうしようもならない激情が爆発する様に吹き出して――そして、一瞬で鎮火した。

 

 気付いてしまったのは、その言葉に何も言い返せないと言う事実。何故ならば彼自身が、誰より己の境遇を嘆いている。

 どうして、何で、こんな目に。だから憎んで恨んで、殺す事で違う価値をと。そんな彼に許されてしまえば、それこそ何を言えると言うのか。

 

 

「は、はは、ははははは」

 

 

 笑うしかなかった。嗤うしかなかった。哂うしか出来なかった。乾いた声で嗤いながら、赤き悪魔は落ちていく。

 底へ、底へ、底へ。重力の渦に引かれて落ちる。彼と違って何もないから、助けてくれる人なんて何処にも居ない。

 

 崩落に飲まれて、廃棄区画の底へと落ちる。生存を喜び、勝利を祝い、抱き締め合っている者らを見上げる。

 羨ましい。本当に、羨ましい。焦がれる様に見詰めながら、何もない少年は墜落した。狂った様に笑い続けて、大地の底へと堕ちたのだ。

 

 

「ははは、ははは、ははははははははははははは」

 

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。どうしようもなく痛いのだ。どうして良いか分からぬ程に痛かった。

 それは血肉の痛みじゃない。確かに身体は傷付いている。廃棄区画の底まで堕ちて、身体は内より開いている。

 

 突き出した肋骨は、剥き出しとなった赤き臓腑は、流れ出す度に激痛を走らせる。けれど乾いた瞳から、涙が溢れそうになるのは血肉の痛みが故にではない。

 そんな痛みなど気にならない程に、唯々心が痛かった。何もない心が、それに耐えられない己の弱さが、魅せ付けられた輝きが、どうしようもなく痛かったのだ。

 

 

〈なぁ?殺さないのかい、エリオ。憎いのなら、俺を解き放てばそれで済む話だろうに〉

 

 

 内より響く一つの声音。己が内に潜んだ彼は悪魔が故に、分かっていながら聞いている。

 その言葉がどれ程に少年の心を抉るか分かっていて、故にせせら笑いながらに問うている。

 

 そんな言葉に、返せる物は一つだけ。だと言うのに、その一言を口にするのが、どうしようもなく苦痛であった。

 

 

「……分かって、言っているんだろう、ナハト?」

 

〈さぁ?俺はお前じゃないんだ。弱さなんて、理解でき(ワカラ)ないさ〉

 

「そう、か……」

 

 

 虚しい嗤いが其処で止まる。もう自嘲すら出来ない程に、疲れ果てた表情でエリオは語る。

 痛い。痛い。痛い。痛い。限界を超えた痛みにぼやけていく視界。降り始めた雨粒が、その滴を覆い隠した。

 

 

「……なら、頼むから、一つだけ聞いてくれ」

 

 

 痛みに震えて、寒さに震える。流れ出す赤い血潮を止める気にもならぬ程、心が悲痛を叫んでいる。

 己の生きた価値はなかった。己であった価値はなかった。この己に意味など欠片もなかった。真実無価値であったのだと、だからエリオは縋る様に口にする。

 

 

「これ以上、僕を惨めにさせてくれるな」

 

 

 此処でナハトを解放すれば、確かに彼らは殺せるだろう。憤怒や憎悪は晴らせるだろう。だが、それは余りに無様な選択だ。

 内には何も無くて、この虚しさは拭えなくて、だから全てを消し去ろう。そんな風に振り切る事は、この少年には出来なかった。

 

 だって、それは余りに惨めだ。泣き叫ぶ子供が泣き叫ぶままに、八つ当たりをしているだけだ。そうとしか成れないと、其処で気付いてしまったのだ。

 だからこそ、エリオ・モンディアルはもう動けない。僅かな雨が豪雨と変わって、身体の芯が冷えて行く。輝きの中に帰っていく反身を見上げて、それでももう何も出来ない。

 

 雨が降る。雨が降る。雨が強くなっていく。降り頻る雨は少年の弱さを隠すかの様に、それでも彼を繋ぐ奈落(げんじつ)は変わってくれない。

 魔人の身体は癒えて行く。彼が望まずとも、魔刃の力が彼を生かす。容易くは死ねないからこそ反天使。容易くは終われぬからこそ地獄であった。

 

 此処は差異一度の世界。トーマ・ナカジマの選択が一つだけ違った世界。憤怒と憎悪ではなく、哀れみを抱いてしまったこの世界線。

 ほんの僅かな選択の違いが至る色を塗り替える。この先に救いはない。この先に幸福はない。この先にあるのは唯――無価値なだけの結末だ。

 

 

 

 

 

「誰にも頼れないから、誰にも頼らずに済むように、誰よりも強くあろうと決めた」

 

 

 

 

 

 何時までも、廃棄区画の底に居続ける訳にもいかない。だが、今更何処へ行けば良いのかも分からない。

 だから、エリオ・モンディアルは徘徊する。何のあてもなく、何の目的もなく、唯何かを求めて歩き続けた。

 

 強く在ろうと決めた筈だった。誰かに抱き締めて欲しくて、存在しても良いのだと認めて欲しくて、けれどそれが得られぬから。

 そんなモノを欲しいと思わない様に、誰よりも強い存在になりたいと思った。強く成れれば、そんなモノを必要としなくなる筈だった。

 

 だけど、まだ弱い。だけど、まだ弱い。だけど、この身は伽藍洞の空白だ。虚無しかない内側は、真実無価値でしかない。

 そんな少年の虚しい覚悟。無価値でしかない無頼の罪。それが強くなる。無価値な悪魔が真となる。そう至る、その直前に――

 

 

「あの、風邪、引いちゃいますよ?」

 

 

 空っぽだった少年は、運命に出逢った。

 

 

「……誰だか知らないけど、放っておいてくれ」

 

 

 雨に濡れて歩く少年の前に、傘を差した少女が立っていた。桃色の子供は、その小さな手を差し伸べる。

 差し伸べられたその手を、無頼の器は握り返さない。握り返せる筈がない。だから雨に濡れて震えながら、それでも彼は拒絶する。

 

 そんな姿に何を感じてたのだろうか。少女は一歩前に出る。常にはない積極性で、内気な少女が一歩を前に踏み出していた。

 

 

(何でだろう)

 

 

 一歩踏み出し、雨に濡れるその手を取った。その温かい掌で、冷え切った少年の手に触れたのだ。

 白き竜を伴って、そんな少女はこの場で最も驚いている。何故に此処で踏み込んだのか、自分で自分が理解出来ない。

 

 唯、感じたのだ。このままではいたくないと。唯、思ったのだ。手を伸ばせば、何かが変わるのではないかと。

 だから、戸惑いながらに手で触れる。身体の芯まで凍えてしまったその手に両手で触れて、離さぬ様にと力を入れる。

 

 

「放ってなんて、おけないです。……とても、寂しそうだから」

 

 

 その感情。言葉にすれば、たったそれだけの事なのだろう。唯、どうしようもなく寂しそうに見えたから。

 だから心優しい少女は手を伸ばす。触れれば壊れてしまいそうな程に繊細な、その震える手を確かに優しく包んでいた。

 

 

「……放っておいてと言ったじゃないか」

 

「放っておけないって、言いました」

 

 

 握り締める小さな掌。産まれて初めて感じたその熱を、少年は振り払う事が出来ない。

 だって、暖かかったのだ。余りにその手は、優しかったのだ。だから拒絶の言葉は、所詮口だけの物だった。

 

 優しい温度を振り払う。奈落の底を一人歩く。そうした気概が、今の彼には欠片も残っていなかった。

 そんな弱さを隠せぬ少年では、腹を据えた少女に勝てない。だから彼はされるがままに、その手を引かれて行くのであった。

 

 

「取り敢えず、私の家に行こう?」

 

 

 そんな彼に触れた瞬間、彼女は確かに気付いていた。黒き鎧の下、鮮血に塗れたその身体。気付いて、彼女は僅かに察する。

 傷の種類だとか、その由来だとか、そんな事は分からない。そうした専門知識を学んでなければ、この年頃の少女に分かる方が異常であろう。

 

 故に察したのは、きっと裏に何かがあるんだと言う程度の事。面倒事や厄介事を、この寂しそうな少年が抱えているのだろうと言う事だけだ。

 

 

「お父さんも、お母さんも、まだ帰ってないし……お風呂で温まって、雨が止むまでくらいは」

 

 

 そんな状況を朧げに推測しながら、しかしキャロは深くは触れない。それを望んでいないのだと、何となくは分かるから。

 それでも無視は出来ぬから、こうして確かに手を引いて行く。ほんの僅かな安寧を。今だけは安らいでいて良いのだと、傷だらけの心に触れていた。

 

 

「……不用心だね。名前も知らない男を連れ込むなんて、さ」

 

 

 口では皮肉を言いながら、嘲笑と共に嘆息しながら、しかしエリオは唯々諾々と従っていく。

 この手は振り解けない。振り解きたくない。この熱は拒絶出来ない。出来るだけの無頼(ツヨサ)がない。拒絶したくないと思ってしまった。

 

 だから、これがせめても出来る抵抗だ。もう皮肉を口にする事しか出来ない。浮かべた笑みは、そんな己に対する自嘲。

 皮肉気に自嘲を続けたまま、溜息交じりに語る言葉。そんなエリオの言葉を受けて、少女はその場に立ち止まる。そうして数瞬の後に、少女は向き合い言葉を語った。

 

 

「キャロです。キャロ・グランガイツ。この子はフリード」

 

「きゅくるー!」

 

「……何のつもりだい?」

 

 

 真っ直ぐ見詰めて、名を名乗る。そんなキャロと言う少女に、幼い子供は疑問を浮かべる。

 薬品で急激に成長こそさせられているが、実年齢はそう変わらない。そんなエリオは此処に来て、初めての経験ばかりしている。

 

 憎悪と怨嗟と呪詛と欲望。それしか与えられて来なかった少年に、竜の巫女は此処で確かな宝石を贈ったのだ。

 

 

「名前、教えて下さい。それで、知らない人じゃ、なくなる。友達になれば、良いんです」

 

 

 その宝石。名を愛情。共に幼く、異性への想いは其処にはない。それでも、友誼の情は確かにあった。

 友愛と言う感情。友人や兄弟に対する様な親しみの感情。そんな温かな想いが、その瞳に浮かんでいたのだ。

 

 知らない人が駄目ならば、此処で知人となれば良い。名前で呼んで、友達となってしまえば良いのだ。

 そんなキャロの言葉は子供の理屈。突こうと思えば突ける穴など無数にあって、それでももう皮肉も言えない。

 

 真っ直ぐだった。その瞳は何処までも真っ直ぐで、気付けば何時までも見たいと想う程に魅入っていた。

 温かかった。その小さな掌は何よりも温かくて、何時までも手放したくはない。そう思ってしまったなら、もう皮肉を言う事だって不可能だった。

 

 

「……エリオ、だ」

 

 

 だから、名乗る。小さな少女に手を引かれ、無頼の器はその温かさを受け入れる。

 名を名乗ったエリオに、キャロは柔らかい笑みを浮かべる。何処までも優しいその少女は、少年の凍った心を溶かしたのだ。

 

 

「はい。これで、私達は友達です。……よろしくね、エリオ君」

 

 

 これが、悪魔の王と竜の巫女の出逢い。地獄の底に落ちた果てでも、決して擦れない至高の宝石。

 何も持っていなかった少年は、この日確かな宝物を手に入れた。何をしても護り抜かねばならない。確かな輝きを手に入れたのだ。

 

 故にこそ、彼は変わる。故にこそ、悪魔は変わる。故にこそ、この物語に救いはない。

 何故ならば、悪魔はもう負けない。全てを台無しにしてしまうとしても、失えない宝物を手にしたから、エリオ・モンディアルはもう負けない。

 

 

 

 

 

「誰にも頼る必要なんてない。護り抜ける程に強くなろう。……漸く見付けた。これがきっと、僕が望んだ、僕の生きて良い価値だから」

 

 

 

 

 

 これは、悪魔が勝利する物語。全てを無価値に変える悪魔が、たった一つの宝物の為に――――――何もかもを台無しにしてしまうif(もしも)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【BGM変更:傾城反魂香(相州戦神館學園 八命陣)】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嗚呼、確かに認めよう。君は私の最高傑作で――そして、唯一無二の失敗作だ」

 

 

 

 

 

 誰もが祈る。誰もが願う。他の何にも及ばぬ必死さで、他の何もが届かぬ深度で、心の底から祈り願う。

 救ってくれ。救ってくれ。救ってくれ。神に捧げる祈りは真摯であれば、此処はカテドラルと呼ぶべきか。

 

 されど此の地に救いはない。どれ程深く祈っても、決して誰にも届かない。此処は背徳の地にして涜神の場。殉教者たちの死地である。

 

 悲鳴が渦巻く。悲嘆が溢れる。こんなにも真摯に祈っているのに、どうして救ってくれぬのだ。そんな想いは何れ、群れ成す悪意に変わって行く。

 許さない。認めない。我らは苦しみ死したのに、何故にお前達は幸福な生を謳歌している。向けられる憎悪は首謀者のみならず、あらゆる全てを憎み妬む。

 

 されどその感情に意味はない。あらゆる悪意を鼻で嗤って、生命を貶める男が其処に居る。

 人を加工し、神の御座を目指す求道者。そんな狂った男が居る限り、このアトリエに救いはない。

 

 悲鳴が渦巻く。悲嘆が溢れる。怒りが、憎悪が、あらゆる悪意が地を満たす。

 それが常態である異常。異常が正常と化す地こそ、ジェイル・スカリエッティの研究所。

 

 誰より真摯に、神を貶める為の場所。その悪徳に満ちた淀んだ風を、更なる悪意が引き裂いた。

 

 

「終わりが来たよ。ジェイル・スカリエッティ。僕がお前を、終わらせに来た」

 

 

 其は腐炎。其は腐った炎。全てを無価値に変える悪魔の王が、炎を纏った槍を振るう。

 望みは一つ、目の前に居る男の首。己を生み出したこの狂人を、殺害する事こそが目的だ。

 

 

「ふむ、成る程。予想していなかった訳ではないが、しかし意外ではある。……君の理由は、憎悪かな?」

 

 

 赤き少年が憎悪を斬り裂く。全てを燃やして迫る黒き炎。腐った力を前にして、無限の欲望は揺らがない。

 道化の如き笑みを浮かべて、迫る子供の首輪を見詰める。未だ囚われた彼の望みは、己に対する憎悪の発散であろうかと。

 

 そんな的外れな言葉に、エリオ・モンディアルは笑みを浮かべる。心底から可笑しいと嘲笑って、彼はその言葉を告げた。

 

 

「はっ、それこそ知らないよ。お前なんて、心の底からどうでも良い」

 

 

 今更憎悪など、そんなモノに拘る弱さは必要ない。今尚切り拓かれる弟妹に、想う事など何もない。

 どうでも良い。勝手に苦しみ死んでいろ。犠牲者達も加害者も全て等しく無価値であれば、其処に何も思わない。

 

 路傍の石だ。エリオの視点で言うならば、ジェイル・スカリエッティには何処までも価値と言う物が存在しない。

 それでもこの石は邪魔である。彼を放置しておけば、何を仕出かすか分からない。ならばこそ、エリオの主はその排除を此処に命じた。

 

 

「僕の意志じゃない。老人方の決定さ。お前は確かに優秀だが、少々勝手が過ぎるんだそうだ」

 

 

 今の彼を従えるのは、管理局最高評議会。あの宝石を手にしたその日に、彼は決意し即座に動いた。

 ジェイル・スカリエッティに従ったままでは駄目だ。あの男は何時か必ず、この地を裏切る。それを知っている。確信していた。

 

 しかし今のエリオに、それは決して受け入れられない。何故ならば、それは悲劇を生むからだ。

 この狂人は己の求道の為だけに、ミッドチルダを破壊する。彼女の居場所を、この狂人が破壊する。

 

 どうして許せる? どうすれば許せる? いいや、否。断じて否だ。許せない。

 こんな下らない男の求道などに付き合わせて、あの子の故郷を台無しにするなど認められよう筈がない。

 

 だから彼は身売りした。この男の支配から抜け出す為に、この男が邪魔だったから、その身を最高評議会へと。

 この男の支配を外れて、何時か何かが起きた時に、必ずこの男を殺せる様に。飼われる犬である事は変わらずとも、それでも犬は主人を選んだ。

 

 

「最高評議会は、次のスカリエッティの作成を決定した。お前は切り捨てられたんだよ。……まぁ、どうでも良い話だけどね」

 

 

 彼らを選んだ理由は単純だ。元より己の上位者で、更に互いの目的が合致していた。

 最高評議会の目的は、聖王による千年王国の創造。それはミッドチルダと言う大地を、永劫安定させる事。

 

 何時までも健やかに在れ。愛する少女の行く末を、そう在って欲しいと願っている。そんなエリオにしてみれば、その世界は理想と言えた。

 本当にそう成れると言うならば、その為に命の一つ二つは燃やしてみせよう。彼女の故郷が永劫続く為の対価として、我が身一つは安いのだ。

 

 故に彼はこの今この時、自ら望んで走狗と生きる。犬と蔑み嗤われようと、そう在る事を望んでいる。

 そんな獣が炎を灯す。腐った炎を以ってして、己の父を弑逆する。無限の叡智を、此処に滅ぼす日がやってきた。

 

 

「だから、二度は言わない。どうでも良いお前は、塵の様に、何も為せずに、唯――無価値に死ね」

 

 

 罪悪の王は笑みを浮かべる。大切な者を手にしたから、彼はもう、それ以外には何も要らないのだ。

 

 

「成程、それが理由か。嗚呼、素晴らしい。とても人間的で、素敵な想いじゃないか」

 

 

 己の頸を狩りに来た。そんな我が子の言葉を前に、無限の欲望は笑みを深める。最強の悪魔を前にして、それでも笑い続けている。

 可笑しいからではない。嘲笑している訳でもない。気は狂っているが、そんなのは元からだ。故に彼は心の底から、真実喜んでいたのである。

 

 これは何と人間的な感情か。唯の肉塊から生まれた残骸が、これ程の成長を見せてくれた。それをどうして、父が喜ばずに居られよう。

 だから悪魔の王を前にして、スカリエッティは笑っている。腹を抱えて、素晴らしいと喝采しながら、満面の笑みと共にその成長を受け入れる。

 

 だが、だからと言って未だ死ねない。此処では死ねぬ。此処では終われぬ。我は未だ、神域へと辿り着いてはいないのだ。

 故に翼が噴き上がる。それは輝ける翼。纏う光は病的なまでに、黒を許さぬ白一色。此処に最後にして、最大の反天使が降臨する。

 

 

『アクセス――我がシン』

 

 

 黒と白。向き合う色は真逆であって、されど本質的には同じ色。互いが操る力は即ち、悲鳴と怨嗟に塗れた罪の色。

 背徳の奈落。悪徳の玉座を前に競い合う。真に罪深きは果たしてどちらか。互いに退けぬ理由があるなら、此処に競い合ってみせるとしよう。

 

 

「では、君の慕情と私の欲望。どちらが勝るか、勝負と行こうかッ!」

 

 

 失楽園の日は来ない。その日がやって来る前に、悪魔達は踊り狂う。共に相食み喰らいながら、地獄の底で呪い合う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェが俺の相手をする? 悪魔の玩具が、吠えるじゃねぇの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 底の底の其処の底。遥か大地の奥底で、異様な景色が世界を染める。黄色の宙に渦巻く咒言は、名状しがたい幾何学模様。

 開かれた太極は無間・身洋受苦処地獄。神の玩具と操られていた両面悪鬼が求めたこの世界。その根源はあらゆる神秘を許さぬ祈りだ。

 

 

「――――っ」

 

 

 カランと高い音が響いて、異形の魔槍が大地に転がる。この地獄に飲まれた瞬間、赤毛の少年は大地に崩れて倒れ伏す。

 立ってられない。身動き取れない。息を吸って吐く事すら苦痛であって、瞬きすらも不可能だった。エリオ・モンディアルは此処に、無価値な姿を晒している。

 

 それも当然、此処に展開された太極(ホウソク)は異能の否定。あらゆる神秘を否定する理は、少年にとって正しく天敵だった。

 

 

「ぁ――、――っ」

 

 

 何故なら、エリオ・モンディアルはもう死んでいる。十年は前に行われた人体実験。その果てに彼は終わっていた。

 二十万という膨大な魂を統率出来ず、自我を保つ事すら出来ていない。そんな彼が生きて来れたのは、ナハトと言う悪魔が居ればこそ。

 

 高次接続実験。降臨したナハト=ベリアルの手によって、エリオ・モンディアルは生かされている。彼は悪魔の玩具であったのだ。

 そしてナハトは神秘の権化だ。異常と異質を煮詰めた怪物。この法則による影響を受けてしまう存在で、そして未だ跳ね除ける程の力がない。

 

 如何に悪魔の王であれ、まだ完成してはいないのだ。失楽園の日を迎えた後なら兎も角として、この段階では両面悪鬼に届かない。

 故に自然の流れとして、ナハトは此処から追放された。奈落との接続は自壊させられ、エリオは物言わぬ肉塊と化して大地に崩れ落ちたのだった。

 

 

「……ま、こんなもんか」

 

 

 この異界の主は高みから、見下す様に言葉で断じる。呼吸さえもままならず、動かぬ死体に変わっていく罪悪の王を見下していた。

 

 

「所詮は悪魔の玩具。生きてもいねぇ残骸だ。端からテメェなんかには、期待なんてしてねぇよ」

 

 

 悪魔の玩具。それが両面宿儺の目に映る、残骸でしかない彼への評価。最初からこの鬼は、彼に何も期待してない。

 

 

「俺がお前を見逃してやってたのは、その方がトーマに都合が良いからだ」

 

 

 最初から、彼に在った価値は一つだけ。神の卵を羽化させる為の孵卵器だ。それ以外など、求めていないし求められない。

 そもそも生きていないのだ。糸に操られるだけの死体に、一体何を出来ると言う。評価を行う以前の問題。だから、それ以外の価値などないと断じている。

 

 

「だがよ、些か見過ごせなくなった。お前が生きている方が都合悪くなったんだわ」

 

 

 だと言うのに、この少年はそのレールから外れたのだ。孵卵器としての役割を忘れて、神の子に必要な要素を破壊し続けている。

 余りに外れ過ぎてしまった。余りに奪われ過ぎてしまった。更にコイツは、今も暴れ続けている。宿儺の描いた絵図面を、台無しにしようとしていたのだ。

 

 孵卵器としての役割だけでは、最早採算が取れなくなった。彼を生かし続けていては、都合が悪くなり過ぎた。

 いいやそもそも今の彼に、その役割が果たせるかどうか。トーマとエリオの間にある因縁が、余りに軽薄な物と化している。

 

 

「だから、まぁ、あれだ。……お前は此処で、無価値に死ねよ」

 

 

 だから、もうコイツは要らない。だから、エリオ・モンディアルは此処で死ね。

 天魔・宿儺は冷たい視線で、苦しみもがく少年を見下したまま、嘲笑を浮かべて死の宣告を下すのだった。

 

 

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。身体が冷たくなって死んでいく。呼吸が出来なくなって死んでいく。五感も消え去り死んでいく。

 唯の肉塊に、感じられる物などない。全てが遠ざかる様な感覚の中で、エリオは奈落に堕ちて行く。無価値な残骸へと、その身は確かに変わっていく。

 

 このまま死んでいくのだろう。もうこの結末は避けられない。如何なる理屈があれば、この状況で生きて居られる?

 何もない。何もない。何もない。所詮は無価値に過ぎない生命であったから、何も為せずに消えていくのだろう。そんな風に、彼がそう想った時――声が聞こえた。

 

 

――エリオ君。

 

 

 此処には居ない彼女の声。己の名を呼ぶ少女の声。初めて手にした宝石の、その呼び声を聞いた気がした。

 そうと認識した瞬間。エリオは霞む視界に意地で抗う。噛み砕かん程に歯を食い縛り、遠のく意識を必死に保つ。

 

 死ねない。死ねない。まだ死ねない。そう抗う理由があった。

 死ねない。死ねない。まだ死ねない。無価値で終われぬ想いがあった。

 

 

「……まだ」

 

 

 だから彼は此処に居る。消え行く己を必死に保って、そうして歯噛みし言葉を紡ぐ。

 音を紡げた。呼吸が出来た。鼓動は此処に出来ている。ならば其処からその先へ、前へ前へと進むのだ。

 

 

「……まだ、だ」

 

 

 出来ない筈がない。出来ないで終わって良い理由がない。何としてでも為すのだと、彼は睨み付ける様に前を見る。

 立ち上がる為、指先に力を入れる。上手く力が入らずに、爪がそのまま剥がれて落ちた。それでも力は緩めずに、彼は前だけ見詰めている。

 

 前に進もう。前に進もう。前に進もう。あの娘が幸福で居られる場所を守る為、消え去りそうになる己の命を、意地で此処に繋ぎ止める。

 

 

「僕はまだ、此処では死ねないッ!!」

 

 

 死ぬるが道理。死なぬが異常。そんな理屈などは知った事ではない。関係ないのだ、この燃え上がる想いには。

 故に唯、死なぬと想う。その想いだけを頼りに、命を繋ぐ。自壊し続ける己を意志で抑え付け、エリオは己の死すらも超克した。

 

 

「……へぇ」

 

 

 爪の剥がれた指先で、掴み取った暗き魔槍。ストラーダに体重を預ける様に、両手に握って立ち上がる。

 

 震える足は生まれたての小鹿が如く、或いは年老いた人の如く、己の重心を支える事すら出来ていない。

 そんな無様な姿であったが、それでも確かに気概があった。その意志は輝いて見えたから、天魔・宿儺は笑みを浮かべる。

 

 大切な親友の、魂を内包する少年。神の卵を孵卵する為、それしか価値がなかった罪悪の王。

 そんなエリオを観察する様に、宿儺はマジマジと見詰め直す。此処で初めて、彼はエリオと言う個人に興味を抱いた。

 

 

「お前も、御門も、皆、邪魔だッ! あの娘の未来に、修羅道も、紅蓮地獄も、必要ないッッッ!!」

 

 

 笑みを浮かべる宿儺を前に、エリオは想いを口にする。気を抜けば折れてしまいそうな状況で、だからこそ彼は叫ぶ。

 それは誓いだ。必ず為すと誓う。必ず守ると誓う。それだけが、彼が己に任じた役割。生きていても良い理由で、生きていなくてはならない理由なのだから。

 

 

「僕は、死なないッ! あの娘の幸福を、見届けるまでッ! だから――ッ!!」

 

 

 立ち上がって、前に進む。震える足で、前に進む。前に進んで、槍を握った。

 そうして、大地を蹴って走り出す。立っているのがやっとという有り様で、それでも走り出して見せたのだ。

 

 槍を両手に、駆け抜ける様に接近する。そうしてエリオは、裂帛の気迫と共にストラーダを振り抜いた。

 

 

「無価値にッ! 何も為せずにッ! お前が死ねッ! 天魔・宿儺ッッッ!!」

 

 

 銀の軌跡が空を斬り裂く。鋭い刃に必死の全力、限界を超えた一打が此処に撃ち放たれる。

 悪魔の王は既になく、魔人の身体は機能しない。そんな状況で放った一撃は、それでも彼の全力に違いなかった。

 

 だが、しかし――

 

 

「テメェが俺の相手をする? テメェが俺を殺す? 悪魔の玩具が吠えるじゃねぇの」

 

 

 止められる。その一撃が止められる。命を賭けた乾坤一擲の一撃が、両面鬼の手で止められていた。

 

 それも当然、ここは両面宿儺の世界である。あらゆる異能を封殺されれば、例え全力の一撃だろうと性能値が大きく下がる。

 魔法も異能も使えない。今のエリオは瀕死の状態。年齢相応の身体能力にまで下げられてしまえば、届く理屈が存在しない。

 

 その上、両面宿儺に欠落はない。異能者が相手となる以上、鬼の身体能力は健在なのだ。

 技量は共に到達点。共に位階は、限りなく拾に近い玖等級。其処に違いがないのなら、性能の差は絶望的な断崖だった。

 

 

「舐めるなッ! 天魔・宿儺ァァァァァァァッ!!」

 

 

 それでも彼は咆哮する。既に死した身体を引き摺り、死ねるモノかとエリオは叫ぶ。

 そんなエリオを前にして、両面悪鬼はニヤリと嗤う。天魔・宿儺の余裕は決して、そんな想いだけで揺らぎはしない。

 

 

「舐めちゃいねぇさ。単なる事実だ。今にも死にそうなテメェなんかじゃ、俺を倒す事なんざ出来やしねぇよッ!」

 

 

 弾と大地を踏み付ける。鬼の剛腕によって放たれた掌底が、エリオの腹を突き穿つ。

 打撃を受けて咳き込むエリオは、反応する事さえ出来てなかった。そんな余裕、今の彼には残っていない。

 

 生きているだけで精一杯。死なないだけでもう限界。意識が一瞬でも断たれれば、その瞬間に彼は終わる。

 そうでなくとも、一体何時まで持つのであろうか。後どれ程に動けるのか。後どれ程に生きられるのか。それさえも、定かではない有り様なのだ。

 

 ならばこそ、勝てる筈がない。いいや、勝たせる心算がない。己は負けぬのだと、天魔・宿儺は拳と共に断言する。

 

 

「俺に勝てるのは、人間だけだ。俺に勝って良いのは、人間だけしかいねぇのよ」

 

「ぐっ!?」

 

 

 その舞は流麗にして、鋼の如くに力強い。柔と剛。相反する力を反する事無く内包した、これぞ正しく至高の一つ。

 柔らの極みに至った技を、鬼の剛腕が振るうのだ。人と認められない相手を前に、天魔・宿儺の力は至大の域へと至っている。

 

 霞む視界は動きを捉えず、瀕死の身体は動きに追い付かず、人ではない彼の異能は使えない。勝ち目など、何処にもなかった。

 

 

「お呼びじゃねぇのよ。無価値の傀儡」

 

「……それが、どうした。僕はもう、決めたんだ。だから――ッ!」

 

 

 それでも、歯を食い縛って叫ぶ。敗北の可能性しかない現状で、それでも彼は前へと進む。

 退けない理由がある。負けられない理由がある。為すと誓った想いがある。だから彼は、どれ程に傷付こうとも進み続けるのだ。

 

 

「足りないならば、手に入れる。人間でしか勝てないって言うのなら、今此処で、その人間にだってなってやるッ!」

 

 

 人間にしか勝てない悪鬼。それに勝たねばならぬのならば、此処で人に成れば良い。

 成れないなんて認めない。死人だからと諦めない。為さねばならぬ理由があるのだ。ならば断じて進み、唯単純に為せば良い。

 

 

「あの娘の生きる世界の為に、あの娘の幸福な未来の為に、必ずや――僕はお前達を踏破するッ!!」

 

 

 敵は目の前に立つ両面悪鬼。そして、その背後に続くであろう。嘗てを生きた英雄達。

 既にして死に瀕している少年は、それでも踏破すると啖呵を切る。たった一つの想いを頼りに、彼は地獄に挑むのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は、生きていてはいけない奴だったッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女陰めいた卑猥さで、ゆるりと開くは龍の瞳。鉛色に染まった空は、全て彼の怪物が巨体である。

 九つの首を持つ堕龍。腐った腕を伸ばして贄を求める。ミッドチルダと言う惑星で、暴れ狂うその怪異。

 

 突如現れた怪物に、エースストライカーが即応した。管理局が誇る英雄達は、既に百鬼空亡に対している。

 そんな中、彼らはしかし此処に居る。機動六課の新人達が、揃ってこの場に立っている。彼らが戦う敵対者は、百鬼空亡などではない。

 

 

「分かってんのかよッ! エリオッ!!」

 

 

 銀の軌跡が閃いて、槍と拳を打ち付け合う。向き合う二人の少年達に、浮かんだ色は正反対。

 先に彼が口にした言葉。それを信じられないと、トーマ・ナカジマは詰問する様に問い返していた。

 

 

「空亡を倒せば、地球が滅ぶんだぞ!? 沢山、沢山の人が死ぬんだ!!」

 

 

 互いの武技をぶつけ合い、押し負けたのはトーマ・ナカジマ。焦燥を抱いて叫ぶ彼の言葉に、エリオは笑みを深くする。

 悪魔の標的は神の卵ではない。そんなモノはどうでも良い。エリオ・モンディアルが狙うのは、空を蠢く百鬼空亡。

 

 ミッドチルダを守る為、あの怪物が邪魔なのだ。痛い痛いと暴れ狂う邪龍を消し去る為だけに、エリオは此処に立っている。

 

 今のエリオならば、彼の怪物を倒せるだろう。既に性能では超えている。腐炎と言う力を前に、巨体なんて唯の的でしかない。

 だがしかし、エリオでは地球を救えない。今の腐炎に識別機能などはない。故にこそエリオ・モンディアルが空亡を殺せば、地球と言う星が滅びるのだ。

 

 

「ああ、知っている。何度も言わなくとも聞こえているさ。……だけど、それがどうした?」

 

 

 アレを殺すから其処を退け。空亡を消してやるから其処を退け。そう告げた罪悪の王は、一瞬たりとも逡巡せずに言葉を返す。

 彼にとって重要なのは、キャロ・グランガイツが生きる世界だけ。ミッドチルダと言う大地さえ無事ならば、他がどうなっても構いはしない。

 

 重要性の問題だ。取捨選択の話である。地球とミッドチルダを比べた際に、どちらが大事かというだけの話でしかなかったのだ。

 

 

「唯、邪魔なんだ。アイツが此処で暴れると、兎に角都合が悪いんだ。だから、さ――」

 

 

 だからこそ、この状況は都合が悪い。だからこそ、如何にかせねばと動いている。

 百鬼空亡が暴れ続ける限り、ミッドチルダの被害が増える。それが一番困るのだ。故にこそ――彼は此処でそう断じる。

 

 

「とっとと滅べよ、地球人類。お前ら邪魔だぞ、良いからさっさと死んでくれ」

 

「――ッ!」

 

 

 内面の迷いなんて欠片も見せない。今更に背負う荷が重くなろうと知った事ではない。所詮己は罪悪の王。

 己が為した結果、無関係な人々が死に絶える。そうと分かって、それでもエリオ・モンディアルは選んだのだ。

 

 

「可哀想だって、少し思った。仕方がないんだって、少し思えた。だから、きっと、お前とも何時か分かり合えるんだって――」

 

「ああ、そうかい。どうでも良い。哀れむ自分に酔うのなら、一人で勝手にやってくれ」

 

 

 彼の日、彼の場所で、彼らの運命は分岐した。皆に救われた少年は、誰にも救われなかった彼を哀れんでしまった。

 だから今、こうして世界は歪んでいる。至るべき結果から大きく逸れて、彼らの関係性も変わっている。それでも、変わらない事が一つだけ。その憎悪は変わらない。

 

 

「だけど。だけどッ! だけどッ!! やっぱり、お前はッッッ!!」

 

 

 許すべきだと思った。だって彼の境遇を思えば、仕方がない事だった。怒りも憎悪も、抑えられてしまったのだ。

 だが、その判断は間違いだった。この今に確信する。多くの人々を平然と殺すと断言出来る、こんな怪物を許してなどはいけなかったのだ。

 

 

「お前が生きている限り、多くの人が傷付き苦しむッ! お前の様な奴は、生きていちゃいけなかったんだッッッ!!」

 

 

 だから、彼は拳を握り締める。この男を倒す為、抑え付けようとしていた憤怒と憎悪を練り上げる。

 そんな宿敵の姿を前にして、しかし返す言葉は冷淡。見下す色を瞳に浮かべて、エリオ・モンディアルは嗤って告げるのだ。

 

 

「で? だからどうした? 邪魔だから、そろそろ退けよ。塵芥」

 

「エェェェリオォォォォォォォォォッッッ!!」

 

 

 お前などに興味はない。そう断じる宿敵の嘲笑を前にして、トーマは弾かれる様に跳び出した。

 

 

 

 片や憎悪を、片や無関心で。互いにぶつかり合う少年達。そんな戦闘を遠巻きに見詰めながら、少女は一人震えていた。

 戦わなくてはならない。トーマ一人では、エリオには勝てない。姉やティアナは既に援護を始めている。だから、少女も戦わなくてはならない。

 それが分かって、しかし桃色の少女は動けない。寄り添う飛竜の不安そうな声に気付く事すら出来ないまま、キャロ・グランガイツは震える声で呟いていた。

 

 

「エリオ君。……どうして?」

 

 

 震える声は、信じられない現実からの逃避でしかない。それでも、無理もない事ではあるのだろう。

 キャロは知らなかったのだ。エリオの素性を。キャロは思わなかったのだ。彼が敵になる事があるのだと。

 

 最高評議会の子飼いとなった直後、エリオに関する事項は全てが極秘情報へと変わっていた。だから素性を知る筈がない。

 彼は何時も、本当に優しい瞳を向けて来たのだ。だからそんな彼が犯罪者として敵対するなんて、彼女は想像した事もなかった訳である。

 

 

(……僕は身勝手だ。結局、こうなるしかないんだろうね)

 

 

 そんな少女の震える瞳に、エリオの心も同じく震える。それは痛みだ。確かな痛みを此処に感じる。

 泣かしてしまった。傷付けてしまった。その事実が震える程に苦しくて、それでもエリオ・モンディアルはもう止まれない。

 

 何故ならば、百鬼空亡を放置すればミッドチルダが滅んでしまう。自分では、アレを殺す以外に手段がない。

 自分に出来ない事を、誰かに出来るとは思えない。無頼の罪は変わらずあって、だから他人に頼ると言う発想自体が浮かばない。そんなエリオには、これ以外の道がないのだ。

 

 

(キャロ。君の今を壊し尽す。――君の明日を、守る為に)

 

 

 彼女を傷付けよう。彼女の仲間を傷付けよう。彼女が明日を過ごせる様に、彼女の今日を蹂躙しよう。

 エリオ・モンディアルはそう決めて、こうして今に立っている。そんな彼を止められなくば、地球は正しく滅ぶであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「卿には――愛が足りぬよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金に輝く玉座の間。照り付ける眩しい光の中で、しかし光に見劣りはしない超越者が其処に居る。

 獅子の鬣が如き長い髪に、白き軍服の上から黒衣を纏う。慈愛を秘めた目で見下す黄金は、何より激しく輝いている。

 

 その身は正しく神威であろう。並ぶ事など出来ぬと語るかの如く、目を焼く程に華々しい光である。

 そんな極光を前にして、彼は全く輝かない。無価値な黒き炎を灯して、赤毛の少年は黄金の王を睨みつける。

 

 

「一体、何の心算だ。ラインハルト・ハイドリヒ」

 

 

 隠せぬ程の焦燥を抱いて、鋭い瞳で問い質す。一体何の心算だと、そんな彼に返るは慈愛の笑み。

 正しく全てを愛する超越者。黄金の君は浮かべた笑みを絶やさずに、彼の問い掛けに対する答えを返した。

 

 

「言ったであろう。卿には愛が足りぬと」

 

 

 愛が足りない。突然この空間に飲み込まれて、その瞬間に告げられたのはそんな言葉。

 見下ろす獣の瞳を睨み返しながら、エリオは言葉を鼻で嗤う。一体何を言っているのか、彼は吐き捨てる様に口にする。

 

 

「愛だと、馬鹿らしい。そんなモノ――僕はとっくに持っている」

 

 

 愛。その感情は知っている。その想いは既に持っている。愛しいあの娘に向ける想いが、愛でなくて何だと言うのか。

 故に下らないと一笑に伏す。既に十分過ぎる程、己は愛を持っているのだ。足りぬと今更言われた所で、的外れだと返す以外に言葉がない。

 

 

「然り。確かに卿が抱いた想いは、可愛らしい稚児の如きそれではあるが、確かに愛と言うべきモノ。……だがしかし、それでは足りぬと言っている」

 

 

 そんなエリオの言葉に頷き、されど獣はそう返す。彼は愛を知ってはいるが、しかしその総量が足りぬのだ。

 

 たった一人にだけ向けられる珠玉の想い。それも確かに至高の愛が一つであろう。

 黄金の獣はそれを認めて、しかしエリオ・モンディアルがそれではいけないのだと断じている。

 

 

「その器。内包した魂はどれ程か。卿の資質。正しく覇者と呼べる程。故に私は、惜しいと思ったのだ」

 

 

 何故ならば、彼は既に総軍を抱えている。二十万と言う魂を力尽くで従えて、己の自己を確立している。

 民を制するその姿は、正しく覇者のそれであろう。確かに資質と言う面では、当世当代至大至高の器であると断言出来る。

 

 だがしかし、彼の支配には愛がない。或いはあり得た世界線と異なって、今の彼にとって犠牲者達など塵芥にしかならぬのだ。

 故にその愛は、たった一人の少女の為に。それ以外には向けられる事がないからこそ、彼の民は奴隷ですらなく、彼は覇王に成り得ない。

 

 

「数と質が揃っている。後は愛を満たせれば、卿は正しく覇王と成れる」

 

 

 逆説、それだけ満たせば覇王と成れる。今この瞬間にでも、彼が民を愛する事が出来たのなら、並ぶ者なき王と成ろう。

 未だ求道でしかない器。覇道の兆しは芽生えていて、真実彼は世界を救えるかも知れない存在なのだ。だからこそ、黄金の獣は惜しいと思った。だからこそ、この領域へと招聘したのだ。

 

 

「取るに足りぬ芥と語るな。無価値と蔑む事なく、全霊で向き合い愛してやるが良い。そうすれば、それだけで卿は覇王と成れるのだ」

 

 

 黄金の君は、慈愛の笑みでそれを告げる。エリオは覇道神に成れるのだと、教える為に此処に居る。

 だがそんな事は、彼の都合でしかない。向き合う少年は取るに足りぬと、焦燥を隠さぬままに断じていた。

 

 

「だからどうした? 僕は今、忙しい」

 

 

 探している人が居る。攫われた人が居る。愛しい彼女が何処かへと、その身を連れ去られてしまったのだ。

 下手人は分かっている。壊れた首輪の代わりとして、彼女を求めた者らを知っている。その名は、管理局最高評議会。

 

 彼らを討つ為、そしてキャロ・グランガイツを取り戻す為、エリオ・モンディアルは此処まで来たのだ。

 聖王教会は最下層。彼らが隠れ潜んだこの場所に辿り着いた瞬間、黄金の獣によって無理矢理この世界に囚われてしまったのである。

 

 

「覇王? 知った事か、どうでも良い。そんなモノに、かかずらっている時間が惜しい」

 

 

 だからこそ、既に彼は怒っている。その我慢は最早、限界に程近い。それ程に、今のエリオは焦燥していた。

 過去の残滓とは言え、覇道の神と戦うリスクを考えればこそ我慢している。だがそんな忍耐力が、何時までも持つ訳がないのだ。

 

 

「だからとっとと解放しろ。さもなくば――」

 

「さもなくば?」

 

「僕を捕えたこの槍ごと、纏めて無価値に貶めるぞ。過去の残骸」

 

 

 これ以上、下らない戯言に付き合わせる心算ならば敵と認める。敵対者なら、断じて一人も残しはしない。

 全て無価値に染め上げよう。悪魔の炎を以ってして、この黄金を焼き尽そう。暗い瞳で語るエリオに、ラインハルトは笑みを深めた。

 

 

「フッ、フフフッ! フハハッ! ハハハハハハハハハハハハァァァァァァァッ!!」

 

「…………」

 

「今の卿が、私を殺すと? それが出来ると、卿はそう言うのか?」

 

「無論。お前が邪魔を続けるならば是非もない。とっとと滅びろ、壊れた黄金」

 

 

 深めた笑みから、呵々大笑。笑い転げねば我慢が出来ぬと、満面の笑みで問い掛ける黄金の獣。

 ラインハルトを前にして、エリオに気負った姿はない。彼女の身を懸念し焦燥しようが、現状に恐怖を抱く訳がない。

 

 所詮彼は過去の残照。そんな彼に一騎打ちで敗れるならば、己はその程度でしかなかったという事。

 そんな訳がない。そんな筈がない。その程度である理由などは一つもなく、その程度であって良い理由もない。ならばこの戦場に己の敗北などはないのである。

 

 そう胸中で断じて、魔槍を構えるエリオの姿。その姿を愛でる様に、楽しげな表情で獣は語った。

 

 

「良い。その啖呵、実に心地良い。故にだ、少年――向かって来るが良い。私が卿に、愛を手解きしてやろう」

 

 

 最早爪も牙もない、嘗ての獣。されど再誕に近付くその身は、確かに強大なる覇道を宿す。

 そして此処は槍の内側。嘗ての残照が色濃く残っている場所だ。故にこそ、この場所でならば失われた総軍すらも使用が出来る。

 

 両手を広げて、迎え入れる様に。そんな獣の背後に浮かぶは、嘗て彼に従った戦奴達の残照だ。

 赤い騎士が居る。白い騎士が居る。黒い騎士が居る。鍍金の神父が、腐った死体が、太陽の巫女が、沼地の魔女が、白貌の吸血鬼が――獣の配下の全てが此処に居る。

 

 修羅残影。されどそれは残滓であっても、この場所でならば本物と寸分足りとも変わらない。

 嘗て座を競い合った修羅道至高天。その最盛期と等しい力を発する獣を前にして、エリオは震え戦く事なく大地を蹴った。

 

 

「言っただろう。教えて貰うまでもなく、僕はもう知っている」

 

 

 握った魔槍と、内に宿した無価値の悪魔。無理矢理に従えている二十万の魂達。そしてたった一人を想う情。

 それらを武器に突き進む。数も質も劣っているが、そんな事は敗れる理由に成りはしない。必ず勝つのだと心に定め、エリオは魔槍を振るう。

 

 

「僕の全ては、あの子の為にだ。だから、さっさと消えろッ! 黄金の獣ッッッ!!」

 

 

 此れより始まる黄金継承戦。嘗ての獣は己の全てを受け継がせる為だけに、罪悪の王は愛しい少女の下へと駆け付ける為だけに――余りに激しい戦いの幕を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは罪悪の王の物語。破滅に向かう、もう一つのリリカルなのはVS夜都賀波岐。

 その先に救いはなく、その先に未来はなく、彼は何もかもを台無しに変えていくのであろう。

 

 これは無価値の悪魔の物語。無価値な彼と同じ様に、何もかもが無価値なIfルート。或いはあり得た可能性。

 

 

「僕の前に立つならば、燃えて腐って死ぬが良い。――全て、無価値だ」

 

 

 

 

 

 リリカルなのはVS夜都賀波岐・外伝~THE DARK SIDE ERIO~

 

 

 

 

 





ですが、笑えますねぇ。公開日は未定なんですよ。
LightのPVを意識して書いては見たものの、まだプロットすらも出来ていない有り様でして。
一体何時まで待たせる心算なのか、もしかしたら嘘予告的なネタで終わるかも知れない。もしもそうなったら、待っていた筈なのに…・悔しいでしょうねぇ。

受け取れぇッ! これが俺のファンサービスだッ!!



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