リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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最終話 さらば紅蓮に染まる古の大地

1.

 誰もが望み、誰もが願い、誰もが待ち続けていた最期の時。紅蓮に染まった宙の下、向かい合うは二つの神威。

 悠久を守り続けた守護者は笑う。笑みを浮かべて見届けよう。彼らが乗り越えて来た日々を、それが育んだ確かな強さを。

 

 

「先ずは再現だ。これは既に、お前達が乗り越えてきた過去――此処で足を止める様では、話にならんぞ」

 

 

 赤き瞳の神は拾い上げる。己に身を捧げ、己の中へと溶けていった仲間達。彼らの願いを拾い上げる。

 そして齎すのは、彼らの法則。己に確かな想いを託して、そんな願いを救い上げ、確かな神威としてその地獄を再現した。

 

 

「我は死を喰らう者。偽りの槍に魅入られし、生きて腐り果てる者。この身が望みし願いは一つ、天津罪の祓いを此処に。千倉の置座を科せられて、手足の爪を無くしたまま、此の過災、過ぎ去る日々を唯待とう。来たれや神風、我こそ呪え――無間・叫喚地獄!」

 

 

 先ず最初に拾い上げたのは腐毒の王。天魔・悪路と言う名の蔑称をその身に刻んだ、櫻井戒と言う仲間。

 その願いを口にして、その想いと同調する。そして再現される地獄は此処に、全てを腐らせる呪いの颶風が吹き付ける。

 

 

「我は火を燃やす者。雷鳴轟くその道を、光となって照らし出そう。駆け抜けよう。駆け続けよう。止まる事はない。立ち止まる意味はない。我が炎を恐れるならば、此の槍を越すこと許さぬ。十拳剣を抜き放ち、父神が子の頸切り落とせ――無間・焦熱地獄!」

 

 

 そして次に拾い上げるのは炎雷の乙女。天魔・母禮と呼ばれた女を、櫻井螢と言う名の女を確かに想う。

 共感した願いを此処に、確かな地獄と再現する。降り注ぐ雷光も、燃え上がる紅蓮の炎も、何一つとして欠落などはない。

 

 迫る二つの無間地獄。八大地獄の始めと来るのは、常に先陣を切り続けて来た彼ら兄妹。

 その想いを前にして、立ち向かうのも同じく兄妹。未来を視る目。万象を操る手。前に出た二人は、最早地獄を恐れはしない。

 

 

「その炎、恐れるには足りないわ。輝かしいその道の果てはもう視えている。確かに視えたその光を絶やさずに、駆け抜けて行けば良いと知っているから」

 

 

 未来を視る目が確かに視抜く。それは二つの地獄が重なる場所。確かに隙間と生まれる空間を、確かに視抜いて形とする。

 ティアナの役割は道を視る事。何処へ進めば良いかを教える事。故に既に彼女は己の役を果たしており、故にその後を引き継ぐのは兄の役目だ。

 

 

「天津罪の祓いを、待つだけでは気に入らないさ。僕らは曙光を待ってはいない。夜明けが見えたのならその先へ向かって、この道を踏破して行けば良い」

 

 

 万象流転の力が此処に、見付けた隙間を貫いた。クロノ・ハラオウンの力によって、機動六課は前へと進む。

 止まらない。止まる理由がない。例え辿り着けないのだとしても、進む事は無意味じゃない。そうやって、何時だって彼らは進んで来たから。

 

 乗り越えられた二つの地獄は、やはり再現に過ぎないのだろう。救い上げた想いの記憶は消え去って、一度躱されればもう二度とは使えない。

 消え去って行く兄妹の残滓。己から薄れていく彼らの想い。それを悲しく思えど、涙を流す事はない。消え去る彼らを微笑んで見送りながら、夜刀は次なる地獄を示した。

 

 

「我は死を想う者。死者を愛する母の慕情は、既に亡き子の齢を数える。蒼褪めた死は貧者も王者も、等しく冷たい揺り籠へ。愛しい人への口付けを、我は常に覚えている。余りに苦い口付けを。失われる者ばかりが、美しいと知っているから――無間・等活地獄!」

 

 

 また拾い上げる。また失っていく。掴み上げたのは天魔・紅葉。リザ・ブレンナーと言う名の愛深き女。

 再現される地獄は母の揺り籠。生きとし者が求める平穏は、蠢く死者の群れへと変わる。朽ちず滅びず、迫る群勢に限りはない。

 

 

「我は悠久を生きし者。故に誰もが置いて去る。才は届かず、生の瞬間が異なる差を、それでも埋めんと願い続けた。追い縋り、追い続け、果てに漸く追い付けた。例え泥に塗れた姿であったとしても、求め続けた想いは美しいのだ――無間・黒縄地獄!」

 

 

 死人の群れに続ける様に、拾い上げるは天魔・奴奈比売。ずっとずっと光を追い続けていた、アンナ・マリーア・シュヴェーゲリンと言う名の宝石。

 再現された地獄は無間の泥。大海を思わせる程に、大質量の影が荒れ狂う。掴んだ物を止めるのだ。追い付いた者らを止めるのだ。だって漸く、追い付けたから。

 

 母の愛情。魔女の嫉妬。共に女の情念はとても強く深い物。そんな女の想いを前に、立ち向かうのも同じく女。

 慈愛の薔薇を持つ吸血鬼。歓喜齎す美麗な炎。強い強い女の情念を前にして、彼女らの想いだって負けてなど居なかった。

 

 

「私を、誰だと想っているんですか!?」

 

 

 蠢く死者を前にして、月村すずかは憤る。この程度で止められると、見縊るなと確かに吠える。

 そうとも、願いの質ではない。想いの量ではない。死人の王を前にして、死者を差し向けると言う思考が侮りなのだ。

 

 

「月村すずかは、夜の王! 吸血鬼は、死人の王!! 糸に操られた死人風情で、止められると思わないでっ!!」

 

 

 夜を統べると誓った女が、赤い夜を作り上げる。全てを吸い尽くす力を前に、死者の群れは抗えない。

 糸に操られる程度の傀儡では耐えられない。吸血鬼とは蘇る死人。あらゆる死者の上位に立つ、死人の王であるのだから。

 

 

「はっ、これがアイツの? こんなのが、アイツの泥だって言うの!?」

 

 

 血を吸う夜が吸い尽くし、沈まぬ太陽が浄化する。そうして死者の群れが消えた先、入れ替わる様に立つのはアリサ・バニングス。

 天魔・夜刀が再現した地獄を前に、金糸の女は鼻で笑う。止めよう。止め続けよう。迫る影の津波を恐れずに、湧き上がる炎を持って喝破する。

 

 

「舐めんじゃないわよっ! 私の友達はっ! もっとドロドロしててっ! くっそ碌でもない奴でっ! こんな綺麗なだけじゃなかったのよっっ!!」

 

 

 そうとも、確かに違うのだ。それは彼と、願いを拾い上げられた女の同調率。それが決して高くないからこそ、起きた微妙な変化であろう。

 夜刀の再現は余りに綺麗過ぎる。友達の想いを美化し過ぎた。そう語る女は確かに、友の想いを覚えている。残滓ではないその色を、決して忘れず覚えている。

 

 だから、分かった。それは彼女の泥ではない。ならばこの己が此処で、立ち止まるなんてあり得ない。

 湧き上がる最愛の炎を以って、迫る泥を焼き尽くす。己が敗れた想いは違うと、紅蓮の剣が道を拓いた。

 

 夜と炎を前にして、死者と泥は消えて行く。今を生きる人々を前に打ち破られて、彼女らもまたその内より消えて行く。

 ああ、そうかと微笑みながら。ああ、そうだなと笑いながら。確かに夜刀は彼女らの言葉を受け止めて、過ぎ去って行く嘗てを見送った。

 

 そして、次なる地獄が牙を剥く。これより再現される地獄は、夜刀に最も近い者達の祈り。ならば即ち、最も再現率の高い地獄である。

 

 

「我は狼を司る者。神の玩具と生まれし我が、焦がれた物はその生き様。何より尊いと想う至高の刹那。それはきっと誰だって、誰にだって辿り着ける筈の場所だから。過剰に走れよ脳内麻薬。諦めるなよ人の子よ。我に勝って良いのは人間だけだ――無間・身洋受苦処地獄!」

 

 

 瞬間、全ての異能が失われる。あらゆる力が剥ぎ取られ、誰もが大地に落とされる。転がり倒れて地に伏せて、ならばもう進めないのか。

 

 

「いいや、違う」

 

 

 立ち上がる。確かに彼が立ち上がる。ユーノ・スクライアは立ち上がって、そして前へと進み出す。

 その姿は先導者。誰よりも先に進むヴァンガード。されど彼の進む歩は、されど彼の歩む道は、決して特別な物じゃない。

 

 

「これは、地獄なんかじゃない。当たり前の人生に、特別な力なんてないし、奇跡の様な救いなんてない。だから、これは唯の現実だ」

 

 

 彼は誰よりも凡庸だった。彼は誰よりも資質がなかった。彼はずっと、特別な存在なんかじゃなかった。

 そんな彼だからこそ分かる。そんな彼だからこそ言える。彼が歩いた道筋はきっと、誰だって歩けた道なのだと。

 

 

「誰もが歩いて、誰もが進んで、誰もが生きる現実なんだ。だったら、誰にだって、乗り越えられる物だろうっ!!」

 

 

 諦めない意志だけで、貫き続けた真面目な生き様。そんな彼が前へと歩き続けるから、その背にある者らも決して止まらない。

 その地獄ですらない現実が、消え去る時まで止まらない。ならば当然、再現にしか過ぎない遊佐司狼の力の方が先に消えて行くのであった。

 

 

「我は終焉を望む者。辿り着いた死の極点を、されど遠ざけ続けた者。唯一無二の終わりを求める鋼の求道に曇りはなくとも、友の為にこそ否定しよう。我らが至高を穢す事、何人たりとも許しはしない。幕引きの終焉。砕け散るが良い――無間・黒肚処地獄!」

 

 

 自壊の地獄を超えたなら、それで終わりと言う訳ではない。次なる地獄はその直後、至高の終焉がやってくる。

 天魔・大獄。それは終焉を望み続けて、されど終わる事を認めなかった。友の為に生きたミハエル・ヴィットマンと言う男の異名。

 

 その地獄は正しく、男の至高の再現となる。死の極点。至高の終焉たる虚無に、極めて近い終わりの地獄だ。

 そんな地獄を前にして、飛翔するのは高町なのは。全てを終わらせる力に対し、母になる女が至った答えは唯一つ。

 

 

「死の極点は、全ての終わりじゃない」

 

 

 極点とは終着点。果てに辿り着くべき場所。死に極点があるとするなら、それはきっと終わりじゃない。

 いいや違う。死に極点などありはしない。人は命を生み出せるから、終わりなんてないんだって気が付けた。

 

 

「全てが終わって、後に残る物は無なんかじゃない」

 

 

 死んでも生まれる者がある。繋いで行ける想いがある。ならば終わりの果てに、至る結果は無ではない。

 一つの終わりは一つの始まり。産み落とす彼女にとっては、それが確かな一つの解答。喝采するべき生誕は、何時の世だって確かにある。

 

 

「一つが終われば、一つが始まる。人は産み落とす事が出来るから、終わりの先からでもきっと、始める事は出来るんだっ!」

 

 

 それはきっと奇跡じゃない。それはきっと特別な事じゃない。誰だって何かを遺して、誰だって遺された物を託されて生きて行く。

 だから、この終焉では終わらない。終われる筈がないから終わらない。押し寄せる死の強制を生への歓喜で押し切って、確かに地獄を乗り越えた。

 

 

「見事! 我ら無間地獄に対する解答。しかとこの眼に見届けた!」

 

 

 無間八大地獄は越えられる。乗り越えられて、これぞ解だと示される。その光景に、それで良いと彼は笑う。

 何故ならば、越えられたと言う事実こそを望んでいたから。そうして越えてくれる事こそが、無駄ではなかったと言う証になるのだ。

 

 仲間は示した。無駄ではなかった。子らは示した。無駄ではなかった。故に夜刀は彼らに告げる。

 仲間は示した。夜都賀波岐は示したのだ。なのにお前達は何をしている。子らは示した。機動六課は示したのだ。なのにお前達は何をしている。

 

 その怒り。その憤り。隠す事も抑える事も一切せずに、言葉として此処に吐き出し告げる。

 

 

「さあ、何時まで観客を気取っている気だ! どうせ遺してやっても碌な事をしないんだ。さっさと働けメルクリウス!」

 

〈……やれやれ、我が子ながらに人使いが荒い。だが、然り。此処で残る事に意味はなく、ならば時に愚かとなるのも悪くはない〉

 

 

 夜刀の喝破をその身に受けて、内なる蛇は苦笑する。残滓となった観客に、一体何をさせる心算だと苦笑する。

 それでも、確かに然りと頷いた。彼やその友人がこの先に遺る様な筋合いはなく、どうせ消え去るのならば此処で馬鹿みたいに騒ぎ立てよう。

 

 今日は晴れの日。祭りの日。素晴らしい答えを出した彼らを称えて、己も喝采と共に磨り潰されて消えるとしよう。

 

 

武器も言葉も(Et arma et verba )傷付ける。(vulnerant Et arma )順境は友を与え、(Fortuna amicos conciliat inopia )欠乏は友を試す。(amicos probat Exempla )運命は軽薄である。(Levis est fortuna id )運命は、与えたものをすぐに返すよう求める(cito reposcit quod dedit )運命は、それ自身が盲目であるだけでなく、(Non solum fortuna ipsa est caeca sed etiam )常に助ける者たちを盲目にする。(eos caecos facit quos semper adiuvat )僅かの愚かさを思慮に混ぜよ、(Misce stultitiam consiliis )時に理性を失うことも好ましい。(brevem dulce est desipere in loc )食べろ、飲め、遊べ、(Ede bibe lude post )死後に快楽はなし(mortem nulla voluptas )

 

 

 夜刀の声に重なる様に、白い蛇が咒を唱える。そして引き起こされる現象は、全てを始点に戻す回帰の力。

 これを通せば、重ねた全てが無駄となろう。此処まで積み重ねた全てが無意味と化そう。故にこそ、彼も通す訳にはいかぬと踊り狂う。

 

 

〈動くか、カール。ならば、私も消え去るべきであろう〉

 

「ラインハルトさんっ!?」

 

 

 聖なる槍が動き出す。魔法の杖より分離して、黄金の槍が剥き出しとなる。そして、彼の意志が咆哮する。

 今日は晴れの日。祭りの日。踊り狂った果てに消滅する事が決まっていようと、燥ぎ回らずには居られぬ程に楽しい日なのだ。

 

 

〈折角の晴れの日なのだ、嘆く必要などはない。全ての清算を此処に、一切合切を使い果たして、共に歌劇を楽しもうではないか!〉

 

 

 歓喜と共に咆哮する。狂気乱舞し踊り続ける。最早観客はいない。最早観客では居られない。

 白き双頭の蛇と、爪も牙も無くした黄金の獅子。楽しそうに笑い合って、彼らは互いの力をぶつけ合う。

 

 

〈Du-sollst――Dies irae!〉

 

〈Acta est fabula!!〉

 

 

 怒りの日も、未知の結末も、もう何一つ必要ない。我らはもう十分に楽しんで来たのだから、これを最期に消えるとしよう。

 共に観客を気取っていた残滓らは、舞台に引き摺り込まれて消えて行く。心の底から楽しそうに笑い合って、友と語らいながらに消滅した。

 

 そして、生じる衝撃波。残滓とは言え、正しく神威のぶつかり合い。その余波だけでも、世界の一つ二つは消し飛ぶ質量。

 周囲に振り撒く無差別な破壊は、夜刀であっても僅か苦しいと思う程。そんな破滅の嵐の中を、それでも子らは真っ直ぐに進んでいた。

 

 

「ああ、本当に――強く育った。良くぞ、強く育ってくれた。我が子らよ」

 

 

 無間地獄を乗り越えて、覇道二柱の鬩ぎ合いすら乗り切って、止まらず前に進み続ける。

 そんな子供達の輝きに、夜刀は確かに歓喜する。とてもとても強い喜びと共に、彼は翼を広げて羽搏いた。

 

 

「さあ、これが最後だ。重ねて来た刹那を、繋いで来た永遠を、此処に全てを示すとしよう」

 

 

 何時までも見ていたい輝き。それを前にして、これが最期だと決める。そう決めないと、本当に何時までも続けてしまいたくなったから。

 雲を突き抜ける程に高く羽搏いて、夜刀はその手を静かに合わせる。掌の間に生み出すのは、彼が刻んだ全ての想い。その輝きを束ねた至高の神威。

 

 これぞ正しく、至大至高の到達点。彼が守り続けた日々の輝き。彼と言う個が魅せる――これぞ神咒神威神楽である。

 

 

「これこそ俺の全身全霊。全力全開の一撃だ。此処に全て、乗り越え進んで行くが良いっ!!」

 

 

 迫る子らへと向かって、手にした一つの輝きを打ち放つ。迫る光の球体は、決して個では届かぬと感じさせる確かな至高。

 そんな光を前にして、立ち向かう者らは空を見上げる。前へと突き進む彼らは、唯只管に信じている。故にこそ、その期待を形にするのは、導き手たる聖母の花の役割だ。

 

 

〈皆さん。この戦いを見ている皆さん〉

 

 

 強大な光に向かって行く機動六課。そんな戦士達の中で唯一人、愛する少年に抱かれた少女は告げる。

 立ち向かう彼らに余裕はなく、故にリリィ・シュトロゼックが伝えるのだ。全てを、この戦いを見ている全ての民へ。

 

 

〈私達は今、戦っています。偉大な神と、私達の父親と、確かな今日を続ける為に〉

 

 

 トーマの流出は、世界全てを満たしている。既にこの地に生きる全ての人が、この光景をその目にしている。

 彼は共にある事を望んだから、友になる事を望んだから、全ての人に声が届くし、全ての人の声が届く。故にリリィは、此処に想いを告げるのだ。

 

 

〈私達は必死で、確かに向かい合っています。なのに皆さんは、見ているだけで十分ですか?〉

 

 

 見ているだけで満足か? 何もしないで満足か? 守られているだけで、果たしてそれで十分なのか?

 届くのは、光だけではない。届くのは、声だけではない。確かな想いも届くのだ。リリィの想いは届くのだ。

 

 誰もが見た。誰もが聞いた。誰もが知った。もう誰もがこの場の当事者で、無関係な者など世界の何処にも居はしない。

 

 

〈確かな強さが見たいと願っている父の最期に、見ているだけで十分ですか?〉

 

 

 故にリリィは問い掛ける。それで良いのかと。見ているだけで良いのかと。何もしないで良いのかと。

 そんな言葉に、誰もが答える。そんな想いに、誰もが応える。世界に満ちる力を介し、誰もが本気の想いに応えたのだ。

 

 否、と。否と否と否と否と、断じて否と答えたのだ。余りに強く、優しい愛を知ったから、誰もがこの瞬間だけでも、応えたいと想えたのだ。

 

 

〈ならば手を――皆の手を――確かに皆で示しましょう〉

 

 

 人の想いが此処に集う。人の心が此処に集う。人の魔力が此処に集う。全ての人が、此処に集う。

 最早、戦っているのは機動六課だけではない。この世界に生きる全ての民が、偉大な父へと立ち向かうのだ。

 

 

「これが私達全員の――今を生きる人々、全員の強さなんだって! トーマッ!!」

 

「ああ、受け取った! 全てを束ねて、此処に今――っ!!」

 

 

 立ち向かっていた少年達が、此処に足を止めて前を見る。集う魔力を両手で操り、一点へと集束していく。

 知っている。分かっている。集った想いを真に活かす為の、そんな力は確かにある。故にこそ、誰もが声を揃えて此処に言う。

 

 

『全力全開!!』

 

 

 それは個の極致――神咒神威神楽に対する答え。皆の絆で確かに放つ、集う星の輝きだ。

 八つの声が此処に揃う。百億を超える声が此処に揃う。誰もが声を此処に合わせて、その輝きの名を叫ぶ。

 

 

『スタァァァァライトォォォッ! ブレイカァァァァァァァ!!』

 

 

 そして、光と光が衝突する。たった一色の輝きと、数え切れない程の色。二つの光が衝突して――世界は極大の輝きに飲まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.

 ひらひらと桜の花が舞い散る様に、崩れて消えて行く。一つの戦いは、此処に終わった。

 余りに長く、余りに苦しく、それでも最期に報いはあった。そんな戦いは、此処に終わったのだ。

 

 

「確かに、魅せてもらった。ああ、確かに、見届けたよ」

 

 

 大地に降りた機動六課の前に、黄昏の守護者は一人立つ。その身に纏う装束は、最早戦場のそれではない。

 もう十分に見た。確かに認める程に見させて貰った。だからゆっくりと解ける様に、桜の如く散り行く神は微笑み語る。

 

 

「お前達は、もう大丈夫だ。とてもとても、とても強く育ってくれたから」

 

 

 もう大丈夫だと、もう必要がないのだと、そう認めて確かに笑った。そんな神を前に、誰もが言葉を詰まらせた。

 喜びの情がない訳ではない。成し遂げたと言う想いがない訳ではない。惜別の哀愁がない訳ではない。全てが余りに有り過ぎた。

 

 抱えた想いが重過ぎて、重ねた想いが重過ぎて、だから言葉に詰まってしまう。だから言葉を発する事が出来ないでいる。

 そんな子らの姿に笑みを深めて、天魔・夜刀は優しく見守る。今を生きるべき子らの姿を見守る彼の瞳には、情愛以外が何もなかった。

 

 黙り込んだ子らの中で、ふと彼がその事実に気付く。誰よりも中心に居た彼だから、誰より速くその事実に気付いた。

 

 

「……流出が、止まっている?」

 

 

 己の流出が止まっている。神と戦う為に、偽神と化していた皆が人に戻っている。その事実に、トーマはその目を丸くする。

 一体何があったのか。一体何をされたのか。誰がしたのか、とは問わない。こんな真似が出来るのは、目の前で消え行く赤き神だけであろうから。

 

 

「ああ、悪いが少し手を加えさせて貰った。俺の死と共に流れ出す様に――俺が消えるまでは、流れ出さない様にな」

 

 

 トーマの流出を押し止めて、影響を受けた者らを人に戻した。それは天魔・夜刀の所業。

 戦いの中で一瞬、確かに彼らは夜刀を超えた。だが超えたのはその一瞬で、それ以外はずっと相手が上だったのだろう。

 

 流出を解除されたと言う事実が、それを何より確かに示している。それにすら気付けなかったトーマは、罰が悪そうに頬を掻いた。

 そんな未熟な己の次に、僅か苦笑しながら夜刀は語る。彼が子らを人に戻した理由を。トーマの流出をこの今に、止めている理由を此処に語る。

 

 

「お前達は、生き急ぎ過ぎだ。……そうさせてしまった、俺が言うべき事でもないかもしれんが」

 

 

 トーマの流出は、人を神へと変える力。誰もを遥か高みへと、引き上げる絆の覇道。

 それは確かに素晴らしいが、この子らは未だ人としても満足に生きていない。永遠となるには、まだ余りに早過ぎる。

 

 だから、夜刀は止めたのだ。彼らが早熟に生きねばならない。そんな理由であった彼だからこそ、その時間を与えたかったのだ。

 

 

「少し止まって、当たり前に生きてみろ。生きて、死ぬまで、生きてみろ。その位の時間は、どうにか遺してから逝ってやる」

 

 

 永遠となるその前に、先ずは刹那を生きてみろ。そう語る夜刀の瞳は、何処までも優しく慈愛に満ちた物。

 彼が尊いと思った日常を、彼は子らに与えたかった。これはそんな我儘で、そうと知りながらもそれを為す。

 

 そんな神は、一つを詫びる。それは己の次代に対し、割を食わせてしまう事への謝罪だ。

 

 

「最も、俺もそう長くは持たん。お前には、少し割を食って貰う事になるが」

 

 

 天魔・夜刀はそう長くは持たない。もう既に崩壊は始まっていて、このまま消えて行く定めであろう。

 それしかないし、それで良い。彼が生きている限り、世界は止まってしまうから、それで良いとは分かっている。

 

 それでも、そこで詫びるのは、彼の死後に引き継ぐ神が一人っきりになってしまうからだ。

 トーマの覇道は絆の覇道。絆を結んだ相手や深く関わった相手を、本人の意志とは無関係に神格としてしまう。

 

 夜刀の想いを通すなら、トーマは生きている彼らに関われない。例え触覚越しであっても、干渉すればそれで終わりだ。

 彼らだけではない。偽神と化していたのは、この世界の民全員だ。故にトーマはその日が来るまで、誰にも干渉出来なくなるのだ。

 

 

「……ま、良いさ。何時までも、おんぶに抱っこじゃ格好付かないし。アンタの想いも、確かに分かる」

 

 

 そんな孤独な漂流を、トーマは確かに受け入れた。それはきっと、彼の願いが理解出来たからだけじゃない。

 永劫を一人で彷徨う訳ではない。人として生きた者らが死ねば、何時かまた彼の下へと戻って来よう。だから何時までも、逢えない訳じゃないと言うのが理由の一つ。

 

 そして、もう一つの理由は――

 

 

「それに、一人って訳じゃないからさ」

 

「うん。私も一緒に、ずっと居るから」

 

 

 寄り添う白百合は、ずっと傍にいてくれるから。繋いだ手の温かさを、確かに強く感じている。

 

 

「すまない。そして、ありがとう」

 

 

 そんな次代の言葉を受けて、夜刀は二つの言葉を贈った。それは謝罪と、感謝の言葉。

 先代の神に頷いて、次代の神は此処に誓う。何時かその時が来る日まで、世界を必ず支える事を。

 

 

 

 そして、崩壊は始まった。

 

 

「穢土が、崩れる……」

 

「ああ、この世界を蓋にする。俺の死骸を、蓋とする。それで、座への穴は暫く封じられるだろう」

 

 

 穢土が崩れ落ちていく。この大地が崩壊していく。紅蓮に染まった古の世界が、此処に終わりを迎えている。

 世界を以って蓋とする。神体を以って穴を塞ぐ。今の神座世界が近い状況では、彼らも安心して暮らせぬだろうから。

 

 世界に空いた穴を、己の身体を使って封じる。その末期に遺す物こそが、百年は揺るがぬであろう安定だ。

 

 

「この世界を使うのですか? 貴方なら、それが無くても出来るんじゃ」

 

「ああ、そうかも知れんな。だが、一人で逝くのは少し寂しい。……想い出(コレ)くらい、持って逝かせろ」

 

 

 崩壊する穢土の中、この世界まで壊す必要があるのかと言う問い掛け。それを受けて、夜刀は苦笑する。

 必要はない。代替は可能だ。それでも、この世界を使うのは、一人で逝くのは寂しいから。そんな風に、彼は笑った。

 

 そして、語る。何れ来るであろう未来と、其処に至るまでに過ごすべき日々の輝きを。

 

 

「お前達は、何れ波旬と戦う事になる。だが、それは今じゃない。今である、必要はないんだ」

 

 

 彼らは死して後、トーマと共に立ち向かう事になるであろう。彼らが居なければ、波旬に打ち勝つ事が出来ぬから。

 されど、今直ぐにそうする必要などはない。余りに急いで生きて来たのだ。今はゆっくりと休んでも、誰も攻めはしないだろう。

 

 

「先ずは生きて、そして死ね。当たり前の様に笑って生きて、眠る様に死んで逝け。全てを終えたその後で、トーマの奴を助けてやればそれで良い」

 

 

 当たり前に生きて、安らかに死ぬ。そうした命の果てに、夜刀の加護が真に失われた時、その戦いは幕を開ける。

 そんな最後の日々までは、今を安らかに生きると良い。それがこうして世界を繋いで来た者達に、与えられるべき褒賞なのだ。

 

 

「良い物だぞ。何もない、唯の刹那(ニチジョウ)と言う物は」

 

 

 そう微笑んで、手を翳す。輝く光が子供達の身体を包んで、ゆっくりとその身を浮遊させる。

 感じる力は、転移の感覚に近い物。この地から押し出そうと言うのであろう。優しく力を込め過ぎない様に、今の民を穢土から脱出させる。

 

 そんな意志が分かったから、そうなる前に言葉を紡ぐ。これが最期の別れであるから、高町なのはは言葉を発した。

 

 

「神様っ! 伝えたい事がありますっ!」

 

「……ああ、聞こう」

 

 

 優しい光に包まれて、ゆっくりと帰るべき場所へ。そうして消え去っていく前に、高町なのはは口にする。

 それは彼女の血筋が背負った役割。ずっとずっと言わなくてはいけなかった、もっと早くに言うべきだった、そんな一つの言葉であった。

 

 

「今まで、ありがとうございました!」

 

 

 それは、感謝。今日この日を迎える事が出来た。そんな事実への感謝。

 

 

「本当に、本当に、ありがとうございました!」

 

 

 神が続けてくれた世界。彼が居たからこそ在り得た世界。其処に産まれた女が語る。万感の想いと共に伝える。

 

 

「辛い事は一杯あったけど――」

 

 

 辛い事は多かった。失われた命が多く、奪われた命も多く、悲劇はそれこそ山ほどに。

 それを全て割り切れたかと言えば、断じてそんな訳がない。抱える痛みは、永劫拭える事はないだろう。

 

 

「悲しい事も、苦しい事も、一杯一杯あったけど――」

 

 

 悲痛も、苦痛も、もう十分だと思う程に味わった。これ以上はないと言う程、痛くて痛くて痛かった。

 そんな痛みは今も何処かに、癒えずに残っているのであろう。だがそれでも、重ねた想いはそれだけではなかったのだ。

 

 

「楽しい事も、嬉しい事も、一杯、一杯あったから――」

 

 

 楽しい事も確かにあった。嬉しい事も確かにあった。幸福な時間は其処に、確かにあったと断言出来る。

 そんな時間すら、彼が居なければ得られなかった。辛い事も悲しい事も苦しい事も楽しい事も嬉しい事も――全ては生きていればこそ、得られた物であったから。

 

 

「今までありがとう! 私達は、もう大丈夫です! これからは、私達が、私達で、確かな今を生きていきます!!」

 

「……そうか。ああ、そうか」

 

 

 此処に、綾瀬の役は果たされる。彼女の想いは確かに届く。別れを前にして、その感謝は確かに伝わる。

 故に滂沱の如き想いを堪えて、溢れんとする想いを抱えて、天魔・夜刀は確かに告げる。感謝の言葉をくれた子らへと、己の抱えた確かな想いを。

 

 

「良く生きよ! 黄昏の子らよ! その道の果てが如何なる形に成ろうとも、俺はその道程こそを言祝ごう!!」

 

 

 どんな形になろうとも、確かに生きたと言うその事実。唯それだけで、祝福するには十分なのだ。

 消え行く子らを笑顔で見送る。今日を、そして明日を生きる子らを見送る。最後の一人が飛び立つまで、飛び立った後になっても、ずっとずっと見送り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、子らは明日へ向かった。昨日に遺された男は一人、転移の光の残滓すら消え去るまで見届けてから小さく呟く。

 

 

「行った、か」

 

 

 その言葉はまるで、長い長い道のりを歩き続けた老人が、漸くに腰を下ろした時の様に。

 その言葉はまるで、重い重い背負い続けた荷物を其処で、漸くに背から下せた時の様に。

 

 余りにも濃厚に過ぎる安堵が籠った、そんな小さな一言だった。そうして、荷を下ろした瞬間に彼は自覚する。

 

 

「ああ、行って、しまったか」

 

 

 行ってしまった。子供達は皆、行ってしまった。明日に向かって、確かな強さを胸に抱えて。

 逝ってしまった。仲間達は皆、逝ってしまった。過ぎ去った日々に一人、取り残された今を想う。

 

 音を立てて崩壊していく穢土の大地。ゆっくりと崩れ落ちていく己の身体。

 ひらひらとひらひらと舞い散る桜の花が如く、散った花弁は戻らない。昨日はもう、此処で終わってしまうから。

 

 

「……まだ少し、時間はありそうだ。なら、そうだな。想い出を振り返りながら、終わるとしよう」

 

 

 それでも、まだもう少しだけ時間がありそうだった。己が消え去るその時までに、あと少しだけ時間があった。

 だから、過去を振り返ろうと思う。一人で過ごす末期の時間は、余りに寂し過ぎたから、最期に振り返って逝こうと決めた。

 

 赤き瞳の神は歩き出す。一歩一歩と崩れながらに、今も壊れ続ける故郷の街を歩き始めた。

 

 

「懐かしい。未だ、残っていたんだな。このアパート」

 

 

 居並ぶ住宅地の一ヶ所に、ポツンと佇む二階建ての小さなアパート。長い時の果てに風化して、崩れ落ちている残骸。

 それでも、瓦礫の形が残っている。微かな形が残っていた。故にその欠片を拾い上げ、天魔・夜刀は瞳を緩める。懐かしいと、過去を此処で振り返る。

 

 

「司狼の馬鹿が格ゲーやりたいからって穴を開けて、香純の馬鹿も負けてられるかって穴開けやがって、俺の部屋を道代わりに使うなってんだよ。あの馬鹿共」

 

 

 一人暮らしは危ないからと、幼馴染三人で入居した。左右の部屋が友人だからと、彼らは余りに破天荒な事をする。

 部屋の壁に穴を開けて、扉代わりのポスター一つ。借りているだけの部屋をそんな形にしてしまい、大家に一体どう説明した物かと。

 

 何時もそんな風に頭を抱えるのは、振り回される彼の役割だった気がする。そんな苦楽の記憶すら、今となっては懐かしい。そんな風に笑って進む。

 嘗ての家から歩を進め、自然と足は一つの方向へ。繰り返し、繰り返し、日々の繰り返しを身体が覚えていたのだろう。気付けば、嘗ての学び舎の前に居た。

 

 

「好きじゃないとか言ってたけど、本当は結構気に入ってたんだよな。この校舎。日常を近くに、感じられてたからさ」

 

 

 既に壊れた校舎を見上げて、そんな風に小さく零す。思春期の少年らしく勉学の類は好きじゃなかった。それでも、この場所は嫌いじゃない。

 日常の香りがするのだ。日々を実感できたのだ。毎日毎朝、繰り返して通ってきた場所だから、確かに過ごした日常風景。それが此処では、とても強く感じられた。

 

 

「だから、アンナや螢が来た時、腹が立った。俺の日常を壊すなって、あの時は本当に向こう見ずなガキだったな」

 

 

 まだ幼かった怒りの日。まだ未熟だった日常の終わり。この学園を巻き込んだ、彼女達に怒りを抱いた。

 彼我の実力差も分からぬガキが、許せないと言う怒りだけで噛み付いた。そんな形だったと言うのに、良くぞまあ生き延びた物だ。

 

 嘗ての未熟を思い出し、遠く何かを見詰める様に。そうして暫し過ごした後、天魔・夜刀は進み出す。崩れるままに、歩き続ける。

 

 

「古びた教会とか、正直俺のキャラじゃない。絶対、先輩が居なきゃ一度も来る事はなかったよな」

 

 

 次に辿り着いたのは、ロマネクス調の古びた教会。国内では珍しいであろう、本格的な神の家。

 だが既に、その形骸は殆ど残っていない。屋根の上にあった十字架は、根本から圧し折れ消えた。

 

 そんな教会跡を前にして、想うは其処に居た人々。信心深い性質ではなかったから、彼らが居なければきっと此処に来る事などはなかっただろう。

 

 

「シスター・リザと、トリファ神父と、先輩が暮らしていた場所。あの強気な態度の裏で、本当はずっと心細かったんだよな。あの時の俺は未熟すぎて、そんな事すら気付けなかった」

 

 

 何時も独特な調子で、散々に振り回してくれた銀髪の少女。そんな彼女を愛した家族たち。瞳の裏に、もう消えた者らを浮かべる。

 夕食に招かれて、共に食卓を囲んだ事もある。彼らには裏があって、最初から別離は決まっていた。そうだと知っても、過ごした日々は嘘じゃない。

 

 そして、次にはああ何処へ行こうか。僅か迷った足は北西の方角へ。其処へと向かう理由は、きっとたった一つであろう。

 寂しいから、振り返った。けれど思い出す度に、寂しさは強く募っていく。だからこそ、少しでも仲間達との記憶に触れていたかったのだ。

 

 海浜公園を抜けて進む。この場所も想い出深い場所であり、思わず足を止めたくなる。そんな場所を歩いていく。

 在りし日に太陽と交わした約束を、確かに覚えていると微笑みながらに橋を渡る。途中で崩れた橋ではあったが、それでも一歩一歩と残った場所を踏んで歩いた。

 

 途切れた橋の先、跡形もなく壊れた遊園地を抜けて、次に足を止めた場所は巨大な鉄塔。

 最早機能を失って、唯の鉄屑となったガラクタ。諏訪原タワーを見上げて一人、天魔・夜刀は笑って語る。

 

 

「諏訪原タワー。最後のスワスチカが開いた場所。戒が逝った場所で、ミハエルと戦った場所。アイツの正体、最初は全く分からなかった。ってか、分かって堪るかってんだよ」

 

 

 トバルカインが倒れた場所で、マキナと雌雄を決した場所。――そして何よりも、此処は彼女と共に過ごした場所だ。

 

 頬にクリームを張り付けて、甘いパフェを食べていたその姿。生前は出来なかったであろう、何処か必死に箸を進めていた姿を想う。

 断頭台の呪いを受けた、罰当たりな娘。そんな彼女に恋した神が、作り上げた贈り物。それが自分であったのだと、震えた夜に苦笑した。

 

 

「本当に、色々な事があった」

 

 

 歩を進める。寂れた街の中を抜け、崩れていく歩を進める。辿り着いた場所は、この街の掃溜めだった場所。

 行き場を無くした愚連な者らが、最後に辿り着くボトムレスピット。そんな場所をアジトにして、抗っていた日々を想う。

 

 

「本当に、色々な事があったな」

 

 

 歩を進める。寂れた街の中を抜け、壊れて行く身体を進める。辿り着いた場所は、雷の乙女が没した地。

 思い出す様に足を進める。もしもあの日、あの時に、彼女に出逢わなかったのならば、何かが変わっていたのだろうか。

 

 刀剣展示展が行われていた会場。その奥の奥、特別展示場まで足を進めて、あの日を思い出して笑っている。

 

 

「ほんっと、情けなかったよ。幾ら刃物が苦手だからって、気を失うとかどんだけだよって――なぁ、マリィ」

 

 

 言葉を発して、気が付いた。足がもう、動かない。だから、天魔・夜刀は腰を下ろした。

 嘗て彼女と出会った場所。その展示台に背を預けて、動かなくなった足を伸ばす。伸ばした先から、零れ落ちて足を無くした。

 

 

「此処で、君に出逢った。今だからこそ、想うよ。君に出逢えたから、俺はこうして頑張れた」

 

 

 きっと、此処に来たのは必然だろう。此処で動けなくなったのは、何となく分かっていたからだろう。

 最期は君と出会ったこの場所で、そんな風に願っていた。だから、此処まで持ってくれた。此処で終われる様に、無意識に動いていたのだろう。

 

 

「大好きだ。愛している。何が起きようとも、どれ程の時が経とうとも、それだけは決して忘れない。俺は今も、君の事を愛している」

 

 

 手足の先端から、ゆっくりと身体が消えて行く。ひらひらと、ひらひらと、崩れる様に消えて行く。

 散った花弁は戻らない。覆水は盆に返せない。確かに穴を塞げる様に、遺す物を生み出しながら、天魔・夜刀は消えていく。

 

 

「そろそろ、終わる。漸く、終われる。……流石に、少し疲れた」

 

 

 もう大丈夫。もう大丈夫なのだ。子らは強く羽搏いて、己は今、確かに穴を塞いだ。

 だから、もう本当にやる事がなくなった。本当にその荷を下ろして、天魔・夜刀は息を吐く。

 

 深い、深い深い溜息を。万感の想いと共に、全ての荷を下ろしたからであろうか。

 もう何も見えなくなった。もう何も聞こえなくなった。全ての感覚が暗闇へと、己の意識が落ちて行く。

 

 それで良い。もうそれで良いのだと、確かに彼は想えていたから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈お疲れ様。蓮〉

 

 

 さて、それは如何なる形の奇跡であったのだろうか。

 

 

「あぁ」

 

 

 もう五感を無くした彼が、唯の幻を見ているだけなのか。

 それとも、蛇が白百合より抜き出した残滓。それが如何なる形でか、確かに結実していたのか。

 

 そんな事は分からない。そんな事を考える程の力すら、もう彼には残ってなかった。

 真実は闇の中に、誰にも何も分からない。だから、此処にある事実はたった一つ。彼は最期に、彼女に逢えた。

 

 

「あ、ぁぁ――」

 

 

 彼女に逢えたら、話したい事があった。それこそ一杯、山の様に語りたい言葉があった。

 辛かった日々も、寂しかった日々も、そしてそんな果てに得た輝きの自慢だって、沢山沢山したかった。

 

 だけど、もう言葉を口に出すのも辛い。目を開いている事が難しい。意識を保つ事すら大変だった。

 瞼が重い。口を開きたいのに、言葉を交わしたいのに、どうしようもなく瞼が重い。だから、だから、だから――今は眠ろう。

 

 また逢えたから、きっと、また逢えると願って――今はもう眠るとしよう。

 

 

「……お休み、マリィ」

 

 

 目を閉ざす。お休みと言って目を閉ざす。そうして眠りに落ちた夜刀の身体を、黄昏の女神は抱き締める。

 優しく、優しく、包み込む様に。愛しい者を抱き締めて、その頑張りを労う様に。その抱擁の中で、天魔・夜刀は消えていく。

 

 

〈うん。お休みなさい。愛しい人(モン・シェリ)

 

 

 閉ざした瞼は、もう開かない。戦い続けた嘗ての守護者は、愛しい女神に包まれて、その腕の中で眠りに落ちる。

 古き世より、世界を支え続けた夜都賀波岐が主将。天魔・夜刀――藤井蓮と言う名の男は、こうしてその命に幕を下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 穢土決戦、此れにて閉幕。古き世より続いた長い長い戦いが、此処に終わりを迎えた。

 

 

 

 

 




夜刀様「……想い出(コレ)くらい、持って逝かせろ」
エド「っ!? 持って逝かれたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


此れにて、穢土決戦は終了。後は近日中にエピローグを流して、物語は終了となります。
皆様長らくお付き合いくださり、誠にありがとうございました。


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