リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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乙女達の戦い。その規模はこれまでで一番小さいだろうが、その想いの熱量はきっと何処にも負けていない。そんな仕上がりを目指してみました。


第三話 無間地獄を乗り越えろ 其之伍

1.

 古き世にあった一つの学園。既に終わった嘗ての校舎。錆び付いた門を乗り越えて、荒れ果てた敷地の中を駆け抜ける。

 目指すは一つ、校舎の屋上。斜めに傾いている剣道場の前を横切って、内へと続く場所へと向かう。即ち月乃澤学園の校舎入り口へと。

 

 進む道筋は、決して安穏たるものではない。これまでの旅路がそうであった様に、この先もまた確かに難攻不落だ。

 

 空より落ちて来る血の雨が、次から次へと蜘蛛を産む。人の身の丈よりも巨大な蜘蛛。その巨大さに応じる様に、確かな脅威と迫り来る。

 凍った時間に守られて、牙を剥く無数の軍勢。他の戦場に比すれば軽く見える様な光景も、この場を駆ける少女達にとっては一分一秒が綱渡り。

 

 

 

「クロスファイアッ! シュートッ!!」

 

 

 橙色の少女が、銃を握って撃ち放つ。両の腕から放たれた無数の弾丸が、機先を制して蜘蛛の進撃を僅かに止める。

 たった一匹、数秒止めるだけでも十数発。動きを止めた蜘蛛へと向けて、ティアナは歪みを行使した。

 

 黒石猟犬。それは必中を騙る魔弾。全力全開。カートリッジを消費して、撃ち放たれる漆黒の弾丸。魔力弾で足を止めていた蜘蛛は、その身を穿たれ砕け散る。

 駆ける猟犬は蜘蛛の一匹では止まらずに、二匹三匹と射抜いていく。だが、それが限界。ティアナ・L・ハラオウンの全力で、倒せた蜘蛛の数は三。三匹目を穿った時点で、黒き魔弾は力を失い相殺した。

 

 そんな蜘蛛が、数え切れない程に溢れている。尽きず絶えずに迫る怪異の光景は、正しく窮地と言える物であろう。

 だがしかし、それがどうしたと言う話。所詮はその程度。これで心が折れると言うなら、遥か昔にこの少女は進む事を諦めていたであろう。 

 

 

「行くわよっ! リリィ!」

 

 

 足りない。足りない。足りていない。ティアナ・L・ハラオウンの前に進む意志を砕くのに、この窮地は全くと言って良い程足りていない。

 魔力弾でも数十で、黒き猟犬ならば一発で、道を生み出す事は出来るのだ。故に当然、前に行く。足を止める道理はないから、唯只管に前進する。

 

 目指すは校舎の屋上。足を止める理由はない。校庭に転がり落ちる想いの欠片。それに駆け寄りたいと願うが、今は足を止めている暇がない。

 迫る蜘蛛の隙間を縫って、動きを止めながらに前進する。蒼い瞳で先を読み、機先を制する様に必ず撃ち込む。そうして、全く被害を受けずに前へ進む。

 

 瞬きの時間でさえ命を落としそうな状況で、それでも突き進む想いの熱。それは確かに生きる輝き。きっと他の何処にも負けてなかった。

 

 

「……はぁ、はぁ、はぁ」

 

 

 力の消費を最小限に抑えたまま、進める道を探して作り出す。生み出した道は、校舎をぐるりと回る遠回り。

 校門から昇降口までは僅かなものでも、溢れる蜘蛛を遠巻きに進めば相応の距離となる。一時も休まずに駆けるとなれば、負担は確かに重いであろう。

 

 息を荒げて、ティアナの背を追う。白き百合の少女には、言葉を返す程度の余裕もない。

 元より運動が得意だと、言える程に活発ではない。単独で戦闘が出来る様な、そんな設計もされてはいない。

 

 生み出される道は、極めてギリギリな隙間である。高所で行われる綱渡りの如き険しさで、秒と遅れれば落下するのだ。

 単純な運動量としても、精神に掛かる負担の上でも、リリィ・シュトロゼックには既に重い。おいていかれないだけで、それが彼女の限界だった。

 

 

「遅れてないわよねっ! 付いて来てるっ!?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ! 大、丈夫っ!」

 

 

 それでも、弱音だけは吐かない。辛いのは自分だけではないと、確かに知っているのだ。分かっている。

 

 迫る蜘蛛は数匹だけでも、対処能力を超える程。蒼い瞳に映る未来は、余りに断片的過ぎて、知識が無ければ役に立たない。

 そんな極めて不利な現状。それでさえ、大天魔はまだ動いていない。そうと分かっていればこそ、流れる汗の冷たさは誤魔化せない。

 

 それでも、ティアナは道を切り拓く。そんな逆境でも、確かに道を開いている。ならばリリィ・シュトロゼックが、どうして弱さを見せられようか。

 歯を食い縛って、大丈夫と虚勢を張る。友達として、同じ男を想う女として、この相手には遅れていたくはない。そんな白百合の想いを悟って、ティアナは笑いながらに言った。

 

 

「上等っ! ならっ! ギアを上げるわよっ!!」

 

 

 校舎の壁に沿う様に、走っていたティアナが叫ぶ。同時にクロスミラージュが火を噴いて、漆黒の魔弾が飛翔した。

 弾丸が射抜いたのは、迫る蜘蛛の胴体ではない。進む為に必要な前腕を、黒き弾丸が奪い取る。前に倒れ込む様に、津波の先触れが崩れて落ちた。

 

 一瞬、止まった大海嘯。続く蜘蛛は障害物を回避する様に、或いは前の蜘蛛を圧し潰す様に、縦に横にと溢れていく。

 僅かな停止と共に、山の様に変わって行く。そんな化外の大山こそが、ティアナが望み求めた物。橙の少女は此処に、崩れた蜘蛛を踏み台にする。

 

 高く、高く、高く――目指すは昇降口ではなく、二階教室へと続く窓。

 

 

「はっ!」

 

 

 魔力を伴う跳躍で、崩れた蜘蛛の頭部を踏み付ける。そのままもう一度と跳躍し、蜘蛛を乗り越えようとする次の蜘蛛も足場に変える。

 二匹、三匹。身の丈程はある蜘蛛を重ねて、校舎の二階にまで飛び上がる。身を翻しながら撃ち放った黒き弾丸が、教室の窓ガラスを叩き割った。

 

 

「リリィっ!」

 

 

 銃撃の反動で空中へと身を投げ出しながら、確かな瞳で友を見詰める。お前にも出来るであろうと、そんな仲間を信じる瞳。

 空から見上げる瞳を見返し、リリィは確かに頷いた。友が出来ると信じた。ならばその友を信じよう。己は確かに出来るのだと。

 

 

「っ! うんっ!!」

 

 

 息を飲み干し足を踏み込む。飛び上がって、その影を追う。彼女が進んだ様に、その道の後を追う。

 足下に感じる感覚。不安定に過ぎる足場は、一秒だって保てやしない。押し潰そうと続く蜘蛛は、足を止めてはいないのだ。

 

 蜘蛛の牙が迫り来る。害成す病床を取り除かんと、自浄作用が牙を剥く。それでもリリィは、怖れもせずに飛び越えていく。

 震え慄き、立ち止まっていれば喰われていた。瞬きをする程度の時間で、間に合わなくなっていた。そんな極限を乗り越えて、リリィは其処から先へと進む。

 

 壊れた窓へと身を投げ出して、転がる様に中へと飛び込む。凍った地面の硬さに身体が痛むが、苦悶の声を上げる事すら彼女達には許されない。

 乗り越えただけ、直ぐに後続が追って来る。飛び込んだ教室の先に、蜘蛛の軍勢が居ないとは限らない。故にこそ僅か一瞬ですら、思考を止める事は出来ないのだ。

 

 

「アンカーッ!」

 

 

 歪みを纏った黒き刃を、教室の天井へと叩き込む。深く突き刺さった刃を支えに、ワイヤーを引っ張りティアナも続く。

 立ち上がったリリィの傍らへと飛び込んで、展開したワイヤーガンを収納する。そのまま流れる様に双銃で、一つの術式を発動した。

 

 

「クロスミラージュ!」

 

〈Area search. complete〉

 

 

 展開したのは探知魔法。僅か一瞬の時間を浪費する引き換えに、彼女が求めたのはこの学園の構造図。

 

 ティアナの魔眼は、映像を見せる能力だ。求めた解答へと繋がる、断片的な絵柄を視る力。

 その性質上、明確な答えなど視えやしない。前後の脈絡など一切ない画像を見て、その状況を推理推測しなくてはいけない異能だ。

 

 見知らぬ場所が浮かぶ事すら当たり前。この穢土で未来を視ると望めば、見知った景色など何一つ視えやしない。

 知らないならば、先ずはその場所が何処にあるのか知らねばならない。どんな状況に至れば、望んだ結果に繋がるのかを推理しなくてはいけない。

 故にこその探知魔法。立体図形として脳裏に刻まれた構造図と、視ていた景色を此処に合わせる。望んだのは相棒の下へと、繋がる道は何処にあるのか。

 

 

「西校舎、D階段ッ!」

 

 

 二階から三階へ上がれる場所。写真の様な未来の景色と、脳裏の図形を合わせて判断したのは校舎の最西端。

 進むべき場所を見付け出すと、ティアナは教室の扉を撃ち抜く。数十数百と魔力弾が、廊下へ続く道を生み出した。

 

 瞬間、外から入り込んでくる群れ。校舎の内部を埋め尽くす程、溢れる蜘蛛は外より多い。

 それも当然、寧ろ教室内で遭遇しなかったのが奇跡に近い偶然だろう。何しろ、蜘蛛は上から堕ちて来るのだ。上層へと近付けば、増えてしまうは道理である。

 

 それでも、此処が一番手薄。ティアナの蒼き瞳は、奇跡や偶然を確定事象へと変える異能。

 最も少ない場所へ自然と辿り着く様に、最も手薄なルートを至れる様に、なればこそ突破は出来る。この光景は既知である。

 

 

「黒石ッ! 猟犬ッ!!」

 

 

 漆黒の魔弾を走らせて、迫る怪異の脅威を挫く。動きを止めた化外の隙間を、二人の少女が摺り抜け進む。

 教室から飛び出して、西へと進む。途中に上下へ続く階段を見付けるが、ティアナは振り向く事すらしなかった。

 

 其処では駄目だ。視えなかったとは、そう言う事。仮に其処を超えたとしても、望んだ未来には辿り着けない。

 故に化外の森を掻き分けながら、最西端へと進んで行く。持ち込んだカートリッジの消費量に、不安を飲み込み隠しながら進み続ける。

 

 そうして、西端にある階段へと辿り着く。一階から四階までを繋ぐ大きな階段は、しかし半ばから崩れていた。

 経年劣化で壊れた階段。億年の果てに崩れた場所。二階から三階へと、続く踊り場が辛うじて残っている。その残った道こそ、ティアナがその目に視た景色。

 

 

「跳ぶわよっ! その上で、振り返らず駆け抜けなさいっ!!」

 

「……分か、ったっ!!」

 

 

 飛び上がって、着地する。踏み付けた階段が、その瞬間に崩れていく。壊れ続ける足場を上へ、飛び移って進み続ける。

 続く道がないからこそ、追い掛けて来る化外は止まる。一階二階に潜んだ蜘蛛は、此処でならば気にする必要性がない。

 

 それでも、上から来るのは別問題。三階の踊り場から滝の如く、巨大な蜘蛛の群れが落ちて来る。

 溢れかえって、場を壊しながらに押し寄せる。そんな群れを前に恐れずに、ティアナは弾丸を正面へと向けて放った。

 

 足を踏み込んだだけで崩れる足場は、無数の群れと着弾の衝撃に耐えられずに崩壊していく。

 開いた穴の中へと、無数の群れと瓦礫が落ちる。次から次へと溢れ出す、その群れによって穴が埋まった。

 

 それも確かに視ていた景色。穴が埋まるのとほぼ同時に、足場を崩しながらに走り続けていた少女らは其処に着く。

 躊躇う事なく、ティアナは蜘蛛の頭を踏んだ。そうして、そのまま雨の中を突き進む。穴を埋める様に降り注ぎ続ける化外を、彼女は再び足場としたのだ。

 

 上から落ちて来る化外には、ぶつからないルート。偶然に生まれる雨の隙間を縫う様に、必然として開いた道を突き進む。

 立ち止まらないティアナの背中に、追い掛けるリリィも立ち止まらない。呼吸一拍でもタイミングがズレれば、この滝に飲み干されてしまうから。

 

 

「はぁ、はぁ……ティアナっ! 次はっ!?」

 

「前っ! 其処の教室っ!」

 

 

 穴に埋まった蜘蛛の身体を足蹴に、校舎の三階へと到達。すぐさま問うたリリィに向けて、答えながらに発砲する。

 黒き魔弾が扉を撃ち抜き、開いた教室へと飛び込む。一瞬でも足を止めれば蜘蛛が押し寄せて来るから、決して振り返りはしないのだ。

 

 

「リリィっ! 椅子と机を並べてっ!」

 

 

 言って銃口を上へと向ける。彼女の瞳がその先に一体何を視たのであろうか、問い駆ける必要性などない。

 唯信じて、故に頷く。大急ぎで机を持ち上げ、縦と横に二つと並べる。椅子を添えた形は正しく、即製稚拙な階段だった。

 

 

「撃ち抜けッ! ディバインバスターッ!!」

 

 

 そして、ティアナが撃ち貫く。全力で歪みを行使して、カートリッジを三つと使って、教室の天井に穴が開いた。

 

 三階教室から四階教室へ、上下を繋ぐ一つの穴。並べた机は階段代わりに、穴に向かって駆け上がる。

 高さが僅かに足りないが、穴に手を届かせるには十二分。後は腕の力で身を持ち上げて、そのまま四階へと到達した。

 

 

「あと、一階」

 

 

 先に進んだティアナに手を引かれ、同じく辿り着いた白百合はそう呟く。

 あと一階。疲弊や消耗は隠せぬ程だが、もう此処まで近付いた。あと一階で、逢えるのだ。

 

 心に感じる歓喜の欠片。安堵をするには未だ早いと、緩み掛けた心を想いで燃え上らせる。

 きっと待っている彼の下へと。大好きな彼の下へと。この手を届かせるのだと、リリィ・シュトロゼックは立ち上がり――

 

 

「リリィッ!」

 

「っ!?」

 

 

 叫び声と共に上を見上げる。視界に入った光景は、轟音を立てて崩れ去る校舎の天井。

 ティアナ・L・ハラオウンの全力でも、穴を開けるが限界。それ程に強固な筈の校舎が、余りにも呆気なく瓦礫と変わった。

 

 

 

 崩れ落ちた学園。砕け散った校舎の半分。瓦礫の山に少女らは飲まれて、その瓦礫すらもその女は踏み潰す。

 月乃澤学園を崩壊させたその犯人、それは当然ティアナじゃない。無論リリィな筈もない。神の想い出を砕いたのは、神と同じくこの地を愛する女であった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 輝きを無くした銀の髪。緑の衣を纏った女は、一人ぼっちで涙を流す。

 神の身体を前にして、頭を下げる様に口にする。何度も何度も口にするのは、想いを穢す自責の念だ。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 トーマの純化とは違う。彼を傷付けた者らに下す罰とも違う。これは唯、己の弱さ故に起きた出来事。

 身動き出来ない今の常世に出来る事など、蜘蛛の指揮と僅かに随神相を動かす事だけ。それだけでは、迫る少女らを止められなかった。

 

 故にこそ、天魔・常世は最初からこうする心算だった。月乃澤学園を檻に変えて、想い出ごとに少女達を圧し潰す為に蜘蛛を指揮していた。

 

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 

 無論、追い込む手筋に隙はなかった。壊したくなどなかったから、殺す心算で蜘蛛を操っていた。

 それでも、それでは足りないと分かっていた。天魔の瞳は全てを視るのだ。天魔・常世は、ティアナの歪みを知っている。

 

 自他の力量差など関係なく、偶然を必然に変える異能。使い勝手こそ悪いが、一度嵌ればどうしようもない力。

 可能性が零でない限り、必ずその偶然を発生させる。敵としての視点で見た時、ティアナの歪みはそう言う物だ。

 

 これを封じるには、先ず可能性を零にする事。それ程に隔絶した力の差が必要で、しかし常世はそれ程に図抜けていない。

 女は戦士ではない。産む者であって、戦う者ではないのだ。そんな彼女の弱さが故に、無傷での勝利などは望めないと分かっていた。

 

 故に砕いた。故に壊した。随神相を動かして、大切な想い出を己で壊した。それが必要だったから、壊すしかなかった。

 巨大な女の顔をした芋虫。紫の体表面に張り付いた、無数の赤子の顔が泣いている。痛い痛いと、赤子の声で泣いていた。

 

 

「……でも、これで――」

 

 

 想い出を壊した。彼と出逢って、彼と過ごして、彼に惹かれた場所を壊した。それと引き換えに、必勝の策は確かに成った。

 故に何処か安堵を覚えて、天魔・常世は顔を上げる。零した涙を袖で拭って、瓦礫と化した校舎を見下ろす。其処には確かに、破壊と引き換えに得られた成果がある筈で――

 

 

「な、んで……」

 

 

 そんな物はなかった。ある筈のない者がまだ残っていて、故に天魔・常世はその瞳を驚愕で見開いた。

 

 

「視えてたのよ。()()()()()()

 

 

 未来を照らす瞳は既に、その先までも視えていた。常世が胸の痛みを抑えて、想い出を踏み躙る場所まで視ていた。

 故にこそ、最西端を目指した。途中で最短距離を選ばなかった理由は即ち、何時でも脱出できる場所に居る必要があったから。

 

 あのタイミング、あの場所でだけ、崩れ落ちる瓦礫と押し寄せる随神相の隙間が生まれる。それは既に知っていた。

 故にその瞬間に間に合う様に、時間を合わせて動けば良い。そうすれば偶然は必然となり、己達は生き残る事が出来るのだと。

 

 そうした未来が視えていたから、ティアナ・L・ハラオウンは全てを賭けた。

 ほんの数秒にも満たない時間にベットして、手に入れたのは勝利の鍵。随神相が校舎を砕いた今の景色に辿り着く事こそを、ティアナは最初から望んでいた。

 

 

「道は繋がった。アンタのお陰で、最後の欠片が此処に嵌った。後は――分かってるわねっ! リリィっ!!」

 

 

 勝利に繋がる景色を視た。その景色を此処に、確かな形で再現した。故に、ティアナ・L・ハラオウンの役割は此処で終わりだ。

 瓦礫と崩れた四階から飛び降りて、抱えたリリィに向かって告げる。此処から先を踏破するのは、即ち彼女の役割であるのだと。

 

 ティアナに抱えられた白百合は、強き瞳で言葉に頷く。言葉にせずとも分かっている。その想いはもう揺るがない。

 リリィ・シュトロゼックは前へと進む。此処に繋がった道を踏破して、愛する男の下へと向かう。辿り着く未来は既に、その瞳が知っている。

 

 アンカーモードで展開したクロスミラージュ。歪みと共に撃ち放った鋭い刃が、赤子の顔を貫き潰して突き刺さる。

 繋がる握りを乙女に託して、その背を押して地面に落ちる。信じる瞳を背に受けて、リリィは勝利の道を駆け抜けた。

 

 そうとも、目指していたのはこの絵図面。天魔・夜刀の随神相に絡み付く、天魔・常世の随神相。その身体が届く位置まで降りて来る事。

 この随神相は続いているのだ。巨大な蛇の半身と、病み衰えた人の半身。トーマ・ナカジマを取り込んでいる天魔・夜刀の身体へと、それが唯一本の道となる。

 

 

「あの馬鹿トーマの事だけ想って、突き進みなさいっ! 天魔・常世の随神相のその上をっ!!」

 

「――っ!?」

 

 

 校舎を壊す為、真っ直ぐ伸ばされた紫色の体躯。手にしたデバイスを手繰り寄せ、リリィはその外皮へと着地する。

 瞬間、狂気の波動が彼女を襲った。蟲の外皮に飛び乗り身体に手を乗せた瞬間に、触れた部位から浸食するのは神威の圧だ。

 

 人を狂わせる狂気の波動。意志を震わせる程、奏で続ける赤子の悲鳴。突き付けられた覇道は正しく、骨肉食ませる闘争強制。

 天魔の身体は一つの宇宙だ。各々が異なる法則を宿していて、触れただけでも影響を受ける。その随神相に乗ってしまえば、それこそ法から逃げられない。

 

 

「……トーマ。今、行くね」

 

 

 それでも、天魔・常世だけは例外だ。彼女の宿した法則は、産み直すと言う異能。それ以外の全ては、彼女自身の色ではない。

 故に狂気の波動は密度が薄い。闘争強制の法則は、他の神々に比べて弱い。そうであるからこそ、随神相に触れる事が即死を意味しない。

 

 付いた掌を基点として、這い上がる狂気は人の意志を挫くであろう。それでも、一瞬足りとて耐えられない程じゃない。

 太陽の子と言う性質を利用した闘争の強制にしたところで、彼女一人ならば関係ない。傷付けるべき他者が居なければ、それは恐れる事ではないのだ。

 

 

「必ず、助けるから」

 

 

 紫の体躯の上で立ち上がる。無数の赤子の顔が泣き喚く中、その顔を踏み付けながらに進んで行く。

 触れるだけで浸食する狂気。耳に響いた赤子の声に、意識が遠のくのは確か。そんな状況で、胸に掲げる想いは愛情。

 

 考えるのは、男の事だけ。愛する少年の事だけを一心に、彼に逢う事だけを考えて、他の思考を全て消し去る。

 狂気の波動に狂う前に、その愛情に狂えば良い。たった一人の事しか想えぬ程に、唯それだけになる事で対処とする。

 

 

「また、一緒に、大好きな貴方と、一緒に――」

 

 

 立ち上がって、前に行く。愛している。愛している。愛している。正気では居られぬ程の愛を抱いて、常世の身体を駆け上がる。

 失いたくはないから、また一緒に居たいから、進む足は止まらない。唯真っ直ぐに突き進んで、大好きな彼を抱き締めるのだ。そう想うからこそ、決して少女は止まらない。

 

 

「行かせない。絶対に」

 

 

 己の身体の上に立ち、駆け出し始めるその姿。常世は脅威を感じながらに、行かせはしないと意志を定める。

 それでも常世に出来る事は、極めて少なく限定的だ。蜘蛛の使役と狂気の波動。闘争強制を除けば、随神相を動かす事だけ。

 

 故にこの場で出来る事などたった一つ。随神相を激しく動かし、駆ける乙女を振り落とそうと言うのである。

 まるで蟲が手に付いた時の様な行動。激しく手を振り追い払おうとする様に、常世の随神相がその身体を振り回す。

 

 左右に大きく振られた身体が、校舎の残骸を圧し潰す。凍った鎧同士が打つかって、大地に擦り付けた箇所が裂傷と化す。

 立って居られぬ程に激しく、走る事など出来ぬ程に荒々しく、その様はまるで重度の潔癖症。暴れ狂う神相の上で――それでも、リリィ・シュトロゼックは落下しない。

 

 

「必ず、取り、戻すんだっ! 大好きな、あの人をっ!!」

 

 

 立てなくなった。ならばしがみ付いたまま進む。歩けなくなった。だけど這い摺るならば関係ない。

 己の身体を這い摺り上がる。前へ前へと止まらぬ少女らの姿を目にして、抱いた脅威は恐怖に変わる。

 

 ありえない。信じられない。どうして落ちてくれないのか。半ば錯乱した様に、随神相が跳ね回る。

 立っている事は愚か、しがみ付いている事さえ困難な状況。それでも不可能でないならば、リリィ・シュトロゼックは確かに至るのだ。

 

 

 

 進む。進む。進み続ける。決して進む手を止めず、想いを一つと確かに抱いて、白き百合は前へと進む。

 その姿を忌々しいと見詰めたまま、天魔・常世は小さく呟く。震える声は小さくあったが、それでも届く程に鮮明だった。

 

 

「嫌い」

 

 

 意図して言葉にした訳ではない。這い摺り迫るその姿に恐怖を感じて、思わず口にしたその言葉。

 一度口を吐いてしまえば、抱えた想いは止まらない。堤防が崩れて水が溢れ出す様に、次から次へと嫌悪が零れる。

 

 

「貴女達は、何時も悪い事ばかりする。だから、嫌い」

 

 

 この世界が誕生した瞬間から、ずっと見て来た天の瞳。抱いた想いは、絶えず嫌悪だけだった。

 

 父が与えた魔力素を持って、魔法と言う技術を生み出した子供達。産みの親の腸を貪り続ける鬼児達。

 その行為は悪である。その姿は醜悪だ。余りに見るに堪えないと、どうしてそうなってしまったと、なのに何故にお前達は生を謳歌していた。

 

 許せない。認めない。だが、何よりも感じる情は恐怖である。怖いのだ。この理解を絶する生き物たちが。

 

 

「貴女達は、何時も酷い事ばかりする。だから、嫌い」

 

 

 恐れ続けた者達は、遂に己の母さえ奪った。その胸に黄金を突き立てて、今を破壊すると語ったのだ。

 それが先の世に生きた者達への感謝だと、それが後の世へと続く為の意志であると、それがどうしても許容出来ない。

 

 恐ろしい。怖ろしい。嘗てを踏み越え、踏み潰して先に行く。どうしてその様な者達を、同胞達は認めたのか。

 

 

「無間に凍ってしまえば良い。永遠となってしまえば良い」

 

 

 それしか道がないからと、先触れたる兄妹ならば語るのだろう。託しても良いと認める程に、綺麗だと彼らは認めた。

 やはり愛しているのだと、沼地の魔女ならばそう語るのだろう。この世界に最も深く触れた女は、失われていないものを知っている。

 

 それでも、天魔・常世ならばこう語る。まだ終わってない。先がないとは認めない。

 これで終わりじゃないのだと。無間に凍らせてしまえば良いと。我らの永遠は続くのだと。

 

 

「……戒君」

 

 

 随神相を暴走させながら、子宮である女は悟る。彼女はその役割が故に、確かに認識していた。

 たった今、天魔・悪路が消滅した。全力で敵に挑んで、乗り越えられた事を見事と称えて、仲間が一人消えたのだ。

 

 痛い。痛い。痛い。痛い。喪失感に心が震える。もう終わりが近いから、痛みを感じずには居られない。

 

 

「櫻井さん」

 

 

 それから数分、後を追う様に彼女も消えた。その魂までは消滅せずに、再誕の為に彼の下へと。

 だが今の彼は完全ではない。もう再誕などは行えない。完全に戻す為には、失わなくてはいけないだろう。

 

 故にもう逢えない。そう理解して心が震える。最期に赦しを得られた事で、安堵して眠りに就いた友の(ココロ)を抱き締めた。

 

 

「マレウス」

 

 

 彼らに続く様に、もう一人の仲間も消える。漸くに追い付けたと満足したまま、その欠片が手元へと。

 死者の欠片たちが此処に集う。もう戻らない嘗てが揃う。壊れた校舎と同じ様に、夜都賀波岐が壊れていく。

 

 

「……やっぱり、貴女達なんか嫌い」

 

 

 嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。天魔・常世は嫌っている。誰よりこの世を憎んでいる。

 何より怖くて仕方がない。失われる命が辛くて仕方がない。だから弱音を零した女に向けて、白百合が返すは怒りであった。

 

 

「失ったのは、貴女だけじゃないっ!」

 

 

 それは在り来たりな言葉であろう。それでも軽い言葉じゃない。安い言葉ではないのだ。

 失ったのは、天魔・常世だけではない。失い続けて来たのは決して、彼女だけの事ではない。

 

 戦いがあった。長く苦しい地獄の様な戦いがあったのだ。愛しているのに、愛しているから、失われて来た者らがあった。

 

 フェイト・テスタロッサとプレシア・テスタロッサ。使い魔アルフ。

 八神はやて。シグナムとヴィータ。ザフィーラとシャマル。リンディ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタ。

 ジェイル・スカリエッティにエリオ・モンディアル。ゼスト・グランガイツとレジアス・ゲイズ。ゲンヤ・ナカジマにオーリス・ゲイズ。

 

 クイント。ティーダ。クライド。イレイン。グレアム。三提督に最高評議会。

 幾つも幾つも失った。沢山沢山取り零した。愛するが故に起きた悲劇に、誰もが嘆きを叫んでいた。

 

 

「貴女だってっ! 今も酷い事を続けている!」

 

 

 そして今も尚、彼女は酷い事を続けている。全ては唯、彼女が抱えた愛故に。

 

 

「分からない筈がない! 分かっている筈でしょうっ!」

 

 

 奪った事を指摘され、それで動揺する事はない。見知らぬ誰かを潰しても、当然の報いと思うであろう。

 それ程に天魔・常世は、今の世を嫌っている。苦しみ足掻いた声を聞いても、揺るがない程には憎んでいる。

 

 だから、リリィが指摘するのは其処ではない。女自身が理解しているであろう、その事実を此処に突き付けるのだ。

 

 

「神様の想いを穢し続けてっ! それで被害者面してんじゃないのよっ!」

 

「――っ」

 

 

 今も彼は愛している。全能の神は己の子供達を、この今になっても愛している。

 復活が近付いているからこそ、それが強く感じられる。誓約と言う絆を介して、リリィの胸に響いているのだ。

 

 辛い想いをさせて済まないと、苦しい目に合わせて済まないと、此処まで強くなってくれてありがとうと。

 誰より辛く苦しいのに、誰より子らを想っている。そんな神の愛が確かに、胸に響いている。だからこそ、リリィはそれを口にする。

 

 分からない筈がない。気付かないなんて言えはしない。分かっていて、この天魔は反しているのだと断言出来る。

 リリィ・シュトロゼックと言う少女よりも、テレジア・ゾーネンキントの方がより深く、天魔・夜刀を知っているのだから。

 

 

「……遊佐君」

 

 

 また一柱、天魔が堕ちた。人間賛歌を歌いながらに、その輝きに焦がれた鬼が焼かれて消えた。

 図星を突かれて震える心に、仲間を失う痛みが響く。どれ程に面倒を掛けられた相手であっても、それでも友ではあったから。

 

 相容れない友人達。彼らの下した結論に、頷きたくないのだと心が叫ぶ。……それでも、本当は分かっていた。何より間違っているのは、今の自分だと言う事を。

 

 

「……あの子の、偽物でしかなかったのに」

 

 

 どれ程に拒絶しようと、どれ程に振り払おうと、何処までもしがみ付いて離れない少女。

 少しずつ、少しずつ、だが確実に近付いて来ている。そんな白百合の乙女を睨み付け、天魔・常世は口にする。

 

 彼女は偽物でしかなかった。マルグリットの模造品。断頭台の欠片から、再現された残骸だ。

 突然の様に現れて、当たり前の様に彼の想いを奪っていった。そんな彼女の複製品として生まれて来た。

 

 それでも、何時しか此処まで来ている。偽物だった筈の乙女が気付けば、たった一つの本物へと変わっていた。

 

 

「始まりが偽物でも、ずっと偽物な訳じゃない! 偽物が、本物に成れない理由なんてないんだっ!」

 

 

 トーマの純化が終わらぬ為に、随神相を離す事は出来ない。だからのたうち回る様に、身体を必死に動かし続ける。

 荒れ狂う随神相にしがみ付き、這い摺りながらも前へと進む。諦めずに進みながら叫ぶのは、他の誰でもない彼女だけの想いであった。

 

 

「……マキナ」

 

 

 遂に両翼が墜ちた。最強の大天魔が消滅した。後に残ったのは、天魔・常世唯一人。

 黒き甲冑は納得して、その敗北を認めて消えた。故にもう認めていないのは、常世だけしかいない。

 

 

(本当は、もう認めるべきだって分かってる)

 

 

 何処までも諦めず、必死に迫るリリィ・シュトロゼック。その姿を睨みながら、それでもそう述懐する。

 

 

(もう大丈夫。なら、必ず勝ってと口にして、それで任せるべきなんだって)

 

 

 悪路が認めた。母禮が認めた。奴奈比売が認めた。宿儺が認めた。大獄が認めた。

 ならば、もう彼らは大丈夫。全てを託せるだけの器があって、それを認めて退くのが先人の務め。

 

 そんな事は分かっている。今の自分が間違えている事は知っている。酷い事をしていると、その自覚は確かにあるのだ。

 

 

(だけど――)

 

 

 ああ、だけど、翻せない理由は女の情。極めて利己的な女の慕情。独善的な彼女の愛情。

 男の友情と女の恋情。その違いが此処にある。本質としては同じでも、大きな違いが其処にはあるのだ。

 

 

「君を負けたままになんて、させたくない」

 

 

 憎悪や怒りや恐怖と言った余計な情を剥いだ時、最後に残る想いは即ちそれ。

 テレジア・ゾーネンキントと言う女は、惚れた男が負けたまま消えてしまう事に、納得出来ないだけなのだ。

 

 

「彼は強い。彼は強い。彼は強い。なのにこのまま消え去るなんて、どうしてそれで終われるの?」

 

 

 宿儺が認めた。大獄が認めた。だから皆で素直に消えよう。彼は最期まで子に逢えないけど、それを彼が望んでいるから仕方がない。

 そんな理屈で後は任せて、消え去るなんて出来やしない。彼が望んでいるからと言って、だから復活せずに消えてなくなるなど認めない。

 

 だってあらゆる行いには、相応の報いがあるべきなのだ。労働の対価に褒賞がある様に、彼は報われて良い筈なのだ。

 なのに何も足りていない。言葉を掛ける事も出来ずに消え去るしかない。己達の全てがそんな形で終わるなど、どうして許容出来ようか。

 

 

「君がそれを望んでなくても、私は君にそれを望んでいる」

 

 

 これは所詮、女の身勝手だ。それも男の想いに泥を塗る様な、とても酷い身勝手だ。

 

 

「これが間違っているなんて、分かっていて言っているんだ」

 

 

 それを分かって、それでも口にする。男が望んでいないと分かって、それでも氷室玲愛はそう言うのだ。

 

 

「戦おう」

 

 

 貴方が望んでいない戦場に、もう一度貴方を立たせよう。それこそ夜都賀波岐の心臓にして、子宮である己の役割。

 

 

「そして、勝とう」

 

 

 最後に勝利を。それが如何なる形であれ、貴方が納得したのなら認めよう。

 遊佐司狼ではない。ミハエル・ヴィットマンでもない。他ならぬ貴方自身が、出した答えだけを認めよう。

 

 

「もう一度、私が貴方をその場に立たせる」

 

 

 死者の欠片達をその手に集めて、テレジア・ゾーネンキントは少女を見詰める。

 必死に向かって来る乙女。リリィ・シュトロゼックを見詰めて、確かに止められないと確信した。

 

 未来を見詰める瞳が視たのだ。必要な要素が全て揃った以上、確定した事象は覆せない。

 天の瞳でティアナを覗く。そしてその映像を変えられないと認めた上で、だから天魔・常世は賭けに出るのだ。

 

 

「蘇る。そう、あなたはよみがえる」

 

 

 ティアナが視たのは、解放されたトーマをリリィが抱き留める姿。リリィ・シュトロゼックの手によって、救出は為されてしまう。

 それを確かに理解した。そして天の瞳の結果を見なくても、リリィが止められない事は分かっていた。そうとも、これまで落とせなかった女がどうして、今更に止められると言うのだろうか。

 

 故に常世は諦めた。リリィを止められないのは仕方がないと。トーマが奪われるのはどうしようもないのだと。

 だから、それを理解した上で決めたのだ。取られる前に再誕させる。身体を奪われる前に、その中身(タマシイ)を使い潰してしまえば良いと。

 

 

「私の塵は短い安らぎの中を漂い、あなたの望みし永遠の命がやってくる。種蒔かれしあなたの命が、再びここに花を咲かせる」

 

 

 だが、そもそもそれが出来るなら最初からやっている。そうしなかったのは、純化が完璧ではないからだ。

 トーマの純化が終わっていない。まだ彼の因子が強く残っている。このままでは、天魔・夜刀が復活できる保証がない。

 

 それでも、純化を待てば間に合わない。そう確信できる程に、リリィはもう迫って来ている。だから、彼女は賭けに出る。

 トーマ・ナカジマの魂を、そのまま夜刀の物として使う。純化を途中で切り上げて、それでも彼が復活する事に全てを賭けた。

 

 

「刈り入れる者が歩きまわり、我ら死者の、欠片たちを拾い集める。おお、信ぜよわが心。おお、信ぜよ。失うものは何もない」

 

 

 それは例えるならば、規格の違うコンセントを電源プラグに繋ぐ様な行為。

 三本足の内一本を圧し折って、二本にすれば入るから、きっと動くだろうと言う様な暴論。

 

 それでも、きっと出来るであろう。彼はとても強いのだ。だからその魂を捻じ伏せて、己の物へと取り戻せる。

 そう在ってくれると信じて、そう在って欲しいと祈って、天魔・常世は咒を紡ぐ。己を捧げる、神咒神威神楽が此処に在る。

 

 

「私のもの、それは私が望んだもの。私のもの、それは私が愛し戦って来たものなのだ」

 

 

 光が集う。光が溢れる。死者の欠片達が解けていき、その命を彼の欠片へと昇華させる。

 純粋となった命を纏って、異形の蟲が大きく鳴いた。羽化する為に動きを止めて、その頭部に三つの鳥居が現れる。

 

 

「おお、信ぜよ。あなたは徒に生まれて来たのではないのだと。ただ徒に生を貪り、苦しんだのではないのだと」

 

 

 動きを止めた随神相の上、リリィ・シュトロゼックは立ち上がる。這って進む必要はもうない。

 時間の勝負だ。彼女の咒が終わるより前に、トーマを救出すれば良い。だから白百合の乙女は、立ち上がって駆け出し始めた。

 

 

「生まれて来たものは、滅びねばならない。滅び去ったものは、よみがえらねばならない」

 

 

 負けない。負けない。負ける心算なんて欠片もない。女は愛は強いのだ。だから、負ける筈なんてない。

 必ず辿り着ける。必ず救い出せる。そう信じて、迷いもせずに駆け抜ける。また一緒に、明日を生きて行く為に。

 

 

「震えおののくのをやめよ。生きるため、汝自身を用意せよ」

 

 

 負けない。負けない。負ける心算なんて欠片もない。女は愛は強いのだ。だから、負ける筈なんてない。

 必ず間に合わせる。必ず彼を取り戻す。そう信じて、直向きに咒を紡ぐ。その最期にせめて、愛する男へ祝福を。

 

 

「おお、苦しみよ。汝は全てに滲み通る。おお、死よ。全ての征服者であった汝から、今こそ私は逃れ出る」

 

「トォォォォォォォマァァァァァァッッッ!!」

 

 

 遂に乙女は届いた。そしてそれは即ち、女が間に合わなかった事を意味している。

 嘗てを捧げる咒が終わるより前に、リリィのその手が確かに届く。乙女の想いを前にして、常世は確かに敗れたのだ。

 

 

「……リ、リィ」

 

 

 目を開く。夜刀の神体より取り除かれた、その少年が笑みを浮かべて少女の名を呼ぶ。

 帰って来た彼の姿に涙を零して、全身で包む様に抱き締める。もう離さないと言うかの様に、リリィは確かに想いを果たした。

 

 

 

 

 

 だから、だから、だから、だから――これは最早、唯の蛇足にもならない行為である筈で。

 

 

――太・極――

 

随神相――(ハイリヒアルヒェ・)神咒神威・(ゴルデネエイワズ・)無間衆合(スワスチカ)

 

 

 足りていないのだから、成立する筈がない。使われた魂は無駄に消え、そうして終わるだけの太極。

 咒を紡ぎ終えた時に、常世は光となって消えて行く。届かず敗れた想いを胸に、それでも最期まで勝利を祈り続けていたから――

 

 

――ああ、分かっているさ。……負けはしない。

 

 

 最期に、確かに彼女は聴いたのだ。雄々しく優しい声を。古き時代に最強と謳われた、そんな彼の言葉を。

 それを耳に刻んで涙する。心の底から歓喜しながら、此処に女は生を終える。テレジア・ゾーネンキントは解ける様に、霧散しながら消滅した。

 

 

 

 

 

 そして、全ての終わりが始まる。世界が無間に凍り付く。彼が此処に、再びその姿を見せるのだ。

 

 

――海は幅広く、無限に広がって流れ出すもの。水底の輝きこそが永久不変。

 

 

 聴こえる音。其れは誰もが耳にしていた言葉。この世界を愛する神が、常に語り続けていた一つの想い。

 美しい刹那よ永遠なれ。美しいお前達よ永遠なれ。そう祈り願い愛し続けていたのだ。だからこそ、誰もが既に知っていた。

 

 此処に甦るのが誰か。此処に起きるのが何か。全てが凍るその時を、誰もが確かに理解した。

 

 

――永劫たる星の速さと共に、今こそ疾走して駆け抜けよう。

 

 

 足りない。足りない。足りていない。神が甦る為に、まだその魂が不足している。ならば、その魂を取り戻そう。

 神の手が伸びる。蘇らんとする蛇の腕が伸びる。伸びた先は、白百合が救った少年。トーマ・ナカジマから、取り戻さんと手を伸ばす。

 

 

「待ってっ!!」

 

 

 届かない。止められない。彼は甦ると決めたから、故にその行いを止める事など最早誰にも出来やしない。

 トーマ・ナカジマの身体から、最も重要な部位が欠落する。その魂の全てが奪い返されて、残骸となった身体が砕けて大地に墜ちた。

 

 

――どうか聞き届けてほしい。世界は穏やかに安らげる日々を願っている。

 

 

 想い出となって壊れていく。砕け散った記憶の欠片が、大地に転がり消えてしまう。

 その光景に涙を零して、悲嘆の叫びを上げようとする。だが、それすらリリィ・シュトロゼックは行えなかった。

 

 何故ならば、もう彼女は凍っていたから。その時が刻む事を止めて、無間に凍り付いていた。

 

 

――自由な民と自由な世界で、どうかこの瞬間に言わせてほしい。

 

 

 トーマの魂を取り戻し、それを己と統合させる。復活に必要な力が集まり、そして神威が溢れ出す。

 流れ出す力は止めどなく、凍り付くのはリリィ・シュトロゼックだけではない。穢土が凍る。其処に生きる者らが凍る。誰もが抵抗一つ出来ずに、無間に凍り付く。

 

 半死半生で立ち上がろうとしていたクロノ・ハラオウンの時が凍り付いて、彼は動かぬ彫像に変わった。

 悲痛と嘆きを振り払い、再起を心に決めたアリサ・バニングスと月村すずか。歩き出した瞬間に、二人の身体が凍り付く。

 疲弊と疲労を抱えて倒れ掛けながら、それでも互いに寄り添い二人立つ。高町なのはとユーノ・スクライア。同格に至った彼女ですらも、抵抗出来ずに凍って止まった。

 

 

――時よ止まれ、君は誰よりも美しいから。

 

 

 止まるのは、穢土にある生命だけではない。此処に甦る彼の力が、穢土だけで終わる筈がない。

 地球が凍る。其処で帰りを待っていた人々が、一切の例外なく凍り付いて動きを止める。世界の時が止まってしまう。

 

 高町士郎が動きを止めた。高町桃子が動きを止めた。高町恭也が動きを止めた。高町美由希が動きを止めた。

 月村忍が動きを止めた。綺堂さくらが動きを止めた。相川真一郎が動きを止めた。ノエルとファリンの姉妹が動きを止めた。

 

 凍り付くのは、地球だけでも済みはしない。そのまま大寒波は流れ続けて、星天を飲み干しながら世界全てを止めてしまう。

 地球の次は管理外世界へ、それでも足りずに管理世界に。遥か遠くに存在しているミッドチルダの大地ですら、今の彼は呼吸一つで止めてしまえる。

 

 キャロ・グランガイツが動きを止めた。ルーテシア・グランガイツが動きを止めた。ヴィヴィオ・バニングスが動きを止めた。

 メガーヌがヴァイスがシャッハがカリムがヴェロッサがアミタがキリエがシャーリーが――誰も彼も唯一人の例外もなく、全てが凍って止まってしまう。

 

 そして、誰も居なくなった。誰一人として、動く生き物は存在しなくなったのだ。

 

 

――永遠の君に願う。俺を高みへと導いてくれ

 

 

 巨大な蟲が羽化して砕ける。その死骸を中から生まれ直すのは、黒き蛇の随神相――ではない。

 木乃伊の如き姿から、血肉を取り戻した蛇が脱皮する。その穢れた皮を脱ぎ捨てて、彼は今この瞬間に再誕するのだ。

 

 

流出(Atziluth)――新世界へ語れ超越の物語(Res novae Also sprach Zarathustra)

 

 

 漆黒の肌に白銀の鎧を身に纏う。背には翼の如く、後光の如く、展開された八枚の刃。

 赤き髪に赤き瞳。其れを彩る憎悪の鮮血は既になく、発する圧は神々しいとまで感じる程の静謐さ。

 

 その背に浮かんだ随神相は、黒き蛇の皮を捨て去る。後に残るのは、彼本来の神威の形。

 其れは巨大な時計である。歯車によって動く鈍い輝きは、二つの針を止めている。刻まれた文字盤が、本来の役割を果たす事など決してない。

 

 何故にこの結果が生まれたのか、何故にこの様な形となったのか、その答えは単純だ。問うまでもなく、明確な答えが其処にある。

 確かにリリィ・シュトロゼックはテレジア・ゾーネンキントに勝利した。だが、彼女達は敗北した。この神――天魔・夜刀に負けたのだ。それだけが事実の全てであった。

 

 

 

 

 

 穢土・夜都賀波岐第五戦、諏訪原。天魔・常世。消滅。

 機動六課含め、全存在が凍結。天魔・夜刀――此処に完全復活。

 

 無間大紅蓮地獄によって、全てが凍り付いた地獄の底。これより始まるのが、真に最後の戦いだ。

 

 

 

 

 




夜刀様復活! 夜刀様復活!
登場シーンは勿論、刹那・無間大紅蓮地獄を流すのがおすすめです。


大獄が前話で死んだ時点で、大方の人が予想してそうだった夜刀様復活展開。
氷室先輩が情念バリバリに訴え掛け、更に司狼の策謀が成功確定したので、夜刀様も応える為に復活なされました。


そんな訳で、最終決戦ラストバトルはVS天魔・夜刀。
最強状態の彼との戦いを二話程描いて、エピローグ一話で完結予定。

当作も後僅かとなりましたが、よろしければ最後までお付き合いくださいませ。



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