リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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独自解釈注意。空亡ちゃん対策が、割とマジかよそんなのアリかよな超理論になっております。
まあ、家のトーマ君はインテリ系脳筋ユーノの弟子だし、インテリ系脳筋理論を駆使するのも当然でしょうね。()


推奨BGM
1.空ヲ亡ボス百ノ鬼(相州戦神館學園・八命陣)
3.ROMANCERS' NEO(リリカルなのは)


神産み編第七話 空ヲ亡ボスモノ

1.

 虫食いだらけの空の下、巨大な龍が旋回する。九つの首を持つ邪龍。

 唯悠然とあるだけで、周囲を飲み干す魔震を起こす。其は正しく、天変地異の権化であろう。

 

 

「八言の五元に、天津祓と奉らんやぁ、奉らんやぁ」

 

 

 そうとも、百鬼空亡は未だ何もしていない。この鉛色の邪龍は、一切合切理解すらもしていない。

 分からぬのだ。見えぬのだ。何が起きたか、此処は何処か。それさえ分からぬ程に、この龍は堕ちている。全身爛れて腐っていた。

 

 それでも、これから何をすれば良いのか、何がしたいのかは分かっている。

 堕ちた邪龍が求めるものは唯一つ。それは世界が変わろうとも、決して変わらぬ真実だ。

 

 

「秘詞にて、神留り坐す、奉らんやぁ、奉らんやぁ」

 

 

 この穢れを祓い清めたい。嘗ての己に戻りたい。強く願うその一念。一心に比較してしまえば、あらゆる全てが正しく些事だ。

 場所も状況も何某かの策謀も、全て一切取るに足りない。我は唯救われたいのだ。清めて欲しい。故にそうとも忠をくれ。誠心を我に捧げてくれ。

 

 空から墜ちて来た少年に向けた興味は一瞬、数瞬後には既に意識が他へと移っている。

 

 男か女か、完全融合故に良く分からない少年。既に神格域に手を伸ばしているが為に、純粋な人とは思えない少年。そんな贄になれるかさえも良く分からないモノなどどうでも良い。

 大地には未だ、他にも人が居る。此処は己の大地ではないが、それでも大地であれば察知は出来る。誰かが其処に居る。贄に相応しい誰かが居る。沢山沢山誰かが居るのだ。故にこそ、求めるのはそんなモノ達。

 

 故に百鬼空亡は、その手を大地へ伸ばしていく。九の竜頭が見下す大地へ、無数の腐った手を伸ばして求める。

 誰か、誰か、誰でも良いから我に捧げろ。真実誠心なる忠を以ってして、この穢れを祓ってくれよ。伸ばされた無数の手が、其処から発する龍気の圧が、周囲の地形を塗り替えていた。

 

 

「祓いて清めに参ろやなぁ。参ろやなぁ」

 

「――っ! こっちを見ろよなッ!!」

 

 

 そんな現状に、トーマは憤りを口にする。完全に無視される形となった少年は、翼の道を展開しながらに撃鉄を起こす。

 大地を蹴る様に、壁を蹴る様に、多角的に跳び回りながらに向けるは銃口。銃後の者を狙うでないと、撃ち抜く砲火は銀の鉄槌。

 

 

「シルバーハンマーッ!」

 

 

 飛翔する魔力の塊は、山をも崩す一撃だ。振り抜いた鉄槌を思わせる衝撃に、巨大な龍の首が大きく揺れた。

 されどその程度、鉛の体躯には浅い傷しか付けられない。何故なら空亡は星の化身だ。単一で惑星質量を内包する化外に対し、山を崩す程度ではまるで規模が足りぬのだ。

 

 ましてや、砲火の全てが届いていない。空亡の周囲に浮かんだ六角陣、其処から湧き出す無数の邪妖が壁となる。

 砲撃の威力が無数の肉壁によって、ほんの僅かに減衰する。濡れた紙にも劣る盾とは言え、その馬鹿馬鹿しいとさえ言える数は、確かに障害となるのである。

 

 そう。今のトーマからすれば紙にも劣る質とは言え、それでも凶将たちは邪魔と言える程の数がある。

 百鬼空亡が強大化した影響で、彼らもまた変容したのだ。その質が上がった訳ではない、唯単純にその数が膨大になっただけである。

 

 そんな膨大な数が肉の壁となり、トーマの力を妨害する。それでもそんな膨大な数が、攻勢に向いていない事が現状唯一の救いだろうか。

 今の強大化した空亡は、既に先に地球に顕現した時の比ではない。その力の総量も増したならば、その体躯が巨大となるのも当然。目玉だけでも鶴岡八幡宮と同等以上、そんな嘗ての空亡が最早小粒の様である。

 

 全長1000kmと言うロクス・ソルスが、その瞳の大きさにも満たぬ程。星の歴史を宿した龍は、今や首一つが日本列島全土より巨大となっている。

 大きいと言うのはそれだけで脅威だ。唯、身動ぎをしただけで魔震が起こる。その魔震の被害を最も受けているのは、その瘴気で呼び出されている凶将陣に他ならない。

 

 逃げ惑う事すら、今の妖魔たちに許されてはいない。呼び出された瞬間に、空亡に踏み潰されて全滅するのだ。

 死ぬ為だけに呼び出されて、逃げる事すら許されずに全滅する。そんな死骸が屍鎧(シガイ)となって、トーマの力を阻んでいた。

 

 

〈トーマッ! このままじゃっ!?〉

 

 

 砲撃を受けて、些少の手傷は刻まれている。されどその程度、故に百鬼空亡は攻撃されたと言う事実にさえ気づかない。

 何しろその身は腐っているのだ。己の内より蝕む病に苦しみ、悶え足掻いているのである。ならば当然、その痛みを超えない限りは気付けない。

 

 内面に渦巻き癒えぬ病巣。それを癒す事しか思考が出来ず、百鬼空亡は贄を求める。それ以外など、認識すらしていない。

 トーマ・ナカジマも、ロクス・ソルスも興味を惹かない。地を逃げ惑う人々を探して、堕ちた邪龍は腐った手を伸ばし続けるのであった。

 

 

「っっっ! こう、なったら――」

 

 

 このままこの化外を放って置けば、救うべき人々が全滅しよう。

 或いはロクス・ソルスが大地に降りれば、その時こそ興味を惹いてしまうやもしれない。

 

 故に無理矢理にでも、その意識を引き寄せる必要がある。如何にかして、百鬼空亡に己を認識させねばならない。

 だが、このまま攻撃を続けても無駄だろう。堕ちた邪龍が苦しみ続ける病巣の痛みを、超える被害を与えなければ気付かせられない。

 

 確かにトーマの手札の内には、それを行えるモノもある。世界の毒を以ってすれば、この邪龍を滅ぼす事は不可能ではない。

 されど、トーマはそれを選ばない。選んではいけないと言う事実を直感的に悟った訳ではない、単純にこの少年の本質が善良であるからの結論だ。

 

 百鬼空亡と言う怪物の正体を、トーマ・ナカジマは何一つとして知らない。そうとも、トーマは未だ知らないのだ。

 エリオの様に、憎むべき特別と言う訳ではない。クアットロの様に、倒さねば止まらないと理解している訳ではない。

 

 ならばこそ、知らぬ内から殺そうとする一手など選べないし選ばない。

 拒絶は理解の後なのだ。そんな彼の心根の清さこそが、最悪の破綻を紙一重で防いでいた。

 

 

「無理矢理にでも、俺を意識して貰うぞッ!」

 

 

 相手の事情を理解もせぬ内から、殺すしかない力を放つ事などは出来ない。ならば如何する。決まっていよう。

 拒絶は理解の後なのだ。拒絶をする為に、強引にでも敵を理解する。そうするだけの手段が此処に、トーマの手元に確かにある。

 

 故にトーマは躊躇いもせず、己の願いを此処に紡ぎ上げる。それは誰かと手を取り合って、共に前へと進む彼の創造。

 

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)ッ!!」

 

 

 例え思考が人と違う生き物でも、自我があるなら同調出来る。言葉ではない形での、対話を此処に発現する。

 拒絶をされれば消える力でしかないが、それでも拒絶される迄は効果を発揮する。蒼き光が両者を包んで、互いの意識を接続した。

 

 

「おぉぉ、おぉぉぉぉぉ?」

 

 

 それは言葉の通じぬ空亡に、それでも語り掛けると言う行為。巫女が神に祈りを捧げる。祈祷とは似て非なる干渉手段。

 共に在ろうと願う心に、排他の情など欠片もない。相手を理解しようとする想いは、とても暖かい感情だ。なればこそ――百鬼空亡は歓喜した。

 

 

「柱なるか? 忠なるや?」

 

 

 これは柱であるか、否違う。これは忠であるだろうか、いいや全くそうではない。

 

 

「誠心なるや? 忠誠たるか?」

 

 

 ならば誠心であろうか、近いがちょっと違っている。忠誠だろうか、ああ残念離れてしまった。

 

 

「なんじゃろなぁ? なんじゃろなぁ?」

 

 

 これが何なのか、百鬼空亡にも分からない。唯、この感情は心地良い。遥か昔を思い出させる。そんな綺麗な感情だ。

 人の悪意に歪んだ邪龍。忘却されて歪められて貶められたこの神格。そんな邪龍が、遥か昔に受けていたのと同じ方向性を持つ祈り。

 

 そんな想いを意識に叩き付けられて、百鬼空亡は心の底から歓喜したのだ。或いは求め続けたモノは、コレかも知れぬとさえ思考した。

 優しい願い。清らかな想い。何処までも澄んだ感情を共有して、百鬼空亡は鎮められる。痛みや苦しみは未だにあるが、それでもこの力は安らぎに満ちていた。

 

 ならば最早、邪龍は脅威ではない。故にエルトリアと地球の危機は、此処に全て解決されて――否。

 

 

「が――ッ!?」

 

〈トーマ!?〉

 

 

 トーマ・ナカジマが血を吐いた。顔の七孔全てより、どす黒く濁った血が溢れる。

 立っている事さえも出来なくなって、膝を屈して倒れる少年。嘔吐と共に吐き出す血の塊は、腐った溝川の如き異臭を放っていた。

 

 

「げ、が……ぎぃ……」

 

 

 彼は共有する事を望んだのだ。共に在る事を願ったのだ。故に当然、苦痛も苦悶も病巣も、あらゆる全てを共有する。

 百鬼空亡の穢れは病だ。数千数万と人を守護した偉大な龍が、暴れ狂わなければ耐えられない程の病理。神格でさえ、膝を屈する毒なのだ。

 

 当然、未だ人のままである少年には耐え切れない。人間の身体で背負うには、その病は重過ぎた。

 

 

(オモイ)は、諸法(スベテ)に先立ち」

 

諸法(スベテ)は、(オモイ)に成る」

 

(オモイ)こそは、諸法(すべて)()ぶ」

 

 

 童女が語る。老翁が告げる。思考に始まり、行為に終わる。想いこそが、その結果を規定するのであると。

 綺麗な想いを向けてくれた。他に目的があったとしても、その行為自体は確かに尊いのだと認めよう。懐かしい想いに感謝もしよう。

 

 されど――

 

 

「穢れたる意にて、且つかたり、且つ行なわば」

 

「ひくものの跡を追う。かの車輪のごとく、苦しみ彼に従わん」

 

 

 どれ程に尊い行いであっても、我を排除しようと決めて貴方は心を繋いだのだ。

 拒絶は理解の後に、嗚呼素晴らしい思考であろう。それでも、最初から拒絶すると決めての理解に一体何の価値がある。

 

 悲しいのだ。寂しいのだ。その想いが分かってしまうからこそ、我は唯只管に悲しい。

 苦しいよりも悲しいのだ。痛いよりも寂しいのだ。我を祓ってくれぬモノ。どうして我を救ってくれぬのだ。

 

 

「――嗚呼、そうか」

 

「オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ」

 

 

 言葉ではなく、想いを交わして理解する。其処で漸くに理解した。

 最初からトーマは、排除する為に理解しようとした。この世界を襲った時点で、止めると言う選択肢しか残ってなかった。

 

 それこそが過ちであったのだろう。最初からどうしようもないと決め付けて、抑え付けようとしたのが間違いだった。

 

 間違った想いには、間違った結果が付いて来る。だからこうして、立ち上がる事すら出来ずに居る。

 蒼い光が消えていく。己の血潮に沈んだトーマは、如何にか身体を仰向けにして、悲しむ龍の瞳を見上げた。

 

 

「それが、君の――」

 

「六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅……亡・亡・亡」

 

 

 虫食いだらけの空の下、鉛色が全てを染め上げる。

 巨大な堕龍は泣いている。誰か助けてと口にしながら、癒えぬ病巣に苦しみ続けていた。

 

 

 

 

 

2.

 トーマ・ナカジマが倒れた瞬間、ロクス・ソルスが艦長である彼女の判断は誰よりも速かった。

 

 如何なる理由か、空亡は大地に接するモノだけ認識している。船を大地に接舷させれば、我らもまた狙われよう。

 されど避難民の数は余りに多く、小型の艦載機だけでは運び切れない。大地に船を降ろすのは、避けては通れぬ道である。

 

 ならばトーマに代わる囮を、瞬時に思考を導き出して頭を下げる。

 苦い感情を抑えながら、頼み込んだ相手は己の妹。二つ返事で頷くキリエは、すぐさま格納庫へと飛び出した。

 

 

「ブルーモードは超加速ッ! ちょっと軽すぎて使い辛いけど、四の五の言ってはいられませんってねッ!」

 

 

 跨る乗騎は鋼鉄の騎馬。姉に与えた左手の代わりに、取り付けたのは作業用のアーム。

 鉄骨が剥き出しの姿に乙女として思う所はあるが、さりとてそんな見栄えに執着している余裕はない。

 

 人間的な五本の指と、機械的な三本指。両手でグリップを握り締めると、その鋼鉄の心臓に火を入れた。

 

 

「行くわよ、ジャベリンッ! 蒼の騎士がその異名ッ! 此処に示してみなさいなッ!!」

 

 

 速度重視の調整がされたヴァリアントユニット。その加速効果を展開したまま、ジャベリンと共に走り出す。

 格納庫の扉が音を立てて開き、キリエは外へと飛び出した。全ては一つ、この狂った邪龍の意識を己に釘付ける為に。

 

 そしてそんな彼女の思惑は、見事なまでに此処に嵌った。

 

 

「女? 女だ!」

 

 

 龍の単眼が女を捉える。僅か遅れて九の龍頭が姿を捉え、そうしてキリエを追い掛け始めた。

 

 

「乳をくれ、尻をくれ」

 

「その旨そげな髪をくれろ」

 

「その子宮をわいにくりゃしゃんせ」

 

「我に血をくれぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

「お触り禁止ッ! アンタみたいな怪物に、くれてやる程安くないのよッ!!」

 

 

 我だ。我だ。我が喰らうのだ。己同士で競い合うかの如く、九の首が蠢きながらに追い掛ける。

 己を追い掛ける龍の声に吐き捨てる様な言葉を返して、キリエは更に速くと乗騎を加速させていく。

 

 

「十種の神宝どこじゃろなぁ、祓祝詞をくりゃさんせ」

 

 

 最高速度で競い合う気は端からない。質を比べてしまえば、結果は想像するに容易かろう。

 純粋な速さでは勝てない。ならば機動力の差だ。相手の身体が大き過ぎる事を利用して、此処に彼の怪物を嘲弄する。

 

 

「沖津鏡。辺津鏡。八握剣。生玉。死返玉。足玉。道返玉。蛇比禮。蜂比禮。品物比禮」

 

 

 求めたモノを見付け出し、狂喜乱舞して追い続ける百鬼空亡。

 その胴体に程近い距離を紙一重で擦れ違い、隙間を縫って空を疾走する。

 

 距離を離せば、その瞬間に潰されよう。相手の巨体の影に隠れて、キリエは乗騎を走らせる。

 されどこれは自殺行為だ。唯存在するだけで全てを亡ぼす怪物に、無傷で近付ける程に女は決して強くはないのだから。

 

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、いぃ、むぅ、なぁ、やぁ、ここのたりぃ」

 

 

 空亡の傍に寄るだけで、その魂が押し潰される。意識が霞んで、思考が碌に出来なくなる。

 獲物を追い掛ける首が動く度に、凶将ですら全滅する程の衝撃波が発生する。それを間近に、浴び続けているのだ。

 

 苦痛に意識が消え掛けて、続く激痛に意識が無理矢理覚醒する。結局はその繰り返し。

 記憶の空白。意識の断絶。その隙に死なない様にと祈りながらに、キリエは乗騎を走らせ続けた。

 

 その拮抗は、数秒か、数十秒か。数分と言う事はないだろう。それでも、主観としては一日二日にも等しい。

 それ程に消耗しながらも、それでも逃げ続けるキリエ。彼女が仕掛けた持久戦に、耐えられなくなったのは空亡の方が先だった。

 

 

「六算祓エヤ、滅・滅・滅・滅」

 

 

 贄が目の前に居るのに、飛び回っていて掴めない。そんな現状に苛立って、遂に龍は癇癪を起こした。

 早く早く早く早く、早くお前の全てを寄越せ。捕まえようとしていた邪龍なりの穏便さが消え去って、殺してでも逃がさぬのだと思考が切り替わる。

 

 百鬼空亡は怒りのままに、力を一息に溜め込む。溜め込んだ力を此処に、咆哮と共に堕龍は解き放っていた。

 

 

「亡・亡・亡ォォォォォォォッ!!」

 

 

 チャージの時間は僅か数瞬。一秒にも満たぬコンマ以下で、集まる力は余りに規格外が過ぎる程。

 荒れ狂う魔震の規模は、関東大震災クラス。エルトリアの全土を崩壊させる程に、溢れる力が全てを亡ぼす。

 

 

「――っ! はっ、ほんっと、ババ引いたなぁ」

 

 

 先ず最初に、ジャベリンが消し飛んだ。次には代替でしかない、剥き出しの左腕が消えていた。

 それでも余波の全ては殺せない。直撃した訳でもないのに、展開した防御魔法や纏った強化スーツごとに砕かれる。

 

 手足が片方ずつ飛んで、腸を幾つも吹き飛ばされて、キリエは空から墜ちていく。

 そんな彼女へ向かって殺到する様に、臭気に満ちた無数の腕が次から次へと墜落した。

 

 

「痛い? 痛いィ? 苦しいィ? 悲しいィ?」

 

「痛いっーの。苦しいに決まってんでしょッ! けど、悲しくなんて欠片もないわッ!」

 

 

 躱す事も出来ない。防ぐ事も出来ない。落下を続けながらに、身体が少しずつ軽くなっていく。

 嬲り殺して痛め付け、その身を贄としてやろう。そんな堕龍の習性に苦しみながら、それでもキリエは笑っていた。

 

 

「だって、アミタ馬鹿なんだもん。絶対、ずっと引き摺るわ。だから、悲しいなんて、言ってやんない」

 

 

 泣言を言ったら、己を行かせた姉はきっと嘆くであろう。此処で死んでしまったら、あの姉はずっと引き摺るだろう。

 ならば歯を噛み締めて、痛みにだって耐えてやろう。どれ程に恐ろしくて悲しくとも、生きる事を諦めようとは思わぬのだ。

 

 

「愛しい? 憎いィ? 辛い? 悔しいィ?」

 

「これでも、キリエさんは身持ちが硬いの。惚れた相手は一人で十分ッ! 愛情は既に、品切れですってさッ!」

 

 

 腕が潰す。腕が抉る。腕が内部を犯していく。百鬼空亡は、心を踏み躙る。

 凶将による凌辱こそ其処にはなくとも、それでも余りに悍ましい光景。人の心が折れるには、十分に過ぎる地獄であろう。

 

 それでも、諦めない。生きる事を諦めないその理由は一つ。

 信じているのだ。助けてくれる。私達の英雄は、何度だって立ち上がって来るのだと。

 

 

「痛い?痛い?痛いィィィィィィィィ――キャァァァァ、ぎゃぎゃぎゃはァ!」

 

 

 小さくなった少女に向けて、堕龍がその手を振り下ろす。長く長く長く苦しめと、そして己に全てを捧げろ。

 その無数の掌が女の全てを貶めてしまう直前に、一迅の風が吹き抜けた。蒼く輝くその風は、何よりも速くと願った祈り。

 

 蒼銀の旋風に抱きしめられて、キリエは笑顔と共に見上げて告げた。

 

 

「遅いぞッ。ヒーローッ!」

 

「……ゴメン。少し、遅れた」

 

 

 口元から血を流したままに、それでも再び立ち上がった蒼銀の少年。

 余りに軽くなってしまった少女へと、星の瞳を曇らせながらに想いを誓う。

 

 

「遅れた分は、きっちり決めてくれるんでしょ?」

 

「ああ、勿論。何をすれば良いのか――俺にはもう、分かっているから」

 

「なら許すッ!」

 

 

 キリエの許しに、トーマは頷く。もう今度は間違えないと。

 何を為すべきかは既に、その胸に宿っている。ならばそう――最早、敗北などはない。

 

 

 

 

 

3.

 空に蠢く百鬼空亡。鉛色の堕龍は爛れた単眼で、己から贄を掠め取った敵を見下す。

 記憶があるかどうかすら定かではない怪物は、先の温かさとトーマを同一視出来ていない。

 

 今の百鬼空亡にとって、これは供物を奪い去った盗人にしか過ぎぬのだ。

 

 

「遠神笑美給、遠つ神愛み給へ。一切衆生の罪穢ぇ。くちおしや、あなくちおしやぁぁー」

 

 

 ボロボロの少女を抱き留めて、風の如くに後退を続ける蒼銀の少年を追い掛ける。

 悔しい。悔しい。それを何処へ持って行く。苛立ちながらに叫びをあげるが、激しい魔震ですらもトーマの速度に追い付かない。

 

 

「アアアアアアアアアアァァァーーッ!?」

 

 

 その事実を前に、まるで子供が駄々を捏ねるかの如く暴れ狂う。

 消えていく大地の中、何もかもを台無しにしようとする邪龍。それを見上げながらにトーマは、そっとキリエを大地に下した。

 

 そうして、彼女を背に庇う様に立つ。だが、武器は構えない。そんなもの、もう必要ないと分かっていた。

 

 

「……少し、初心を思い出した」

 

 

 そうして、思い出す。それはずっと昔に抱いていた想い。

 綺麗な夢ではなくて、鮮烈な記憶でもなくて、日常で確かに抱いていた小さな感情。

 

 

「全部思い出した心算で、けどやっぱり忘れていた。だけど、それでも思い出せた」

 

 

 今のトーマは、確かな一人の人間だ。エリオとの決闘を経て、彼は強く強く強くなった。

 これまでは忘れていた事。失われてしまった記憶。それさえも、切っ掛けさえあれば全て取り戻せる様になった。

 

 そうとも、神の残滓にはもう負けない。彼が一人の人間になると言う事は、その残滓を取り込んだ事を意味していたのだ。

 

 

「思い出したのは、小さな願い。渇望と言う程には重くなくて、それでも決して軽くはない。そんな大切な感情の一つ」

 

 

 涙を拭いたいと思った。泣いている子を、放っておけないと思った。取り戻したのは、そんな願いに繋がる想い。

 

 

「俺が望んでいたのは、流れる涙を拭う事。皆が幸せになれる夢。その世界に、涙なんて似合わないから――」

 

 

 損得なんて関係ない。複雑な理由や怨恨だってどうでも良い。理由なんて問うな、我は助けたいのだ。

 手を伸ばせば届く場所に、泣いている誰かが居る。涙を拭う手があるならば、助けようとして何が悪い。

 

 そうとも、トーマの答えは是一つ。故にこの今に起きる出来事は、決して戦いにはならぬのだ。

 

 

「百鬼空亡! 俺は君を見捨てないッ! 此処に、必ずその涙を拭うと約束するッ!!」

 

 

 供物を奪った少年へ、怒り狂ったままに手を伸ばす百鬼空亡。

 空を亡ぼす怪物を前にして、泣いているから救うと語る。そんな少年は此処に再び、己の祈りを言葉に紡いだ。

 

 

「風は競い合って吹きすさび、華やかな大地を旋回する」

 

 

 荒れ狂う龍の怒りが、少年の身体を傷付ける。返せ返せと襲い来る。

 そんな怒りの全てを己の五体で受け止めて、それでもトーマの瞳は揺らがない。

 

 星の如く煌きながら、蒼い瞳で見つめ続ける。今も泣いている寂しい龍を。

 

 

「海から陸へ、陸から海へ、絡まり連なり、永劫不変の連鎖を巡らせる」

 

 

 先の同調。その時、彼らは確かに繋がった。そして流れて来たのは、相手の記憶。

 百鬼空亡の正体。彼が一体何であるのか。どうしてこんなにも苦しんでいるのか。その全てを分かっていた。

 

 だから今更の同調には意味がないか? いいや、きっとそうじゃない。

 

 

「其は御使い称える生々流転。美しく、豊かな生こそ神の祝福」

 

 

 もう一度、想いを交わそう。今度こそ正しい意で、確かな諸法を形にしよう。

 神の病に対する対抗手段など、未だに何一つとしてありはしない。それでも、トーマはこの力をまた選ぶ。

 

 

「優しき愛の囲いこそ、誰もが願う原初の荘厳」

 

 

 救おうと想うなら、何故にその痛みを知らずに行えるであろうか。

 助けようと願うならば、先ずはその病巣を共有しよう。だから、もう一度――

 

 

創造(ブリアー)――明媚礼賛(アインファウスト)協奏(シンフォニー)

 

 

 俺の手を取って欲しい。そんな想いを力に込めて、トーマは再び創造位階を発動した。

 

 

 

 蒼き輝きが両者を包んで、此処に想いが共有される。空亡が感じる彼の想いは、先よりずっと温かい。

 排他の情がない、ではない。救いたいと言う想いがあるのだ。分かり合いたいだけよりも、ずっとずっと尊い想いだ。

 

 だから、その想いに安らいだ。温かな歓喜に包まれて、穏やかとなった龍は少年へと問い掛ける。

 

 

「汝、柱なるか? 忠なるや?」

 

 

 救ってくれると貴方は言った。ならばどんな贄を我にくれるのだ。空亡はそう問い掛ける。

 救うと言う言葉を、疑ってすらいない。感じる想いは確かに偽りないモノだから、きっと彼は自分に忠を捧げてくれる。

 

 確信と共に問い掛けた空亡は――しかしその想いを裏切られた。

 

 

「……俺は君に、供物を捧げる事が出来ない」

 

 

 温かな暖炉へと向かう様に、ゆっくりと伸ばされていた腐った掌。

 それが頬に触れる様な距離で、トーマは空亡の言葉を否定する。贄を捧げる事は出来ないと。

 

 

「なんで? なんで? なんで?」

 

 

 分からない。分からない。分からない。何なのだそれは、分からない。

 こんなにも彼は暖かいのに、こんなにも彼は優しいのに、救ってくれると言ったのに、何故贄を捧げてくれぬのだ。

 

 嘘だろう。何を言っているのだ。贄がなくては、この穢れを祓えないではないか。

 確認するかのように、頬に触れる爛れた手。それを優しく掴み返して、それでもトーマは首を振る。

 

 

「……ゴメン。だけど、無理なんだ」

 

 

 救いたいと願う。その想いに嘘偽りなどはない。この爛れた化外を、救いたいと確かにトーマは想っている。

 それでも、忠を捧げる事は出来ない。大切なモノを贄として、くべる事など選べない。偽る事なく、トーマはそう想いを伝える。

 

 だが、その理屈は通らない。空亡にとって、救われる事と贄を捧げられる事は等号なのだ。

 どちらかを行わないと言う選択肢はあり得ない。ならばどちらも行わないと、言っているのと同じであろう。

 

 

「くべろやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「が――っ!?」

 

 

 どちらも行わない。詰まり、彼は己を欺いたのだ。そうと思い至った瞬間、百鬼空亡は怒り狂った。

 衝動のままに咆哮を上げて、全てを亡ぼす衝撃波を撃ち放つ。強烈な破壊の威に、トーマは全身を貫かれた。

 

 

〈トーマッ!〉

 

「大丈夫、まだ、大丈夫」

 

 

 それでも、一歩も退かない。背後に少女を庇いながらに、その痛みを自分一人で抱え込む。

 この痛みを共有してしまえば、分かり合う余地は完全になくなる。そう思えばこそ、少年は全てを一人で背負い込んだ。

 

 そうして、見上げた龍へと向かって告げる。怒りと共に己の身体へ拳を振り下し続ける龍を見上げて、トーマは想いを力に乗せた。

 

 

「なあ、空亡。君の想いも、分かるよ。伝わって来るんだ。痛い程」

 

 

 神すら苦しむ総意の毒。集合無意識の呪詛を共有しながらに、それでも今度は倒れない。

 口から血反吐を吐き出して、身体を寸刻みに切り裂かれながら、トーマは堕龍に向かって語り続ける。

 

 彼には分かっていた。共有した記憶から、空亡の全てを既に理解していたのだ。

 

 

「守ったんだよなぁ。護り続けたんだよなぁ。護り続けていたかったんだよなぁ」

 

 

 百鬼空亡は、唯の夢ではない。夢の世界に生まれただけの、廃神ではないのだ。

 その正体は人々の祈り。星の祈り。国を守護し、星を守護し、全てを護り給えと望まれた(モノ)

 

 そしてそうである事をこそ、この龍は誇りとしていた筈だった。

 誰よりも護っていたいと願っていたのは、かく在れと祈られた龍であったのだ。

 

 

「けど、皆が忘れた。君の事を忘れてしまった」

 

 

 そんな伝承があったのに、全てが最早過去へと変わった。その存在は貶められて、全く別の存在へ。

 星の化身として生まれた祈りは、人の悪意によって歪んでしまった。大地の記憶を受け継ぐ龍は、全くの別物へと変わってしまった。

 

 

「人は、星を穢した。人は、地脈を穢し落とした。そして、その挙句に、全てを焼いた」

 

 

 文明開化と共に、星の環境は穢された。淀んだ地脈の力では、忘れられた空亡は己を保てない。

 彼は星の化身であればこそ、星が弱れば彼も弱る。人間が大地を穢し続けたから、こんなにも彼は穢れてしまった。

 

 龍は守りたかった。なのに人は守らせてもくれなかった。存在を忘れて、存在を歪めて、そして全てを焼いたのだ。それが、それこそが、百鬼空亡の真実である。

 

 

「悔しかったよなぁ。痛かったよなぁ。辛かったって、凄く、凄く、分かるんだ」

 

 

 大地の化身としてあるが為に、生まれた瞬間から持っていた星の記憶。

 その全てを共有して、だから分かると語りながらに、それでもトーマは首を縦には振れないのだ。

 

 

「けどさ。大切なんだ。君が欲しいモノが、俺にとっては大切なんだ。だから、俺は与えてやれない。俺にとって、大切だから、譲れないんだ」

 

 

 どうしてもそれは出来ないのだと、詫びる様に頭を下げる。より一層に暴れ狂う猛威に対し、トーマは歯を食い縛る。

 閉ざした口の隙間から、ドロリと血反吐が零れて溢れた。元より人の身には過ぎた毒。全人類の悪意をその一身に受けて、それでもトーマは手を伸ばす。

 

 彼が伝えるその想いは、贄を捧げる事が出来ない彼にとっての唯一無二の選択肢。或いは龍を救えるかもと、彼が浮かべる解決策だ。

 

 

「だから、さ。一緒に歩こう? 一緒に頑張ろう?」

 

 

 嬲られながらに血反吐を吐いて、それでも想いと手を伸ばす。流れ込む痛みに耐えながら、その思考を共有する。

 

 トーマの選択はとても単純な解答で、余りに外れた力技。それは彼の創造位階を以ってして、初めて出来る解決策。

 堕ちた龍の身体を病が苦しめるならば、その病を跳ね除けられる程に龍の力を強化すれば良い。そんな前提を引っ繰り返す力技。

 

 

「捧げるなんて出来ないから、君の痛みを共に背負うよ。穢れを祓うなんて出来ないから、君と一緒に歩き続けるよ。俺にはそれしか出来ないから――掴んだ手は、離さない」

 

 

 元よりトーマの願いはそういう物。辛い時こそ支え合って、共に前を目指す為の祈り。

 

 共有と強化。それだけが出来る事だから、苦痛と感情を共有しながらに龍を強化する。

 彼が星の化身であると言うのなら、穢れた星を清浄な物へと治してしまえば良いのである。

 

 

「…………」

 

 

 その想いを前に、何時しか空亡の手は止まっていた。その怒りは、鎮められていた。

 不思議そうな瞳で、トーマを見詰める腐った龍。そんな空亡へと、少年は傷だらけの手を伸ばす。

 

 

「人の悪意が君を苦しめるなら、その悪意に負けないくらい強くなろう? そうなれる様に、その手を俺が引き続ける」

 

(オモイ)は、諸法(スベテ)に先立ち」

 

 

 そもそも戦うと言う発想がズレている。神は祀り、鎮めるものであり、拝跪し、畏れ、敬うもの。

 そんな理屈は、唯人の条件。人間と言う括りに縛られた前提だ。だからこそ、トーマはそんな前提を引っ繰り返した。

 

 

「星の痛みに君が苛まれるなら、その傷が塞がるまで一緒に居よう? 痛くても辛くても、ずっと傍に俺が居るから」

 

諸法(スベテ)は、(オモイ)に成る」

 

 

 愛する少女を守る為に、己を捧げられる人の強さ。そんな悲しい輝きを、きっとトーマは持ち得ない。

 弱っちいけど屑じゃない。そう誇る彼の者の様に、人としての救いを与えて上げる事は出来ない。それは確かに、トーマ・ナカジマの限界だ。

 

 

「人間として、君に供物を捧げて、君を祓い清めるなんて出来ない」

 

(オモイ)こそは、諸法(すべて)()ぶ」

 

 

 トーマの願いは、対等な相手にだけ意味を成す。手を取り合えるのは、我と彼を正しく見詰められればこそ。

 我も人、彼も人。その願いの根底にある信はそれであろう。それが限界。だが、それは現時点での限界に過ぎぬのだ。

 

 そうとも、人で彼を救えぬならば、神になれば良いだけの話であろう。

 

 

「だけど、君の手を引く為に、同じ場所に至る事は――きっと俺にも出来る事だから」

 

「清らかなる意にて、且つかたり、且つ行わば」

 

 

 彼は人ではなく神だ。その存在が人の祈りから生まれたモノであれ、既に人の規格でない。

 ならば、己も神となろう。我も神、彼も神。ならば我らは対等なのだ。共に手を繋いで、先に進む事は出来るのだ。

 

 

「そうだ。きっと、この言葉こそ相応しい」

 

「形に影のそうごとく、たのしみ彼にしたがわん」

 

 

 前へ、前へ、前へ行こう。一人では歩けぬ暗闇が先に待とうとも、今の己はたった一人じゃない。

 共に前へ進もうと、伸ばし続ける小さな掌。堕ちた龍を救い上げる為に語る言葉は、きっとこれが相応しい。

 

 

「君の名前を、君の本当の名前を聞かせて欲しい。名前で呼んで? 名前で呼ばせて? 俺と――友達になろうよっ!」

 

「オォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 友達になろう。その言葉と想いに返るのは、堕ちた龍の確かな歓喜。

 彼はこんなにも向き合ってくれている。とてもとても暖かい想いが確かに伝わって来る。嗚呼この今に、心が動かぬ道理がない。

 

 故に百鬼空亡は、確かに伸ばされたトーマの手を握り返した。友達になろうと、彼も確かに頷いたのだ。

 

 

「……予想外にも程があるんですけど、何これ聖人君子?」

 

〈もう許してるっぽいキリエも相当だと思うけどね。……それと、これがトーマ・ナカジマだよ。キリエはまだまだだね〉

 

「うわ、すっごいムカつく上から目線」

 

 

 倒れたキリエは目を点としながら、そんな予想外の事態に呆れを零す。呆れるだけで、しかし文句を口にはしない。

 散々に嬲られながらに、拘ってはなさそうな発言。そんなお前も大概だろうとリリィはキリエに呆れてから、優越感を含ませた言葉で胸を張る。

 

 

「けど、何となく、私にも分かる事が一つあるわ」

 

 

 自分の方が彼を理解しているのだと、そんなリリィの発言に腹を立てながらもキリエはトーマの背中を見る。

 確かに自分は彼女程に、トーマ・ナカジマを理解出来てはいないであろう。だがそんなキリエにも、確かに分かる事はある。

 

 

「トーマはきっと、やり遂げる」

 

〈うん。勿論。だって、トーマだよ?〉

 

 

 それは唯一つ、トーマ・ナカジマは必ず救い上げるであろうと言う事だけだ。

 そう語るキリエの言葉に頷いて、リリィも確かに賛同する。そうとも必ず救い出す。理由なんて、たった一つ。

 

 

〈誰かの涙を拭う為に伸ばした手を、届かせずに立ち止まる筈ないんだから〉

 

 

 泣いている誰かを前にして、彼が諦める筈がない。ならばきっと、彼は必ずやり通すのだ。

 

 

「がぁ、ぎぃ……」

 

 

 びしゃりと血反吐を吐いた。意地で耐えて来た苦痛に押し負けて、その場に倒れ込みそうになる。

 それでも、一歩も退かない。もう倒れないと決めたから、支え続けると定めたから、血反吐を吐きながらに力を行使し続ける。

 

 

「ぐっ、げぇ、が……」

 

 

 どす黒い血反吐を吐いて、急速に弱っていく全身の骨が圧し折れる。

 折れた骨に内側から突き刺されながら、それでも倒れないトーマ・ナカジマ。

 

 そんな彼を慈しむ様に、支える様に、百鬼空亡はその手を伸ばす。

 腐った掌が、患部を撫でる。痛いの飛んでいけと、童女の声が小さく告げる。そんな想いに、トーマは笑みを零していた。

 

 

「君は、優しいね。それがきっと、君の本当、なんだろうね」

 

 

 大丈夫と童女が問うて、もう十分だと老翁が告げる。そんな彼らに、トーマは笑う。

 救うと決めた。助けると決めた。それに応えてくれたのだ。なら救えなくては嘘だろう。

 

 

「大丈夫。だって此処で倒れたら、きっとアイツに嗤われる。どうせ無価値だったねってさ。……うわっ、考えただけで、腸煮えくり返りそう」

 

 

 脳裏に浮かぶ宿敵の姿。此処で倒れたら嗤われると思えばこそ、トーマが立ち止まる訳がない。

 どうだ見たか、これが俺の勝利であると。そう誇ってやらねば気が済まない。それこそ勝者の義務であろう。

 

 

「もう少し、あと一歩」

 

「オォォォォォォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!?」

 

 

 溢れ出した蒼き光は、トーマと空亡を包むだけでは収まらない。

 星の化身である彼を介して、その光は遥か彼方にある星までも包み込む。

 そう。地球へと届いた。協奏の力は遂に、その惑星さえも対象へと変えたのだ。

 

 故に、その変化は漸くに訪れた。漸くにその力は、僅かな変化を齎していた。

 

 

「金、色。綺麗な、色だね。それが、本当の、君なのかな」

 

「オォォォォォォォォォォ、オォォォォォォォォォォッ!!」

 

 

 鉛色の鱗が剥がれる。剥がれて落ちた鱗の下には、黄金に輝く真なる姿。

 そして変化は、それだけではない。此処より遥か離れた場所、地球で確かに起こっていた。

 

 無間焦熱地獄。全てを焼き尽された後、地球は荒れ果てた地に変わっていた。

 火が消えた後も草木は一つも残らず、新たな命が育つ事すらなくなった。そんな不毛と化した大地が――この今に息吹を取り戻し始めていた。

 

 

「がっ――はぁ、はぁ……」

 

 

 それは、小さな芽だ。不毛と化した荒野の中に、ほんの小さな芽が発芽した。

 大地が生気を取り戻す。命が星に芽生え始める。少しずつ、少しずつ、それでも確かに地球は命を取り戻している。

 

 だからこそ、空亡もまた戻り始めている。遥か昔、嘗て彼が守護神であった頃の姿へと。

 

 

「さぁ、行こう。前へ、前へ、前へ」

 

 

 手を取り合う事。辛い時に支え合って、友と共に生きて行く。それこそがトーマが最初に抱いた願い。

 前へ進む事。どんなに苦しい時だって、自分の意志で進み続ける事。それこそが、宿敵との邂逅の中で得た想い。

 

 

「漸く見付けた。これが俺の、力への意志(ヴィレ・ツァ・マハト)

 

 

 その二つを、此処で真実一つとする。此処で、相克の器を完成させる。

 誰かを救う為に、それこそ彼の理由に相応しい。今正に、トーマ・ナカジマが流れ出すのだ。

 

 

Atziluth(アティルト)――ッ!!」

 

 

 手を取り合って、前へ進もう。流れ出す理はこれが全てだ。願った想いは、それで全てだ。

 唯、それだけを強く強く強く想い――此処に今ある世界法則を駆逐して、己自身で染め上げる。

 

 

先駆せよ(Holen sie sich)――」

 

 

 誰もが夢見て、望み続けた次代の到来。生きとし全てが願った神産みは、正しく此処に成ろうとした瞬間に――

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、やっべ」

 

 

 天魔・宿儺がそんな言葉を口から零して――五つの神威が堕ちて来た。

 

 

 

 

 

 

 

 堕ちて来た神威が内三つが、今にも流れ出そうとした少年の身体を打ち付ける。

 それ以上は許さないと、それを誰よりも望んでいた筈の彼らが、次代の流出を未然に防いでいた。

 

 

「ガァァァァァァァッ!?」

 

 

 人類総意の毒に抗い、受けた傷に耐えながら、如何にか流れ出そうとしていた。

 そんな時に横合いから全力を叩き付けられて、耐えられずに大地に叩き落される。

 

 例え神格三柱による強制とは言え、例え既に限界を迎えていたとは言え、この程度で崩れる新世界。

 その現実に彼らは落胆を抑えられずに、それを苛立ちに変えるかの如くにトーマに向かって武器を向ける。

 

 

「な、何、が」

 

「喋るな。そんな猶予は既にない」

 

 

 状況を理解出来ずに混乱するトーマに、冷たい言葉を向けるのは腐毒の王。

 先の折れた大剣を彼の首筋へと突き付けて、余計な手間を取らせるなと語り見詰める。

 

 

「動くな。最早抵抗すらも許容はできない」

 

 

 同じく、その首に剣を突き付けるのは炎雷を統べる大天魔。

 烈火の如き猛火を前に背筋が凍る。そんな矛盾を感じさせながら、其処には隠し切れない失意があった。

 

 

「理解しなさい。指一つでも動かせば、その瞬間に御終いよ?」

 

 

 そして、トーマの四肢に絡み付くは黒い影。沼地の支配者たる大天魔。

 まるで頭を垂れる罪人の如くに、トーマの身体を縛りながらに彼女が告げる。

 

 穢土・夜都賀波岐。次代を望み続けた彼らが、次代の道を断ち切る為に、今此処に揃っていた。

 

 

「――っ!?」

 

 

 そう。揃っていた。悪路と母禮と奴奈比売だけではない。彼女も其処に揃っていた。

 白い髪。翠色の和服。黄金の瞳を持った、天魔の指揮官。天魔・常世も其処に立っていた。

 

 指が触れる。掌が触れる。頬に当たる様に、顔を包むように、その手付きはまるで閨に居るかの如くに柔らかく。

 されどその瞳は何処までも冷たい。トーマを見詰める黄金の瞳は、背筋が凍り付く程に冷たい蔑視の情に満ちていた。

 

 

「テレジア。どの程度だ?」

 

「……最悪。遊佐君も、本当にやってくれたね」

 

 

 悪路が問う。間に合うかと。常世が応える。最悪だと。

 天魔・宿儺にしてやられた。その事実が結実する。それは彼らにとっては、正しく悪夢と言える事。

 

 

「コレはもう、彼じゃない。余計なゴミ(トーマ)が多過ぎる。このままじゃ、彼の魂として使えない」

 

 

 天魔・夜刀が蘇らない。トーマ・ナカジマをもう使えない。無間衆合の材料が不足していた。

 

 何故なら彼は離れ過ぎた。一人の個として完成したから、夜刀の写し身ですらなくなってしまった。

 トーマ・ナカジマは強くなり過ぎてしまったのだ。されど全てを任せられる程に、至ってなどはいなかった。

 

 だからこそ、これは詰みだ。両面悪鬼の裏切りを許したが為に、夜都賀波岐は詰んだのだ。

 

 

「浄化は間に合う? 時間は足りる?」

 

「……難しいけど、間に合わせる。絶対に、間に合わせてみせる」

 

 

 それでも認めない。もう終わったなんて認めない。故に彼らは此処で動いた。

 トーマ・ナカジマを純化させ、彼の魂を取り戻す。濾過に掛かる時間は膨大で、世界終焉に間に合うかどうかは怪し過ぎる。

 

 それでも、認めないのだ。認められない。認める訳にはいかないのだ。

 不意を打たれたとは言え、たった三柱の大天魔に倒される。そんな新世界など、流れ出したとしても後が続きはしないのだから。

 

 

「アアアアアアアアアアァァァーーッ!?」

 

 

 トーマを捕らえて、彼を消し去る算段を続ける天魔たち。その蛮行に、空亡が怒りの声を上げた。

 漸くに救われようとして、それを阻まれた。その事実に向ける怒りだけではない。友を傷付けた彼らに対し、百鬼空亡は怒り狂っている。

 

 

「おまえかやぁぁぁぁぁぁぁッ!! おのれかやぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 怒り狂う暴威は星の化身だ。如何に大天魔とは言え、その猛威を前にすれば耐えられるものではない。

 ましてや、今の彼らは弱っている。全力を出せる穢土ならば兎も角、其処から余りに遠いエルトリアでは実力の一割だって出せやしない。

 

 故に負ける。故に勝てない。例え四柱全てが同時に挑んでも、百鬼空亡は蹴散らせよう。

 その事実を理解しながらに、しかし誰も狼狽えない。恐怖も戦慄も其処になく、彼らは唯確信していた。

 

 

「やめ、ろ。……駄目、だ」

 

 

 その確信の理由を、トーマは確かに知っている。共鳴する力に、奴が来た事を分かっている。

 だから止めようと、手を伸ばす。されど身動きも許されぬ彼の声は、百鬼空亡に届く筈もなく――五柱目の大天魔が、黒き拳を振り抜いた。

 

 

「此処で――死ね」

 

 

 其は幕引きの一撃。あらゆるモノを一撃で終わらせると言う終焉の概念。

 これに耐えるには、力の量だけではなく相性が必要だ。終わらせる力に対し、対抗できる何かが必要だった。

 

 だが、空亡にそれはない。故に――唯の一撃で、百鬼空亡は終わってしまった。

 

 

「あ、あぁぁぁぁ」

 

 

 星から無理矢理分断して、その存在だけを終わらせる。百鬼空亡だけを終わらせる。

 幕引きの一撃を受けた堕龍は縋る様に、詫びる様に、トーマを見詰めながらに消滅した。

 

 後には何も遺らない。何一つとして遺せずに、空を亡ぼすモノは無となった。

 

 

「黄、龍」

 

 

 伸ばした手は届かずに、少年はまたも救えなかった。されど悔しさを噛み締める余裕すら、彼には与えられない。

 堕龍が消え去った世界に、虎面の黒甲冑が静かに降り立つ。崩壊していくエルトリアの大地に、終焉の絶望が降臨していた。

 

 

 

 

 




今回ラストは、割と久しぶりなノリ。
暫く熱血展開が続いたから、そろそろ絶望が欲しかった。


空亡ちゃんの萌えキャラ説
・友達になろうと言われて、喜びながらそれを受け入れた。
・病気で痛い痛い泣いてても、優しい声を掛けられるとつい嬉しくなっちゃう。
・虐められた友達を助けようとして、力足りず敗れた時にゴメンねって言える。

どうやら、空亡ちゃんの萌えキャラ証明が出来てしまった様だな。



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