リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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失楽園はこれにて終わり。
零れ落ちる命が嘆きを生み出す中で――だが、奴は弾けた。


第二十五話 失楽園の日 其之拾弐

1.

 黄金の輝きに貫かれて、一つの命が散華する。圧倒的な力を前に、彼女の身体は耐え切れない。

 舞い散る花弁が如くに崩れていくのは和装の女。微笑みながらに滅びる姿に、天魔・常世は目を見開いた。

 

 

「なん、で……」

 

 

 抱き留められた己の身体。頬に触れる母性の象徴。その感触に安らぐ以前に、溢れる血潮に不安を抱く。

 まるで我が子を抱いた母。抱きしめたままに晒した背中に、穿たれたのは大きな傷痕。槍の穂先を思わせる砲撃が、その身を背より貫いていた。

 

 

「ああ、良かった」

 

 

 ピシリと、貫かれた穴より亀裂が走る。軋む音を立てながら、女の身体は崩れていく。

 最早死は避けられない。本来討たれるべき者の身代わりとなって、彼女はこのまま死ぬだろう。――それでも、天魔・紅葉は安堵していた。

 

 

 

 

 

 嘗て、一人の女が居た。優生学研究機関レーベンスボルン。其処に属する女であった。

 

 時は戦中。世界が最も荒れた頃、国の民は戦争貢献を求められた。

 女伊達らに英雄として活躍する友が居た中、彼女の選んだ道は違った。それは女を武器とする道。

 国の為に、優れた子を産み落とそう。女にしか出来ない仕事で、この国家へと貢献しよう。それが彼女の選択だった。

 

 だが戦時の狂気がそれを壊した。元は崇高な理念があったであろう研究施設は、生まれた子らの地獄となった。

 レーベンスボルンの子供達。特別な異能を持った超人を生み出して、兵士にしようと言う研究。その為に、多くの者が犠牲となった。

 

 積み重ねすぎてしまった罪に、何時しか引き返せなくなっていく。

 そんな彼女は魔道に出会う。出会うべくして、異常な者らと出会ってしまった。

 

 水銀の蛇が静かに囁く。もう引き返せない女に向かって、彼は一つ言葉を囁いた。

 

 

――近々、極上の死体ができる。

 

 

 研究者であった女の研究成果。優生学による結論。それは、特別な子を産む為には、特別な親が必要と言う物。

 そうして女の前に差し出されたのは、中身を失くした黄金の玉体。ある実験の為に一時的に空となっていた、覇軍の主がその肉体。

 

 恐怖はあった。畏怖の感情が確かにあった。それでも女は、その身体を利用した。

 もう引き返せなかった。そんな時期は当に過ぎていた。故に死者を操る力を使って、空の身体に己を抱かせる。そうして女は、黄金の子をその身に孕んだ。

 

 異常なものを生み出すには、異常なものを親にすればいい。

 その理論は正しかった。その通りになってしまった。彼女の産んだ子は、余りに異常が過ぎたのだ。

 

 黄金の死骸に抱かれてから、その子は僅か二ヶ月で産まれた。

 急激に成長し、異様な程の才覚を見せ、余りに父に似過ぎた子供。太陽の子を目にして、女は恐怖を抱いてしまった。

 

 産んだからには責務があろう。望んで孕んだからには、愛するのが道理であろう。

 だがその瞳に見詰められると震えてしまう。何もかもを見透かす様な黄金に、女の心は耐えられなかった。

 

 だから、女は産んだその子を捨てた。双子の弟を抱き締めて、兄であったその子を捨てた。

 愛されなかった子供は涙も流さず、母の愛を諦めた。異常な己は愛されぬから、異常な父に愛を求めた。

 

 そうしてその子が生贄として死した後、女は漸くになって気付いてしまう。

 彼女が抱いた情は後悔。愛を求められていたと知っていて、どうして抱き締めてやる事が出来なかったのか。

 

 そう。一度だって、抱き締めた事がなかった。生まれた時から、その子を恐れていたのだから。

 

 己は親として不出来である。此処は余りに異常である。その時になって漸く、後悔した女は理解する。

 故に彼女は残った一人の子を愛した。誰より強い愛を向けて、彼だけは生き残らせると尽力した。密かに死んだ事にして、国外へと我が子を逃れさせたのだ。

 

 それでも其処が女の限界だった。偽善者にしかなれない女は、何時も中途半端。積み重ねた罪故に引き返す事を選べずに、かと言って先に進む事だって選べやしない。

 我が子の死骸を利用して生まれた孫娘を育てたのも、中途半端に甘いから。その子が再び生贄になると理解して、それを阻む為に動く事だって出来やしない。

 

 彼女は何時だって、終わってから後悔する。もう取り戻せなくなってから、漸くに大切だったと自覚する。リザ・ブレンナーと言う女は、そんなロクデナシでしかなかったのだ。

 

 

 

 女として最悪だろう。母親として失格だろう。そう自覚する女は、震える子供を抱き締める。

 二度に渡って捨てた子供達。イザークとテレジア。今度は失う前に気付けたのだと、微笑みながらに頭を撫でる。

 

 不謹慎かもしれないが、彼の邪神に敗れてからの日々はリザにとって幸福だった。

 嘗てに捨てた子供と共に、同じ時を過ごしていける。それがどれ程歪であっても、彼女にとっては幸福な日常だったのだ。

 

 生きていた頃には出来なかった事。本当は何よりもしたかった事。それがこの今に出来ていた。

 望んだのは子らの幸せ。その傍らで共に在る事。愛した人に寄り添う娘の為に、誰にも愛されなかったと嘆く息子の為に、何かが出来る現状こそが幸福だった。

 

 

「母様……どうして?」

 

 

 彼女は何時も見ていた。他の何も見えなくなっても、我が子だけは確かに見ていた。だからその危機を前にして、母たる彼女が気付かぬ道理はない。

 黄金の輝きが生まれ落ちた直後、我が子が狙われると理解して必死になった。夜都賀波岐にとって、最も重要なのは常世である。狙われると考えるのは当たり前。

 

 故に紅葉は、あの場で真っ先に動いていた。襲い来る敵手に背を向けて、遁甲の中身を引っ繰り返してばら撒きながら、必死に、必死に、その手を伸ばした。

 

 故にその身は、既に壊れている。無理をし過ぎたのだ。黄金の一撃を受けるより前に、もう崩れ始めていた。

 そんな身体を晒しても、盾にすらなれないだろう。それでもそんな道理は知る物かと、女は我が子を抱き締めた。故にこそ、彼女はもう後悔しない。

 

 

「イザーク。テレジア」

 

 

 この子達には届かせない。母になれない女はその一身で、我が子を両手に抱きしめた。

 女の背を穿ち胸に穴を開けた一撃は、しかし其処で止まっていた。彼女の意地が確かにそれを留めたのだ。

 

 その代償は大きい。女はもう助からない。言葉を遺す時間もない。

 ボロボロと崩れていく。粉々となって消えていく。その最中、彼女は優しく微笑んで――

 

 

「愛しているわ」

 

 

 唯、その一言を残して消滅した。

 

 

「……リザ」

 

 

 母に捨てられた子供は、得られぬ愛を父に求めた。

 父親にも選ばれなかった子供は、しかし最後に母の愛に抱かれた。

 

 この場で起きた事など、たったそれだけの出来事だ。

 

 

「何時も何時も、リザは勝手過ぎるよ」

 

 

 最後に残った僅かな残滓。もう元には戻らない魂の欠片。

 僅かな光を両手で包んで、俯いたままに天魔・常世は呟くのだった。

 

 

 

 蒼い輝きが消えていく。この地を満たしていた魔力が霧散する。

 久我竜胆が命によって、展開された時が終わりを告げる。疑似流出が途切れたのだ。

 

 

「…………」

 

 

 天魔・常世は静かに思考する。見詰める視線の先には、肩で荒い息をしている女。

 如何に彼女でも神域に至ったばかりで、この規模の力の行使は堪えたのだろう。高町なのはは疲弊していた。

 

 今ならば倒せると、言える程に簡単ではない。だが恐らく、今でなくては倒せない。

 素の実力でもう負けている。これを止められるのは、最早両翼だけであろう。そう断じる程に、今の女は強力だ。

 

 残る全軍を以って高町なのはを撃破して、一端退避して態勢を立て直す。それが恐らく最良の策。

 指揮官代行たる天魔はそう思考して、その手に包んだ光を見詰めた。そうしてもう一度、高町なのはの姿を見詰める。己を強い瞳で射抜く、その女の瞳を見据えた。

 

 

「……今は、退く」

 

 

 逡巡は一瞬、天魔・常世は撤退を選択する。それは理性的な物ではなく、感情的に下した判断。

 あそこに居るのは、ヨハンの系譜だ。母が逃がしたもう一人の子供。その血筋に連なる、彼女の愛した末である。

 

 イザークとヨハンが殺し合うなど、きっとリザは望んでいない。

 だから、今だけだ。彼女の魂を抱える今だけは、常世はなのはと戦えない。

 

 

 

 戦場指揮官は此処に、撤退を宣言する。

 全軍に下した撤退命令。それはこの世界で初めての敗走だ。

 

 複雑な感情を渦巻かせながらに、天魔・常世はこの地を離脱する。その身が消え去る最後まで、高町なのはを見詰めながら――

 

 

 

 

 

2.

 外れかけた兜を掴んだ男はその時に、指揮官代行の命を聞く。

 実質的な敗北状況。欠落した戦力と乱された各々の意志。それを整え立て直す為に、此処は退くと言うその命令。

 

 

「……撤退、か」

 

 

 僅かにズレた虎の面。その隙間から溢れる虚無は、それだけで人を終わらせるには十分過ぎる。

 絆の恩恵を失ったユーノ・スクライアはその場に倒れ、漏れ出す虚無の断片だけで消滅し掛けていた。

 

 ユーノ・スクライアは最早死に体だ。呼吸をしているだけの残骸だ。

 余りに彼は死に過ぎた。余りに蘇生され過ぎた。整っているのは外面だけ、その内側はもう壊れている。

 

 無理を為したは絆の覇道。ぐちゃぐちゃな中身のままに、それでも立っていられたのは絆が通した一つの奇跡。

 最早それも失われた。疑似流出は此処に終わって、其処に虚無の断片を受けたのだ。故にもう、ユーノ・スクライアは立ち上がる事すら出来やしない。

 

 今の彼は宛ら戦傷兵。その在り様は、戦場で死ねなかった戦士のそれと同様だ。

 戦えないどころか、日常生活すらも送れまい。ただ生きているだけのその姿は、晩節を汚すだけの物であろう。

 

 

「死に場所を失くした戦士程に、哀れな者は存在しない」

 

 

 このまま、兜を外せば彼は死ぬ。戦士として、それは相応しい幕となろう。

 撤退の指示に従って、この場を退けば彼は生き残る。だがそれは、戦士にとっては最大級の侮辱となろう。

 

 上官の命に逆らって、追撃をし掛ける事は戦士としては恥やもしれない。

 しかしそれ以上に死に場所を奪う事程、無粋な事は他にない。故に逡巡は僅か、天魔・大獄は意志を定める。

 

 

「だが――」

 

 

 それは、命を奪うと言う選択ではない。

 戦士にとっては侮辱と分かって、彼は再び虎面を被った。

 

 何故ならば――それは己の理屈でしかないからだ。この戦士に否定された、己の勝手でしかないのだ。

 

 

「苦痛の生を選んだお前にとっては、或いは違うのやもしれんな」

 

 

 彼は生きると先に語った。どれ程に苦痛に満ちていても、それでも生きると確かに語った。

 死に場所を奪われた戦士は哀れであろう。死に切れなかった戦士の生は、何より苦痛に満ちているだろう。それでも彼は、そんな苦痛の生を選んでいたのだ。

 

 ならば、此処で殺し切れなかった事は一つの運命。今は未だ、彼は生きるべき戦士であるのだ。天魔・大獄は、そう理解した。

 

 

「では、な。次代の戦士」

 

 

 救いの戦場から生き延びて、彼はこれから地獄の日常へと堕ちて行く。

 真面に身体を動かす事も出来ぬ身で、壊れた身体を抱えながらに生きていく。

 

 それでも、それが彼の選んだ道であろう。ならば精々、苦痛を抱えて進むが良い。

 

 

「苦しみながら、生きて行け」

 

 

 故に慈悲はない。それは侮辱にしかならない。

 虎面の天魔は倒れた青年へと背を向けて、ゆっくりと歩き去って行くのであった。

 

 

「…………言われる、までも、ない」

 

 

 荒れ狂う砂漠が消え失せる。死の荒野が閉じていき、ユーノは小さく口にする。

 最早、腕の一本も動かせない我が身。もう殆ど見えていないその瞳。動かす力が無くなれば、壊れ切った身体は体温さえも感じない。

 

 死と蘇生を繰り返して壊れ過ぎた。その身を治療も出来ずに、無理矢理動かしたのだ。この苦痛も相応の代償と言う物だろう。

 

 

「僕は……生きるよ」

 

 

 苦しみながらに、擦れる意識の中で誓う。それでも生きて行こう、と。

 それを望んでくれる人が居る。傍らに居たいと願う人が居る。だから、己は此処で生きて行こう。

 

 微かに鼓動を続ける胸に誓って、ユーノ・スクライアは瞳を閉じる。

 地獄の戦場を超えた先にあるのは、終わりが見えない煉獄の日常。その中を生きていくのだと、彼は心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 紙一重。それは正しくほんの数秒の誤差が生んだ決着だった。

 槍の切っ先が胸を突いている。皮を切り裂き肉を抉るその刃は、しかし臓腑に僅か届かなかった。

 

 本当に紙一重だったのだ。男の槍は僅かに届かず、故に彼女は生き延びた。

 

 

「私の、勝ちね」

 

 

 無数の影を貫いて、その血肉に刺さった槍。貫かれ掛けた天魔は、流血を隠さぬままに静かに告げる。

 両手に槍を握っていた嘗ての戦士。最早形骸さえ失った残骸は醜悪な形に染まって、そのまま大地に落ちていく。

 

 

「惜しかったわね。けど――」

 

 

 勝敗を分けたのは偶然か。ほんの僅か、一秒にも満たぬ時の差は、しかし決して偶然などではない。

 天魔・奴奈比売は見下ろしながらに自覚する。互いの勝敗を此処に分けたのは、其処に抱いた意志の差なのだと。

 

 

「負ける訳がないじゃない。最初から、生きて帰る気がない奴なんかに」

 

 

 ゼスト・グランガイツは最初から、死を前提に向かって来た。帰る気などはなかったのだ。

 引き継ぐ意志が其処になかった。そんな男に負けられない。此処で敗れて共に果てると言うならば、我らは何の為に残ったのか。

 

 終わらせない為に、続ける為に、ならば負けて良いのは後を継いで進める者らだ。

 そうでない者には負けられない。負ける訳にはいかないのだ。それは嘗て英雄と呼ばれた女に、最後に残った意地である。

 

 心臓を狙って、胸に刺さった鋼鉄の槍。片手で引き抜き、大地に落ちた残骸へ向かって投げる。

 そうして天魔・奴奈比売は嘗てゼストだった物に背を向けると、この地から立ち去って行く。此処に在ると言う意志が失われて、彼女は魔力と共に還って行った。

 

 

 

 

 

 炎雷と獄炎のぶつかり合い。激しい力の爆発に、両者は共に吹き飛ばされる。

 結果は相殺か。いいや、結果は僅かな形であっても明確だ。そう、天魔・母禮は押し負けた。

 

 

「……大した物ね」

 

 

 頬に刻まれたのは火傷痕。それは互角を僅かに上回られたが故に、相手によって付けられた傷。

 九割以上を相殺して、受けた被害は一割以下。それでも微かに己達を超えられたのは事実であって、故にこそ天魔・母禮は少し笑った。

 

 そうして、己の敵を見下ろす。炎に焦がれたと語ったその気持ちが良い敵を、何処か嬉しそうに見下している。

 金糸の女は己の力を使い果たして、その場に崩れ落ちている。既に狩猟の魔王は消え去り、一人残った彼女は大の字になって倒れていた。

 

 

「次は素面で、その境地に至ってみせなさい」

 

 

 今度は一人で、其処まで来てみろ。上から目線で語る天魔に、返る答えは唯一つ。

 言葉も話せない程に疲れているから、大の字になったまま態度で示す。右の中指を真っ直ぐ立てて、アリサは好戦的に笑っていた。

 

 

「ふっ」

 

 

 その態度に思わず吹き出して、そうして母禮は背を向けた。

 此処に在る意味はなくなった。全軍撤退の指示を受け、彼女も共にこの地を去る。

 

 唯一つ。己が見込んだ次代へと、たった一つの言葉を掛けて。

 

 

「ではな。次があれば、また会おう」

 

 

 期待していると笑顔で伝えて、天魔・母禮は魔力に還った。

 その消え去る姿を見届けて、アリサ・バニングスは己に誓う。後を継いだ者として、彼女は此処に想いを誓った。

 

 

 

 

 

 次々とこの地より去って行く夜都賀波岐。撤退の指示が来たならば、それに従うは彼も同じく。 

 隻腕の屍人は次代を見る。傷がない場所などはない。それ程の満身創痍。其処まで己を追い詰めた、次代の可能性をその目に見た。

 

 

「此処は、退こう」

 

 

 櫻井戒は撤退を了承する。此処は敗北したのだと認めて、この地より立ち去ると決定する。

 先の折れた巨大な剣を背負った隻腕の屍人。その身体が少しずつ魔力に還って、彼の姿が消えていく。

 

 その光景を前にして、黙って見送る程に彼らは素直ではなかった。

 

 

「っ! 待てよ戒! 逃げるのかっ!?」

 

「……逃がすと思うのかい」

 

 

 疑似流出は消え去った。それでも創造位階は継続している。故に戦いを続けても、負ける要素は欠片もない。

 逃走などさせるものかと少年達は、己々が武器を手に取り構える。逃がすものかと意志をみせて飛び掛かる彼らを前に、消えゆく天魔は静かに告げた。

 

 

「君達こそ、僕らを捕らえられるとは思わない事だ」

 

 

 振るわれた銃剣と魔槍の一撃。魂をも穿つ一撃が、何も捉えず空を切る。

 既に立ち去ると決めた時点で、櫻井戒は此処に居ない。今にあるのは残った影で、故にこそ如何なる力も届きはしない。

 

 

「此処は我らの世界。この永遠は須らくが我らの身体。故にこそ、この形骸に意味はない」

 

 

 この今と言う時代は彼らの世界だ。次元世界とは永遠の刹那の体内で、その眷属たる天魔の肉体でもあるのだ。

 故に距離は意味がない。位置に意味はない。その形骸に意味はない。彼らは望んだ時に望んだ場所に現れて、望んだ時には消え去る事が出来るのだから。

 

 

「決着を付けたいと望むならば――選択肢は二つに一つだ」

 

 

 追撃戦などは不可能だ。逃がさぬ術など存在しない。天魔を倒す手段は二つ。

 一つは逃げようと思う前に、その命を仕留める事。此処に在る状況の内に、その魂を滅ぼす事。

 

 そしてもう一つの方法は――決して逃げられない場所で、彼らを討ち滅ぼすという事だ。

 

 

「穢土に来い」

 

 

 その場所とは、この世界が始まった場所。特異点とも言うべき、この世界の中心。

 第零接触禁忌世界。天魔たちの総本山にして、彼の刹那が神体の眠る場所。其処で戦うならば、彼らは何処にも逃げられない。

 

 

「次元の海が境界を越えた先。世界が始まった場所へ来い」

 

 

 他の場所とは違う。彼の刹那の神気に満ちた地なれば、夜都賀波岐も一時的にだが嘗ての全力を取り戻せる。

 其処で超えられたと言うならば、素直に認めよう。全盛期でも届かぬならば、認める他に術はない。我らの敗北を、次代が漸く訪れるのだと。

 

 だからこそ、決着は彼の地で。天魔・夜都賀波岐は穢土で待つ。

 

 

「我らは其処で、お前達を待つ。トーマ・ナカジマ。エリオ・モンディアル」

 

 

 天魔・悪路は静かに見下す。此処に敵対した彼らこそ、新世界の可能性。

 

 誰かと誰かの絆を結び付ける。手を取り合って進める明日を、優しい世界を願ったトーマ。

 誰かを守り救える様に強くなる。前へ前へと進む中に、それでも他者と手を取り合える。そんな世界を求めたエリオ。

 

 この先にある新世界。それはこの二つの内のどちらかで――最後に辿り着く形は、きっとどちらも同じとなろう。

 進む事の大切さ。手を取り合う事の大切さ。それはどちらも理解した。なればこそ、彼らの違いはどちらに比重を置くかと言う一点だけだ。

 

 故に、どちらが勝とうと、生まれる世界は美しい。

 なれば、どちらが勝とうと認めよう。敗れたならば受け入れよう。

 

 輝きは既に示されたのだ。次に示すは、それを貫く為の力である。

 

 

「君達が新世界を望むならば、その場所で――我ら穢土・夜都賀波岐を乗り越えろ」

 

 

 残る夜都賀波岐が六柱。悪路、母禮、奴奈比売、常世、宿儺、大獄。

 この六柱を穢土にて超えろ。そんな言葉を此処に残して、悪路王は立ち去った。

 

 

 

 

 

 失楽園の日は終わる。天魔・夜都賀波岐はこうして、この地より消え去っていくのであった。――()()()()()()()()を残して。

 

 

 

 

 

3.

 悪路王が去った後、残された少年達は向かい合う。

 背中を合わせて共に戦った。だから絆されるなどと、そんな道理は彼らにない。

 

 

「じゃ、再開しようか」

 

「はっ、お前。そんな身体でやる気かよ」

 

 

 共に満身創痍。絆の創造はもう解かれて、魔力は互いに尽きている。

 向き合う二人は既に限界。何時倒れてもおかしくはない状況で、それでも武器を互いに構えた。

 

 

「ふっ、負けるのが怖いなら、退いても構わないよ?」

 

「あ゛っ!? 誰が誰を怖がってるって!!」

 

「君が僕を、さ。万全じゃないと勝てる気がしないって言うんなら、時間を置いてやっても良い。これは慈悲だよ」

 

「……上等だ。その言葉、後悔させてやるよ! エリオっ!!」

 

 

 共通の敵が消え去れば、共同戦線は即座に崩壊する。

 誰よりも倒したい相手が目の前に居るのだ。我慢などはもう効かない。

 

 睨み合って武器を構えて、今にもぶつかり合いそうな少年達の姿。それを内なる浜辺から見上げて、リリィは小さく溜息を零した。

 

 

〈トーマ。流石にもう〉

 

〈何だ白いの! お前、あたしと兄貴に勝てないって思ってるな!〉

 

〈……むっ、そんな訳ない〉

 

 

 疲労の度合いは大きいから、取り敢えず今は止めておこう。

 制止の言葉を掛けようとした白百合を、紅蓮の花は鼻で嗤う。

 

 己達の勝利を疑ってすらいないその態度。増長する小さな剣精の言葉に、リリィは思わず腹を立てる。

 

〈はっ、どうだか。だってお前もお前のマスターも、どっちも兄貴に比べると弱そうだもんな!〉

 

〈その言葉、絶対訂正させる。一対一なら兎も角、二対二なら私達の方がずっと強いんだってっ!!〉

 

 

 そんな彼女の様子に気付かず挑発染みた言葉を続けるアギトに対し、遂にはリリィも怒りを見せた。

 リリィが叫んだ怒りの言葉。それを聞いて我慢が出来ないのはアギトも同じく、売り言葉に買い言葉と言う形で少女達も対立していく。

 

 

〈それ、あたしが足手纏いって言ってんのかよ。お前ッ!〉

 

〈コンビネーションの差が違うって言ってるのよ! そんな事も分からないなんて、貴女馬鹿でしょ!〉

 

〈なにを~っ!!〉

 

 

 激情と冷徹さ。相反する敵意で互いを睨む少年達に、姦しい口喧嘩を続ける少女達。

 一瞬激発と言うこの状況で、漸くに意識を取り戻したティアナは思わず疑問を零していた。

 

 

「……え、何、これ」

 

 

 気を失って意識が戻ったら、何故か敵は居なくなっていて、一緒に戦っていた筈の二人が睨み合っている。

 その明晰な頭脳でも直ぐには対処出来ない状況に頭を抱えて、如何にか現状を飲み干した彼女は二人に向かって問い掛けた。

 

 

「アンタ達、まだやるの?」

 

 

 因縁が山積みである相手であるとは知っているが、此処まで疲弊しながらに戦おうとするのか。

 そんなティアナの疑問の言葉に返る言葉は異口同義。即座に返るその声は、音こそ違うが同じ意味。

 

 

「ティアっ! 止めてくれるなよ! こいつは絶対ぶっ飛ばす!!」

 

「倒されるのはどちらになるか。その低脳に刻んであげよう。……巻き込まれたくなかったら、止めようとは思わない事だね」

 

 

 詰まりは戦闘続行。決着が付くまで、彼らはどちらも退きなどしない。

 これは譲れぬ事なのだ。男としての意地なのだ。この相手は不倶戴天。共に天を頂かず、顔を合わせば戦うより他に道がない。

 

 

「こ、コイツらは」

 

 

 天魔と戦えば疲弊もしよう。流石に疲弊したならば、決着を付けようとは考えない筈だ。

 そのままなし崩し的に、最後まで二人を協力させてしまおう。気を失う前にそんな事を考えていたティアナは、彼らの言葉に頭を抱える。

 

 損得などは関係ない。消耗などは考えない。手を取り合った方が、今後が有利だとかそんな思考が全くないのだ。

 後先すらも考えない。この今に倒したい奴がいるから倒そうとする。そんな彼らは愚か者。先すら読めない馬鹿野郎たちなのである。

 

 そうと理解して、ティアナは深い深い溜息を吐いた。

 

 

「……何か、疲れたわ。もう好きにしなさいよ」

 

 

 命を賭けた対決だ。どうでも良いと言って良い物ではない。そうと分かって、しかし突っ込む気も失せた。

 この件に関しては諦めたのだ。もう馬鹿共は止められないと。故に好きにやってろ。私は知らぬ。白けた瞳で少女は語る。

 

 そんな瞳に見詰められながら、少年達は向かい合う。

 構えた武器に力を入れて、踏み込む足に重心を移して、これより決闘を再開するのだ。

 

 

「それじゃあ」

 

「始めようか」

 

〈勝つのは、私達だよ!〉

 

〈はっ、そりゃ、あたしの台詞だ!〉

 

 

 四つの意志が一つとなって、彼らは此処に飛び出し駆ける。

 今より速く、奴より速く、許せぬ宿敵を乗り越えて此処に決着を付けようと――

 

 

「悪いが、邪魔するぜ」

 

 

 その決闘を、轟音が妨害した。跳び上がったトーマの身体が、横合いからの衝撃に大きく吹き飛ぶ。

 驚愕に動揺するエリオの視界を横切って、飛び込んで来た両面悪鬼は馬上筒に残った弾丸全てをトーマの身体に撃ち込んだ。

 

 

「がぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

〈きゃぁぁぁぁぁっ!?〉

 

 

 構造上連射が出来ぬ筈の古式銃。摩訶不思議な力によって、そんな四丁銃で連射する両面宿儺。

 ばら撒かれた薬莢の数は一つ二つと言う規模ではなく、二桁三桁と言う破壊の雨を横合いから叩き込まれたトーマは意識を手放した。

 

 光が輝いて、リアクトが解除される。気絶したトーマとリリィは此処に別れて、天魔・宿儺はその直ぐ傍へと着地する。

 女物の着物を風に靡かせる金髪の男は、四本の腕に握っていた銃を放り捨てると、俵を担ぐ様な気安さで二人を抱えてニヤリと嗤った。 

 

 

「……君は、何の心算だ」

 

「邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、って奴だって分かってんだけどよ。事情が事情だ。まぁ許せやガキ共」

 

 

 敵意を見せるエリオを前に、宿儺は嗤いながらにそれを受け流す。

 突き刺す様な視線を受けてものらりくらりと、変わらぬ悪鬼のこれは単独行動。

 

 己独自の理由を以って、天魔・宿儺は動き出したのだ。

 

 

「アンタの相手をしてた、奴はどうなったのよ」

 

「あ? そりゃあれだ。もっと重要な事があったからよ。――振っちまったぜ」

 

 

 気絶していたが故に全てが分からず、だが敵対していた人間が居た事は分かっている。

 故に問い掛けたティアナの言葉に、意味深に嗤って返す天魔・宿儺。嘗ての強敵と決着を付けるよりも、彼にとって重要な事があったのだ。

 

 蒼い輝きを見た瞬間に、その時が来たのだと理解した。味方に被害が出た事で、好機が来たのだと理解した。故に嘗ての敵をあしらって、天魔・宿儺は此処に来たのだ。

 

 

「ほら、今って好機だろ? でっかい姉さんがおっちんで、我らが首領代行殿はてんてこ舞い。敗残撤退中で監視の目もない現状で、トーマの奴が都合良く渇望に目覚めやがった。おいおい、こりゃ困ったな! 動かない理由が何処にもねぇ!」

 

 

 紅葉の死。それは十分過ぎる程に、穢土・夜都賀波岐を混乱させた。今の宿儺の行動を、彼らは認識出来ていない。

 トーマ・ナカジマは己の渇望に目覚めた。天魔が深く関わっても、もう夜刀になる事はない。故にこそ、嘗ての約束を果たす日が来た。

 

 天魔・宿儺が己の役割を果たす時は、正しくこの今なのだ。

 

 

「そんな訳で、トーマとリリィは俺が貰っていく。安心しろ。夜都賀波岐とは合流しねぇ。アイツら、裏切る事に決めたからよ」

 

 

 穢土には帰らない。夜都賀波岐が居ては都合が悪い。故にこそ、天魔・宿儺は彼らを切る。

 太極の応用によって彼らの目を欺きながら、仲間が死んだ混乱に乗じて、次代の彼を連れ去る心算なのである。

 

 

「させると、思うか」

 

「出来ると思ってんのかよ。その様で?」

 

 

 連れ去るなど許す物かと、エリオが猛る。再三に渡り決着を邪魔された彼の怒りは、既に頂点に至っている。

 槍を構えて今にも仕掛けて来ようと、そんな満身創痍の行為は蛮勇。それを面白そうに笑いながら、しかし今争う訳にはいかない。故に天魔・宿儺は嗤いながらに、その言葉を口にした。

 

 

「今俺とやり合えば、お前の中に居るガキは確実に死ぬぜ?」

 

〈あ、兄貴〉

 

 

 自滅の地獄。それに抗う方法を、今の彼らは持っていない。作り物の命は確実に自壊するだろう。

 未だ勝てない。犠牲が生まれる。その犠牲が許容できる物ではないなら、此処で飛び出す様な真似は出来なかった。

 

 

「ま、焦んなって。お前の役割はちゃんとある。決着の場は用意してやる。だから、今は素直に退け」

 

「…………」

 

「信じろって。俺がお前みてぇに都合の良いライバルユニット。利用せずに終わらせるもんかよ」

 

 

 悔しさに腕が震える。苛立ちに頭が熱く染まる。今にも殺したい程に、その殺気を抑えながら睨み付ける。

 射抜く様な殺意を受けても飄々と、変わらぬ天魔の姿に歯噛みする。それでも今はどうしようもないから、エリオは手にした槍を下した。

 

 

「ふん。……今は持って行きなよ」

 

 

 アギトが今、自壊の地獄に耐えられないのは事実。アギトに助けられているエリオが耐えられないのもまた事実。故に此処は納得する。

 

 

「何れ、君の手から取り戻す」

 

「ああ、期待してるぜ」

 

 

 だが、納得するのは今回限りだ。次に出会う時にはきっと、こうも簡単には負けを認めない。

 己を睨み付ける少年の若さを前にして、天魔・宿儺は楽しげに笑う。期待していると、その言葉に偽りなどはない。

 

 

「……トーマ。リリィ」

 

「だから案ずるなって、言っても信用ねぇだろうけどよ。お前達の悪い様にはしねぇさ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 立ち上れぬままに、案ずる様に名を口にする。エリオが諦めた以上、ティアナに出来る事はない。

 簡易的な転送用のデバイスを使用して、トーマ達を連れ去る宿儺。攫われる者らを案じて、その姿を見詰め続ける事しか出来ていない。

 

 そんなティアナの姿に笑って、宿儺は案ずるなとだけ言葉を告げる。信用など出来ずとも、それは彼の本心だ。

 彼の望みは唯一つ。それは遥か昔から変わっていない。故にこそ、此処でトーマを害する意図はない。それは都合が悪いのだ。

 

 

「俺だけが分かる。俺にしか分からねぇ。アイツの想いを、真に果たす為に――」

 

 

 今も苦しみ続ける天魔の主柱。宿儺が遺った理由は唯一つ、最期の勝利を彼へと捧げる為だけに。

 彼にしか分からない。だから彼にしか出来ない。その想いを果たす為になら、己はどれ程に見苦しい道化にもなろう。

 

 故にこそ天魔・宿儺は此処に、独自の行動を取り始める。

 古き世から続いた友情を裏切って、遊佐司狼と言う男は己の勝利を求めて蠢動する。

 

 

「じゃあな。管理局に夜都賀波岐。お前らとまた会う時までには、ちゃんと仕事は終わらせとくさ」

 

 

 そうして、天魔・宿儺はこの地を立ち去る。最早誰にも止められない。

 天魔たちが戻って来る前に、あしらった敵が追い付く前に、彼はトーマとリリィを連れ去って行くのであった。

 

 

 

 

 




アンナ「あの馬鹿! やりやがった!?」
アホタル「身洋受苦処地獄の所為で、遊佐君が今どこにいるか全く分かんないんだけど……」
屑兄さん「ゲオルギウス絶対許さねぇ」

ベイ「……また、振られた、だと!?」


そんな訳で宿儺裏切り、紅葉死亡で追い詰められた夜都賀波岐。
管理局側もスカさんとゼスト死亡にザミ姐消滅。ユーノ要介護状態にトーマ誘拐とかなり不味い現状で、失楽園の日は終了です。


え? 非モテ中尉? 振られたので残留してますよ。
疑似流出恩恵なしなので、残滓に戻っての残留ですが。

最高の敵。最高の名誉。最高の戦場。
此処まで揃ったらもう、ベイは振られないと駄目だって思いました。(粉蜜柑)





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