リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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今回で六課襲撃編は御終い。
一話か二話閑話を入れて、StS編最終幕へと突入します。

今話はエリオ無双。原作キャラ死亡注意です。


第十九話 六課襲撃 其之伍

1.

 キーボードを叩く音が響き、端末画面に文字が刻まれていく。

 必要書類を書き終えたゲンヤ・ナカジマは、皮張りのソファに背を預けると深い息を吐いた。

 

 そうして、一杯の珈琲を口に含む。徹夜明けの過敏な舌に、感じるのは抉る様な苦み。

 泥の様に濃い黒水の味を最悪と感じてしまうのは、本当に美味い珈琲と比べてしまう為であろう。

 

 

「公開意見陳述会も、どうやら一段落したみてぇだな」

 

 

 画面の向こうで続いていた演説も、どうやら終わりを迎えたらしい。

 今回の件にはゲンヤが率いる陸士108部隊も関わっている。六課の身内と言う程に近い立場だからこそ、その関わり方も他所より深い。

 

 最高評議会関連施設を包囲している部隊の一部も彼らであるし、隊長のゲンヤが激務に励む事になったのはその影響も強くある。

 無論それだけと言う訳ではなく、再発し始めた麻薬の流通。エリキシルの改悪品であるグラトニーへの対処もまた、その任務を激務に変えた理由の一つであったが。

 

 

「こっちの仕事も、これで終わり。よっぽどの事が起きねぇ限り、当分は余裕になる、か……」

 

 

 兎角、問題はこれで一段落を迎えるだろう。

 古代遺産管理局の事務方連中はこれから忙しくなるのだろうが、それは彼らの選択によって負うべき役割である。

 一陸士隊の隊長に過ぎない自身が深く関与するべき話ではない。何より、自分には為さねばならない事があるのだ。

 

 懐からペンダントを取り出し握る。それは父の誕生日に子が初めて贈ったプレゼント。

 ロケットの中には小さく切った一枚の写真。我が家を前にした妻子の姿が映っている。

 

 

「話すべき、だろうな。……ったく、我ながら女々しいこって」

 

 

 開いた写真を見詰めながらに、ゲンヤ・ナカジマは苦笑する。

 

 結局あれから三日間。互いに顔を合わせていない。

 子は意識を取り戻さず、彼が復帰した時にはゲンヤが忙しくなっていた。

 両者のタイミングが合わずに、話合うと言う機会を先送りにしてしまっていたのだ。

 

 そんな状況は、しかし言い訳に過ぎぬのだろう。

 何処かで向き合う事を恐れている。そんな実感があればこそ、ゲンヤは此処に一つを決める。

 

 恐れているなら尚の事、真っ直ぐに向き合わねばならぬだろう。

 仮眠を取って、明けたならば会いに行こう。その時には彼もまた、一段落が付いているであろうから。

 

 伝える事は決まっている。告げる内容なんて一つだけ。

 色々とあった。思う事は沢山ある。それでも――確かに愛していると伝えるのだ。

 

 そうと決めると、ロケットを閉じる。そしてゲンヤは、窓から空を見上げた。

 

 

「……しっかし、降り出しそうだな」

 

 

 見上げた空は生憎の雲模様。朝は晴れていたというのに、昼を過ぎた辺りからこの状態だ。

 天気予報の降水確率は然程高くはなかった筈だが、この様子では余り信用が出来ないだろう。

 

 

「嫌な空だ」

 

 

 折角自分が決めたのに、無粋な空だと腹を立てる。

 同時にそんな風に思う自分に苦笑して、ゲンヤ・ナカジマは執務室を後にするのであった。

 

 

 

 

 

2.

 意識を失っていたのは、時間としては数分か、或いは数十分か、一時間は超えないだろう。

 度重なる爆発で荒れ果てた六課隊舎の敷地内。其処で目覚めた茶髪の少女は、己が拘束されている事を理解する。

 

 

(捕らえられ、ましたか……)

 

 

 動けない。身動き一つ取れない事態に、混乱する思考を落ち着かせる。

 現状を認識する為に思考を冷静に、弄られた脳は嫌になる程に明晰な思考を維持していた。

 

 

(生きている、と言う事はクアットロも無事なのでしょうが……)

 

 

 イクスヴェリアは単独では生存できない。彼女が生きているという事は、即ちクアットロ=ベルゼバブの存命も意味している。

 故にこの今、彼女は何をしているのかとラインを辿る。奈落に繋がる罪の線。血を介した繋がりの先に、吸われ続ける女を見た。

 

 クアットロ=ベルゼバブは健在だ。不死不滅を自称する様に、この怪物は真面な手段では殺せない。

 だが無傷と言う訳ではない。魔力でその身を構成する以上、魔力ダメージには痛みを感じる。攻撃全てが無意味と言う訳ではないのだ。

 

 

(私を介して、奈落本体から吸われている。これでは、助力は期待できませんね)

 

 

 黒き極光にその身を焼かれて、精神的に消耗した状態で血染花の瘴気を浴び続けている。

 捕らわれたイクス。その身に纏わり付く瘴気が、クアットロを更に責め立てていたのである。

 

 本体は無事でも、これでは然程余裕もないだろう。

 消耗した状態では吸血の瘴気に抗うので手一杯。イクスの救出は愚か、他の分体を回す事すら不可能だろう。

 

 完全に封殺されている。そうと理解した時に、イクスは思考を切り替えた。

 独力での脱出は不可能。内部にいる悪魔は頼れない。ならばこの今に出来る事は、聞き耳立てての情報収集くらいであろうと。

 

 

「取り敢えず、これで魔群は無力化出来たわね」

 

「ええ、当面はすずかさんに簒奪して貰って、義兄さん達と合流した後で封印処置を行うべきと考えます」

 

 

 アリサとティアナが言葉を交わす。蟠りが薄れた両者は、イクスとクアットロに対する処置を既に定めていた。

 

 

「それに、この子自身の身体も如何にかしないとね。殺して贖わせるんじゃない。捕らえて償わせるのが、私達の仕事なんだから」

 

「……情状酌量の余地は、十分にあるって奴、ですよね」

 

「うん。それと、名ばかりとは言え、医務官だもの。救えるかもしれない命を諦めるなんて、認められないわ」

 

 

 医務官としての意見を語る月村すずかに、何処か複雑な情を抱きながらも納得の意志を示すルーテシア。

 

 機動六課の方針は明らかだ。捕らえたイクスを封印し、内側から逃げられないクアットロも共に封じる。

 そうして作り上げた時間の間にクアットロを殲滅する手段を用意して、その上でイクスヴェリアの身体も癒そうと言うのだろう。

 

 そんな無茶。そんな欲張り。それが為せると信じている。

 気負う事もなく、当たり前の様に出来ると信じているのだ。

 

 その在り方は、世界を奈落と捉えるイクスの目には、余りに愚かで眩しく映る。

 

 

「んじゃ、私は予定通り外の連中の援護に回るわ」

 

「お願いします。幾らトーマ達でも、今の魔刃相手だと長くは持たないでしょうから」

 

 

 だが分かっている。その愚かしさに、その眩しさに負けてしまったのだと。

 イクスヴェリアは敗北した。クアットロは敗北した。そうして今も、彼の足を引いてしまう。

 

 高町なのは。トーマ・ナカジマ。キャロ・グランガイツ。彼らを相手にしながらに、其処にアリサ・バニングスが加わる。

 それだけで魔刃が敗れるとは欠片も思っていないのだが、それでも何の助力も出来ない無様にイクスは情けなさすら感じていた。

 

 

「その間に私達はこの子を移動させようか。ルーテシア、少し手伝って貰えるかな?」

 

「了解です。すずかさん」

 

 

 何も出来ない。足を引く事しか出来ない。それでいて、敵に治療されて救われるのだ。

 其処に情けなさを感じられなければ、本当に終わってしまうと思う程に無様に思えた。

 

 

(情けない。本当に、何をしているのか)

 

 

 だが情けなさと同時に、感じるのは二つの想い。

 一つは安堵。もう罪を重ねる事がない。殺される事はない。そんな事実に安堵を感じる。

 一つは信頼。今も直ぐ傍に居るであろう彼ならば、きっとこんな状況だって覆してくれると言う想い。

 

 そのどちらもが――

 

 

(……浅ましい)

 

 

 余りに浅ましい。そう感じる弱さであった。

 

 

(私は救いを望んでいるのですか。そんな物はないと、それが現実だと分かっているのに)

 

 

 救われたいと、今になっても願っている。現実なんて救いがないと、分かっていても祈っている。

 もう罪を重ねたくはない。生きる事も死ぬ事も怖くて、それでも彼ならばと縋り求めるその弱さ。

 

 きっとこれは、その彼が一番嫌う物。

 だけどこれで最後にするから、せめて少しは許して欲しい。

 

 そんな風に思考して、イクスはその名を呟いた。

 

 

「エリオ」

 

 

 声が届く筈もない。念話でもないのだ。届く理由がない。

 声が届いてはいけない。重荷を背負い続けた彼に、これ以上背負わせてはいけない。

 

 そう思って、だからこれは小さな呟き。誰にも届く筈のない。だから見せた儚い弱さ。――だと言うのに、轟と風が吹き抜けた。

 

 

「済まない。少し遅れた」

 

 

 穢れを自覚する為の黒い鎧。風に靡くコートは純白。握った槍も鎧と同じく穢れた黒。

 強制的に成長させられたその身は、最も身体能力が高い十代後半で老化を固定されている。

 

 そんな赤毛の少年は、抱き締めた熱に向かって、天使を思わせる笑みを零した。

 

 

「……どうして、貴方は」

 

「少し休め。君が気にする事はない」

 

 

 どうしてここに居るのか。どうして助けようとするのか。そんなイクスの問いは愚問。

 エリオは誰よりも分かっている。この世界に救いがないと、だから救いたい人々の救いになろうと決めたのだ。

 

 そんな彼が、此処に来れない理屈はない。

 だからその問い掛けは愚問でしかなく、答えを返す意味などない。

 

 必要なのは唯、此処に意志を示す事。悪魔の王は、その悪意を見せる。

 

 

「直ぐに、終わらせる」

 

 

 少年が浮かべる色は、抱えた少女に向ける物とは異なる貌。

 それは正しく悪魔の嘲笑。神座を簒奪せんとする悪魔王は、最強の反天使と言う異名に相応しい凄惨な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

3.

 一人立つ悪魔の王。その黒き姿より吹き付ける威圧は、周囲の気温を下げていく。

 宛ら夜風を思わせる程に、春風を染め上げる不吉な姿。歪な笑みを浮かべる悪魔に、ティアナは思わず叫びを上げた。

 

 

「そんな、何でアンタがっ!? 突破されるとしても、余りに早過ぎ――っ!?」

 

 

 だが、その言葉は途中で途切れる。全てを口にする余裕は、物理的に奪われた。

 崩れた土の上、頭を掴まれ叩き付けられる。引き摺り倒されたティアナが見上げる先、見下ろす視線は酷く冷たい。

 

 

「成程、君が……目障りな力だ」

 

 無機質な瞳で見下しながら、エリオはティアナの瞳を見る。

 蒼く輝くその歪み。今も尚可能性を見続けて、僅かな勝機を見付け出そうとするその姿。

 

 唯、邪魔だった。故に。

 

 

「そう言えば君には、借りがあったね。先ずは、その眼を潰そうか」

 

「っ、あぁぁっ!?」

 

 

 指先が眼下に入り込む。ぐちゅりと言う音と共に、右の瞳を抉られた。

 押し潰されて空洞となった眼下。痛みを感じないと言う違和に、ティアナは苦悶を上げてのたうち回る。

 

 血で濡れた指先を抜き去って、その頭をただ煩いと踏み付ける。

 そうして魔刃は、己に向けられる瘴気と炎を片手で弾きながらに、歪な笑みを浮かべて言った。

 

 

「君の策は、上策だったさ。トーマも愚鈍な女も、潰すのには流石に時間が掛かる。僕の足止めとして、あれ以上は存在しない」

 

 

 この魔刃をして、先の包囲は完全だった。無理に抜け出す対価として、今の彼は相応に消耗している。

 それだけの策。それだけの準備。それを用意出来た事、確かに称賛に値すると認めよう。だがしかし、一つだけ誤りがあったのだ。

 

 

「だけど、一つ。読み違えたね。……決めたんだよ。切って捨てると。だからさ、足手纏いを入れるべきじゃなかった」

 

 

 前衛に立てるのは、トーマ・ナカジマだけだ。この魔刃に対し、一時であれ抗えるのは彼しかいない。

 中衛に高町なのはを立てた事も、ああ確かに素晴らしい。彼の魔術師を相手にすれば、エリオも多少は手を焼こう。

 

 だから失態は一つだけ。エリオが感情的に、傷付けたくないと願った少女。彼女を加えた事こそが、最大の過ちだった。

 何故ならばもう、彼は決めたのだから。邪魔をするなら切り捨てる。誰であろうと切り捨てる。足手纏いが居るならば、先ずは其処から潰せば良いのだ。

 

 

「お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 紫の少女が吠える。その怒りを込めた形相で、ルーテシアは叫びを上げた。

 彼女は理解したのだ。魔刃が誰を斬り捨てたのか。エリオが誰を潰す事で、此処にやって来たのかを。

 

 

「私の妹にぃっ! 何をしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「煩い黙れ」

 

「――っ!!」

 

 

 しかし、少女の叫びは届かない。憤怒に吠えるだけでは意味がない。

 全て無価値だ。そう見下ろす悪魔に叩き付けられて、それだけで言葉も発せぬ程に消耗していた。

 

 

「胎から下を、斬って捨てた。真っ二つにして、ばら撒いてきただけだよ」

 

 

 ルーテシアを大地に叩き付けたエリオは、その頭部を踏み躙りながらに悪辣に語る。

 少女の身体を胴より二つに断ち切り、トーマとなのはの眼前でばら撒いて来たのだと。

 

 守るべき者。憧れた者。手にある儚い灯火と、先に見えた大きな光。

 慈母の光を断ち切って、抱える少女を救うと決めた。愛しく思う女(キャロ・グランガイツ)よりも、救うべき家族(イクスヴェリア)を選んだのだ。

 

 

「だからさ。そんなに騒ぐなよ」

 

「っっっっっ!!」

 

 

 小さく自嘲する悪魔の貌。許せぬ程に怒りを込めて、ルーテシアは唯睨む。

 妹がどんな想いを抱えていたのかも知らずして、その命脈に刃を突き立てた少年を憎悪で睨む。

 

 だが、それだけだ。それだけで、何も出来ない。

 振り下ろされる槍を躱せず、抵抗すらも出来ずにルーテシアは意識を奪われた。

 

 

「すずかっ! アンタはキャロをっ! コイツは私が――」

 

「その判断も愚行だ。お前一人で、僕を止められると思うな! 狩猟の魔王っ!!」

 

 

 重症を負ったであろうキャロを生存させる為に、アリサは医療能力を持つすずかを向かわせようとする。

 この悪魔を相手取るのは己だと、そう意地で向き合おうとした女はしかし、僅か数秒と持たずに打ち破られていた。

 

 

「がぁぁっ!?」

 

 

 質量兵器を形成して撃ち放っても、既に神域に到達しているエリオには届かない。

 彼は流れ出せないだけで、既に存在域は神格級なのだ。リミッターが付いた余技程度では、傷一つ付けられはしない。

 

 そして、リミッターを外す様な時間を、今のエリオが与える筈もない。

 当然の如くにアリサ・バニングスの身体は槍に貫かれ、ゴミを捨てる様な気軽さで散らされる結果に終わる。

 

 

「アリサちゃん!!」

 

「貴様もだっ! 吸血鬼ぃっ!!」

 

「きゃぁぁぁぁっ!?」

 

 

 腐炎が燃え上がる。肉体を焼き尽す炎に叫びを上げて、如何にか切り離して逃れるすずか。

 その背に無数の雷が舞い降りて、再生が間に合わぬ程に痛め付けられる。如何にか意識を飛ばさぬ様に、それだけが女に出来た限界だった。

 

 一人。一人。また一人。

 数分にも満たぬ僅かな時に、一人ずつ落とされて行く。

 

 

「弱い。弱い。弱い。弱い。遠くを見過ぎる貴様らは、足下が余りに疎かで脆過ぎる!」

 

 

 ティアナ・L・ハラオウン。片目失明。ルーテシア・グランガイツ。意識喪失。アリサ・バニングス。出血多量。月村すずか。消耗甚大。

 たった一人立つ悪魔の王は見下して、余りに弱いと彼女らを断じる。この程度でしかないのかと、こんな程度でしかないのかと、失望と共に腐炎を灯した。

 

 

「そんな脆弱な魂。此処で遍く全て無価値となれっ!!」

 

 

 その弱さに価値はない。全て燃えろ。全て堕ちろ。

 掌中に灯した黒き焔が落ちて、膨れ上がった奈落の炎が全てを包む。

 

 その直前に――

 

 

「エリオォォォォォォォッ!!」

 

「……来たか。トーマっ!!」

 

 

 蒼く輝く少年が、大剣と共に駆け付ける。

 処刑の刃で腐炎を払い、如何にか守れた者を背に少年は剣を構えた。

 

 

「遅かったね。いいや、間に合ったのかい? 全部が焼けて堕ちる前には、辿り着けたんだろうからさ」

 

「お前ぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 憎むべき少年に夜風の如く笑みを向け、余裕を見せる魔刃の姿。

 食い止められなかった事を悔やむトーマは、その後悔を怒りと闘志に変えてエリオを睨む。

 

 そんな彼の背に、如何にか立ち上がったアリサは血反吐を吐きながらに問い掛けた。

 

 

「トー、マぁっ! 状、況はっ!!」

 

「――っ! キャロはどうにか、一命を! なのはさんが治療に当たってます! ですがっ!!」

 

 

 問われて返す。竜の巫女はまだ死んでいない。

 だが瀕死の重傷だ。なのはが生命維持に動いているが、何時息を引き取ってもおかしくない。

 

 そして高町なのはでは、維持は出来ても重症の治療は出来ない。

 彼女はあらゆる魔法を使えるが、治療魔法による診療は専門外なのである。

 

 このままでは、遠からずキャロは命を落とすだろう。

 トーマ・ナカジマの切羽詰まった表情から、そう理解したアリサは如何にか立ち上がるとすずかを見た。

 

 見詰められた女も頷く。自分の身体を癒す途中で、それでも仲間を救う為にと走り出す。

 月村すずかに治療を委ね、代わりに高町なのはをこちらに戻す。それが恐らく、この現状で出来る最善手。

 

 

「全力で、支援するっ!! だから、なのはが戻って来るまで、死ぬ気で耐えなさいっ!!」

 

「はいっ!」

 

 

 リミッターの解除は出来ない。この傷で解除すれば、命を落とす危険が高い。

 結局はトーマ頼りとなる。そこに不甲斐なさを感じながらに、アリサは血反吐交じりに言葉を叫んだ。

 

 

〈トーマっ!〉

 

「ああ、行くぞ! リリィ!!」

 

 

 そんな彼女に頷いて、白百合と共にトーマは駆け出す。その速度は、先の一幕よりも尚速い。

 美麗刹那・序曲。精神状態によって速度が増すと言うその異能は、この今に強く輝いている。傷付いた仲間を守る為に、魔刃に迫る程に加速していた。

 

 だが、それでも――

 

 

「……やはり、この程度か」

 

 

 ぶつかり合う金属音。振り下ろしたエクスキューショナーソードを受け止められる。

 駆け抜ける速度を乗せて斬り掛かって来たトーマの刃は、しかしエリオを揺るがせる事すら出来ていない。

 

 両手に力を込めて、速度を乗せて強く振る。片手で軽く槍を掴んで、方向を合せて受けただけ。

 それで拮抗。其処には誰にも分かる程に明確な差が、圧倒的な差が生まれていた。

 

 だから、エリオは此処に決める。左手に抱いた少女の熱に、エリオは決断を下したのだ。

 

 

「少しは時間をやろうと思ったが、この遊びが今を生んだか――ならば、そうだな。決めたぞトーマ」

 

「何をっ!?」

 

「君を潰すと言う事を、さ」

 

 

 遊びは終わり。これより先、全力で行く。

 これまでは加減していた悪魔の王は、其処で更に一歩を踏み込んだのだ。

 

 

「っ、重いっ!」

 

「いいや、君が軽いんだ」

 

 

 切り結ぶ刃を押し込められて、一方的に打ち据えられる。

 リリィが安否を気遣う叫びを上げるが、答える余裕が生まれる前にエリオの次撃が襲い来る。

 

 速い。鋭い。重い。純粋に、出力が上がっている。

 それは成長を期待して、僅かにあった遊びが消えたから。確実に此処で潰すのだと、悪魔の王は決めたのだ。

 

 

「此処で死ね。次代の神よ。その座は僕が貰い受ける」

 

 

 ならばもう、拮抗する事さえ出来はしない。

 意味を為さない支援は無駄だ。受け止める事すら出来ない前衛は無意味だ。

 

 彼らの抗いは最早意味を為さない。全て無価値に染まって散るのだ。

 

 

「エリオ・モンディアルっ!」

 

 

 だから、そうはさせない為に、未来を見る少女は叫びを上げる。

 右の瞳を失って、空洞からは涙の如くに血を流しながら、ティアナは少年が無視出来ない言葉を上げた。

 

 

「此処でトーマを殺せばっ! アンタじゃ至れないっ!!」

 

 

 至れない。それでは神座に至れはしない。

 それは何の保証もない言葉ではない。確かな確証を視て、彼女が辿り着いた真実だ。

 

 

「魔刃は所詮、欠陥品! 神殺し足り得ないのはっ! 自己の統制さえ出来ないからっ!!」

 

 

 エリオは既に、神の域にいる。でありながらも、流れ出せないのは存在を統制出来ていないから。

 二十万と言う魂。内包した無数の命を、一つに統合出来ていないのだ。そもそもエリオと言う偽りの人格では、その肉体を掌握するには何もかもが足りないのだ。

 

 

「対となる者が居なければ至れないのは、アンタが一番分かっている筈でしょうっ!!」

 

 

 トーマとの同調で、一番成長出来るのはエリオ自身の魂。

 逆に言えば、エリオと言う人格はトーマが居なければ真面な成長すらも望めない。

 

 無数の怨霊が邪魔をするのだ。総体たる魔刃の力が高まっても、エリオ自身は成長出来ないのだ。

 鍛え上げれば鍛え上げる程に、その反発も強くなって制御出来なくなっていく。純粋にエリオの格だけを上げられるのは、トーマとの共鳴同調による強化のみ。

 

 だからこそ、彼は此処まで到達出来ても、この先に行けずに手を拱いている。だからこそ、彼は対となる存在を必要としているのだ。

 

 

「そうだね。僕は旧世界において、自滅因子と言われた者と似て非なる存在だ」

 

 

 その言葉を認める。血涙を流すかの如き少女の叫びを、エリオは確かに認めていた。

 

 

「自己を支える事すら出来ない。存在を他に依存する。高みに至るには、対となる者の成長を待たねばならない」

 

 

 少年はあくまで失敗作。魔刃は偶然の産物で、エリオという存在はもう当の昔に死んでいる。

 無数の死体が悪魔に動かされているだけだ。それが成長出来るのは、対となる神の子に同調して引き摺り上げられているからに他ならない。

 

 自滅因子と同じくして、その本質を他者に依存している。

 ベリアルが居なければ、自我を保てない。トーマが生きていなければ、成長する事すらも難しい。

 

 それがエリオ・モンディアルと言う、欠陥品の真実だ。

 

 

「だけど、だからどうした?」

 

 

 だが、それがどうしたのかと語る。それで諦めると言う理由は、彼にはない。

 

 

「僕達は何処へだって行けるし、何にだって成れるんだ。ならきっと、この業だって乗り越えられる」

 

 

 出来損ないの欠陥品。自滅因子よりも救いがない、唯無価値なだけのこの悪魔。

 だが何時までも完成出来ない道理はない。呪われた悪魔が神座に至って、それを許されない理由がない。

 

 いいや、そうではない。誰に許されなくとも関係ない。誰に認められずとも関係ない。至れぬとしたって意味がない。

 目指すと決めた。進むと決めた。その為に切り捨てた。だから止まらない。それだけだ。それだけがこの怪物の全てなのだ。

 

 

「簡単な話だ。トーマの成長は、もう待たない。だから、別の試練で代用する」

 

 

 トーマが居なければ、エリオは神座に到達出来ない。

 それが真実と言うならば、それ以上の試練を乗り越える事で突破しよう。

 

 

「トーマ・ナカジマは神の半身。ならばそう、ミッドチルダの外でコイツを腐炎で焼いてやろう」

 

 

 神の半身たる魂。彼らが求める、偉大な神のその半分。

 結界に守られていない世界で、それを焼いて見せれば如何なるか。

 

 

「輪廻の中にさえ戻れない程に、腐った炎で焼いて穢そう。魂さえも無に還そう」

 

「……アンタ、まさか」

 

「来るぞ。きっと来る。奴らは怒り狂ってやって来る」

 

 

 エリオの次なる狙いはそれだ。トーマとの戦い以上に、試練となると目するはそれだ。

 何億年と世界を守り続けた大天魔。その主柱を彼らの目の前で虚無へと還す。跡形もなく消滅させれば、七柱全てが怒り狂う。

 

 そうすれば、彼が望む地獄の如き試練が幕を開ける。

 

 

「覇道七柱。夜都賀波岐の大天魔全て! 同時に纏めて殺せたならばっ! きっと、この業だって超えられるっ!!」

 

 

 これを超える試練はない。ならばそれを超えられたなら、この業だって覆せる。エリオはそう、確信と共に断言した。

 

 

「正気か、出来ると言うのか!? お前はっ!!」

 

「もうとっくに正気なんかじゃないんだろうさ。……けど、それくらい出来ずして、一体何が為せると言う!」

 

 

 切り結ぶトーマは愕然と、その正気を問い掛ける。

 考えずして分かる程に、少年の選択は無謀が過ぎる物であろう。

 

 だが為すと決めた。ならば出来る出来ないは関係ない。唯、為すのだ。

 

 

「奴らは過去の敗残者。何時か乗り越えるべき壁だ。ならばそうとも、今、此処で、その全てを踏み台として進んで行こう!!」

 

 

 古き世界は超えていく。それこそが新世界に至る前に、示すべき強さの形だ。

 そう動くと決めたから、エリオはその為に動き出す。故に今の彼にとって、少年はもう――不要なゴミだ。

 

 

「だから、君はもう必要ないんだ。トーマ」

 

「エリオっ!!」

 

「皆々全て、灰燼とする。その最中で目覚めるならば良し。目覚めないなら、無価値に死ね」

 

 

 雄叫びを上げる魔刃は、最早食い止める事さえ出来はしない。

 拮抗どころか数秒とて耐える事も出来ず、誰もが一方的に押し潰されて行く。

 

 高町なのはは間に合わない。トーマ・ナカジマは耐えられない。

 結果は最早明白だ。このまま進めば、機動六課は今日この日に壊滅する。

 

 

 

 

 

(不味い)

 

 

 エリオの蹂躙。一方的に過ぎる戦場に、感じる情は誰もが同じく。

 だがその中で最も危機を感じていたのは、其処に隠れ潜む女であった。

 

 

(不味い。不味い。不味い)

 

 

 抱き締められた器の中、思考を回すは生き汚いその女。

 己に対する束縛から解放された魔群は、この今にある現状の不味さに叫びを上げたい程に混乱していた。

 

 このままエリオが彼らを全滅させれば、クアットロの願いさえも叶わなくなってしまうのだから。

 

 

(エリオがミッドチルダを出てしまえば、前提条件が全部狂う! 失楽園の日が成立しない!!)

 

 

 約束の日。約束の地で。反天使三柱が揃っている事。それが失楽園の日が訪れる条件だ。

 約束の日はもう間もなく。約束の地とは即ちこの地。だが此処でエリオが外に出てしまえば、それだけで全てが破綻する。

 

 

(クソ、何だってのよ! 何でこんなに、予想外の事ばっかり!! 最悪が過ぎるじゃないのっ!!)

 

 

 彼をこの地に留める為に、態々思考を誘導し続けたのだ。

 トーマへの恨みを煽り、ミッドチルダへの怒りに油を注ぎ、此処で暴れる様に仕向けて来た。

 

 エリオがミッドチルダで活動していたのは唯の八つ当たりが理由であったが、クアットロには遠大な計画があったのだ。

 

 だがその全てが此処に、水泡に帰そうとしている。

 その結末を、クアットロ=ベルゼバブは断じて認められない。

 

 

(どうする。どうするの。失楽園の日を諦める? 駄目、それは駄目。アレがないと、私達は完成出来ないっ!!)

 

 

 失楽園の日。それは彼らが完成する日。真なる神殺しとして、その力に目覚める日。楽園が終わる最期の日。

 

 

(大天魔さえ超える真なる神殺し。そうなる瞬間を、今更諦められる筈がないじゃないのぉぉぉぉっ!!)

 

 

 クアットロはその為に生きて来た。魔鏡アストはその為に存在した。魔刃ベリアルも同じく、知らぬはエリオ達三者のみ。

 大量に時間を掛けて準備して、漸く成立しようと言うその日。その時の訪れを、クアットロは諦める事が出来ないのだ。

 

 

魔鏡(アスト)は、駄目。あの子に止める要素はない。魔刃(ベリアル)は、あの気狂いはエリオ贔屓だし、私の苦しむ姿で愉悦に浸るでしょうからあてにもならないっ! あぁぁぁっ! もう、どいつもこいつも使えないぃぃぃっ!!)

 

 

 味方に止めさせようかと考えるが、同じ理想を抱くであろう同胞はどちらも役に立たない。

 感情を理解出来ない魔鏡アストには期待出来ないし、その場の快楽しか見てない魔刃ベリアルはそも論外だ。

 

 クアットロ自身が如何にかするしかない。

 そう理解した女は、内心で呪詛を吐きながらに思考を回した。

 

 

(約束の日まで、後少し。後少しなのよ。それさえ稼げば、なら――)

 

 

 思考を回す。後数日。それだけ稼げれば如何にかなる。

 故に魔群は此処に毒を紡ぐ。最低最悪の女は此処に、悪魔の囁きを口にした。

 

 

「ねぇ、エリオくぅん。ちょっとそれは早計過ぎないぃ?」

 

「……クアットロか。イクスの声で、その気持ち悪い喋りは止めてくれないかな。思わず切り捨てたくなる」

 

 

 正しく片手間。腕一本でトーマとアリサを薙ぎ払うエリオ。

 腕に抱かれた少女の声で語る悪魔に対し、表情を顰めて言葉を返す。

 

 そんな彼に拗ねる様に、媚びる様な声音でクアットロは口にする。

 

 

「酷いわねぇ。折角良い話を持ってきたのにぃ」

 

「後にしろ」

 

「今しか間に合わないのよぉ」

 

「……聞くだけならね。さっさと言いなよ」

 

 

 面倒だ。素直にそう思いながらも、これは一応イクスの命綱である。

 無駄に拗ねられても面倒だと、片手で済む相手との邪魔にはならないと、エリオは毒婦の声に耳を貸した。

 

 

「ありがとぉ。それでぇ、良い話なんだけどぉ」

 

 

 そして、毒婦は口にする。

 紡ぐ言葉はエリオが知らない、彼らの身体に対する一つの真実。

 

 

「エリオ君は知らなかったわよねぇ。実は君の中にはぁ、トーマ君の魂の欠片があるのぉ」

 

「……なに?」

 

 

 その魂。リンカーコアの欠片。そして厳密な共鳴条件。

 それを嗤いながら口にする女は、真剣な表情に変わったエリオを見て確信した。

 

 この方向性ならば、譲歩を引き出す事は可能だと。

 

 

「同調の理由。共鳴の発生条件。……試さず潰すには、惜しくないかしらぁ?」

 

「…………」

 

「どうせ何時でも潰せるんだしぃ、それでも駄目だった時に夜都賀波岐に挑めば良いのよぉ」

 

 

 乗るか。乗ってくれるか。乗ってくれよ。

 内心で感じる焦りと渦巻く呪詛の言葉を隠しながら、何でもない事の様に提案するクアットロ。

 

 その毒婦の提案を耳にして、エリオは――

 

 

「……良いだろう。君が何を望んでいるかは知らないが、その企みに乗ってやる」

 

 

 企みに乗ると決めた。乗ってやると、そう決めてしまったのだ。

 破局は始まる。失楽園の日はこの瞬間に確定して、全てが奈落へ堕ちると定まったのだった。

 

 

「そういう訳だ。付いて来い。トーマ」

 

「エリオ! お前達、何をっ!? 待てっ!!」

 

 

 蹴り飛ばしたトーマに向かって言葉を放ち、エリオは嗤って身を翻す。

 追い付けない程の速度で、だが見失わない程度の速さで、飛翔した魔刃の背中。

 

 トーマはその判断に違和を感じながらも、慌てて彼の背中を追った。

 

 

「待ちなさい! トーマっ! くっ!」

 

 

 アリサが慌てて声を掛けるが、その背に言葉は届かない。

 雷速で走り抜けるエリオと、それを音越えの速さで追い掛けるトーマ。

 

 速過ぎるその背中に追い付ける者など、この場の何処にもいなかった。

 

 

 

 

 

4.

 駆け抜けながらに思うのは、魔群が告げたその言葉。

 トーマとエリオ。その魂が同調し共鳴する為に、必要となる確かな条件。

 

 

――トーマ・ナカジマとエリオ君の共鳴条件。それは同じ感情に支配される事。

 

 

 一つの事しか思えない。それ以外など考えられない。

 それ程に純化された時、そして抱いた感情が同じ方向性だった場合。トーマとエリオは共鳴する。

 

 

――貴方なら分かるでしょう? 一番簡単に抱けるだろう。同じ感情が何であるのか。

 

 

 背を追い掛ける宿敵たる少年。それを大きく突き放しながらに、エリオは暗く笑みを浮かべる。

 クアットロに言われるまでもない。互いに強く想える感情など一つしかないと、他ならぬ彼こそが一番良く分かっている。

 

 

――憎悪。そう憎む事。

 

 

 それは憎悪。掻き毟って引き千切りたくなる程に、許せないと言うその感情。

 

 

――貴方は憎い。相手が憎い。そう何時も憎んでいる。

 

 

 そうとも、エリオは許せない。進む場所を決めた今でも、トーマだけは強く憎み続けている。

 ならば後は話は簡単だ。自覚すれば良い。憎悪だけを脳裏に浮かべて、心を黒き一色に染め上げる事は簡単だ。

 

 

――だからあとは簡単。同じ様に、トーマの思考も憎悪に染めてあげましょう。

 

 

 そしてトーマも、同じようにしてしまおう。

 星が煌くその瞳を、暗き闇で包み隠そう。心の中を溝色に、滲んだ黒に変えてやろう。

 

 その為にも――

 

 

――奪い取りましょう。この場に居る人ではなくて、もっと相応しい人の命を。

 

 

 そうとも、奪い取ろう。故郷を焼いた。形見を焼いた。ならばもう一つ、此処に新たに奪い取ろう。

 

 

――奪い取りましょう。その大切な人を目の前で惨殺して、その脳裏を憎悪だけで染めましょう。

 

 

 誰よりも大切な人。守らなければならない人。彼にとってのそれを、この手で奪い取ってやろう。

 目的の為にそれを為す。それを為すだけで道が開ける。ああ、それは何と甘美な誘惑なのであろうか。

 

 

――そうすれば、この世界は終わるわ。そして新たな世界が始まるの。

 

 

 追い掛けるトーマは、既に遥か後方に。目指した目標地点は、もう手が届く程に近く。

 機動六課の連中では足りない。彼らを殺すよりも尚、深く傷を残せる獲物を選ぶべきなのだ。

 

 ならばこそ――

 

 

(狙うべき標的。それは唯一人)

 

 

 標的は唯一人。それはこの眼下にある建物。陸士108部隊の隊舎の中に居る。

 暗い笑みを浮かべたエリオは、自由な腕で槍を大きく振りかぶって投擲した。

 

 

「お前は――!?」

 

「やあ、こんにちは。ゲンヤ・ナカジマ」

 

 

 崩れ落ちる建物。その中で、慌てて顔を見せた悪魔の獲物。

 白髪の男に柔らかな笑みを向け、場違いな挨拶を交わす魔刃エリオ。

 

 彼は呼吸をするかの如く自然に、大地に刺さった槍を抜き放つと此処で振るった。

 

 

「そして、お休みだ。此処で出会った悪夢を呪って……ただ、死ね」

 

 

 そして、深々と刺さる黒き鋼鉄。憎む者の愛する者を奪い取る。

 その愉悦に歪んだ笑みだけが、ゲンヤ・ナカジマが最期に見た光景だった。

 

 

「ディエスミエス・イェスケット・ボエネドエセフ・ドウヴェマー・エニテマウス」

 

 

 トーマは走る。焦燥感を感じながらに、早く早くと走り続ける。

 何かが失われる。この今にもう取り戻せない程に、大切な何かを失ってしまう。

 そう感じるが故にもっと早くと加速して、それでも遅いこの足が忌々しくも思えてくる。

 

 

「アクセス――我がシン」

 

 

 燃えている。燃えていた。父の職場が火に包まれる。

 聞こえる呪詛。燃え上がる建物。先に見せた魔刃の笑み。

 

 それが何を意味しているのか分かって、ああ分かりたくないと感じている。

 この先に何が待つのかを何とはなしに理解して、だからこそ早く早くと急いている。

 

 だが、もう間に合わない。

 

 

「無頼のクウィンテセンス。肉を裂き骨を灼き、霊の一片までも腐り落として蹂躙せしめよ」

 

 

 トーマが辿り着いた時、崩れた建物の中に倒れる父は微かに動く。

 何時もよりも小さくなったその身体は血に塗れて、それでも微かに息を繋いでいた。

 

 零れ落ちる。瞳から零れ落ちる滴と共に、トーマは縋る様に手を伸ばした。

 

 

「父、さん」

 

 

 そんな、彼の前で、暗い炎が其処に堕ちる。

 

 

「汝ら、我が死を喰らえ――」

 

「止めろぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 燃え上がる。燃え上がる。全てを無価値にする炎が、死体さえも残さず燃やし尽くす。

 分かる。分かってしまう。この腐った炎に燃やされれば、魂さえも残らない。新世界が訪れても、父は何処にも存在しなくなる。

 

 だから止めろと、涙と共に伸ばした腕は――

 

 

無価値の炎(メギド・オブ・ベリアル)

 

 

 届かずに、炎が燃えた。

 

 

 

 その瞬間に、トーマは唯必死だった。

 手を伸ばして、手を伸ばして、それでも燃え尽きようとする魂は救えないと分かってしまった。

 

 だから、彼は――

 

 

「あ、あぁ、ぁぁぁぁぁ」

 

 

 雨が降る。涙を隠す程に、空から雨が降ってくる。

 水に濡れた少年は涙を零し、その無様な姿を見下す悪魔は嗤っている。

 

 

「ウフフ。フフフ。アハハハハ」

 

 

 消滅した父の身体があった場所。涙を流しながらに、呆然と膝から崩れ落ちたトーマ・ナカジマ。

 そんな彼が為した事を間近で見た蟲の悪魔は、泣き崩れる少年の為した事を嗤いながらに指摘する。

 

 

「ねぇ、見た! 今の見た!? この子、食べたわよ!! 自分の父親を、自分で食べたわ!!」

 

 

 それが、トーマがやった事。魂さえも堕とされる前に、彼はエクリプスで取り込んだのだ。父を消滅させない為に、自分の手で殺すしかなかったのだ。

 

 

「何て鬼子! 親の肉を食むなんて! ああ、なんて醜い姿なんでしょう!!」

 

 

 嗤う。嗤う。魔群が嗤う。救う為に大切な人を殺した少年を、何と醜いと嗤っている。

 心が折れそうだ。涙が止まらない。仕留めた感触が残ると感じるこの腕に、悍ましさすら感じてしまう。

 

 

「ねぇねぇねぇねぇ? 聞きたい事があるんだけどぉ――貴方のお父さんは、美味しかったぁ?」

 

「――っ!!」

 

 

 返す言葉もない。言葉を返す意志もない。

 悲痛に顔を歪める少年は両手を付いて、焔の中で蟲の悪魔は嗤い転げている。

 

 そんな二人の遣り取り、表情を顰めてエリオは告げる。

 

 

「煩い。黙れ、クアットロ」

 

「…………」

 

 

 抱えた少女の内部に居る悪魔。クアットロを黙らせると、エリオは膝を付いて手を伸ばす。

 トーマの顎へと指を添え、優しく上向けながらに天使の如き笑顔で告げる。其れは一つの真実。

 

 

「トーマ。君は悪くない」

 

 

 憎むべき彼に、此処で掛けるのは全肯定の言葉である。

 こうするしかなかった。だからトーマは、決して悪くはないのだと優しく諭す。

 

 

「君が食べなければ、ゲンヤ・ナカジマは無に還っていた。輪廻の輪にも戻らず、魂は消滅しただろう。だから、悪いのは君じゃない」

 

「エリ、オ」

 

 

 そんな彼の目論見は何か。知れた事、慰める事などでは断じてない。

 その感情の矛先を己に向けさせる。そうでなくば意味がない。故にこそ、此処で向けるのは悪意の言葉。

 

 優しく顔を持ち上げたまま、その表情を大きく変える。

 天使の笑みは悪魔のそれへ、優しい微笑みは怖気を誘う嘲笑へと変わっていた。

 

 

「誰が殺した? 決まっている」

 

「エリオ」

 

「誰が奪った? 分かっているだろう?」

 

「エリオっ!」

 

「どうしてこうなった? それは僕が焼いたから」

 

「エリオっ! モンディアァァァァァァァァルゥッ!!」

 

 

 心折れた少年に、入り込むのは魔刃の呪詛。悪魔の王が語る言葉に、憤怒と憎悪が爆発する。

 

 よくも奪ったな。よくも奪ってくれたな、と。

 悪鬼の如き形相で振るわれるトーマの拳を、片手で受けてエリオは嗤う。

 

 

「それで良い。感じるぞ、この共感」

 

 

 手に感じる痺れ。それは先より遥かに重い。

 心に流れる憎悪の思考。軽い共鳴が起きる程に、両者は此処に近付いている。

 

 だが、まだ足りない。

 

 

「――だが、まだ温いね」

 

「がぁっ!!」

 

 

 殴り掛かって来たトーマを、大地に叩き付けて踏み躙る。

 その足で頭を踏み付けながら、歪んだ笑みを浮かべる魔刃は告げた。

 

 

「もっと憎め。もっと恨め。唯、それだけに純化しろ」

 

 

 憎め。憎め。憎め。それだけを思考しろ。

 憎む。憎む。憎む。それだけに純化しよう。

 

 互いに時間が必要だ。だがこの方向性は間違っていない。

 そう確信したエリオは此処に、早く純化してくれと言葉を紡ぐ。

 

 

「僕もそうする。君もそうしろ。憎悪に純化した僕らがぶつかり合えばこそ、至高の天は開かれよう」

 

 

 そうでなくば、また奪う必要があるだろう、と。

 口に出して語る必要もない程に、エリオの意図は明白だった。

 

 

「もう少しだけ待ってやる。だから、今度は落胆させないでくれ」

 

 

 崩れ落ちたトーマは、何も出来ない。

 焔に沈む隊舎の中で、降り注ぐ雨の中で、涙と憎悪を浮かべて睨み付ける事しか出来ない。

 

 

「ククク、クハハ、ハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 

 その憎悪を心地が良いと、背に受けて嗤いながらに悪魔は立ち去っていく。無造作に、落ちていたペンダントを踏み潰しながら。

 

 

 

 そして残された少年は、崩れ落ちて涙に濡れる。

 

 

「あ、あぁぁ」

 

 

 傍らに咲く花の言葉も届かない。

 失った悲しみに、奪われた痛みに、この手に残った感覚に、耐える事など出来なかった。

 

 

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」

 

 

 焔が雨に濡れて消えるまで、少年は涙の叫びを上げ続けるのだった。

 

 

 

 涙に泣き崩れた神の子は、最早何処までも暗く堕ちていく。

 自分にとっての光すら切り捨てた悪魔の王は、最早何処までも堕ちていく。

 

 約束の日。楽園の終わりはもう直ぐに――全てが地獄に堕ちる瞬間は、もう間もなく訪れよう。

 

 

 

 

 




六課隊舎「生きてる、だと!?」
陸士部隊隊舎「代わりに俺が死んだがな」


リリカル側でネームドを一番多く殺すであろう魔刃エリオ。
今後も殺戮を続ける彼は、イクスやアギト視点だとダークヒーローですが、トーマ視点だと不倶戴天の悪魔王。そんな二面性の強い人物です。




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