リリカルなのはVS夜都賀波岐   作:天狗道の射干

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推奨BGMからも分かる様に、今回はティアナ回。


推奨BGM
1.Fallen Angel(PARADISE LOST)
2.流星の射手~Theme of Tiana~(リリカルなのは)


第十九話 六課襲撃 其之肆

1.

 傍目には黒い粒にしか見えない羽虫が渦を為して、天蓋を作り上げている。羽音を響かせながら場に満ちる蟲の数は、悍ましい程に大量だ。

 甲高い声で嗤う女と、その身を構成する穢れた蟲の軍勢達。昆虫を摸したそれは奈落の泥。生身で触れれば蟲に貪り喰われるよりも早く、精神を病み発狂しよう。

 

 この場に立つ二人。立ち向かう少女達に抗う術はない。

 格が違う。次元が違う。力の桁が違っているのだ。抗う事は愚か、抵抗の意志も見せれずに嬲り殺されるが道理であろう。

 

 そう。本来ならば――

 

 

「ルー! そこよっ!」

 

 

 ティアナは声を荒げると共に、片手にデバイスを構え二つの魔法を行使する。

 

 一発。魔力弾にて層の薄い場所に小さな穴を開けると、クロスミラージュよりアンカーショットを撃ち出し通す。

 針穴に糸を通す様な正確さで、撃ち出した魔力糸を隊舎の壁へ。固定された事を確認する暇もなく、ティアナは前へと一歩踏み出した。

 

 

「了解。ガリュー!」

 

 

 そんなティアナの指示に応えたルーテシアが、その背を追いながらに指示を出す。

 動かすは使役する召喚虫。虫の甲殻を纏った戦士は、ティアナが開けた穴に向かって飛翔すると少女らに先んじてその場を進んだ。

 

 その瞬間に僅か遅れて、全方位より襲い掛かるは黒き穢れ。

 触れただけで弱い人間ならば殺せる毒は、物理的な圧力を伴って押し潰そうと牙を剥く。

 

 行かせない。生かせない。活かせない。此処でお前は何も出来ずに死に絶えろ。

 暗く嗤う女の笑みに、しかし黒き虫の戦士が折れる事はない。その身を盾に道を維持して、突破の隙を作り上げる。

 

 真面にぶつかれば一秒と持たずに押し潰される。それが避けられない程に、力の差は大き過ぎる。

 故にガリューが為すは、己の身と引き換えにその一秒以下を稼ぐ事。クアットロの認識低下も伴って、死力を賭せば数秒の時は稼いで見せよう。

 

 皮下組織を武装に変えて、放つは全力の武装解放。

 ティアナが生み出した針穴を、ガリューはその全霊を以って人が通れる程度に広げてみせた。

 

 

「…………」

 

 

 だが、その代価は大きい。武装解放とは、己の肉体を武器に変えて放つ攻撃だ。

 当然触れてしまえば侵される。侵食する毒素と悪意を前にして、彼は耐えられる程に強くはない。

 

 穢し貶めようとする奈落の毒。その余りの重さに膝を折りながら、それでもガリューは倒れない。

 そうして彼が押し広げ、維持し続ける脱出口。その先へと、ティアナはルーテシアを抱えて飛び込み抜けた。

 

 

「ゴメン。ガリュー。……先に戻ってて」

 

 

 成果はたったそれだけ。苦悶の声を上げる事も出来ずに、ガリューは蟲の津波に落ちて行く。

 その悪意の泥に飲まれて溶かされる直前に、ルーテシアは召喚魔法の対となる送還魔法でガリューを安全圏へと退避させた。

 

 宙を踊る二人の少女。ガリューが我が身を引き換えとしたのは、ティアナのアンカーを傷付けぬ為。

 命綱によってその身は繋がれて、彼女達は宙を滑空しながらに壁の層を一枚抜ける。だがしかし、状況は改善した訳ではない。

 

 地面に着地して数瞬、ティアナ達の姿を一瞬見失ったクアットロは再度認識し、すぐさま追撃の手を此処に打つ。余裕の笑みを浮かべたままに打つ次の一手は先と同じく、唯々純粋な力押し。

 だがそれで十二分。余りに力の差がある為に、単純な行動ですら十分過ぎる脅威となるのだ。

 

 

「来て! 地雷王!」

 

 

 襲い来る蟲の奔流に、ルーテシアは次なる召喚虫で対処する。

 四足歩行の甲虫が上空より重力場を伴いながら舞い降りると、溢れ出す蟲の流れを大地の底へと叩き落す。

 一切の加減などない最大出力。過剰な重圧によって地盤は沈下し、避けた亀裂の下へと蟲の群れは零れ落ちた。

 

 

「これなら……。――っ!?」

 

 

 だがしかし、魔群の進行は止められない。地面の底に叩き落とされ、それでも滅びぬ蟲が穴から溢れ出す。

 大地に空いた穴より溢れる、その光景は地獄の底を思わせる。異名の如くに這う蟲は、溢れ出してはその毒を撒き散らす。

 

 奈落の毒。魔の群勢に最も近いは――

 

 

「駄目っ! 戻って、地雷王!!」

 

 

 ルーテシアが即座に送還の魔法を使うが、地雷王は其れを拒否して力場を維持する。

 己と言う蓋が無くなれば溢れ出した津波は主を襲うと分かればこそ、奈落の毒に溶かされる瞬間まで退かなかった。

 

 

「……地雷王」

 

 

 ルーテシアの目の前で、甲虫は少しずつ咀嚼する様に溶かされて行く。

 黒い津波に甲殻は飲まれて消えて、残された一本の足が無造作に放り投げられた。

 

 

「ウフフ。フフフ。フフフフフ」

 

 

 嗤う。嗤う。女の嗤い声が響いている。

 敢えて肉片だけを残したクアットロは、忘我する少女の姿を嗤いながらに見下していた。

 

 

「自分を犠牲に、主の盾に? バァァァカみたい。教えてあげるわぁ。無駄な犠牲だったってねぇぇぇぇぇ」

 

 

 堰き止めていた蓋の消失に伴って、溢れ出す蟲の津波。

 忘我して動けない少女を抱えたままに、ティアナは毒付きながら魔力弾を撃ち放つ。

 

 力の差は明確だ。衝撃で蟲を弾く事は出来ても、その存在を消し去る事は出来ていない。

 ティアナでは例え全力を出そうとも、魔群の内の数匹を消滅させるが精々。兄の歪みを無しにして、魔群を減らす事など出来ない。

 

 故に出来るのは遅延戦術。無数の魔力弾で蟲を弾いて、迫る速度を遅らせる。そして自らも後方へと退避して、その僅かな時を増やすが限界なのである。

 

 

(無駄な犠牲? 何処がっ!)

 

 

 後退を続けながら、ティアナは思う。地雷王の犠牲は無駄ではない、と。

 

 

(想定よりコンマ二秒。発見されるのが速い。あの腐れ科学者、見通し甘いっての。地雷王が壁にならなきゃ、もう終わってたわ)

 

「呆然としてる余裕はないわよ、ルー! 泣くなら後にしてっ!」

 

 

 押し寄せる津波は、恐るべき速度で迫っている。

 ティアナの後退速度よりその動きは当然速く、故にあの犠牲がなければ詰んでいたのである。

 

 首の皮一枚で留まった現状に、内心で召喚虫に感謝を送りながら、ルーテシアに向かってティアナは叫んだ。

 

 

「……分かってる」 

 

 

 己の召喚虫を喰い殺されて、血が滲む程に手を握り絞めながらルーテシアは前を見る。

 

 襲い来る脅威は未だ変わらず、自身は二体の使役虫を失った。

 己を抱えるティアナは健在なれど、穴を抜ける際に多少は奈落の毒を受けている。

 

 如何にガリューが道を開いても、その対応は万全とは言えない。

 押し寄せる波の飛沫一つ。それだけでも肉を溶かすには十分な呪詛。完全に防ぎ切れなければ、其れは確かな傷として残されるのだ。

 

 逃げるしか出来ていない。後退しか出来ていないのに、自分達だけが傷付いていく。この情勢は余りに不利が過ぎている。

 

 

「けど、勝てるの?」

 

 

 だから、ルーテシアは一握の不安を抱いて問い掛ける。

 倒さねばならない邪悪な敵。その存在に憤怒と憎悪を抱いても、それ以上の恐怖を感じていたのだ。

 

 

「……零に等しいけど、絶無じゃない。まだ、勝ちの目はあるわ!」

 

 

 そんな彼女に伝える様に、或いは己に言い聞かせる様に、ティアナは此処に断言する。

 迫る魔群から目を離さずに、後ろを見ずに後退続けるその姿。だが此処までの全てが、想定を逸脱している訳ではない。

 

 

(義兄さんの仕込みは効いてる。地雷王が潰されたのは想定外だけど、それ以外は想定通り。ならあの垣間見えた勝利に至れる様に、再計算すれば良い!)

 

 

 それは今此処に、己達が生き続けている事こそその証左。

 クアットロは既に罠に嵌っている。ならば自分達が時間を稼げば、此処にその勝機は訪れるのだ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。勝ちの目があるのは、其処だけっ!)

 

 

 右目に灯した蒼い炎で、ティアナはその光景を既に“視”ている。

 数多ある敗北の可能性の果て。那由他の先とは言わないが、それでも恒河沙分の一にはなろう微細な未来。

 

 

(もう知ってるのよ。……なら其処に全てを賭けて、撃ち抜いて見せれば良い!)

 

 

 既知である。既に知っているのだ。既に勝利への道は分かっている。

 ならば、必要なのは其処を目指す事。その条件が満たされる瞬間まで、生き延び続ける事こそ重要なのだ。

 

 

「ルー! アレを使いなさい!」

 

「――っ! 了解っ!」

 

 

 ティアナが銃口を向けて指し示す。其処にあるは白壁だが、彼女が示すはその奥だろう。

 一瞬の思考からそれを理解したルーテシアは、彼女の腕から飛び降り大きく頷くと、次なる召喚魔法を行使した。

 

 

「吾は乞う、小さき者、羽搏たく者。言の葉に応え、我が命を果たせ。召喚!」

 

 

 彼女が呼び出すのは小さき者。インゼクトと呼ばれる召喚虫で、数だけ揃うか弱い虫けら。

 そんな塵を山の様に集めて、魔群と言う津波に抗う心算であろうか。クアットロは余りに愚かと嘲笑する。

 

 

「アハハハハ。バッカねぇ。そんなので勝てると思ってるのかしらぁ?」

 

 

 大量にある、と言っても所詮は羽虫。インゼクトは質と量、その両面で魔群の蟲に劣っている。

 そんな数を揃える事も出来ない雑魚を増やしただけ。それで己を如何する心算なのか、とクアットロは嗤っている。

 

 

「陰の参等級以下の歪み者に、ゴミを取り出し捨てるしか能がない召喚魔導師。ほんっと、哀れよねぇ。捨て駒なんて可哀想。けどしょうがないわね、役立たずだもの!」

 

 

 嗤う女の声と共に、魔の群勢はその数を急速に増やしていく。

 空に集い、星々を貪り、星海を埋め尽くす。二匹の召喚虫が死力を賭して破った包囲網が、僅か数秒で元の形に戻ってしまう。

 

 

「ゴミ掃除の才能がある――なぁぁぁんて、褒めても上げないわ。掃除されるゴミにしかなれないのが、貴女達だものねぇぇぇぇ」

 

 

 二つの犠牲を払って、訪れた結果は先の焼き直し。

 振り出しに戻ると言うマスを踏んでしまった双六の如くに、彼女達は最初の状況へと戻された。

 

 敵は無傷。自分達は満身創痍。その状態で最初からやり直し。

 そんな心が折れてしまいかねない状況に、しかしティアナは怯まずに見上げて言った。

 

 

「良く回る舌ね。頭が軽いと、舌まで軽くなる物かしら?」

 

「……何ですって」

 

 

 口にしたのは挑発の言葉。先と同じく単純行為を繰り返されたら終わるから、内心の震えを隠して嗤う。

 そんな彼女の意図を理解したのか、怒りの表情を隠したルーテシアもまた嘲笑の言葉を魔群に向けた。

 

 

「言っちゃ駄目よ。ティアナ。……だってアイツ頭が虫だし、考える脳がそもそもないじゃないの」

 

「それもそうね。どんなに綺麗に取り繕っても、所詮は汚物の塊。人間じゃないのよね。失念してたわ」

 

「…………アンタ達ぃぃぃ」

 

 

 張り付いた嘲笑が消えて、浮かぶは怨嗟の色が籠った声。

 肉体がないと言う事に対する罵倒は、クアットロにとっての地雷である。

 

 父の手によって肉体を壊されたこの女は、自分の肉がない事に不満を持っているのだ。

 肉がない故の不死不滅を誇っていても、自分だけの身体がない事が我慢ならない程に気に入らない。

 

 父に触れられない。父に抱きしめて貰えない。頭を撫でて、そんな小さな事すら望めない。

 

 そして何より気に入らないのは、己が父を産めぬ事。

 

 実装されたナンバーズ。その中でも極一部の特別性には父親の予備、スカリエッティの因子が植え付けられている。

 求道を果たせず死した時、自分を産み直させると言う狂気の発想。その狂気の受け皿となる事が、クアットロには出来ないのだ。

 

 ウーノは産み落とせる。だがクアットロは産めない。

 より優れた自分が愛する人の母になれない。それこそが、女にとって最も受け入れ難い事実であったのだ。

 

 

「随分と、言ってくれるじゃないのよ。三下がぁぁぁぁぁっ」

 

「その三下を仕留められないのは、一体誰よって話よ小物。……猫に小判とか豚に真珠とか色々言うけど――クアットロに魔群なんてのも、これからはアリなんじゃない?」

 

 

 怨嗟と共に、黒き壁の如き蟲が震える。

 向けられる悪意の総量に震えを感じながらも、己の怯懦を吹き飛ばす様にティアナは笑った。

 

 

「……良い気になってぇぇぇぇ、ドクターの支援が無ければもうとっくに死んでる雑魚がぁぁぁぁぁっ」

 

(流石に気付いているか)

 

 

 クアットロは既に気付いている。気付かれていると、ティアナも当に分かっている。

 ティアナとルーテシアが生き延びたのは、この六課隊舎に用意されたスカリエッティの技術が故。

 魔群の襲来を予見した()()()()()()()に応えて、クロノが用意させたのがこの罠だったのだ。

 

 クアットロには目が存在しない。血肉を持たないが故に、これは本来外界を認識できない物。

 だがその不利をクアットロは、周囲に魔力を放ち続ける事で解消している。まるで蝙蝠の如く、魔力の反響で物体を視ているのだ。

 

 スカリエッティの仕込みは、その認識を逆手に取った物。

 一部魔力を乱反射させる術式を用意する事によって、クアットロの“視力”を乱すのがその仕組みだ。

 

 その仕組み故に、クアットロの攻撃は常に一手遅れる。

 一秒少しの遅れに過ぎずとも、戦場においてその時間は余りに大きな物となる。

 

 それこそが彼女達が今も生きている理由であると、クアットロはもう気付いていたのだ。

 

 

「鬱陶しいのよっ、それが実力と錯覚している思い上がりぃ! あの人に助けられてるってその事実ぅぅぅ! あぁぁぁぁ、何もかもが気に入らないぃぃぃぃっ!!」

 

 

 故に彼女が選ぶ対策は簡単だ。為すべき事は単純なのだ。

 

 

「SAMECH VAU RESCH TAU」

 

 

 見えないと言うならば、見る必要もない程に広範囲を薙ぎ払ってしまえば良い。魔群は唯、そう結論付ける。

 

 周囲を取り囲む蟲の風。それが一点へと集まって、高密度なエネルギーへと変換する。

 

 生じるのは黒い太陽。魔群が持つ最大火力。偽りの神の牙。ゴグマゴグ。

 これが放たれれば最期、機動六課の隊舎も諸共に全てが焼かれ終わるだろう。故に――

 

 

〈今よっ! ルー!〉

 

「了解っ! ブンターヴィヒト。オブジェクト11機、転送移動」

 

 

 それすら既に織り込み済み。

 ゴグマゴグの発動をこそ、彼女達は待っていたのだ。

 

 

「来たれ――Gogmagoooooooooooog!!」

 

 

 生じる力。神すら殺す刃が牙を剥くその直前。集まる太陽の只中へと、転送されるのはインゼクト。

 無機物に憑依すると言う性質を持った羽虫の群れが、スカリエッティのラボにあった特製ガジェットに憑り付いたままに転送された。

 

 

「反発して、阻害しなさい!」

 

 

 そして、爆発する力。それに対応する様に、ガジェット内部にある術式が起動する。

 発動するのは、エクリプスウイルスを元に作り上げた一つの術式。魔力を分断させると言う性質で、ゴグマゴグが全てを終わらせる前に細分する。

 

 

「んで、そこを撃ち抜く! シュー卜ッ!!」

 

 

 そして直後、ガジェットを撃ち抜くのは少女の魔弾。

 その魔力弾に反応して、内部に取り付けられた動力源であるロストロギアが反応する。

 

 その名をレリック。高密度の魔力結晶は、細分された偽神の牙ならば真っ向からに消し去れるのだ。故に――

 

 

「……はっ? ありえない。何よそれぇぇぇぇ!?」

 

 

 結果として残るのは、一つの光景。

 絶対の勝利を確信したクアットロが晒す間抜けな面に、対する少女達はデバイスを構えたままに笑うのだ。

 

 

「細分して小規模に変えた後に、爆発で迎撃するなんて、考えたとして実行出来る訳が――」

 

「ゴチャゴチャ騒ぐなっての。種も仕掛けもあるわ」

 

 

 理屈では分かる。理論は納得する。だが現実に出来る事ではない。

 発動の瞬間を僅かにも逃せば、逆にレリックを喰われ被害は拡大した筈だった。

 

 だと言うのに、当たり前の様に成し遂げた少女らに、クアットロは絶句する。

 そんな危ない橋を渡った直後のティアナは、そんな混乱する女の言葉を遮り告げた。

 

 

「アンタの大好きなドクター印よ。無駄だって分かったら、諦めて投降なさい小物外道」

 

「――っ!」

 

 

 冷たい銃口を向けられる。それ自体に脅威は感じずとも、クアットロはそれ以外に動揺していた。

 己が誇る最高の手段を封殺されたのだ。それが道具頼りの手段だとしても、次に何かが控えていないと言う道理がない。

 

 或いは、この認識阻害すらも布石に過ぎないのか。

 肉体があれば冷や汗を流していた程に、クアットロ=ベルゼバブは動揺していた。

 

 

(これもドクターの仕込み? 認識阻害は、これを悟らせない為に、なら他にも術式があるの?)

 

 

 クアットロの最も厄介な所は、力を以っても慢心しないと言う一面だ。

 

 余りに小物であるその性根は、常に最悪の事態を想定しながら保険を幾つも用意している。

 そして危機に陥った時、迷わず逃げ出すプライドの無さ。それも合わさって、この女は兎に角生き汚いのである。

 

 

(不味い。予想外の事が起き過ぎている。……此処は、逃げるべきか)

 

 

 怒りはある。腸が煮えくり返る程に、小物の彼女は自分に対するあらゆる暴挙を忘れない。

 だがそれとは別に僅かに恐怖を覚えれば、クアットロはその全てを無視して一目散に逃げ出せる。

 

 だからこそ女は迷っている。罠は見えないが、父の作なら生半可な物ではない。偽神の牙が破られた様に、これ以上があってもおかしくなどはない。

 だからこそ女は迷っている。どんなに脅威が隠れていても、今此の場に居るのは圧倒的弱者が二人だけ。力押しだけでも勝てるのだと、そんな事実が此処にある。

 

 その懊悩の天秤。其処に結論が付く前に――

 

 

「なに、また逃げるの?」

 

 

 蒼い右目で見上げるティアナは、その懊悩を読み切って挑発する。

 此処で逃がす訳にはいかないから、僅かな勝機を見ている女はあからさまな罵倒を口にするのである。

 

 

「格下にも勝てないなら、止めたら? その品質偽装。欠陥品の癖に最高傑作自称して、ゴメンなさいってね!」

 

 

 言葉と共に銃を撃つ。放たれた魔力弾はクアットロの身体に当たって、揺さぶる事も出来ずに弾かれる。

 傷は付かない。魔力弾は女の姿を崩す事も出来ていない。それだけの差があると言うのに、構わず少女は笑っている。

 

 

「…………そうねぇ。そうよねぇぇぇ」

 

 

 気に入らない。どうしようもなく気に入らないと感じていた。

 

 

「力の差は歴然だもの。まだ私は無傷。コイツらじゃぁ絶対に傷付けられない。なら、どんな道具だって宝の持ち腐れ。コイツら程度が、ドクターの作品を活かせる筈もない」

 

 

 もしももう少し、敵に戦力があったら迷わず逃げたであろう。

 或いは今の一撃で、掠り傷でも負っていたならば逃走した筈だ。

 

 だが敵は弱い。取るに足りない程に弱くて、こんな相手が何をしようと倒せる程に己は強い。

 故に小物は此処に判断を間違える。この二人に倒される事は絶対にないのだと認識したからこそ、怒りが思惑の全てを凌駕したのだ。

 

 

「遊びはナシよ。全力で潰してあげるわ。この腐れ女共ォォォォォォッ!!」

 

 

 確実に倒す。全力で潰す。もう遊びは入らない。

 膨大な数で蹂躙を始めながらに、クアットロはもう一つの手を此処に打つ。

 

 

〈来なさいっ! イクスゥゥゥゥッ!!〉

 

 

 それはこの直ぐ傍に、待機している器の少女に向けた言葉であった。

 

 

(クアットロ。何を?)

 

〈説明しないと分からないの、この鈍間っ!? ドクターの認識阻害を暴く為に、アンタの目が必要だって言ってんのよっ!!〉

 

 

 念話で急に語り掛けられ、困惑の儘にイクスヴェリアが問い返す。

 そんな愚鈍な反応に怒り狂っているクアットロは噛み付いて、罵倒しながらに理屈を示した。

 

 

〈ドクターの術式はあくまで魔群に対応した物。アイツらの認識がおかしくなっていないなら、肉眼なら無効になるって考えたら分かる物でしょう!? ほんっと使えない娘ねぇぇぇっ!!〉

 

 

 認識阻害の術式は、肉眼がないから通じる物。ならば目の代わりがあれば対処は可能だ。

 その裏側にどんな罠が隠れていたとしても、分かっているなら対処が出来る。故にクアットロは、蟲で蹂躙しながらにイクスヴェリアを使うのだ。

 

 

(貴女の目を、代わりにやれと)

 

〈さっきからそう言ってるでしょうがぁっ!! あの糞女共が生きてられるのは、偉大なドクターの御業。だったら、それを先に暴いてしまえば御終いなのよっ!!〉

 

 

 戦場は最早、一方的に推移している。押し寄せる魔群の波を前にして、ティアナもルーテシアも何も出来ない。

 突破だけで二匹の召喚虫を消費したのだ。ならばこのまま嬲るだけでも、倒せると思うのは当然の思考であった。

 

 だが魔群は違う。小物であるが故に生き汚く、頭脳も秀でている為に極小の可能性すら考慮する。

 裏には未だ罠があるかも知れない。その罠は自分を殺す程かも知れない。そう思っているからこそ、イクスに其れを暴かせようと言うのだ。

 

 

〈目に物見せてやる。暴言の対価を払わせてやる。何よりも残虐にぃぃぃ、磨り潰してやるのよぉぉぉぉっ!!〉

 

 

 怒り狂いながらに吐き捨てて、神経質なまでに可能性を潰そうとしているクアットロ。

 そんな姿に溜息を吐きながら、一体彼女達は何をして此処まで怒らせたのかと思考する。

 

 

(クアットロが怒り狂っている。どれだけ怒らせたのか……)

 

 

 そして、同時に思う。

 それは罪に塗れた自分が、これから更に重ねるであろう罪の事。

 

 

(……けれど、また罪を重ねるのですか)

 

 

 イクスヴェリアは嫌いだ。争いや悲劇と言う物を嫌っている。

 それは冥府の炎王と呼ばれた時代から変わらずに、傀儡師と呼ばれる様になってから大きくなった。

 

 この今にある現実。罪を犯さねばならない。生きる事は愚か、死ぬ事も許されない地獄。それが彼女にとっての現実だった。

 

 

(もう終われると、あの時感じたのは安堵。辛い現実と言う地獄から、解き放たれたと思っていた。……なのに)

 

 

 だからこそ、クアットロに見捨てられた時、感じたのは安堵であった。

 見届けると決めた少年にも見限られたから、もうあそこで終わっても良いと本気で思っていたのだ。

 

 だが、今イクスは生きている。それは彼が必死になって、この命脈を繋いだから。

 

 

(貴方が生かした。あんなにも必死になって)

 

 

 見限られたと思った。見捨てられたと理解した。

 だから終わろうと安堵して、なのにその安心を遠ざけた罪悪の王。

 

 

「エリオ」

 

 

 少年の名を呼ぶと、それだけで心が熱くなる。

 指先で唇に触れて、あの日の感触を思い出しながら、イクスヴェリアは儚く笑う。

 

 

(私は何を、貴方は何を、望んでいるのでしょうか)

 

 

 分からない。分からない。イクスはまだ何も分からない。

 だがこの熱の意味を知る為にも、求め続けて貰える限りは生きようと思えた。

 

 だから、彼女が為す事は決まっている。

 

 

〈さっさと来いよぉぉぉ! クソ使えない器ぁぁぁぁぁっ!!〉

 

(……考えるのは、後ですね)

 

 

 余程しつこく噛み付かれているのだろう。

 クアットロの怒号をその身に受けながら、イクスはデバイスより一つのケープを此処に取り出す。

 

 その名はシルバーケープ。クアットロの本来の肉体の為に用意された固有武装の改良品だ。

 

 

「今は、少しでも貴方の助けになると願って――インヒューレントスキル・シルバーカーテン起動」

 

 

 あらゆる認識を妨害する銀の衣。幻惑の銀幕を纏ったまま、イクスヴェリアは戦場へと向かって行く。

 この行動が僅かにでも、彼の助けになれば良い。そんな風に祈りながら、少女は飛翔して前へと進んだ。

 

 

 

 そうして、辿り着く。目の前には溢れかえる程の魔群と、膝を付いた二人の少女。

 全身に酸の雨を浴びながら、至る所を蟲に喰われながら、今にも死にそうな程に満身創痍な二人の姿。

 

 果たして自分は必要だったのか、そう疑念を思いながらにイクスは見る。

 術式の基点。何処かにあるであろう罠を探して視線を動かす少女は其処に、瀕死の少女と目があった。

 

 瞬間、笑う。ティアナ・L・ハラオウンは、快心の笑みを浮かべていた。

 

 

「見られたっ!? まさかっ!?」

 

「喰らい付けっ! 黒石猟犬っっっ!!」

 

 

 見えている筈がない。見つかる筈がない。だと言うのに、気付けば身体に感じる痛み。

 最初から当たっていたのだから、回避も防御も出来ない時間跳躍の魔弾。黒き猟犬の歪みが、イクスのその身を射抜いていた。

 

 

(ごめんなさい。エリオ)

 

 

 視界が薄れ、落下する。

 霞んでいく意識の中で、イクスは最後にその少年の事を想っていた。

 

 

 

 

 

2.

 イクスヴェリアの身体が落ちる。意識を失った少女は倒れ、撃ち抜いた少女は残心する。

 その光景を目にしながら、クアットロ=ベルゼバブは意味が分からないと驚愕していた。

 

 

「今のは、ティーダ・ランスターの時間逆行弾? けど、どうして、あれは、位置を正確に知らないと出来ない筈なのに!?」

 

 

 時間軸を跳躍し、既に当たっていたという結果を齎す黒き魔弾。

 追尾弾よりも高位に当たるその能力は、相手の位置情報を正確に知らなければ発動しない。

 

 イクスはシルバーカーテンを纏っていた。目視も出来ず、機械にも映らず、その姿を捕らえる術はない。

 故に当たる筈がない。発動する筈がないのである。だが、確かな事実として此処に結果がある。だからこそ、訳が分からないと女は喚く。

 

 

「……知ってたのよ。単に、それだけ」

 

 

 そんな魔群の女に向かって、ティアナは当たり前の様に言葉を返す。

 彼女の蒼く輝く右目には、最初からこの光景が映っていた。イクスヴェリアが現れる瞬間こそを、彼女は既に視て知っていたのだ。

 

 

「望んだ未来。求めた答え。其処に至る断片を、私の目は映し出す」

 

 

 ティアナの歪みは、未来の断片を見通す物。

 答えを知りたいと言うその渇望に応えた力は、解答に至る道筋をこそ照らし出す。

 

 そしてその光景が成立した以上、最早何を為そうと覆されない。

 

 

「もうチェックメイトよ。クアットロ。アンタは何処にも、逃げられない」

 

「……舐めてくれるじゃないの」

 

 

 倒れたイクスヴェリアを背後にして、クロスミラージュを構えるティアナ。

 立つ事がやっとな程に消耗しながらも、拘束魔法でイクスヴェリアを捕らえるルーテシア。

 

 そんな二人に裏を掻かれたと理解して、それでもクアットロは舐めるなと口にする。

 

 

「イクスを捕らえたくらいで、終わるとでも!? アンタ達が私に勝てない事実は、そんな位じゃ揺るがないっ!!」

 

 

 ティアナとルーテシアでは、魔群クアットロには勝てない。

 彼女達の力ではクアットロは倒せない。死力を賭して倒せるなら、先の蹂躙はもう少し戦闘になっていた。

 

 イクスの瞳でも確認した。此処に術式は認識阻害の罠しかなく、その他は唯の勘ぐり過ぎだったと理解した。

 故にクアットロ・ベルゼバブは確信する。彼女らを打ち破る事は簡単だ。そうして器を取り戻せば、それで己が勝つのだと。

 

 

「そうね。私もルーも、アンタに勝てない」

 

 

 それは確かに事実である。ティアナやルーテシアだけでは、クアットロには絶対勝てない。

 確かに追い詰めた。だが窮鼠が猫を噛む様に、追い詰められれば本気となろう。ましてや女は鼠ではない。

 

 追い詰められたのが肉食動物の類なら、追い詰めた側が貪り喰われるのも自然の道理だ。しかし――

 

 

「けど、言ったでしょう? もうチェックメイトだって」

 

 

 もうチェックメイトは付いている。

 イクスヴェリアを捕らえた時点で、機動六課の勝利は決まっていたのだ。

 

 

「タイラントォォォォッフレアァァァァッッ!!」

 

「っ!? アリサ・バニングスっっ!?」

 

 

 頭上から墜ちるは紅蓮の炎。その魔力を質と声に、クアットロは驚愕しながら身を焼かれる。

 どうしてと、混乱しながらに逃れた魔群。蟲の群体が逃げ出した先に、舞い降りるのは呪いの夜。

 

 

「枯れ落ちろっ! 凶殺血染花っ!!」

 

「つ、月村すずかまでぇぇぇっ!?」

 

 

 半身を焼かれ、半身を吸われ、ズタボロになりながらに大地に落ちる。

 地面に這う無様を見せながら、蟲の群体の思考は混乱の極みにあった。

 

 

「どういう事!? 何でアンタ達が!? 一体何時からっ!?」

 

 

 訳が分からない。意味が分からない。どうして、この二人が此処に居る。

 アリサ・バニングスと月村すずか。この両者は本命である筈の、公開意見陳述会に向かっていたのではなかったのかと。

 

 

「最初からよ」

 

「本当に最初から、私達は此処に居たんだ」

 

 

 一体何時から、その答えに返すのは色の籠らぬ二人の声。

 金と紫の女達は、過去に類がない程に怒りを感じて堪えていたのだ。

 

 

「最初から居たなら、どうしてこの今まで――」

 

「だって、アンタ。逃げるじゃない」

 

 

 どうして、最初から出て来なかったのか。その問い掛けに答えるのはティアナ。

 

 

「アリサさんやすずかさんが居ると分かれば、逃げるでしょ? だから、先ず逃げられない様にする必要があった」

 

 

 認識阻害の真意は其処に。クアットロの目を誤魔化していたその罠は、彼女らの存在を気付かせぬ為にあった。

 

 公開意見陳述会は囮。魔刃に対するそれは完全な足止め。

 六課の真の狙い。それは今日この日に、冥府の炎王イクスヴェリアを捕縛する事にあったのだ。

 

 

「この二人から、イクスを守って逃げ出す事なんて、幾らアンタでも出来やしない」

 

 

 イクスヴェリアが姿を見せるのは、クアットロが確実に勝てる相手を前にした時だけ。

 今の彼女は、魔群にとって絶対に守らないといけないアキレス腱。故にこの様な状況でしか、表に誘い出す事が出来ない。

 

 だが一度姿を現して、其処で捕らえてしまえばそれで終わりだ。

 もう隠す必要が無くなった最大戦力を此処でぶつけて、魔群を削り取ればそれで良い。

 

 

「それとも見捨てる? この子を捨てて逃げると、魔刃に焼かれて無価値になるわよ?」

 

「――っっっっ!! お前ぇぇぇぇぇっ!!」

 

 

 視て知った情報から、推測した予想をティアナは告げる。

 その予測は間違っていないと、事実であるとは魔群の反応から確認出来た。

 

 笑みを深めるティアナに対し、クアットロは怒りの声を上げる。

 良くもやってくれたなと。そう怒りに吠える魔群以上に、此処には怒り狂っている女が居た。

 

 

「……叫びたいのは、こっちの方よ」

 

「目の前で子供達を傷付けられて、どれだけ腸煮えくりかえっていると思っているの?」

 

「くっ、アンタ達如きがぁぁぁぁぁっ!」

 

 

 降り注ぐ炎と簒奪の力。それに数を減らしながらに、クアットロは叫びを上げる。

 真面にやれば勝てる。一対一なら勝てる。だと言うのに、そんな相手に追い詰められている。その現状が、どうしようもなく腹立たしかった。

 

 

「……最初からこれが狙いだったなら、ちゃんと説明しなさいよ」

 

 

 イクスヴェリアを捕縛したまま、ルーテシアが近付き愚痴る。

 クアットロの形成体から目を逸らさず、顔を向けずにティアナは詫びた。

 

 

「ごめん。内緒にして、後、ありがと。アンタとあの召喚虫が居なかったら、此処まで生きてられなかったわ」

 

「……別に良いわ。恨みも怒りも、水に流す。そう思えるくらいに、アイツをぶっ飛ばしてくれるならね」

 

「そりゃ当然。頼まれるまでもないわよ」

 

 

 この結果に辿り着く為に、一人で居たなら生きては居られなかった。

 そうと分かっているからの謝罪と感謝に、なら良いとルーテシアも言葉を返す。

 

 そうして、二人揃って見る。

 エース陣に囲まれて、逃げ場を失くした魔群の姿を。

 

 

「選びなさい。その穢れた蟲の一匹までも、燃やされ尽くして死に絶えるのか?」

 

「選んで。その蟲を織りなす汚い血液。一滴残らず吸い尽くされて死ぬのが望みか?」

 

「っ!! どっちも、御免よっ!!」

 

 

 空を抑えられた。地面に叩き付けられた。

 それでも未だ、自分の方が強い。そう理解するクアットロは、如何にか突破しようと足掻きを見せる。

 

 

(リミッター付きのコイツらなら、つけ入る隙は必ず――)

 

「あると思った? そんなのないわよ」

 

「っ!?」

 

 

 だが、所詮それは悪足掻き。アリサの足下を抜けようと動いても、すずかの頭上を超えようと動いても、即座に迎撃の手が襲い来る。

 まるで最初から分かっているかの様に、クアットロがどう動くのか全て分かっているかの様に、彼女達は機先を制し続けるのだ。

 

 

(どういう事!? これは一体――まさか!!)

 

 

 そして思い出す。三年と前に、エリオが初めて敗れた時を。

 

 

「詰んだのよ。もうアンタは詰んだの」

 

 

 その日も、少女は蒼い瞳で見詰めていた。

 まるで未来を見ているかの様に、その瞳がこの今にクアットロを見詰めているのだ。

 

 

「何をしても無駄よ。その結果は見えている」

 

 

 理解する。コイツだ、と。ティアナ・L・ハラオウンが何かをしていると、先を読まれている事を理解した。

 

 

「どう足掻いても意味ないわ。その結果には、もう辿り着いたのだから」

 

「何よ、それ。何なのよ、それ」

 

 

 本当に意味が分からない。少女の能力は恐らく未来視。だがそれでは説明付かない事があるのだ。

 

 

「格の差はどうしたのよ!? 通る訳ないでしょ! 通じる筈がないじゃない! そんな参等級相当の歪みなんかじゃ!!」

 

 

 格の差。未来を見通す為には、相応の格と言う物が必要となろう。

 ましてやこの様な干渉能力。陰の参程度の汚染しかないティアナでは、拾相当のクアットロに通せる筈がないのである。

 

 そんな前提。当たり前のルールが何処に行ったのかと、そう困惑している魔群。彼女の無様を鼻で笑って、ティアナは此処に全てを告げた。

 

 

「……馬鹿ね。何言ってるの? 直接干渉してる訳じゃないんだから、格の差が意味を為す筈ないじゃない」

 

 

 そも、前提が違うのだ。ティアナ・L・ハラオウンは未来の断片を見ているだけ。

 それを歪めている訳ではないし、干渉している訳でもない。あり得る可能性の一つを知るだけならばこそ、其処に格の差など意味を為さない。

 

 

「求める答え。此処で求めたのは、どうすれば魔群に勝てるかと言う解答」

 

 

 ティアナの歪みは、酷くピーキーな性質をしている。

 それは彼女の性格と同じくして、率直に言って面倒臭い性質なのだ。

 

 

「得られたのは方程式の断片。或いはあり得る可能性の欠片の中から、導き出したのがこの状況」

 

 

 仁者は射るが如し。射る者は己を正しくして後に発つ。発って中らざるも、己に勝てる者を怨みず、諸を己に反み求むるのみ。

 ティアナが求めたのは正しい未来。求めた答えに至る為に、必要なのはその心。誰かを恨むのではなくて、自分を戒めるその在り様こそが必要なのだ。

 

 だがティアナは弱い。一度心に決めたとて、何かがあれば直ぐに揺らぐ。

 だからこそ、求めたのは己の心に矢を向ける事ではない。それではきっと足りぬから、いっそ己の心を射抜いてしまえと望んだのだ。

 

 

「答えに至る方程式。その断片を知る歪みこそが、私の“射法八節”」

 

 

 故にこそ名付けたその名は、正しき弓の修練方法。

 この歪みに彼女が託した願いとは、何時か答えに辿り着ける様にと正しく生き続ける事。

 

 ぽっと出る答えなど望んでいない。結論まで教えて貰いたくなどない。

 知りたいのは進むべき道筋で、どうすれば至れるかで、それ以上のカンニングなどは欲しくない。

 

 だからこそ彼女の歪みは極めて実用性が低く、だが嵌ればこれ程に強い力もない。

 

 

「アンタにも分かり易い様に言うとね。――これはバタフライエフェクトを意図的に起こす歪みよ」

 

「は?」

 

 

 ざっくりとした解説に、クアットロは目を点にする。

 そんな能力。そんな異能があり得て良いのかと、困惑する女に少女は笑みと共に言葉を告げる。

 

 

「アンタがどんなに強くても、私がどんなに弱くても関係ない。それが起こり得る事ならば、どんな事だって引き寄せられる」

 

 

 無限の可能性。其処にある光景を垣間見る彼女は、時間と必要な物さえあれば何でも出来る。

 蝶の羽搏きが何れ嵐を起こす様に、ティアナはほんの小さな力の干渉でどんな事でも引き起せるのだ。

 

 無論、全てが視れる訳ではない。視れる景色は断片で、どうすれば其処に行けるかも曖昧にしか分からない。

 視えない部分は推測で補わねばならないし、そも前提として必要な要素がなければ何も出来ない。だが一度嵌れば、これはもう覆せないのだ。

 

 クアットロの動き。此処から先は全て読めている。

 もう詰みなのだと、この直後まで全て視えていたのである。

 

 

「望んだ未来に近付く力。それが私自身の歪みよ! クアットロ!!」

 

「何よそれぇぇぇっ!? インチキにも程があるじゃないのぉぉぉっ!!」

 

 

 格の差で防げず、負ける確率が零でない限り絶対に敗北する。

 そう言う性質の力に嵌ったのだと理解して、クアットロは苦し紛れの叫びを上げる。

 

 余りに無様。泣き喚く様な在り様に、ティアナは苦笑と共に武器を構えた。

 

 

「そうね。けど、だからどうしたの?」

 

 

 銃口を向けるその直前に、クアットロは蟲の群れとなって襲い来る。

 左右上下背後をエース二人に囲まれて、逃れる場所として選んだのはティアナ・L・ハラオウン。

 

 コイツの方が未だしも与しやすいのだと、破れかぶれのその特攻。

 ティアナとルーテシアに襲いかかって、その隙にイクスヴェリアの身体を動かそうとするその浅はかさ。

 

 当然、それも視えている。

 

 

「何度も言う様に、アンタはもう此処で御終い。逃れる術は、アンタの中には存在しない」

 

「嫌よ! 嫌よ!」

 

 

 向けた銃口に集まる魔力。集う星の輝きに、クアットロは悪手と理解して首を振る。

 

 

「抵抗する余力も残らない程に焼かれるか、血の一滴までも吸われるか、黙って捕まるのか、最後まで無様で在り続けるのか――選べる自由は、唯それだけ」

 

「認めない! 完璧な私がぁ、こんな終わりなんてぇぇぇっ!!」

 

「終わりよ。欠陥品の出来損ない!!」

 

 

 頑迷なまでに認めずに、如何にか先に可能性を求める魔群。

 そんな彼女にもう可能性はないのだと、断じてティアナは此処に放った。

 

 

「散々痛め付けた人の分まで、その罪、此処で贖え! クアットロ!!」

 

 

 間に合わない。膨れ上がる力を前に、魔群が思考したのはその一言。

 事此処に至っても競い合う事を嫌った反天使は、即座に反転して逃れようと足掻く。

 

 だが、もう遅いのだ。背を向け逃げ出すクアットロに、逃げ場なんて何処にもない。

 眼前を炎に焼かれ、吸血の夜の動きを阻まれ、そして背後より迫るは不屈のエースより学んだ一射。其処に混ざるは、この女に穢された兄の力。

 

 

「黒石猟犬っ! スタァァァァライトォォォブレイカァァァァァァァッ!!」

 

「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 師のそれをも一度は超えた、その破壊の光が魔群を包む。

 蟲の群体は黒き星の極光から逃れられずに、此処に敗れ去ったのだった。

 

 

 

 

 




形成分体フルボッコされたクアットロざまぁ。
まあ本体奈落なんで、特攻武器なしだと殺せないんですけどね。コイツ。

イクス体内に居る分が逃げられないので、一応捕らえたままなら封殺は出来ます。

すずかが血液越しに本体を吸い続けても良いし、スカさんが何か作ってもおかしくはない。今回六課の狙いは、クアットロ封殺の為にイクスを捕まえる事でした。





以下、オリ歪み解説。
【名称】射法八節
【使用者】ティアナ・L・ハラオウン
【効果】求めた未来に至る手段が、断片的に分かると言う歪み。願ったのは正しく答えを求め続ける方法。

 視界を媒介にする為、その瞬間の光景が写真か何かの様に切り抜かれた場面だけで映ると言う形になっている。また全てが分かる訳ではなく、視えた内容とて必ず役に立つとは限らない。

 例を上げるとエリオ戦時には、トーマのアンチェインナックルがエリオを撃ち抜く姿が見え、その為に弾丸を放てば隙が生み出せるとだけ分かった。
 或いはなのはとの模擬戦時、ティアナはなのはの胸中を解説していたが、あれの全てが見えていた訳ではない。あくまで“射法八節”が視ていたのはなのはがあの結論に至った時の光景であり、あの時の台詞の九割以上が実はティアナの勝手な想像だったりする。その後のSLBの撃ち合いでは、何処にどう撃てば打ち破れるか見えていた。

 作中でティアナが言った様に、最大効果を発揮している時はバタフライエフェクトを100%起こせると言う非常に役立つ歪み。だが使えない時は、全く役に立たなくなる歪みでもある。

 以前のティアナが感情が高ぶった時に一時的な失明をしていたのは、この歪みが発動していたから。
 絶対に叶えられない答えを望んだ時、この歪みは真っ白な光景しか映さない。それが分かっていなかったティアナは、あの時点で歪みを暴走させていた訳である。

 条件さえ揃えば大天魔にも有効だが、必ず視えるとは限らない。視えたとしても、どうすればそうなるのか、断片的過ぎて殆ど分からない時もある。条件が満たせない可能性だって十分にある。
 その上どんな形で答えを求めるかによって視える光景は変わるし、可能性が複数ある場合でも取捨選択で望んだ未来を選ぶと言う事が出来ない。その為、視る度に結果が変わる事になる。

 本人の性格同様、くっそ面倒臭い異能。
 本作屈指の扱い辛さを誇るであろう歪みであろう。





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