「萩原殿、いよいよ明日は初現場ですね。」
「はい。」
雪歩は微笑んだ。
「誠ちゃん、じゃない菊地さんありがとうございました。」
誠は苦笑しながらほほえんだ。
翌17日、雪歩が765市で手掛けたはじめての現場は70平方メートルほどの個人住宅予定地である。住宅街であり、道が狭く両隣に家があって重機をいれられない。広い発掘現場であれば10mの杭を打つところだが、小さめの現場なので、土地境界杭から土地境界線に沿って2m離した場所を仮のベンチマークとし、2mのグリッド(方眼)を設定する。セオドライト(電子式トランシット。角度を測定する機器。発掘現場ではアナログ式のトランシットと区別せず、「トラ」と呼ばれる。)を
「そこに8mの杭を打ってください。」
「はい。」
試掘調査をはじめ発掘調査にはパートさんを雇っている。正確には非常勤の地方公務員、臨時職員として任用している。
パートさんが木杭を木槌で打つ。
「その上に釘をすえてください。」
「はい。」
セオドライトのレンズを覗きながら雪歩は指示する。
「もうすこし、右、いきすぎですぅ。気持ち左ですぅ。はい、そこですぅ。じゃあ釘を打ってください。」
そのようにして杭が二か所打たれる。ベンチマークから境界線にそって8mの縁石にしるしがつけられる。2mごとにピンポールを打ち、水糸で結ぶ。一区おきにパートさんに割り当てのグリッドを掘ってもらう。さながら巨大なチェッカーフラッグのようである。
雪歩は自分でもグリッドを掘るがほかのパートさんの掘っている様子を時々見に行く。たいてい関東地方では、関東ローム層の直上まで掘り下げる。
発掘調査報告書には、ローム層直上までの黒っぽい土を掘り下げて取り除く行為を「表土を除去する」と表現する。ちなみにこの試掘調査の状況を、発掘調査報告書で記述するなら「土地境界杭から2mの位置をBMとし、2mのグリッドを設定した。人力で一区おきに関東ローム面まで掘り下げ、表土除去を行った。」というような表現になるだろう。
パートさんの一人が雪歩に声をかける。
「先生、なにかでてきました。」
発掘担当者は、その自治体の考古学に関する第一人者として、作業の方法や遺跡の内容、考古学的な意義をパートさんに教えたり、講座の講師をすることがあるため、「先生」と呼ばれる場合が多い。
「いきますぅ。」
みると赤茶けた
(集石ですぅ。平板据えるのはちょっとめんどうですぅ。土の山が邪魔で、正確に測れないし...「とり枠」ないかなあ)
遺跡の中心からはずれている現場であるため、トータルステーションのような測量機材はもってきていない。なんと765市はトータルステーションがひとつしかない。それも5年前に区画整理があったためにようやく購入できたのだ。ということで、雪歩の初現場はセオドライトと旧式のオートレベルのみである。つまり30年前か下手すると40年前の測量機材しかないのだった。たまたま「とり枠」という10cm方眼に水糸がはられた1mの枠を持ってきていた。
「とり枠」を水平にすえて方眼を見ながらさっさとスケッチする。
「エレベーション(高低差)を測りますぅ。」
パートさんも訓練されていて、オートレベルぐらいは扱える。オートレベルの水のあわが中央になるようにあっという間に水平に据えて、マンホールから1mの高さに合わせる。
雪歩が図面をかかえ、スタッフ(箱尺)をもつパートさんが雪歩の指示する場所にスタッフを置き、レベルを読むパートさんがオートレベルを覗いてスタッフの目盛と数字を読むのだ。昔は、暗い現場で目盛だけでレベルを読んだという猛者もいたようだが目盛のわきの数字を読み上げる。
「171,167,165,166,163.5,165,164,169,172...。」
基準の高さからの数字で数字が大きいほど低く、数字が少ないほど高い。
集石遺構の主だった高さを測り、図面に書き込んでゆく。トータルステーションがあれば、プリズム付のたいてい5cmの紅白目盛がついた50~60cmくらいのピンポールで距離と角度がはかれて全部位置が電子記録できるようになっているのだがこの現場は昔ながらのアナログだ。雪歩は楽しかった大学時代の学芸員の調査実習を思い出していた。
「写真を撮るので、刷毛と移植ごてでそうじしてください。」
パートさんが集石遺構を刷毛と移植ごてでそうじをする。テレビに放映されるのはたいていこの場面になるが、ありふれた縄文時代の集石1基では、さすがに取材の依頼はしない。
「写真、とりますぅ。」
雪歩は脚立に昇る。このような小規模な遺構の場合、よく広い発掘現場にみられるようなローリングタワーと呼ばれるやぐらは組まない。とくに狭い現場であればなおさらだ。そしてそういう市街地のなかの狭い発掘現場が多いのが関東近県の特徴なのだ。
写真は以前は、報告書用のモノクロ写真と記録用のためのモノクロフィルムと発表用とカラー印刷用にスライドフィルムで撮影されていたが、最近は性能の良いデジカメがあるため、スライドは使われなくなっている。デジカメの写真をPCに読み込ませパワーポイントで発表に使うのである。
写真を撮り終わると
「集石を
と指示する。半裁とは、遺構を半分に断ち割って掘ることである。住居跡は四分割して、セクションベルトという十字状のあぜを残して、中にたまった土(
焼けた礫の下は、真っ黒になって炭が残っている。比較的大きな粒の木炭もみられるが大きくても2cm程度の塊だ。これではどんな植物が燃料としてこのバーベキューで使われたかわからない。雪歩は心の中でつぶやく。
(放射性炭素年代測定は可能ですぅ。でもこの大きさでは年輪や樹種の測定はむりかもですぅ。)
「炭化物はこの袋に入れてください。」
薄いプラスチック製の荷札に、「たるき二丁目遺跡110地点1号集石炭化物1」と書かれる。遺構の通し番号がわかっていれば、通し番号をつけるが、それがわからない場合は、現場では調査地点ごとに遺構の番号をつける。プラスチック製なのは、紙だと濡れてダメになってしまうからだ。しかし、紙の荷札を使用する自治体もある。発掘調査専門の消耗品は、作っている会社が限られやや値がはるからだ。
また集石に伴って出土した土器片も図面でNo.1,No.2と番号をつけ、その番号の荷札を入れた袋に土器をとりあげて入れる。
「セクション図をとってください。」
セクション図とは、断面図のことだ。半裁した集石の断面の土の性質や色の違いを観察し、一番上に石があってその下にたいてい2層なり、3層が描かれ、層に番号が振られで、図のわきに土層注記と呼ばれる、「1.黒色、焼土粒子、炭化物多量に含む。」などと層に振られた番号に対応して土の性格について記述がなされる。その遺構(この場合は集石)がどのような性質をもつのか知るための貴重な記録だ。
午後の休憩時間が近づく。発掘現場では、だいたい午前10時か10時半ごろ、午後は、2時半とか3時ごろに休憩時間になる。
発掘現場の休憩時間はパートさんたちの楽しみのひとつだ。みな思い思いのお菓子を買ってくる。テントが休憩場所だとどうしても、せんべい、あられ系やクッキーなどの乾き物が主になる。そして夏でなければ飲み物の定番は緑茶かインスタントコーヒーである。すこし気の利いた発掘現場ならゴールドブレンドが常備されている。万一の安全とお茶当番をさせないという考えで水筒を持参させる現場もある。
「わたしがお茶をいれますぅ。」
「先生に入れさせるなんて。」
「皆さんに、召し上がっていただきたいですぅ。」
「...!!」
「おいしい!。」
「え、これがいつものお茶葉なの?」
「先生の淹れたお茶美味しいです。」
みないっせいにほめる。雪歩は微笑みながら、そしてすこしもじもじしながら説明する。
「少しさましたお湯を、急須に入れて蓋をして1分くらいまつんですぅ。さまし方はいろいろで、湯飲みに予め入れたり、経験で自分がおいしいと感じた温度でいれるんですぅ。慣れればだれでもできるようになりますぅ。」
「いえ、先生。それが難しいんですよ。」
「好きじゃないとできないと思います。」
「先生にはときどき午後に淹れていただきますね。一日の疲れがとんで最後のひとふんばりができるように。」
「それがいいですね。午前中に淹れていただくと午後の人が比べられちゃうからそのほうがいいですね。」
みんなは楽しみが増えたので大喜びだ。お茶当番で午後雪歩が担当する日は出席率が高くなるだろう。こうして初めての発掘現場は終わった。集石が出てきて、土器を取り上げたので、土器については埋蔵物発見届を警察署に出さなければならない。
土器など出土品は、埋まっている状態なら民法上の埋蔵物であるが、発掘調査でとりあげた時点で拾得物になるので、遺失物法の規定に従い警察署に7日以内に届け出なけれなならない。その場合土器や石器を直接警察署に持っていくのではなくて、発見届を持っていく。某国で遺物を勝手に持ち出していると言われた日本の大学の調査団が直接膨大な量の遺物をもちこんで某国のその役所が閉口して遺物については書類だけですむようになったなどという逸話があるが、遺物の量が膨大になった場合、例えばコンテナ200箱を警察署に持っていくわけにいかないからだ。
雪歩は事務局にもどると文書作成システムを立ち上げ、発見届と埋蔵文化財保管証の様式データに「縄文時代中期の土器」「ポリ袋一袋」と入力し、起案文書のデータに添付する。それから集石1基とはいえ明らかに古代から中世までに属する状態の良好な遺構を本発掘調査したことは明らかなので、保護法第99条の発掘調査の通知も起案することにした。両方とも明日になれば課長が確認してくれて電子決裁がもらえるはずだ。
発見届と保管証は、法的な位置づけと様式が異なるだけで内容はまったく同じだ。警察署に出された発見届は、落し物の持ち主が現れないことがわかりきっているので、県教育委員会にも写しが送付され、保管証と照合して、県教育委員会が文化財認定通知を遺物の発見者に送付することになっている。
雪歩の二度めの発掘現場は、たるき三丁目遺跡の2500平方メートルの宅地造成区域だった。
あらかじめたるき三丁目遺跡の基準点にセオドライトを水平に据える。発掘予定地は基準点から南東に位置するので、まず角度を真南に合わせる。他人の土地になるべく入らないようにするので、道路を利用して真南に70mの点を設定する。そこへ据えなおして今度は90度振って20m東側に測点をとり、また20m南、さらに30m東にふってようやく現場にベンチマークが設定できる。そこから10mグリッドの杭打ちを行う。長細い現場であるため、幅のせまい部分が30mである。10mグリッドの一辺を2mと3m交互に区切る。幅の長い部分は80mくらいなので、幅2m長さ75mのトレンチが6本設定される。バケット0,45㎥のユンボ(バックホウ、パワーショベル)で幅2mのトレンチを掘っていく。関東ローム層まで90cmにまで達していた。土の山が3mの掘られていない部分に盛大に盛り上げられていく。
1日目は、1本と2本目の半分のトレンチが掘り終わった。縄文土器片や須恵器、土師器の破片などの遺物が少量確認されたが、住居跡や建物跡などの遺構は確認されなかった。
雪歩は、測量野帳に
「4月21日、晴れ、たるき三丁目8-72、第一トレンチ、第二トレンチ、縄文土器片や須恵器、土師器の破片が表土中より確認される。遺構検出されず。」と記入した。帰ってから発掘調査日誌に記入するためのメモである。
午後4時になった。パートさんに呼びかける。
「皆さん、今日の作業はこれで終わりになりますぅ。お疲れ様でした。」
「「「お疲れ様でした。」」」
パートさんが帰って雪歩も機材を車につんで事務局に帰っていった。
しかし、事件は翌日に起こることになる。
試掘調査のはずなのに、いつのまにか集石遺構が検出されて、小規模な本発掘調査をやってしまいましたw
発掘担当者は現場監督であるので、本来は「監督」と呼ぶのがいいのかもしれませんが、考古学の専門家という意味でか「先生」と呼ばれる場合が多いです。苗字や名前で呼んでくれと頼む発掘担当者も少なくないですが、パートさんが違和感を感じるといつのまにかあやふやになり、結局、先生と呼ばれていますw。雪歩の場合、萩原さんと呼ばれなれていないのでそれを頼むのに抵抗を感じるだろうし、またアイドルという前歴もあるので名前で呼んでもらうのもどうも変な感じだし、ゆっきーとかゆきぴょんとかは、絶対にパートさんが雪歩をばかにしているみたいに感じていやがるに決まっています。
だからパートさんは自然と雪歩を「先生」と呼びはじめて、雪歩もそれを受け入れたことにしました。まだお互いに親しくないことと、新人だからとことさらに雪歩をばかにしないようパートさん自身が自分にいいきかせている状態です。ちなみに育夫や美樹は、パートさんたちとある程度親しいという設定なので、「先生」「秋山さん」、美樹も「先生」「星野さん」「美樹さん」という呼び方が混在しているという設定です。
本文修正、後書き加筆(7/25,7:05)後書きの冗長な部分削除編集(7/26,21:16)
さて事件とは?何が起こるのでしょうか?