東方病愛録   作:kokohm

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十六夜咲夜の愛・弐

 ――新人よ、面倒を見てあげなさい。

 

 お嬢様が何処ぞより連れてきた、人間の男。それが彼に対する私の第一印象だった。軽薄ではなく、真摯。醜悪ではなく、秀麗。紅魔館という場を崩しはしまい、というような風体の男だった――いや、これは現在進行形で、優れた面持ちであるのだが。

 

 実際のところ、お嬢様は気まぐれなところもあるが、こういう方面で発揮することは珍しい。その時のお嬢様は少し楽しげな表情だったから、何かの拍子に気に入った相手なのか、と思えた。そのためか、そうと紹介された時、私はあまり良い顔をしていなかっただろう。無論、それを大きく出したわけではない。余人には分からないが、お嬢様には分かる。そういう程度の、互いの関係がなければ見抜けないような、その程度の微かなものだ。

 

 そんな私に対し、お嬢様はその微笑みを絶やさぬまま、彼の教育をすることを命じたのだ。

 

 

 

 

「これでよろしいでしょうか?」

「……ええ」

 

 彼は優秀な人材だった。一つ言えば五、ともすれば十を理解し、実行できる。元からこの手のことをしていたのかと思うほど――実際には、彼も初めての経験だったらしいが――の活躍を見せた。役に立つ者と立たない者。どちらに好印象を持つかと言えば、それは勿論前者だろう。少なくとも私はそうだ。だから、仕事を教えていくうちに、私は彼のことを認め、良い印象を持つようになっていった。

 

 ただ、そうした変化が訪れるに応じて、私の中には妙な疑問も生まれ始めた。何故、お嬢様は彼を連れてきたのだろう。確かに、彼の優秀さは認めるより他にない。だが、ただ優れているというだけで、お嬢様が人間を勧誘するだろうか。妖精メイドにある程度の見切りをつけた、にしても他にも優れた人材はいくらでもいる。あるいは彼が外来人である――これは仕事中、ふとした拍子に彼から聞けたことだった――ことが理由なのだろうか。なるほど、きっかけとしてはそう悪くないだろう。しかし、その割には、初日以降お嬢様が彼と長く話す素振りがない。そうだ、興味があるから引き入れたにしては、お嬢様の行動は淡白に過ぎていた。では、どうして、あるいは誰に対して、お嬢様は彼を雇ったのか。そのことが、私にはどうしても分からなかった。

 

 とはいえ、疑問があるからといって、私は仕事に私情を挟むような真似はしなかった。例えば嫉妬などの感情から仕事を放棄する、などというのは私の信念に反することだからだ。ただ確実に、完璧に、己が職務を全うする。その過程、あるいは結果として、彼のことを教え導く。そんな日々が、しばらくの間続いた。

 

 

 

 

 

 

 ――それが変わったのは、果たして、彼が来てからどれほど経ったころだっただろうか。ある日、彼はとあるミスを犯したのだ。とはいえ、その程度は極めてささやか。影響は小さかったし、そもそものミスの内容も、紅魔館内でのみ行われている、いわゆるローカルルールに引っかかったというものだった。規模は小さく、場合によってはそのことを教えるのを失念していたこちらこそが――と、まあそんな風なものだ。

 

 そんなものだから、たまたま近くにいた私のフォローで始末はついたし。その後にも残るようなものはなかった。そう、ただ一つのことを――

 

「こんな失敗をしてしまうなんて……ありがとうございます。これほど的確に助けて頂けるなんて、咲夜さんは凄い人なんですね」

 

 ――彼からの賞賛の視線が、私を貫いたことを除けば。

 

 

 

 

 

 

 思えば、彼は優秀すぎたのだろう。天才ではないものの、十分に秀才を言えるその際は、うっかりミスのようなものをした経験に乏しかったらしい。ともすれば、彼は誰かのミスを指摘し、それを正すことをしたことはあってもの、その逆――失敗し、それを正される経験はなかったのかもしれない。だから、彼はあの失敗に対して過剰な反応を返した。あの時の彼の言葉と、そして何より、彼の瞳がその証左だった。

 

 

 

 ――ああ、そうだ。あの時、私は見てしまったのだ。彼の瞳のその奥に、自身の犯した失態に対する恐怖と、そして、それをすぐさまに修正した私に対する憧憬。後悔と尊敬が混じり、複雑な色に満ち満ちたその瞳に、私は魅せられた。魅せられてしまったのだ。

 

 見なければ良かったのかもしれない。あるいは、それを知覚した際に私が得たものが、ただの優越感であれば、まだマシだったのだろう。失態を犯した彼に対する、相対的な感情であれば、私は()のままだったはず。だが、そうではなかった。

 

 私が彼に対し感じたのは、それを強いて一つの概念に固めるのならば――それは、管理欲求だった。普段の彼の完璧さと、それとは対照的な僅かな失態。そこから見出される彼の意外な弱さと脆さ。それを、どうしても見たい。そんな思いが生まれ、どうしようもないほど大きくなっていく。ああ……私は、確かにこの時、壊れてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 ――それから、私は変わった。信念を返上こそしていないものの、しかし、ほんのわずか、他の何にも影響が出ない程度に、私は彼の『邪魔』をするようになった。彼の足を軽く引っ掛ける。彼の懐から何かを取る。露見すれば性質の悪いいたずらをなるものを、証拠のかけらも残すことなく実行する。時間を操る程度の能力を駆使すれば、それは本当に容易いことだった。

 

 彼の行動を制御し、誇れるほどの完璧を作り、そして、ほんの僅かな隙間においてのみ、些細な失態を起こさせる。頼れる人と私を見せ、助けてくれる人と私を認識させる。表では何処までも彼を導き、裏では彼を『虐め』る。そんな盛大な自作自演を、私は平然とした顔で行い続けた。

 

 

 

「っと、すみません」

「大丈夫よ」

 

 そんな、

 

 

 

「ありがとうございます」

「気をつけなさいね」

 

 そんな、

 

 

 

「咲夜さんがいて、助かりました」

「――ええ」

 

 そんな、風にして。

 

 

 私は、私はそれを、幾度となく続けた。

 

 

 私情は挟み、それでも、仕事への影響は最小に。ほんの僅か、彼が違和感を覚えぬ程度に、しかして、私が手を出してもおかしくない程度に。そのバランスを見極めながら、私は幾度となく、私の前でだけ、彼の邪魔をし続けた。やらなかったことは、他の誰かがいる場面で、他の誰かに彼の失態が見られる状況で、そういうことをしなかった、ということだけ。彼が叱咤されるのは私の本意ではなかったから、というのはそうなのだが、それも結局は、彼の『特別』は私だけが知っていればいいという、自作自演の末にある身勝手な独占欲によるものだった、というのが救えないか。

 

 存在しなかったはずの弱みを作り出す それを受け入れてしまう彼も案外愚かしいが、それを成している私は、実に卑しい。

 

「あれ? えっと……」

 

 そして、今日もまた、私は繰り返す。

 

「ほら、これでしょう?」

 

 そう言って、困惑している彼に対し、自身の懐から鍵を出し、示す。先ほど時を止め、当然のように抜き取ったそれを見て、彼は何を疑うことなく、安堵の息を吐く。

 

「ああ、ありがとうございます」

「気を付けなさいな」

 

 ひょうひょうと、そんなことを言い放ってから、私は手の中のそれを彼の胸ポケットに入れる。なんとなく『それらしい』笑みを浮かべ、『それらしい』手つきでやってみせたその行為に、彼はほんのわずかに、顔を赤く染め、そして、私にだけ聞こえるようにつぶやく。

 

「まったく……咲夜さんがいないと、ボクは駄目みたいだ」

 

 弱音のようであり、しかし、何とも惚気のようにも聞こえたそれに、ゾクリと、私の背筋を良くないものが走る。いけない、と分かりつつ、しかしどうしようもなく嬉しい、禁忌に触れた快楽。もはや幾度となく得てきた背徳感に、自然と私の笑みが深まる。

 

「大丈夫よ……貴方がどうしようもなくダメな人でも――」

 

 ――私が、愛してあげますから。

 

 

 

そう囁きながら、私は彼を抱きしめる。彼の体温を近くで感じ、私の体温を近くで感じさせる。心臓の音が直接身体を震わせるような抱擁に、彼は少しだけ肩を震わせた後、思いのほか強い力で私の身体を抱きしめ返す。

 

「咲夜さん……」

「ん……」

 

 

 

 ――ああ、なんということだろう。今、部屋の片隅にある鏡には、二人の男女が映っている。執事服を着た彼と、メイド服を着た私。それ以外の何者でもないはずなのに、そこに映っている顔が、私の顔などと信じることができない。あんな蠱惑的で、退廃的な笑みを浮かべているのが、三日月よりもなお鋭く口を歪ませているのが、本当に私なのだろうか。あれではまるで――まるで、悪魔のようではないか。

 

 

 

 ――ああ、そうか。なるほど、だからお嬢様は、彼を連れてきたのだ。私と彼がこうなると、私があんな顔を浮かべると分かって、私に引き合わせるために彼を連れてきたに違いない。

 

 

 

 ああ、ああ、お嬢様。貴女に感謝を。私と彼を出会わせてくれて、本当にありがとうございます。貴女が彼を連れてきてくださったから、私は『愛』を知ることができた。

 

 ありがとうございます、お嬢様。ならば、次にすべきことは、この『愛』を永遠とすること。お嬢様が望まれた通りの幸せをお見せし続け、私が望む通りの幸せを感じ続け、そして、彼が望む通りの幸せを作り続ける。それが、私の新たな信念。そうなのですねよ、お嬢様。

 

 

 

「ずっと、いつまでも一緒にいましょうね…………」

 

 信頼できる主と、愛しい人。その二人を得られた私は……本当に、幸せ者だ。

 

 




 はい、お久しぶりということで、咲夜の二回目を書いてみました。この作品に限らず、本当に間を開けてしまい申し訳ないです。ようやくパソコンやらを買い替えて慣れるのに時間が……というのが普通の言い訳、今さらに某ゲームを始めてみたというのが浅ましい言い訳、そして結局は気力が湧かなかったというのがいつもの言い訳です。今後は投稿済みや新規問わず、書きたくなったものを書くことで気力を稼ぎたいなあ、とか思っていますが、書き捨てることになりますので、どうしたものでしょうかね。少なくとも東方は新しい情報を入力しなくなって久しいので、うーんと言ったところなんですが。実際、今回は諸所で変なこと書いていないかなあとビビっています。勘が鈍ったということですが、まあ結局はすべて私の悪い癖です、はい。

 今回の内容ですが、ハグしている相手が見えないように凄い笑みを浮かべている、というのと、久しぶりだから咲夜を書いてみようかな、というのが混じった結果、何故か自作自演系の話になっていました。悪意はないし、貶める気もないけど、無理やり作った弱みに付け込んで依存はさせる、という感じ。割とパンチが弱めなので、オチも弱くなってしまったのが難点ですが。ただまあ、これでも傍から見るとそつのない執事と完璧なメイドの静かな恋愛だったりするんですよね。悪戯の件も含め、だれにも知られないようにするくらい、咲夜の能力なら簡単に出来ますので。とはいえ、レミリアは知っているかも、という気はしますが。

 さて、次回。毎度のように特別回、現状では短いのをまとめた形式のやつにするつもりです。一応、テーマ自体は前から決めていたものがありますので。ただまあ、そこから誰に当てはめるか、どういう風にするか、というのはまだ未知数なので、申し訳ないですが気が向いたときに、ということでお願いします。そんな感じで、次回も気長にお待ちいただけたら幸いです。ではまた。


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