東方病愛録   作:kokohm

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 タイトル詐欺かも。そしてサッドより。




チルノの愛

 

 ――本物の妖精に会った事がある。

 

 それが、昨日他界した祖父がよく言っていたことだった。呆けていたんだろう、と祖母や母は言っていたけれど、僕はそうは思っていなかった。何故ならば、そう言っていた時の祖父は、明らかに正気の目をしていたからだ。

 

 父も、祖母たちが言うほどに祖父が呆けていたとは思っていないと言っていた。子供の頃、父もまた祖父から同じような事を聞いた覚えがあるからだそうだ。歳をとり、やや呆け始めていたことは事実であるが、しかしこの一件に関しては、昔よりも思い出を語りたいという欲求が増えたからではないか、と僕と父は祖父の行動に対しそのような認識をしていた。

 

 勿論、だからといって僕達が祖父の言うことのすべてを信じていたわけではない。妖精というのもある種の比喩表現で、実際はおそらく、美しい容姿を持った女性の事を指しているのであろうと、僕も、そしておそらくは父も思っていた。

 

 

 それが間違いであったのだと僕が気付いたのは、祖父の葬儀の翌日だった。その日、僕は家の裏にある山を、一人で登っていた。山と言っても、そんなに大きなものではなく、三十分も経たずに頂上に到達するぐらいの規模だ。一応は、僕の家の山であるらしい。

 

 何故この山を登ろうかと思ったのかと言えば、祖父の葬儀の途中で、ふと祖父の言葉を思い出したからだ。それは、祖父が倒れる数日前に、ふと呟いたもので、内容は件の妖精と出会った場所のことであった。そう、その場所こそが、この裏山のことだったのである。

 

 その裏山に登ろうと決心した理由は、まあ何となくと言っていいだろう。ふと思い出し、たいした労力でも無いからと、そんな風に思ったからであった。一度登ってみて、頂上から周囲を見渡したらそのまま帰ろう。そんな軽い気持ちであった。

 

 

 

 

 

 

 

 僕が異変に気づいたのは、木々の間に霧が立ち込み始めた時だった。今までにもこの山を登った経験は何度と無くあったのだが、しかし霧が発生したことなど一度たりとも経験した事がなかった。変だ、と僕は直感し、すぐさまに下山をしようとした。しかし、出来なかった。山をいくら降りていっても、いっこうに麓に辿り着く事が出来なかったのだ。

 

 既にここまでにかかった時間は過ぎていた。いくら足を動かしても霧から出られず、どれ程経とうとも覚えのある場所には辿り着く事が出来ない。それでなお、僕は足を止めなかった。ただただ盲目的に、僕は下山を続けた。立ち止まるのが怖かったのだ。

 

 そんな僕の行動が報われたのは、下山を始めてから一時間は経った頃だった。ずっと斜面続きであった地面が、唐突に水平になった。麓に着いたのかと、僕は安堵しながら辺りを見渡した。

 

 だが、やはりそこは覚えのない場所で、何より霧が濃く立ち込めている。ここは本当に僕の家の近くなのか、僕は当然のように混乱した。せめて発狂はしなかったことが救いと言えるかもしれない。

 

「――ああっ!」

 

 そんな時、僕の耳に子供の声らしきものが聞こえた。体験中の不可思議に途方に暮れている中、突然聞こえた声に僕は勢いよくそちらを振り向いた。

 

「やっぱり! やっと来たのね!」

 

 そこに立っていたのは、一人の少女であった。ただ、普通の少女ではないとすぐさまに分かった。何故ならば、その背に氷らしきもので出来た、羽の様なものが見受けられたからだ。明らかに、人間の少女ではないことは明白であった。

 

「まったく、どれだけあたいを待たせるのよ! 暇で暇で仕方がなかったじゃないの!」

 

 僕の困惑など意にも介していないように、その少女はぷりぷりと怒っているような風でこちらへと歩いてくる。この時点でようやく、僕は霧が既に晴れていることに気がついた。そして、少女の向こうに湖があることにも同じく気がついた。当然、僕の家の周辺に、このような湖など全く存在していない。いよいよ、おかしさが上限突破してきていた。

 

「ん? どうしたのよ? もしかしてあたいのことを忘れちゃったんじゃないでしょうね?」

 

 僕を覗き込むように見上げながら、少女は首を傾げた。そもそも僕は、この少女と面識などない。だから、忘れているもなにも、名前など全く知らない。

 

 だから、僕は当然のように聞いた。

 

 君は誰だ、と。

 

「あたい? あたいはチルノでしょ。まさか本当に忘れちゃったの?」

 

 続けて、僕はもう一つ聞いた。

 

 僕を知っているの、と。

 

 そう僕が問うと、彼女はまたもや不思議そうに首を傾げて、

 

「知っているに決まっているじゃない。アンタは――」

 

 彼女は、僕を指して一つの名前を口に出した。

 

 

 それは、まるで知らない名前だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かがおかしい。僕は当然のようにそう思った。何故彼女は、この少女は、僕を知らない名前で呼ぶのだろう。何故彼女は、僕を知っている風なのだろう。疑問は幾つも湧くというのに、驚きのあまりか、僕の口は意味のある音を発する事が出来なかった。

 

「何でもいいからさ、とりあえず遊ぼうよ!」

 

 絶句する僕の腕を引いて、彼女は走り出した。見た目は華奢な少女であるというのに、その力は思った以上に強く、ショックを受けていた僕はなすがままに引っ張られてしまう。

 

 どうしてこの少女は、ここまで嬉しそうなのだろうか。思考停止ぎみだった僕の頭に、そんな疑問が浮かぶ。これではまるで、本当に、随分と会っていなかった旧友と再会したような、そんな反応ではないだろうか。何もかもがおかしいはずなのに、しかしこの少女はそんな僕の困惑を、木っ端微塵に破壊し、置き去りにしている。正直、訳が分からなかった。

 

「何をして遊ぼっか? まあ何でもいいよね! 時間はたくさんあるんだから!」

 

 走りながら、彼女は振り返り、僕に笑いかける。その笑みは純粋で、眩しくすら思える。純真無垢な子供。まさしく、そう表現するのに相応しい笑みに、ふと僕は、それでもいいんじゃないか、と思ってしまう。このまま、彼女について、一緒に遊んでも全く問題ないのではないかという、そんな考え。常軌を逸しているはずのそんな思考に、何故か僕は流されてしまった。

 

 だから、彼女の笑みに、僕は頷きを返した。

 

 

 

 

 

「……あれ? もうこんな時間?」

 

 いつの間にか、姿を見せていた夕焼けに、彼女は残念そうに肩を落とす。まだまだ未練のありそうな彼女の様子に、随分と元気な子だという感想が浮かぶ。付き合った僕はもうくたくたなのに、彼女はまだまだ、それこそ後丸一日ぐらいは遊びまわれそうな具合だ。

 

 

 

 ……聞いていいかい?

 

 この段階になってようやく、僕はその言葉を口に出した。今の今まで言わなかったのは、彼女にペースを飲まれてしまっていたからだが、それ以上に、遊んでいる時の彼女が、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていたからだと思う。だからといって、こんな時間まで、こんな簡単な言葉すら言えなかった僕が正当化されはしないのだろうけど。

 

「聞きたいこと?」

 

 なになに、と彼女は首を傾げる。まるで、僕の疑問など全く気付いていないかのような、まさしく無邪気な笑みだった。

 

 

 

 君は、僕を知っているのか?

 

 

 やっと、僕はその問いを彼女に投げた。すると、彼女は事も無げに言う。

 

「だって、あの霧から出てきたって事は、アンタはアンタなんでしょう? そうやってずっと、一緒に遊んできたじゃない」

 

 は? という単音が僕の口から漏れた。何かがおかしい、とは思うものの、しかしあまりにもそれが大きすぎて、逆に何かがおかしいのかということを指摘出来ない。

 

 それはどういう意味なんだ? そんな言葉を、何とかひりだそうとしたその時、ふと、目の端に白いもやが見えた。もしや、と思う間もなく、あっという間に僕は、またもや深い霧に包まれていた。

 

 

 これは、と僕が霧の中を見渡すと、先ほどまでいたはずの彼女の姿がない。何処だ、と反射的に一歩を踏み出すと、急に、僕を包んでいた深い霧が、一瞬のうちに霧散した。しかも、どういうわけか、霧の晴れた先にあったのは、幾度となく見てきた僕の住む町の姿。

 

 

 

 僕はいつの間にか、目的としていた裏山の頂上に、呆けたように立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 あれは夢だったのか。夕日に照らされる町並みを見ながら、僕はぼうっと考える。しかし、こんなに長い時間、しかもおそらくは立ったままの状態で夢などを見るものだろうか。彼女に会っていた、と思うのもおかしいが、会っていない、というのもそれはそれでおかしい。まさしく、狐に騙された、という感じだ。

 

 何がなんだか。

 

 思わず、僕はそう呟いた。これで、僕が何か、向こうに咲いていた花の一本でも握っていれば、また推測も出来るというのに、僕にあるのは、ただ、無邪気に笑う彼女の記憶だけであった。

 

 

 

 

 

 

 ……彼女は、待ちすぎてしまったのだろうか。

 

 

 

 下山する中、ふと、僕はそんな言葉を口に出した。口に出して、ああ、と僕は、何となく納得してしまった。

 

 彼女を、本当に妖精であると仮定した場合、もしかしたら彼女は、僕が生まれるずっと前から、あの場所で生きていたのではないだろうか。そして、今からずっと前に、僕と同じように、あの霧で迷い込んだ誰かと友人になったのかもしれない。

 

 だけど、たぶん、その友人は、途中から来る事が出来なくなった。霧がなくなったのか、寿命か、それとも別の何かか。何にせよ、何かしらの理由で、彼女は、彼女の友人に会えなくなったのだろう。

 

 それから、ずっと彼女は待っていたのかもしれない。ただずっと、その友達という人を、ずっと、ずっと。何かの歯車が狂ってしまうくらい、ずっと。

 

 そして、誰かが霧の中からやってきた。それは僕の知らない人で、ひょっとしたら僕の祖父だったのかもしれないが、とにかく誰かが霧からやってきた。

 

 その人を、彼女は友人であると思ってしまったのではないだろうか。理由は分からないけれど、でも彼女は、霧から出てきたその人と、かつての友人を重ねてしまった。

 

 そしてそれからずっと、僕がそうであったように、霧から出てきた人を友人と呼んで、遊んで、その人が帰って、また誰かが来るのを待つ。狂気か、悲劇か、はたまたそれ以外か。ただじっと待ち、そして喜び、また待つ。そんな彼女の姿が、僕の中にはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 勿論、全ては僕の推測だ。本当はもっとシンプルな理由で、案外単に、僕とその人がそっくりだというだけなのかもしれない。あるいは他の、もっと喜劇的な答えがあるのかもしれない。

 

 

 もう一度会ってみたい。何となく、僕はそう思った。彼女――チルノと、もう一度だけ会ってみたい。真実が知りたいのかといえば、それもあるのだけれど。それ以上に何故か、ちゃんと、僕の名前を伝えたい。そんな気持ちが、僕の中にあった。

 

 また明日、山を登ってみよう。下山をして早々、僕はそんな決意を固めた。たとえ会えなくても、何度となく登ってみよう。どんな形であれ、彼女の笑顔に報いてあげたい。そう思うこの感情は、はたして何なのだろうか。僕には、何故か分からなかった。

 




 はい、チルノ回ですが、まあごめんなさいと第一声で言いたくなる出来になりました。本当はもう少し長くなる予定だったのですが、勝手ながら気力等の問題で、ごちゃっとした設定を切り捨て、だいぶ短く纏めてしまいました。結果としてチルノがろくに出ないという。流石にあれなので、いずれ機会があれば続きを書こうかなとは思っています。

 チルノの話を考えている、という話を以前にしたかどうかは覚えていませんが、まあやっていたということで書きますと、これはその想定していた話とは別ものになります。元々は、ううん、本文で出てきたチルノの友人の話、が近いでしょうか。そっちは霧云々ではなく、人里に住む元外来人で、諸事情で会えなくなってしまい、今際の際にようやく会う、というような感じでした。一応、サッドよりで、マッド要素はそこまで? というのが共通点になるかもしれません。そっちを書かなかったのは、まあ上手く言語化できなかったからです。マッドもマッドであれですが、サッド系も案外書けないという。というかそもそも、今話は愛が入ってたかすらも怪しいといえば怪しい、か。あと、『彼』個人を愛しているわけではない、という意味では、これまでとは毛色が違うかもしれません。

 あと、本文の補足をしますと、あの出てきた霧は幻想入りをさせる何か、くらいの設定です。紫は多分関係なくて、自然発生的なものになります。チルノとバッティングしたのは単なる偶然。

 さて、次回。現状で考えているのが二つあるのですが、そのどちらもが二週目のキャラで、しかも展開の軸が同じという状況です。ですので、そのうちのどちらかを書き、間を開けても一人。もしくはリクエストの中から形になったものを書く、という風に考えています。この話が纏らなかった分、次はもう少し良くしたい所ですが、はてさてといったところ。ではまた。

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