とある一軒家、その玄関の前。そこに少女が一人立っていた。中々に整った容姿をしており、特にその真っ赤な長い髪と纏っている黒を基調とした服の対比がよく映えている。
「……よし」
身だしなみを整え、少女は気合を入れるようにぎゅっと両の拳を握る。そして、緊張を解きほぐすかのように数度深呼吸をしたあと、意を決したように真剣な面持ちを浮かべ、目の前の戸を叩く。
「ご、ごめんください!」
若干ひっくり返った声で、少女は家の中へと呼びかける。すぐさま、自分の声がおかしかったことに恥ずかしさから顔を赤らめるが、続いて聞こえてきた中からの足音にハッとして、必死で顔の赤みを消そうとする。
「――はいはい、どちら様ですか?」
何とか、少女の頬にある赤が消えたのと同時、玄関の戸が開き、家の中から一人の男が現れた。やや線のが細く、どちらかと言えば頼りない印象を与えるように見えるが、代わりにその顔には柔和な、人を安心させるような笑みを浮かべている。
「……あ、君か! わざわざありがとうね、来てくれて」
戸を叩いたのが少女であることに気付き、男は嬉しそうな声をあげる。その反応に頬が緩みそうになるのを押さえつつ、少女は頭を下げる。
「御呼ばれしたので足を運んでみたのですが、大丈夫ですか?」
「大丈夫、今日は暇だし、こんな所には中々人も来ないからね。遠慮なく入ってくれていいよ。ささ、どうぞ」
「じゃあ、失礼します」
男に促され、少女は恐縮しつつ男の家へと入る。初めて入った男の家に、少女は緊張と期待から、ドキドキと胸が高鳴っている。
「僕はお茶の準備をしてから行くから、先に居間で待っていてくれないかな」
「はい、分かりました」
「あ、居間はそっちね」
男の言葉に素直に従い、少女は居間へとつながる障子を開き、中に入る。小奇麗で清潔感のある居間を無作法と思いつつも見渡す少女であったが、ふとその視線がとある一箇所に固定される。
「…………」
そこにいたのは、一匹の黒猫であった。少女が今来ている服と同じか、それ以上に艶のある黒を纏ったその猫は、まるで睨みつけるように少女を見上げている。その視線を、どうしてか少女は躱す事が出来ず、彼女もまた睨みつけるように猫を見下ろす。
その状態が、一体どれ程の間続いたのであろうか。一分か、あるいは十分か。時間感覚すら狂わせるほどの緊張を破ったのは、障子を開ける音と、気の抜けた男の声であった。
「お待たせ――って、どうしたの?」
「……え?」
男の呼びかけに、少女はハッと意識を現実へと引き戻される。あれ? と思いながら再び猫へと意識を向けると、猫はもう少女に関心などないとでも言うかのように、向こうを見ながら丸くなっている。
「あ、えっと、何でもないです」
「そう? まあ、それならいいんだけど。さ、いつまでも立っていないで遠慮なく座っていいよ」
「はい、ありがとうございます」
男に促され、少女は言われたとおりに畳に腰を下ろす。男もまた、少女の前にお茶を出した後に、その対面に腰を下ろした。すると、男が座り込んだのと同時に、丸くなっていた猫が鳴き声を上げ、男の足の上へとぴょんと飛び込む。
「おっと。相変わらずくっつきたがるな、お前は」
「……その猫、お兄さんが飼っているんですか?」
「いや、野良。だけどしょっちゅう来るからさ、何か愛着が湧いちゃって。でも本格的に飼おうとしても、すぐに居なくなっちゃうんだよね」
気ままだねえ、と男は猫を撫でながら言う。
「まあ、この子の話は置いておいて、だ。今日はわざわざ来てくれてありがとう。えーっと……」
「あ、おりん、って呼んでください。基本的に、皆にはそう呼ばれているので」
「ああ、ごめんごめん。前に会った時は結局名前を聞いていなかったからね。僕が一方的に名乗っただけで」
「私が名乗るのを忘れていただけなので、気にしないでください」
大丈夫です、と少女が手を振ると、男は照れたように頭をかく。
「そう言ってもらえると、ありがたい。何というか、こういうところが抜けているんだよね、僕は。その所為か対人関係がいまいち上手く行ってなくてね、こうして家まで来てくれる人は多くないんだ。だから、今日は来てくれて本当にありがとう」
「そう、なのですか?」
意外だ、と少女は男の発言にそのような感想を抱く。まだ少ししか会話を交わしていないが、目の前にいる男性は非常に心優しい人であるということは少女にもよく分かる。突発的に怪我をして上手く歩けなかった少女を、通りかかったというだけで家まで紳士的に送り届けてくれ、さらにはこうして突然家を訪れた少女に丁寧な対応をしてくれている。見た目なども悪くなく、人当たりのよい印象しか感じられない。そんな男が人間関係において難を抱えているとは、どうにも想像が出来ぬことであった。
「それがそうなんだよね。なーんか、昔から他人と関係が長続きしないんだよ。家に呼んだ次の日にはもう来なくなったりするんだよ。何か、知らないうちに気を悪くさせているのかなあ」
「私は、そうは思いませんけど」
「何なんだろうね。外にいたときもそうだったけれど、こっちに来てから加速している気がするんだよな」
「外?」
「ああ、ごめん、こっちの話。……まあ、だから君がこうして家に来てくれたことは、結構嬉しいことなんだ」
ありがとう、と男がにこっと笑い、礼を言うと、少女は思わず顔を真っ赤にする。これまでに何度か、男の笑みに頬を染めていた彼女に、この不意打ちは強烈であった。
そんな中、
「……?」
ふと、少女は足に何かが触れた感覚を覚えた。ついで、そちらから聞こえてきたのは、小さな鈴の音。突然火照っていた頬は急速に冷め、少女はバッと視線を向ける。
すると、
「――っ!」
視線を動かした少女は、思わずぎょっとしてしまう。何故なら、そこには先ほどまで男の元にいたあの猫が、じっと少女の事を見つめていたからであった。それだけならば何ということのないことなのだろうが、タイミングがタイミングであったのと、何よりも先のにらみ合いのことがあり、少女は怯えるように身体を引く。
「ん? どうしたんだい?」
暢気な、男の声が少女へと発せられた。猫が少女の傍に来ていることは分かっているようだが、かといって何故少女があのような反応を見せたかについては察していないように見えた。
「……いえ、何でもありません」
「そうかい?」
だから、何でもないと少女は首を振る。猫に怯えたなどと言うのは恥ずかしかったし、それで男が気を悪くするかもしれないと思ったというのもあった。
「僕は気にしないから、もし調子が悪いのであれば帰ったほうが良いよ。次からは何時でも来て良いから」
「え? でも、良いんですか?」
「良いよ。さっきも言ったけど、僕のところに遊びに来てくれる人はあまりいないから、君さえよければ何時でも来てくれて構わないよ」
「私が言うのもなんですけど、会ったばかりの相手を信用しすぎじゃないですか?」
何故そこまで? そう疑問を投げかける少女に、男は軽く頭をかいて、
「いやまあ、そうなんだけどね。実を言うと、昔君に似た子を助けたことがあるんだ」
「私に似た子、ですか?」
「うん。君と同じ赤い髪の女の子で、その子も『おりん』って名乗っていた気がする。道端で怪我をしていたから包帯を巻いてあげた程度なんだけどね、何か記憶に残っていてさ。だから、似ている君と会った事も、偶然じゃないのかって思うんだ」
だから、と男は言う。
「君さえよければ、何時でもここに来てもらって構わないよ。そのほうが、僕も楽しいからね」
「……はい。そうさせてもらいます」
「それは良かった!」
少女の返答に、男は嬉しそうに笑う。その年齢に不相応な、とても幼く朗らかな笑みに、少女もまた嬉しそうに頬を緩めた。
――そんな二人を、黒い猫はじっと見つめていた。
「……ふふーん、ふっふふーん」
帰り道、少女はスキップでもしそうなほどに上機嫌であった。理由は言うまでもなく、男と再会の約束を無事に取り付けたことにある。これでまた、合法的に男の家を訪れる事が出来るのだ。打算的な、とまでは言わずとも、男に対し恋愛感情を抱いている少女としては、彼に会えるということ自体が嬉しいことであり、ひいてはアピールや情報収集の機会なのである。時折、その顔が緩むのも仕方のないことであろう。
そんな折のことであった。チリン、という鈴の音が聞こえたのは。
「……えっ?」
その鈴の音は、少女にとって聞き覚えのあるものだった。忘れがたい、例の猫が首につけていた鈴の音だったのだ。まさか、と思い周囲を見渡してみるが、そこに猫の影はない。気の所為か、と思って安堵の息を吐き、正面を向いた。
すると、
「――っ!?」
そこには、猫がいた。男の家で見たのと同じ、真っ黒な猫。
だが、違和感があった。何かが変だ、と近寄ってくる猫を見て、少女は妙を覚える。
「……あっ」
そして、気がついた。尾だ。尻尾が、二本あったのだ。
それに気付いた瞬間、少女の背に冷たいものが走った。何故ならば、尾が二本ある猫といえば、それはれっきとした妖怪の特徴であったからだ。
思わず、足が一歩下がる。恐怖から、カチカチと歯が鳴る音がする。そんな中、ふと猫の姿が消えて、
「……残念だけど、アンタはここで終わりだよ」
代わりに、独りの少女が現れた。赤い髪に、黒を基調とした服。何となく、元からいた少女に似ているようにも見えるその少女は、一歩一歩、近づきながら口を開く。
「お兄さんが寂しがるし、最初は見逃そうとも思ったんだけどね。残念ながら名前がいけない。見た目が似ているのもあるけれど、『おりん』は駄目だ。お兄さんにその名前で呼ばれるのは、あたいだけでいいんだから」
「……も、もしかして」
もしかしたら目の前の少女は、男が言っていた相手のことではないか。そんな考えが脳裏に浮かぶ。そのことを、ふと口に出そうとした瞬間に、
「――まあ、とりあえず死んでくれ」
目の前に顔が現れ、同時に胸に痛みが走る。それが何を意味するのかを直感的に理解して、少女は、
「……な、何で…………」
とだけ呟いた。呟く以上の事が出来なかったとも言える。
「何でって、そりゃあ――」
少女の呟きに、冷たく歪に頬を歪めて、
「――理不尽なのが、妖怪だからさ」
そう、『お燐』は答えたのであった。
「……来ないなあ」
縁側で、男が残念そうに呟く。あれから一週間、また来ると言っていたはずなのに、あの少女はまだ顔を見せに来ない。
「僕の事が嫌いになったのかなあ、あの娘も」
何でかなあ、と男は呟く。
「……ん?」
ふと見ると、男の傍らに猫がいた。よく見慣れた、あの黒猫であった。
「おお、お前か。お前だけは来てくれるのになあ」
よしよしと、傍らに座る猫の頭を男は撫でる。なすがままにされている猫を見つめながら、男は残念そうに言う。
「昔は彼女、今はお前。それ以外は誰も、僕と遊んでくれなかった。一度は来ても、すぐに来なくなってしまう。何が悪かったのかなあ。それが分からないから、駄目なのかなあ」
何でだろうなあ、と男は何度となく口に出す。猫を撫でながら、何が悪かったのかと空を眺めながら考える。どうして、こうも孤独なのか。どうして、自分の周りにはいつもたった一人、たった一匹しかいないのか。その理由を、ぼうっと天を見ながら考え込む。
そんな男の傍らで、
「――にゃあ」
と、黒猫は満足そうに鳴くのであった。
はい、お燐回です。ぱっと思いついたのを書いてさして見直しもしていないので文があれかもしれませんが、ご了承ください。思いついておいてなんですが、やっぱり面倒くさいお題でしたとさ。とりあえず補足として、今回出てきた少女は『おりん』と呼ばれる少女で、妖怪のほうのお燐とは見た目は似ているけど別人の人間です。読んでいてあれと首を傾げてくれるかなあと思って、そういう風にしてみました。
今回のお燐ですが、まあ排除型ですね。死体に絡めてどうこう、というのも考えていたのですが、何となくこんな感じで書くことにしました。彼に思わず惚れてしまって、猫の姿のまま彼の元に来て、寄る者を適当に排除したりしなかったりしています。少女の姿で現れないのは、何か思うところがあるんでしょう。正直、今の状態で会いに行けば、結構ころりといく気もしますが。多分、後々それを実行するんでしょう、たぶん。
あと、彼が言っていた外にいたときも、というのは、外にいた時もこっちで言うお燐と同じ立場の人間がおり、似たような事をしていたということになります。もしかしたら、東風谷とか、宇佐見とか、ハーンとか、そんな苗字の少女だったのかもしれませんね。とりあえず言えることは、人間運がちょっと悪すぎたということです。
で、次回。まあ何も考えていません。適当に何か降りてくればまた書きます。そう言えば、東方の新作が出るそうですね。どんなキャラが出るんでしょうかね。気になるところではありますが、把握が大変そうだ。
……と、締めるつもりでしたが一点。現在私は活動報告のほうでリクエストの受け付けていますが、すみませんがそこで他の作品、特に他の当方に次創作のオリジナルキャラの名前を出すのはご遠慮ください。理由は言わずとも大体分かると思いますが、とりあえず私は知らないキャラの名前を出されてもどうともしがたいので。感想なのでも、少しぐらいならともかく、がっつりと他作品のキャラの名前を出すのは止めてくださいね。そういうリクエスト、感想に関しては基本的に反応しませんし、その人の他の意見などにも反応しなくなる可能性もありますので。ご了承いただければと思います。
作品の内容そのものとは関係のない事を長々と書いて申し訳ありません。次回も気長にお待ちいただければと思います。ではまた。