東方病愛録   作:kokohm

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雲居一輪の愛

 ふう、と酒を飲み干して、雲居一輪はぼうっと夜空を見上げる。そこには星々の光を遮る雲はなく、しかし平常は鎮座している月は存在していない。新月、であった。

 

 

 

 そんな夜空を見上げた後、彼女は空になった杯に、傍らに置いていた徳利を傾ける。酒が程よく溜まったところで手を止め、徳利を再び横に置く。この様を聖が見れば説教の一つでもしたのかもしれないが、現状彼女の傍には誰も居ない。普段、彼女が隠れて酒を飲むときは仲間である村紗を誘うのだが、今回は誰も誘わず一人で飲んでいる。よく屋根の上にいることの多いぬえも、流石に夜は居ないようで、本当に今日は一輪一人きりだ。一人で飲む酒に寂しさとつまらなさを覚えずにはいられなかったが、かといって人と飲む気分でもないという、複雑な気分であった。

 

 

 ――彼がいてくれたら。

 

 

 そんな風に思うものの、そもそもとしてこうして彼女が一人で酒を飲んでいるのは、彼が原因と言えなくもないのだから、まったくもって複雑な話であった。

 

 

 

 

 

 彼がこの命蓮寺、正確には幻想郷に来たのは今から二年ほど前のことだ。この世界に迷い込み、途方にくれていた彼を保護したのが他ならぬ一輪であり、それを縁として彼は命蓮寺で生活をするようになった。

 

 どうして、そんな彼と一輪が恋人同士になったのか。当事者である彼女自身にすらも、どこかはっきりとは説明のできない事であった。ただ、何となく彼の優しさに惹かれて、彼もまた彼女の何処かに惹かれて、少しばかり前に晴れて恋人と相成ったわけだ。

 

 とはいえ、恋人になったはいいものの、二人の関係はそれほど進展したとも言いがたい。何せ今も、気恥ずかしいという理由で、一輪はいまだに彼を名前で呼んでいないのだから。それも、彼が居ないところですら呼ばないという徹底振りである。そんな彼女に対し、困ったようにしつつも、笑って彼女の名を呼ぶ彼だからこそ、自分は惹かれたのかも知れないと彼女は思っている。

 

 

 

 ……だけれども、そんな彼だからこそ、今一輪は悩んでいるのである。

 

 

 彼が、命蓮寺の面々から好かれているというのは、当事者たちからすればはっきりと断言できることであった。それが単なる親愛の情か、はたまたそれ以上のものかは別にして、だが。

 

 ……そうだ、彼女は確かに疑っている。自分の仲間たちが、彼を好いているのではないかと。それだけなら、まあいいと言えるかもしれない。だけれども、その程度(・・・・)ですまないかもしれないと思っているからこそ、彼女は悩んでいるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日月の夜に、一輪は今までのことを振り返る。

 

 

 

 ふと歩いていれば、村紗が彼に抱きついているのを見た。寺内の掃除をしていれば、星が彼の手を取っているのを見た。人里近くに遊びに来てみれば、ナズーリンが彼と楽しげに話しているのを見た。用事があり訪ねたら、聖が彼を抱きしめていたのを見た。彼を探していたら、ぬえが彼の頬を撫でていた。

 

 

 誰もが、それを否定した。曰く、躓いてしまったので受け止めてもらった。曰く、うっかり怪我をさせたのでそれを見ていた。曰く、偶々会ったので世間話をしていた。曰く、少しばかり説教をし過ぎてしまったのでついそうしてしまった。曰く、何となく手触りが気になった。などと、そんな風に彼女達は一輪に言った。

 

 確かに、あるいはそうだったのかもしれない。村紗は遠慮なく遊びに連れ出せる彼を気に入っていたし、星はうっかりの多い自分のことを棚に上げて彼の面倒を見ることを楽しんでいた。ナズーリンは自分達とは違った話の出来る彼の存在を肯定的に見ていたし、聖は彼に弟の姿を重ねている節があり、ぬえはそもそも面白いと思えばどうとでも場を引っ掻き回す性質だ。だから、もしかしたら彼女らは、彼のことを想っているわけではないのかもしれない。

 

 

 

 だけれども、一輪にはそうとしか見えなかった。誰もが彼を好いていて、ともすれば自分から彼を奪おうとしているようにしか。

 

 

 ざわりと胸の奥に蠢くものを、一輪は感じとる。それが何と名づけられているのかを、そしてその理由を実感しつつ、彼女はじっとお猪口の中にある上弦の月を見つめ、ぐいと飲み干す。だが、そんなことをしても胸の中のそれはどこにも流れていかない。吐き出したいと思いつつ、しかし吐き出す先が居ないことに彼女は力なく笑う。本来であれば相棒である雲山を頼るべきなのかもしれないが、仮にも男である彼にこういったことを言うのは気が引ける。

 

 それに、何よりも。彼女が一番にこのことを言いたいのは、彼をおいて他にないはずなのだ。

 

 今ほど、彼が酒を飲まないことを苛立ったことはない。流石に、飲みたくない相手を酒の相手に誘うほど彼女は横暴ではない。まったくと、そんな風に自嘲する。この程度のことすら、素面ではまったくに口に出させないであろう自分に、情けないものを感じずにはいられない。まったくもって、ままならぬ話であった。

 

 

 

 

 ――そんなだから。

 

 そこでハッと我に返り、一輪はその先の言葉を飲み込む。そんなだから。その先に何を言おうとしていたのか、それは彼女自身にすら分からなかったことだが、どういう意味を持った言葉なのかは分かる。だから、絶対に口に出すわけにはいかなかった。

 

 だが、そうしたところで彼女は俯いて、空っぽの杯を見つめる。どんどんと、嫌な想像ばかりが頭に浮かんできて、消しても消しても、また違うものが止め処なく浮かんでくる。

 

 

 

 

 ――彼女らが彼に迫ったら?

 

 

 ――彼がそれを断りきれなかったら?

 

 

 ――彼女らが本気になったら?

 

 

 ――彼が本気で受け入れたら?

 

 

 ――彼女らがそれを誇ったら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――彼が、自分を捨てたなら?

 

 

 音を立て、手の中の杯が砕け散る。妖怪ゆえにこの程度で傷つくことなどないが、心の奥がずきりと痛む。どうしようもなく、痛かった。

 

 どうするべきなのか。どうすれば、彼と共に居続けられるのか。そんな想いを胸に、彼女は天を仰ぐ。降り注ぐ月光に、ふと彼女はその衝動を感じた。

 

 

 それは、根源的な衝動だ。独占したいものがあり、それを奪おうとするものもいる。そんな時どうするのがもっとも単純なのか。その答えは、既に彼女の胸の中にあった。

 

 

 古来より、夜というものは妖怪の時間だ。特に、月光の光は妖怪を高ぶらせるという。それは、元は人間であったとはいえ今は立派な妖怪である彼女自身が実感することだ。聖と会ってからは久しく感じていなかったはずのそれを、今彼女は十分に感じ取っている。

 

 

 それが自分の中の想いの所為なのか、あるいは逆に、月光に酔っているからこそのこの想いなのか。それは分からなかったが、一つだけ、分かっている事がある。

 

 

 

 ――この十三夜月が満ちた時、自分は狂うかもしれない。

 

 

 雲井一輪は、一人虚ろに、まだ見ぬ満月を、見上げていた。

 




 はい、一輪回です。予定になく、ふっと思い浮かんだものを突発的に書いたものなのでまあ、どんなもんでしょうかね。何となく、会話文のない、完全に地の文のみの話となりました。あんまり一輪要素はないかもしれませんが、そもそもあんまり一輪のこれという特徴って思い浮かばないんですよね……。

 元々今回は、第一話の霊夢のような、分かりやすいヤンデレを書くつもりでした。ですが、書く前に頭の中で考えていると、今回のような『堕ちる』前の段階のみでもいいんじゃないかと思い、こうして今回のような内容となったわけです。この後、彼女が狂ったか否か、彼女らがどんな思いであったのか、彼が最終的に何を選ぶのか。それらは全て、皆様の想像にお任せするということで。ではまた。

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