「美鈴、いるわね?」
その声に、門に寄りかけていた身体を起こし、そちらへと視線を向ける。
「どうかしましたか? 咲夜さん」
「朝、言い忘れた事があったのを思い出したのよ」
「言い忘れたこと、ですか?」
私の問いかけに、咲夜さんは、ええ、と頷いた後に言う。
「今日はこの後、彼が来る予定だから、来たらすぐに中に通して頂戴」
「彼? ああ、彼ですか」
誰のことかなど、わざわざ聞かなくても分かる。この男っ気の少ない紅魔館において、彼とだけ言えばそれは決まっているのだから。
「……あれ? でも彼が来るんだったら、わざわざ言及されなくても中に通しますよ? いつもそうしているじゃないですか」
「無駄口を叩かずに、という意味よ。ここで話し込んでお嬢様達の機嫌を損ねるような真似をしないように」
「あ、そういう意味ですか。了解しました」
やれやれ、少しばかりの会話も許してくれないとは。お嬢様方も、何だかんだと言って心が狭いと、そんなことを思う。無論、口に出すことなどはしないが。
「……ねえ」
「はい?」
深刻そうな表情を浮かべる咲夜さんに、私は不思議そうな表情を浮かべて問い返す。そんな私の反応に、咲夜さんは一瞬迷う素振りを見せた後、口を開く。
「……男性との距離を詰めるにはどうすればいいのかしら?」
「え? ああ、そういうことですか」
「言っておくけれど、一般的な質問だから。変な勘ぐりはやめて頂戴」
「はいはい。……そうですねえ……」
露骨な彼女の返答には触れず、私は顎に手を当てて遠くを見る。
「お世話とかをすればいいんじゃないですかね」
「お世話?」
「ええ。男性というのは女性に甲斐甲斐しくされるのを喜ぶと聞いた事がありますし、咲夜さんのような方が四六時中お世話をすれば、喜ぶんじゃないですかねえ。それこそ着替えから入浴まで、全てに」
「そう……」
私の返答に、咲夜さんはしばし考え込む。そして、ふっと顔を上げて、
「……じゃあそういうことだから」
「ええ、分かっていますよ」
私の返答には触れずに去っていく咲夜さんの気配を感じつつ、再度身体を壁に任せる。別段一日中直立不動が出来ないわけじゃないが、楽な方がいいのは確かだ。
「しかし……」
咲夜さんの気配が屋敷の入り口近くで止まったことに、私は小さく呟く。私には早く通せと言っておきながら、自分は案内をしつつ話そうというつもりなのだろう。
「ま、それもいいですけどね」
そう呟いて、私は目を閉じる。別に寝ようというわけじゃない、ただこのほうが周囲の気配を探りやすいというだけだ。……ついでに言えば、こちらの方が考え事もしやすい。
「どうしますかね、咲夜さんは」
言ってはみるものの、おそらくは実行に移すだろうと私は確信していた。それなりに長い付き合いだ、彼女の思考を何となく読むぐらいはできるし、殊これに関しては特に読みやすい。それぐらい、彼女は彼にぞっこんなのだから。
「……とはいえ、それが正しい選択かと言えば、そうでもないんでしょうが」
彼は、自立しているタイプの人だ。少なくとも、自分の身の回りの全てを人任せにするのは好まないだろう。それに、男性からすれば、美人な咲夜さんに自分の全てをさらけ出すというのは、気恥ずかしいものがあると思われる。総合して考えれば、何処かで拒否されるというのは想像に難くない。
「そうなれば、どうしますかね」
その時、十六夜咲夜という少女がどういう行動をとるか。それを考えながら私はじっと彼を待っていた。
「……はあ」
「おや、どうしたんですか? パチュリー様」
休憩中、食堂で食事を取っていると、ため息をつきながらパチュリー様が現れた。
「ああ、美鈴。……ちょっとね」
私の問いかけに対し、パチュリー様は顔を伏せながら答える。それだけで、パチュリー様が何について思っているのかがすぐに分かった。
「彼のことに関して、何か悩み事ですか?」
「……ええ、そうよ」
私の言葉に、最初は否定の返事を返そうとしたようであったけれど、気が変わったのか肯定して、パチュリー様は私の近くに座る。そうして、ふと口を開く。
「何も知らないと、そう思ったのよ」
「何も……?」
「彼のことを、よ。私は彼のことを何も知らないと、そう思ってしまったのよ。だからと言って、彼に直接色々尋ねる勇気も持てなくてね」
もう一度、ため息をつくパチュリー様に、私は紅茶を一口味わった後に口を開く。
「……じゃあ、知ってみればいいんじゃないですか?」
「え?」
「彼が普段何をしているのか、それを調べてみるっていうのはどうです? 彼、確か人里から少し離れたところに住んでいたって言っていましたから、人里で調べるよりは楽だと思いますよ」
「……調べる……」
「ああ、でもパチュリー様一人だと大変でしょうから、小悪魔さんにも手伝ってもらうべきかもしれませんね。たぶん、彼女も断らないでしょうし。……どうします?」
にこやかに言ってみた私の言葉に、パチュリー様は真剣な面持ちで考え込んだ後、
「……そうね。ありがとう、参考になったわ」
「いえ、お気になさらず」
そう言って、私は席を立った。食事も済んだことだし、食後の散歩でもしようと思ったからだ。
「……本当にするんでしょうねえ」
自分がパチュリー様に言ったことについて、私は少しだけ笑みを浮かべながら呟く。小悪魔さんも、彼への思いは強いから、おそらくはパチュリー様に協力することになるだろう。だけれども、
「そんなことをすれば、どうなるか、考えれば分かりそうなものですけどね。……ああ、いや、発覚すれば、か」
普通に考えて、自分のことを裏で調べているような相手に対しどんな感情を持つかなど、分かりきっているようなものだろう。だというのにそれを実行しそうなのだから、愛というものは本当に度し難い。
「ま、吹き込んだのは私ですけどね」
だけれども、決めたのは彼女だ。そう思いつつ、私は紅魔館の廊下を歩くのだった。
「ああ、美鈴。ちょっといいかしら?」
「お嬢様? どうかしました?」
休憩も終わり、門番の職務に戻ろうとしていたところで、お嬢様から声をかけられた。何だろうかと思っていると、お嬢様は何処か苛立ったように口を開く。
「彼、見なかった? 今探しているのだけれど」
「いえ、見ていませんが……。ご一緒していたのではなかったのですか?」
「フランと何処かに行ったようなのよ、私の知らない間にね。まったく、この私に断りもないなんて……」
ぶつぶつと、不機嫌そうにお嬢様は何かを呟いている。よほど彼が勝手に何処かに行ったのが不満らしい。
「でしたら、今度から厳命しておけばいいんじゃないですか? 私の傍から離れるなって。そうすれば彼も、お嬢様に黙って何処かに行くことはないかと」
「……そう思う?」
「ええ。彼も、お嬢様の言葉に逆らわないと思いますよ」
「そう、かしらね……」
「……では、私はこれで」
考え込み始めたお嬢様に一礼して、私は外へと向かう。時間をオーバーしてしまいそうではあるけれど、お嬢様に呼び止められたのだから大丈夫だろう。
「厳命とは、我ながら無茶を言ったものですね」
先程お嬢様に言った言葉を振り返り、僅かに苦笑する。言ってはなんだが、そんなことをして彼が良い気分になるとは思えない。軽い遊びのようなものならともかく、本気でそう言われて快く了承することはまずないだろう。
「そして、さらにお嬢様は不機嫌になると」
子供っぽいところもあるお嬢様のことだ。自分の命令を聞くべきと思った相手がそれに逆らえば、不機嫌を通り越して怒りを示すかもしれない。そうなればどうなるか、そこから先は想像するまでもなく分かろうというものだ。
「その時は、私が介入しましょうかね。彼一人、守るぐらいは出来るでしょう」
怪我はともかく、死なせないようにはしないと。そう改めて決意しつつ、私は玄関の戸をあけた。
「どうすればいいと思う?」
「うーん、そうですね……」
夜、妹様の部屋で私は相談を受けていた。相談内容は、今は客室で休んでいる彼に関してのことだ。
「どうすれば彼ともっと仲良くなれるか、ですか……」
ふうむと、腕を組んで考え込む素振りを見せてみる。ちらりと見れば、妹様は僅かに不安そうで、どうやら本当に悩んでいるらしい。
「普通にアタックすればいいんじゃないですか? 好きだって」
「ええー? それだけでいいと思う?」
私の返答に、妹様は小首を傾げる。どうにも、納得がいかないようだ。
「大丈夫ですって。好きだって何度も言えば、彼だって分かってくれますって」
「うーん……。じゃあ、そうしてみようかな」
「ええ、それがいいかと」
少しは納得がいったのか、妹様は少しだけ満足そうな笑みを浮かべて頷いている。そのことを確認して、私は立ち上がった。
「では、私はこれで。明日も早いですからね」
「あ、ごめんね、美鈴」
「いえいえ、お気になさらず」
手を振って、静かに部屋を出る。去る間際に見た妹様は、何かを決意した風であった。
「……はは」
自室へと戻る最中、ふとおかしくなって一人で笑う。先程、自分が妹様に言ったことをつい思い出してしまったからだ。
「好きだって、言っていればいいってものじゃないですよ、妹様」
元々、妹様は彼に、妹のような存在として認識されている節がある。そんな状態で好きだと、しかも無駄に何度も言ったところで、彼が本気でそういう風にとることはないだろう。自分の立ち位置を認識していないと、言葉の取られ方も分からないというものだ。
「何処で癇癪を起こすでしょうかねえ、妹様は」
特段我慢強い方でもない彼女が、彼の態度の無変化に業を煮やすというのは、十分にありえる未来だ。そうなれば何らかの形、具体的には暴力という形でその憤りを発散するだろうし、下手をすれば狂気的な行動を取るかもしれない。
だが、別にそれで構わない。むしろ、妹様を含め、暴走してもらいたい。
「そうすれば、彼は私を選んでくれるかもしれませんからね」
私に、彼を引き付けるようなものがないことは自覚している。対して、私以外のこの館の住人達は、それぞれに魅力的な一面を持っている。真っ当に戦えば私が負けるのは必至。
「なら、脱落してもらえばいいわけで」
皆、どこか暴走しそうな性格をしているのだから、私はただそれをそっと押してやればいい話だ。そうすれば自ずと彼は、選択肢を狭めてくれるだろう。ついでにそういう状況になったときに、私が手を差し伸べれば完璧だ。
「早く、その時が来て欲しいですね」
彼が彼女たちの暴走に巻き込まれ、私がそれを助ける。愚痴をこぼす彼に、私は同意しつつ彼を受け止める。不安に陥る彼を、私がそっと抱きしめる。
「どれが来るか、あるいはそれ以外が来るのか。ま、時間切れ以外なら何でもいいですね。最悪、彼が誰かを選んだとしても、挽回の余地はありますし」
そんな幾つかの未来を考えつつ、私はそれが起こるその日を待つ。
『私と一緒に、ここを離れてみませんか? 二人きりで、二人だけの何処かへ』
いつか、そんな台詞が言えたらなと思いつつ、私はそっと自室のドアを開けるのだった。
はい、美鈴回です。リクエストされたキャラの中で誰がいいかなと思いつつ、パッと思いついた美鈴を書いてみました。しかし、彼のことを入れる場所が無かったですね。ま、それもいいでしょうけど。
今回、病みというよりは何というか、狡猾とかドロドロというか、そんな表現が頭に浮かぶ回でした。周りにあらぬことを吹き込んで自爆させるという、あんまり美鈴っぽくない感じがするかもしれないですが、自分でも何故こうしたのかよく分かりません。狂気だからこそ間逆っぽい感じなんでしょうかねえ。まあ、他の面々が今後起こす行動の方が、ヤンデレっぽくなるんでしょうけど。咲夜は奉仕、パチュリーと小悪魔がストーカー、レミリアが現実改変で、フランは感情の押し付け。そんな中美鈴のみが普通で、彼の逃げ場所となり、彼は……、みたいな未来でしょうかね。実際のところ、その美鈴が一番やばいのかもしれませんが、どうなのでしょうかね。ではまた。