――彼との出会いは、極めて平凡なものであった。特筆するようなこともない、物語であればつまらないと思われるほどに、普通でありきたりな出会い。しかし、それこそが私に、私達にとって一番大切な出会いだった。
「……ふふ」
そのことを思い出すと、今でも笑みがこぼれる。私達にとって大切な始まりと、そこから連なる思い出が連鎖してくるためだ。出会いと、それから語らい、そして告白まで。こうして思い返してみると、あっという間だったと思うものだ。
そんな思い出に浸りつつ歩いていると、背後から声をかけられた。
「――母さん」
その言葉に振り向けば、そこに居たのは彼と良く似た姿の青年。彼と私の、一番上の子供だ。三人いる私の息子たちの一番上、今はちょうど出会ったころの彼と同じくらいの歳だ。
「どうかしたかい?」
「いや、ふらふら歩いていたから声をかけただけだよ。……そんな調子だとまた父さんに心配されるよ」
「それなら、私は歓迎するけどね」
なんということのないことすら心配してくれる。そんな彼の優しさを感じられるのだから喜ばしいことではないか。そう目の前の息子に返すと、息子は納得できなかったのか、僅かに眉をひそめる。
「……母さんの考えは良く分からないよ」
「お前の父親なら、今の私の言葉に納得するさ」
「そうかな……」
「当然だよ」
まったく、見た目も声も、若い頃の彼に似ているくせに、こういったところはまるで似ていない。彼の優しさも、頭の良さも、強さも、何一つ彼に及ばないくせに、姿だけは無駄に似ている。……そのことが、僅かに癇に障る。
「……あ、じゃあ僕はこれで」
そんな私の不機嫌を感じ取ったのか、息子はそそくさとその場を立ち去る。いけないな、こんな調子では彼に叱られてしまう。
「……それなら、それでもいいけれど」
考えてみれば、彼が私を叱ったことはない。元々私はミスなど犯さないから怒られる道理がないので当然といえば当然だが、それにしても彼が私に怒りを見せた事がない。ただ、少し困ったように苦笑するだけだ。そんな彼の怒号を、聞いてみたいという気が起こらないわけでもないが、それは少々強欲に過ぎるか。
「――会いに行きましょうか」
こんなことを考えていたら無性に彼に会いたくなってきた。今の時間なら……、おそらくは布都のところだろう。
「……あなた、いますか?」
「――神子、どうしたんだい?」
予想通り、彼は布都のところにいた。いつものように柔和な笑みを、部屋に入ってきた私に向けてくる。うん、良い笑顔だ。若い頃の笑みもよかったが、歳をとったことによる深い笑みもまたいい。こればかりは息子たちでも再現できないだろう。
「いえ、少しあなたに会いたくなったもので。布都、やはり貴方のところにいたのですね」
「あ、その、太子様」
「ああ、大丈夫ですよ。別に責めているわけではないので」
やましいと思っているのか、布都は私に不安げな表情を向ける。まったく、相変わらず感情表現が素直な子です。もう少し感情を抑えても罰は当たらないというのに。隣の彼を少しは見習うべきね、まったく。
「いいですか、布都? 貴方の想いと彼の行動は、私がきちんと認めていることなのです。私に遠慮しすぎることはないのですよ」
「そうだよ、布都。罪悪感を覚えるのは僕だけでいいんだから」
「あなたも感じる必要はないんですけどね、別に」
何せ貴方と布都の関係は、私公認なのですから。
……元々、布都の方が彼と出会ったのは先だった。それが色々な行動の結果、私が彼の隣に立つことになったというだけで、ともすれば逆の立場だった可能性はある。勿論負けるつもりなどまったくなかったけれど、もしかしたらと思わない訳ではない。だから彼女の気持ちはよく分かる。彼女が、彼に捨てられぬ思いを告げたことも、だ。
それを予期していた私は、初めから彼に告げていた。もし布都が行動を起こすようであったら、それに応えてやって欲しいと。これは勝者ゆえの傲慢なのかもしれないが、大事な部下の心を無下にはしたくなかったのだ。それに、布都ならばかまわないと本心からそう思っていたのもある。高貴な私の夫なのだから、側室の一人や二人を囲う器を見せるべきだとか、そんな理由もないわけではないし、他にも細々とした理由はあるけれど、今はそこまで深く語る必要もないだろう。
これを彼に話したとき、彼は喜ぶでも、怒るでもなく、ただ困ったように眉を下げていた。別にこれは話を理解できなかったからとか、そういうことではなく、全てを理解した上でどう行動すべきか困っていたのだと、私はそう思っている。やはり、彼はとても優しいのだ。私への想いと、布都からの想い。見捨てたく無いからこそ、私の言葉にどうすべきか困ってしまったのだろう。勿論、これは相手が布都だから彼も困ったのだ。これがぽっと出のその辺の女であったら彼は絶対に相手にしなかった。相手が親しい仲である布都だからこそ、彼は私の言葉を聞いてもなお選択出来なかったのだ。
だから、そんな彼に私は言った。私のことを一番に愛していてくれるなら、別にかまわないと。絶対に、彼が私以上に優先するものなど存在するはずがないという自信があったからだ。そしてそれは、彼も同じだったのだろう。布都が言ってきた場合のみという条件で、彼は布都の想いを受け入れることにした。事実上の浮気容認宣言だったのだけれど、結局彼は布都にしか手を出していない。……もっとも、それが果たされたのはここ数年の話であるのだけど。
「それにしても布都、そろそろ彼との子供ができたりはしないのかしら? 少々見てみたいという気持ちがあるのだけど」
「ぶっ!? た、太子様!?」
随分と大げさな反応だ。そういう関係になっているのだから、私がそういうことを期待してもいいだろうに。
「神子、流石にそんなことになったのなら、僕らの子供たちにも話をしないといけないだろう? だからまだ当分は無理だよ」
「そういうことね。……それなら、仕方がないか」
まだ、子供たちには彼と布都の関係は話していない。そうすんなりとは受け入れることはないと理解しているからだ。彼の方はさっさと話してしまいたいようだけれど、私がまだ話さないと決めているから、彼もそれに付き合ってくれている。話すのは息子たちが独り立ちできるぐらいの年齢になってからにするつもりだ。そのくらいになればもし息子たちが私達の関係を否定したところで、外に放り出すという選択をとれるからだ。いくら血を分けた子とはいえ、合わないものを無理に合わせる必要などないだろう。
「だったら、あと五年は先になりそうね。私達との間には息子ばかりだから、布都との間は娘だったりしないかしら」
「気が早いよ、神子。ほら、布都がフリーズしてしまった」
「……おや」
見れば、布都は顔を赤らめてぶつぶつと何事かを呟いている。まったく、もう長い付き合いだというのにこういうところは変わらないのだから。まあ、そういうところがこの子の魅力なのだけれど。
「……そうそう、あなた。屠自古のことなのだけれど」
「――布都の場合と同じでいいだろう?」
「ええ、頼むわ」
やはり、彼も気付いていたらしい。こういう察しのよさもまた、彼のいいところだ。屠自古も何だかんだと言って彼には想うところがあるみたいだし、彼女にも幸せになってもらいたいものだ。
「それにしても、こうなると早く仙人になれるように頑張らないとなあ。いい加減僕も歳だし」
「貴方ならすぐにでもなれるわ、私が保証する。……今の貴方も魅力的よ?」
「ふふ、ありがとう。――愛しているよ、神子」
「……私も、愛しているわ」
この状況での、愛の言葉。これが、並みの男の言葉であったのならば信じないだろう。だけれど、彼の言葉に偽りなどないと、私は実感するのだった。
……だけれども、
「――母さん! 父さんが布都さんと!」
理解できぬ者とは、まったく何処にでもいるらしい。
「父さんが布都さんと浮気をしている」
そんな感じの言葉を、目の前の息子は何度も繰り返している。どうやら、二人が一緒にいたところを見かけたようであった。彼がそんなミスを犯すとも思えないので、大方よからぬ方法でも使ったのだろう。少し話を振ってみると目に見えて動揺していたからおそらく間違いない。仮にも私と彼の子だ、仙術の才能だけはあるからそういうことも出来たのだろう。
「母さんはいいの!?」
良いも何も、私が許可をしたのだから構わないに決まっているだろう。そう言ってやりたいのだが、如何せんあちらの勢いが強くて言う機会がない。まったく、いくら息子とはいえ外様がいちいち五月蝿いものだ。
どうやって納得させるか。そう私が悩んでいると、息子は言った。
「まったく、父さんは当然だけれど、布都さんも布都さんだよ! 人として最悪じゃないか!」
「……何だって?」
思ったよりも低い声が出た。そのことに息子は動揺しているようだけれど、知った事ではない。
「最悪? 誰が? 彼と布都が?」
ふざけるな、という話だ。何を勝手に決め付けて言っているのだ。当人と詰問する勇気もなく私に告げ口に来た分際で、何を言っている。何を、私の大事な二人を貶めようとしているのだ。それでも、聡明な彼の血を引いているのか。
「私達の関係をお前が勝手に決め付けるな。彼と同じ顔をしているくせに、不愉快なことを言うんじゃない」
「か、母さん? 何で母さんが怒るんだ? 母さんだって被害者みたいなもんじゃ」
――ああ、もう不愉快だ。彼と同じ顔をしながら、何と愚かなんだ。これが彼ならお前の立場でもまったく違った行動をとるぞ。少なくとも、これほど短絡的な行動をとるはずがない。
「ああ、まったく」
いらいらする。かつての彼と同じ顔で、彼が浮かべるはずのない表情を浮かべることに。かつての彼と同じ声で、彼が言うはずのない言葉を並べることに。彼に何もかもが足らないくせに、姿だけは同じなのが不愉快でたまらない。
「ちょっと、母さん!」
「――!」
……一瞬、目の前の息子に彼の姿が過ぎる。
――不愉快、極まりなかった。まるで、彼を他人が演じているような、そしてそれに一瞬でも騙されたような、そんな不快さが心の中に生まれる。
「……ああ、そういうこと」
今、分かった。私はどうやら、この姿形だけは彼を真似た『こいつ』が、――心底嫌いだったのだ。
「――母さん?」
不審げな表情を浮かべる『そいつ』を無視して、私は剣を取り出す。――そして、
「……え?」
そのまま、その剣で『彼の偽者』を叩き切る。状況が最後まで理解できなかったのか、『そいつ』は最後まで呆けた表情のまま事切れた。まったく、こういうところまで私を不快にさせる。もし、彼ならば絶対にこんな表情を浮かべよう筈もないというのに。
「――さて」
まだ、『偽者』はいる。だから私は、ゆったりを部屋を出た。
「――神子? これは……」
「……ああ、あなた」
二人の『偽者』を前に立っていた私に、彼の声が聞こえた。そのことに振り向けば、彼は僅かに困惑したような表情を浮かべて、私と背後に倒れている『偽者』に視線を向けている。
「これは……君がやったようだね。――どうしてだい?」
その彼の対応に、ふと笑みが浮かんでいることに気付く。これだ、ここで取り乱さない彼が、本当の彼だ。私が殺したと分かっているのに、怒りもしなければ動揺もしない。ただ、理解しようとする。これが、彼だ。
「ちょっと、あなたのことを不遜にも真似ているようだったから。だから、私は排除したの」
「真似……。――そういうこと」
「……ふふっ」
思わず、声すらも漏れた。この程度の説明で全てを察した彼に、誇らしいものすら感じる。偽者には、絶対に真似できない。私の、愛すべき伴侶だ。
「――ねえ、あなた」
「……何だい?」
「次は娘が良いわ。間違っても、貴方を真似ようなんて思わない子がいいわ。生まれたときから言い含めておけば、間違っても布都やあなたを非難するようなこともないでしょうし。……ああ、でも私と貴方の子は全員男だったし、今度もそうなってしまったりするからしら? だとしたら布都に期待すべきかもしれないわね」
「……神子」
「何かしら?」
私が聞いたと同時、彼が私を抱きしめる。彼の腕に逆らわず、私も彼に抱擁し返す。そのぬくもりに、私は思わず安堵を覚える。
「――愛しているよ」
彼の言葉に、一切に偽りなど感じられなかった。
「――私も、愛しているわ」
これからも、私達は愛し合う夫婦なのだ。そう、私は実感した
はい、神子回です。どうにもやる気が出ず、全体的に投稿が滞っていたのですがようやく書き上げられました。ただ、普通に忙しいというのもあるので、ちょいと今月は駄目かもしれません。
今回のタイプですが、いまいち分類できないです。一応少し崇拝型を混ぜているつもりですが、どうだったでしょうかね。尊い存在だと自認している神子ですが、それでありながら彼に対しては絶対の存在だとしている感があります。実際のところ、彼が何をやったところで彼女は彼を全肯定するでしょう。だからこそ、彼を真似る存在は我慢できなかったようですが。どうでもいいですが、彼は息子たちの死にそれほど大きな反応を見せなかったですが、これは彼らを愛していなかったというわけではないです。ただ、彼にとって神子が一番であったというだけです。これで神子以外が息子達を殺していたのなら、彼も怒りを見せたかもしれません。ま、彼も彼で愛に狂っていたということですかね。
次回は、さてどうしましょうか。調子も出ませんし、また投稿は遅れるでしょうかね。ま、結局は私の気分次第ですが。あ、そういえばリクエストについてあべこべのものはどうかというものがあったんですが、私がそういうのがあんまり好きじゃないので絶対にやることはないですと、ここで断っておきます。ここで書くような内容もでもないでのすが、他に場所もないので。あくまでリクエストを聞いて組み立てるのは私ということで、一つ。ではまた。